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北の離れ 2010

古書店主が綴る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・12月20日 Voyager
・11月22日 赤い洪水
・10月29日 キャピタル・パニッシュメント
・9月8日 グッバイ
・8月20日 縦走
・7月23日 優先
・6月22日 八大竜王一休み
・5月16日 金光明四天王護国之寺
・4月6日 クロマグロ −食と言う行為−
・3月3日 ...And Justice for All
・2月17日 丁寧
・1月12日 教育
・1月1日 ちゃんと


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'10 師走二十日 Voyager
 「ヴォイジャー(Voyager)」、御存知ですか?ユーミンのアルバム(1984)?ではありません。BUNP OF CHICKENの曲?でもない。「はやぶさ」(お帰り)や「あかつき」(6年後期待してるぜ)の大先輩にあたる、惑星探査機です。

 「ヴォイジャー」は、NASAが1977年に打上げた二台の惑星探査機。8月に2号が、次いで9月に1号が打上げられ、2号は木星・土星・天王星・海王星へ、1号は木星・土星へと向かいました。
 1号は2号に遅れての出発となりましたが、軌道が異なるため、2号より先に木星・土星に到達し、のち1972年に打上げられたパイオニア10号、1973年に打上げられたパイオニア11号と言うちょい先輩の探査機を追い抜き、現在、人工物としては地球から最遠の空間に到達した存在となっています。そのヴァイジャー1号が、遂に太陽圏の果てに到達したのです。
 「太陽圏」。聞き慣れない言葉ですね。
 「太陽系」は、ご存知、太陽及び太陽を中心に公転する天体(地球及び他の惑星、小惑星、彗星等など)や微粒子等により構成される領域。太陽系の定義は、最遠の惑星まで、太陽風(太陽から高速で放射されるプラズマ(水素やヘリウムの原子核や電子・陽子など))の届く範囲、太陽の引力の及ぶ範囲など、幾つかありますが、「太陽圏」は二番目の太陽風の到達する範囲を指すもので、ヘリオスフィア(Heliosphere)(Helioは希臘語で太陽)とも呼ばれる、範囲100AU以上(110或いは130〜160AU辺りと考えられている。1AU≒1.5億km)の領域。一番目の最遠の惑星(海王星)までを太陽系とした場合、範囲は≒30AUですから、より広大な範囲。この太陽圏の端に、ヴォイジャー1号は、出発から33年目、到達したとNASAから発表されました。
ゴールデン・レコード(pixabay)  星間物質や磁場により減速した太陽風が、星間物質と混ざり合う領域がヘリオシース(Heliosheath)。ここを超え、完全に太陽風が星間物質と溶け合い、影響が見分けられなくなる境界面が、ヘリオポーズ(Heliopause)。ヴォイジャー1号の観測する太陽風の速度は、ゼロになったそうです。ヘリオポーズに近づいているのです。太陽系の端っこ、と言うことですな。
 現在(2010年12月)、ヴォイジャー1号は、太陽から≒115.6AUの距離にあります。NASAによると、あと4年程で、完全に太陽圏を脱するとか。惑星探査機から、星間探査機に変わるのです。どんな空間が待っているのやら。
 ヴォイジャーには、55の言語による挨拶、J.S.バッハからロックン・ロール、ガムランなどに至るまでの様々な時代及び様々な地域の音楽、鳥や動物たちの鳴き声、自然の発する音、そして様々な映像など、地球及び其処に住む者達に関わる情報を刻印した、金鍍金(メッキ)された銅製の円盤(直径≒30cm)が搭載されています。何処かに存在しているかもしれない、所謂地球外知的生命体への、言ってみれば人類の名刺です。
 ゴールデン・レコードが誰ぞのもとに届く日は、あるのかなぁ...。

 みんな「Voyger(航海者)」。行き先は、知らない。

 良いお年を。

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2013年9月13日追記:NASAは12日(現地時間)、ヴォイジャー1号が、2012年8月25日頃に太陽圏を脱出したことを確認したと発表しました。太陽からの距離は183億km(≒122AU)だったとか。上記2010年時点での予測より2年ほど早かったですね。人工物として初の恒星間空間到達物となった訳ですが、太陽系外の恒星に近づくのは約4万年後です

*ヴォイジャー1号・2号:仕様は略同じ。2号のほうが容量の大きい原子力電池を搭載している(1号は2020年頃、2号は2030年頃まで電源がもつらしい)。1号が2号の後の打上げとなっているのはシステムに不具合が見つかった為で、元来は同日打上げの予定だった。1977年に打上げられたのは当時木星から冥王星までが同じ様な方向に並び観測に都合が良かった為
*パイオニア10・11号:10号は史上初の木星探査機、11号は初の土星探査機。10号は2006年3月、11号は1995年末に運用を終えているが、人類や太陽系が描かれた金属プレートを乗せ、地球外生命との接触の望みを託され飛行を続けている。2010年4月現在太陽から、10号は≒100.5AU、11号は≒80.66AUの距離にある
*AU:太陽−地球間の平均距離を1とした長さ(距離)の単位。1AU≒1.5億km。「天文単位」とも
*太陽風:毎秒100万トン程も放射されている。地球に達する頃の速度は秒速300〜800km。大変希薄で地球近傍で粒子は1立方cmあたり10個ほど(温度は10万度)。因みにオーロラの原因は太陽風。太陽風中の電子や陽子(多くが電子)が地球磁気圏に蓄えられ大気中の粒子(酸素原子や窒素分子)と衝突しエナジーを与え、それにより大気粒子が発光する現象がオーロラ(ローマ神話の暁の女神Auroraに由来)
*ゴールデン・レコード:録音された音楽は、バッハの、ブランデンブルク協奏曲、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、平均律クラヴィーア曲集(グレン・グールドの演奏)、モーツァルトの「魔笛」、ベートーヴェンの交響曲第5番(運命)、弦楽四重奏曲第13番、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」、その他ペルーの「コンドルは飛んでいく」、日本の「鶴の巣籠り」、インドネシアのガムラン音楽、アボリジニーの歌など等。レコード表面は制作年代が解るよう半減期≒45億年のウラン238でコーティングされている(≒45億年でウラン238は半分になるので組成を見れば作られてからどれ程経っているかが解る)。 若し高度な文明を持つ存在(存在するかどうか微妙ですが)のもとに届き解読されたとして、多分そのとき、人類はとっくに滅んでいるでしょうね

(画像はフリー画像サイトpixabayより拝借しました)

'10 霜月二十二日 赤い洪水
 去る10月4日に起きた、ハンガリーの「赤い洪水」、ご記憶にあると思います。
 ハンガリー西部、アイカ郊外の「ハンガリーアルミナ生産貿易会社」のアルミニウム精製工場から出た廃液を貯水するダムの堤防が決壊し、砒素や水銀などを含む強アルカリ(初期はpH13だったとか(pHは7が中性))の赤い汚泥(色は酸化鉄(III)(Fe2O3)に由来)≒100万立方メートルが近隣の町村に流出し、9名の死亡者と150名以上の負傷者を出し且つ深刻な環境汚染を生んだ、メキシコ湾原油流出事故と並び本年最大最悪の環境事故とも呼ばれているものです。
 当初、この事故に関する映像を見ていて一番驚いたのは、これ程毒性の強い廃液が、露天で貯水されていたということ。失礼ながら、財政的にも厳しく技術的にも遅れ気味な東欧だからかな...、まさか日本にはこんな危険な施設は無かろう、等と考えたのですが、調べてみたらとんでもない、こうした施設、鉱山・工場等から出た鉱滓(こうさい.鉱石から目的の金属を精錬した後の残りかす)を貯め、水分と固形分とに分離し堆積処分する施設、極一般的なもので、日本にも沢山あるのです。
 この施設、「鉱滓ダム」とか「鉱滓堆積場」等と呼ばれるのですが、世界中に多数存在し、過去にもルーマニア(2000年)、アメリカ(1979年、2008年)、日本の伊豆(1978年)等でも決壊事故を起こし環境汚染を生んでいます。また多数の死者を出す事故も起きています。国内では、一寸古くはありますが、昭和11年(1936年)、秋田県尾去沢(おさりざわ)鉱山の鉱滓ダムの二度にわたる決壊で、資料により多少数字は異なりますが、370名前後の死者を出す大事故がありました。海外でも、今年のチリ大地震で堆積場が崩れ死者が出、2008年9月には中国山西省襄汾(じょうふん)の鉱滓ダムが崩壊し260名以上の死者が出た言う情報(中国通信社2008年9月19日記事)もあります。
 決壊の原因は、地震、洪水、老朽化、管理不十分(企業の倒産で放置されてしまった等)他様々なようですが、何れにしろ、今回ハンガリーで起きたような事故(大雨が原因とも人為的ミスが原因とも言われている)は、何時何処で起きても不思議ではない、という事のようです。勿論日本でも。
 今回事故を起こした企業は、生産したアルミナ(酸化アルミニウム)の多く(75%とか)を西欧諸国に輸出していたそうです。日本は海外の多くの国から鉱物或いは鉱物由来製品を輸入しています。海外で起きた事故といえども、我々に直接関係ないとは言い切れないのが今の世界です。

 ハンガリーでの事故報道に接し、はじめて、鉱滓ダムの存在やそれに纏わる問題に付き知りました。自身の無知を今更ながら思い知らせた一件でありました。
 そこそこ長く生きてるけど、知らない事いっぱい有るは...。

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*鉱滓ダム:一説には世界で3,500以上存在し、毎年のように大小の事故が起きているとか。日本での数は不明ですが200以上という数字が見られます(第84回国会 災害対策特別委員会 第3号 昭和53年2月9日)
*赤い汚泥:「赤泥(せきでい)」。アルミニウム原料のボーキサイト(鉱物ではない)をアルミナへ生成した際出る廃棄物。1972年、産業廃棄物の海洋投棄を禁じたロンドン条約により原則海洋投棄は禁止されたが、日本では例外として三社が八丈島沖及び高知沖の太平洋に(酸で中和して)投棄しており問題視されている。三社ともボーキサイトの国内精製から撤退し海外メーカーや海外に新設する合弁会社からの輸入に切り替える意向。汚染の海外移転とならない様注意が重要となる
*pH:水素イオン濃度指数。ピーエイチ或いはペーハーと読む。水素イオンは水素原子が電子一個を失ってできた陽イオン(H+)。0〜14の数値で表され、7より数字が小さければ酸性、大きければアルカリ性。河川水は一般に6.5〜8.5、酸性雨は5.6以下

'10 神無月二十九日 キャピタル・パニッシュメント
 死刑(死刑制度)については、賛否両論様々な意見・視点・議論が存在しますが、私は、昔から、どうも死刑(死刑制度)というものがピンと来ない。何か釈然としない。
 死刑はその存在により威嚇的に犯罪(殺人等の凶悪犯罪)の抑止力となる、犯罪被害者・遺族の感情や置かれた状況を思えば死刑も致し方なし、再犯の可能性を考慮すれば危険排除の為必要、総合的に考えて社会秩序維持のためには必要、死刑やむなしと言う国民が85.6%もいる(2009年内閣府調べ)...等の死刑制度容認・存置(そんち.そのまま残すの意)意見にも、確かに肯(うなず)ける部分は有ります。報道で被害者遺族の方々の思いに接すれば、胸も痛むし身にもつまされます。私にとって大切な存在が理不尽に生命を奪われたら如何(いか)に思うであろうか?とも考えます。けれど、何故か釈然としない。
 何故?何故釈然としないのか、彼是(あれこれ)思いつく理由を挙げてみました。

