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北の離れ 2005

古書店主が綴(つづ)る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・12月1日 はやぶさ&イトカワ
・11月1日 野菜は何で運ばれる?
・10月27日 力関係
・9月25日 ネコの妹
・8月22日 "NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKI"
・8月1日 健康診断
・7月19日 淡路の岬
・7月9日 少年の夢
・7月6日 ギボウシ
・6月27日 なんじゃもんじゃはかせ
・6月16日 ナミテントウ
・5月22日 玉川上水
・4月27日 定時運行
・4月7日 ダイムバッグ・ダレル
・3月13日 京都議定書
・1月27日 終に...
・1月5日 新年早々ですが...
・1月1日 ブラックバス
・1月1日 謹賀新年

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12/1 はやぶさ&イトカワ
 地球日本時間11月26日、日本の小惑星探査機「はやぶさ」による、小惑星「イトカワ」の岩石サンプル採取が行われました。もし、サンプル採取が成功していたとしたら(宇宙航空研究開発機構は「ほぼ確実」と言われましたが...帰って来るまで解りません...)、これは、「月の石」以来の他天体のサンプル採取と言う事でも快挙ですが、なにより「小惑星」のサンプル採取と言う所が、スゴイ。
 何故スゴイって、小惑星は小さい。イトカワに関して言えば、長さ≒540m 幅≒270m 高さ≒210mの小ささ(写真で見ると殻付き落花生みたい)。この小ささですから、内部に熱源を持たない。よって地球や火星やらのように地殻の変動もないし、岩石の熱による変成もない、小さい重力なので受ける圧力も小さい、当然大気もないから風化もない(宇宙塵(じん)や宇宙線に依るものはあるか...)。太陽系形成過程で残った欠片(かけら)、とも考えられている小惑星ですから、誕生当時から左程変化していない(と考えられる)小惑星は、46億年前の太陽系の始原状態を比較的良く留めた、「太陽系の化石」と言えるようなものなのです。なので、小惑星の岩石は、太陽系の詰り我々の起源や構成を探る上での、大変貴重なサンプルとなる訳です。やったね、はやぶさ。
 地球から≒3億kmはなれた虚空で、はやぶさは孤独なミッションをこなしています(因みに地球―太陽間の距離は≒1億5千万km)。自律で着陸地点を選択し、接近し、着地し、5gの金属球をイトカワ表面に撃ちつけ舞い上がった岩石破片をカプセルに採取。そして上昇...。3億kmと言えば、光速(≒秒速30万km(一秒間に地球を七周半))で≒17分かかる距離です。光速で17分と言うことは、電波でも17分かかると言うことなので、一々地球からの指示で動いている訳には行かない。よって、多くを自律で行ったんだそうな。これもスゴイ。
 ただ、これでミッションは終了した訳で無く、地球への帰還、と言う大仕事が控えています。しかも、姿勢制御・軌道修正に必要な小型エンジンに不具合が発生。サンプル入りカプセルは、地球周回軌道(スペースシャトルや人工衛星が回る所)からではなく、隕石等の様に惑星間軌道から直接大気圏への再突入が行われます。その速度は秒速12km。摩擦による熱はスペースシャトル再突入時の数十倍にもなるとのこと。このサンプル入りカプセルを大気との摩擦によるダメージから守るには、今月上旬にはイトカワを離れなければならない。そうしないと、地球との位置関係からカプセルの大気圏への突入条件が厳しくなり、サンプルを熱から護れなくなる可能性が出てくるそうな...。困った...。
 はやぶさが、サンプル入りカプセルを地球に持ちかえるのは、来年6月。カプセルは地球から約20万kmの地点で本体から分離。大気圏を貫き、オーストラリア南部の砂漠(ウーメラ地区)に着地の予定です...。
 楽しみと心配が、一つずつ増えたな...。

・12/15追記:やはり燃料洩れ等により姿勢制御は困難の模様で、帰還は約三年延び、突入条件が再び整う’10年2〜5月になる模様。三年機器が持つか...。また、当初成功と考えられていた岩石サンプル採取も、現在入手できたデータによる判断では、金属球は8割方撃ち出されていなかった可能性が高い、とのこと...。
無事の帰還を目指し関係機構の努力が続いています。

*小惑星:主に火星と木星の間の「小惑星帯」に存在する天体。発見されたもので26万個。総数は百万にもなるのではとも考えられている。名前がついていたり、軌道が確定されているものは一部でしかない。名の通り小さく、小惑星帯で最大の「セレス」でも直径≒900km(月の四分の一弱)。初期太陽系で、惑星にまで成長しきれなかった微惑星及びある程度の大きさの原始惑星が破壊された欠片などが起源と考えられている。(海王星以遠にも「エッジワース・カイパーベルト」と呼ばれる小天体が存在する領域が有る)
*はやぶさ:宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙科学研究本部が打上げた小惑星探査機「MUSES-C(ミューゼスは希臘神話の芸術の女神「ミューズ」に由来)」の愛称
*イトカワ:’98年亜米利加で発見。当初の名前は"1998SF36" はやぶさの探査対象に選ばれて後頼んで「イトカワ」と改名。イトカワ=糸川で、日本ロケット研究の第一人者、糸川英夫氏(故人 R.I.P)の名に由来。糸川さんは日本陸軍の一式戦闘機「隼(はやぶさ)」の設計者の一人でしたな...
*宇宙塵・宇宙線:宇宙塵は宇宙空間に漂う微粒個体物質。地球大気に飛び込めば流れ星になったりする。宇宙線は宇宙空間を飛び廻る高エナジー放射線(一次宇宙線。大気に飛び込んだ後二次宇宙線を発生させる)。我々の身体も毎秒百個ほどもの宇宙線が貫いている

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11/1 野菜は何で運ばれる?
 前にも書きましたが、我が家では食品の買出しは、僕の仕事です。二日に一遍程度は自転車でエコバッグ持って出かけます。このペースで買い物をしていると、矢張り食品の包装ゴミが気になります。なるべく包装がシンプルなもの、リサイクルし易そうな素材のも、或いは環境に負担かけ難そうな素材のもの(プラスティックよりは紙とか)を選ぶ様には心掛けています(予算の括りは付きますが...)。
野菜 そして買い物時、もう一つ気を付けているのが、お野菜の産地。遠〜い産地のものは其れだけ長い距離を、輸送機関によって運ばれてくるので、それだけ多くのCO2(その他)を排出することになりますよね。なので、なるべくなら、近場の産地のものを選びたいと思って、お野菜を眺めているのですが...ここで気になることが一つ。産地から何で運ばれてきたのか?と言う事。
 野菜(に限りませんが)は、一般にトラックで運ばれるのだと思いますが、自家用トラックのCO2排出原単位は、960g-CO2/トンkm、営業用トラックは同じく、167g-CO2/トンkm(’01年度)。ここで、CO2排出原単位とは、1トン(1000kg)の貨物を1km運ぶ場合に排出されるCO2(二酸化炭素)の量をグラムで表わしたもので、当然少ない方が環境への負荷が少ないのでGood。よって自家用より営業用のトラックの方が大分Goodとなる訳ですが、でもこれが、鉄道と比較すると、鉄道の方がもっとGood。鉄道のCO2排出原単位は、21g-CO2/トンkm。CO2排出原単位だけ見れば、鉄道は、自家用トラックの≒45分の1、営業用トラックの≒8分の1の好成績。CO2の排出削減と言う観点から見れば、なるべく鉄道で運ばれてきたものを買いたい...。でも、何で運ばれてきたかなんて、何処にも書いてないよ...。
 我が家から見れば遠〜い青○県のほうれん草と、直ぐ近くの群○県のほうれん草が同じお値段だったら迷わず、群○県産の方を買います。でも、青○県産のほうれん草が鉄道で運ばれて来たもので、群○県産ほうれん草がトラックで運ばれて来たものだったら...青○県産ほうれん草の方がCO2の排出量は少ないことが考えられる...よね...。
 できれば、お野菜には、産地だけでなく、輸送方法とか、どんな農薬を何時使ったかとかも、表示して欲しいな...と考える、今日この頃です。エコレールマーク、野菜にも普及して欲しいな。

*自家用トラック:「自分たちの荷物を運ぶ、或いは他人の荷物を無償で運ぶ」白いナンバー・プレートのトラック
*営業用トラック:「他人の荷物を有償で運ぶ輸送専門業者」の緑ナンバーのトラック。でっかいのが多いですよね
*トンkm:トンキロ。1tの貨物を1km輸送した場合、1トンキロとなる
*CO2排出原単位:上はCO2排出量で表していますが、C(炭素)量で表す場合も有る。CO2量に換算する場合、CO2の分子量が44で炭素の分子量が12なので、≒3.67を掛ける
*エコレールマーク:積極的に鉄道輸送を利用している商品や企業に使用が認められる、国土交通省により制定されたマーク。比較的に環境負荷が少ない商品等を選択する目安のひとつになれるか
*鉄道輸送:鉄道の方が自動車よりCO2排出量や大気への負荷は少ないけど、原子力発電所から共有された電力で走っている事を考えると、複雑...。トラックにはトラックならではの長所・利点もあるだろうし...バランスが大事と言う事か...

(画像は、無料イラスト・サイト「イラストAC」よりお借りしました)

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10/27 力関係
 下に書いた妹達(と言ってもふたりは姉妹ではない)ですが、やはり彼女達の間にも、ご多分に漏(も)れず、所謂(いわゆる)「力関係」と呼ばれる様なものが見られます。そしてその力関係には、一寸、不思議な所があるのです。
 ふたりには、お気に入りの寝場所が有るのですが、その寝場所―襤褸(ぼろ)々のダンボール箱(お客さんが送ってくれた本が入っていたもの)その他―が共通である為、取合う。取合うとは言っても、100%式部(しきぶ:黒縞)が、先に寝ていた巴(ともえ:黒白・足袋履き)さんに襲い掛かり追い出す、と言う形になります。巴さんが入ろうとしたら式部がすでに寝ていた、と言う場合は、巴さんが其の侭(まま)諦(あきら)めて別の場所で渋々寝る...。詰り、寝場所の取合いは、必ず式部の勝利。勝者が常に決まっているは、ベッコウバチとコガネグモの戦いの如きもの...です。日向ぼっこの場合も、そう言えば、何時も巴さんが追い出されてるな...。
 じぁあ、巴さんは力関係では式部の下位に位置し、何時も式部に譲ってばかりなのか、と言うとさにあらず。ここが不思議なところ。食べ物の取合いとなると、これが逆転。普通食事は其々(それぞれ)別の食器で食べるので、取合いとはならないのですが、偶々(たまたま)食器が一つしかないときや、巴さんが先に食べ終わったりした場合等は、巴さんが、式部の食べている食器に強引に頭を突っ込み、横取り。式部に寝場所を取られそうになった時の巴さんは、それなりに反撃するのですが、この時の式部は、まったく反撃せず、そのまますーっと身を引き、巴さんが食べ終わるまで、傍(そば)に坐ったまま大人しく待っています。これまた100%そうなります。式部が勝利を得る事はありません。巴さんが常に勝。
 なんでしょうねぇ...。ふたりの関係は...。寝場所は幾つか有るので、寝場所の取り合いと言うのは、左程重要な問題では、彼女等にとってないと思いますが、食事の取合いは重要ですよね。少なくも寝場所の取合いよりは...(勿論食事の量がふたりの間で偏らない様に、此方は気をつけていますが)。となると、より重要度の高い食事関連の問題で常に巴さんが勝つと言うことは、式部が一見強そうには見えているけれども、その実は、巴さんの方が強いのでは...。食欲で言えば、若い式部のほうがずっと旺盛なのに、比較的食の細い巴さんがその式部を押し退けてしまうのだから...。
 体力では若く身体も大きい式部が上。なので、なんとなく式部の方が強そうには見えている...けれども、でも実は、迫力・存在感では、年上の巴さんが式部を圧倒している...といった感じを、兄としては、何とはなしにですがもっています。が...どうなのでしょう?実際は...。
 このふたり、仲はけっして悪くはないのですが、しょっちゅ喧嘩ばっかりしています。とは言っても、まだまだ子どもっぽい式部の方が、ちょっかい出して巴さんに突っ掛かる、と言うのがお決まりのパターンなのですけどね...。取っ組み合いや追い駆けっこ(正確には式部が巴さんを追い駆け回す)が始まると、こっちにまでとばっちりが来るので、危なくてしようがない。式部などは直ぐに理性が吹っ飛ぶので、ソファーに坐っている僕の膝などは単なるジャンプ台か足場くらいにしか認識されず、危ない危ない。
 巴も式部も、生後一ヶ月弱程の頃、我が家に捨てられたのか迷ったのかは定かでは有りませんが、お母さんや姉妹・兄弟と別れやって来ました(或る日居たのです。庭やら門の下やらに...)。なので、お母さんの躾(しつけ)を余り受けておらず、また当時(其々来た時期は異なりますが)我が家には子猫は居らず、歳の離れたもう遊んでくれない成猫ばかりでしたので、兄弟・姉妹喧嘩の中から彼是(あれこれ)学ぶということも出来ておらず、社会性がやや乏しい。昨年暮れに亡くなった安寿や、その兄弟の厨子王、また今年始めに亡くなった葵さんなどは、子ども時代を兄弟・姉妹と共に育った所為か(捨てられ猫の為、お母さんとは別れていましたが)、噛むにしても爪をたてるにしても、加減が分かって居る為、こっちが流血の惨事(大袈裟)になるような事は、特別情緒不安定或いはパニックになっているような場合を除き、まず有りませんでした。ところが、巴も式部も、噛む・引っ掻くの加減が下手。こちとら小生傷が絶えん。一応の手加減はしてくれているのですが、下手...。ふたりの喧嘩が多いのも、結構本気(マジ)になり勝ちなのも、若しかしたら、幼児期の環境が影響している所も、
あるのかもしれません。
 でもなんだかんだ言って、寒い日なると、ふたり一緒に仲良く寝ていますけどね...。

