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北の離れ 2013

古書店主が綴る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・12月14日 ツワネ原則
・11月16日 ヨランダ
・10月11日 ポリペクトミー
・9月8日 ツマグロヒョウモン
・8月13日 波音
・7月13日 徒野(あだしの)
・6月12日 大腸内視鏡検査
・5月6日 ジェフ
・4月14日 再開
・3月18日 World Baseboll Classic
・2月1日 Istanbul
・1月1日 ご挨拶


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二千十三年 師走十四日 ツワネ原則
 「ツワネ原則」というものが今年6月に世界へ示されました。これは、「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」の通称で、「オープンソサエティー財団」が主導し国連や多くの安全保障・人権・法律の専門家等が携わり、14回の会議を経て作成されたものです。国家の安全保障と市民の知る権利との両立という問題に対し、関連法案起草・施行に指針を提供するためにつくられたガイドライン、と言えるようなもの。国家による秘密保護の必要性は認めつつも、そうしたものと情報公開原則とのバランスを配慮し具体的に様々規定しています。
 ツワネ原則は50項目よりなるのですが、そのなかには、
・誰もが公的機関の情報にアクセスする権利を有し、知る権利を制限する正当性を証明するのは政府の責務である
・政府は防衛・兵器開発・諜報に関わるもの等、限られた範囲で合法的に情報を制限をすることができる
・国際人権・人道法に違反する情報は制限してはならない
・監視システムについて市民は知る権利を持つ
・安全保障や諜報関係を含め如何なる政府機関も情報公開の必要性から免除されない
・秘密指定の期間に期限を設けるべきであり、無期限であってはならない
・秘密解除を求める手続きを定める
・裁判の公開は不可欠である
・公平な裁判の為秘密情報であっても公益に資する場合は開示すべき
・人権侵害の救済を阻害するような情報を秘密にしてはならない
・必要なすべての情報にアクセスできる独立した監視機関を設置する
・秘密保持による公益を上回る公益性を持つ内部告発者は保護されるべき
・情報漏えいに対する処罰は公益を損ない重大な損害を引き起こす危険性が大きい場合に限られる
・公務員でない者は情報の取得・公開により処罰されるべきではない
・公務員でない者は秘密情報源を明らかにすることを強制されない
等が、特に重要な項目として記されています。
 ツワネ原則はあくまで理想形を描いたもので、法的拘束力も何ら持たない一つの提言のようなものではあります。僅か半年前に作られたものですから、国際スタンダードにもなってはいないかもしれません。でも、多くの専門家の方々が会議を重ね作成したもの。それ相応の敬意は表して良いと思いますが、特定秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)制定を推し進めた総理は、ツワネ原則について「民間団体が示した一つの参考意見としては存在するのだろう」、と可也つれない。もちょっと「参考」にして頂きたいなと、個人的には思います。
 上記、ツワネ原則「重要15項目」を見ていると、特定秘密保護法の、私的に気になる部分が浮かんできます(監視機関や処罰対象に関する所とか)。その中で特に気になったのが秘密の指定期間に関する部分。一応指定期間に制限は有りますが、その長さと例外っていうのがね。
 特定秘密保護法では、秘密の指定期間は最長5年ですが、最大30年まで更新可能で、内閣の承認があれば更に60年まで延長可能とされています。そして7項目は、例外的に60年をも超えることが出来るとなっている。
 将来的であれ、原則公開となれば、それは一つの制御装置として働くでしょう。でも、60年は長くないかい?
 30年であれば秘密指定に関わった関係官僚の方の多くがご存命のうちに公開となる。60年ではほとんどの方がお亡くなりになっている。自分が存命のうちに公開となれば、やはり人間心理として、やたらなことは出来ない。指定に際し、それ相応の緊張と責任を感ずることになる。60年はいくらなんでも長すぎる(30年だって結構長い)。また、60年を超えても公開しない情報、以下に挙げます例外項目の7番目も気になる。例外対象が都合の良いように拡大解釈される可能性が残ってしまう。無理やりこれに当てはめれば、市民にとって重要な情報も、永遠のひ・み・つ(済みません、一寸ふざけてしまいました)。

1 武器・弾薬・航空機その他防衛に関わるもの
2 現に行われている外国政府または国際機関との交渉に不利益を及ぼすおそれのあるもの
3 情報収集活動の手法又は能力
4 人的情報源に関するもの
5 暗号
6 外国の政府または国際機関から60年を超えて指定を行うことを条件に提供されたもの
7 1〜6に掲げる事項に関する情報に準ずるもので政令で定める重要なもの

 秘密指定期間をあまり長くしないこと、これって結構重要なポイントの様な気がします。

 多くの反対を押し切って、強行的に採決するのは、与党が目指すアメリカとの緊密な関係、「限りなく対等に近い」パートナーとなるためなのでしょう。アメリカとの軍事機密の共有ができるようになる、アメリカから軍事機密を提供してもらえるようになる、その必要があるからなのでしょう。自衛隊をアメリカ軍と一緒に軍事行動が出来る(集団的自衛権の行使が出来る)「普通」の軍隊にする、そうすることによってアメリカに「限りなく対等に近い」パートナーと認めてもらう、という事へと、この法律が繋がるものだからなのでありましょう。
 極東の軍事的緊張の高まる中にもあり、「あなた達が攻撃されたら一緒に戦うから、もしもの時はホントに宜しくね」という気持ちにもなるでしょう。でも、第一になすべきは軍事同盟強化(或いは軍備増強)ではないのでは?

