Used Books CARROT | MYSTIC RHYTHMS

北の離れ 2008

古書店主が綴る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・12月14日 意味
・11月10日 秩父
・10月17日 9時33分
・10月7日 古物商等警察署別法令講習会
・9月13日 ニホンカナヘビ
・8月17日 抑止力
・7月26日 Space Odyssey
・6月22日 乱層雲
・5月29日 嵌ったな...
・4月19日 ヒトリシズカ
・3月20日 横断
・2月26日 沖の太夫(おきのたゆう)−アホウドリ
・1月1日 賀正


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'08 師走十四日 意味
 地球が、太陽の周りの公転軌道を一周するに費やす時間が一年。「一年」とは、これ以上でもなければ、これ以下でもない。なのだけれど、過越し一年(ひととせ)を振返り、反芻し、そこにあれやこれやと、意味を見つけたがり或いは意味を持たせたがるのが、人間。面倒くさいな...人間は...。でも、そんなところが、より良く生きようとする人間の真摯さであり、お茶目で面白い所でもあるのですね。
 とは言ってもしかし、何故、人は、月日やら或いはもっと大きく言って「人生」やらに、意味を持たせたがるのであろうか?それは、矢張り、おそらくは、生きることが辛いからであろう。「何でこんなに辛いのに、生きて行かなならんのか...?」と言う自問に対し、自身を納得させられるだけの理由、それを求めるからであろう。人生に或いは生きて行く事に(或いは「存在」に)重要な意味が見出せれば、それがそのまま、生きてゆく理由、辛い人生を生きてゆく事に対し自身が抱く疑問を解消し、納得させられるだけの理由となるからであろう。そうではなかろうか...?

 一寸飛躍しました。柄にもない、考察、然も薄い考察はさて置き、私も過越し一年を、振返り、極私的な重大ニュースを幾つか以下に挙げさせて頂きます。

 一:クラシック・ムーヴメント
 本年五月分にも書かせて頂きましたが、極個人的に空前絶後のクラシック音楽ブーム。嵌ると凝りだす、生来の癖が久方振りにブレイク。このブレイク振りは、七・八年前の写真ブーム以来。この春以降、5月29日までで図書館よりレンタルしたCDは63枚。それ以降更に52枚増え、現時点までで、115枚。借りたなぁ...。
 5/29時点では、弦楽四重奏等の室内楽及びピアノ曲の比重が大きく、その辺りにプチ嵌りがあったのですが、その後、古楽器ものやバロック作品のプチ嵌りがあり、現在は、終に今まで手が出なかった、オペラに手を染めてしまいました。オペラは、「お芝居」と言うイメージが強くなかなか聴く気になれなかったのですが、取り敢えず、古楽器演奏による、W.A.モーツァルトの「後宮からの逃走」(ウィリアム・クリスティ指揮)と「魔笛」(ニコラウス・アーノンクール指揮。トランペットのみ古楽器(ナチュラル・トランペット)使用)を借り、聴き込んでおる次第です。
 このクラシック・ブームの為、"Heavysphere"がすっかりお留守となってしまいました。流石に、クラシック(と言ってもバロック〜古典派〜前期ロマン派辺りに大分偏ってそれ以降の作品は非常に少ない)には、「ヘヴィだ...」と感ずるような作品が少ないのです。でも、これから聴き込んで行けば、恐らく、メタルにも引けをとらないヘヴィ作品が見つかると思います。バッハの「マタイ受難曲」やベートーヴェンやシューベルトまたバルトークの弦楽四重奏曲など、候補はありますからね。

 そう、地元市民オーケストラのライヴにも二度、行かせて頂きました。ご近所に、このオーケストラでヴァイオリンを弾いておられる方が居り、その方にチケットを頂いて。クラシックのライヴは人生初。メタル好きの私ですが、ライヴは苦手で、もう長いこと生演奏からは遠ざかっておりました。だって、ずっと立ちっぱなしなんだもの。体力的についてゆけない...。でも、クラシックは良い。皆さん静かに聴いておられる。メタルのライヴでも私は「聴きたい」のです。でも、80年代以降、会場内は立ちっぱなしで、終始大騒ぎ状態(少なくもHR/HM系バンドの場合)。70年代くらいまでは、例えKISSのライヴでも、皆結構おとなしく聴いておりましたのですが...。当時はよく、海外ロック・ミュージシャンは、「日本の客は良い。ちゃんと聴いてくれる。××××の客は騒いでるだけだ」とインタビューで仰っておりました(××××部分はご想像にお任せしますが、凡そ察しはつかれるでしょう)。社交辞令も多少はあるでしょうが、本音でしょう。
 話逸れましたが、"LIVE"演奏の味わい、久方振りに堪能させて頂きました。クラシック・ライヴは「お高い」「お堅い」等のイメージがあるやも知れませんが。市民オーケストラや大学のオーケストラなど、料金は有名オーケストラの数分の一、或いは自治体の後援等あり無料と言う場合も多々あります。ロック等とは異なるクラシック・ライヴならではのマナーも確かにありますが、それも常識の範囲です(その辺ネットで調べて)。未経験の方は是非。
関連1 関連2

 二:禁煙
 我が家では喫煙者は私と80過ぎのおばあちゃんの二人。二人共にこの春、タバコ止めました。私も可也長いこと、おばあちゃんに至っては60年以上吸っていましたが、止めました。最大の理由は、おばあちゃんの場合、転倒し脳挫傷で入院ということがありまして健康面への不安。私の場合は、親知らずの抜歯。この親知らず抜歯が、可也精神的なダメージとなり、抜糸が済み、煙草OKとなった後も煙草なんぞ吸う気にもなれぬまま、何時しか煙草なしの生活に慣れてしまい、以前から経済的負担の大きさや、健康面への懸念、またごみの問題等あり、出来れば(煙草)やめたいなぁ...と考えておりましたので、良き機会と、すっぱり止めた次第です。
 上記の如く、よし禁煙するぞ!と言う意気込みなど殆どなく、何か流れで吸わなくなった...的状態でしたので、苦労は全くと言ってよいほどありませんでした。それは、非常に幸いでした。ただ、一寸残念なのは、禁煙後の変化のなさ。煙草止めてから体が軽い...とか、煙草止めたら食べ物がおいしくて...とか良く聞きますので、私も期待があったのですよ、体は重いし、食欲は常になく何を食べても美味しいと思うことも滅多にない人生でしたので。だが然し、何の変化もないのです。相変わらず体は重いし、何を食べても「美味しい〜」と思えないし(と言って不健康と言う訳ではないのです。少なくも低血圧をのぞき諸数値のみで言えば至って健康です)。
 とは言い、通院する等苦労される方も多いなか、特にこれと言った苦労もなく、長年の懸案であった禁煙を実行できたことは、非常に有難く思っておる次第です。

 三:旅行
 11月10日にあるように、終に、終に数年ぶりに東京脱出。と言っても、お隣の埼玉県、しかも日帰りですが。
 いやぁ〜、楽しかった。11月10日に書いた通り、一寸、楽しいだけのものではなかったのですが、でも、矢張り、非日常に身を投じるのは、リフレッシュしますね。多くの方が、旅行を暮らしの中の大きな楽しみとされているのが、理会出来る様な気がしました。今更ですが。
関連

 四:牛乳宅配
 我が家では、先代(要するに親の代)の頃より半世紀近く、牛乳の宅配をお願いして居ったのですが、終に先月いっぱいで、終了とさせて頂くこととなりました。環境面等考慮すれば、宅配を継続する方が良いか?...とも思われるのですが、予算面より、こうした結果となりました。
 宅配牛乳とパック牛乳、環境面から言うとどうなのか?...というのは、一寸興味があるので、次回にでもまた、書かせて頂きたいと思います。
 牛乳屋さん、長きに渡り、有難う御座いました。

 五:唐楓―トウカエデ
 我が家が現在の地に建てられたのは、≒半世紀前。ほぼ同時期に数軒、ご近所に住宅が建設されたらしいのですが(流石に私は知らない)、その内当時から建替えられずに現在に至るお宅は、二軒のみ。そのうちの一軒のお宅が、終に先日取壊され、家屋も大きく育った樹々も綺麗さっぱりときえてしまい更地と化しました(どうやら所有が替わる模様)。
 そのお宅の庭には、長年育ちに育った樹々が鬱蒼として居ったのですが、中でも一本一際大きなトウカエデの木が立っていたのです。御向かいの二階の屋根を凌駕し、覆いかぶさらん程の高さと枝の伸び具合。この辺りでは目印にもならんかと言うほど見事な育ち具合でした。
 そんな大木ですから、ご近所では問題視されていました。何せ落葉の量が尋常ではない。またそれにプラスし種子がまた大量に散布される。楓の種子はご存知の方も居られるでしょうが、翼があり(翼果)くるくると回転しながら風に乗り可也遠くまで飛ぶ。我が家の樋(とい)など、秋から冬にかけて掃除すると、大量の種子が詰まっていました。他のお宅も恐らく同様でしょう。ので、ご近所の方々が秋に集まると必ず、このトウカエデの落葉と種子の話で盛り上がる次第。「何とかしてほしいわ...」と。
 私(とお隣の奥さん)は、大木好きですので、秋になれば枯葉が舞うのは自然なこと...と暢気に、綺麗だなぁ等と思っておりました(紅葉も見事)。野鳥たちも多く訪れるし、夏は木陰が涼しいし。屋根に上がっての樋掃除も別段苦にはならんし。
 ただ、ご近所もご多分にもれず、高齢化が進み、落ち葉の掃除はどのお宅でも苦労の種となっていますので、歓迎ムードとなるのは、致し方ないかもしれませんが、何か古い隣人が去ったようで、少し寂しい私(とお隣の奥さん)です。

 ...住宅街から、徐々に緑が消えてゆくことが、極当たり前の光景となり、多くがそれを気にも留めない。こうして少しずつ、街が(そして人間自身が)、非人間化して行くのですね。

 六:再読
 私は、大体10年ほど経ると、読んだ本の内容の詳細は忘却の彼方。凡その内容は憶えてますけれど。
 なので、時折、以前に読んだ本を再読するのが結構な楽しみ。そこそこ新鮮でそこそこ咀嚼が進むし。
 再読は小説が多い。自然科学や歴史の場合、内容が書き換えられ古くなってしまっている場合が多いので、殆ど再読はしません。詩は...基本的に「若者」の芸術と考えているので、今まで、再読することは滅多にありませんでした。もうとっくに「若者」でなくなっているので。けれど、何故か最近、急に読みたい衝動に駆られています。十代の頃、私のアイドルだった、立原道造(彼が幾夏かを過ごし、又療養した信濃追分へ一人行ったこともあります)や中原中也の作品を。
 引きこもっていた十代後半、孤独感・孤立感、或いは焦燥感に苛まれていた私の救いの一つが、彼らの作品でした。その作品に、すっかり磨り減って鈍くなったオヤジの感性が如何なる反応を示すのかが、何やら急に楽しみになってきたのです。
 現時点で、道造は読み終わりました。正直、懐かしさ以上のものは、余り感じられませんでした。ただ、矢張り、当時感銘を受け、印や傍線を書き込んだ作品とは異なる作品に引っ掛りを感じたりなぞするのが、面白いですね。でも、一つだけ、当時も現在も、変わらず胸に強く響いた作品がありました。

 何処へ?

  Herrn Haga Mayumi gewidmet

深夜 もう眠れない
寝床のなかに 私は聞く
大きな鳥が 飛び立つのを
―どこへ?…

吼えるような 羽搏(はばた)きは
私の心のへりを 縫いながら
真暗に凍った 大気に
ジグザグな罅(ひび)をいらす

優しい夕ぐれとする対話を
鳥は 夙(とう)に拒んでしまった―
夜は眼が見えないというのに

星すらが すでに光らない深い淵を
鳥は旅立つ―(耳をそばたてた私の魂は
答えのない問いだ)―どこへ?