1 殺人に対する罰が何故殺人なのか?近代社会における刑罰は敵討ち、仇討ち或いは報復とは異なるはずだ
2 国家による報復代行(この場合死刑)以前に被害者・遺族の人権や感情に関しては公的・法的な保障・支援・ケア等の整備拡充こそまず必要なのでは
3 個人における殺人を悪としながら何故国家における殺人を合法とするのか
4 誤判、冤罪の可能性が有る以上生命を剥奪する刑罰は取り返しがつかず危険
5 社会にとって危険な存在を抹殺するという考えは異文化の者、異人種の者等に対する排除に繋がり「危険」ではなかろうか
6 社会からの隔離(危険排除・無力化)なら仮釈放なしの無期刑(絶対的無期刑(終身刑))の導入も考えられるのでは(絶対的無期刑にも疑問は感じるが)
7 犯罪抑止力ならば現在の無期刑(相対的無期刑)の仮釈放基準厳格化も考えられるのでは
8 日本において行われる絞首刑は残虐ではなかろうか
9 その者の行為とその者の人権は別個に考慮されるべきで死刑は人権の軽視なのではなかろうか
10 EUを中心に国際的に死刑廃止に向かい国連も死刑廃止を求める中で死刑存続は外交上不利
11 人の生命を奪うという権利、そこまでの力を国家に与えて果たして良いものか
12 国家による殺人(=死刑)を認めることは同じ国家における殺人である戦争の肯定に繋がりはしないか
13 裁判員裁判で死刑判決が出ればそれはイコール死刑存置の「民意」であると言い切れるのだろうか(逆も言えるが)

 現時点で考えて、以上のような理由が思いつきます。どれも現在の私の中に存在する、死刑に関するクエスチョン、或いは死刑制度に対する違和感の元です。そして他より大きく私の中に存在するのは、5・11・12番のようです。
 5番は、社会にとって危険な存在を抹殺するという様な考えは、異教徒、異民族、異人種等への不寛容や排他的行為或いは「いじめ」や差別にも繋がっていくものにも思えるし、多数者による少数者への支配を認めたり、社会(或いはもっと広く「生態系」)にとって有害無益な存在、「居ない方がまし」な者の存在を認めるようで、私は好かない。
 11番。これは、疑問或いは違和感或いは理屈云々と言うより、生理的嫌悪感に近いもので、国家と言う巨大なマシンに、人に死を与えるという強大な権が握られているということに、私は他には覚えることの無いような、深く暗い、一点の救いも無い冷たい恐怖を覚える。
 12番。比較的最近、裁判員制度が始まり、自身が直接死刑判決に関わる可能性が生まれたことから、死刑に付き彼是考えるうち、浮かんできたもの。国家に他者に対する生殺与奪の権を与え認めると言うことは、同様に国家による殺人(と破壊)である戦争の肯定に、極々根底の部分で繋がって行くのではないか?という疑問。死刑は罪あるものから生命を奪い、戦争は罪無き者から生命を奪う、よって全く異なるものだ、という考えもありましょう。死刑を廃止している国の多くは戦争を行う権利を否定していないという事実もあるし、死刑と戦争が必ずしも直結する事柄ではないかもしれません。けれど、私としては、「国家権力の発動による殺人」と言う共通項が、少なくも今の日本においては、最も気になる。

 上に挙げた十三の理由全てが、私を死刑制度に対し釈然とさせないのですが、特に11・12番の二つは、私の中に存在する、死刑制度に対する最大のクエスチョンまた違和感(嫌悪感と言って良いかも)の根元として、収斂(しゅうれん)して行きます。
 国が、常任理事国になりたくて仕方のない国連の求めも退け、死刑制度維持に固執するのは、国民の多くがそれを望んでいるからという事ではなく、いざとなれば人の生命すら左右できる国家権力の誇示、国民への支配強化を目的としているから、或いは、「戦争のできる国」への誘導(「悪い奴は吊るせ」→「悪い国は潰せ」とか)を目的とする手段の一つとして捉えているからではなかろうか、とも思える。
 飛躍しすぎの見当違い、なら良いのですけれど。

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*EU・国連:EUは非人道的である等の理由で死刑廃止を加盟条件にしている。国連は国際人権規約(1966年採択)の中で死刑廃止を求めている
*死刑廃止:アムネスティ最新資料によると、死刑完全廃止が95ヶ国、軍事法・戦争犯罪等のみ死刑存置の国が9ヶ国、法律上制度はあるが過去10年以上実施していない若しくは不執行を確立している実際には廃止と考えられる国が35ヵ国、殺人等の通常犯罪に対し死刑存置の国が58ヶ国。
無論様々な見解があり廃止国でも必ずしも過半数が廃止支持という訳ではない。また死刑制度の復活を望む声もある。米・英・仏などでは、実際復活した例、議会で復活が検討された例、復活を求める署名運動が起こった例などある
*被害者に対する保障:加害者に比し被害者・遺族の人権等の保障は法的・社会的に置き去りにされているとの批判がある。犯罪被害者救済制度に関して日本は欧米に比し30年遅れているとの指摘もあるとか
*無期刑:期限の無い刑、詰まり終身(命を終えるまで)に渡り拘禁(こうきん)する自由刑(自由を剥奪する刑)。日本で採用されているのは仮釈放の可能性のある「相対的無期刑」。仮釈放の可能性の無い「絶対的無期刑」を一般に終身刑とも呼ぶ。前者を採用する国が多く後者を採用している国は少ない。
日本では仮釈放の可能性のある「相対的無期刑」=「無期刑」、仮釈放の可能性の無い「絶対的無期刑」=「終身刑」とする場合いが多いが、基本的に「無期刑」と「終身刑」は同じ。現在導入を議論されている「終身刑」は「絶対的無期刑」のこと
*絶対的無期刑:死という救いすら奪うのは死刑より非人道的、死という開放すら失った人間のメンタルケアはどうなるのか、社会復帰の可能性を完全否定するのは如何なものか等の疑問・問題がある
*仮釈放:無期刑の場合10年経過後(最近では実質20年以上経過後とか)、地方更生保護委員会による総合的判断で行うことが出来る。仮釈放の「可能性」があるだけで必ず仮釈放される訳ではない。また仮釈放されても刑の執行は継続され保護観察下(保護監察官・保護司などの指導・監督また補導・援護を受ける)で住居・旅行他日常生活に様々な制限を受けて残り刑期(詰まり残りの人生)を過ごす
*2009年内閣府調べ:有効回答者数1,944人。「場合によっては死刑もやむを得ない」とした1,665人中、「将来も死刑を廃止しない」とする人が60.8%、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」とした人が34.2%。と言うことは、「将来も死刑を廃止しない」という謂わば絶対的死刑容認派は、全体的には52%程と言うことになるか
参考:内閣府〔世論調査報告書 平成21年12月調査 「基本的法制度に関する世論調査」〕
*国連の勧告:2007年12月死刑モラトリアム決議で、死刑の一時停止を求めた。日本代表はこれに対し、国民の多くが死刑制度を支持しているので廃止は困難、と表明。2008年10月、自由権規約委員会は、世論に関わらず世論に働き掛け廃止を検討すべき、と日本政府に勧告

'10 長月八日 グッバイ
 あなたにとって、「アイドル」と言って思い浮かぶのはどんな人ですか?
 一般的に言って、思い浮かぶのは、同世代を中心に人気のある「若い女の子・男の子の芸能人」が多いでしょうね。スポーツ選手やアーティストが思い浮かぶ方もいらっしゃるでしょう。世代により或いは嗜好により、具体的な名前は随分と変わるでしょうね。
 私にとって、「アイドル」と言えば、十代の頃は、立原道造(1914-1939)や中原中也(1907-1937)等の詩人と、ハード&ヘヴィ系のロック・アーティストでした。特に十代も終わりの頃はハード&ヘヴィ系ロック・アーティストが、私のアイドル。当時私の部屋の壁には、ご多聞にもれず「若い女の子の芸能人」の写真・ポスターも貼られてはいましたが、それは一部で、貼られていた写真・ポスターの大半はハード&ヘヴィ系ロック・アーティストのもの。本当に憧れの存在でした。
 そんな憧れの存在の内の一人であった、ヘヴィ・メタル・ヴォーカリストの、ロニー・ジェイムス・ディオ(1942-2010)が、今年5月16日朝(現地時間)、胃がんのため亡くなったということを、先日知りました。

 ロニー・ジェイムス・ディオ。この名前に特別な想いを感ずるのは、多くはある特定の年代のHR/HM(ハード・ロック/ヘヴィ・メタル)ファンで、他の大半の方々にとっては、お初に聞く名前だと思います。
 ロニー(本名:Ronald James Padavona)は、伊太利亜系亜米利加人。年齢的には、ビートルズやローリング・ストーンズのメンバー等と同年代ですが、ロック・シーンでの活躍は一世代或いは二世代後の時代、1970年代後半から1980年代前半、HR/HM冬の時代から全盛の時代にかけて。解りにくいですが右下がロニー
 彼は、1950年代からバンド活動を開始。後所属するELF(エルフ)と言うバンドがDEEP PURPLE(ディープ・パープル)のメンバーに気に入られ、ツアーの前座を務めるなどして、徐々にキャリアを積んでいましたが、なかなか第一線での活動は叶わぬ状態。が1975年、転機が訪れます。DEEP PURPLEのギタリスト、リッチー・ブラックモアがバンド脱退後結成した新バンド(後のRAINBOW。右は3rdアルバムのジャケット。メンバーの顔が描かれていますが、右下がロニー)のヴォーカリストにロニーを抜擢。これにより残念ながらELFは消滅することとなりましたが、ロニーのヘヴィ・メタル・ヴォーカリストとしての栄光は、ここから始まることとなりました。
 1978年11月、亜米利加メジャー志向を強めるリッチー・ブラックモアとは袂(たもと)を分かつこととなりますが、翌年、オジー・オズボーンの後任としてBLACK SABBATH(ブラック・サバス)に迎えられると、BLACK SABBATHの無機的ヘヴィ・グルーヴと、彼がRAINBOWでの活動の中で培ったダークでファンタジックな世界観が見事に融合。奇跡的化学反応で、1980年、メタル史に残る名盤「HEAVEN AND HELL」が誕生。当時瀕死の状態であったバンドは、折りしもヘヴィ・メタル・ムーヴメントが盛り上がる中見事に復活。そしてロニーは、押しも押されぬヘヴィ・メタル・ヴォーカリストのキング的存在として、1982年以降、自身のバンドDIOを率い活動。1986年には、並み居るヘヴィ・メタル・ミュージシャンを率い、アフリカ飢餓救済プロジェクト立ち上げるなど、メタル・シーンの精神的リーダーの様な一面も持ち、60歳を過ぎて尚現役という、メタラーの鑑(かがみ)的存在でありました。メロイック・サインを掲げた姿は、その風貌や歌詞世界とも相俟って、存在感たっぷり。そうしたこともあってか、「プリンス・オブ・ダークネス」等と呼ばわれたりもしましたが、ロニーは、とあるインタヴューで「その名前はレーガンにこそ相応しいよ」と記者に語っておりましたっけ(レーガンは勿論、第40代亜米利加大統領ロナルド・レーガン(1911-2004)。ソ連を「悪の帝国」と呼び強硬路線で鳴らしました。彼も「ロニー」ですね)。

 豊かな中音域で、ドラマティックにダークな或いはファンタジックな世界を朗々と歌い上げ、ヘヴィ・メタル・ヴォーカルの一つのスタイルを築き上げたロニー。歌唱力は抜群で、小柄ながら声量は豊かに声も深い。ライヴでの音程のずれも殆ど無い。ヴィブラートを多用した演劇的とも言える表現力の豊かさも抜群。レコード盤がノイズだらけになるまで、ロニーの歌う「RAINBOW RISING」「LONG LIVE ROCK'N'ROLL」を聴きまくって、音楽への憧れ、或いは古きヨーロッパ世界への憧れを醸成させた少年時代を持つ私にとっては、彼は唯一無二の存在。この先それは、変わることは無いでしょうね。

 終に私は、何故か縁無く、ロニーの生歌を聴くことは叶いませんでした。それだけが心残りです。RAINBOW時代、コージー・パウエル(故人。HR/HM界を代表するパワフルな名ドラマー)のドラムとリッチーのギターを従えて歌うロニーを、見たかったなぁ...。私は所謂(いわゆる)「あの世」や死後の世界を信じませんし、有ったら良いなとも思いませんが、今回初めて、あの世とやらが有ったら良いな...とチラと思いました。だってきっとロニーは向こうでも歌っているでしょうから。コージーを従えてね。