 特定秘密保護法、成立・公布はされましたが、法律は改正(或いは廃止)もできます。様々な新しい出来事が次々と目まぐるしく生起する世の中(本年もそうでした)ではありますが、この法律の事、忘れないようにして行きたいと思っております。

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*ツワネ原則:世界70か国以上、500人以上の専門家により2年以上かけ作成。「ツワネ」は発表の場となった南アフリカ共和国の首都プレトリアを含む自治体名
*オープンソサエティー財団:アメリカの投資家・政治運動家・慈善家ジョージ・ソロス氏により設立
*安全保障:外部からの脅威(攻撃・侵略)に対し国の安全を守ること
*公布:成立した法令等を公式に国民に表示する行為。特定秘密保護法は公布から一年以内の施行が定められている
*秘密指定期間:欧米諸国の秘密指定期間及び例外規定
・アメリカ 期間→10年 例外→25年。人的情報源や大量破壊兵器設計等に関わるものは50年または75年。場合により非公開とする更なる例外有り
・イギリス 期間→20年原則 例外→法の執行及び公安関連情報は100年。また安全保障に関わるものは期間について個別に判断
・ドイツ 期間→30年原則 例外→6項目は30年経過後も非公開
・フランス 期間→50年原則 例外→核・生物・化学兵器の製造・利用等に関するものは非公開
*集団的自衛権:同盟国が攻撃された際それを自国への攻撃とみなし共に戦闘行動が出来る権利。国連憲章で認められているが日本は憲法上行使できないとされている

(ツワネ原則及び各国秘密指定期間参照資料:国立国会図書館 「諸外国における国家秘密の指定と解除」)

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・どうぶつ救援本部 http://doubutsukyuen.org/
・福島県動物救護本部 http://www.fuku-kyugo-honbu.org/

二千十三年 霜月十六日 ヨランダ
 11月8日朝、フィリピン中部サマール島に上陸した台風「ヨランダ(Yolanda)」(フィリピン名.日本名「台風30号」、中国名「ハイエン(海燕)」)。日本の気象庁によれば、8日朝(9時)の時点で中心気圧が895hPa(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速65m/s、最大瞬間風速90m/sの「猛烈な台風」。米軍の合同台風警報センター(JTWC)によれば、同じく8日朝の時点で最大風速87.5m/s、瞬間最大風速105m/sとされる「スーパー・タイフーン」。
 その「ヨランダ」は、上陸後レイテ島、パナイ島と通過し、進路に当たった地域にフィリピン史上最悪ともいわれる台風被害をもたらしました。1959年の伊勢湾台風や2005年のアメリカのハリケーン「カトリーナ」と同様、高潮よる被害が大きかったようです。
 高潮とは、台風・ハリケーンなどの強い低気圧により生ずる現象。気圧の低下による海水の吸い上げ効果と強風による海水の吹き寄せ効果により海面が上昇するもの。吸い上げ効果については、1hPa気圧が低下すると1p海水面が上昇するので、ヨランダの中心気圧を895hPaとすれば、吸い上げ効果だけで、単純計算では1m以上海水面が上昇したと考えられる((1013Hpa(標準大気圧)−895Hpa)×1cm=118cm)。それプラス吹き寄せ効果です。今回最も被害の大きかったレイテ島が面するレイテ湾は遠浅で波が高くなり易く、また台風を迎え入れるように東に開いているため吹き寄せ効果は大きく、吸い上げ効果と相まって、高潮は3〜5m或いは地域によりそれ以上に達したのではないかともみられています。高潮は地震により発生する津波とは異なりますが、史上最大規模ともされる「ヨランダ」により、吸い上げられ吹き寄せられ高まった海水が陸に溢れ、「気象津波」とも呼ばれるような形となり結果的には同様の破壊力を持ってしまったようです。被災地の空撮映像を見、「3月11日」を思い起こされた方も多いと思います。

 この様に、さまざまな条件が複合し甚大な被害が生じてしまったフィリピン。中でも、上にあるように最大の被害を受けた地域がレイテ島。
 レイテは第二次大戦時、日本とアメリカにより戦場となった島。中心都市タクロバンは、1942年日本軍が上陸し、そして1944年にはその日本軍によりフィリピンを追われたマッカーサー大将(当時)が再上陸した地。日本とは無関係とは言えない歴史も持つ地。政府には、救助・医療また食糧・水等、緊急を要する支援を速やかにまた十分に行って頂きたいと思います。
 ただ、こうした他国での災害に対する支援は、このような災害発生時の緊急支援だけではなく、平時より進めて頂きたいと考える。日本は台風の発生・進路予測、予報等の気象関連また避難或いは防災意識の啓発などに至るソフト面から、治山・治水また防潮堤建設や建築物の強化などのハード面に至るまで、様々な台風防災・減災に関するノウハウを持っている。こうした部分での国際支援・協力が日本にはできると思う。こうした部分(或いは環境面での支援・協力)での積み重ねが、ぎくしゃくとしがちな近隣諸国との関係改善にも、やがては結果的に繋がって行くのではなかろうか。そしてそのようになって行く事が、日本と言う国にとっては、望ましい形のように思える。(イージス艦増やして緊張を高めるより、余程良いと思うけどな。甘いと言われるかもしれないけど)
 近隣国で大規模自然災害が生じたとき、いつも言われますよね、「日本は防災に関わる、技術・経験、ノウハウを持っているのだからソフト・ハード両面での支援・協力が出来るはず」、と。いつもこう言われるということは、残念ながら、余り出来ていないという事ですね。
 欧州委員会(EUの政策執行機関)のクリスタリナ・ゲオルギエワ委員さん(国際協力・人道援助・危機対応担当)によると、2009年までの30年間、国際機関や各国政府による災害支援は、912億ドル(≒9兆円)支出されたけれども、そのうち≒70%が緊急支援のためのもので、防災・減災のための支出は3.6%(33億ドル(≒3300億円))にすぎないのだとか(読売新聞記事より)。
 日本には、是非、こうした(台風には限らない)防災・減災或いは環境の面での支援・協力でこそ国際的存在感を示し、リーダーシップを発揮してほしい。どうせなら、こうした分野で「先進国」「大国」と言われたい。

 数値モデル(コンピュータープログラム)によると、地球温暖化による気候変動に伴い、台風・ハリケーン・サイクロン(呼び名は異なるが同じ気象現象)は全体の発生数が減り、大型のものの割合が増えるという予測が出ているそうです。比較的小型のものは減るが、逆に比較的大型のものは微増しているのです。個々のものが大型化しているとも言えるでしょうか。
 こうした予測がどれ程確かなものであるのかは解りませんが、温暖化がこのまま進んで行けば、温度上昇による海水の膨張や氷河・氷床の融解により海水面が上昇するのは確実です。つまり今回の「ヨランダ」による様な高潮災害の発生が増え規模も大きくなること、それも十分に考え得ると言うことです。
 11日よりポーランド(ワルシャワ)で、COP19(国連気候変動枠組み条約第19回締約国会議)が開かれています。そこで日本は、2020年までの温室効果ガス削減目標を「1990年比25%減」から「2005年比3.8%減」に見直すと表明します。これは実質「1990年比3.1%増」。「1990年比25%減」は原発比率40%前提のもので、「2005年比3.8%減」は原発0前提と言う大きな違いはあるが、この後退は正直ネンザン(残念)。原発0前提は暫定的なもので、原発再稼働と関連させながら新しい数値を出してゆくという心積もりなのでしょうけれど、是非、原発0前提を続け、もっと高い削減率を持たせて頂きたいと、切に願う。