 *芳賀檀(まゆみ)氏(評論家・独逸文学者)に献じられている。雑誌「四季」の同人で晩年の道造の詩に影響を与えたと言われている

です。
 十代後半当時の私の、彷徨(さまよ)う自我の全てがこの作品に凝縮されているように感じていた、この詩が、今も変わらずに響くと言うのは、彷徨う思いは、終生附いて廻る、宿命のようなものと言うことでしょうか?―

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*立原道造:大正3年(1914)〜昭和14年(1939) 東京生まれの詩人・建築家。丹下健三の一年先輩。雑誌「四季」(第二次。昭和9年〜19年)の同人。第一回中原中也賞受賞。「萱草(わすれぐさ)に寄す」「暁と夕の詩」がある(共に1938年自費出版)。生前浦和(埼玉県)に週末住宅建設を構想しており、残されたスケッチを元に2004年別所沼畔に実現された
立原道造記念館ヒアシンスハウス
*四季:堀辰雄主催で昭和8年創刊の文芸雑誌。第一次は二冊で廃刊し、翌年第二次がスタート。堀辰雄・三好達治・立原道造・井伏鱒二・中原中也・萩原朔太郎・室生犀星などが同人であった
*中原中也:明治40年(1907)〜昭和12年(1937) 山口県生まれの詩人。「山羊の詩(1934)」「在りし日の歌(1938)」がある
*古楽器:楽曲が作られた当時の様式の楽器もしくはその様式に則って製作されたレプリカ楽器。ヴァイオリン等は金属弦ではなくガット(羊の腸。現在はナイロン)弦であったり、フルートはその前身でフラウト・トラヴェルソ呼ばれる木製のものであったり等、現在の楽器とは多々異なる要素を持つ(勿論バッハ、コレッリ等のバロック期とハイドン、モーツァルト等の古典期では又異なるが)。20世紀頃以降現在一般に使用されているものはモダン楽器と呼ぶ。
なお、古楽器とは別に、オリジナル楽器、ピリオド(期間・時代等の意)楽器等の語も使用されるが、狭義には一応異なるニュアンスである。一例は下記の如し(飽くまで一つの例です)。
古楽器:中世・ルネサンス・バロック期などに使用され後の時代に使用されなくなった楽器(リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ等)
ピリオド楽器:モダン楽器の原型で当時製作されたものと復元されたもの
オリジナル楽器:当時実際に使用されていた楽器。所謂「本物」
でも、殆ど同義に使用されるのが一般
*トウカエデ:Acer buergerianum カエデ科カエデ属の落葉高木。中国東南部原産。紅葉が美しく公園・街路樹として多く植栽される

'08 霜月十日 秩父
先月、縁あって、埼玉県秩父(ちちぶ)郡横瀬(よこぜ)町という山間の町の棚田に、稲刈りに行って参りました。秩父郡横瀬町の棚田と武甲山
 この横瀬町苅米(かるごめ)地区に広がる「寺坂棚田」は、標高≒200数十m、面積≒5.2haの水田で、南に横瀬川を見下ろし、武甲(ぶこう)山を仰ぐなかなかに風光よき所(右画像)。嘗ては、休耕田も多かったそうですが、地元農家の方々が中心となった棚田学校(H.13年開校)の尽力で、現在、県内外の多くの人々の参加もあり、古代米(及び餅米。除草剤不使用等減農薬栽培とのこと。確かに昆虫・クモが多かった)の水田として維持活用され、美しい里山景観を形作っています。
 前日の雨で大分とぬかる田の土と、打って変った晴天日の強い日差し、及び久方ぶりに乗った列車による乗物酔いの為、立眩(くら)み連発で結構きついものがありましたが、楽しく過ごせた、生まれてはじめての、稲刈り体験でした。
 が、この体験、時折稲刈りの手を休める度、またこの後訪れた秩父の町や丘の上(芝桜で有名な「羊山公園」)から常に視界に入る、武甲山の姿が、胸に堪(こた)える体験でもありました。

 横瀬の町も、秩父の市街も、訪れたのははじめてのことですので、武甲山を間近に仰ぐのも、当然ながらはじめての経験でした。しかし、この地からは左程に遠くはない、東京多摩地区で育った私には、武甲山は、少年時代から馴染みある存在でした。
 私の住む辺りでは、一寸した高台の上からは、西方に連なる山々が良く見渡せます(最近では高層建築が増え一部遮られますが)。南から、大山(おおやま)、丹沢(たんざわ)山地、富士山、奥多摩の山々、そして奥武蔵の山々へと、徐々に遠く低く連なる青い山波の北の端に、ピリオドのようにピラミダルな山容で座す武甲山は、その名前の存在感ある響きと共に、登山好きな少年であった私には、一つの憧れの山でした。
 その武甲山、奥武蔵の山々の盟主とも謳われた山が、石灰岩採掘の為、大正期より徐々に掘り崩され、標高も低くなり(1336mから現在1304m)、山容も変化していると知ったのは、山好きであった少年時代でした。以来、武甲山の変化についての関心は、頭の片隅に常にちらりとその存在は認識しては居りましたが、それに関し特に思いを巡らすことはないまま、数十年(は大袈裟か)の歳月が過ぎていました。それが行き成り、昔見た古い登山ガイドブックの写真とはえらく異なる姿を、眼前に現してきたので、可也ショック...。
 山頂部から下が、林檎皮むき器にかけられた如く段状に白い石灰岩を露出させ、ふっくらとヴォリューム感のあった山容は
すっかりスリムに...。SFチックな人工美を、巨大なオブジェを仰ぎ見るように感ずる方もいらっしゃるやも知れませんが、私は正直、ショック。「これがあの武甲か...。何故にここまで...」と。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)が甲を奉納した伝説に由来する(と一般に言われている)山名を持つ「武甲山」、一般的には山好きの方以外、余り馴染みのない存在かと思われますが、「新編武蔵風土記(ふどき)稿」に、
  一に秩父ケ嶽とも云えり、この山は武蔵の国第一の高山にて、世に聞こえたる名嶽なり
  秩父はもとより山国にて萬重の山多きが、中に最も高く聳えたれば秩父嶽とよべるも理なり
  (カタカナを平仮名に変え一部読みやすく濁点等変更しました)
と記され、谷文晁(たにぶんちょう)の「日本名山図会(ずえ)」にも「武光山」として描かれる等、古くから関東の名山として著名な存在です。
 又、秩父地方総社(そうじゃ。地域の祭神を統合し祀った神社)の秩父神社の神奈備(かんなび。神霊が鎮座する場所)とされ、山頂には武甲山御嶽神社が祀られ、室町・江戸期には、武甲山信仰を基盤に、観音霊場(秩父三十四ケ所観音霊場。秩父郡内に分布)が成立するなど、古くより信仰の対象ともなってきました。
 そんな、秩父の一象徴とも呼べるような武甲の日々変わり行く姿が、気に懸かる、と言う方は、きっと多いのだろうと思われますが、表立った保護運動や、事業反対運動のようなものを聞きません(私が勉強不足なだけかもしれません)。「県内にある優れた自然風景地を保護」すべき、県立自然公園(県立武甲自然公園。S.32(1957)年指定。面積15,462ha)内にありながら、鉱業権は否定されず、90有余年にわたり(本格採掘は大正6(1917)年に始まったとされる)、「資源」として切売りされ掘り続けられて来た武甲。鉄道が通ったのも、武甲の石灰岩の御蔭であり、石灰岩採掘事業、またセメント産業が、近代秩父の経済的土台(雇用も含め)となってきた経緯、また、秩父事件という歴史を持つこの町にとって、こうした事業・産業なしには、町のことは考えられない、と言うことなのでしょうか。一時は、市の財源の三分の一はセメント関連企業の固定資産税で賄(まかな)われていたともききます。
 一度足を踏み入れただけの余所の者、ましてセメントの消費で繁栄して来た都市の住人が、あれこれ言いうのは、大変失礼なことかも知れません。又、この不況時に何を暢気な、とお叱りを受けるやも知れません。が、正直、気に懸かる。物理的に採掘が不可能となるまで、続いて行くのでしょうか...。果たして、続けて良いものなのでしょうか。武甲の山体が削られると同時に、武甲の自然だけではなく、秩父の歴史や文化まで、削られて行くことには、繋がらないでしょうか。
 全体的にセメント産業は、需要低迷や、低価格輸入製品に押される等衰退傾向にあるようです。セメント産業から観光産業へのシフトなど、秩父また横瀬の地域経済をこれからどうすべきかが、問題とされてもいるでしょう。棚田を活かした活動なども、そうした問題解決への一つのアプローチという意味を持っているのかもしれません。
 今更ながら、難しい問題ではありますが、環境・景観或いは文化遺産等と経済・開発また利便性等との両立、武甲の件に限るものではありませんが、次世代への「宿題」にするのは、あまりに酷、かもしれませんね。我々自身、その「宿題」に悩まされているのですものね。

 秋の陽をいっぱいに受けた横瀬の棚田・里山といい、丘から見下ろす河岸段丘(荒川がつくった)上に広がる秩父の盆地といい、どちらも美しく印象に残る風景であったが故に、その地から仰ぐ武甲の痛ましい姿(申し訳ないが、私にはそう感じられた)が、尚更に気に懸かる、半日の旅ではありました。

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*秩父市:埼玉県北西秩父盆地に位置する市。埼玉県で最も広い。嘗ては養蚕・絹織物が重要産業。横瀬町は秩父市の南東に接する
*武甲山:秩父市と横瀬町に跨る。北側に広く石灰岩層(武甲層。中生代三畳紀(≒2億5100万年前〜1億9500万年前)後期)が分布し良質な石灰岩が産出(推定可採鉱量≒4億トン)する為北斜面は大きく採掘により崩壊している。固有種チチブイワザクラの自生地であるが山体破壊の影響で現在絶滅危惧IA類(近い将来絶滅の危険性が極めて高い種)に指定されている。石灰岩は江戸期より利用されていたらしいが山容が変わるほどの大規模な採掘は大正・昭和以降。伊吹山(標高1377m 岐阜・滋賀県境)、天祖山(標高1723m 東京奥多摩)も武甲山同様大規模に採掘されている
*新編武蔵風土記稿:文化・文政期(1810年起稿・1830年完成)、昌平坂学問所(湯島聖堂)で編纂された武蔵国地誌
*日本名山図会:谷文晁(宝暦13年(1763)〜天保11年(1841))作。医者川村寿庵の依頼により製作されたとされている
*大山:標高1252mの神奈川県にある山。雨乞い信仰のある阿夫利(あふり)神社があり雨降山とも呼ばれる
*丹沢山地:神奈川県に広がる東西≒40km、南北≒20kmの山地。最高峰1673m(蛭ヶ岳)。元来独立した火山島で500万年ほど前フィリピン海プレートに乗って日本列島に衝突・付加したと考えられている
*石灰岩:炭酸カルシウム(CaCO3)を主成分とする堆積岩。珊瑚等の生物由来のものと化学的沈殿によるものとに大別される。セメントの主原料の一つ
*セメント産業:大正期に浅野セメント・秩父セメント(合併し現太平洋セメント)、昭和期には三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル。横瀬町にある)等が加わり武甲山の石灰岩を採掘。現在はセメント需要の低下また安い輸入製品におされるなどし石灰岩採掘量は減少している
*秩父と鉄道:秩父市を通る西武秩父線(昭和44年開通)、秩父鉄道(大正3年秩父駅(当時大宮駅)まで開通。太平洋セメントが筆頭株主)も石灰石・セメント輸送が重要な目的及び役割であった(秩父鉄道では現在輸送は行われていない)
*秩父事件:生糸価格暴落による経済苦・借金苦や増税に喘ぐ農民と自由民権思想家(自由党員)らが「秩父困民党」を組織し、明治17年(1884)10月31日(〜11月9日)、政府に対し救済を求めて起こした武装蜂起(私情で動くことや略奪・暴力行為を行わない軍律があった)。政府は西南戦争に準ずる反乱として認識し武力により鎮圧。首謀者とされた者の内四名が死刑、有罪判決を受けたものは3000人以上
*自由党:明治13年(1880)、板垣退助らが組織した日本初の政党。自由民権運動の担い手となるも急進派の突出を抑えきれず明治17年(1884)10月29日解散(秩父事件の直前)
(参考:武甲山の現状を訴える活動をされている篠島実氏サイト(ページ中程の「記事へのリンク」) 武甲山と破壊文化 江戸時代の隠れた名画達(「新編武蔵風土記稿」及び「遠近法の流(下巻)」) 続・さくら草とメダカと山と渓流 他)

'08 神無月十七日 9時33分
 「ドゥームズデイ・クロック」、ご存知でしょうか。「終末時計」等と一般には呼ばれています。この「終末時計」には、よく知られたものが二つあり、一つは元祖?と言えるでしょうか、「世界終末時計」呼ばれる"Doomsday Clock"、もう一つは「環境危機時計」呼ばれる"Environmental Doomsday Clock"。タイトルの時刻は、この「環境危機時計」の、現在時刻(世界平均。下に地域別時刻を記載します)です。
 「世界終末時計」は、亜米利加の「原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic Scientists)」誌の新年号の表紙に、時に大きく時にこじんまりと、世の終末を午前零時に喩え、上記雑誌関係者及び専門家が協議し、地球(人類)滅亡の危機までどれ程か、を真夜中何分前、と言う形で表示しています。本来、広島・長崎への核爆弾投下の二年後、核戦争の危険性や核廃絶を訴える意味で掲載され始めたのですが、現在では、国際紛争や、環境破壊、地球温暖化による気候変動などの問題等も考慮され、時間が決定されているそうです。現時刻は、DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)の核実験、イランの核開発、核保有国の拡大、及び地球温暖化の進行を理由に、昨年二分進められ、"5 Minutes to Midnight"(真夜中5分前)とされています。この変更は、18度目だそうですが(過去最も針が進んだのは1953年亜米利加とソ連の水爆実験時の「2分前」(メタル・バンドIRON MAIDENに"2 Minutes to Midnight"と言う名曲があります。内容は忘れました))、今回から、温暖化による気候変動を、核問題同様の脅威として位置づけたのだそうな。これは、「環境危機時計」にも繋がります。
 その「環境危機時計」は、文字通り、地球環境がどれ程の危機的状態であるかを、「世界終末時計」同様、午前零時を滅亡のときと設定し、現在、真夜中のどれくらい前であるかと言う形で切迫度を象徴的に表したもので、「世界終末時計」と異なり、実在はしていません(「世界終末時計」はシカゴ大学に実在しています)。1992年より、旭硝子財団が、年一回、世界各地(日本を含む)の、政府(全体の35%)及び非政府組織職員(全体の16%)、研究者(全体の30%)、企業(全体の19%)等の環境問題に携わる有識者に「地球環境問題と人類の存続に関するアンケート」を実施し、その結果に基づき、作成・発表しているもの。本年は4369人中732人の回答(少なくない?)を受け作成し、タイトルのような時刻になったのです。これは、過去最も遅い時刻、詰まり最も危機感の強い、最も危機意識の高い結果をあらわすものとなりました。因みに、
・0時1分〜3時:殆ど不安はない
・3時1分〜6時:少し不安
・6時1分〜9時:可也不安
・9時1分〜12時:極めて不安
と言うように設定されています。また、各地域ごとの時刻は、以下の如くとなっております。()内は前年比。
・日本:9時42分(+8)
・亜細亜(含中国):8時52分(-18)
・西欧羅巴:9時44分(+21)
・東欧羅巴&旧ソビエト:9時37分(+17)
・北米:10時13分(+33)
・中南米:9時49分(+11)
・阿弗利加:10時31分(+29)
・中東:9時24分(-17)
・オセアニア:10時34分(+7)
・海外平均:9時26分(-2)
調査項目は、
・人類存続に関する認識−環境危機時計
・アジェンダ21の進捗状況
・地球環境問題
・京都議定書及びポスト2012
・エナジー問題
・ライフスタイルの変更
となっており、環境危機時刻記入時に最も念頭に置いた項目は、地球温暖化が68%、水枯渇・食料問題が50%で、次に、森林破壊・砂漠化・生物多様性の減少、となっています。