*ベッコウバチ:膜翅目 細腰亜目 ベッコウバチ科 Cyphononyx dorsalis 体長22〜25mm 北海道を除く全国に分布。人家付近でも見られる鼈甲(べっこう)色(茶褐色)の翅を持つ蜂。コガネグモやアシダカグモ等の大型の蜘蛛に襲い掛かり毒 針で仮死状態にし巣穴内で幼虫のエサとする。英名:spider wasp(waspは比較的大型のハチを指す)
*社会性:個体差はあるでしょうが、一般に、子猫の社会性の発達や健康を考慮し、生後二・三ヶ月は、母様や姉妹・兄弟と過ごさせてあげる必要が有ると言われています。ある程度は、人間が母がわりとなり、躾ることもできるのですが、やはりお母さんには敵(かな)いません...。我が家は育て方が下手だったのかな...

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9/25 ネコの妹
 「ネコの妹?何其れ」ですね。ヘンな言い方かもしれませんが、僕にはネコの妹がいる、と言う意味です。ネコの妹がいると言う事自体ヘンですが、僕にとって今我が家にいるネコ連中は、妹のような存在である、或いは僕は彼女等を妹の様に感じ接していると言うことです。彼是(あれこれ)考えて、そうした結論に至りました。
 何故そんなことを彼是考えたかと言うと、時折と言うか結構、一緒に暮らしているネコやイヌに対し、自分(畜主さん)の事を、「お母さん(お父さん)」或いは「ママ(パパ)」と呼ぶ方がいらっしゃいますよね。其れに対して、何故か何時も、一寸した違和感を覚え、今一つ理解に苦しむ部分があったのです。ワンコは、可也長い間一緒に暮らすことが無かったので(僕が子供の頃は、僕より一つ年上のスピッツが居ました)、良く解らないのですが、ニャンコは、明かに人間に対し、子どもの様に振舞う部分があるので、人間が彼女等彼等を子どもの様に感じる事が有ると言うのは、解ります。普通一般に、群れ生活をしないネコが、人と一緒に暮らすと言う「群れ生活」に適応しようとする場合、彼女等彼等が唯一群れで生活する子ども時代、つまりお母さんや姉妹・兄弟と共に生活する子ども時代のように振舞う、詰り「親」である人間に対し自身は「子」として振舞う、或いは逆に、自分(ニャンコ)が人間に対し親のように振舞うと言う説があります。前者は、食事をねだるとき等が典型的例、後者は捕まえた獲物を見せに来るとき等が典型的例と言われています。
 上記の説が正しいかどうかは解りませんが、食事を強請(ねだ)るときなどは確かに親に甘える子ども、ですよね。或いは冬場、布団に潜り込んでくるとき、膝の上に乗りたがる時なども、そんな感じがしないでもありません。なので、ニャンコに対し畜主(ちくしゅ)さんが自分の子どもであるかのような感覚を抱くのは解らないではありません。が、何故か今一つ理解に苦しむのです。何でだ...?若しかしたら、ですが、僕はもう赤子の頃から常に犬や猫と一緒に暮し、言わば犬や猫と一緒に育ってきた様な人間なので、連中が自分の子ども、と言う感覚は持ち難いのかもしれません。子ども(僕ですね)が他の存在を、自分の子どもの様に感じると言うことは、有り難(にく)い事のように思うのですが...。どちらかと言えば、親と子と言う関係よりもっと対等に近い関係、兄と妹或いは兄と弟という関係に近いのではなかろうか...。そう考えると、一寸しっくり来るのです。(単に僕に子どもがいない所為(せい)、或いは僕の父性欠乏の所為、かも...)
 そして、上の様に考えているうちに思い出したのです。僕は我が家のネコ連中に対し、自分を「おにいさん」と言っているときがあると言う事を...。或る時、何処か怪我をしたネコに、「おにいさんに見せてご覧」と言っている僕が居ました。また或る時は、病気で治療が必要となったネコに、「おにいさんが稼いで来るから、安心して病院に行きなさい」等と意味不明の事を口走っている僕が居ました...。「おにいさん」と言う言葉の中には、「若い男の人」と言う意味合いも含まれていそうですが、基本的に、彼女等を「身内」として認識しているので、矢張り「兄」としての意味合いの方が大きいのではないでしょうか。うん...。
 ...そうか...俺は我が家のネコ連中を、子どもと言うよりは妹か弟(今現在は全て妹)のように感じているのか...だから、ネコ(イヌ)に対して自分を「お母さん(お父さん)」或いは「ママ(パパ)」と呼んでいる人に違和感を感じていたのか...。と言う、結論に達した訳です。だから、僕には「ネコの妹」が居るのです。ふたり。(違うかな...?)
 皆さんは如何ですか。一緒に暮らしている動物達に対し、どんな感覚で接していますか。自分の子ども?それとも兄弟・姉妹?友達?或いは飽くまで他の種属...?考えて見たら一寸面白いかも。彼女等彼等に対する見方にも、一寸変化があるかもしれませんよ。
 ...「妹(巴と式部)」達は此方(こちら)をどう思っているのだろう...。知りたいような、知りたくないような...。

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8/22 "NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKI"
 僕は、この、「NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKI」という言葉が好き(「好き」と言うのは一寸ヘンか...)で、毎年、広島・長崎両地へ原子爆弾が投下された日が近くなると、HPに載せたくなるのですが、それは、核兵器の使用が齎したものや、核兵器の使用を選択させてしまうような戦争と言うものを、忘れない様に、或いは忘れたくない、と言う様な思いからの行為です。なのですが、一部では、この「NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKI」という言葉は、日本人の被害者意識から出る言葉であると理解され、この言葉を聞けば或いは見れば、「REMEMBER PEARL HARBOR(真珠湾を忘れるな)」、と返って来ると言うことがあるようです。正直、意外でした(単なる世間知らずですか)。
香焼島より長崎上空  「NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKI」 この言葉は、ヒロシマやナガサキの様な地が二度と現出する事のない様に、また、第三の核兵器が使用されることが決して無いように、と言う、未来へ向った言葉だと、僕は理解しています。被害や加害と言う、言わば過去に囚われたものではないと思うのです。被害の歴史も、加害の歴史も当然の事ながら、踏まえて行かなければならないと思います。ヒロシマ・ナガサキがあれば、パール・ハーバーがあり、東京大空襲があれば、中国への無差別爆撃があり...人種的偏見、民族蔑視が其々にあり...と。当然踏まえて行くべき過去です。ですが、正当性の主張ばかり、悲惨の訴えばかりでは始まりません。核兵器とはどういう存在なのか、その使用が齎したものは、何であったのか、また、この核兵器に囲まれた現実の社会の中で何をどの様に目指して行ったら良いのかと、現実を直視し、被害・加害を超えて、人類の問題として冷静に見つめる事が、大事なのではないかと、思うのです。
 ヒロシマ・ナガサキから60年。核兵器が実戦で使用されることは幸いありませんでしたが、実験と言う形では2000回以上にも渡り「使用」されて来ました。現在世界には、一万六千を越える核兵器が存在すると言われています。始めはアメリカ一国であった核保有国も、ソヴィエト・イギリス・フランス・中国と増え、更にその後、南アフリカ(既に廃棄)・インド・パキスタンが保有国となりました。イスラエル・北朝鮮も、保有しているのでは、とも言われています(イランも核開発に疑惑を持たれているが、「平和目的」を主張している)。多くの兵員や戦車や爆撃機・戦闘機を保有・維持していくより、何発かの核弾頭を保有・維持して行く方が、安上がりであることを考えれば、この後、保有国(或いは「保有者」)が増えて行く事は、考えられる事です。核兵器を増やさない或いは削減して行くと言うシステムは、一定の成果はあげていると言っても、本当に有効に機能していたのだろうか...? 核保有が安全保障に実際どれほどの役割を果たしているのか、僕にはわかりませんが、核兵器に安全保障の役割を負わせることが本当に必要なのか...? 核廃絶は現在においては、現実的なものではないでしょうが、やがて、現実とさせるには、被害者意識を超えた、或いは過去に囚われない、人類の体験としての核兵器の悲惨の訴えを、こつこつと積上げて行くしかないのでしょうか。やがて、被爆体験を持つ方々の存在が0となる日が、近い将来、確実にやって来ます。体験の重みを、伝えて行く努力が、より必要となるのではないでしょうか。
 ...勢い良く語ってしまいました...。夏バテが嵩じて少しハイになってます...。
 涼しくなって身体が楽になったら、原爆ドーム見に行きたいな...。

*核実験:1963年のPTBT(部分的核実験停止条約)により大気圏内の実験は地下実験へ移行。1996年にはCTBT(包括的核実験禁止条約)により核爆発を伴う実験は禁止されたが、爆発を伴わないシミュレーション実験や臨界前実験は続いた。またCTBTやNPT(核拡散防止条約)に調印していないインドやパキスタンでは地下核実験が行われている。
*NPT:核拡散防止条約 国連加盟国191ヶ国中188ヶ国が加盟(内核保有国は5ヶ国)。未加盟はインド・パキスタン・イスラエル。
*核兵器保有数:世界には約二万発の核兵器が存在すると考えられているが、その内配備(実際に使用可能な状態。ミサイルに搭載されているとか、爆撃機に搭載し投下できる状態にあるとか)されているものは一万六千程と言われている。内訳は、亜米利加合州国;7068 露西亜;8232 中国;402 仏蘭西;348 英吉利;185 パキスタン;30〜50 印度;30〜40 イスラエル;不明 とされている。
*南アフリカ:’70年代から’80年代にかけ核兵器を製造。’91年に解体・廃棄したとされている。アパルトヘイト廃止により黒人政権に核兵器が渡るのを防ぐ為、或いは国際社会への復帰を円滑にするため等の理由からとも言われている。
*核兵器が使用されることはなかった...:湾岸戦争やイラク戦争等で使用された劣化ウラン弾は、核爆弾の様に核分裂反応を起こすものではないが、使用により放射性物質を環境中に放散させる為、健康被害を齎す可能性があると懸念する見方もあり、一種の「核兵器」と見なす考えも有る。
*劣化ウラン(DU:Depleted Uranium):天然ウランから核燃料や核兵器に使用できる同位元素ウラン235235U)を分離したのち残るウラン238238U)。半減期≒45億年。主にアルファ線(ヘリウム原子核)を放出。比重(水の重さを1として比較した重さ)が鉛の1.7倍と非常に重いので、砲弾の貫通力を高めたりする為、又ミサイルの姿勢安定用の錘等に使用される金属。燃焼し易く、高温を発して燃え酸化ウラン(U3O8)の微粒子となって広範囲に飛散する。直接また間接に生物体内に摂りこまれ、放射能障害を引起す可能性が指摘され、その使用の是非を巡り議論が有る