 フィリピン、ベトナム、中国、被災されたすべての方々に、心よりお見舞い申し上げます

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*合同台風警報センター(JTWC: Joint Typhoon Warning Center):アメリカ海空軍共同機関。ハワイに設置。風速は1分間の平均値で日本の10分間の平均値とは異なる
*猛烈な台風:気象庁定義で最大風速54m/s以上の台風を指す
*スーパー・タイフーン(台風):風速約67〜70メートル以上の台風(上記JTWCによる)
*吹き寄せ効果:海面上昇は風速の二乗に比例。つまり風速が二倍なら海面上昇はその二乗で四倍になる
*伊勢湾台風:国際名ヴェラ。伊勢湾沿岸で特に被害が大きかった。死者4,697名、行方不明者401名
*カトリーナ:死者1,836名、行方不明者705名。死者の8割以上はルイジアナ州(首都ニューオーリンズ)
*高潮と津波:一般に高潮は津波より継続時間が長いとされる。津波の周期(波の山から山までの時間)は数分から1時間程度なのに対し高潮は約10分から数時間
*史上最大規模:アメリカの気象情報サイトによると、風力で見ると観測史上4位、上陸したものとしては史上最大だとか
*レイテ島の戦闘:1944年(昭和19年)10月より行われた、日本軍とアメリカ軍による戦闘。日本軍≒80,000人、アメリカ軍≒3,500人が戦死。日本軍将兵の死亡率は90数%とされる。周辺海域では日本海軍と米豪海軍による大規模な海戦が行われ、日本海軍艦隊は事実上壊滅(レイテ沖海戦)。この陸海の戦闘で日本の敗北は決定づけられた
*数値モデル:物理法則に基づき大気の状態の時間変化をスーパーコンピューターで計算するために用いるプログラム
*台風・ハリケーン・サイクロン:台風(タイフーン)は北西太平洋(東経180度より西)・南シナ海に存在する熱帯低気圧中、日本では最大風速約17m/s以上のもの、WMO(国際気象機関)では最大風速64ノット(約33m/s)以上のものを指す。ハリケーンは北大西洋・カリブ海・メキシコ湾および北東太平洋(西経180度より東)に存在する熱帯低気圧中、最大風速64ノット(約33m/s)以上のものを指す(WMO)。サイクロンはインド洋・ベンガル湾・アラビア海等に存在する強い低気圧を指す(低気圧一般を指す場合もある)。発生地域による名の違いで3つとも気象現象としては同じ

(m/s→メートル毎秒(秒速) 1ノット≒0.514m/s)

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・どうぶつ救援本部 http://doubutsukyuen.org/
・福島県動物救護本部 http://www.fuku-kyugo-honbu.org/

二千十三年 神無月十一日 ポリペクトミー
 先月、ポリペクトミーを受けました。
 ポリペクトミーとは、内視鏡によるポリープ切除術。私の場合は、大腸に出来たポリープの切除でした。6月12日の分に書きました、大腸内視鏡検査(受けたのは五月末)で発見され、「年内くらいに取ったらどうでしょうか」と言われた例のヤツを、スッパリとやって頂きました。私の性格上、余り間を置くと迷いが出そうなので、思い切って早めに行って参りました。
 前段階は五月に検査を受けた時と全く同様。事前に診察・説明を受け、手術日を予約し、前日用検査食と腸管洗浄剤を受け取る(検査食、洗浄剤共に前回検査時と同じ)。そして手術当日、洗浄剤で腸を空にし、午後がんセンターへ。
 しかし、前回はあくまで検査。今回は、手術。前段階は同じでも「後段階」は大分と異なる。いくら開腹を伴わない内視鏡下のものとは言い、あくまで手術は手術。それ相応に生活全般の制限が必要。
 どんな制限かと言いますと、渡された「大腸内視鏡治療時のご注意(大腸ポリープ切除)」によれば、食事、嗜好品、生活、仕事の四項目に渡るもので、左程厳しいものではありませんが、出血が起きやすい最初の一週間は其れなりに細かい。
 食事は手術後最初の三食はセンターで購入するレトルトの治療後食セットで、その後六日間は生ものや脂っこいものは避け消化の良い柔らかいものを中心にし、徐々に平常に戻す。アルコール・タバコは禁止。手術当日は、家事・入浴は禁止、翌日以降は散歩可、重いものを持たない買い物可、軽い家事可、シャワー可、入浴可・・・と、徐々に移行・緩和するも、自転車・バイク・遠出・旅行・スポーツ・力仕事は一週間NG。仕事は原則デスクワークで、出張は不可。
 ざっと、術後一週間の制限はこのようなもの。私の場合、サラダ以外生ものは余り食べませんし、脂っこいものも元々食べない。お酒もタバコもやりませんし、仕事も基本デスクワーク中心で腹圧のかかるようなことは余りないので、特別に苦労は無いのですが、一寸困ったのが、自転車と重いものを持つ買い物の不可。我が家では買い物は私の仕事。そしてその買い物には自転車が欠かせない。スーパーまで歩いて行く事は出来ますが、重いものを持てないのでは、行ってもあまり意味がない。手術前の買い置きで凌ぎましたが、流石に何時ものように賞味期限・消費期限切れでお安くなっているものをメインに購入することができないので、予算的に厳しかったよ。

 以上はポリペクトミーを受ける前と後のこと。受けた当日のことはと言いますと、切除対象のポリープが左程大きくなく且つ一つで、またポリープ切除以外の事柄はすでに一度経験していることもあり、極簡単に記せば、特に問題とてなく、意外なほどにあっさりと終了してしまいました、と言うことになります。でも、これではつまらないですし、ポリペクトミーを受けるか否かをお考えの方の判断の一助にもなるやもしれませんので、前回検査時同様、以下に少し細かく書かせて頂きます。