 "Doomsday Clock"にしろ、"Environmental Doomsday Clock"にしろ、多くの人間がこれらの時計の存在及び示される時刻を知り、何事かを思い、何事かを為して、はじめて意味を持つと思うのですが、現在の低い知名度(特に後者)で、どれ程の効果があるのか、私には分かりません。唯、核や環境の専門家の方々が、「深刻である」と仰るのは重く受け止められますし、又、破滅へと向かう世界(人類)を、何とか押し留めようとする、人間の善意或いは誠実に、感動も覚えます。が、しかし、私の中には同時に、「どんなに人間が善意をいだいて努力したとしても、歴史の法則というのは、ちょうど歴史の女神(クリオ)が戦車を引いて何百万という人間の頭蓋骨を踏みくだいていくように、無残に貫徹していくものだ」と言う虚無に対する同感があり、「どんなに誠意を持って、どんなに全力をあげて闘って生きても、人間は所詮、時代の枠組を超えることはできないし、結局その枠組の中で、壁に突き当たって倒れたり、傷ついたり、初志を達成できずにその生涯を終わる」と言う観念に対する共感があり、「歴史の女神が戦車を引いて幾百万もの人間の頭蓋骨を踏み砕いていくというような、個々の人間の意識とは独立して行われていく鉄のような非常な力への諦めの感覚」に対する、強いレゾナンスが存在しているのです。
 この虚無と言うか諦観と言うか無常観と言うか、妙に醒めたようなものの見方と言うのが、私には子供の頃からあり、結構悩みの基だったりしてきました。好きな言葉は「天地は仁ならず、万物を以って芻狗(すうく)と為す」、座右の銘は「原子と空間以外何も存在しない」等、小生意気な若造ですね。中学生時代も、「皆のやっていることを馬鹿馬鹿しいと思う?」等と先生に真顔で聞かれたりなんぞしたこともありました(馬鹿になんぞはしてはおりませんので、当時は非常に心外でしたが、先生にはそう見え心配してくださったのですよ)。周りの人たちが、皆、熱血漢に見え、周囲とのギャップは、結構な年齢まで感じていました。現在では流石にこうした事で悩むと言うことはなくなりましたけれど...。

 まぁた大分話が逸れた...。「終末時計」の話です。二つの時計の時刻、どう思いますか?「世界終末時計」はそんなところか、と思いますが、「環境危機時計」については、もっと遅いだろぉ、と思ってしまいますが。私は、世界平均でも日本でも、10時代、日本に限れば10時40分位行ってるだろうと思います。環境問題は複合的な問題ですから、どの問題(項目)に重点を置いているかで、大分変わるかもしれません。私は、日本の森林・海浜等自然環境の破壊、及び生物多様性の低下に最も注目しているので、遅めの時刻になりましたが、皆さんは、どうでしょう。何時位と、思われますか?

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*Doomsday:最後の審判の日、断罪日、判決の日、この世の終わりの日等の意
*クリオ:クレイオーとも。希臘神話に登場する女神。文芸を司る9柱の神の内歴史を司るもので巻物を持つ
*「どんなに人間が善意をいだいて努力したとしても...」:色川大吉氏著「歴史の方法」第二部第二章より抜粋。色川氏は日本近代史・思想史を専門とされる歴史家
*「天地は仁ならず、万物を以って芻狗と為す」:B.C.5世紀頃の思想家老子の語。自然には好意も悪意もなく無情であり全てのものに対し人が藁の狗を扱うように常に無情・無心である、と言った意味
*「原子と空間以外何も存在しない」:B.C.4・5世紀頃の古代希臘の哲学者デモクリトスの語。世界はそれ以上分割できない「原子(アトム)」とその存在・運動の場としての「空間(ケノン)」よりなると提唱した。哲学的な発想であり科学的には必ずしも正確ではないが、妙に心に響くのです、この言葉
*アジェンダ21:1992年の国連環境開発会議(環境サミット)で採択された21世紀に向けて持続可能な開発を実現する為の行動計画
(参考:旭硝子財団ニュースリリース(pdf) EICネット 他)

'08 神無月七日 古物商等警察署別法令講習会
 毎年この時期、東京都古物商防犯協力連合会は、警察の「全国地域安全運動」及び「窃盗犯防圧検挙強化月間」に連動する形で、「防犯協力運動月間」を実施し、期間中各地域警察署単位で存在する古物商防犯協力会主催による「古物商等警察署別法令講習会」が開かれ、私のような古物商は、(東京の場合)参加及び古物台帳(販売・買取の帳簿)の提出が義務付けられています(年会費も払わなくてはなりませぬ)。
 正直、この日本各地域に組織されている「古物商防犯協力連合会」、具体的な活動も、その実効性も見えにくく(地域によっては形骸化・有名無実化しているとのお話も漏れ聞く。東京都は可也頑張っている模様)、大変失礼ながら、「警察OBの方々の再就職先」でしかないのでは?...等と言う疑問が少なからず御座います。当店の所属する防犯協力会では、集金代行の方の不正(着服)も、過去には御座いました。
 勿論、古物商の端くれとして、古物(私の場合古本)が犯罪に利用(盗難・転売)されたり、古物商が犯罪に関る或いは意図せず犯罪に関らされる等は、非常に残念に思いますし、こうした犯罪を無くしたいという思いは御座います。よって、防犯に協力するに吝(やぶさ)かでは御座いません。また、当店では、古物営業法の規定に従い、買取の際は、お客さんに身分確認の為、身分証明となるもののコピーを、大変お手数を掛け送って頂いていますので、肝心の店側が、古物営業法関連の義務(講習会出席及び帳簿提出)を果たしていないのでは、お客さんに申し訳ない、顔向けかできない、と言う思いもあります。そしてまた、実効性のない組織なら、我等古物商が実効性あるものに変えてやろうではないかい、と言う思いもあります。
 古物商は一般に、営業の為古物商許可が必要です(買取をせず売るだけならフリー・マーケットと同じなので許可は不要)。各警察署(ようするに公安委員会)で許可を受けるのですが、このとき、防犯協力会への入会を勧められます。そう、防犯協力会への入会は任意なのです。ところが、参加義務のある年一回の講習会には、この防犯協力会への入会が必要なのです。なぜなら、防犯協力会の会費で、講習会は実施されているからです。変ですよね...一寸。ここが前記疑問のひとつ。もうひとつの疑問は、講習会の内容。観ることになる古物営業に関るヴィデオの内容が毎回同じなのはまあ仕方ないとして、またどこそこの誰々さんのご紹介やらご挨拶やらが多いのもこうした会の常として致し方なしとして、会長さんのお話、公安の上のほうの方のお話、どれもどうも毎回型通りで緩い。また最後は生活安全課の刑事さんのお話(古物関連は生活安全課の管轄なのです)。古物に関るお話はほんの少しで終わり、地域の窃盗等の犯罪に関るお話をちょこっと挟み、後は時間合わせに刑事さん個人の過去の経験談に突入するのが常。社会的重大事件の現場に居合わせた時の経験等、これはこれで滅多に聞けないお話で為にはなるのですが、古物商の講習会だったよね、これ...と、毎度思うのです。刑事さんはじめ皆さん、真面目に真摯に取り組まれていらっしゃるとは思うのですが、何か、どこまで必要なのだろうかと、申し訳ないですが、正直思わされる内容なのです。

 上記のごとく疑問は感じつつも、繰り返しになりますが、古物に関る犯罪は古物商として本当に悲しいですし、警察とは別個に防犯組織は必要かとも思うので、講習会には出席したいと思っています(昨年は都合がつかず欠席しましたが...)。

神無月二十二日追記:何やら偉そうに語ってましたが、当日は如何しても変更不可な個人的用事が入り講習会は欠席してしまいました。面目ない...。が、本日管轄警察署に出向き、生活安全課防犯係の刑事さんに、個別に講習・帳簿点検して頂きました。

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*古物営業法:盗品の売買の防止と速やかな発見を図る為、古物業者に一定の義務を課せるもの。最も重要な義務が、以下の三つで、「防犯三大義務」と呼ばれています。
・取引き相手の確認義務
・不正品(盗品等)の申告義務
・帳簿等への記録義務

'08 長月十三日 ニホンカナヘビ
 近頃よく庭で見掛ける、カナヘビ(写真)。恐らく今年夏に孵化したのでしょう。体長は3cm強。尾まで含めた全長は10cmはありません。9cm程。ニホンカナヘビの若い個体成長すれば全長20cm前後で尾は全体の3分の2を占めるほどになりますから、まだ大分若い個体と思われます。テラスをウロチョロしたり、下草の葉上で一休みしているところに、良くお目に掛かるのですが、好奇心旺盛で、よくヤモリを捕まえてくるネコがいるので、気が気でない。
 ただ、カナヘビはヤモリに比べると大分敏捷ですので、まあ大丈夫とは思うのですが、トカゲは数度捕らえたことがあるので、一寸心配。捕殺はしないのですが、それ相応なダメージは与えるので、気を付けています。が、この個体、若いだけに大胆。怖さ知らず。昼間ネコが涼んでいるテラスの椅子(近所の小学校の払下品。見る人が見れば「懐かしいぃ〜」と言うであろう木製の椅子)の下あたりに出没。そんなときは、ネコに気づかれぬよう、そ〜っと植込みのほうへと追い遣るのですが、そのうち又懲りずに出没...。大変ことになっても知らんぞ。

 カナヘビは肉食で、小さな昆虫やクモ、ワラジムシ等の節足動物を捕食しています。一応、自宅庭のこじんまり生態系では、時折訪れる鳥を除く、定住者の中では上位のニッチ(生態的地位)を占める存在のひとつと言えるかと思います。彼らが住めるということは、それなりに豊かな生態系...と言えるのか...な?腐葉土があり、落ち葉があり、下草が生え、低木があり、亜高木があり、野菜くずなど置いておけば結構速やかに跡形もなくなる程度にワラジムシやらダンゴムシやらカタツムリ(ヒダリマキマイマイ)やらいるし、草摘み等していれば小さなクモやバッタも慌てて逃げていくのが目撃されるし、ニワハンミョウやハサミムシ(完全な肉食ではない)またカマキリ等の肉食の昆虫も居るし(アリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫)もいたな)、今の時期、夜は賑やかな虫の音が響くし。それ相応の環境が整えば、それ相応な生物層が形成される、と言うことでしょうか。ただ、この生物層の構成員も、私の幼少時に比べると一寸寂しくなりました。まず、モグラとケラを全く見掛けなくなりましたし、クツワムシ、ウマオイ(所謂「スイッチョ」)の声も聴けなくなりました。あと、ヒシバッタ(1cm程の小型のバッタ)、植木鉢の下などでよく見かけたキセルガイ(小型の陸生巻貝)も、何時の間にやら消えてしまいました。その他にも、私が気づかぬだけで、消えていった構成員達も、恐らく多いのでしょう。
 自宅庭は、多少樹木の構成種が変わった程度で、私の幼少時と殆ど変化はありませんが、周囲の環境は、大分変わりました。馴染み深かった、草茂る「空き地」は完全に消滅しましたし、ご近所の家々では、立替やガレージ設置等で、庭が削られ、随分と緑も土の露出も減りました。こうした変化が、如実に、住宅街の生物層に大きな影響を与えているのでしょうね。

 幼時から馴染み深かったトカゲやカナヘビも、以前に比せば大分と見掛ける事は少なくなりました。彼らのような、住宅街の野生生物の減少は、そのまま、街や暮らしの中から、余裕と言うか、ゆとりと言うか...「あそび」が消えて行くことと、イコールで結ばれるような気がします。

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*カナヘビ:ニホンカナヘビ(Takydromus tachydromoides) 金蛇・蛇舅母・愛蛇等とも。日本固有種
*トカゲ:ニホントカゲ(Plestiodon japonicus) 日本固有種。幼体のうちは金色の縦すじや尾の青い金属光沢が目立つ
*ヤモリ:ニホンヤモリ(Gekko japonicus) 守宮・家守とも。民家及びその周辺のみに生息する事から古い時代に大陸から渡ってきた(恐らく船で)帰化(外来)動物と考えられている

'08 葉月十七日 抑止力
 毎夏、八月ともなれば、戦争関連のお話が多くなるは、我が家も同じ。登場するは、今年84歳となる我が家のおばあちゃんの、戦時中の思い出話。従軍看護婦さんとして、戦地で過ごした頃のお話。
 ...昭和19年(1944年)、看護学校を繰上げ卒業した彼女は、日本陸軍に所謂「赤紙」一枚で召集され、現在のインドネシア、スマトラ島にあった、陸軍病院へと配属されます。亜米利加はフィリピン→沖縄という進攻コースを選択した為、インドネシアは当事、戦闘もなく空襲も殆どなく、食料も豊富で、戦争そのものによる直接的な苦労というものは、飽く迄彼女の言によるものですが、なかったそうです(彼女の同期で、中国やフィリピンへ配属となった方々は大変な苦労をされたそうです。亡くなった方も多く居られます)。軍医さん運転の自動車で看護婦さん仲間と避暑地へドライヴに出掛け、湖面に向けてピストル(軍医さん所有。軍医さんは将校なのでピストルを持っている)を撃たせてもらった話、兵補(へいほ)として働く地元の青年達(郵便局長や校長先生の息子さん等所謂「お坊ちゃん」が多かったそうです)にプロポーズされた話、雑用係をされていた二人の華僑(かきょう)の方達の話、夜勤時の患者さんたちとの麻雀対決...などなど、楽しそうに語るのですが、当然ながら、それだけではありません。
 伝染病棟付き看護婦だった彼女。一晩に五人の患者さんが亡くなられ、自身の手を見つめ抜け殻のようになったときの話、一人隔離されていたハンセン病の患者さんの、使用後の食器を入れるため病室ドア前にポツンと置かれた消毒液を入れた醤油樽の話(当事は食器などを介し感染すると考えられていた)、飛行兵の患者さんに「実はもうラバウルに飛行機がないんだよ」と内緒に打ち明けられた話、敗戦の後ピストル自殺した軍医さんの話...など、二十歳そこそこの若い彼女、また日本が戦争に負けること等考えた事もなかった(彼女弁)彼女にとっては、ショックな出来事も多く聞かされました。そのなかで、「看護婦さん、死にたくないよ...」と繰り返しながら息を引き取った若い兵士の、名前はもう覚えてないけれど、顔と声だけは今も忘れられないという話は、一番印象に残るものです。