(画像は、香焼(こうやぎ)島川南造船所より見た原子爆弾投下直後の長崎上空(松田弘道氏撮影)。フリー画像サイト「GATAG」よりお借りしました)

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8/1 健康診断
 先日、市の成人検診を受けに行ってきました。はじめてなのでドキドキ...。大体、病院自体に殆ど行った事がない。行く時は、常に、家族の付き添いという、失礼ながら、一寸お気楽な立場(語弊がありますか...)。所が今度は、病気ではないとは言え、当事者として病院へ...。何年振りだろう...? 十数年前にぎっくり腰で行ったっきりだ...。でも、歳が歳だし、健康管理は自己責任。がんばって行ってきました。
 成人検診(無料)。今までも毎年、案内が送られてきていたのですが、申し込まなかった。躊躇(ためら)いがあったのです。昨年までは、店を休まなければならないから、と言うのも有るには有ったのですが、それ以上に、躊躇わせるものがあったのです。「若しかしたら重大な病気が見付かるかも...」と言うのも、ないことはないですが、最大の理由は、恥ずかしながら注射です。血液検査が項目に含まれますので、当然ながら、注射します。注射自体に対する怖さもあるにはあります。何せ、注射は、おそらくニ十数年はやっていないので...。其れだけ大した病気をしなっかったと言うことなので、有り難いことではあるのですが、流石に、一寸怖さは有ります。でも、それも大した事ではないのです。大した事なのは、血液を採る、と言うことなのです。下の7月9日分にも書きましたが、血に弱い...。普通なら、少々の血を見ても、脳貧血を起こすことなどないのですが、朝早起き(普段より)して、しかも朝食抜き(検査当日は食事はNO)と言う条件下では、とてもデインジャラス。今までも、血を見て脳貧血を起こしたと言う場合は、大体同じ様な条件下でした。「はじめて行った病院でオヤジが血を見て脳貧血は恥ずかしい...」と言うのが、有ったのです。
 でも、もういい年ですし、そんなこと言ってる場合ではないので、行って来ました。
 ...まず、問診。病歴・生活習慣等々につき答える。続いて身長・体重測定(背は縮んでませんでした)。次に血圧測定。上が104mmHg、下が56mmHg。低。基準の採り方によっては、低血圧ですね...。次に愈愈(いよいよ)採血...。絶対注射器を見たらアカン...仕事の事考えて気を紛らすんや...と、自らに言い聞かせじっと耐える...。長い...何時までかかるんやぁ...。いかん。冷や汗が出てきた...。と耐える事どれ位? ホンの数十秒なのでしょうが、僕には十分位には感じられました。でも良かった...無事終わって...。後はもう、お気楽。次の胸部レントゲンは中学校以来で懐かしぃ〜と余裕。そして最後の心電図も、予め経験者(母)に様子を聞いていたので、これまた余裕。十分間はあっという間に過ぎる...。が、結果(血液検査とレントゲン検査の結果は後日)を聞いて一寸ブルー...。心電図に異常有り。まぁ、日常特別に気を付けることや、治療云々(うんぬん)が必要と言う程ではないが、「正常ではない」と、微妙なお言葉。確かに、心電図のグラフには要らぬ谷と山が見える。以前から、熱い深めのお風呂に入っている時に、息苦しさとは一寸異なる胸の苦しさを感じ、「あれ?何だろ...」という事や、外を歩き回っている時に、突然動悸が少々激しくなって、「何だろ。どうしたんだろ...」等という事が時折あったので、若しや心臓が...という思いが有りました。なので、やっぱり...。暑いときに激しい運動は控えるに越したことはない、と言われました。
 その後、近くの眼科医で、眼底検査をしてもらい、取敢えず検診は終了(眼科医が混んでいて大変でした。お年寄りが多い為、夏場は涼しい午前中に来院が集中するのだとか)。あとは、血液検査とレントゲンの結果待ちです。
 心電図検査の結果は、余り意外ではなったのですが、血圧の低さは、一寸意外でした。親が高血圧症ですので、何とはなしに、血圧は高そうかな...と思っていたので(根拠はない)。ただ、思い当たる節はあります。子供の頃から、立ちくらみ(起立性低血圧)とは長〜い付き合いですし(急に立ちあがらないように気を付けているのですが、油断すると眼の前真っ暗)、夏場、暑い季節は辛い...ヘロヘロ...。25℃を越すと、精神を含めた肉体が、正常に機能しない...。血圧が低いと言うことは、血液を押し出す力が当然弱い。夏場は体温を逃がす為末梢(まっしょう)血管が拡張する為、更に血圧は下がる。ので、血流が滞(とどこお)りがちとなり、心臓へ戻る血液量が減り、心臓から送り出される血液量も減り...で、色々と不具合が起こる、と言うことなのでしょうか。肩凝りも酷いけど、それも関係しているのだろうか...?
 上記の諸症状が、低めの血圧と関連が有るかどうか断定できませんが、結果を受取に行ったとき聞いてみましょう。
 僕は、会社勤めの経験がないので、健康診断とは無縁なままこの歳まで来てしまいましたが(不精者)、此れからは、毎年受診するよう心掛けたいと思います。僕同様、健康診断がないので、長年受けていないのが、気になってはいるけど、どうも面倒で...、と言っている主婦の友達にも、機会があったら薦めたいと思います。想像ほど大変ではないですしね(診断自体は)。

*血圧:単位はmmHg mmはミリメートル、Hgは水銀を表す。水銀圧力計を使うのが基本となっているため。血圧の基準は様々あるようですが、一般的な、日本高血圧学会のものでは、以下のようになっています。
 至適血圧 120/80mmHg未満
 正常血圧 130/85mmHg未満
 正常高値血圧 140/90mmHg未満
 高血圧 140/90mmHg以上
 (収縮期血圧/拡張期血圧(所謂「上」と「下」))
低血圧は、心筋梗塞や脳梗塞等の重大な病気に関る高血圧とは異なるので、基準は有りません。一般には、
 100/60mmHg以下
 110〜100/50〜60mmHg以下
と言うのが、採用されるているようです。全体に血圧は、女性より男性の方が若干高めです
*眼底検査:眼の網膜の写真を撮り(フラッシュが激に眩しい)、血管の様子を探り動脈硬化の状態などを診る。眼底は唯一外部から血管を覗く事が出来る部位

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7/19 淡路の岬
 僕は旅行は殆どしないくせに、結構地図を眺めるのが好き(教科書は何時も地図帳がボロボロ)で、お客さんに本を送ったときは大抵、地図で送付先をチェックします。先日も、四国徳島の鳴門市の方に本を送ったとき、例により地図を(ネットで)チェック。鳴門海峡を挟んで、左に四国、右に淡路島...と、その淡路の上に懐かしい名前を発見。「若人の広場」...。
淡路島 中学二年から三年になる春休み、友達数人と淡路島へ旅行に出掛けたのですが、その中の一日、特に目的も持たず、島の南部地域をぶらぶらと彷徨。眺めが良さそうと、山へ上がる車道を曲がりくねりながら登る。いい加減足が疲れ、彼方此方から不平が出始めた頃、とある施設の前に...。それが、「戦没学徒記念 若人の広場」でした。もう遥か遠き少年の頃なので、その施設がどんな様子であったのか、又、何故に入館したのか、全く記憶にないのですが、ただ、その施設(慰霊塔・資料館・宿泊施設)の立つ岬の上から、双眼鏡で見た、小さいながらも美しい渦潮と、資料館の或る一つの展示物から受けた衝撃だけは、今も記憶に残っています。その展示物は、ぼろぼろの手製の学生鞄(ショルダー・タイプだったと...)で、米軍戦闘機の機銃掃射を受けた為幾つかの銃弾の痕がありました。細かいところは定かでなく、記憶違いもあるかもしれませんが、おそらくその鞄の持ち主が当時の僕と同じ中学生(旧制中学)であったのだろうと思います。為に、可也の衝撃を受けたのでしょう。「俺と同じ中学生が...」と。
 この体験は、戦争に対する僕の考えを形成する上で、当時或いはその後の僕にとっては結構重要な体験だったように思うのですが、その結構重要な体験の場を提供してくれた、「若人の広場」が、現在廃墟と化しているとは...。
 地図に「若人の広場」の名を見つけて懐かしくなり、早速ネットで調べて唖然。訪問者減により運営難に陥り、その後阪神・淡路大震災による被害もあり、運営財団法人(「戦没学徒記念若人の広場」)の資金難により閉鎖。戦没した学徒の日記・手紙・衣類等の遺品を中心とした展示品の多く(≒2000点)は、施設の荒廃を知り、引取りを申し出た立命館大学国際平和ミュージアム(京都市)に、昨年寄贈されるも、建物は荒れるに任す、と言った状態とか...。
 有志の方々により、慰霊塔周辺は整備されているようですが、残念ですね。
 現在、NPO法人「若人の広場復興委員会」の方々が、施設再開を目指して、およそ20万人と言われる、戦没学徒の名簿づくりを進められているとのこと。
 ...福良の港や、やや遠く鳴門海峡を見渡す、緑濃い岬の上。そこに建つ、丹下健三氏の設計となる、ペン先をモチーフとしたモニュメントの美しさと言い、城の石垣を模した石積みの資料館の、素朴な迫力と言い、また、塹壕をイメージした資料館内部の、石とコンクリートと、スリットやアーチ部から洩れ来る自然光が造りだす静謐な雰囲気と言い、なんとか活かせないものでしょうか。ネットで彼是(あれこれ)写真を見て思いました。でも、実際に見た時の記憶は、全く御座いません...。いい加減な奴...(内部は一寸思い出したけど)。
 個人においても、民族・国家においても、記憶が少しづつ失われていくのは、仕方のない事かもしれませんが、戦争の記憶が薄れ失われていくのは、食止めたいですね。戦いの記憶、と言うものが、戦いを選択させない最大の力になると、思うのです。

2014年8月追記:2010年南あわじ市が「若人の広場」の土地・建物を取得。現在2015年春の完成をめざし再整備中とのこと。個人的には喜ばしい

*若人の広場:昭和42年(1967)オープン。戦没学徒関連の資料展示館・慰霊塔・宿泊施設からなる。展示品の幾らかは、まだ、館内で埃をかぶっている模様。最近の写真を見ると、丹下氏の設計による建築は、石垣を纏(まと)い、草生(む)し、何やら古城のような趣(おもむき)...。現在、塔周辺を除き閉鎖。建物内へは入れません。石垣には危険個所もあり十分注意とのこと。無宗教。所在;兵庫県南あわじ市阿万大見山山頂
*立命館大学国際平和ミュージアム:「戦争」と「平和」に関る資料を展示。京都市北区。本年(2005年)12月、「若人の広場」より寄贈された資料展を開催予定
*戦没学徒:大東亜戦争後半昭和十八年(1943)以降、戦場また軍需工場・農村等に動員された≒400万人の中学から大学の学生・生徒のうち、≒20万人が亡くなった
*旧制中学:戦前の学制時代の中学校。四年乃至(ないし)五年制。男子のみ。ここを経ると旧制高等学校→帝国大学へと進学可能となった
*丹下健三:建築家。大正2年(1913)大阪生まれ。2005年没。
代表作:広島平和記念公園・香川県庁舎・国立屋内総合競技場(代々木体育館)・大阪万国博覧会マスタープラン・赤坂プリンスホテル・OUBセンタービル・東京都新庁舎(新宿都庁)・フジテレビ本社ビル 他
(OUBセンタービル:オーヴァーシーズ・ユニオン・バンク・センタービル(シンガポール))
事情は不明ですが、若人の広場は丹下氏の作品であることは余り公表されていないらしい。しかし、その筋(建築関連)の方々の評価は高