 ポリープ切除予約は午後1時台と言うことで、今回は前回の早朝(朝4時!)とは異なり、洗腸剤飲用開始が7時からと大分楽でした。飲用も排便も何となくコツが解っていたので、此方も大分楽。気分が悪くなることもなく、洗腸剤2リットルを無事完飲。排便も計5回でスッキリ(前回は計11回)。9月初秋の朝を感じ、がんセンターへGO。
 12時半に受付後、検査着に着替えロビー最奥のソファーに腰かけていると、私の前の順番の方々が5・6名ほど前方に座っていらっしゃるのが見える。多くご年配の方々(男女半々くらい)で、中では私が相当に若い。
 次々に名前が呼ばれ、皆さん順に検査室へと向かわれる。私の名が呼ばれたのは、ロビーに着席後1時間近く起って後でした。
 検査室に入り、前回担当して頂いた医師さん(男性)と二人の看護士さん(男性と女性)にご挨拶。のち早速ベッドに横向きに寝、あとはほぼ、なすがママ、きゅうりがパパ状態。内視鏡は再び盲腸まで達し、もう一度大腸全体を検査。そして前回見つかったもの以外にポリープがないのを確認し、いよいよ切除。
 それまでモニター画面をずっと見ていた私ですが、このまま切除場面を見るかどうか一寸迷う。血に弱い故、気分が悪くなったら迷惑かけるしなぁ、でもこんな機会は滅多にないし見たいなぁ、と考えているうちに事は進み、もうポリープにスネア(細い金属の輪.これに通電し焼き切る)がかけられ、あっという間もなくポリープ切除は終わってしまいました。出血も痛みも一切なし(大腸に痛覚は無い)。内視鏡先端で切除したポリープを転がし、最後は医師さんが指で取り出しました。そして止血クリップが挿入され、パチンッと傷口を挟み終了。ベッドに起き直ると、「見えますか?」と医師さんがプラ容器に入ったポリープを私に示してくれました。ころころとした小さな検体を見、どれくらいかかって成長したのですか?と問うと、「解りません。が、おそらく年単位でしょう」とのこと。
 以上で退室となりました。退室際時計を見ると、13時45分の入室からちょうど30分、14時15分でした。
がんセンター横のかめ池  あとは、鎮静剤がさめるまでベッドで休み、その後トイレで出血の有無を確認し(自分でね)、少々今後の説明を受け、2週間後に病理結果の説明を予約。会計を済ませ(3割負担で≒2万円)、治療食(3食分)を受け取り、センター横の池(メールマガジン9月17日号参照)でかめ達を眺めてのち、歩いて帰宅しました(近いので)。あとは、悪性か良性か、病理結果を待つのみ。

 で、その病理結果ですが、がんではなく、良性の「腺腫(せんしゅ)」とのことでした。
 「腺腫(adenoma)」というのは、分泌機能を持つ細胞(腺細胞)が増殖して出来た良性の腫瘍。一般に大腸ポリープの大半(≒8割)はこれだそうです。多くはS字結腸や直腸に出来るとか。私の場合も、S字結腸と直腸の境目という正にその通りの場所に出来ておりました。この腺腫、一般に通常直径5mm以上のものが切除対象となるようです。
 良性の腺腫を何故切るの?とお思いかもしれません。大腸腺腫の中にどの程度がんが見つかるかを表すものを、担癌率と言うのだそうですが、これは腺腫の大きさに比例して高くなります。腺腫の直径が5mm以下ですと担癌率は1%未満と言う報告が多いそうですが、10mmを超えると20%以上、20mmを超えると30%以上と言う報告が多くなるそうです。大腸がんの多くは、腺腫から発生すると考えられています(腺腫を経ない「デノヴォ(de novo)がん」タイプもある)。全ての腺腫ががん化する訳ではありませんが、大きな腺腫はがん化の可能性が高い故、たとえ良性でも予防的に切除する、と言う事のようです。逆に、5mm以下の小さな腺腫は切除せず経過観察となる場合が多いようです。因みに私のポリープは直径10mmでした。
 ポリープが生じた原因はどうあれ、出来ていたということは出来やすい体質である、と言うことが考えられるので、2年後にまた検査を受けて下さい、とのこと。取り敢えずは、本年1月の一次検査(検便)から始まった此度の大腸がん関連の件、これで一応の落着となりました。・・・と思ったら、内視鏡検査後の経過その他について市に提出するアンケート用紙が見つからん。何時も医療関連の紙物は一か所に纏めてあるのに、何故無い?

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*出血:施術後一週間は出血の起きる可能性がある。起きる頻度は≒1%(100人に一人)。この場合出血と言うのは便に少量付着する程度のものではなく、便器が真っ赤になるほどのものを指す。私の場合幸い出血はありませんでした
*大腸:小腸の先、盲腸から肛門に至る部分。口から言うと、食道→胃→十二指腸→小腸→盲腸→上向結腸→横行結腸→下行結腸→S字結腸→直腸、そして肛門と繋がるうちの盲腸から直腸までの部分。長さ≒1.5m。腸内細菌による発酵やミネラル、水分の吸収などが行われ便を形成する
*ポリープ:腺腫以外にも炎症性や一種の老化現象によるもの等がんとは縁のないものある
*デノヴォ(デノボ)がん:腺腫を経ず正常細胞からいきなりがんが発生するもの。発見し難く進行が速い。大腸がんの3割はこのタイプとも言われる
*センター横の池(かめ池):メールマガジン9月17日号にかめは数十匹はいる、と書きましたが、この写真を撮った時(ポリープ切除の少し後)に数えましたら、103と言う数になりました。水中や植え込み内にいて見えない個体を考慮するとこれ以上の数、と言うことになりますね

今回書かせて頂いたポリペクトミーに関わる諸々は、私が都立がん検診センターで経験した事柄です。よって、各医療機関により、また各々の方の病状その他の違いにより、詳細の異なる部分があると思います。予めご了承ください。

この拙文が、大腸がん・ポリープの検査・切除に関し、迷われている方、或いはお悩みの方の参考になれば幸いです。

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・福島県動物救護本部 http://www.fuku-kyugo-honbu.org/