 グッバイ、ロニー。

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*アイドル(idol):本来は偶像の意。崇拝される存在(人や物)の意もあるが、一般的には、人気者、憧れの存在と言う意味で使われることが殆ど。ここでもその意で用いています
*グルーヴ:具体的には非常に説明し難い。本来はレコード盤の溝の意ですが、音楽・演奏を表す言葉としては、狭義には、機械的ではない人間的なノリ、広義には単に「ノリ」、と言うのが一番しっくりくるかな...
*メロイック・サイン:人差し指と小指を立て、畳んだ中指・薬指を親指で押さえる形。メロイック・サインと言う呼び名は日本のみのもので起源は不明とか。メタルの世界では極普通に決めポーズ・ジェスチャーとして普及していますが、その起源はロニー。伊太利亜人である彼の祖母に魔除け・邪視除け・邪気除けのジェスチャーとして教わりステージで行ったのだとか。伊太利亜の謂わば迷信に由来しているらしい。ただ、地域や場合により侮辱的な意味合いになったりサタニズム(悪魔崇拝)に関連したりすることも有るそうなので矢鱈に人前でしないほうが良いかも。ロックのライヴでは単に一つのポーズとして定着しているので問題ないでしょうけれど
*リッチー・ブラックモア:HR/HM界最大のカリスマ的存在のギタリスト。名前は馴染みが無いかもしれませんが、あの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を作曲した人ですよ
*RAINBOW:1stアルバムは、ギタリストを除いたELFのメンバーとDEEP PURPLE脱退前に既にレコーディングされていた(脱退は1975年4月、レコーディングは同年2-3月)
*アフリカ飢餓救済プロジェクト:Hear 'n Aid(ヒア・アンド・エイド)。チャリティー・ソング「STARS」をリリース。USAフォー・アフリカの「We Are The World」(1985)のメタル盤とお考え下さい。当時のDIOのメンバー、ヴィヴィアン・キャンベル(g)、ジミー・ベイン(b)、ヴィニー・アピス(ds)を中心に(このプロジェクトはヴィヴィアンとジミーの提案をロニーが纏めたとか)錚錚たる面々が参加。HR/HMらしいギター・ソロ・リレーは聴きもの。以下に主な参加者を挙げておきますね(HR/HMに馴染みの薄い方にも比較的知名度のありそうなメンバーを選びました。他意は御座いません)。
ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォード(vo)、アイアン・メイデンのデイヴ・マーレイ(g)とエイドリアン・スミス(g)、クイーンズライチのジェフ・テイト(vo)、モトリー・クルーのヴィンス・ニール(vo)、ナイト・レンジャーのブラッド・ギルズ(g)、イングヴェイ・マルムスティーン(g)、ジャーニーのニール・ショーン(g)、ドッケンのドン・ドッケン(vo)とジョージ・リンチ(g)、その他クワイエット・ライオットのヴォーカル、ギターなどなど
(g:ギター b:ベース ds:ドラムス o:ヴォーカル)

'10 葉月二十日 縦走
 この「北の離れ」Topページ上方の自己紹介にもありますが、十代の頃私は登山・山歩きに心絡(から)め取られておりました。読む本は常に山に関するもの、或いは山に関する記述の多い、山好きの方が書かれた小説・エッセイばかり。深田久弥氏の有名な「日本百名山」は当然、同氏の山に関する他の著作も繰り返し読んでおりましたし、山に憧れ北アルプスの麓、旧制松本高校に進学し、後ドクターとしてヒマラヤ遠征にも参加された、北杜夫氏(1927-)の作品もよく読んでいました。また、中学校の図書室にあった「日本の山」という可也大部な写真集は、常に私が借りていて図書室の棚に殆ど無いという状態になっていました。
 もうホントに頭の中は常に「山」ばかり。寝ても覚めても「山」。授業中も、南西の方角に連なる、丹沢(たんざわ)の山並みを、ボーっと眺めていることの多い少年でした。放課近い秋の午後、窓の向こう、雲間から伸びるヤコブの梯子に山肌を照らされた遠い丹沢のシルエット...。もう時季山は雪だろうなぁ、今は落ち葉が綺麗だろうなぁ、落ち葉踏みしめ奥多摩辺り歩きたいなぁ(丹沢は遠いしなぁ)等と彼是想いを廻らせていました。妄想多き生活は、今も大して変わらんな...。

 そんな山好きの少年も、纏まった休みの取れない仕事に就いたり、興味の対象が音楽に移り、メタル三昧の生活に浸(ひた)るうち、すっかり山にはご無沙汰。数多くの山の土を踏んだ登山靴も、すっかり物置で休眠状態。でも、山への想いは、脳の深部に幽(かす)かに燻(くすぶ)っていたのでしょう、気付くと、PCの壁紙に拝借してきた山の画像を使っていたりする。ここ数年は多い。特に夏場。新緑濃くなる時節になると、PCに山画像が頻繁に登場。行きたいなぁと思いつつも、予算や技術の不足で行きそびれてしまった山たち(十代の私には手が出せない山が多かった)。手製の地図まで作って山行(さんこう)計画を立てながらも、結局行けず仕舞いとなった山たち。そうした山たちの画像が数多く登場。山好きの方々の山への想いが滲む美しい画像が、私の乾涸びた心に慈雨の如くシャワーする。あぁ、有難い、有難い...。
 と言った日々を送る、山へ行きたしと思えども、体力・気力も予算も夏の休みもない無い私、はたと思い付きました。そうだ、壁紙縦走...!ネット上の他の方々の山行の写真を拝借して、順順に壁紙画像をとっかえひっかえ、日本アルプスの山々を北から南へ大縦走しよう。
黒部五郎岳(by "Cut Chips") そう今月始め思いついた私、現在薬師岳(2926m)から黒部五郎岳(2840m)(左画像)に向かっております。
 まず縦走の手始めに、剣岳(2998m)を単独で攻め、次に唐松岳から五竜岳(2814m)を経て鹿島槍ヶ岳(2889m)、そして爺が岳、針ノ木岳へと後立山連峰を攻略(白馬岳(2932m)(「はくば」岳ではなく「しろうま」岳)は実際登っているので割愛)。次に山深さが不足気味と言われがちな北アルプスで最も山深く、比較的登山者も少ない黒部川源流方面へ向かい、現在薬師岳―黒部五郎岳を縦走中です。
 北アルプスは連峰の形が多く、個々の山の独立度が低いのですが、薬師岳や黒部五郎岳は、南アルプスの山々のように、どっしりとした腰周りの大きい一寸独特な雰囲気を持った存在。周辺には雲ノ平(火山活動により形成された標高2600m前後の溶岩台地)などの高原状の地帯もあり、それもまた一種独特。
 北アルプスは全般に侵食が進み、刃の様に鋭い稜線の続く峻険な地形が目立ちますが、この黒部川源流域及びその南東に位置する、双六岳(2860m)・三俣蓮華岳(2841m)辺りは比較的なだらかな山容で、北アルプスよりも新しい為侵食が余り進んでいない(と考えられている)南アルプスっぽい雰囲気を持つ。このなだらかな地形は、山脈最奥部に位置する為、北アルプスを削りこんで来た黒部川や高瀬川による侵食作用がまだ及ばない、古い平坦面の一部ではなかろうか、と考えられているようです。
 ...飛騨山脈最奥の楽園。カールを抱く広びやかな山景色の向こうに、槍・穂高のスター連峰が見え隠れ。北を見れば先日(妄想で)登った剣岳の切っ先がキラリ...。黒部源流域を満喫しております。
 あと一日二日雲ノ平辺りに遊んで、いよいよ、このまま北アルプスの核心、槍ヶ岳・穂高岳を攻めたいと思っています。そのあとは、北は終わり、木曽谷の向こう中央アルプスに遠征。木曽駒ケ岳(2956m)から空木(うつぎ)岳(2864m)を攻める所存。そうしてこの夏の終わりは、南アルプス三昧。まずは南の「女王」とも呼ばれる仙丈ケ岳(3033m)。そのまま日本第二の高峰、北岳(3192m)を擁し3000m峰が三つ連なる白峰(しらね)三山を攻略。次いで塩見岳(3052m)、悪沢岳、盟主赤石(あかいし)岳(3120m)と続き、最後に、日本最南の3000m峰、聖(ひじり)岳(3013m)を登り、完結、と言う予定。

 この壁紙縦走の為に拝借してくる画像(写真)は、プロではなく極普通の山好きの方々が山行の途中で記念に撮影された極普通の写真。「作品」として撮られたものではなく、あぁ来たんだなぁ、登ったなぁ、綺麗だ...と言った感情のままに自然にシャッターを押され切り取られた風景(おそらく、ですが)。よって、妙にリアリティがある。一人の方が在る山域を縦走しながら撮影された画像(謂わば、縦走記録)をそのまま順を追って壁紙にして日々取り替えていくと、本当に自分が歩いているような気分になってくる。少年時代に吸った高山の空気の匂いが、掬い取って頬張った残雪の心地好さが、或いは肌に触れるひんやりとしたガス(濃霧)の感触が甦って来る。
 あぁ、何時かまた道具揃えて山歩き再開したいなぁ...。出来れば奥さんと一緒にね(奥さん居ないけど...)。

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*丹沢:一般に「丹沢山地」或いは「丹沢山塊」と呼ばれる神奈川県北西部の山地。最高峰は、蛭ヶ岳(ひるがたけ)(1673m)。東京からは南西方向、富士山の左手前に長く連なる姿が印象的。本来は独立した火山島で、フィリピン海プレートの北上に伴い≒500万年前に本州に衝突し一体化。のち≒100万年前同様に本州に衝突した伊豆半島の押し上げにより隆起した
*北アルプス:飛騨山脈。北は日本海、南は乗鞍岳(3026m)(火山)へと略南北に連なる大山脈。北に位置するので真夏でも比較的残雪が多い。白馬(しろうま)岳等の後立山連峰、立山・剣岳等の立山連峰、燕(つばくろ)岳・常念岳(麓から最も目立つ美しい山)等の常念山脈などが含まれ、最高峰は奥穂高岳(3190m)。穂高岳を見上げる上高地も有名。火山が多いのが特徴。≒250万年前に始まったマグマの上昇・貫入による隆起と、マグマの熱により地殻が薄く軟らかくなり太平洋プレートの沈み込みによる圧力が集中することによる隆起とによって出来た山脈と考えられている。それに対し、中央及び南アルプスは断層運動により形成されたと考えられている。主に花崗岩から成るが火山岩も含む
*中央アルプス:木曽山脈。木曽と伊那の谷の挟間南北≒100kmの山脈。最も小規模な為か一寸地味な感は否めないが、ロープウェイで高所まで達することが出来るので最も親しみやすい。最高峰は木曽駒ヶ岳(2956m)。火山は無い(火山である御嶽(おんたけ)山(3067m)は通常中央アルプスに含まれない)。主に花崗岩から成る
*南アルプス:赤石(あかいし)山脈。富士・天竜両川に挟まれた膨大な山域。余り侵食が進んでおらず北アルプスのような峻険さには欠けるが、重厚で山深い。最高峰は北岳(3192m)(白峰(しらね)山とも。麓からも美しく眺められ平家物語にも「甲斐の白峰」として登場する名山)。北アルプスは3000m峰が立山・乗鞍岳の南北の火山をのぞけば槍・穂高に集中するが、南アルプスは北から南まで満遍なく個性豊かな3000m峰が散らばるのも特徴。火山は無い。主に堆積岩から成る
*甲斐の白峰:東大寺を焼討ちした平重衡(しげひら)(1157-1185)が鎌倉に送られる場面に、「...北に遠ざかりて、雪白き山あり、問へば甲斐の白峰といふ...」とい一節がある。実際この「甲斐の白峰」が北岳だったのかは不明
*白馬岳:「はくば」岳と呼ばれることが多いですが、正確には「しろうま」岳。稲の苗代を作る頃山肌に現れる馬に似た雪形(ゆきがた。山肌と残雪が織り成す模様の形を何かに見立てたもの。白く残った部分を見る場合(ポジ型)と雪が溶け黒く現れた部分を見る場合(ネガ型)とある)を指し「代掻(か)き馬」と呼んだところから「代馬(しろうま)」の地名が生まれた。やがて「白馬」とも書かれるようになり、「はくば」の読みも生まれた。後麓には観光産業面からだと思いますが、1956年(昭和31年)北城村と神城村合併時に「白馬(はくば)村」が誕生。1968年(昭和43年)には地元駅名(旧国鉄)も信濃四ツ谷から「白馬(はくば)」に変更。為か「しろうま」岳は「はくば」岳(山)と呼ばれることが多くなった。アプローチもし易くコースも変化に富み比較的易しい(飽くまで「比較的」です)為日本アルプス入門の山として登られることが多い。斯く言う私も13歳の時この山に登ったのが山患(わずら)いの始まりでした
*黒部五郎岳:富山側の呼称。飛騨側では中ノ俣岳。山体を抉る巨大なカールが特徴。「五郎」とは岩場を表す「ゴーロ」が語源。近くには、野口五郎岳(2924m)もある
*カール(Kar):圏谷(けんこく)。氷食地形の一種。嘗ての氷期に氷河が山肌を削って出来た、斜面を巨大なスプーンで抉(えぐ)ったような地形
*ヤコブの梯子:薄命光線。雲間から射す太陽光の放射状のすじ。旧約聖書創世記28章12節にヤコブが雲間から射す光の様な梯子を天使が昇り降りするのを見たと言う記述による。天使の梯子、レンブラント光線(レンブラントが良く描いたからとか)とも
*日本百名山:1964年刊行。作家、深田久弥(1903-1971)が独自の基準を持って制定した日本国内の百の山に付、思い出、歴史、山名の由来等を記した随筆集。山好きの間では名著とされ読み継がれている。民俗学的な面白さも有り私も大好き。この作品に取り上げられた全山登頂を目指す方も昨今大変多い。本作については、特に中高年登山者の指標とされ山の楽しみを広めた反面、一部の山への登山者の集中による混雑や環境への負荷の増加、また本作に取上げられてはいないが魅力ある山の荒廃が進むなどの負の面を問われることもある
(画像は、Cut Chipsさんよりお借りしました)