(画像は、Illust ACよりお借りしました)

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7/9 少年の夢
 8日、哲学者で詩人・随筆家また登山家の、串田孫一さんが亡くなられました。享年八十九
 子供の頃から、少年時代に架けての将来の夢、大人になったら何になりたいか、と言う夢ですね。僕の場合、その夢には、可也の変転が有り、記憶に有る限りですが、五つほど思い浮かびます。まず、最初は保育園から小学校低学年の頃、動物好きだったり、親の仕事(保健所)関係が有ったりで、獣医さん。所が、今も同じなのですが、血に弱い...。今までの人生で二度、脳貧血でふっと瞬間、気を失った事があるのですが、二度共に、血を見てでした...。なのでとても勤まらないと子供心にも悟り、断念。それではと、次に考えたのが、動物園の飼育係さん。学校でも長く飼育委員を務め、これは天職、と思っていたのですが、動物園の存在そのものに疑問を感じ始めた為、断念。と言うか生意気にも興味を失う...。その頃、自然保護思想に目覚め始めていた事に関連し、次に夢見たのが、国立公園のレンジャー。自然の或いは野生生物の保護に直接現場で関わりたい、と考えたのですね。此れは結構長く、小学校の5・6年生から中学時代にかけて続いていたと思います。結構このまま、スムーズにレンジャーになるのか?...とその時は甘く考えていたのですが、人生、そんなに甘くは(僕の場合)なかった。その後、すんなりと高校に進んだのは良かったのですが、ここに大きな問題が...。在学中に、原因は今もって判然としないのですが、不登校引きこもりとなり、その後数年、全く外部との接触がなくなってしまうと言う事態に...。が、そんな中でも、中学時代に目覚めた登山にだけは、時折出掛けておりました。ひとり、近場は奥多摩、一寸遠く奥秩父や山梨の中央沿線、そしてもう一寸遠く信州の山々を、彷徨しておりました...。
 と、前振りが長くなりましたが、ここで串田さんの登場です。この引きこもり・山々彷徨時代、僕が夢見ていたのが、登山家です。好きな山を歩きながら、随筆を書き、写真を撮り等して本を出し、生きて行けたらなぁ...と、夢を見ていたのですが、その頃の憧れの方が、串田さんでした。串田さんは当時の僕にとっては、哲学者・思想家ではなく、詩人・登山家でした。氏の山の随筆を読み、山への憧れを強め、また、山へ出掛けるときは、氏の書かれた山に関る詩を、手帖等に写し、何時もリュックに忍ばせていました。今思うと、山の自然に触れた多くの経験は、引きこもり卒業への一つの力と言うか一つの後押しになってくれていた様にも思われます。そうした意味から言えば、串田さんの文章は、当時の僕の、力になってくれていたのかもしれません。
 またまた寂しいです...。昨年は、竹内均さん、戸川幸夫さんという、少年時代の科学や自然に関る言わば「先生」方が亡くなり、先日は、少年時代に親しんだ(好きではなかったんですけどね...)長新太さんが亡くなり...。年齢的に丁度そうした巡りになっていると言うことですが、続きますなぁ...。
 有難う御座いました。R.I.P

*少年時代の夢:五つほど思い浮かぶ...と言っているのに上には四つしかないですね。後の一つはロック・ギタリスト(へヴィ・メタルの)です

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7/6 ギボウシ
ギボウシ  ギボウシ咲きました。
 思い起せば...数年前。不燃ゴミBOX(うちの自治体ではリサイクル対象ではないプラスチック等はスチールBOXに集めて回収)に、土が詰まったままの植木鉢が放りこんであるのを、母が発見。よくよく見れば何やら芽らしきものが萌え出ている。これは可哀想と、何でも拾ってくる母が、拾ってきたのが、上の写真のギボウシです。当時、白いプラスチックの鉢には、根がパンパンに張っており、これではいかんと、二鉢に株を分け、毎年花が咲くのを楽しみにしていたのですが、何故か咲かない。確かに、ろくに肥料もやらずただ陽にあてて水遣りだけ...だったですけどね...。ただ、斑入りの葉はとても美しく、何時も庭を物静かに飾ってくれておりました。所が、その物静かなギボウシさんが、今年ついに開花。昨年の暑い夏が宜しかったのか、二鉢共に、2〜3本の花茎を伸ばし開花。思わず写真を撮ってしまいました。
 ギボウシは、ユリ科の多年草で、多くの種が有り、日本でも山地に自生しています。その一種オオバギボウシは、夏、山歩きをしていると(昔山歩き小僧でした)、草原や草地でよく出会いました。ので、僕にとっては、非常に「夏」を思わせてくれる花の一つとなっています。
 因みに、「ギボウシ」の名は、古い橋の欄干や神社・仏閣の手摺等によく飾られている「擬宝珠(ぎぼし)」、詰まり葱坊主みたいなアレですな、日本武道館の屋根に乗っかってる、金色の葱坊主みたいなアレです。あの「擬宝珠」に、蕾−と言っても、上の写真にある蕾ではなく、もっと早い段階の個々の蕾がまだ一塊に集っている状態の時の蕾−の形が、似ていることに由来するそうな。似てるか?...似てるか...。

*ギボウシ:ユリ科ギボウシ(Hosta)属 東アジアに約40種が広く分布する多年草。日本にも野生種が主に山地に自生。多数の園芸品種が有る。幕末、シーボルトが欧羅巴に伝え、欧米でも人気が高いのだそうな。因みに日本自生の「オオバギボウシ」の学名Hosta siboldianaは、シーボルトの名に由来。山菜の「うるい」はギボウシのこと。花が一日でしぼんでしまうので英語では「DayLiliy」と言うそうです。
*擬宝珠:ぎぼし。火炎を表す形をした「如意宝珠(にょいほうじゅ)」と言う、願いを叶えてくれる霊験あらたかな珠を模擬しているから名付けられたと、一般に説明されています。手摺や欄干に付いているのは、柱の腐蝕防止の為とか。

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6/27 なんじゃもんじゃはかせ
 絵本作家・イラストレーターの、長新太さん(本名:鈴木しゅう治さん)が、25日に亡くなられました。享年77
 正直、長さんの絵、子どもの頃など、好きではありませんでした。なんか人物がグロテスクに見えてしまって...。藤城清治さんの影絵も好きでなかった。なんか怖くって...。お二人の作品は、僕等くらいの世代は、子どもの頃一番馴染み深いものであったように思います。でも個人的には、一番馴染み難かった絵なんですよね...。でも逆に言えば、一番印象に強く残っている絵達でもあります。いろいろな場面に、お二人の作品がありました。今は、お二人の作品、大好きです。
 仕事柄、長さんの作品に接する機会は、ある意味、子どもの頃より多い為、一寸、寂しいです。でも、作品は変わらず生き続けますからね。ナンセンス、と言ってしまえるものかどうか、解りませんが、大人な幼児性...バカバカしいと言っては語弊があるかもしれませんが...その独自・孤高なワールド、風化とは無縁でしょう。「どろにんげん」の「たこです」好きです。
 お疲れ様でした、と言うと「疲れてないよ」と言われそうなので、「有難う御座いました」 R.I.P

*なんじゃもんじゃはかせ:長さんの絵本のキャラクター。なんとなく長さんとこの博士イメージ一寸かぶる(根拠なし)
*本名:「しゅう」は秋の下に手

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6/16 ナミテントウ
ナミテントウ二紋型個体 おそらく、皆さんが一番良く見かけるてんとう虫は、この「ナミテントウ:Harmonia axyridis」だと思います。今年は、春先の高温などの影響か、東京ではアリマキ(所謂「アブラムシ」)が矢鱈多い。ので、そのアリマキを大の好物とするてんとう虫も、多めですね。うちの庭でも、羽化したてのナミテントウ 大勢のてんとう虫の成虫・幼虫が、忙しなく、アリマキが大挙群がる(基本的に殺虫剤は使わないので)樹の、幹やら葉やらの上を歩き回っています。写真はそのうちの、ナミテントウのお四方にモデルとなってもらったものです。
 でも、良く見ると上左と下二枚の写真は、同じナミテントウでも、模様が違いますよね...。そうなんです。ナミテントウは、体色の変異が多く、ニ紋型・四紋型・紅(べに)紋型・斑(まだら)紋型の四つのタイプに大別されますが、同じ二紋でも、微妙に色や紋の形が違っていたり、斑紋型も十二紋だったり紋が繋がっていたり等など、可也バラエティ豊か。ニ紋型・四紋型・斑紋型は黒地に赤系の模様ですが、下右写真の紅紋型は逆に赤地に黒模様で、一寸雰囲気が違う。そしてこの紅紋型の方達も、紋の数が様々。写真の個体は14紋ですが、17紋も居れば紋無しタイプもいる。侮(あなど)れん...。うちで見かけるのは、殆どが二紋型。九割位は二紋さん。偶に四紋型を見かけますが稀。紅紋さんは更に稀で、滅多に見かけません。斑紋さんも滅多にお目にかかった事がない。上右の個体は羽化したて(蛹から出たばかり)で、未だ模様がはっきりと解りません。以前見た羽化直後の個体は、色の着き始めは斑紋で、十二個(だったと思う...)の赤い紋が薄っすら見えていたのですが、暫らくしてから確認すると、なんと二紋型に...。なので、或る程度時間を置かなければ、羽化直後の段階でははっきりと型が解りません。よって、時間的に丁度頃合ではなかろうかと、郵便局へ発送に行くときに確認しようと思ったのですが、梱包作業やら何やらをしているうちにどっか行ってしまいました。残念...。
ナミテントウ四紋型個体 彼等彼女等のこの赤(または黄)と黒のコスチュームは、警戒色(または警告色)と言う、「自分は危険だヨ」「自分は食べても不味いよ」と捕食者・外敵にアピールする為のもの(ハチの黄と黒のストライプ等は典型例)。黒はメラニン、赤はカロテノイドの各色素。...と、それはいいとして、この斑紋の違い、地域に依る違いってあるのかな?と常々疑問に思っていました。こんなにバラエティ豊かなのに、うちの辺り(東京西部多摩地区)には何故こうも二紋型ばかり多いのか?二紋型が全般に多い為か、それとも地域によって違うのか?と...。ナミテントウ紅紋型個体
 ナミテントウの各個体の紋様は、両親から齎(もたら)される複対立遺伝子、詰まり三種類以上の対立遺伝子によって支配され、決まる。ここで言う対立遺伝子とは、二つの異なる形質の遺伝子のワンセットで、例えば血液型で言えば、お母さん由来の「A型」の遺伝子とお父さんの「B型」の遺伝子とかがそれ。ナミテントウの場合、ニ紋・四紋・紅紋・斑紋四つの型の対立遺伝子の組合せとなるので、「複」対立遺伝子となる。で、二紋・四紋・斑紋・紅紋の順に遺伝的に優性なのだそうな。我が家で見かける頻度は、略(ほぼ)この優劣の順ですね(正確にカウントはしていませんが、二紋・四紋・他のニ型の順は間違いない)。二紋型が多いのも当然と言う事ですか...。
 でも、ここで不思議なのは、どの地域でも、二紋・四紋・斑紋・紅紋の順に個体数が多いとは限らないと言う事。以前読ん
だものによると、九州等の西日本では二紋・四紋型が多く、東日本、東北・北海道と行くに従って、紅紋型が多くなるとか。今回色々調べても、矢張り、紅紋型は北海道から九州に向うに連れ連続的に減少するとか、紅紋型は寒冷地に多く二紋型は暖地に多いとか、北海道では赤地に黒紋(詰まり紅紋型)が多いとか、青森では五割くらいは紅紋型だとか...と言う記述を多く見ます。遺伝的には完全に劣勢な紅紋型遺伝子なのに、何故北国では多く発現されるのか。寒冷な気温や気候の影響がまず考えられますよね。その他暖地との違いと言えば、弱い日射や落葉樹が多い環境とか...。最近、温暖化の影響か、暖地に多い二紋型が東国等でも徐々に増え、寒地に多い紅紋型が減っている傾向が在るとも言われています。そうなると、矢張り、紅紋型は寒冷な環境に適したタイプ、と言う事なのでしょうか。低温だと、紅紋型遺伝子が発現し易くなるとか(ワニの卵が温度が低いと♀に温度が高いと♂になるとかあるし...。関係ないか)。解らん...。大体、色や模様が固定されていないこと自体も、不思議と言えば不思議だし。解らん...。
 テントウムシは、英語では「Lady Bug」とか「Lady Bird」等と呼ばれます。「Lady」は聖母マリアを指し、欧羅巴では、独逸でも「マリア様の虫」と呼ばれる等、マリアさんと結び付けられている様です。背中の星を、マリアさんの「七つの悲しみ」になぞらえたとか、指先や草を天に向って登って行く姿を見てとか、日の光を愛するからとか等など、その名の由来には諸説ある様です。欧羅巴の田舎道には時折、日本のお地蔵さんの様に、小さなマリアさんのお堂があり、日当りの良いそんなマリア堂で、日向ぼっこをするテントウムシを時々見掛ける。テントウムシとマリアさんを結びつけるのは、そんな所からも来ているのかもしれない...と、言うような事が書かれていたのを、むか〜し何処かで読んだ記憶があります(大分あやふやです)。...晩秋の頃の、良く晴れた日、校舎の壁にとまり、気持ち良さそうに(僕には見えた)陽の光りを浴びているテントウムシを、時々見掛けた、中学時代の思い出が、今蘇ってきました。大体、早く帰りてぇなぁ〜と、陽の当る窓から外を眺めているかったるい午後ですね。なので、テントウムシと日の光を結び付けるのは、なんとなくしっくり来ます。僕的には。
 貴方のお住まいの地域のナミテントウは、どのタイプが多いですか? 暇なときにでも、この小さな隣人達をそっとウォッチングしてみて下さい。一寸世界が広がるかも。