二千十三年 長月八日 ツマグロヒョウモン
 ツマグロヒョウモンは、開長(翅を開いた幅)70mm程の、モンシロチョウより一回り大きいくらいの蝶。漢字で書くと「褄黒豹紋」。ここ東京郊外の多摩地区では、比較的多く見掛ける蝶。ただ、私の記憶する限り、頻繁に見掛けるようになったのはここ数年のこと。それ以前は余り見掛けることは無かった。少なくも私の近所では。
ツマグロヒョウモン♀  画像は♀の個体です。名の通り、前翅の「褄(つま)」部分、詰まり端っこ部分が黒く、褄を除く地の部分に豹のような斑点紋様があるのが特徴(♂は「褄黒」部分が無く全体がヒョウ柄)。綺麗ではありますが、一寸毒々しい感じもしますね。アフリカやインドまた南西諸島など一部分布の重なる、「カバマダラ(樺斑)」という有毒の蝶に擬態していると考えられています。「擬態」と言うのは「真似」ですので、ツマグロヒョウモンには全く毒は有りません(幼虫も可也毒々しい「毛虫」ですが、こちらも全くの無毒(下画像.体長≒18mm))。要するに毒を持つために鳥のような捕食者に嫌われる他種の姿に似ることで、捕食されにくくしていると言うことです。毒々しいと感じたのは、或る意味正しかったのですね。この擬態が、ツマグロヒョウモンの種の維持に関しどれ程有効なものなのかは解りませんが、少なくも対私的にはこの擬態、可也功を奏していると言えるということでしょうか。ツマグロヒョウモン幼虫
 ツマグロヒョウモンを良く見掛けるようになった頃、このように、一寸毒々しいと感じましたが、それと同時に、何か南国的、とも思いました。調べてみると、その通りで、分布はアフリカ北東部から、インド、インドシナ半島、オーストラリア、中国、朝鮮半島そして日本の南西諸島から九州、四国、近畿と、主に熱帯から亜熱帯そして温帯にかけての、全般に温暖な地域。では、日本では比較的温暖な西日本の蝶、であるはずのツマグロヒョウモンが、何故東京に?
 ツマグロヒョウモンが関東で観察されるようになるのは1990年代後半以降のこと。それ以前は、関東でこの蝶を見ることは殆どなかったとか。どうもこの分布の東進・北上、温暖化の影響であるらしい。確かに、この蝶だけでなく、東南アジア、中国、台湾、西南日本に分布し、元来南方系であるナガサキアゲハという大型の黒いアゲハチョウも、ここ数年多摩地区で、時折ですが見掛けるようになった。関東南部以西の本州、四国、九州、南西諸島に分布する同じく南方系のクマゼミも、私はまだ観察していませんが、関東北部や北陸等への東進・北上が知られています。
 ただ、こうした南方系昆虫の分布拡大を、温暖化だけの影響と言えるかどうかは不明です。ヒートアイランド現象や、食草との関係も考えられています。食草(幼虫の食べる植物)との関係で言うと、ツマグロヒョウモンの場合はスミレ属を食草とする為、パンジーやヴィオラ(日本では園芸上大型のものをパンジー、小型のものをヴィオラと呼ぶらしい)などの園芸植物の植栽が増えたことも影響しているのでは、との見方もあるようです。ガーデニングの流行・普及なども、もしかしたら関連しているのかもしれませんね。

 ツマグロヒョウモンは、年一回発生する他の多くのヒョウモンチョウと異なり、年数回発生し、東京多摩東部では春は4・5月頃から、秋は結構深まった頃まで見掛けます。お住まいの地域によって多少異なるでしょうが、まだ暫くは成虫を見ることができると思います(冬は幼虫又は蛹で越す)。若し興味を持たれたら、一寸気を付けてウォッチングして見て下さい。2009年の環境省調査で、北関東まで分布が拡大していることが確認されています。
 ウォッチングする場合は、♀(上画像)を探すのがいいと思います(と言っても♂は地味で自然と目に付くのは♀ですけど)。ただ、♀は同じタテハチョウ科のアカタテハに似ているんですよね。「褄黒」に白帯があって、大きさも近い。私も暫くの間ツマグロヒョウモン(の♀)をアカタテハだと誤認していました。でもよく見ると、アカタテハは後翅に「豹紋」が無いのです。ここは見分けの大きいポイント。そして、もう一つ似たものにヒメアカタテハがいます。此方は「褄黒」も「豹紋」も似ますが、ツマグロヒョウモンよりは少し小ぶり(開長60mmほど.モンシロチョウと同じくらい)で、翅先端の白帯が目立たない。三種ともネット検索で沢山の画像を見ることができますので、参考にして探して見てください。
 ツマグロヒョウモンは現在、その目撃報告を募っている組織もあります(下記の「いきものみっけ」等)。データを送ってみるのもよいかもしれません。目に見える温暖化、としてその指標の一つとされ、調査・研究対象となっているのです。彼等彼女等にとっては、そんなの与り知らぬところではありますけれど。

追記:「いきものみっけ」は2014年6月で終了し「いきものログ」に移行しました

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*ツマグロヒョウモン(Argyreus hyperbius):タテハチョウ科ドクチヨウ亜科ヒョウモンチョウ属
*カバマダラ(Danaus chrysippus):タテハチョウ科マダラチョウ目。キョウチクトウ科のトウワタなどの食草に含まれる有毒成分を体内に保持するため鳥などに捕食されにくいとされる
*擬態(mimicry):大きく分けて、小枝に似る、木の葉に似る、鳥の糞に似る等目立たなくなるような「隠蔽的擬態」と、無毒のアブが有毒のハチに似る等、態(わざ)と目立つようにする「標識的擬態」とがある。ツマグロヒョウモンは後者の例。でも、カバマダラのいない比較的北の地域に生息するツマグロヒョウモンの場合この擬態は無意味ですね。ツマグロヒョウモンだけが北に分布を広げた結果こうなったという事でしょうか
*温暖化:地球温暖化が進んでいるのは確実ですが、それがCO2排出など人間活動に起因する人為的なもの(現在主流の見方)なのか、或いは地球気候のレギュラーな遷移による自然なものであるのか、はたまた両者が相まってのことなのか、その辺り判然としないという見方もある
*ヒートアイランド現象:冷房・自動車の排熱やアスファルト・コンクリートの輻射熱などにより都市部の気温が周囲より高くなる現象。等温線を描くと都市部が島のように見えるためこう呼ばれる。特に夏に顕著
*ヴィオラ(viola):ヴィオラ(ビオラ)は本来スミレ属のラテン語名。楽器のヴィオラ(viola)と綴りが一緒ですが、英語の場合、viを楽器は「ヴィ」スミレは「ヴァイ」と発音するのだそう。調べてみましたが語源の共通性に関しては諸説あって良く解らない。楽器の形がスミレの花に似るからとも言われるようですが・・・