 実際に、戦争により失われる命と対面した者の語る言葉は、響きます。でも、そうした人達、現実の戦争を体験した方達は、少なくも日本に暮らす人間の身近からは、遠からず、失われていきます。そうした方達の言葉を語り継ぎ、リレーしていくことの重要を思います。また、日本では戦争体験者は去り行くも、世界には多くの戦争体験者がおられます。そうした方々の言葉に接することの重要も、思います。

 おばあちゃん、おじいちゃんの戦争話が始まって、「またぁ〜?」と思う気持ちも分かりますが、耳から耳に素通りさせるには勿体無い。戦争の記憶は、最大最強の戦争抑止力。

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*赤紙:陸軍による召集令状は、赤・白・青の三種あるが、兵員・看護婦等は赤い色だった為そう呼ばれた。各役場から本人又は家族に渡された
*従軍看護婦:戦時救護看護婦。昭和12年(1937年)から昭和20年(1945年)(日中戦争開始から太平洋戦争終結まで)までに派遣された人員は日本赤十字社だけで延べ約30,000人、戦病死者約1,100人、負傷者約5,000人とされています。甲種と乙種があり乙種のほうが教育期間が短く18歳前後と年齢が若い。私が見せてもらった名簿で見る限りでは乙種の方は数は大分少ないが、最前線へ送られることが多かった為死亡率は高い。大半の方が戦死・戦病死となっていました
*兵補:太平洋戦争中日本の南方占領地域で現地住民より部隊ごとに採用された主に補助的業務を行う16〜25歳の独身男性。日本語教育と軍事訓練を受けた。多くはインドネシア人。一部は戦闘にも参加させられた。総数25,000〜50,000人と言われている。給与未払いや補償等の問題がある
*華僑:海外地域(中国・台湾・香港・澳門以外の地域)に長期居住する中国籍の漢民族。≒80%が東南亜細亜に集中。大きな経済的影響力を持つ
*避暑地:スマトラ島最大の都市メダンの南にあるトバ(toba)湖周辺。標高900m前後。トバ湖は面積≒1100平方km(琵琶湖の≒1.6倍)のおそらく世界最大のカルデラ湖。≒74000年前の噴火により形成されたと考えられている。食虫植物「ウツボカズラ」tobaica種の名の由来となっている
*ラバウル:パプアニューギニア領ニューブリテン島の都市。昭和17年(1942年)以降航空隊基地が置かれ陸海軍併せて九万余が配置された日本軍南方地域最大の拠点

'08 文月二十六日 Space Odyssey
 SF作家、アーサー・C・クラークが亡くなって、早や四ヶ月(3月19日死去。享年90)。時折、忘れた頃、波が来るように、彼の作品を再読したくなります。十年に一度くらいでしょうか。暫(しばら)く前にも来ました。「2001年宇宙の旅(2001:A Space Odyssey)」、「都市と星(The City and the Stars)」都市と星 、「幼年期の終わり(Childhood's End)」、そして又短編の数々。大体私の場合、10年程度経つと大分内容は忘却の彼方。可也新鮮な思いで読むことができます。またそろそろ、短編の一つ二つ、再読してみようかな...。

 彼クラークの存在を知ったのは、少年時代、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の脚本共同執筆者としてでした(小説「2001年宇宙の旅」の作者はクラークでが、映画はこの小説を原作としたものではありません。映画と小説は同時進行で製作され、映画のほうが数ヶ月早く公開されました)。
 こんな私にもあった少年時代の、その一時期、友人の影響で、結構映画好きであったのです。愛読書は「ぴあ」。この「ぴあ」に、確か、もう一度見てみたい映画は何?的なランキングがありまして、古今の名作映画を制覇したい、と密かに考えていた私は、興味深く拝見しておったのです。で、そのランキングで、当事連続で一位に君臨しておわしたのが、「2001年宇宙の旅」。
 この映画「2001年宇宙の旅」は、初公開からのち10年間、著作権の問題等あったのか否か不明ですが、上映されることなく、ロードショー当時の観客の頭上に須(すべか)らく「?」を付けさせたと言う、内容の不可解さ難解さ(小説版を読むと、分り易くはなりますが、なり過ぎるかもしれません)、そして革新的映像技術・美で齎(もたら)した衝撃ばかりが伝説化されていたのです。そして、そんな伝説のパワーが後押しした甲斐あってか、1978年、待望の再ロードショーが叶った。私も行きました、新宿武蔵野館。一度目観終わって、衝撃に立ち上がれず、そのまま二回目観てしまいましたよ。本当はいけないのだけれど...。今もって、映画であれ程の衝撃・感動を受けたことは御座いません。映画に関しては、「2001年宇宙の旅」で私はすっかり止まってしまい、それから一歩も動けぬ・進めぬまま、ここまで来てしまいました。元来、文字や音の世界が性にあっていたのかもしれません。この”「2001年宇宙の旅」インパクト”以降、私の指向は、急激に文学や音楽の世界へとシフトして行き、映画等映像の世界からはすっかり距離ができてしまいました。映画館へは20年以上足を運んでおりませんし、DVDも昨年一度図書館でレンタルしたのみです(「つぶやき岩の秘密」と言う遥か昔NHKで放映されたドラマ)残念といえば残念ですが、仕方ないですね。巡り合わせです。

2001年宇宙の旅  映画「2001年宇宙の旅」の話ばかりになってしまいましたが、小説「2001年宇宙の旅」です。上記のように、映画の方が伝説が伝説を呼び、すっかり盛り上がる中、後には再上映叶う結果となりましたが、その再上映叶う前、「一体どんな映画なのか...?」と膨らみきった期待を少しでも満たすため、小説を読んだのです。で、これはこれで、可也の感動。可也の衝撃。後、クラークの作品を、少しずつですが、追い、読み探って行くこととなりました。そうするうち、科学分野への指向・興味も強まり、そうした面からも、クラークの作品は、愛読の対象となって行きました。彼の作品は、日本文学で言えば、鴎外的。飽く迄極個人的な印象ですが、文学者と言うより自然科学者的な淡々とした客観性が感じられる。同時代の同じ人気SF作家である、ブラッドベリ(クラークより三つ下。御存命です)のファンタジーや叙情とは、ある種対極にある雰囲気ですが、でも彼なりの乾いた叙情やファンタジーを私は感じ、好きだったのです(今も好きです)。確かに、一般小説のような所謂「ドラマ」部分は、深みは余り感じられませんし、不得手そうでもありますが、私の場合は、元来SF小説にそうした部分は余り求めては読んでおりませんので、気にはならない。逆に「ドラマ」が苦手となり、小説も読まず、TVドラマも映画も全く観なくなって以降の私にでも、違和感なく彼の作品は読むことが出来ます。彼の代表作である、「都市と星」も「幼年期の終わり」も、結構ドラマ性は強いのですけれど、大丈夫なのです、不思議と。
幼年期の終わり  でも、「ドラマ」が苦手で映画は全く観ない、私ですが、ただ、若し、若しも、「幼年期の終わり」が映画化されたら、観てみたい...気が...。小説の映像化は、自分が勝手に作り上げたイメージを、如何しても壊されることになる為、なかなか興味を持てない私ですが、只この作品だけは、どの様に作るのだろう?...と言う興味が何故か強い。映画化権はとうにクラークの手を離れているのですが、一向そんなお話は出てきませんね。確かに、進化し変態(メタモルフォーゼ)した「新」人類と、彼らを理解し得ず取り残された「旧」人類との絆の崩壊や物語の終末等救いもないと言えばなく、昔のフランス映画みたいでハッピィ・エンドとは言い難いし(と言って必ずしもアン・ハッピィでもない)、今向きではないかもしれませんけれど。でも、そんなに判り難いお話でもないと思うのです。ホモ・サピエンス最終世代となった人類と、進化の限界に達し「オーヴァーマインド」への奉仕を運命付けられた「オーヴァーロード」との、種族を超越したシンパシィは心に染入るし。どうでしょう。私は観たいな。20数年ぶりに映画館に行っちゃうかも。

 ...クラークは、思想・哲学としての仏教への興味や、温暖な気候そして海の美しさなどに惹かれ(彼は海を愛し海に関わる作品も多い)、1956年からずっとスリランカで暮らし、終焉もスリランカで迎えました。生前、彼の望んだスリランカの内戦終結と、地球外生命体との遭遇(ファースト・コンタクト)は、終に、彼にとっては、叶わぬものとなりました。 R.I.P.
 SFと言うとなにやらマニアックな印象で、取り付きにくい感はあるやも知れませんが、SFは「サイエンス・フィクション」。科学と想像力とのコラボ。今の或いはこれからの時代、科学的知識と、想像力は、非常に必要となっているものかも知れません。クラークの作品など、人類とその文明を客観視する一つの手懸りとして、御手頃なツールかも。

 クラーク氏を偲び、銀河横たわる夏の夜空を見上げ、遠い地球外文明へ、思いを馳せて見るのも、一興。どうですか?若し晴れていたら、今夜辺り。暑い大気を更に暑くする冷房を止め、外へ出て...。

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*アーサー・C(チャールズ)・クラーク:1917年12月16日英吉利生まれ。第二次大戦中レーダー開発に携わる。1946年作家デビュー。ロバート・A(アンスン)・ハインライン(1907-1988)、アイザック・アシモフ(1920-1992)、レイ・ブラッドベリ(1920-)等と共にSFの一時代を築く。ハインライン、アシモフ、そしてクラークは俗に三大SF作家と呼ばれる
*三つの願い:彼は2007年、90歳の誕生日に、地球外生物の証拠を見たい、化石燃料依存を脱したクリーンなエナジーの導入を見たい、内戦の終結を望む、の三つの願いを語った
*再ロードショー:1978年は、日本においては「未知との遭遇」及び「スター・ウォーズ」公開の年。その辺の兼合いもあったのでしょうか
*つぶやき岩の秘密:新田次郎原作のサスペンス。殆ど映像が残っていないNHK「少年ドラマシリーズ」中では珍しく全編保存されていた。エンディング・テーマ「遠い海の記憶」は名曲(歌唱:石川セリ)。ドラマのストーリーや登場人物など殆ど忘却されていても、この歌と櫓舟が逆光の中画面を横切るバックの映像だけは、強烈に残存しておりました
*スリランカの内戦:1983年頃以降、多数派民族で仏教徒のシンハラ人と少数派民族でヒンズー教徒のタミル人との間での民族紛争が、政府軍とゲリラ組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との内戦に発展。現在も続いている。内戦による死者は6万、避難民は100万とも言われている

(この文章は、J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」「インヴェンションとシンフォニア」(共にグレン・グールドによるピアノ演奏)及び「半音階的幻想曲とフーガ」(ケネス・ギルバートによるチェンバロ演奏)等をBGMに書きました。「2001年宇宙の旅」「幼年期の終わり」共に、バッハがちょこっとですが、印象的に登場するのです)

'08 水無月二十二日 乱層雲
 「らんそううん」。地表付近から、高度2000m程度の低層に厚く一面に広がる、濃いグレーの何やら不穏なムードを醸す雲。所謂「雨雲」(季節によっては「雪雲」)。大抵しとしとと続く、本格的な雨(雪)を齎(もたら)す、一般には余り歓迎されない雲。今、梅雨真っ只中の東京は、この雲に覆われる日が多くなってきました。
 「余り歓迎されない」この、「今にも降り出しそうな」空を演出する乱層雲。結構好き。
 降りそうだけれど、暫くは大丈夫かなぁ...と言う時を見計らって、チャリで買出しに出掛けることの多いこの時期、行き付けのスーパーまでの道すがら、途中脇を通る大工場(球技の強い某電気系企業)上の広い空を一面に覆う、如何にも一雨来そうな雰囲気を漂わす鈍色(にびいろ)の乱層雲を見晴るかし、「良い空だ...」と呟く私は変でしょうね。この「今にも降り出しそうな」空が、結構好きなのです。
 まだ少年の頃ですが、夏休みのとある午後、友人宅にレコード(CDではない)を持ち寄り、あれやこれやと、BOSTONやQUEENを聴きつつ稚拙ながらも、真摯に批評していると、窓の外の空、一天俄(にわ)かに掻き曇り、一雨来そうな景色。この場合、掻き曇らせているのは乱層雲ではなく、積乱雲ですが、そのダークな雲の底面を見上げ、「こう言う、今にも降り出しそうな空って、好きだなぁ...」と、思わず呟(つぶや)いた私に、間髪を入れず、「何変な事言ってんだよ。アホか!」とツッコミを入れた友人達のことを、チャリを漕ぎながら、懐かしく思い出したりなぞする日々で御座います。(彼ら学生時代の友人や、昔の職場の友人等と、殆ど付き合いのない自身の不徳を、省みる日々でも御座います)

 生垣の、しっとりとした緑越しに見る、乱層雲...。梅雨どきの落ち着いた雰囲気を愛する身としては、一般に嫌われがちなこの季節を、ついつい擁護したくなってしまうのです。とあるインターネット調査によるアンケート(アサヒビール実施)では、