2015年5月追記:「マリア堂...」は北杜夫氏の「どくとるマンボウ昆虫記」の一節でした。だろうとは思っていたが、なかなか見つけられなかった

*ナミテントウ:鞘翅目(甲虫目)テントウムシ科 体長7〜8mm 日本全土・台湾・朝鮮半島・中国・サハリン・シベリアに分布
*アリマキ:半翅目アブラムシ科 日本で200種以上知られている。樹液を好み排泄物が甘いのでアリが好む。ので英語では「Ant Cow(アリの乳牛)」と言う。アリマキは「蟻牧」ですから似たような名前。春に越冬卵から生まれるのは雌で、それが単為生殖によって、卵ではなく「子」を産み(胎生)増える(クローンを産む訳です)。子は全て雌。秋になって始めて雄が現れ、有性生殖によって産卵し、卵で越冬する。雌には翅のあるもの(有翅)とないもの(無翅)があり、雄は全て有翅。(以上は一般的な例です)
*タイプ別分布:最近関東でも二紋型が増加傾向にあると聞きますが、僕が子どもの頃、今ほど二紋型が多かったかどうか、紅紋型が今より多かったかどうか、記憶には無く解りません。二紋型と紅紋型の分布変化を調べたら、温暖化の進行具合を計る一つの目安になるかも知れませんね
*斑紋の色:羽化してから余り日を重ねていない個体はオレンジっぽく、越冬した個体は赤味が強いとか
*マリアさんの「七つの悲しみ」:イエスの母であることによって受けた七つの悲しみ

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5/22 玉川上水
八左衛門橋から見る玉川上水 僕の場合、大体と言うか殆(ほとん)ど、比較的近場なら、移動手段は自転車です。殆どの場合、本の仕入れの為ですが、MTB(マウンテン・バイク)で、半径12〜13km程度迄なら、大抵の所は出かけて行きます。
 そんな場合、片道7〜8km以内位の場合は、大して時間も掛からないので、住宅街の道をあっちへ寄り道こっちへ寄り道しながら、とろとろ行くのですが(こう言うときは怪しまれ勝ちで、偶に職質されます)、片道10km以上程度になると、大分体力・気力的にもキツクなる(帰り道が特に...)ので、直線的で速度を出し易い道路、この辺で言えば、東八八左衛門橋脇のエゴノキの花 (とうはち)道路や五日市(いつかいち)街道、また青梅(おうめ)街道や小金井(こがねい)街道等(何れも東京多摩地区を走る道路)を使いたくなります。が、そんな時困るのが、走る場所。自転車は「車両(軽車両)」に分類されますから、車道走行が基本です。然し、車道は自動車に弾(はじ)かれそうで、とってもデインジャラス。と言って、歩道走行も難しい。速度計がないので、正確には解りませんが、街道を走っている様な場合は、≒20〜25km程度の速度で走行していると思います。そうすると、緊急避難的に、自転車の歩道走行が許されているような場所でも、歩道自体が狭く、電柱やらなんやらが建っていたり、また当然歩行者の方に対して危険なので、走るのは実質無理。かと言って、車道を走れば、ホンの20cm位横(実際はもっと隙間があるでしょうが、感覚的にはこのくらい)を、トラックやらトレーラーやらが擦(す)り抜けて行くので、こっちが危険。上記の東八道路等は、比較的新しい道路なので、幅員に多少の余裕があり、比較的走り易いのですが、五日市街道や甲州街道等のように、古くからあるものは、車道自体も狭く、走り難い。自動車に比し速度の遅い自転車は、路肩を走行することになりますが、その路肩が、凹凸があったり、排水口があったり、歩道の縁石があったり、路上駐車の車があったりで困ったちゃん。また、街路樹の木蔭も少ない(場所によっては殆どない)為、夏は、暑い...。車道・自転車道・歩道と、三者セットになっていると、良いんですけどねぇ...。幅2〜3m程度の自転車道(或いはレーン)があれば、良いのになぁ〜...と何時も思います(自動車側から見ても、自転車がすぐ傍(そば)を走っているのはコワイでしょうしね)。序(ついで)に、疲れた身体や肺を癒せるような、公園も、沿道には少ないので、もっとあったら良いのになぁ...児童公園とかじゃなく、緑陰深い公園が...。
左木立ちが玉川上水、右舗道が五日市街道(小平桜橋辺) 上で、五日市街道は走り難いと書きましたが、その五日市街道は、東京西部の小平(こだいら)市の東半分から小金井市を走る辺り、玉川上水に沿っています(左写真)。玉川上水と言うのは、徳川四代将軍家綱の時代(承応二〜三年(1653〜54))、江戸の水不足解消の為に、加藤庄右衛門・清右衛門兄弟が完成させたと云われる(兄弟は後、苗字・帯刀を許され玉川姓を名乗る)、現在の東玉川上水遊歩道(小平津田町辺)京西部羽村市の多摩川から取水し、新宿区四谷(よつや)辺まで水を送る、全長≒43kmの上水道です。太宰ファンの方にはお馴染みですね。既に上流部を除く部分が、昭和四十年(1965年)以降現役上水路としての役目を終えており、為、以前は一時水が涸れていた時代もあったのですが、昭和六十一年(1986年)、東京都の「清流復活事業」により、「復活」。現在は、下水の高度処理水が流れ、清流、とは言い難いですが、緑深くなかなかに良き所。殆どにおいて、岸に幅狭ではありますが散策路(右写真)があり、散歩コースにはもってこい。ただ自転車では走れない。走ろうと思えば走れないことはないのですが、はっきり言って、散策者(或いは散策犬)に迷惑。なので、五日市街道を走っていて、夏場など木蔭を走りたい...と思った時も、走りたいけど、仕方ないから横の街道や側道を、自動車を避(よ)けながら或いは自動車に避けて貰いながら走っている現状です。
 ところが、その玉川上水。流れ沿いの緑地を含めて、幅14〜15mあるかなきか(場所により異なりますが、五日市街道沿いの辺はこの程度かと)のその玉川上水が、幅30〜50m(河川敷を除く)の緑道となっていたかもしれなかったのです。
 玉川上水(他に仙川上水・石神井川ほか)を、一大緑道にする都市計画が決定されたのは、太平洋戦争(日本で言う大東亜戦争)前から戦争中にかけての1940〜43年(昭和十五〜十八年)。其れ以前の、1939年(昭和十四年)に策定された、東京及び周辺(埼玉・千葉・神奈川の其々一部)の96万ha(ヘクタール)を計画区域とする、「東京緑地計画」の一環として、「保健防火道路」と称し計画策定されました(「防火」と付くのは、当時は戦争の時代、都市の防空(航空機による爆撃またその被害を防ぐ)と言うものが重要視されていた為、「防空」に便乗した方が予算が取り易すかった為とか)。
 「保健防火道路」とは、一体どんなものか、と言いますと、河川沿いに幅30〜50m(河川敷を除く)の遊歩道を造ると言う物で、具体的には、
・幅2m以上の歩行者専用道
・幅2〜6mの乗馬道
・沿道約2km毎に休憩広場設置
・広場は神社・仏閣境内に可也隣接
・路線上に電柱その他地上工作物なし
......
等と言った状態。尚且つ、「自然の風致(ふうち)を毀損(きそん)せず、四囲(しい)の環境に相応(ふさわ)しいものとする」となっています。
 「乗馬道」は、現代では差し当たり「自転車道」ですね。しかも休憩のための広場まで...。なんとまぁ理想的。実現しなかったのが、なんとも残念。戦後の復興・成長の中では、確かに、道路整備・拡張等が優先されて、緑道どころではなかったでしょう。でも、非常に、残念。
 「将来の為に土地を残しておく」という思いの中で、計画・実行されていた、戦前の大緑地計画は、ストックした土地が戦後の農地解放で多くが解放の対象とされて失われ、尚且つ、その農地もやがて市街地化されて徐々に失われ、大緑道も自動車道路・宅地に呑み込まれて、幾つかの、大海の中の孤島の如き緑地を遺産として残すだけとなってしまいましたが、その精神は是非とも、今の時代に具現化させたいですね。緑の「面」を緑の「線」で結び、有機的な街・都市を造る...。絵的にも良さげだし、鳥や小動物や昆虫や植物やらの、他の生物達にも歓迎されるでしょう。未来世代にも、喜ばれると思うけどな。
 もっと自転車で走り易い環境を造る。自転車の方が便利ねぇ〜、と言う街造り。良いですね。
 幅50mの玉川上水。走ってみてぇ...。