'10 文月二十三日 優先
 今月17日、臓器移植法が改正され、脳死状態となった本人の臓器提供意思が確認できない場合も、(本人が生前移植を拒否していない限り)家族の判断(承諾・同意)で提供できるようになりました。又同時に、臓器提供できるのは15歳以上という年齢の制限が撤廃され(生後12週未満は除く)、子供からの提供も可能となり、従来海外で行うしか方途のなかった子供達の臓器移植も国内で可能となりました。ただ、飽くまで「可能」となっただけで、実際に出来るか如何かというと話は別のようです。設備やマニュアルの整備、また大人より脳の回復力も高く、「長期脳死」と言う例が稀とは言い存在する子供の難しい脳死判定への対応、また虐待の有無の判定など、様々な問題をクリアできない施設が全体の4割弱と多く、まだまだ準備段階を抜け出ていない、といわざるを得ないようですが。

 臓器移植の話となると、移植の前提となる「脳死」の話も、当然出てきます。
 脳死とは、大まかに言って、脳幹(大脳・小脳を除いた部分。呼吸・循環など生命維持に必要な機能の中枢)を含む脳全体が不可逆(元に戻れないの意)的に活動を停止した状態。通常は、脳幹が活動停止に至ればやがて心肺停止となりますが、人工呼吸器を使用した場合、脳幹機能停止後も心肺機能がある程度の期間維持され、酸素を含んだ新鮮な血液が各臓器に送られ続けます(詰まり臓器が「新鮮」な状態に保たれる訳です)。これが臓器移植に絡んで問題とされる所謂「脳死」状態で、人工呼吸器が一般に使用されるようになって以降、人工呼吸器が使用されている場面で起こる、ある意味「特殊」な状態と言えるかもしれません。
 このような「脳死」を人の死、とするか否かは賛否があるのですが、私は個人的には、脳死を「私」の死としてもらって結構、最早私に不要となった臓器、使えるものは全部使ってください、というスタンスなので、≒10年以前より、「提供」に○を付けた「臓器提供意思表示カード(ドナー・カード)」を所有し、更に数年前からは、日本臓器移植ネットワークにインターネット登録をしID入りカードを携行するようにしています(インターネット登録した場合「臓器提供意思登録カード」。IDにより検索し、より確実に私(本人)の意思確認が出来る)。
 今回の法改正を受け、日本臓器移植ネットワークより、カードの登録変更の必要を知らせるメールが届きました。変更は良いのですが、変更作業途中で、はたと手が止まりました。「私は、親族優先提供を希望します」にチェックを入れるかどうか、判断に迷ったのです。
 今回の改正に先立ち、旧法では見合わせられていた、臓器提供に際しての親族への優先提供が、親子及び配偶者に限り認められる、親族優先提供規定が本年1月17日より施行されているので、「私は、親族優先提供を希望します」の項目がカード登録の際に追加されたのです。
 臓器移植に際し、親族への提供を優先するという例は他国には類を見ないものだそう。同じ臓器提供するならば身内に...できれば血族の体に...と言う人情として極当然・自然な感情を掬(すく)う意味合いなのでしょう。そういった面から見れば、何事も身内で完結する傾向の強い、極日本人的な感覚が生きている極日本的な規定と言えるかもしれません。それ自体、私に特に異論はないのですが、何故か覚える違和感。何故、私は、「私は、親族優先提供を希望します」にチェックを入れるのを躊躇(ためら)い、結果チェックを入れなかったのか。
 親族優先提供については、賛否あるようです。「賛」は判ります。上記のような、家族・血族に対する愛着・愛情等から生まれる極自然で普遍的な心情がありますから。また、臓器提供の意思表示を促し臓器提供が広がる切っ掛けになるのではという意見もあるようです。では、「否」はどのような意見があるのか?私の躊躇いの理由を見つけるヒントにならないかと思い、様々なサイト(記事)を調べてみました(参考とさせて頂いたサイトさん、有難う御座いました)。以下に挙げてみます。

1 親族への提供目的の自殺が増える(自殺を疑われる事案は除外された)
2 本来臓器移植は無償の人類愛に基づくもので特定の人間への提供はそぐわない
3 家族・親族の感情が入り込むことで新たな問題が生じかねない
4 移植機会の公平性に背く
5 優先度は医学的な緊急性を元に判断すべき
6 移植目的の結婚・養子縁組など臓器売買に繋がりかねない(養子は除外された(特別養子縁組(戸籍上実子と同等)を除く))
7 事実婚の判定は現場では難しい(事実婚は除外された)
8 移植医療を狭い範囲に閉じ込め普及の妨げになりかねない
等など
(番号は便宜上のもので順位などの意味は在りません)

 この中で、5番目にあげた理由、これが私の躊躇いの主な理由のようです。一番しっくり来ました。意味合いから言えば4番目も通ずるところがあります。他に挙げれば、私の場合、親は大分高齢で、移植が必要となるようなことはこれから一寸考えにくいということ、そして結婚は可也難しく、将来的にも矢張り難しそうだし(残念ながら...)、当然そうなれば子供をもつこともないし、ということも、理由としてありそうです。

 ところで、皆さんは、臓器提供の意思の有無を示すものを何かお持ちでしょうか?全国的には、「臓器提供意思表示カード(ドナー・カード)」やシール等、自身の臓器提供意思の有無を示すものを所持している方の割合は8〜9パーセント程、その所持しているカードなどに意思の有無を記入していない方が50パーセント程いるそうです(2008年内閣府調査より)。
 誰しも、何時自身が脳死状態になり、家族が臓器提供の意思の有無を問われる場面に遭遇するやもしれません。そのとき動揺の中にある家族の負担を少しでも軽減できるよう、提供意思が有るも無いも、カードであれ言葉であれ、家族に示しておくことを考える必要があるかもしれません。
 死と言う現象は、自然科学的な意味と同時に、社会的な意味も持ちます。生命は個体(個人)のものであると同時に、家族や社会(又地球生態系)に共有されているものでもある。よって、生命現象と一体の死と言う現象も同様、個体(個人)の問題であると同時に家族の問題でもある。家族にそれとなく話しておくことも必要でしょうね。硬い話になりがちで、一寸難しかったりするかもしれませんが...。

 何れにせよ、法律がどう変わろうと、最優先されるべきは、本人の意思。提供するもしないも、これをはっきり示しておけば、家族の負担も減り、問題も起こりにくい。ただ、臓器移植の問題そしてその根底にある脳死を如何考えるかということは、人の死生観・宗教観、その他諸々の価値観に関わる可也ディープな問題。上に、自身の臓器提供意思の有無を示すカード等を所持しながら、何も記入していない人が半数ほどもいると書きましたが、記入しない主な理由は、40パーセント近くの人が「意思が決らないから」を挙げているそうです。
 まだ暖かい身体にメスを入れ臓器を切り出すなんて...、人間の体を材料として見るようで如何も...、救命措置が不十分になる恐れがあるから不安...、脳死をもって人の死、とすることに賛成しかねる...、人の死を国や法律が決めるなど納得がいかない...、臓器移植と言う医療行為そのものに疑問を感じる...、と言う方も居られるでしょう。死後の体は謂わば抜け殻、他に必要が有らば使ってください...、生命も肉体も自然からの謂わば借り物、肉体・生命を形作る物質は宇宙の中で廻(めぐ)り廻る、臓器も同じようなもの(私はこれに近い)...、と考える方も居られるでしょう。様々な思いが浮かび、難しいですよね、如何判断し、決めるのか(或いは決めないのか)。でも、これも考えなきゃいけない事の一つですね。何の因果か今の時代に生きる者として、環境問題や核やテロの問題と一緒に。

 それでは左様なら、お先に失礼...、と簡単には死ねないのですね。人間には、あれやこれやと、絡みつく問題が多くて...。

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*脳死臓器提供医療施設:厚生労働省が臓器提供への対応を認めた大学病院・救急救命センター・小児専門病院などは≒350施設。内小児対応可能施設が≒4割。他は、小児対応体制不備・虐待防止体制不備・小児脳死判定困難等の理由から成人のみの対応となっているとか(毎日新聞調べ)。また小児専門病院でも≒4割が、院内合意が取れない、自院で対応が出来ず応援依頼も難しい等の理由から、脳死判定や臓器提供に対応できないとしているそう(読売新聞調べ)
*脳死(Brain Death):多くの国(具体的な数字は調べましたが解りませんでした)で脳死を個体の死としているが国により多少定義は異なる。所謂「植物状態」は、大脳は機能を失っている(もしくはそれに近い状態)が脳幹は機能しているので呼吸・循環系は正常(もしくは正常に近い状態)に働いている。よって脳死とは根本的に異なる。日本で一年間に亡くなる方は≒110万人(2003年に100万人を突破.高齢化などの影響で年々増加傾向にある)で内1%弱の方が脳死となる
*長期脳死:一般に30日以上脳死状態が続く例。通常数日から一週間程度しか続かない脳死状態が、長い例では数年以上続く場合が知られている。多くは小児(大人での例もある)で日本では50〜60人程度存在する。脳は活動を止めているが心臓は動き成長し髪も爪も伸びる。但し意識回復した例は知られていないらしい
*虐待の有無:虐待を受けていた児童(18歳未満)からの臓器提供は認められていない
*人工呼吸器:人工呼吸を自動で行う機器。心臓は自立性が高いので呼吸が行われていれば(酸素が供給されていれば)一定期間動き続ける。自発呼吸が停止している場合人工呼吸器を外せば呼吸が停止し酸素供給が断たれ数分で心臓は停止する
*親族優先提供:親族のみ(或いは○○さんのみ)に提供し他には提供しない、等提供先の限定は出来ない。そうした場合提供そのものが出来なくなる
*公平性:脳死になった人の親或いは子或いは配偶者が臓器移植を必要としている(移植希望登録している)パターンは、確率的には可也低そうなので、親族優先規定は移植の公平性のを妨げるものでは無いとの意見も
*臓器提供意思表示カード:「ドナー・カード」とも呼ばれる。上にもある内閣府調査によると、持たない人の持たない理由として、カード等の入手方法が解らないから、というものが24パーセントほどもある。お役所の窓口、運転免許試験場、コンビニ(全てではない)などにあります。また新しい運転免許証と保険証の裏面には意思表示欄が設けられています。詳細は此方で。因みに、ドナーとは臓器移植等での提供者の意。受ける側はレシピエントと呼ばれる。因みにカードには「私は、臓器を提供しません」と表示することも出来ます