雨があまり好きではない 39.9%
雨は嫌い 35.6%
雨はまあまあ好き 14.1%
雨大好き 2.0%
どちらでもない 8.4%

と言う結果。「ぬれる」「汚れる」「乾かない」と、余計なストレス増やしてくれるぜ...と言う事ですね。私も、雨が好き...とは言い切れない部分は確かにありますが、どうせ、避け得ないものならば、強がりでも、「雨良いねぇ」と言ってしまいたい。昔の小説に登場する、雨中の人のように「濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも詠まれる」と言う境地には、まだまだ至りませんが、そうなりたいと、思うのです。

 この文章を書いているPCの乗る机は、北向きの窓に面しています。今その窓の外は、可也の雨ですが、ノートPCのちっさなスピーカーから流れているモーツァルトの、ピアノ四重奏曲は、この水無月の雨に、嵌ります(室内楽拝聴は、私の新たな雨の楽しみ方です)...。

(この雨により被害を受けておられる方々、また震災地の皆様に、心よりお見舞い申し上げます)

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*BOSTON:'76年デビューのUSAハード・ロック・バンド。秀才トム・ショルツの拘りプロジェクト。アルバム総売上げは3000万枚以上のビッグ・アーティスト。QUEENはご存知あの女王様です
*昔の小説:夏目漱石1906年発表の「草枕」。グレン・グールド(加奈陀のピアニスト)の愛読書
*モーツァルトのピアノ四重奏曲:第1番ト短調 K.478、第2番変ホ長調 K.493の二曲。1785〜86年作曲。本来三曲セットで楽譜販売業者(友人でもあるホフマイスター氏。モーツァルトは借金なんぞも彼にしていたらしい)に依頼されるも、家庭で弾いて楽しめるようなポップな「一般受け」作品を期待していたのが、「芸術的」でややダークかつ難曲で、これでは売れ行きは芳しくなかろうという事で、どちらからかは不明ですが結果契約解除。二曲のみ残されると言うことになった一寸曰く付きの名曲。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ&ピアノと言う当時としては珍しい構成 (マルコム・ビルソン等のオリジナル楽器(作曲当時の楽器。ピリオド楽器とも)演奏によるアルヒーフ(ARCHIV)盤)

'08 皐月二十九日 嵌ったな...
 久しぶりに嵌ったな...クラシック(音楽)。
 私、通常愛聴する音楽の70%くらいは、へヴィ・メタル。残り30%の内20%ほどがハード・ロックとプログレッシブ・ロック。他のロックやクラシック、ポップス、フォークなどは全体の10%程でしょう。恐らく。可也の偏りです。音楽偏聴度グラフで表せば、突出したピークは常に「へヴィ・メタル」に位置、と言って過言ではない。
 のですが、なぜか時折、本当に時折ですが、このグラフのピークがぶれます。大体ぶれる場合、プログレッシブ・ロックへとピークが移動するのが一般。一・二年に一度程度、プログレ度が急激に増し、凡そ二・三ヶ月継続。その後はまた、メタル度が上昇し始め、通常値に落ち着く...のがパターン。
  ところが、珍しいピークがやって来ました。クラシック(音楽)のピーク。
 近頃、家族或いは私自身の病気・怪我、或いはご近所のネコとのお別れなど、「老い」や「死」に皮膚感覚で接するような事柄が、幾つか身辺に続いた為、何か、不易なもの、歳月を越えて風化とは縁の薄そうなもの、あやふやな自身と言う存在を、繋ぎとめて置くに足りそうな堅固な存在を求めるような思いが、無意識下で働いていたのでしょう、おそらく。そしてそんな所へ来て、偶々、へヴィ・メタル・ギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンの、「LIVE IN LENINGRAD:TRIAL BY FIRE」を少し前にレンタルし聴いていたのが一つの切っ掛けとなり、先月辺りから突然のクラシック度の急激上昇と相成った、と思われます。多分。
 「あぁそうですか...。でもクラシックとへヴィ・メタルが何故繋がるの?」と思われるでしょう。実は、HR/HM(ハード・ロック/へヴィ・メタル)黎明期のDEEP PURPLE辺りを源流に、へヴィ・メタルはクラシックと縁が深く、上記イングヴェイを代表とする「ネオ・クラシカル」と言う、クラシック音楽的手法・フレーズ・雰囲気を前面に押し出すメタルのカテゴリィもあり、またメタルのアーティストにもクラシック・ファンが多いのです。上記イングヴェイのアルバムでも、クラシックの名曲のフレーズをあちらこちらに鏤(ちりば)めて弾き捲くっております。またプログレッシブ・ロックも、複雑・長大な曲構成や高度な演奏技術の追求、強い芸術的希求性等など、アプローチの仕方がクラシックっぽい面が多々見られます。
 よって、私、其れなりの親しみは、以前よりクラシックに感じては居ったのです。が、嵌るということは終ぞありませなんだ。バブルの頃から個人的不況でしたので、メタル、ハード・ロック、プログレ以外のCDなどに手が回るはずも無く、遠くから親しみと憧れの眼差しを持ちつつ、縁のなさを感じておりました。(この空前のクラシック・ピークの到来に、「のだめ...」はTVスポット以外見たことがないので恐らく影響はないと思います)
シューベルト弦楽四重奏曲集(メロス四重奏団) 然し、昨年より図書館でCDをレンタルするということを覚え、状況が変わってきました。メタル、プログレ系作品は流石に図書館コレクションには多いとは申せませんが、クラシックは豊富。而もレンタル料¥0(住民税は払ってますけど)。ここ3週間ほどでピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等中心に60枚余りと、借り捲くっています。チャリで片道≒25分とそこそこ遥かな新中央図書館の4F視聴覚コーナー。今の私にとっては、憧れの花々乱れ咲く愉楽の園に見えますよ。クラシックの棚々(と言っても棚は二つ)が。
 でも、困ったことがある。メタル、ハード・ロックやプログレッシブ・ロック(或いは一般的ロック音楽)に関する場合、その世界の構造も、歴史的流れも、大体把握しておりますから、どのようなアーティストが居り、どのような作品があり、またどの作品が一般に評価が高いか、或いは自分の嗜好に合いそうか...などは、凡そ見当がつきます。でも、クラシックは、解らん...。そりゃぁ、作曲家でいえば、バッハやモーツァルトや、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ブルックナー、形式ジャンルでいえば、交響曲、協奏曲、室内楽、弦楽四重奏、ソナタ、歌曲、時代分野でいえば、バロック、古典派、ロマン派、そして、指揮者でいえば、べーム、カラヤン、アバド、楽団でいえば、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルと、その程度は出てきます。でも、そこまで。有機的繋がりで構築された知識など、殆どない。誰のどの作品が一般に評価が高いのか、時代、作風等どれが自身の嗜好に向くのかなど、見当がつかない。殆ど暗夜に手探り...に近い。
 とは言い、クラシックも、昔から若干は聴いて来ましたので、ヴァイオリンが前面に出ている楽曲は可也入り込める...長調よりは短調が好き...どうも全体的には18世紀後半から19世紀始め辺り(古典派からロマン派へと移行する辺り)くらいの作品が嵌る...などの数少ないとは言え多少の手懸り・足懸りはあるので、それを頼りに、ネットで彼是調べるのですが、なかなか憶えられない。曲名が。「死と乙女」とか「未完成」とか「クロイツェル」とか、ニックネームの付く作品は良いのですが、そうでない大半の作品は、なかなか憶えられん。「弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調」と「弦楽四重奏曲第15番ト長調」はどっちがベートーヴェンでどっちがシューベルトだっけか...とか、「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」がフランクの名曲で「ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調」がブラームスの名曲だったよな...とか、「弦楽五重奏曲」第3番と第4番が良いのがモーツァルトでシューベルトは「弦楽五重奏曲」は一曲しかないのだよね確か...「ハイドン・セット」がモーツァルトで「ラズモフスキー・セット」がベートーヴェンで...等とややこしい...。
 で、悪戦苦闘の結果、「これと、こちらと、この作品が良さ気ですね」等と、目星をつけて、市立図書館のサイトで資料検索すれば、ほぼ全ての作品が、複数枚表示される。また困った...。マルコフさんやクレーメルさんやパールマンさんと、ヴァイオリニストの方は一体誰の演奏が良いのか、(大変失礼ながら名前も覚えられない)、ピアニストはグールドさんしか存じ上げん(しかも最近某国営放送の番組で知った)し、「スメタナ」「メロス」「ベルリン」「アルバン・ベルク」と、一体どの四重奏団が良いのやら、全く解らん。ので、またネットで調査...。

 音楽について言えば、限られた人生の中で、少しでも良い作品を多く聴きたいと思うのが、人情。でも、其の為には、時間をかけて、気長に彼是拝聴し、自身で作品を見る目聴く耳を養うほかはないのです。が、とは言っても、限られた時間と、限られた予算(図書館レンタルの場合は別ですけど)、そしてこれまた限られた体力(此れは結構大きい)の中では、所謂「名曲」「名盤」紹介サイトなどは、非常に有難い存在。私も大変お世話になっております。最後の部分に紹介させていただきます。クラシックではありませんが、へヴィ・メタルやハード・ロック或いはプログレッシブ・ロックの名作を紹介させて頂いておるサイトを、私も運営しております。もし、へヴィなロックなんぞに関心がお有りでしたらば、拙いものでは御座いますが、ちょこっと覗いて見てくださいまし→Heavysphere

  一寸、宣伝に流れましたが、話を元に戻します。
 「クラシックに嵌った...」と言いつつも、四月末から本日(5/29)現在までに借りたCDのリストを見ると、

・交響曲 五枚
・管弦楽曲 七枚
・ヴァイオリン協奏曲 四枚
・ヴァイオリン・ソナタ等 六枚
・チェロ・ソナタ 一枚
・クラリネット協奏曲・五重奏曲 一枚
・弦楽四重奏曲 十八枚
・弦楽五重奏曲 四枚
・弦楽六重奏曲 一枚
・八重奏曲 一枚
・ピアノ三重奏曲等 二枚
・ピアノ・ソナタ等 十枚
・歌曲 三枚
・その他 一枚
計63枚

(因みに、上記中最もガツンと来たのが、グレン・グールドのデビュー作として名高い'55年版の「ゴルードベルク変奏曲」と、バルトークの弦楽四重奏曲(1〜6番)。矢鱈とコレクションを増やしたくない性質なので、レンタルする前段階で其れなりに調べ、絞込みを入れる為、「ハズシたな...」はまず無く、皆其れなりに錆付いた琴線(本来絹製だから錆びないか)に響いてくれるのですが、この二つは可也、来ました。両者共、ロック音楽的破壊力を感じます。理屈抜きな素直な感想は「カッチョエェ...」。
 バルトークの弦四は、古典派やロマン派の「普通の」弦四に馴染んだ耳にはなかなか馴染み難いという評判でしたが、クラシックには余り馴染みのなかった、メタル時々プログレ耳の私には、「あっプログレっぽい...」と結構親しみ易かったです(実際はプログレが「バルトークっぽい」のですよね))。

多くが室内楽作品。特に弦楽四重奏が多く、目立つ。以前は、へヴィなロック音楽が好きな私ですので、クラシックの中で最もへヴィと感ずる交響曲中心に聴いておったのですが、試しに聴いたベートーヴェンの弦楽四重奏が案外にしっくり。二つのヴァイオリンとヴィオラとチェロ。この四者の協調とときに見せる鬩(せめ)ぎ合い。何とはなしに、ロック・バンド的なにほいを感ずるのかも知れません。ロック・バンドって最小三人で、大抵四人(か五人)くらいですからね。そうした形態の音楽を、少年期より長く聴き馴染んできた耳には、シューベルト弦楽五重奏曲(パブロ・カザルス)把握し易い、のかも。
 ロック・バンドの場合は一般に、三人及び四人の場合、ギター二本にベースとドラムと言うパターンが多い(メンバーはギター一人でもレコーディングの際はギターを重ねる場合が殆どなので)。五人の場合はギター二本にベース、ドラム及びキィボードと言うパターンが一般(どの人数も楽器のみ考慮)。弦楽四重奏はヴァイオリン二本にビオラとチェロ。五重奏の場合はヴァイオリン二本、ヴィオラ二本とチェロ(ヴィオラ一本でチェロ二本という場合もある)。似ているといえば似ている。若しかしたら、何か、両者底流に相通ずるものがあるのかもしれませんね。(と語れる程まだ良く解っとらんのですけれど...)
 あと私としてはですが、目立つのが、ピアノ・ソナタ及びピアノ三重奏等のピアノ系十二枚。本来、ピアノと言う楽器に何とはなしの「冷たさ」を感じ、ピアノ系楽曲は苦手にしていたのですが、グールドさんを知った御蔭で、苦手意識が嘘のように霧消し、他の弦楽器系同様に聴けるようになりました。彼のプレイには、「冷」に関わるような印象が無い。私的には、彼の作品との出会いは、非常に大きい。有難いことです。

 何時まで続くか定かではありませんが、このクラシック度上昇期、暫くは、身を委(ゆだ)ね、ブレーキかけずに突っ走ってみたいと思います。仮に一過性であったとしても、何かは、残してくれるでしょう。一寸でも、日々を楽しいと思わせててくれるものがあれば、(余り環境に負担かけない範囲で)有難く、享受したいと思うのです。