*東八道路:東京八王子線。通称「30m道路」。現在はまだ全線開通していない
*青梅街道:江戸の始め甲州街道の裏街道(非公式の街道)として誕生。江戸城改修の為の石灰運搬の為整備。新宿と青梅市を結ぶ
*五日市街道:家康入府後、石材・炭等を運ぶ為整備。古称は「伊奈道」。あきる野市を西端とし杉並区で青梅街道に合流
*小金井街道:南は府中市で甲州街道に合流し北は埼玉県所沢市・入間市に至る
*甲州街道:五街道(他は東海道・中仙道・奥州街道・日光街道)の一つとして江戸期に開設。新宿・石和(いさわ)間を結んだ。現在の国道20号線に当る(同じではない)。内藤新宿(追分)(現在の新宿)で青梅街道と分岐した
*玉川上水:’03年文化財保護法に基く国の史跡に指定。現在羽村市の取水堰から小平監視所までが現役上水路で、昭和四十年新宿淀橋浄水場(今、都庁はじめ高層ビルの建ち並ぶ所)の廃止により、他は上水路としては引退。因みに一番上の写真二枚は、上水に架かる八左衛門橋にて。上水には幾つもの、可愛らしい小さな橋が架かっています。右側の花は「エゴノキ」で、エゴノキ科の落葉樹。この時期の雑木林ではお馴染みの地味ながらも美しい清楚な花。下の二枚は左が小平桜橋付近の上水(画面左の木立ち)と五日市街道(画面右の舗道)、右が上水の遊歩道です。遊歩道は舗装のある区間とない区間とがあり、土の遊歩道となっている区間はとても歩き心地が良い。杉並区浅間橋辺から先≒13kmは、残念ながら暗渠(蓋をしたり地下に埋設したりした水路)となっている。(写真には車も人も写っていませんが、写らないタイミングを待って撮った為で、実際はそのタイミングがなかなか来ないくらいに、賑やかです)
*玉川兄弟:玉川上水を開削したと伝えられる江戸町人。羽村の名主加藤家出身と伝えられる。兄の庄右衛門(元禄八年(1695)没)は土建業、弟の清右衛門(元禄九年(1696)没)は人入れ(雇い人斡旋業)とか。
*多摩川:「タマちゃん」で有名になりました。山梨県の笠取山(1953m)を源流とし、羽田沖の東京湾に注ぐ、全長138km・流域面積1240km2の一級河川(国土保全・国民経済上特に重要として原則国が管理する河川)。笠取山山頂から1km付近に分水嶺があり、東側に降った雨は荒川に、西側に降った雨は富士川に、そして南側に降った雨は多摩川にと其々なる
*孤島の如き緑地の遺産:小金井公園・神代植物公園・舎人公園・砧公園・駒沢公園・石神井公園・井の頭公園等々
*農地解放で失われ...:買収済みの≒68%が失われたと。幾つかの公園では失われた部分を現在も買い戻している
*東京緑地計画:1939年(昭和十四年)策定。対象とする緑地は、環状緑地帯・公園・公園道路・墓苑・史跡・名勝・市民農園など可也広い。都市の過大な膨張を防ぐ為環状の緑地帯(グリーン・ベルト)を設け、そこから市街に河川沿いの緑地帯が楔状に入りこむ、と言うのが中核。そうした形が当時の都市計画の理想とされたとのこと。この計画が「緑地」概念を確立させたと言われている。大坂・名古屋などでも同様な計画が決定・実行された。敗戦後、「戦災復興計画」の中でこの緑地構想は蘇りかけるも、復興計画自体、GHQ(連合国軍最高司令部)を含む上層部の不理解もあり、インフレ防止の財政金融引締め政策(ドッジ・ライン)の中で大幅縮小されてしまった
・緑地計画に関する部分は、越沢明氏の「東京の都市計画」(岩波新書)を参考文献とさせて頂きました

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4/27 定時運行
 JR福知山線の列車脱線事故は、まだ原因が確定されていないので、軽軽しい事は言えませんが、速度超過が少なくも主原因の一つと考えられるようです。若し仮に、速度超過が主原因の一つで、その速度超過が運行の遅れを取り戻す為に、極端な言い方ですが、安全よりも「定時運行」を優先させた為に起こった事だとしたら、これは、鉄道会社や行政だけでなく、我々鉄道利用者も考えなければならない事となるのではないでしょうか。
 列車到着が遅れた...為に、利用者から厳しいクレームが寄せられる。となれば、鉄道会社としては、時刻表通りの列車運行を意識・無意識別にして、全てに優先させてしまうような雰囲気・風潮、が現場に作られて行く...。等という事が、有るのかもしれない。「定時運行」への、有形・無形のプレッシャーが、「安全」を忘れさせてしまうような事が、仮定ですが、有るのかもしれない。だとしたら、我々鉄道(には限りませんが)利用者も、少し考えねばならない...のかも...。
 この件に限ったことではないですが、何か世の中全体に、大らかさの様なものが失われてきている様に感ずるのは、気のせいでしょうか。便利になるに従い、豊かになるに従い、其れに反比例するように、忙しなく、世の中全体に余裕がなくなって行く様に感ずるのは、気のせいですか...。経済性や効率が重視され、情緒や余裕が失われてきている様な気が、とてもします。
 一分二分位い余計にかかってもても別に...と言うような、寛容が、社会全体に必要なのかもしれません。僕の場合、時間的に言えば、少しのんびりめの仕事なので、そんな暢気な事が言えるのかもしれませんが...。
 事故を産出した原因は、複合的な物で、定時運行への拘りだけが全てではないと思います。また定時運行そのもにも、問題があるとは思いません。ただ、本質、鉄道で言えば、乗客を、安全確実に目的地まで運ぶと言うその本質を離れて、定時運行への極度の拘りが生まれ、「定時運行」が一人歩きしてしまっていたとしたら、そこに問題があったのかもしれません。鉄道について、また鉄道会社の内情ついて、何一つ知りもしない人間の、推測に過ぎませんが...。
 事故に遭われた方々及びご家族・関係者の方々に、お悔やみ申し上げます。

*仕事の本質:上の事に関して言えば、うちの仕事の場合、本を一日でも早くお客さんのもとへ届ける事は大切な事だけれど、それ以上に大切な事は、無事に、確実に注文の本を届ける、と言う事ですね。幾ら早く届いても、本が傷んでいたりぬれていたり、違う本が届いたりしていたんでは、意味がないですものね。早く発送しようとする余り、梱包が雑になったり、本を取違えてしまったりしては、意味がない。現在の所、こうした事例はありませんが、心します。

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4/7 ダイムバッグ・ダレル
DIMEBAG
 誰?とお思いの方が殆どだと思いますが、’90年代を代表するヘヴィ・メタル・バンド、「PANTERA(パンテラ)」の元ギタリスト、ダイムバッグ・ダレル(本名ダレル・L・アボット。以前はダイアモンド・ダレルと名乗っていました)です。PANTERAは既に’03年解散し、彼は、兄のヴィニー・ポール(PANTERAのドラマー)と共に「DAMAGEPLAN(ダメージプラン)」と言うグループを結成し活動中でした。その彼が、昨年末、live中ステージ上で射殺されたことを、先日初めて知りました。
 偶々(たまたま)、PANTERAの代表作、「VULGAR DISPLAY OF POWER」と言う作品をusedで見付け、以前から聴いてみたいと思っていましたので、早速購入。早速聴きながら、作品に関することをネットで彼是調べているうちに、上記事件と彼の死を知りました。他の作品で、彼の激しさと繊細さの同居する高度な技術に支えられた、ギター・プレイの素晴らしさは知っており、好きなアーティストの一人となっておりましたので、そうした意味でも、ショックでした。
 ’04年12月8日(現地時間)夜、オハイオ州コロンバスのライヴハウス”Alrosa Villa”で、DAMAGEPLANが演奏を開始すると、無断で店内に侵入した25歳の青年が、ステージ上のダレルに近づき、「お前がPANTERAを解散させた」と言い放ち発砲。後観客席に向けても発砲し、ダレルの他観客・ボディガード計4名が死亡。他に負傷者2名。犯人は、駆け付けた警察官に射殺される...。伝えられる話を総合すると、凡(おお)そ上記の様な出来事だった様です。殺害の真の動機は、今となっては不明です。
 12月8日と言えば、1980年、ジョン・レノンが矢張、銃によって殺害された日です。1994年には、アメリカのHR/HMバンド、「RIOT」の元ヴォーカリスト、レット・フォリスターも、車で信号待ち中、物取り(と思われる)人物に銃で撃たれ死亡しています。アメリカが所謂「銃社会」であるのは、歴史的・文化的背景の有っての事ですし、多くのアメリカ市民の方々が選択した形なのでしょうから、とやかく言える事ではないと思います。銃により救われた命も多いのかもしれません。でも、今回のような出来事に出会うと、残念です...。銃をなくせば、全て変わる、と言った単純な事ではないでしょうが、少なくも、銃がなければ起こり得なかったであろう事を考えると、とても残念です。銃が人を殺すのではなく、飽くまで人が人を殺すのではありますが、ナイフだったらどうでしょう。物理的にも精神的・心理的にも、人を殺すと言う行為は、銃よりは、随分と難しい事になるのではないでしょうか。
 ...ダレルの才能と人柄を愛する多くのアーティストが追悼の意を表しています。その中から一つ。
  ...素晴らしい人生と贈り物を有難うと言いたい...彼の人生、テクニック、才能、人間性、そして伝説を忘れてはならない...
  ダレル、何時か天国で会おう...  デイヴ・ムステイン(MEGADETH)
 亡くなられた全ての方に、R.I.P

*PANTERA(スペイン語でパンサー(豹)の意):テキサス出身。1983年デビュー。’90年代のメタル・シーンのトップ・ランナー。’94年にはアルバム・チャートで全米No.1も獲得している。代表作「VULGAR DISPLAY OF POWER('92)」。’03年に解散し、ダレルは兄と共にDAMAGEPLANを結成していた。 PANTERA official DAMAGEPLAN official
*RIOT:ライオット。アメリカのHR/HM(ハード・ロック/ヘヴィ・メタル)バンド。代表作「NARITA('79)」。レット・フォリスターは第四作「RESTLESS BREED('82)」で、ブルージィな素晴らしいヴォーカルを聴かせている。
*MEGADETH:メガデス。アメリカのスラッシュ・メタル・バンド。デイヴ・ムステインはリーダー(リード・ヴォーカル&ギター)。代表作「PEACE SELLS...BUT WHO'S BUYING?('86)」
*銃社会:実際はアメリカ市民の多くは何らかの銃規制が必要と考えているとか。アメリカの銃犯罪による死亡者は年間一万人を越えると。同じような銃社会お隣のカナダは百数十人。人口の差(米:二億八千万人 加:三千万人)を考慮しても、この違いは...? 銃の多寡の問題だけではないようですね。
・デイヴのコメントは、音楽サイト「BARKS」の記事より引用させて頂きました。

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3/13 京都議定書
 2月16日、京都議定書が発効しました(効力を持つようになった)。此れにより、2008年〜2012年の5年間に、1990年の排出量に対し、先進国全体で5.2%温室効果ガスを減らす事が、国際的な約束事となりました。国別で見る各国削減量は、日本6%・USA7%・EU8%・加奈陀6%・露西亜0%等となっています。但しUSAは経済への影響の大きさや、途上国に削減義務がないのは不公正、等の理由から2001年に離脱してしまいました。以下に示す国別のCO2排出量の全体に対する割合は、’00年のデータですが、差ほどには変わっていないと思います。
USA:24.4%
中国:12.1%
露西亜:6.2%
日本:5.2%
印度:4.7%
独逸:3.4%
英吉利:2.5%
加奈陀:1.9%
韓国:1.9%
仏蘭西:1.6%
...
これを見ると、USAの離脱と、途上国、詰まり上で言うと、中国・印度に削減義務がない事の影響の大きさがわかりますね。温室効果ガスとして指定されているものは、下記の6種です。

CO2(二酸化炭素)
メタン(CH4
N2O(亜酸化窒素)
SF6(六フッ化硫黄)
HFC(ハイドロフルオロカーボン)
PFC(パーフルオロカーボン)
(最後の二つは所謂フロンガスの代替物質)

6種の内で、CO2は全体の≒90%を占める為、最も重要視されています。一分子辺りの温室効果は、メタンはCO2の10〜20倍、N2O(亜酸化窒素)は100〜200倍、そしてフロンは1000〜3000倍以上も有ると言われていますが、量は圧倒的にCO2が多いので、温室効果の60%以上はCO2に依るものとされています。
 そのCO2ですが、日本は、詰まり我々は、2008年〜2012年の5年間で、1990年比6%削減だと言いましたが、実は1990年から既に8%程も排出量が増えている為、実質14%も減らさなければならないことになっています。じゃ、1990年に比べてどんな感じで増えているかというと、下のようになっています。

産業部門(工場等):−1.7% 
運輸部門(トラック・自家用車・船舶・航空機等):+20.4%
業務その他部門(オフィス・デパート・店舗・学校等):+36.7%
家庭部門(エアコン・テレビ・照明等):+28.8%
全体で+7.6%
(2002年度環境省データ。因みに2001年度に比べ全体に2.2%増えています)

また、各部門が排出量全体のなかで占める割合は、
産業部門(工場等):37.5%
運輸部門(トラック・自家用車・船舶・航空機等):21%
業務その他部門(オフィス・デパート・店舗・学校等):15.8%
家庭部門(エアコン・テレビ・照明等):13.3%
エネルギー転換部門(発電所等):6.6%
(2002年)