'10 水無月二十二日 八大竜王一休み
 梅雨真っ只中。多くの場合敬遠されがちな季節ですが、個人的には非常に好ましい季節(関東平野部の比較的穏やかな梅雨しか知らないので言えるのかもしれませんが)。しっとりと緑が美しく、暑からず寒からず、落ち着いた雰囲気が何より好き...、とは言い、出掛けたいときと洗濯したいときは、確かに困る。洗濯は最悪部屋干しが出来るのでまだ良いのですが、自転車で一寸遠くへ行きたいときはホントに困る。よって、右下の画像の様な晴れ間、元来の「五月晴れ」は洗濯は当然として自転車での遠出にも滅多に無いチャンス。武蔵野公園原っぱ
 先日、この希少な「五月晴れ」の機会に、隣の隣の町、千尋やポニョの生まれた町として有名な小金井市まで、自転車で出掛けました。
 右画像の原っぱは、東京都の街路樹や公園樹を育て或いは工事の際など一時預かるといった役割を担った武蔵野公園内のもの。広々と気持ちの良い滅多にお目にかかれない存在で、私の好きな場所のひとつ。画像上で言うと右手詰まり南側には運転免許試験場が隣接しているので、ご存知の方も多いかとも思います。
 この画像上での左手詰まり北側には、「はけ」と呼ばれる崖線(がいせん)が東西に伸びています。下の5月16日分の児童公園の写真に背景として写り込んでいる崖線の右手延長上にあたります。その、多く緑に覆われた崖線の急な坂を上がると、台地(崖線は河岸段丘を上下二つの段丘面に分けるものなので画像の原っぱがある台地の一段上の台地となります)上に市街地が広がり、その中に、今回の遠出のお目当てである、図書館があります。
 本来、隣の隣の町の図書館など、行ったところで資料を貸出してもらうことなど叶わぬのですが、最近、有り難い事に、周辺自治体間で図書館の相互利用関係が進み、私の住む町では、周辺9市の図書館資料を貸出し利用できるようになりました。周辺とは言っても可也遠い街もある為、実際利用可能な図書館は限られますが、それでも、各図書館所蔵の資料には其々良く言えば個性、悪く言えば偏りがある為、複数の図書館を利用できるのは、ほんに有り難い。
 私の場合、図書館で利用するのは主にクラシックCD。周辺自治体の方々に「御宅の市はお金持ちだから...」と言われる地元自治体の図書館は、流石に資料豊富で聴きたいと思った作品はまず所蔵されています。今のところ、聴きたい作品自体が無かった、ということはありません。しかし、作品自体はあっても、聴きたいアーティスト(演奏者或いは指揮者)のアルバムが無い、ということは多々あります。こうした場合、以前は、まぁしゃあない、と諦めざるを得なかったのですが、現在は相互利用可能な周辺自治体図書館HPを幾つかあたり検索すれば、結構お目当てのアルバムが所蔵されている。暇を見つけて自転車で出掛けて借りる...。自転車好きなので、近隣の町の多くの道は結構通り抜けた事がありお馴染みだったりしますが、図書館は流石に入館は初。其々の図書館の匂い或いは空気を感じ、窓の向こうの景色を見、CD棚を物色...。最近一寸ハマッテます。
 相互利用に似たシステムで、「相互貸借(たいしゃく)」というものがあります。例えば、最寄図書館に目当ての資料が無い場合、利用者が図書館を通じてその資料を所蔵する他図書館に利用を申し込み、最寄図書館へ資料を輸送してもらい貸出或いは館内利用をする、というもの。公立図書館であれば同一都道府県内の図書館間で行われます(もっと広く他都道府県の図書館或いは大学図書館との間で相互貸借を行う場合もあるようです)。これも有り難いのですが、地元自治体を例に挙げれば、リクエスト(予約)手続きが必要で且つ日数がかかる。私のような気まぐれで行動が行き成りな人間には一寸利用し難い感が否めない。気が向いたときにふらりと出掛けて借りられる相互利用のほうが、利用出来る資料は限られても、私には嬉しい。
 因みに小金井市図書館では、こんなCDを借りました。
 ・パガニーニ:24の奇想曲 サルバトーレ・アッカルド
 ・パガニーニ:24のカプリース イツァーク・パールマン
 ・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ('81) シギスヴァルト・クイケン
 ・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ('67) ヘンリク・シェリング
 ・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ('80) ギドン・クレーメル
 ・J.S.バッハ:インヴェンション&シンフォニア グスタフ・レオンハルト
 ・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8・14・23番 グレン・グールド
 ・ベートーヴェン/リスト:交響曲第5番「運命」ピアノ版 グレン・グールド
 等...
 何れも以前より聴いてみたかったのですが、我が町の図書館には所蔵がなかったので、諦めていたものです。

 図書や音楽CD等或いは図書館そのものは、知的な資源とも言えるかと思うのですが、こうした資源も富の如く偏在が在るのは哀しき事実。所蔵資料の多寡や質、或いは施設そのものの充実度等各自治体の財政状況に左右される部分が大きいのであろうことを思えば、富の偏在≒知の偏在という側面も否めない。そういった意味でも、周辺自治体図書館間の相互利用システムは歓迎できるサーヴィス。読みたい本、聴きたい音楽、見たい映像等など、個々人の知的な財産になり得るべき存在が身近に利用可能の状態でない、という理由で、優れた文学・音楽・映像作品等々との出会いの機会が失われてしまうのは、悲しい。私くらいの歳になると、聴きたいクラシックCDが、利用出来れば出来たでそれも良し、利用出来なきゃ出来ないでそれも良し、等と訳の分からぬ納得の仕方も可能ですが、若い人には出来得れば、聴きたい音楽は是非聴いてほしいし、読みたい本は是非読んでほしい。一生の間にそうは無い、強烈な知的飢餓感・好奇心に満ちた時期の、様々な本や音楽との出会いは、その後の人生に於いて大事な財産になり得るもの。自身の越し方を顧みそう強く感じるのです。近頃ね。だから、知的資源の偏在も、富の偏在と同じく、解消されるべきものと、思うのです(国内外問わずね)。
 図書館資料の相互利用、もっともっと進んでほしい(PRももっとしてほしい。私も結構最近まで知りませなんだ)。出来得れば、他自治体図書館で借りた資料を地元の図書館で返却できると、もっと嬉しい。借りに行く時は浮き浮き気分で、行くこと自体も楽しくて良いのですが、返しに行く時は結構しんどい。ま、余りに身勝手・我が儘な考えですね...。

 小金井市に納税などしていない私が、その図書館所蔵資料を利用するのは気が引けるなぁと思ったのですが、小金井市の住民の方も私が納税している地元自治体図書館を利用するのだから、お互い様、で良いのですよね...。

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*八大竜王:仏法守護の八体の竜神。釈迦が悟りを開いた際守護したとされるインドの半人半蛇の「ナーガ」神を起源に持つ。古来雨や水に関するとされ雨乞いの神として祭られることが多い
*五月晴れ:陰暦(旧暦)5月は現在の6月にあたり本来梅雨の晴れ間を指す語であったが現在は5月頃に続く晴天を指すことが殆ど。季語としては本来の意で用いられる場合いが多いとか
*小金井市:東京都西部、人口≒120,000人の住宅街メインの緑多き街。1992年よりスタジオジブリが存する。市のキャラクター「こきんちゃん」は宮崎駿氏の作
*はけ:関東から東北にかけての方言・古語で崖・崖線を指す。この地域に関して言えば、古多摩川が形成した河岸段丘の上下の段丘面を分ける高低差数mの崖及びその連なりを指す。処々に湧水、緑地、寺院、神社、公園また趣きある坂等ある

'10 皐月十六日 金光明四天王護国之寺
 齢(よわい)九十に手が届こうか、という我が家のおばあさんが、最近、初期のアルツハイマー病である、との診断を受けました。
 暫く前から、歳相応とは言い切れないような物忘れが散見されていたため、これは一寸相応な病院での受診が必要かな...と思いつつも、なかなか本人に切り出せないでいました。ところが或る日、一寸そこまで、と出掛けたきり2時間以上も帰宅しないので、如何したのであろうか?と彼是考え、もしや迷子になったのでは...?と思った瞬間、ハッとしました。近頃気になっていた物忘れの多さと「迷子」が符合したのです。終に来たか...認知症...。慌てて雨の中、彼女が行きそうな場所を彼方此方と探し、若しや帰宅しているかなと一応念のため自宅に戻り、鍵が閉まったままであることを確認し、これは交番へ行くか...と考えていたら、その交番からケータイに着信。お宅のおばあさんを保護しています、と。
 お世話になった交番に迎えに行ったその足で、近くのクリニックを受診しました。本人も納得してくれましたので。
 長谷川式知能評価スケールの評価を受け、カウンセリングを受け、明日にでも(同ビル内の)脳神経外科でMR検査を受けましょう、ということとなりました。
 くも膜下出血により読売ジャイアンツの木村拓也内野守備コーチ(享年三十七)(R.I.P)が急に亡くなられ、脳の病気がメディアで多くとり上げられていた頃でしたので、検査予約が殺到しており、MR検査を受けられたのは数日後でした。
 その検査後、MR画像を見せられたときは、正直ショックでした。覚悟はしておりましたが、素人目にも脳室(脳内部の空間。その拡張は脳の萎縮を表す)の広がり、側頭葉の萎縮(アルツハイマー病では側頭葉(記憶・言語などに関わる)の萎縮がまず顕著となる)は歴然。アルツハイマー病であることは確実だろう、とは思っておりましたが、矢張り、画像を見、医師に「アルツハイマー型認知症で間違えないと思います」と面と向かって言われますと、流石に、ガツンと来るものが御座いました。ニ三日は、一寸、半ば呆然としながら生活しているような状態でした。
 まあ、考えても仕方ない。一番辛いのは本人。私が凹んで如何する。と、やや開き直った状態が、現在。大分と落ち着いてきました。

 上記の如くアルツハイマー病と診断された我が家のおばあさんですが、幸い現時点では日常児童遊園地の暮らしに特別な支障は無く、足腰も達者ですので、新緑麗(うるわ)しいこの時節、脳の刺激にもなるし有酸素運動にもなるしと言うことで、近所にある国分寺遺跡へと、自転車で、先日行って来ました。
欅大樹 我が家の周辺は、ここ数十年大分と姿を変えました。私の幼少時多く存在した農地―主に畑とそれに隣する雑木林―や空地(原っぱ)は殆ど消滅(まだ有るには在りますが)し住宅街に変貌...という言ってみれば郊外では極有り触れた変化ですが、人間よりは樹々や昆虫や野鳥達やらに親しみを感じやすいタイプの私にとっては、結構堪える変化。でも、そんな中で、私の幼い頃より殆(ほとん)どと言っても過言ではないほどに変化を見せていないのが、この国分寺遺跡界隈。右上画像は遺跡に隣する児童公園及びその向こうの崖線(がいせん。河岸段丘の二つの段丘面を分ける高低差数mの崖の連なり。此方では「はけ」と七重之塔跡呼ばれる)の雑木林ですが、全然と言ってよいほど、記憶の中の姿と変わっていません。左上画像は公園前の欅(けやき)の大樹。樹高・直径(何度か強い剪定をされている様なので高さは左程ではない)から推測される樹齢(おそらく50年は超える)を考えれば、近くの池にザリガニ釣りに私が通っていた昔からここに立って居ったのでしょう(御免。憶えてない)。
 この地域は、自治体が可也気合を入れて遺跡を中心とした一帯の公園化を推進しているため、周辺農地の買収が進み(農地は多くの場合後継者難のため代替わりの際宅地に転売されてしまうのでそうなる前に、ということなのでしょう)私が子供の頃より、或る意味緑地は増えているくらいのものです。右中画像は七重之塔跡地ですが、周囲の果樹園(柿)等が付加されたのだと思います、私がチャリンコで駆け回っていた頃よりは少し広くなっています。
神社の狛犬。昭和八年十一月十五日奉納とある 遺跡の周辺には、元来の国分寺が中世に戦火で焼失して後再建された、言ってみれば「新」国分寺や隣接する神社(左下画像)、国分寺と対に造営された国分尼寺(こくぶんにじ)跡、また鎌倉の幕府へと続いていた道路の名残とも伝承される切通し切通し(右下画像。切通しとは山丘を掘削して通した道)等、絶好の散歩スポットが散在しています。私も餓鬼んちょの頃はこの辺り一帯、遊び回っておりましたが、近頃は用足し時、自転車で通過するのみ、となって久しい。のんびり見て歩くのも偶(たま)には良いものと、感じた次第です。夏場はおばあちゃんにはチョトしんどいでしょうから、また秋頃にでも散歩に行きたいと、思っております。(国分寺・国分尼寺、全国に造営されましたが、皆さんのお近くに、在りますか?)