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二千十三年 葉月十三日 波音
 子供の頃、そうですね、四・五歳から七・八歳くらいの頃でしょうか、夏のお盆の頃、まさに今のこの時期には、よく南房総にある父方の祖父母の家に遊びに行っていました(三歳まではこの家で育った)。メインの漁港とは少し離れた、鄙びた小さな漁港に船を持つ、漁師の家でした。
 家は、漁港と同じように鄙びた小さな集落にありました。典型的なリアス海岸の地で、集落の前はすぐに海、後ろはすぐに山。僅かの平地に家々があり、道路があり、そして寺院がありました。
 この寺院(日蓮宗.代々の墓がある)が、先月(7月13日分)書きましたように、祖父母の家のすぐ裏手。一段高い石垣の上。そして、仏間の北側の窓の上が墓地(正確には駐車場がありその奥さらに一段高い石垣の上が墓地.GEで確認したらそうだった)。
 何故か、私がこの家に遊びに行ったとき、寝室としてあてがわれたのが、この仏間でした。怖かったよぉ、子供の私には。
 集落の前はすぐに海、と書きましたが、祖父母の家から海(磯)までの間には、海岸線に並行し、車一台通れる程度の旧道と二・三列の家並、そして二車線の県道がありました。この家並の一番端、祖父母の家のお向かいさんにあたる家に、私より一つ年上の女の子が居りまして、よく一緒に遊んでいました。この子が、私を脅(おど)かそうとしたのか、はたまた本気だったのかは不明ですが(何時か会ったら聞いてみようと思っている)、何時もと同じように一緒に遊んでいた、或る年(多分五・六歳の頃)のお盆期間の或る日、私に向かって「今晩○○ちゃんちの二階に泊めてくれない」と言うのです。なんで?と問い返す私に、「だってお盆だからお化けが出るでしょ。でもお化けは足がないから二階には上がれないもん。だから泊めて」と仰る。思春期以降の私とは大分異なり、結構素直で、年上の児が言う事は大方信じてしまう当時の私は、この言葉もまともに受け取ってしまいました。そうなんだ・・・お化けが出るんだ・・・二階には上がれないってことは一階は出るんだ・・・、と。
夜、海、月  その日の夜から、もう怖い。でもコワイコワイと思いながらも遊び疲れた子供は寝付きは良い。でも怖い話を聞いた夜に限って何故か途中で目が覚める。しかも子供にとっては未知なる世界、深夜。
 目覚めた自分を恨みましたが、仕様がない。布団を被って息を潜めるのみ。でも早く眠ってしまいたいと思えば思うほど目が冴えるのは子供とて同じ。どうにも眠れない。○十年前の田舎の漁村です、聞こえるのはコチコチと響く時計の音と、窓外の波の音のみ。あとは無音と言えるほどの静寂。・・・怖いよぉ。
 しかし、そんな恐怖に怯(おび)える少年の私を救ってくれるものがあったのです。それは自動車の音。
 ○十年前の田舎の漁村と言っても、戦後すぐではありません。東京オリンピックもとうに終わった頃。それなりに自動車も通ります。今思えば、十数分に一度くらいは海沿いの県道を通過するものがあったでしょう。ただ、不可視なるお化けの世界に慄(おのの)く少年には、この十数分が無限にも思えた。お化け
 単調に繰り返す波の音のなかに、微かに自動車の走行音が混ざってくる。その瞬間、少年(私)の固く閉じた瞼の力がすっと抜ける。ホッとするのです。当時の私にとって、自動車と言う存在はテクノロジーの象徴的存在だったのでしょう。そして自動車によって象徴されるそのテクノロジーの世界は、お化けの世界とはまさに対蹠(たいせき)的(正反対)な世界と感じられたのだと思います。波音に微かに混じる自動車の音が徐々に大きくなり、やがて又波音の中に微かに消えてゆく。その僅かの時間で、少年(私)は救われたのです。人工衛星を打ち上げるテクノロジーの世界が、不可知なるお化けの世界を、闇の中へと追い遣ってくれるように思えたのです。
 次にまた自動車がやって来るまでの、その無限とも感じられる間、少年(私)は再び固く瞼を閉じ、自動車来て自動車来て、と祈ることになるのですけれどね。

 環境問題に関心を持ち始めた十二・十三歳くらいからは、自動車は私にとって、大気を汚染し騒音をまき散らし道路建設で自然を破壊する、テクノロジーの負の側面を象徴するような存在となってしまいましたが(自動車関連また自動車好きの方、御免なさい)、上の様な時代もあったのです。今もこの時期になると、このエピソード、毎年思い出します。

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*リアス海岸:陸地が海面に対し沈降或いは海面上昇により相対的に沈んでできる沈水海岸の一つ。浸食で刻まれた谷が沈み狭い湾とそれに挟まれた半島とが続く海岸線を持つ。スペイン、ガリシア地方の入江を意味する言葉「ria」に由来

(右上、海の画像はフリー画像サイトpixabayより拝借しました。左下お化けは書いてみました)