 増加を見ると、運輸・オフィス・家庭の増加が目立ちますよね。産業部門が減っているのは、効率改善や不況の影響などによるのでしょうが、増加している部門は如何考えたら云いのでしょう? 不況による影響はどの部門も似たような状況でしょうに...。運輸部門の増加は、トラック輸送や自家用車の利用が減らないどころか増えていると云うことでしょうか。運輸部門全体の凡そ90%が自動車によるもの、またその内の50%は自家用車による排出と言われています。
 業務部門は、オフィス・ビルやオフィス機器の省エネ化は進んでいる筈なのに、大変な不況の筈なのに、何故でしょう? 矢張、幾ら一つ一つのビルや機器の省エネ化を進めても、使用される絶対数が増えれば同じ事、と云うことでしょうか。
 家庭部門ですね。増えています。我々の日常生活の場で増えていると言う事ですね。業務部門と同じで、一軒一軒の住宅の高断熱化や、家電品の省エネ能力もアップしている筈なのに...。此れも矢張、使用される家電品の絶対数が増え、また常時電源を入れていなければならないような機器が増えたと云うことでしょうか(大型化・多機能化と言うのもあるか...)。確かに自分の身の回りをみても、電話やアンテナ・ブースター等、ずっと電源入りっぱなしのものは増えました。また以前は無かった携帯やデジカメ用電池の充電器やパソコン・モデム、湯沸し器の操作パネル等、電気を使用するものが増えてますね。こまめに電源切ったり照明やら冷暖房など、可也節約してるので、全体としては電力消費は必ずしも増えてはいませんが...。一家に一台だったエアコンやTVが、一部屋一台になり、また一人暮らし世帯が増えれば、また家電品も増え、電力消費も増える、と云うことでしょうか。高齢化も一因かもしれませんね。年取ると暑さ寒さが堪えるから、ついつい冷暖房に頼ってしまいますよね。親や自分を見ててそう思います(子どもの頃は真冬でも短パンだったのに...)。
 色々変えていかなけりゃいけませんね。家庭やオフィスでの省エネは勿論、なるたけ地元産のなるべく季節の野菜や果物を買うようにするとか(遠い産地のものは其れだけ長い距離多くがトラックで運ばれてくるから、また季節外れのものは多く空調ハウス栽培されているからエナジー消費が大きい)、節水するとか(水を浄化するのに電力を使う)、ゴミを減らすとか(ゴミを運ぶにも燃やすにもCO2が排出される)、木を植えるとか、自転車を利用し易い街づくりをするとか。いろいろ考えないとな...。
 CO2削減は、経済に対し影響が大きいと良く言われます。省エネコストが製品価格に反映して売上が落ちるとか、削減義務のない途上国に対し競争力が落ちるとか...。確かに、自家用自動車の利用が減れば当然業界全体に影響が出るでしょうし、ハウス野菜を買わなくなれば当然農家の方々は困る訳だし...。温暖化対策を含めて環境問題と経済は密接な関係にある、と普通考えます。でも、本当は、環境問題と経済は一体、と言う部分も多分に有るのかもしれません。少なくも、そうやって捉えた方が考え易いところもある様な気が...。普通一般的には、経済は、「生産・販売・消費」と言うような形で捉えて考えていると思いますが(経済学関連の方などは違うかもしれませんが)、「採取・生産・販売・消費・廃棄・再生」と言う形で捉えなければいけないんではないでしょうか。「売る・買う」だけじゃなくて、その前後、原料採取からやがてゴミとなる或いはリサイクルされる所までを一つのサイクルとして経済を見る。「生態系内の経済系」として考える。そうした目が必要なのかもしれません。経済のことは良く解らないので、見当外れかもしれませんが...。
 削減義務があろうと無かろうと、減らして行かなきゃならないですね。温室効果ガス...。我々が日常の中で何気なく生み出したものが、大きな影響を地球全体の及ぼしている事、忘れちゃ行けません。
 一つ提案ですが、「温暖化」って云い方問題ありませんか? 「温暖」って良いイメージじゃないですか。なんか切迫感欠けて宜しくないような気がします。「温暖化による気候変動及び海面上昇」と言う方が良いのではないでしょうか。一寸長いけど...。

*京都議定書:’97年京都にて開かれた「気候変動枠組条約第三回締約国会議(COP3)」において採択された為こう呼ぶ。 締約国は141(2月現在)。参加先進国35ヶ国には法的拘束力がかかるが、具体的記述はない。
*途上国:温室効果ガスの増加は主に先進国により引き起こされたもので、経済発展が急務の途上国が先進国と同等の義務を負うのは不公正等の理由により、削減義務は負わなかった。でも省エネ・森林育成などの努力義務は有る。中国や印度の排出量が多いと言っても、人口の多さを考慮すれば、一人あたりの排出量は少ない事が解ります。一人当りのCO2排出量で言えば、USA人は 中国人の≒7〜8倍、日本人は同じく中国人の≒3.5倍程度あります。日本全体の排出量は阿弗利加全体の1.6倍あるとの試算もあるそうな...。
*温室効果ガス:太陽光のエナジーは殆ど透過させるが、暖められた地表から放射される赤外線のエナジーは吸収してしまい結果地表温度を上昇させる働きがある。
*削減量:CO2・メタン・亜酸化窒素は1990年比で、六フッ化硫黄・HFC・PFCは1995年比で5.2%削減。
*EUの削減量:EU全体で8%だが、所属各国で数値は異なる。
*運輸部門:排出量増加は、自動車保有台数の増加や安全性対策・高級化による車重増加の為の燃費悪化また自動車輸送の増加などいろいろ原因と考えられている様です。
*家庭部門:家庭内でのCO2排出の割合は、一般に 暖房≒25%前後 冷房≒2〜3% 給湯≒25%前後 厨房≒6%照明・動力≒40%前後 くらいの割合になるようです。

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1/27 終に...
多磨犬猫霊園の紅梅 我が家の最長老、ねこの葵(あおい)さんが、暮に亡くなった安寿の後を追うように、息を引取りました。享年二十二
 暮に亡くなった安寿は、葵さんが大好きでした。若い頃は我侭で怒りっぽかった葵さんですが、何故か安寿は好きらしく、葵さんが出掛ければ、一緒に出掛ける。葵さんが寝ていると、其処に行って一緒に寝る。と言う行動パターンでした。なので、彼女達の写真は、ふたり一緒に写っているものが大分多い。はじめ安寿が我が家にきた頃は、後を付いて回る安寿を、葵さんは威嚇し捲くり、ストレスを溜めて、怒りっぽさに磨きをかけていましたが、何時しか諦めたのか、或いは一歩引いたような安寿の謙虚さ(歳をとって多少穏やかになった頃、他の連中は平気で寝ている葵さんの上に乗っかって寝たりしていましたが、安寿は絶対にしませんでした)がお気に召したのか、自然とふたりは何時も一緒、と言う形になっていました。霊園内のけやき
 葵さんは、特に安寿が好き、と言った様な感じはなく、常にマイ・ペースでしたが、何時も傍にいた安寿がいなくなり、その事の影響が多少はあったのでしょうか。暫らく前から、免疫力の低下が若干感じられてはいたのですが、安寿が亡くなった辺りから肺炎を患い、肺炎そのもは治療のお蔭で快方に向かっていたのですが、体力の低下は回復せず、徐々に食事の量も減り、大好きだったコーヒー用のミルクを舐める勢いも減速し、顔の表情からも生気が失われて行きました。今まで何度か、猫の老衰死を見てきましたが、葵さんの様子を見るに、「此れはいよいよかな...」「終にきたかな...」と、覚悟を決めました。
 21日の明け方、安寿が息を引取った籠の中で、安寿が包まっていた布団に包まれ、静かに息を引取りました。
 安寿のときと違い、葵さんの場合は、もう数年前から、「今年の冬は大丈夫かなぁ...この冬は越せるかなぁ...」と、毎年思っていましたので、流石にショックと言うようなものはないのですが、矢張、寂しいですね。一番手が掛るひとだっただけに、なんか手持ち無沙汰になってしまって...。薬を飲ます必要も、一口づつスプーンで療養食を食べさせる必要もなくなって...。何時
も葵さんと一緒に寝ていた母などは尚更です。何か、いっつまぁでも、家に居るんじゃないか...、って言う気がしていたので(そんな訳ぁないですが)、柩代わりのダンボール箱の中で死後硬直して横たわる姿を見、又冷たくなった身体に触れると、なにか不思議な気持ちになりました。
 近所の子ども達に連れられ、姉妹の茜と共に我が家に来、ワクチンが合わずに直ぐに死んだ茜の分まで生きて二十二年。他の動物種の年齢を、人間の年齢に換算して考えるのは、余り意味のない事かもしれませんが、まぁ、111〜113歳くらいと言った所でしょうか...。
 例によって、近所の寺院(犬猫霊園。写真参照)で荼毘に付し、昨日、我が家に帰ってきました。
 今、テレビの上に、安寿と葵さんの骨壷が、二つ並んでいます。 R.I.P

*猫の年齢:人間の年齢への換算方法は各種ありますが、今回採用したのは、下記の二つです。
・猫の年齢×3+45  ・18+4.5×(猫の年齢−1) この方法で計算すると、安寿は≒95〜99歳くらいだったんですね。

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1/5 新年早々ですが...
供養塔
 実は個人的には、余り目出度くないのです。大晦日(おおみそか)の明け方、我が家のねこ、安寿(あんじゅ)が息を引取りました。享年十八
 暮れも押し迫る12月16日。暫らく入院していた家族(人間)が、明日退院、という晩、只ならぬねこの鳴き声にリヴィングに行ってみると、安寿が床の上に腹ばいになり、前足で這いながら、苦しげに叫んでいました。何事かと抱き上げると、後足は完全に麻痺して脱力状態。良く見ると床の上には、尿と便が...。何時も少し高い位置の籠の中で寝ているので、てっきり何かの拍子に落下して脊髄を傷め、為に後肢が麻痺しまた尿・便をもらしてしまったのだと、その時は思ったのですが...。
 取敢えず獣医さん、と自転車でかっ飛ばし応急処置をして頂いたのですが、家に戻ってからも、口を開けて呼吸(開口呼吸)したり、前足を手招きする様に動かしたり、また上体を反らすように突っ張ったり等、見るからに苦しげな様子。呼吸も小刻みに早いし、体温も低い...。以前、安寿の兄弟の厨子王(ずしおう)が、大量吐血した時に見せたショック症状に似ている...。これは矢張りただ事ではないと、夜間診療して頂ける獣医さんをインターネットで検索し、またまた自転車をかっ飛ばして、国立(くにたち)の病院へ...。
 レントゲンを撮り等いろいろ調べて頂いた結果、また冷静になって考えて見た結果(木を攀じ登って庇で日向ぼっこが日課の安寿が、室内で落下事故とは考え難い。発作後に落下したかもしれませんが...)、どうも落下した為ではなく、「大動脈血栓塞栓症」である、と言う事になりました。多磨犬猫霊園内の道
 「大動脈血栓塞栓症」。心筋症(安寿の場合、左心房が肥大していた)による血流の滞りが原因となって形成された血栓が、大動脈が後肢へと二又に分かれるそのY字の部分に詰まり、血流が滞り麻痺が起きる、という病気。とくに此れまで、心臓が苦しい、と言うような様子は感じられなかったのですが、心筋症は進行していたのですね。多いときは二三回に一度、少ない時は二十回に一度程度の不整脈がありました。
 6日間入院させて頂き、その間毎日面会に通いました。安寿の状態を見るに(多臓器不全の状態となっていました)、また病気の予後(一般にあまり良くないようです)を考えるに、最期は家で...と、家族やお医者さんとも相談し、22日に我が家へと引取りました。
 一日2回心臓等の薬を水に溶いたものを2ml程注射器で口に流し込み、また同じく一日2回経腸栄養食(粉末)を微温湯に溶いたものを15ml程口に流し込み(嫌がるのですが、頑張って飲んでもらいました)ました。寝たきりで殆ど動けない為、おむつをあてていたのですが、結構排尿回数が多いので、一日3〜4回換えていました。便は腸からの出血のため黒くまた泥状なのでお尻が汚れてしまい、ウェット・ティッシュであてがう様に拭くのですが、尿やけ或いは褥瘡(床擦れ)の為痛がるのを我慢してもらいました。市販のおむつは、背中側に吸収材がないため、腰の背中側が汚れてしまうので、普通のトイレ・シートにしっぽ用の穴を開けてセロファン・テープで固定して使っていました。これだと全面に吸収材があるため、背中側がぬれないのです。お安いし...。
 少しでも血行を良くする為、肢の屈伸運動などして頑張ったのですが、その内しっぽの半分ほどが壊死し、足先も最期の頃は硬くまた皮膚も黒ずみ、壊死し始めていたようです。
 31日の午前5時頃、家族がたまたま目を醒まし、様子を見たとき、丁度少しもどし、時期に息を引き取ったとのことでした。
 「これはもって二三日かなぁ...」と病院から引取った時は思ったのですが、よく頑張りました。「安楽死」と言う選択肢も一時、脳裏に浮んだのですが、この事については、人間に関するものも含め、僕の中では答えが出ていません。
 厨子王とふたり、勝手口脇に停めていた自転車の前籠の中に住みつき、やがて家の中で一緒に暮す様になって十八年。厨子王は数年前、AIDSで一足先にさよならしましたが、殆ど病気らしい病気もせず、22歳の葵さんより長生きするんじゃないかと思っていたのですが...。子供の頃から、幾度となく動物達の死は経験してきましたが、急な死は、正直堪えますね。家に引取ってから、日に日に少しずつ衰えて行く姿を見ているうちに、徐々に受け容れられる様になりましたが...。
 薬を飲ませることやおむつ換えがなくなって楽にはなったのですが、家族共々何か一寸、気が抜けてます...。我が家では、近所の寺院(犬猫霊園。写真参照)で、火葬のみお願いし、遺骨は引取ると言う形を、何時もとっています。安寿も、昨日荼毘に付し、今日、迎えに行って来ました。
 一通りの事が終わったら、また一寸、気が抜けてます...。 R.I.P
(各動物病院の皆様、本当に良くして頂き、有難う御座いました)