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*クラシック音楽:狭義には18世紀中頃から19世紀初頭にかけてハイドン・モーツアルト・ベートーヴェン等によって築かれた「古典派」音楽を指す。広義には17世紀から20世紀にかけての西洋芸術音楽全般をさす
*室内楽:少人数(一般に二〜九人くらい)の独奏楽器による合奏音楽。元来は教会や宮廷の一室で演奏された音楽を指す。ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏や五重奏、またピアノ三重奏・四重奏など様々ある
*弦楽四重奏:ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1の編成。ハイドン、モーツァルトを経ベートーヴェンにより交響曲・ピアノソナタに並ぶ存在として確立。室内楽を代表するジャンル。古典派時代には数多作曲されるも続くロマン派時代には一部を除き作品は少ないが、人気は現在に至るも高い。略して「弦四(げんよん)」とも
*管弦楽曲:オーケストラにより演奏される楽曲。交響曲・協奏曲も含まれるが、その二つを除いたものを指して使われる場合も多い
*ロマン派:古典派に続く時代、1820年頃〜1900年頃の欧羅巴音楽。音楽家に芸術家意識・個人様式の自覚が強まる
*アレクサンデル・マルコフ:露西亜のヴァイオリン奏者
*ギドン・クレーメル:ラトビアのヴァイオリン奏者
*イツァーク・パールマン:イスラエルのヴァイオリン奏者
*グレン・グールド:加奈陀のピアニスト。'55年衝撃のデビュー、'82年早世。可也「ロック」
*スメタナ四重奏団:1945年結成のチェコの楽団
*メロス四重奏団:1965年結成の独逸の楽団。「メロス」はメンバーの名前の組み合わせから
*ベルリン弦楽四重奏団:1965年カール・ズスケによって結成された独逸の楽団。「ズスケ・カルテット・ベルリン」とも
*アルバン・ベルク弦楽四重奏団:1970年墺太利で結成
*ハイドン・セット:フランツ・ヨーゼフ・ハイドンに献呈された弦楽四重奏曲第14〜19番の六曲よりなる作品
*ラズモフスキー・セット:在ウィーン大使ラズモフスキー男爵に献呈された弦楽四重奏曲第7・8・9番の三曲よりなる作品
*ネオ・クラシカル:へヴィ・メタルの一ジャンル。DEEP PURPLERAINBOWのリッチー・ブラックモアに始まる。イングヴェイ・マルムスティーンが完成者であり代表者。他にANGRA・IMPELLITTERI・SYMPHONY X・ARTENTIONなど。またオーケストラとのアンサンブルを軸にしたシンフォニック・メタルも近しい間柄。ネオ・クラシカル、シンフォニック・メタルに限らずとも、HR/HM全体、特にギターやキィボードのプレイなどクラシックの影響は色濃い
参考:MUSIC PAL クラシック倶楽部 CLASSIC MUSEUM

'08 卯月十九日 ヒトリシズカ
 私の母校である、近所の小学校の脇に、通用門へと続く細い道路が、東に隣り合う病院の大きく育った樹々に半分覆われるように伸びています。学校の通用門までは舗装されているのですが、門を越えると、車止めが設置され砂利道に変わり、そのまま、学校裏の雑木林へと続いて行きます。一人静
 この道、細く暗く地味な割には、雑木林に散歩(ヒト及びイヌ)に訪れる人々や、ここの北方向にある鉄道の駅へ向かう人々(多少近道になる)など、結構多くの人が利用しています。斯く言う私も、その駅への近道として、先日珍しく利用しました(滅多に電車に乗らないので)。結構急いでおったのですが、何気に見た路傍に右の植物を発見。時間に遅れるかもしれないのを覚悟で、道端にしゃがみ込んで数枚の写真を撮影。一度は時間を考え、数m通り過ぎたのですが、この辺りで見掛けたのは初めてでしたし、花期も終わりに近づいているのを感じた為、思い返して、丁度見回りにやって来たフェンス向こうの病院の警備員さんに思いっ切り怪しまれながら(ナースさんの寮のすぐ横なのですよ)撮った次第です。
 駅到着の予定時刻に遅れながら撮ったこの植物、「ヒトリシズカ」と言います。その名は、やや薄暗い木立の林床(りんしょう)にひっそり咲くことが多いので、ひとりで静に...と言う意味にもとれますが、漢字で書くと「一人静」。「静」は形容動詞ではなく固有名詞の「静」、つまり、日本史上最大のHEROのひとり、源義経の彼女、「静御前」の如く清楚で美しい花の穂が一本、との意。別名に、静がその舞をもって追手を惹き止め、無事義経を落ち延びさせた言う、能の作品(観阿弥作とも世阿弥作とも言われているが作者不詳)に因むのでしょう、「吉野静」というものも持っています。写真の株は、大分葉が開いていますが、開ききらないやや赤見がかった小さな葉に、花が抱かれている様な頃が、一般には最も美しいとされています。以前、と言っても遥か少年時代ですが、下界に比べまだ春浅い奥多摩の山を降りてくる途中、登山道脇に見つけた株は、そんな状態でした。本当に「ひとり」ひっそり咲いている、と言った風情で、山歩きで出逢った花の中でも、最も印象に残るものの一つとなっています。

 近所の雑木林で、ヒトリシズカに出逢ったのは、少々驚きでしたが、以前は、左程珍しくはない存在だったのでしょうね。このての植物、金蘭 都市近郊では邪魔者扱いされがちな雑木林を(平地では)主な生育地とする(人間から見て)姿の美しい植物、カタクリやキンラン(左画像)・ギンラン、或いはそれらとはまた異なる美しさを持つカンアオイ(右下画像)は、雑木林の減少と盗掘・乱獲で個体数を減らし、分断され孤立化した雑木林の中で部分的な絶滅を繰り返して来たのでしょう。タマノカンアオイか?
 この雑木林は、この辺りでは大分と広い方ですが、私の少年時代に比べれば、北及び西に隣接する都立病院の拡大・増設、また道路の拡張等で2/3程に縮小。周辺にも緑地は他地域より比較的多く存在しますが、よく比喩されるように、絶海の中の孤島の如く、まさに孤立点在している状態で、移動能力に乏しい生物達にとっては、他個体との交流は非常に難しく、遺伝的多様性も失われ、種は衰退に向かう...という良くある図式のように思われます。一般に、森林に生育・生息する生物種の数は、森林の面積に比例しますから、個々の雑木林が蚕食(さんしょく)され縮小されれば、ますます生物種は減少し、生態系の豊かさは失われてゆく。
 雑木林に生育・生息する生物の衰退の原因としては、開発行為や乱獲・盗掘ばかりではなく、根本的には、雑木林の社会における存在意義の変化が大きい。雑木林は、元来一種の農地として、作られ維持されてきたものです。クヌギやコナラの樹齢15〜30年のものを伐採し薪や炭の材とする、柴(小枝)を燃料とする、落葉を集め堆肥とする等という形で生活の中で利用されていました。人工林ですから、常に人手が加わらないと維持は出来ません。放っておけば、この辺り(関東中・南部)ですと、やがてはシイ・カシなどの常緑広葉樹によって占められる森へと、遷移し安定します(極相林)。それを防ぐ為、農家では定期的に下草を刈り、また林床に陽が差し切り株からの萌芽枝(ほうがし)が良く育つようにという意味も込め、適時に伐採を行ってきました(左下画像)。それにより、多くの草花が生育し多くの昆虫や鳥などの生息する独特な生態系を持つ「雑木林」と言う環境が創ら或る程度管理された雑木林 れまた維持され、江戸期よりこの武蔵野に存在し続けてきた訳です。しかし、1950〜60年代頃より、一般家庭でもガス・石油・電力が使用されるようになり(燃料革命・エネルギー革命)、薪炭の需要は激減。肥料も化学肥料へと急激に転換が進み、すっかり雑木林はその経済的・実用的意味合いを失ってしまいました。そして、放置され笹(この辺りではアズマネザサ)が繁り、シイ・カシなども育ち、極相林へと遷移が進み始め、(雑木林に棲む)多くの動植物たちが姿を消すことになった...と言うのが、一番大きいでしょうね。こうした農地或いは経営林としての雑木林本来の存在意義が失われたからこそ、そのままでは何も生み出さず、固定資産税や相続税ばかり掛かる厄介者扱いになってしまい、どんどん売却され失われていったのですものね。
 遷移にまかせた「自然」な森。シイやカシの繁る常緑広葉樹林(照葉樹林)。今でも、近所の古い神社やお寺の境内或いは敷地内に見られるこの地域での極相林も重要な存在です。それは本来のこの地域の姿また生態系を見せてくれます。でも、雑木林も良いではないですか。原生自然と人の暮らしとの接点、融合点。地域地域の、長い人と自然との歴史的或いは文化的関係を具体的に表しているような存在に、私には見えます。
 近所ではもう、公園に指定されているものや、古い比較的大きな施設(大学・病院等)の敷地の隅などを除き、雑木林はすっかり失われてしまいました。小学生時代はクワガタムシを追いかけ、中学時代はバード・ウォッチングで野鳥を追い求めて雑木林に入り浸っていた私としては、非常に寂しい。
 でも、幾ら私が寂しかろうと悲しかろうと、雑木林の多くは個人所有ですから、生活や納税(税制も工夫が必要)の為に手放さねばならないと言う現実は、厳として変わらない。こうした土地は、公有地化による保全が望ましいですが、そうなったらなったで、市街・住宅地の雑木林や竹薮・竹林の場合、常に付いて回る落葉や日照、またごみ不法投棄の問題なども、難しい。また、農業地としての利用が実質失われた現在、定期的伐採や下草刈り等の手入れを誰が如何行うのか等の問題もある。行政や市民団体、周辺住民などの協力による、管理が必要となってくる。迷惑がられる存在では長期的保全は、難しいでしょう。
 けれど、雑木林に実用的価値や経済性が復活させられれば、雑木林の継承も行いやすい。実際、雑木林を「保存」するだけでなく、園芸・緑化事業・有機農業等への腐葉土への落葉の利用など、現代における、新たな実用的・経済的意味合いを持たせる、社会・人との関係の創出も、始まっているようです。(竹薮なんかも箸とか紙とかなど等竹製品への利用が確立されて実用性・経済性が復活すれば、放置されて挙句伐採...等と言うことは減るよな)

 雑木林。道路・病院・商業施設或いは宅地と性質は異なるも、総体的にはそれらと同等或いは対等な価値ある存在と思いますが、どうでしょう?多くの自治体で、緑地の保全・回復に関する条令が設けられ、国として雑木林の樹冠 も、「新・生物多様性国家戦略」中で、雑木林を含む里山の存在の重要性を述べている、のにも拘らず、日々失われ行く緑地。結局、経済性や利便性に縁のない存在については、本質的には行政は重要性を認めない、と言うことか。
 四季を通じ、雑木林を散歩・散策されている方の多さを見ても、其処に咲く花々や訪れる小動物たちに親しんでおられる方々を見ても、多くの市民が、雑木林に大きな価値を感じているように思いますが...。企業・行政の方々にも、是非その辺り、考えて頂きたいし、市民も緑地の恩恵に与る身として、それ相応な負担も必要かもしれません。都市近郊の場合、一寸した雑木林でも地価数億円とかですからね。ナショナル・トラストなどの方法もあるし。

 でも、雑木林などの保護って、そこでの生き物達との出逢いを紹介したり、散策の途中にごみを一つ拾ってくる...なんていうところから始まるのかも知れませんね。

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*ヒトリシズカ:学名Chloranthus japonicus センリョウ科センリョウ属。山地の林下等に生育する多年草。高さ20〜30cm。北海道から九州の日本の広い範囲他中国・朝鮮半島・サハリン等に分布。花期は4〜5月。花びらのように見える白い部分はおしべ
*カンアオイ:学名Asarum kooyanum var. nipponicum ウマノスズクサ科カンアオイ属。山地の林下に生育する多年草。同属には多数の種分化が見られ「カンアオイ(寒葵)」はそれらの総称としても使われる。非常に丈が低く地面すれすれに花をつける(画像の下部に写っている)。画像のものは、花の時期からするともしかしたら関東固有種「タマノカンアオイ」(絶滅危惧II類(VU)(絶滅の危機が増大している種))かもしれない
*キンラン:学名Cephalanthera falcata ラン科キンラン属。山地・丘陵の林下に生育する多年草。中国・朝鮮半島及び北海道を除く日本に広く分布。人工栽培が極めて難しいことも盗掘されやすい理由の一つか。絶滅危惧II類(VU)(絶滅の危機が増大している種)
*里山:人里離れた「奥山」に対応する語。集落・耕地及びそれらに隣接し密接な関係を持つ林地(雑木林)を含む一纏まりの地域。一つの景観、或いは一つのシステム・生態系としても捉えられる
*雑木林:関東南部ではクヌギ・コナラ・イヌシデ等の落葉広葉樹およびアカマツを中心とする二次林。人為的に作られ管理されてきた樹林地。木は薪炭に落葉は肥料に利用されてきたが、ガス・石油・電力また化学肥料の普及と共に利用がなくなり、実用価値の低下と共に省みられなくなってきた。然し現在、地域の環境面や歴史・文化的或いは景観、精神的面での価値が再確認されつつある。里山の中心
*二次林:伐採・災害等で森林が破壊された跡に成立(二次遷移)した森林。日本の全森林中36%を占めると言われている
*極相林:植物群落が遷移(構成種が年月と共に気候・地形・土壌等の環境条件に応じ徐々に変化していくこと)し最終的に到達し安定した状態を「極相」と言い、それが森林の場合、「極相林」と呼ぶ。一般に北海道北・東部はエゾマツ・トドマツ、東北日本はブナ林、関東沿岸部から西南日本はシイ・カシ林が代表的
*奥多摩:東京西部、奥多摩町を中心としてその周囲に広がる地域。多くが山地で登山・ハイキングが盛ん。最高峰は雲取山(2017m)
*竹薮・竹林:一般に自然な状態にあるものが「竹薮」、管理された状態にあるものが「竹林」。タケはイネ科タケ亜科に属するもの(分類には諸説ある)のうち大型のものの総称(小型のものは「ササ」)。日本のタケの多くは中国からの外来種。以前は雑木林同様農家に様々利用されてきたが現在は多く放置され雑木林へ侵入し生物種の多様性の低下を引起すことが懸念されている
*武蔵野:武蔵野と言えば草原・原野のイメージが強いですが、江戸期頃より新田(主に畑)開拓に伴いまた江戸都市部への燃料供給源として雑木林が作られていった
*新・生物多様性国家戦略:生物多様性条約に基づき1997年策定された「生物多様性国家戦略」の2002年改訂版。2007年に「第三次生物多様性国家戦略」として更に改定されている
*生物多様性条約(生物の多様性に関する条約):1992年ブラジルでの「国連環境開発会議(地球サミット)」で採択。生物の多様性を「生態系」「種」「遺伝子」の三つのレベルで捉え、生物多様性の保全・多様性構成要素の持続可能な利用・遺伝資源の公正な配分を目的とする
*ナショナル・トラスト:自然環境や歴史的建造物などを募金を募り取得し保全・管理し公開しながら引き継いでゆくことを目的とした環境保護活動。自治体に買い上げ・保全を求める活動も含める場合がある。英吉利のボランティア団体「ナショナル・トラスト協会(The Natinal Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)」の名及び活動に由来
参考:雑木林へようこそ!里山の自然を守る 里山を考える101のヒント EICネット