 これからアルツハイマー病との長い(であろう)付き合いが始まります。進行を止める事は叶わない病ですので、将来に関し正直不安はありますが、焦らず力まず、上手くお付き合いできるよう、まずは、アルツハイマー病とは如何なるものかと、そのメカニズム辺りから、勉強しておる次第です。

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*アルツハイマー病:独逸の精神科医アロイス・アルツハイマー(1864-1915)により1906年の学会において初めて報告された。一度発達した知能がAβ42(アミロイドベータ蛋白質(アミノ酸42個により構成されている))とτ(タウ蛋白質)の蓄積により徐々に障害されて行く病気。神経細胞(脳細胞)の減少により脳が萎縮する。認知症(痴呆)の原因の多く(≒60〜70%とも言われる)を占める。記憶を司る「海馬(かいば。タツノオトシゴに形が似るためと言われる)」や側頭葉、そして空間的認識に関わる頭頂葉から萎縮が始まるため「物忘れ」症状や「迷子」等が初期から出現。塩酸ドネペジル(商品名:アリセプト。日本で開発された)と言う治療薬が使われ症状の緩和や進行抑制効果がある。これは神経伝達物質「アセチルコリン」を分解する酵素「コリンエステラーゼ」の作用を阻害するもので、神経細胞の減少を阻んだりアミロイドベータ蛋白やタウ蛋白の蓄積を防ぐ等の根本的治療に繋がるものではない。現在根本的治療法・薬は無い
*長谷川式知能評価スケール:広く医療現場で用いられている認知症評価スケール。一種のペーパー・テスト
*国分寺・国分尼寺:天平十三年(741)二月十四日聖武天皇・光明皇后が国情安定を願い各国に建立(こんりゅう)を命じた寺院。国分寺には「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」を、国分尼寺には「妙法蓮華経(法華経)」を其々収めた(国分寺ではお経は七重之塔に収められた)。国分寺は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」が正式名称。国分寺総本山は東大寺、国分尼寺総本山は法華寺
*鎌倉の幕府へ続く道:鎌倉の幕府から諸国へ通づる主要道路には「上の道」「中の道」「下の道」があり、上記の道は相模国より出で上野(こうずけ)国・信濃国方面に至る「上の道」の一部と伝えられているが、真偽は不明

'10 卯月六日 クロマグロ −食と言う行為−
 ワシントン条約締約国会議(カタール)で、地中海・大西洋産クロマグロの禁輸措置提案(付属書1へ掲載)が否決され、国内的には喜びと安堵感一色に列島が染まり、国際的には日本はやっぱり環境は二の次なのねと評判を落とした感のあったのは、3月の事でした。ちょっと古...という感もあるやも知れませんが、暢気者ownerゆえご容赦下さい。
 ワシントン条約と言えば、対象となる生物は、ジャイアントパンダやジュゴン(普天間基地移設で揺れる名護市辺野古の海域はその生息地の一つ)、ゴリラ、トラ、シーラカンス等で、食料資源として利用されるような生物は、普通対象とはならないので、クロマグロ(ホンマグロ)がワシントン条約リスト登録か、という話に違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。何故に、そうなったかというと...。
 そもそもマグロ類の資源としての管理は、世界中の海を五つの組織が其々海域を定め行っています。今回ワシントン条約で問題になった地中海・大西洋のクロマグロは、ICCAT(大西洋マグロ類保存国際委員会)と言う組織が担当し、科学的に資源としての評価を行い、国ごとの漁獲量や獲っても良いマグロの大きさまた漁期などを定め、違反に対する勧告などを行っています。詰まり本来、大西洋産のクロマグロの管理はワシントン条約ではなくこのICCATが行うべき事柄なのです。なのですが、どうもこのICCATが正常に機能していないらしいのです。ICCAT加盟諸国は、所属科学委員会の示す、資源枯渇の可能性がある、と言う警告を無視してより大きな漁獲枠を要求し、また定められた漁獲枠を守らない或いは違法な操業が続出。ICCATの管理能力が疑われる状態となってしまいました。よって、このICCATの健全化を促すため又ICCAT建て直しまでの期間一時的にワシントン条約で規制(禁輸)しよう、という提案になった訳です。
 ICCATの効力を失わせるようなこの過剰漁獲や違法操業は、じゃあ何故起こるのかと言えば、クロマグロが高値で買ってもらえるから。高値で買うのは誰かと言えば、主に日本(人)、ということらしい。
 では、日本(人)がどの程度マグロを消費して(食べて)いるか、それを見る為に、世界でのマグロの漁獲量とその中での日本の消費量の割合に関する数字を、下に記載してみます。
 まずは、世界全体でのマグロ類の消費量中、日本での消費量がどれほどの割合を占めるかといいますと、2004年度でのデータですが、

世界での消費量:208万トン
日本の消費量(生産量(輸出量は引く)+輸入量):58万トン

 詰まり日本(日本人)は世界全体のマグロ類の≒27%を消費していることになります。
 次に、マグロの代表的5種で、種別に世界全体の消費量中に占める日本での消費量の割合を示します。2002-2004年平均値です。

ミナミマグロ:≒100%
クロマグロ:≒80%(公式統計のみによる推計。違法漁獲分は含まない)
メバチ:≒60%
ビンナガ:≒25%
キハダ:≒20%
(以上数値はWWFオフィシャルHP(マグロの漁獲量と消費量)に記載された、FAO FISHSTAT出典、財務省統計のものを拝借しました)

 お刺身としては5種全てが対象となりますが、ミナミマグロとクロマグロは所謂「高級」なお刺身。そして所謂「ツナ缶」の中身は主にビンナガ(高級ツナ缶)とキハダです。
 ミナミマグロ・クロマグロ・メバチの三種が日本での消費割合が多い理由はお刺身(また御寿司)での利用が主もしくは多い為、ビンナガ・キハダの二種での消費割合が少ないのはツナ缶として世界中で消費されている為です。尚ビンナガは唯一日本から輸出もされており輸入は非常に少ない種です。
(因みに上記五種はすべて、ランクは異なるが、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリスト(絶滅の恐れのある野生生物のリスト)に記載されている)

 今回問題となった、地中海・大西洋産クロマグロが、日本国内でのクロマグロ消費量≒4万トン中、どの程度の割合を占めるかについては、≒半分(二万トン)と言う数字から≒80%(三万トン)言う数字まで有り、定かではありませんが、何れにしろ可也の量であることに変わりはありません。
 ICCATによると、クロマグロ資源量は、1970年代の≒30万トンから近年は≒10万トンにまで減少し、特に1990年代「蓄養(ちくよう)」が盛んに行われるようになってからの減少が激しいとか。
 「蓄養」とは、マグロの幼魚を捕獲し生簀(いけす)で大量のえさを与え太らせ、「トロ」部分を増やして売る、というもの。当然最大の蓄養マグロ消費国は日本。日本では蓄養マグロは「養殖マグロ」と表示されるため、養殖なら問題ないじゃん、と思われがちなのですが、卵から育てる本当の意味での「養殖マグロ」は、近畿大学が生産しているもののみで他は全て「蓄養」だそうです。こちら「蓄養」は天然の稚魚・幼魚を捕らえて行うのですから、当然資源量に大きく影響する訳です。
 以下に、2008年度4.3万トン(農林水産省「漁業・養殖生産統計」による)のクロマグロ供給量中の蓄養クロマグロの輸入量内訳を記します。財務省貿易統計(国名及び魚種から養殖(蓄養)生産と推計)による2008年度のものです。クロマグロ消費量中≒38.8%が地中海から輸入された蓄養クロマグロということになります。尚、括弧内は1998年度のデータです。2008年度と比較すると十年で輸入量全体が≒2.9倍に増加しているのが判ります。

スペイン:0.39万トン(0.32万トン)
マルタ:0.45万トン(0.02万トン)
キプロス:0.07万トン(-)
イタリア:0.18万トン(0.11万トン)
ギリシャ:0.04万トン(0.03万トン)
ここまではEUで、計1.13万トン(0.48万トン)
トルコ:0.23万トン(-)
クロアチア:0.13万トン(0.02万トン)
チュニジア:0.18万トン(0.07万トン)
パナマ:-(-)
以上地中海全体で、計1.67万トン(0.57万トン)
他に、太平洋で
メキシコ:0.24万トン(0.00万トン)

 マグロ類全体の日本での供給量(消費量と考えて良いと思います)は41.1万トンで国内生産量は21.5万トン(2008年農林水産省「漁業・養殖生産統計」、財務省「貿易統計」に基づく推計)、詰まり≒47.7%は輸入されているということになります。可也の量です。
 我々は、自分達の行動(ここでは主に食に関する行動)が、世界の環境・生態系、他の生物、他の国・地域の人々にどのような影響を与えているかについて、余りに無頓着であるのかもしれません。
 例えば、マグロを美味しく頂きながら、マグロ漁で混獲(こんかく)され無駄に捨てられる多くの魚があること、釣針にかかり或いは網に絡(から)めとられ生命を落とす、海鳥やウミガメ・イルカ等の海棲動物が多く存在することに思いを至らせる人は多くは無いでしょう。混穫と言う事柄自体余り知られていないのが実際かもしれません。
 又、マグロ漁とは直接関係はありませんが、自分の行動が他に与える影響、と言うことでいえば、安くて助かる...といって有難がっている(確かに有難いんだけど)食品(或いはもっと広く商品)が、何故安いのか?と考えることも、余りに少ないのではなかろうか。若しかしたら、原産地や輸出国の環境や生態系への悪影響など全く省みず生産されたから、或いは、環境対策などお構いなし、労働者の権利・健康などお構いなしの工場で加工されたからお安いのではなかろうか...?等、多くを輸入し消費している私達は時折立ち止まって思いを至らせる責任があるのではなかろうか。

 毎日食べているお米や野菜、それらを育て収穫する過程で、多くの昆虫が、害虫と言う名の下に殺され、多くの鳥や野生動物が駆除と言う名目で命を奪われている。また「雑草」と十把一絡(じっぱひとから)げに呼ばれ駆除される植物も無数に存在している。勿論、そうした事には致し方の無い部分はあるけれど、食べると言う行為は、作物や家畜、魚など無数の植物・動物の生命という存在の上に、又それらを包含する環境・生態系の上に成り立っている行為である、と言うことを、我々は余りに忘れている、余りにそのことに無頓着になっているのではなかろうか。