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二千十三年 文月十三日 徒野(あだしの)
 私は墓地や霊園が好きだ。静かで落ち着く。態々出掛けたりはしないが、出先で見掛けると寄り道してしまう時がある。
 墓石や墓碑など、お墓そのものを見るならば、古くからあるお寺に付随するような墓地がいい。地衣類(菌類と藻類の共生体)が表面に着生しているような古い墓石、江戸期から変わらぬ、「天保(1831-1845)・・年」「嘉永(1848-1855)・・年」等の墓碑銘が、辛うじて読み取れるようなお墓が多い所。趣が深い。「失礼します」と呟きながら、ついつい裏面や側面を覗き込んでしまう。ただ、当時の主流だったのか、江戸期の頃の墓石は、現代より柔らかめの石(砂岩、凝灰岩などの堆積岩)が多く使われており、磨滅が激しい。残念ながら、刻まれた文字が読み取れない場合も多々。でも、年経(ふ)りた石そのものが語っているので、イマジネーションを働かせるに余り不自由はない。「どんな人だったのかなぁ」「どんな生活してたんだろうなぁ」等と、墓の主に関し妄想するのも楽しい(楽しい、は墓地では不謹慎か)。
 墓地そのものの環境を楽しむなら(楽しむ、はやっぱ不謹慎か)ば、霊園、いわゆる公園墓地がいい。比較的近所に、日本初と言われる大正期に建設された広大(≒128万平方メートル(39万坪)!)な霊園があるため、時折中を自転車で通り抜ける。何せ広いので、自転車でも相応に走り甲斐がある。樹木も多く、バードウオッチングの名所でもある。百年に近い歴史があるだけに歴史的著名人の墓所も多く、探すのも面白い(面白い、も不謹慎だな)。因みに私は、堀辰雄(1904-1953)の至ってシンプルな墓所が好き。
 この霊園は、そのものが、大正期と言う比較的新しい時代になって生まれたものなので、各墓所或いは墓石などがなかなか個性豊かである。その点、古い寺院の墓地とはまた異なる魅力。上記の堀辰雄の墓所などに見られるよう、そこに眠る人を表すように感じられるものも少なくない。
犬猫霊園  しかし、何故に私は墓地・霊園が好きなのか?幼少時に育ち、その後も夏休みのたびに訪れていた海辺にある祖父母の家が、裏手がすぐ寺院で、仏間の北側の窓を開ければ、カニの沢山住む石垣の上が墓地、という環境だったので、その所為か?とも思うのですが、でも思い返してみると、結構怖がっていた記憶があるので、どうもそれは違うよう。やはりそうしたことではなく、私が何処かで、自分自身も含め生きた人間に煩わしさを感じているところが強くある、ということなのではなかろうか、と思うのです。当然ですが、死者はいつも静か。この上なく静か。しかも、その死者が数多く眠る墓地を包む静けさは、けして空疎なものではなく、不可視な生の痕跡に満ちるように、濃密で柔らか。だから、冒頭にあるように、「静かで落ち着く」のではなかろうか。
 私が墓地・霊園に惹かれるのは、一種逃避かもしれません。でも、どんなに頑張ったって、(自身を含め)生きた人間から逃れられる訳もない。わたしの一寸した墓地への逃避癖、笑って許してやって下さい。
 このように、墓地・霊園が好きだという私は、全体から見れば可也の変わり者でしょう(墓地好きの方がいらしたら御免なさい)。一般には、墓地・霊園と言えば迷惑施設の代表にようになっていますね。
 墓地建設反対運動の話は、時折目に耳にしますし、近所でも「墓地反対」の幟・立札を見掛けます。私なんぞは、テレビの音も掃除機の音も車の音もしない、おしゃべりの声も子供の 騒ぐ声も聞こえない、墓地なんて静かでいいじゃないですか、などと思ってしまいますが、一般的には、以下の様な理由・根拠を挙げ、墓地建設に反対している場合が多いようです。

 ・カラス、犬・猫、ハエ等がお供えに集まる
 ・人の出入りが増える
 ・他人の死を感ずる機会が増し不快
 ・住環境破壊
 ・自動車が増え危険、彼岸・盆に渋滞する
 ・自然環境の破壊
 ・資産価値の低下、地価下落
 ・死角による犯罪増加懸念
 ・遠くのお寺の墓地では近隣住民に何の恩恵もない 等
 (挙がってないけど、怖いとか気味が悪いとかもありそうですね)

 う〜ん、確かに幾つかはありそうにも思えるし、尤もとも思える(緑地を伐採する場合など「自然環境の破壊」は確かにある)。最後の理由などは成程。墓地建設反対運動が起こるのは、建設予定地の住民とは縁も所縁もない遠くのお寺が、墓地の経営主体となっている場合が多いようです。地元の方が檀家になっているようなお寺の墓地が新たに作られるというような場合は、想像ですが、こうした問題は起こリ難いのではないでしょうか。
 でも、いろいろ挙げてはみても、結局根本にあるのは「死」を忌み嫌う気持ち、出来れば遠ざけておきたい「死」を、直接的にイメージさせるようなものを、生活の場に持ち込んで欲しくはない、と言うことなのかもしれません。意識・無意識別にして。
 人は誰も、「死」特に自身の「死」はあまり意識はしたくないもの。それは人情です。否定する気は毛頭ありません。でも、自分の「死」或いは「死」そのもについて考え向かい合うことを避ければ避けるほど、「死」が分からない、分からないから怖い、怖いから忌み嫌い遠ざけようとする、という螺旋に、囚われることになるのではないでしょうか。「死」は例外なく、誰にも訪れるものです。
 今の多くの人間は、死から離れすぎているのではないでしょうか(震災被災地の方や、日常的に死と隣り合わせという地域、紛争・内戦地などでは当然異なるでしょう.現代の多くの日本人は、といった意味です)。もっと「死」と向かい合い考える機会が必要であるように思えます。人間は(生物は)、「生まれ、生き、そして死ぬ」でワンセットの存在。生と死は表裏一体、分かちがたき現象。死を見つめ死を考える、ということは結局、如何に生きるかと、生を見つめ生を考えるのと同義です。人は死を意識するとき、必ず生も意識するもの。
 己の死、何時かは訪れるそれを、常に視界の片隅に捉えて日々暮らす事は、最終的に自分の生活、つまりは生き方を修正することに繋がって行く事のように思えます。誰も明日生きている保証はありません。今日が最後に日となるやもしれない、と意識すれば、自然と、これで良いのか?悔いはないか?と自問が生じ、その度、己が行動を省みることとなる。それがより良い「生」へと人を向かわせ、ひいては、より良い「死」(そんなものがあればの話ですが)へと、人を導くことになるのではないでしょうか。
 いくら個人的に墓地・霊園が好きだからと言って、人が墓地建設に反対する事を、否定するつもりは全く有りません。それぞれの理由・根拠がそれぞれに有っての事と思いますから。ただ、日常の中であまりに「死」を遠ざけていることが、墓地反対の根底に若しあるのだとしたら、それは一寸考える必要があるかもしれない、と思った次第です。