'08 弥生二十日 横断
 春も本格的になり、花粉症も本格的...と同時に東京多摩では、ヒキガエルの繁殖活動も、本格的になってきます。
 ヒキガエルの繁殖期は地域によって大分異なるようですが、この辺りでは、今頃ですね。以前、国立にお店(今の前身の古本屋)があった頃、夜遅く自転車で家路を辿っていると、近所の公園内にある市営プールから、賑やかに彼女ら彼らの鳴声が聞こえ、柔らかくなった夜気と共に本格的な春の雰囲気を醸してくれていました。ヒキガエルが産卵、そして孵化後に水場、詰まりこの場合市営プールを利用するのは、今頃からせいぜい5月くらいまで。ここのプール開きは7月。清掃が始まるのはそのちょい前ですから、人間の利用時期と被らないのです。ヒキガエルは、においを頼りに、自らの生まれた水場に戻り産卵すると考えられています。彼らの行動範囲がどの程度かは不明ですが、個体によっては、そこそこ遠くから、このプールにやって来るのでしょう。大変です。結構幅広な道路も増えましたからね。
 ヒキガエルの移動は夜間です。国立の店に通っている頃、毎年この時期は、暖かな雨上がりの朝が憂鬱でした。何故と言って、必ず、雨にぬれたアスファルトに、彼ら彼女らの無残な亡き骸を何体か目撃することになるからです。自動車の場合、前方の路上にいるヒキガエルに気付き注意しても、直前になると下方は運転者からは死角ですから、轢いてしまう...と言うことになってしまうのでしょうか...。
 こうした事、道路上で野生動物が自動車に轢かれる事故―ロードキル(runover death)を減らそうという試みも、多く為されています。侵入防止フェンスを設置、道路上に橋を設ける(サル・リス等)、道路下に動物専用トンネル(カニ・カエル・タヌキ・キツネ等)を設ける等...。郊外の住宅街にも、最近は幅広な道路が通されることが増え、住宅街に棲む飛行能力の無い小動物達にとっては、生活圏の分断が深刻でしょうね。人間でも、お年寄りなどは横断に苦労する広幅員道路。小動物にとっては、横断は正に命懸けだものな...。幅は狭くても、抜け道に利用されて、矢鱈に交通量の多い生活道路もあるし...。
 ロードキル防止に、アンダー・パスやオーヴァー・ブリッジを設置するのも、後々付加するのはなかなか大変だし、予算もいる。構造上設置不可の場合もある。そこで、標識。山間部や海辺等、或いは希少生物生息地域の道路では、シカやキツネ、或いはカニ等の描かれた、「飛び出し注意」の道路標識は結構あるようですが、一般の市街地や住宅街ではなかなかお目にかからない。「ヒキガエル横断注意」の標識、設置してくれないかな。近所の瑞穂(みずほ)と言う町では、最近、ヒキガエルが産卵の為に渡ることの多い道路に、注意看板を設置したと新聞の地域版に掲載されていました。ネットで彼是調べると、北海道の「エゾヒキガエル注意」の標識(エゾヒキガエルはアズマヒキガエルが人為的に移入されたものとの見方が一般的なようです)や、独逸・英吉利の同様な標識などあるようです。こうした道路標識にどれ程の効果があるのか、解り難いですが、運転者に多少なり注意を喚起し、多少なり速度の抑制が行われれば、運動のエナジーは速度の二乗に比例するから(と言うことは速度が1/2になれば運動エナジーは1/4)、或る程度は事故抑制になるのでは...と思うのですけれど。

 野生動物達の交通事故。解る範囲で調べてみました(但しイヌ・ネコも含みます)。

中日本高速道路(NEXCO中日本)管理内で交通事故にあった動物は、
2006年度 5,726頭(タヌキが≒30%)

西日本高速道路(NEXCO西日本)管理内では、
2005年度 14,667頭(タヌキ6,510頭 鳥類2,532羽 イヌ・ネコ1,751頭 その他3,874頭)

高速道路全体では、
1989年度(4,558km) 22,536頭
1998年度(6,418km) 29,839頭
2002年度(7,112km) 35,933頭(タヌキ13,842頭 ネコ4,046頭 ノウサギ2,642羽 イタチ2,622頭 トビ2,399羽 カラス2,378羽 その他8,004頭)
2004年度(7,340km) 35,681頭(タヌキ≒40%)

 高速道路だけ、且つ報告されただけですから、全国の一般道、市道・町道・村道また林道など含めたら、また昆虫やカエル・ヘビ等まで含めたら、一体どれ程、道路上で落命しているのやら...。利便・経済性と野生動物の保護。道路建設・拡張で、当初からこの両者が並立に考慮されていれば良いのだけれど、大体前者ばかりなのだよね、考慮されるのは。野生動物に限らず、お年寄り、子どもなどの、所謂、交通弱者(と呼ばれている存在)のことは余り考慮されているようには感じられない。道路幅が広いだけで、お年寄りにとって、大きな障害となる。渡る事自体難儀だし、最近近所に開通した広い四車線道路は信号待ちの時間も長い。夏は炎天下、冬は寒風の中、雨天なら当然雨の中、お年よりも小さな子ども達も長い信号待ちに耐えねばならない...。近所のこの道路では、横断歩道と横断歩道の間隔が可也広いので、信号までが遠回りになる為でしょう、お年寄りが、横断歩道も信号も無い場所で渡ろうとしようとしているのを、何度か見掛けました。
 この瞬間も、全国で、大小様々な道路が建設されています。果たして、其の内、どれだけの道路が、本当に必要且つ正当また妥当なものであるかは、残念ながら不明ですが、道路、造るならもう一寸、周辺・地域住民や生態系・自然環境、お年寄りや野生動物等を包含する広い視野を持って造ってほしいな。
 地域や個人によって、道路や自動車の存在の意味や価値は様々で、一概には言えないと思うけれど...、でも、何時までも止まぬ道路建設...延長...。行き着く処は、何処...? (♪I'm on the Highway to Hell (by AC/DC) ...)

 話し逸(そ)れましたな...。夜間走行、ヒキガエル達にも是非ご注意を。

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*ニホンヒキガエル:学名Bufo japonicus 両生綱無尾目ヒキガエル科ヒキガエル属。アズマヒキガエル(主に東日本)とサツマヒキガエル(主に西日本)の二亜種が知られる。低地から高地まで生息範囲は広く市街地でも見掛ける。昆虫、ミミズ等の小動物を摂食。陸棲で繁殖期以外は水場には近寄らない。ブフォトキシンと言う毒を皮膚から分泌する。ヤマカガシが頸部から分泌する毒はヒキガエルを捕食することによってこの毒を蓄積させたもの
*ヤマカガシ:学名Rhabdophis tigrinus 爬虫綱有鱗目ナミヘビ科ヤマカガシ属。日本・台湾・中国南部等に広く分布。体色変化が大きいが赤と黒の斑紋が体側に目立つ。奥歯に毒(血液毒(出血毒))腺を持ち(最近まで知られていなかった)死亡事故も起きている。元来大人しい性質で攻撃性は低いので無闇に手を出さない限り噛まれることは無いとされている
*ロードキル(runover death):狭義には動物が道路上で自動車に轢かれること。広義には側溝への転落、照明への衝突等道路に起因する動物の被害を含める。生態系への影響や自動車走行の安全性など問題視されている
*野生動物の交通事故:道路網の拡大につれ、道路が野生動物の生息域を分断し建設されるようになった為、また交通量が増大した為等により、近年全体として増加傾向にある。観光客等が自動車から野生動物に食べ物を与えることも原因となる(道路に出て自動車に近づく)。タヌキ(自動車を見て身を竦(すく)めてしまう為らしい)・ノウサギ・イタチ及びトビ・カラス(轢死体に集まる為)が多い。野生動物を避けようとして人身事故に繋がるケースも少なくない。また、道路等による生活圏の分断は個体間の交流を阻害し遺伝的多様性が失われる(生殖能力の低下に繋がる)場合もあり生態系への影響も懸念されている

'08 如月二十六日 沖の太夫(おきのたゆう)−アホウドリ
 現在、東京都小笠原諸島聟(むこ)島への、アホウドリ再導入が行われているのを、ご存知でしょうか。
 翼開長≒2.4m、全長≒95cmと言う可也大型の海鳥であるアホウドリは、嘗て、広く北太平洋に生息し、100年ほど前には推定500万羽いたと考えられています。が、現在生息数は、≒2500羽。以前は、伊豆諸島の鳥島(とりしま)、小笠原諸島の聟島列島、西之島、大東諸島、尖閣諸島、そして台湾周辺等多くの繁殖地が存在しましたが、19世紀後半、羽飾り、羽毛布団等に利用するための羽毛採取の為の捕獲が上記繁殖地で始まり、多くの個体が捕獲された為(鳥島だけで500万羽、全体では1000万羽程も殺されたと言われています)、鳥島では1930(昭和5年)年に≒2000羽、同32年には数百羽、同33年に数十羽に減少。1949年にはGHQの鳥学者オースチン氏により絶滅の可能性が大きいとされましたが、その2年後、鳥島測候所所員の方が少数個体を再発見。その後、所員の方々や長谷川博氏(現東邦大学教授)による観察・研究・保護活動が行われ、生息数が回復。しかし、現在繁殖が確認されているのは、地球上で鳥島と尖閣諸島のみです。
沖の太夫  上記二箇所の繁殖地の内、鳥島には約2100羽、尖閣諸島には約400羽いますが、鳥島は火山島であり、若し多くの個体が鳥島に集中する繁殖期に噴火(ここ100年余りで3回噴火。1902年の噴火では島民125人全員死亡した)が起きれば、繁殖集団は甚大な影響を受けるであろうし、尖閣諸島は中国(中華人民共和国)及び台湾(中華民国)と領有権問題を抱える為、満足な保護政策は取りづらい状況。よって、第三の繁殖地が必要と言うことになり、候補地の絞込みや、近縁種(クロアシアホウドリ)によるシュミレーション等々、プロジェクトが進められていました。
 最終的に新繁殖地とされた聟島は、非火山島であり、嘗てのアホウドリ繁殖地であり、現在もアホウドリの飛来が確認されており、アホウドリ再導入で影響を受けるような固有種もおらず、無人島であり、尚且つ鳥島からも比較的近い(≒350キロ南)上すぐ隣に父島と言う小笠原の中心島(物資調達・活動拠点に便利)がある等の理由により選ばれました。
 このアホウドリ再導入プロジェクトは、民間の山階(やましな)鳥類研究所が中心で、それに環境省とアメリカの魚類野生生物局が共同で行うもの。でも、主導は実質アメリカとも言われています。引越し自体の費用は≒2000万円程らしいのですが、気になるのはその費用の出所。半分は山階鳥類研究所持ちで、残り約半分はアメリカの予算なのだそうですよ。環境省はほんの一寸しか予算出してないとか。今回のアホウドリ再導入計画だけでアメリカは4年で≒3億円拠出するのだとか。それに対し日本は国内の種の保存法に基づく野生生物保護増殖事業に対し、年間予算が≒3億5千万円。これは38種の野生生物に対してです。この差は...。
 日本とアメリカのこの予算、と言うより野生生物保護に対する姿勢の違いは、昔から強く感じ、日本の姿勢にがっかり、アメリカの姿勢に羨望...と言う事を多くの方が経験していると思うのですが、これは、両国の歴史や文化の違いに深く根ざしている事柄で、とても私なんぞが一朝一夕に理解できるものでも軽々しく語れるものでもないのです。でも、一つこの両者の姿勢の違いに関わるような、面白い事が書かれているのを見つけました。「アメリカは保護にお金がかかっても、早く絶滅危惧指定を解除して、漁業への支障をなくそうという考え方だ(長谷川博氏弁)」というもの。この文章を書くに当たり大きく参考とさせて頂いた、新聞連載記事中にあったものです。文中の漁業への「支障」と言うは、アホウドリ保護の為の漁場閉鎖という規制のことです。アホウドリの保護でなんで魚場閉鎖?とお思いと思いますが、それは、漁における混穫(こんかく)と言う問題があるからです。マグロ、タラ等の延縄(はえなわ)漁で、海鳥達が、漁船から針付きの縄を投げ入れる際、針に付いた餌に食い付き、海中に縄ごと巻き込まれて落命してしまうと言う事故が多発し、年間約30万羽(内アホウドリ及び近縁種は10万羽)も混穫の犠牲になっている為です。この問題で希少なアホウドリが混穫されている事を重視したアメリカ魚類野生生物局が、条件付ですが、魚場閉鎖規制を敷くこととなった訳です。
 このようなアメリカの厳しい姿勢に対し日本はといいますと、水産庁が混穫問題に対応し技術の開発も行っているらしいのですが、全体的に漁業保護の観点から積極性は見られないらしい。でも、アメリカだって漁業保護の立場は一緒なのですよね。ただ、アメリカは漁業規制をしてもやがては規制しなくても良い程にアホウドリを殖やしてしまえば良いのだ、と言う考え。対し日本は漁業規制は何とか避けて行きたいという当たらず触らず姿勢。この違いですよね。考えが前向きですアメリカは。こういう積極的姿勢は、見習いたいものです。産業の保護と野生生物の保護の両立は、人類長年の課題で、非常な難問とは思いますが、少なくもアメリカは、その両立を始めから念頭に置いているのに対し、日本は始めから産業保護に傾斜気味で両立は余り念頭に無いように思われます。この積極性の違いは、国民性の違いと言うものも有るかとも思いますが(動物愛護と言うものに対する考え方の違いもあるでしょう(動物愛護と野生生物保護は別物ですが))、それプラス、野生生物は生態系の構成要素であり、その保護は生態系の保護ひいては環境の保護に繋がるものである、という事への理解の深さの違いと言うものも、多分にあるのでしょう。
 アホウドリの繁殖地が日本のみ(尖閣諸島は微妙な問題を抱えてますが)とは言い、行動は北太平洋外洋域に可也広く、アメリカの領土も広く含まれる(アメリカの絶滅危惧種に指定されている)ので、アメリカの魚類野生生物局と共同でのプロジェクトとなるのは解るし、結構なことと思いますが、正直、日本主導でない事は、残念です。