 今回のクロマグロの一件が、食と言う行為或いはそれに纏(まつ)わる、漁業(或いは農業)・流通・消費等々を、又食と環境・生態系との関わり等々を、一歩下がって見直すきっかけになることが望ましいと思うのだけれど、あぁまた安心してマグロが食べられる。良かった...。で、終わっちゃてるのじゃなかろうか。禁輸措置提案が否決されても、マグロ大量消費国(者)日本(人)の責任が消えたわけではない。「違法なマグロは食べん」或いはもっと拡げて「持続可能な形で漁獲された魚(例えばMSCラベル付きの)しか食べん」くらいの、気構えが必要かもしれません。

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*クロマグロ(Thunnus thynnus):スズキ目サバ科。体長250〜300cm、体重300〜400kg。タイセイヨウクロマグロ(Thunnus thynnus thynnus)とタイヘイヨウクロマグロ(Thunnus thynnus orientakis)とがある(一般に両種は亜種とされるが同種或いは完全な別種とする場合もある)。嘗ては輸入量は少なかったが蓄養がさかんとなった1990年代以降急激に輸入量が増えた。因みに1990年の輸入量は≒7,000トン、2006年は≒29.000トン、2008年は≒22,000トン。ホンマグロとも
*ワシントン条約:「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」が正式名。1973年ワシントンでの会議で採択された。野生生物の国際取引が種の存続を脅かさないよう規制するのが目的。だからクロマグロがその対象とされても不思議は無いのだよね。絶滅危険度により、付属書1(商取引禁止)、付属書2(商取引に輸出国の許可が必要)、付属書3(2とほぼ同じで原産国が独自に取り決める)に掲載が分かれる
*ICCAT:大西洋まぐろ類保存国際委員会。世界の海域ごとにマグロ類の資源管理のルールを定める国際条約機関の一つ。他の海域では、インド洋はIOTC(インド洋マグロ類委員会)、東部太平洋はIATTC(全米熱帯マグロ類委員会)、西武太平洋はWCPFC(西部太平洋マグロ類委員会)、海域を定めないものにCCSBT(ミナミマグロ保存委員会)があり其々毎年会合を開く。日本はすべての機関に加盟している。つまり世界中でマグロを獲り、世界中からマグロを買っているということ
*FAO:国際連合食料農業機関。世界経済の発展と人類の飢餓からの開放を目的に1945年設立。本部ローマ
*混獲:漁業で目的外の生物を誤って獲ってしまうこと。海鳥、イルカ・クジラ、ウミガメまた商業的価値の低い魚類など多くの生物が犠牲になっており生態系への影響も懸念され、混獲を防ぐ様々な工夫が試みられている
*蓄養:マグロを1kg太らすのに20〜30kgのイワシがえさとして必要だとか。この大量のえさ消費も問題となっている
*輸入・輸出:輸出した国は漁獲した船の船籍がおかれた国と言うことになる為、輸出国名からそのまま漁獲された海域を特定することはできない。例えば、輸出国が「台湾」となっていても漁獲海域が示されていなければ台湾付近で漁獲したものかどうかは判らない。違法なマグロの流通を防ぐためにも表示の見直しが求められる
*MSC(Marine Stewardship Council):海洋管理協議会。本部倫敦。持続可能な漁業を行う漁業者を認証する制度を運営する非営利団体。認証された漁業からの製品には「MSCエコラベル」(青い魚)が表示される
*近畿大学の養殖クロマグロ:近畿大学水産研究所が32年掛け完全養殖(人工孵化した稚魚を親魚に育てそこから採卵し人工孵化させ...という全プロセスの人工化)に成功。販売は、アーマリン近大が手がける

'10 弥生三日 ...And Justice for All
 何か事件(犯罪)が起こったとき、多くの場合人は、無意識のうちに被害者の立場になって考え、その気持ちをイメージする。又同時に、被害者の家族(遺族)の気持ちを思う。もし自分がこの犯罪に巻き込まれた被害者であったら、或いは自分の家族が犯罪被害に会ったらならば...。気の毒に...無念であったろう...と、自身と被害者を重ね、その事件(犯罪)を見る。加害者の立場に自身を重ね、その気持ちを思うことは、普通多くはない。
 犯罪を行う者、詰まり加害者となる人間より、犯罪の被害者となる人間の方が圧倒的に多く、加害者より被害者(又はその家族等)にシンパシィを感じ、同情的となるのは、或る意味当然の事でしょう(特に児童虐待の場合など被害者が子供であるだけによりそうなり易いであろう)。自身が犯罪の加害者になる可能性より、被害者となる可能性の方が、高いと考えるのが一般でしょう(人に拠るでしょうけれど飽くまで一般に)。一般どころか、自身が何時か、若しかしたら犯罪加害者になるかもしれない...等とは、考えることすら無いのが、殆どではないでしょうか。
 被害者・加害者、両者の側から考えられれば、それに越したことはありませんが、被害者側に傾きがちとなるそのこと自体は、特に責められる様な問題では無いと思います。ただ、若し、裁判員に選任されたら、話は違ってきます。裁判は矢張り、公正・公平でなければならない。中立の立場で、その事件(犯罪)を客観するには、被害者の立場に立ってその気持ちを思うと同時に、同じ様に、加害者(刑事裁判の場合被告人。但し必ずしも、被告人=加害者とは限らない)の立場に立ってその気持ちを思うことも必要となってくる。
 他者の気持ち・思い或いは考えと言うものを、真に理解し共有することは、私は不可能と考えますが、そうあろうと務める、或いは少しでも近づこうとする努力は、意味の無いものとは思いません。結構大切な事柄、と考えます。

 他者の立場になって考える...言うは易く行うは難(かた)い事ではありますが、貧弱なイマジネーションを鍛えることを、心掛けたいと思います。裁判員に選任され裁判に直接関わるとなれば、それは他者の人生に直接関わると同義ですから、其れなりの心構えも努力も必要となる。裁判員制度に諸手を挙げて賛成という訳ではありませんが、何時選任されても、狼狽(ろうばい)せぬよう準備はしていたいと思いますし、裁判員云々を別としても、被害者側に同情的となり偏る傾向は人情として致し方ないとしても、加害者(または加害者と目されている人)或いは被告人の側からも、見る・考える、と言う努力・心掛けは、必要なことではないか、と思うのです。
 市民の被害者側寄りとなる偏りが、速やかな事件解決・犯人逮捕を求める無言の圧力となって、捜査側に焦りを生ませ、杜撰(ずさん)な、或いは強引な捜査に繋がり、無実の逮捕者を生む、などと言うことも、あるのかもしれません。冤罪を防ぐ為にも、偏りをなるべくなくすことが望ましいのではないか、とも考えるのです。

 何れにせよ、自分が裁判員に選任され、他者の人生に大きく関わることがあるであろう...という心構えは、持って居りたい。人は人を裁けるのか?という問いは、十代の頃から常に付いて回るものではあるけれど、裁判員の裁くべきは人ではなく罪、裁判員の見極めるべきは検察である(検察も間違えることは有る訳です)、と捉えることも出来る。
 直接には縁も所縁(ゆかり)も無く人生を送って来た数人の人々と、数日、同じく直接には無縁の被告人や被害者の人生に、裁判を通し向き合い関わる。其れなり世界は広がり深まるであろうと思えども、矢張り、他者の人生に大きな影響を及ぼすであろう行為に正直、気の重さを感ずることを否定できない。然し、避け得ない事であるならば、自然体で気負わず誠意を持って対したい。そう出来る様、準備しておきたいものです。

 私なんぞは、よくぞ今まで裁かれる側にまわらなんで済んで来た、と言うような人間で御座います。まぁ、そんな私は置いといても、将来何時(いつ)何時(なんどき)何が如何(どう)なって自身が裁かれる側の人間(加害者或いは被告人)になるやも知れません。こんな事を言っては、気を悪くなされる方も居るやも知れませんが、でも、人の運命等読めるものでも御座いません。真っ当に生きていても、真っ当な事を主張していても、社会によっては、囚われ裁かれることもあるというは、過去の日本(戦前・戦中)を見ても判ること。又、誤認逮捕・冤罪という事があるというも現実。近頃、裁判関連のニュースやドキュメンタリ番組など見ていて思うのです。被害者・被告人、どちらの側にも立って考えられるよう、先入観を持たず、ユスティティアの天秤の如くありたいな、と。

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*...And Justice for All:ご存知の方はピンと来る、METALLICAの4thアルバム('88)のタイトル(アル・パチーノ主演の同名映画('79)に由来)
*ユスティティア(Justitia):「正義の女神(Lady Justeice)」。羅馬神話の正義を司る女神。希臘神話のテミス(Themis)とよく混同されるが、一般に司法・裁判の公正を表す象徴とされるのは、ユスティティアと言われている(「テミス」像とする場合も多い)。右手に「力・権威」を表す剣(正邪を断ずる、の意とする場合も)、左手に「公正・公平」を表す天秤を持ち(左右逆も有る)、先入観・予断の否定を表す為に目隠しをしている(していない場合もある)。因みに最高裁判所の女神像は、円鍔(えんつば)勝三(1905-2003)氏作の一寸仏像的デザインのもの(1979)で目隠しは無い。上にあげたMETALLICAの4thアルバムのジャケットにもこの女神像が描かれている
*被告人:刑事訴訟で検察により起訴された者。検察が捜査の結果被疑者(起訴前)が犯罪を犯しており刑罰を科すのが相当と判断した場合裁判を求め起訴を行う
*裁判員:6人。3人の裁判官と共に被告人の有罪・無罪、量刑を審理・評議する
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'10 如月十七日 丁寧
 近頃、頭の中―イメージ的には右前部斜め上辺り―に或る言葉が、扁額(へんがく)の様に常に懸かっている。その言葉は、「丁寧(ていねい)に生きる」。
 何時何処で目にした言葉か、判然としませんが、おそらく、数ヶ月前(もっと前かも)新聞記事の一節で目にしたのだと思います。どのような記事であったかは、全く記憶にありません。ただ、この言葉だけが印象に残り、消えません。消えないどころか、最近では、日々の心掛けになってしまいました。

 「丁寧に生きる」。ぼんやりとはイメージできますが、具体的にはどいうことなのか。まぁ、私の過ぎ越し方を振り返るならば、その逆を考えれば良いかな...。全ての事柄を基礎からこつこつと積み上げ、等閑(なおざり)にせず、また思慮深く、一足一足近道せず、道を行く...的な感じ、ヴィジュアル的に言えば、深い深い天蓋の下、アップダウンを繰返すロングでワインディングな荒れた道に、薄いけれども柔らかなカーペットを転がしながらゆっくりと敷き詰めてゆく感じ、でしょうか。余り具体的ではないな...。
 考えてもどうも全体像が具体的によく見えて来ませんので、具体的な日々の行動を考え、「丁寧」を実践する事と致しました。以下に思いつくものを挙げてみます。
 例えば、
・仕事を始めるときPCのカヴァー(何故か中日DRAGONSの応援用タオル(私は読売GIANTSファン))を畳んでデスクの横に置く
・脱いだ服をきちんと椅子の背凭(もた)れに掛ける(ハンガーもハンガーを掛ける場所も少ないので)
・自転車の雨除けカヴァーを丁寧に掛ける
・野菜を揃えて切る
・食器を丁寧に洗い濯(すす)ぐ
・洗濯物を丁寧に干す、畳む
・靴、スリッパを揃えて脱ぐ
・注文控え等文字を丁寧に書く
・新聞等を斜め読みしない
等など。
 須(すべか)らく日常の些細な事柄ですよ(大人ならコレくらい出来て当たり前だろ、とつっこまれそうなものばかりです)。でもね、その日常の些事雑事(さじざつじ)の集積が、日々の暮らしであり、日々の暮らしの堆積が、人生なのですから。

 丁寧。ていねい。この語について改めて調べると―古代中国の軍隊で用いられた、警戒や注意を知らせるための金属製の楽器の名。其処から転じ、注意深く念入りである、細部にまで注意の行き届いていること(さま)を、表すようになった。等と多く記されている。
 なるほど...注意深く念入りで細部にも注意の行き届いた...ですか。行き当たりばったりのその場凌(しの)ぎ人生、の私とは正に相反する。耳が痛い。
 今更ながら、十代二十代の頃に、「丁寧に生きる」と、こんな風に考えていることが出来たならば、人生少しは変わっていたろうにな...とも、正直思いますけれど、呼べど帰らぬ過ぎし歳月、後悔してもせんのないこと。せめてこれから、天と地の間で世界と宇宙を五感に受けて、残りの人生、丁寧に生きたい、と思う次第です。