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1/1 ブラックバス
 昨年の6月、「特定外来生物被害防止法(特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律)」と言う、外来生物(種)が海外などから国内に持ちこまれ、生態系や農業・漁業などに影響を及ぼすことを防ぐ為の法律が公布されたのをご存知でしょうか(施行は本年6月予定)。従来、国外から生物を持ちこむ事は、主に検疫面への考慮から規制されていましたが、この法律は、環境面からも規制を行おうとするものです。「特定外来生物」に指定された場合、輸入・飼育は許可制となり、すでに国内で野生化した種などは、国と都道府県が協議し、捕獲・駆除できるものとなるとの事です。アライグマ・ジャワマングース・タイワンザル・タイワンリス・ウシガエル・ブルーギル・コクチバス・アメリカザリガニ・セイヨウオオマルハナバチ等などが、まずは指定される方向の様です。個人的には、生態系保護への一歩前進、と思うのですが...いろいろと問題があります。主に経済・産業面の...。
 上に挙げた対象種の中に実は、オオクチバスが入っていません。「オオクチバス?」とお思いの方が多いと思いますが、このオオクチバスと上に挙げたコクチバスを合わせて「ブラックバス」と普通呼ばれています。「それなら知ってる」ですよね。そもそも、このオオクチバスが国内の湖沼・河川に増加し、在来の魚類や水生昆虫を捕食して減少させ、生態系や漁業に深刻な影響を及ぼしているのではないか、と言うことが指摘され、その事が、外来生物に対する環境面からの規制の必要性を強く認識させる一つの切っ掛け或いは発端のなったと思うのですが...何故、入ってないの? そう、そこに「経済・産業面」の問題が絡んでいるのです。バス釣人口は≒300万人、関連市場は≒1000億円(読売新聞調べ)だそうです。もしオオクチバスが指定対象種となれば、フィッシング自体は規制対象とならなくても、業界の右下がりは避けられなくなります。業界は、オオクチバスが対象種に指定されることに猛反発。結果、オオクチバスは個別に検討と言う事になりました...。
 ブラックバスのうちオオクチバスは、1925年(大正十四年)箱根の芦ノ湖にフィッシングを楽しむ為に放流されたのが、日本に入った最初だそうです。ただし、その強い魚食性故に、持出しはご法度だったようです。そのお蔭かどうか、その後は一部の地域に見られるだけの存在だったのが、1970年代のルアー・フィッシング・ブーム以降、一気に分布を拡大し、現在全国の湖沼・河川に生息するようになり、その定着率は74%にも及ぶそうです(一級河川のみのデータ)。人為的に彼方此方
へと放流されたとも指摘されています。
 本来ブラックバスがいないなかで進化した在来魚類も水棲昆虫も、バスへの対応の術は直ぐに身に付くはずもなく、またバスの存在しないなかで形成されてきた生態系内にはバスの天敵も存在せず(稚魚の時期などは別でしょうが)、繁殖力も競争力も強いバスは、増加し大きな影響力を持つようになっていったようです。
 「在来魚の減少は、汚染や護岸工事等の水環境の悪化が原因」との日本釣振興会の主張もあります。また、日本魚類学会による、水生生物の研究者に対するアンケート調査では、オオクチバスの生息する水域では、特に水環境の悪化が見られないのに、在来生物の絶滅や減少が見られる場合があるとの結果も出ています。実際は、全体として、水環境の悪化と、外来魚(種)の増加またその他の要因(乱獲等)が複合的に、在来水生生物に負荷をかけている、と言う事だと思います。
 バスだけが水系生態系に悪影響を及ぼしている訳でもなく、ブラックバスに何の罪がある訳でもないですが、オオクチバス等による生態系へのマイナスの影響は、矢張り否定は出来ないのものの様に思われます(バスに限らず外来生物一般に言える事ですが。在来種でも別の地域や本来生息していない所に放したら「国内外来種」で、生態系にはマイナス)。
 バス釣(或いは釣り産業)と在来魚保護(或いは生態系保全)の両立の為に、一部で主張されているように、特定の湖沼のみバスの放流を許可し、其処のみでフィッシングを、と言う手もあるかとは思われますが、でも持出して密放流...ってのは起こるでしょうね...。両立させる言い方法はないですかねぇ。生態系保全と経済と...。明治期、欧米列強に追い付き追い越せ、つまり経済的・工業的に増強して行く事で成立して来た日本。第二次大戦の敗北の中から、やはり経済と工業の増強をして行くことで亜米利加・欧羅巴に追い付き追い越せとやってきた日本。近代日本はそうして成立してきた国だから、如何しても経済・商業優先(或いは大資本・大企業優先)の風潮が強い、と言う事なのでしょうか。環境に関することでも景観に関する事でも、どうも経済優先で、住民(人間も野生生物も含む)は立場弱ぁと感じる事が、僕の場合多いのですが...。経済を否定何ぞはしませんが、どうも偏りを感じ勝ち。「環境か経済か」、ではなく、「環境と経済と」を出発点にしないと、何時までたっても同じ事の繰り返し。で大体経済が勝っちゃうんだよな...(数字で表し難いものは説得力がないね...。主観的だとか感情論だとか言われて...。数字で表せないものに、目に見えないものにもっと価値を...!)。
 在来種との雑種化が知られる外国産クワガタの一部(スマトラオオヒラタクワガタ)や、捨てられて野生化し在来のカメに影響を与えているミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)などは、広く普及している事を理由にリストから外される公算が大きい様です。
 一般に、孤立した系である島国(島)の生態系は脆弱です。一度病んでしまえば、回復は非常に難しい。環境に関する事
は、百年先二百年先を視野に入れて、慎重に考えて頂きたい。是非。
 何より必要なのは、正確な科学的データと其れに基く公正な議論と判断だと思います。多少時間がかかっても、多くが納得できるものにして頂きたい。是非。

*特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律:違反の場合個人では3年以下の懲役・300万円以下の罰金。法人は一億円以下の罰金。(何れも最大の場合)
*放流:自治体に「内水面漁業調整規則」と言うものが有り、知事の許可なく放流はできない。多くの自治体でブラックバスやブルーギルの放流(移植)は現在禁止されている。一部では再放流(「キャッチ・アンド・リリース」のリリース)も禁じられている。
*キャッチ・アンド・リリース:釣った魚を食べず(殺さず)に放す(リリース)と言うスポーツ・フィッシングのルール。魚の減少を防ぐ為、自然保護の為等の意味合いを持って発生したものと思われる。
*ブラックバス:ヘヴィ・メタルの元祖の...(其れはブラック・サバス...) スズキ目スズキ亜目サンフィッシュ科オオクチバス属の総称。世界に6種5亜種が知られている。日本で確認されているのは以下の3種1亜種。
ノーザン・ラージマウス・バス(オオクチバス) Micropterus salmoides
スモールマウス・バス(コクチバス) Micropterus dolomieu
フロリダ・ラージマウス・バス Micropterus salmoides floridanus ノーザン・ラージマウス・バスの亜種
ノーザン・スポッテッド・バス Micropterus punctulatus ラージマウスとスモールマウスのハイブリッド(雑種)とも
体長は何れも30〜50cm(フロリダ・ラージマウス・バスはやや大型で70cmを越える例も有るとの事)で北米原産。スモールマウス・バス(コクチバス)は、’90年代以降増えてきたもので、冷水・流水に適応し、ノーザン・ラージマウス・バス(オオクチバス)よりも分布拡大の懸念が大きいとも。
ブラックバスは、多くの自治体で移植・放流が禁じられており、一部では再放流も禁止されている。なお、オオクチバスは、神奈川県芦ノ湖及び山梨県河口湖・山中湖・西湖の4箇所のみ漁業権種として「公認」されている。
*ブルーギル:Lepomis macrochirus スズキ目スズキ亜目サンフィッシュ科ブルーギル属 体長≒25cm 北米原産。’60年代に日本に持ち込まれ、現在全国に分布。魚食性はブラックバスほど強くはなく雑食性が強い。ブラックバス同様生態系への影響が大きいと言われている。多くの自治体で移植・放流が禁じられており、一部では再放流も禁止。
*ルアー・フィッシング:擬似餌(ぎじえ)lureを使って行う釣り。’70年代ブームとなる。
*釣り業界の主張:釣りファンやメーカーで構成される日本釣振興会は、全国規模の科学的調査がないのに指定は疑問と。また、バスによる生態系への影響は認めるが、バス釣に制限(場所・持出し等)を設ける事で在来魚保護と両立は可能と。尚当会は不法移植には断固反対の立場をとる。
*アンケート調査:オオクチバスなどが少なくも43都道府県の761のため池や湖沼に生息、オオクチバスのみが生息するため池等は303箇所で内86箇所では、水質悪化などの影響が特に見られないのにメダカやゲンゴロウ等が絶滅・減少している...等のアンケート結果が出ているとの事。(日本魚類学会の外来魚問題検討部会が11月に実施)
*外来生物:勿論外国から日本へ入るばかりでなく日本から外国へ、と言うパターンもある。マメコガネ・クズ・ワカメ等など
*関連:生命倫理と環境倫理 生態系

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1/1 謹賀新年
新年明けましてお目出とう御座います。旧年中は色々お世話になりました。本年もまた、どうぞ宜しくお願い致します。
地球の新しい一公転が良きものとなりますやうに...

武蔵国分寺近くの植木畑 武蔵国分尼寺跡の白木蓮 武蔵国分寺隣の八幡神社

 東京は珍しく雪の新年となりました(写真は雪残る武蔵国分寺周辺)。僕的には、実店舗を離れてはじめてのお正月です。
かと言って、別に仕事はお休みと言う訳ではないのですが、流石に注文も少なく、発送も郵便局がお休みなのでなく、何年か振りの、家族と過ごす、のんびりお正月です。今まではずっと年中無休で店開けてましたからね...。家族不幸者で御座いました...。
本年の目標:結婚(目標というより願望か...) のんびり頑張ります(^-^)v

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