 今月19日、鳥島燕崎繁殖地から、生後40日程のアホウドリの雛10羽がヘリコプターによって、350km離れた聟島へ移送されました(一寸可哀想だけどね)。アホウドリの雛は、育った場所を記憶し、巣立った後繁殖の為に同じ場所に戻ると考えられています。よって、今回移送された雛達が聟島で人工飼育(スタッフの方々は交代で常駐です)され巣立てば(巣立ちは約3ヵ月後)、数年後(7歳頃から繁殖参加)、彼女ら彼らは、再び聟島に戻って繁殖し、新たな繁殖地が形成される...と言うことになります。このプロジェクトは今後5年間継続し、計50羽の雛を移住させる予定とか。上手く行くと良いな...。ボンビーな私が伊豆や小笠原の外洋に出掛けてアホウドリにお目にかかることは、恐らく死ぬまで無いでしょうが、1000km彼方の彼女等彼等の姿を、東京の地からイメージすることは出来ます。其れだけでも嬉しいね。

5月30日追記:5月26日、聟島の雛達は全員無事巣立ったそうです。十羽中五羽には発信機が装着され、人工衛星により行動が追跡調査されます。

2010年2月12日追記:2月10日午前、研究員の方により、2008年5月に聟島を飛び立った10羽のうちのオス1羽(3歳)が、帰還したことが確認されました。繁殖は凡そ5〜7歳からなので、まだ先のことですが、取り敢えずは、聟島繁殖地化計画は第一関門が突破されたこととなります。上の追記にもあるように一部個体に発信機が装着されていますが、5羽中4羽が2008年夏までにベーリング海に到達していることが確認されているので、おそらく帰還個体も同様ルートを経由したのではなかろうかと考えられているようです。

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*アホウドリ:学名Phoebastria albatrus ミズナギドリ目アホウドリ科。国際保護鳥。国内では環境省レッドリスト絶滅危惧II類、特別天然記念物、国内希少野生生物種。寿命は≒20年、一産一卵、一夫一婦で生涯パートナーは変えない。非繁殖期にはアリューシャン列島、アラスカ沿岸、ベーリング海等移動。洋上でイカ・魚等を捕える。長大な翼の為海上・地上から飛立つには長い助走と向かい風が必要
*沖の太夫(大夫):山口県での古い呼び名。沖合いに飛ぶ立派な鳥、といった意味合いでしょうか(アホウドリ保護・調査・研究において中心的活動を行ってきた、上記にも登場して頂いた長谷川博氏はこの名に変更することを主張しておられます)。其の他にも、らいのとり(北部九州)、しかべ(北海道(アイヌ語))、とうくろう(高知)、だいなんかもめ(関東)、しろぶ(伊豆・小笠原)など等。簡単に捕まるので阿呆鳥、馬鹿鳥などと呼ばれたのですが、失礼よね
*再導入:本来生息していた地域に、絶滅した生物種或いは絶滅の可能性が高い生物種の個体群(集団)を定着させる試み。生態系の再生を図るものと言える。現在兵庫県でコウノトリの再導入が実施されている(参考
*延縄(はえなわ)漁:一本の長い幹縄に針をつけた多数の枝縄(延縄)を暖簾状に垂らした延縄を用いた漁法
*鳥島:伊豆諸島南端の火山島。直径2.5km、周囲7km、高さ394mの無人島で島自体が天然記念物。嘗てはアホウドリ捕獲の為住人が存在した時期もある。ジョン(中濱)万次郎漂着地(十四歳のとき漂着しアメリカの捕鯨船に救助される)
*聟島:ケーター島とも。東京都小笠原村に属する面積2.57平方kmの無人島。嘗ては放牧、サトウキビ栽培など行われていた
*尖閣諸島:東シナ海西表島の北方に位置する。中国名「釣魚島」、台湾名「釣魚台列嶼」。日清戦争中の1885年以降日本が領有を主張(現在沖縄県石垣市に帰属)。その後特に問題視されること無く来ましたが、1971年に台湾と中国が領有を主張。この背景には、1968年の海底調査により有望な石油資源が周辺海域に存在する可能性が出たことが影響しているのではとの見解もある。1971年にアホウドリの繁殖が確認された
*混穫:漁業で目的以外の生物(魚やエビなども含む)を捕獲してしまうこと。偶発的捕獲とも言う。海鳥の他ウミガメ、イルカ等が混穫されることが多い。海鳥混穫対策の一つとして「トリポール」という日本で開発された混穫防止器具が各国で利用されている。捕獲率は1/3に減らせるそうです。ウミガメについての或るデータでは、年間にオサガメ5万頭・アカウミガメ22万頭が混穫されているとか。FAO(国連食糧農業機関)は1999年混穫防止の為の国際行動計画を策定し各国が国内行動計画を策定するよう求めた
参考:山階鳥類研究所HP 環境省HP アホウドリ復活への軌跡HP WWF 読売新聞連載「アホウドリ引越し作戦」他

(画像は、無料イラスト・サイト「イラストAC」よりお借りしました)

'08 睦月一日 賀正
新年明けましておめでとう御座います
昨年中は、お世話になり、有難う御座いました。本年も又、どうぞ宜しくお願い致します。

 「一月一日」。何故?何故今日のこの日が一年の始まりの日なの?と...疑問に思ったことはありませんか。私は有ります。
 地球が太陽の周りの公転軌道を一周するのが一年。公転軌道上の或る一点から、その一点まで戻るのに掛かる時間が、謂わば一年。この「或る一点」は、別に軌道上のどの点だって良い訳ですよね。北半球で言う冬のこの時期でなくったって、もっと暖かい春の、草木が芽を吹き、自然も人も活動的に成る時節、そんな時期でも良いし、或いは、冬は冬でも、少しづつ日が伸び始める冬至の翌日当たりでも良いし。ねぇ。
 現在、我々が使用している暦は、「グレゴリオ暦」(日本では明治5年(1871)採用)。この暦の元ネタは古代ローマ時代に制定された、ユリウス暦。でこのユリウス暦以前に使用されていたのが、ローマ暦と総称される、暦(太陰太陽暦)。よって、このローマ暦が、我々が今使用している暦の大本の大本と言えると思いますが、この頃、一年の始まりの月は、現在「3月」と呼ばれている月、春分の含まれる「Martius(マルティウス.英語でMarch)」でした。このMartiusのKalendae(カレンダエ.月の初めの日)が、現在の一月一日に相当する日だったのだそうです(中国では前漢までは冬至、後漢以降は立春(節分の翌日)基準で年初の月が定められ、日本も同様でした)。
 古代ローマでは、紀元前8世紀に、ロムルス暦(ロムルスはローマ建国の王)が採用されたが、一年が約304日・10箇月で、農耕に余り重要ではない冬場の約60日は日付が無く、年の始は春分辺りと言う結構のんびりした暦でした。
 でも此れでは、不便と言うことで紀元前713年、国王ヌマが改暦し、11箇月目にJanuarius(ヤヌアリウス)、12箇月目にFebruarius(フェブラリウス)を付加し、一年355日・12箇月としました。でもこの時点でも年の始めは春分近い新月(月が太陽と同方向にある時。満月の反対)の日でした。因みに、実際の一年とのずれは、最期の月Februariusの23日のあとに22若しくは23日を適時加えることにより調整され、それが現在、閏(うるう)年を2月の日数で調整するという形で残っています。
 さて、問題は紀元前153年。この年大きな改暦が行われ、年初の月が、MartiusからJanuariusへと変更されました。この理由がねぇ、良く解らないのです。Januariusは「ヤヌスの月」と言う意味で、ヤヌスはローマ神話で門や戸口の神様で、門・戸口→入り口→ものの始め→年の始め...と言うことで、Januariusを11番目の月から1番目の月へと格上げ(?)した、と一般的には言われているようです。あと、以前より慣習的にはMartiusが年初とされていたけれども、政治・公用上はJanuariusが年初とされていた為、面倒だから一緒にしちまえ、と言う事であったという説も良く見掛けます。どれが真実かはたまたそうではないのか、私には解りません...。
カレンダー(pixabay) 私に解ろうと解るまいと、紀元前46年、かのユリウス・カエサルが、それ以前の暦とは異なる太陽暦である「ユリウス暦」を制定し、又改めてJanuariusを年初の月とし、そのJanuariusのKalendae、詰まり一日(ついたち)を一年の初めの日と定めました。そして、この暦がのちのち長く使用されて行くのですが、この暦、一年365.25日、四年に一回Februariusに一日足して閏年とするいうもので、一年当たり≒11分実際より長くなってしまう。為、誤差の蓄積が無視できなくなり、1582年、ローマ教皇グレゴリオ十三世により、改良され、「グレゴリオ暦」として制定され...現在も使われている。よって、JanuariusのKalendaeが、一月一日になった、ということなのだそうです。
 要するに、一月一日が今日のこの日であるというのは、天文学的にはなんら意味は無かったのです。やっぱり、一月一日は、地球の公転軌道上のどの一点でも変わりは無いのですね。でも、2000年以上前に定められたことが、今だ続いているというのは、それはそれで、感慨が深いですな。
 彼是(あれこれ)調べていて思ったのですが、月の名前に単に数詞を使うのは味気なくないですか。其々に民俗的或いは歴史的意味合いやらを持つ名前を使いたいですね。日本でも良い名前が有るではないですか。
 睦月(むつき)
 如月(きさらぎ)
 弥生(やよい)
 卯月(うづき)
 皐月(さつき)
 水無月(みなづき)
 文月(ふづき)
 葉月(はづき)
 長月(ながつき)
 神無月(かんなづき)
 霜月(しもつき)
 師走(しわす)...
と。太陰太陽暦当時のものだから一寸実際とは季節ずれるけど。ねぇ。

 と言うことで、
本年の目標:昨年に引続き、「旅行」。偶(たま)には東京から出てみたい...
本年の座右の一字:謙

この一年が、良き年となりますように...

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*一年:天文学的には約365.24219日
*グレゴリオ暦:1582年ローマ教皇グレゴリウス十三世が制定。一年約365.2425日、年号が4で割り切れる年が閏年。但し年号が100で割り切れて400で割り切れない年は平年。太陽暦。因みに日本でこの暦法が採用される以前の所謂(狭義の)旧暦は、天保暦で、弘化元年(1844)制定の太陰太陽暦
*ユリウス暦:ジュリアス・シーザー=ユリウス・カエサルが紀元前46年に制定した、地球が太陽の周りを公転する周期を基に作られた太陽暦
*グレゴリオ十三世:1502〜1585(在位1572〜1585) 教会改革を推進しまたイエズス会の教育事業を後押し。1585年天正遣欧使節は彼に謁見している
*ガイウス・ユリウス・カエサル:A.D.100〜A.D.44 共和制ローマの軍人・政治家。後の帝政の基礎をつくる。初代皇帝アウグストゥスの養父
*ヌマ・ポンピリウス:王政ローマ第二代の王(A.D.715〜A.D.673)。初代王ロムルスが姿を消した後請われて王となる。在位中戦争・内乱の記録はなく温厚で平和を愛する人格者と伝えられている
*太陰太陽暦:月の満ち欠けを基準に作られた暦である太陰暦(一年約354.36日)を元にし、実際の季節とのずれ補正の為、閏月(うるうづき)を使用する暦。暦は月基準でも季節は太陽の周りを地球が公転することで生じるのだからずれます
*月の名:ローマ暦は今の三月(Martius)が年の初めの月なのでラテン語の数詞である、7(septem),8(octo),9(novem),10(decem)を当て嵌め、Martiusから数えて7番目の月はSeptenber、8番目はOctober、9番目はNovember、10番目はDecemberと名付けられていた(同様に5番目は「5の月」Quintilis、6番目は「6の月」Sextilisだったが、後皇帝名に変えられ5番目はJulius、6番目はAugustusとなった)。のち紀元前713年11番目にJanuarius、12番目にFebruariusが付け加えられ、Januariusが年の初めの月となった為、ずれて今日に至る
*春分:太陽が春分点を通過した瞬間。春分点とは黄道(こうどう.太陽の見かけ上の通り道)と天の赤道(赤道を天球上まで延長した仮想の線)とが交わる二つの交点の内、黄道が南から北へ交わる点(反対は秋分点)
*立春:冬至と春分の中間点。春の気の現れる日と定義される
参考:国立天文台暦象年表・大阪市立科学館【天文・宇宙の話題】・横浜こども科学館天文民俗学・Wikipedia(ローマ暦他)各ページ その他暦関連書等

(画像はフリー画像サイトpixabayより拝借しました)

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