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*扁額:屋内外に掲げる主に横長の額。外でよく見掛けるのはお寺や神社の本殿や鳥居に懸かるもの、屋内では茶室など
*丁寧の意:上に挙げた他、動作・言葉遣いが礼儀正しく心が篭っている、の意もある

'10 睦月十二日 教育
 一昨年くらいからと記憶しておるのですが、毎日一回、某企業のサイトで、クリック募金をしています。CSR(Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任))に基づく活動の一環として行われているもので、「世界の医療支援」「途上国の教育支援」「地球環境の保全支援」の三つの中から何れか一つ、クリックする毎に一円が企業から当該NPOに寄付されるシステムとなっています(クリックは一日一回のみ)。
 医療や教育、特に医療に関しての支援はおそらく多くの人がクリックするであろうけれど、環境に関する支援は少なそうだな、と考えた為、また私自身一番関心が強いのが環境問題である為、主に「地球環境の保全支援」をクリックし、他の募金サイトで環境保全関連にクリック募金できる場合は、二番目に少なそうな「途上国の教育支援」をクリックしています。
 ところが、各寄付総額を見ると意外な結果。医療がトップなのはまぁそうだろうと思いましたが、環境が小差で二番目で、教育が他二つに比し可也少ない三番目。意外。
 以下が、現在の各寄付総額詳細。

世界の医療支援:2,244,198円
途上国の教育支援:1,751,480円
地球環境の保全支援:2,192,273円
 *2010年1月現在HP上で報告されている金額です

 教育支援は医療支援の≒78%、環境保全支援の≒79.9%。明らかに少ない。環境保全に関する支援が多いのは、環境問題に対する関心が高まっていることを表していると考えて良いと思うので、喜ばしいのですが、教育支援は一寸少なすぎないか?
 医療支援がトップなのは判る、と書きました。今現在、栄養失調や様々な伝染性疾患等で多くの子供を中心に死に行く人々が億の単位で存在すると言うことを我々は知っています。例えそれが、眼前で起こっている事では無いと言い、この同じ時間の中で、同じ星の上で、十分な医療行為を受けられず多くの子供達が死んでゆくと言う事実を知っている以上、放っては置けないと思うのは、人情です。
 でも、主に所謂「途上国」の現状である、十分な医療行為を受けられずに多くの人々が...云々と言うは、結局、貧困や劣悪な衛生環境、不十分な公共サーヴィスまた環境破壊等、社会全体に起因するもの。医療支援を通じ、「今」の死を逃れることが出来ても、社会全体が変わらなければ、同じ子供達、幼くして死に行く子供達(乳幼児死亡率は先進国は概ねIMR0-10程度だが途上国では30-60、60-90、90-130等が多い)が毎年毎年新たに生まれるだけではないのか?
 乳幼児の死亡率の高さの背景には、栄養不良、劣悪な衛生環境及び親の知識不足等があるとは、よく言われることです。で、これ等背景の更に背景にあるのは、貧困、ではないのか?
 貧困から脱却するには、偏見・差別をなくし、人々が健康で、安定した職につき収入を得られるような社会にしなければならない。其の為には、環境に配慮しつつ農業を始めとする産業を発展させ、社会全体の経済力や文化的レベルを押し上げて行かなければならない。そのために必要な事と考えれば...教育、と言うものの重要性が見えてくるように思うのですが。
 安定した職につくのにも、自身や子供の健康を保つにも、人口問題を知るのにも、環境・生態系保全の重要性を知るのにも、差別・偏見をなくすにも、核兵器の真実の姿を知るのにも(最近核保有した国々の人々の多くは核兵器の真の姿を知らされていない)、人材を育てるのにも、教育が重要ではなかろうか(勿論教育だけが重要な訳ではないけれど)。少なくも、基礎的な教育が受けられなければ、識字と言う重要な能力、知識と言う重要な道具を、得られる機会が圧倒的に少なくなってしまう。
 教育が果たして100%肯定的なものかどうかは、判りません。私自身が受けてきた、格子なき牢獄の如き、癖の無い扱い易い「社会人マシン」を大量生産するが如き日本の学校教育については、反発したくなる部分も多々御座いましたし、実際反発も致しました(先生方には多大なご迷惑をお掛け致しました。それに付きましては、大変申し訳なく思っておる次第です)。又それとは別ですが、識字教育を含む教育が、多数者による少数者(少数民族)への圧力となる場合もある(多数者の文化を強制し少数者への支配を強める。嘗ての日本による朝鮮半島・台湾・南洋諸島等に対する統治・植民地支配に見られるような、宗教や言語、習慣等の強制等の様に)、途上国においては基礎的教育の普及が期待されるほど社会のレベル・アップに影響していない、等の指摘も、其々あるそうな。
 しかし何れにしろ、学校へ行きたいけれど行かれない、読み書き出来る様になりたいけれどその機会が無い、と言うようなことは、望ましい姿とは、私に思えないのです。

 募金額が医療支援と環境保全支援に少々偏っていることから、上のようなことを考えたのですが、貴女・貴方は、医療支援・環境保全支援・教育支援、この三つの内どれをクリックしますか?(貴女・貴方が趣旨に賛同できるNPOに寄付して下さい(クリックしないという選択も勿論あります))

追記:20011年9月30日をもち当該クリック募金は終了致しました。ご協力有難う御座いました。

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>*Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任):企業は社会的存在であり、自社利益のみならず、ステークホルダー(利害関係者)全体の利益を考慮し行動すべきと言う考え方。企業は、法令遵守(じゅんしゅ)のみならず、環境保全、人権擁護、消費者保護等など様々な分野に責任を有し、市民、地域、社会等の要請に応える責任があるとされる
*世界の医療支援→世界の医療団(メドゥサン・デュ・モンド):「国境なき医師団」出身者らにより1980年設立。各地に医療等の専門ボランティアを派遣するNGO。阪神淡路大震災時日本での活動を発端に日本支部が設立された
*途上国の教育支援→プラン・ジャパン:1937年スペイン内戦時の孤児支援活動から生まれ、後各地に広がり1983年日本に事務所設立。子供の視点や意見を中心に地域開発を進めるNGO
*地球環境の保全支援→WWFジャパン:1961年「世界野生生物基金(World Wildlife Fund)」として発足。当初は名称の通り野生生物の保護が中心であったが後自然環境全体の保全へと活動を拡大し、1986年「世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)」と改称。日本支部は1971年設立
*乳幼児死亡率:生まれた子供が5歳までに死亡する確率。IMR(Infant Mortality Rate)で表す。IMR50は生まれた子供1000人中50人が5歳までに死亡する事を表す。因みにユニセフによる2006年推定値を以下に載せておきます(抜粋)。100を超えるような上位の多くはサハラ以南の阿弗利加諸国です。

シエラレオネ 270(1位)
アフガニスタン 257(3位)
コンゴ 205(9位)
ギニアビサウ 200(11位)
中央アフリカ 175(15位)
ギニア 161(17位)
カメルーン 149(19位)
ソマリア 145(21位)
コートジボアール 127(26位)
ガーナ 120(32位)
タンザニア 118(34位)
マダガスカル 115(36位)
ミャンマー 104(40位)
パキスタン 97(42位)
印度 76(49位)
南アフリカ 69(55位)
朝鮮民主主義人民共和国 55(65位)
イラク 46(68位)
エジプト・墨西哥 35(81位)
インドネシア 34(83位)
中国・エクアドル 24(101位)
ロシア・アルゼンチン 16(125位)
オマーン・マレーシア 12(138位)
バーレーン 10(146位)
亜米利加・アラブ首長国連邦 8(151位)
英吉利・加奈陀・濠太剌利 6(161位)
韓国・イスラエル・阿蘭陀・瑞西 5(167位)
日本・独逸・伊太利亜・仏蘭西・西班牙 4(175位)
アイスランド・スウェーデン・シンガポール 3(189位)


・データは此方(PDF)を参考としました

*識字:国・地域により定義が異なるようですが、ユネスコ(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization:国際連合教育文化機関)では「日常生活で用いられる簡単で短い文章を理解し読み書きできる」と定義されている。こうした能力を持つ人々を「識字者」持たない(持てない)人々を「非識字者」と呼ぶ。以下に主な識字率データを掲載します(抜粋。アルファベット順)。データは、ユニセフの2000-2006年の期間内に入手された直近年次のもので、15-24歳の識字率(%)です。但し国により識字の認識・定義が異なります故単純な比較は難しいようです。

アフガニスタン 51(男性(以下同)) 18(女性(以下同))
アンゴラ 84 63
アルゼンチン 99 99
バングラデシュ 67 60
ブルキナファソ 40 27
カンボジア 88 79
中央アフリカ 70 47
チャド 56 23
中国 99 99
コンゴ 98 97
コンゴ民主共和国(旧ザイール) 78 63
コートジボワール 71 52
エジプト 90 79
赤道ギニア 95 95
エチオピア 62 39
ガーナ 76 66
ギリシャ 99 99
ギニア 59 34
ホンジュラス 87 91
印度 84 68
インドネシア 99 99
イラン 98 97
伊太利亜 100 100
ケニア 80 81
ラオス 83 75
マダガスカル 59 57
モンゴル 97 98
モロッコ 81 61
ミャンマー 96 93
ナミビア 96 93
ネパール 81 60
ナイジェリア 87 81
パレスチナ自治区 99 99
パキスタン 77 53
フィリピン 94 97
ポルトガル 100 100
ロシア 100 100
セネガル 59 41
シエラレオネ 60 37
スーダン 85 71
タイ 98 98
トルコ 98 93
ウガンダ 83 71
アラブ首長国連邦 98 96
ベネズエラ 96 98
ジンバブエ 98 98


・要約
サハラ以南の阿弗利加 76 64
東部・南部阿弗利加 75 64
西部・中部阿弗利加 76 64
中東と北阿弗利加 92 83
南亜細亜 81 65
東亜細亜と太平洋諸国 99 98
ラテンアメリカとカリブ海諸国 96 97
CEE(中東欧)/CIS(独立国家共同体) 99 98
開発途上国 90 84
後発開発途上国 74 59
世界 91 85

・データは此方(PDF)を参考としました

尚、日本、英吉利、独逸、仏蘭西、亜米利加、瑞西、韓国などはデータが公表されておりません

*NPO(Non Profit Organization):非営利団体。ボランティア活動等による社会貢献等営利を目的としない団体。非営利とは配当をしない意味で収益を行わないということではない。利益(収入から費用を差し引いた分)を関係者に分配しない(職員さんのお給料は別。お給料は費用の内)と言う事

'10 睦月一日 ちゃんと
 恭賀新年

 昨年一年間、お店も当ページもお世話になり、有難う御座いました。本年もまた、どうぞ宜しくお願い致します。

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 昨今、どうも惰性っぽく生きてるなぁ...と自身を客観視すると感じる。加齢による肉体(精神を含む)の衰え・不調を言い訳にし、或いはそれに甘え、大分と自身に対しユルイし、外界のあれやこれやに対しても、少々考えを巡らすことをサボっている。それに、第一感性自体が鈍っているのを感ずる。
 これではいかん、と、人類の一員又地球生態系の一構成要素として、如何に生きるべきか、如何在ることが望ましいか、本年、自身そして世界も、見つめ直し、この新たな一年を送りたいと、考えて居る次第です。もう一寸、「ちゃんと」生きよう、と。
 「明日生きている保証は無い」。判りきった事ではありますが、この一事を改めて銘じ、何時死する事になっても、うろたえぬ様、悔い無きよう、でも、力まずに、やって生きたいと思っております。
 まぁ、根っからの暢気者ゆえ、例によって、のんびりやります (^ ^)v

§本年の座右の一字:穏
§本年の目標:ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲聴き込み

 皆さんにとって、この一年が、良き年となりますように...

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