 夏、と言えばお盆。掃苔(そうたい)のとき、クライ、キモいと言わず、どんな人生があったのだろう、などと思いを巡らせ、墓地を歩くのは如何?違った世界が拡がるかもしれません。ただし、あくまで墓地・霊園は死者の眠るところ、敬意を持って行動しましょう。

(画像は我が家の歴代の動物たちもお世話になった犬猫霊園)

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*徒野:「無常の野」の意。化野、仇野とも。嘗て葬送地であった京都嵯峨小倉山麓の野で、同じ葬送地であった東山の鳥辺山(鳥辺野)と共に「化野の露、鳥辺山の烟」と世の無常、儚さの象徴とされた。転じて墓地そのものを指す
*墓地・墓所:墓地はお墓を設けるための区域、墓所は個々のお墓(墓石等)を建てるための墓地内の区画、と言うような解釈でここでは使用しています
*墓石:現代は、マグマが冷え固まって出来た花崗岩(御影石)や安山岩などの比較的硬い火成岩が多い。昔は、砂の固まった砂岩や細粒の火山灰等が固まった凝灰岩などの比較的柔らかい堆積岩が多く使用されていた
*迷惑施設:嫌悪施設、忌避施設とも。墓地・霊園の他、様々な処理施設・処分場、核関連施設、軍事施設、精神病院、空港等々多種にわたる(除染廃棄物の中間貯蔵施設は今こうした扱いになっている)。これら施設の建設の際「施設の必要性はわかるが自分の居住地域には建てないで」と主張する人々やその姿勢を指し「NIMBY(ニンビー.Not In My Back-Yard(自分の裏庭にはつくらないで))」と言う言葉が使われることがある。こうした施設建設に関する問題には、施設の存在する地域・住民には利益がなく損害のみがあると捉えられ勝ちであるという点が共通する。墓地の場合そこに入るのは遠くの町の人々であって地域住民には全く関係(恩恵・利益)がないとなる。施設の受益者と被害者の乖離という問題が根底にある
*お盆:一般に、中国生まれの「盂蘭盆経」を拠り所とする仏教行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が日本在来の信仰・風習等と結びついたものと考えられている
*堀辰雄:戦前活躍した小説家。軽井沢や信濃追分の地を愛し死も追分で迎えた。「風立ちぬ」「幼年時代」「菜穂子」など。現在墓所には多恵夫人(1913-2010)の墓碑が並ぶ
*公園墓地:大正12年(1923)開園の多磨霊園。運転免許試験場の南に面しているのでご存知の方も多いでしょう。一角には狭いが外国の方々の区画もあり、民族・宗教等の違いによる墓石の違いなども興味深くうかがえる
*掃苔:墓石の苔を掃(はら)い清めること。転じて墓参、特にお盆の墓参を指す。また著名人の墓を訪ね歩く事も指す。掃苔趣味の方を「掃苔家」「墓マイラー」と呼びますが、私は墓地そのものが好き或いは市井の人々のお墓を拝見するのが好きなので、掃苔家・墓マイラーとはちょっと異なるか

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二千十三年 水無月十二日 大腸内視鏡検査
 彼是3年経つからそろそろ大腸がん検査しよっかなぁ、と軽い気持ちで受けた一次検査(便潜血検査.いわゆる検便)で、「陽性です」と通知をもらったのが本年一月。まあ、そういう事もあるだろう、とあまりビビりもせずに翌月開かれた、陽性者結果説明会に出席(降雪の所為もあってか出席者は私を含め四名のみ)。そこで、都立がん検診センター消化器内科部長さんによる懇切丁寧な説明を受けました。
 実はもう、この説明会出席以前に、大腸がん及びその検査につきネットや図書館で彼是となく調べ、すでに「一度内視鏡検査(精密検査)を受けてみよう」との思いは固めておりました。いや、固めた心算でおりました。でも説明会に出て気持ちがブレて来ました。講師のお話、場数を踏んだ臨床医の方のお話は、やはり何やら生々しく、内視鏡検査・手術動画の臨場感も相まってか、一寸ビビって来たのです。
 講師の方は非常に物腰の柔らかい方でしたが、途中何度も、熱い口調で、「大腸がんは早期なら90%以上完治します。必ず精密検査を受けてください。大腸がんで死ぬのは勿体ない。」との強いお言葉を仰っておりました。長年の経験の中から生まれた、心奥からの言葉なのでしょう、思いはひしひしと伝わってきました。
 なのですが、精密検査、即ち大腸の内視鏡検査というものが、説明会以降変にリアルに感じられてしまうようになり、肛門から内視鏡を入れて大腸内を見るのか・・・と考えると、一度はした受診の決意が鈍り捲くり。
 ・・・結局、内視鏡検査を受けたのは五月末。一次検査の陽性通知を受けてから四か月を要してしまいました。
 何故にそんなに時間がかかった。がんだったらどうしよう、と恐れた為ではないのです。一次検査で陽性と出た場合でも、精密検査で実際にがんが見つかる確率は3〜5%と低く、見つかったとしても、私の今の状態からすればおそらくは初期がんであろう、そうであれば治療は難しくはないはず、と考えていたので、そこに関しては大丈夫でした。私がビビったのは、内視鏡検査そのもの。
 正直、肛門から内視鏡を入れるという自体非常に抵抗感がありますし、他にも、腸を空にするための洗浄剤(まぁ下剤の様なもの)を飲んで病院へ行く間にオモラシしちゃうのではなかろうか、とか、点滴(鎮痛・鎮静剤を点滴しながら検査を行う)が苦手(血管が細いのか何度も針を刺される場合多)なので、途中で気分が悪くなるのではなかろうか、とか、オッサンとはいえやっぱりなんか恥ずかしいな、とか、彼是心配事が多い。まあ悩む悩む。そうこうするうち、四月分にも書いたようにめまい発作に襲われたりなどし、これ幸いと逃げてばかり。これではいかんと、少しづつ受診の方向へとベクトルを向けるように気持ちをコントロールしていたのですが、なかなか決心がつかない。最後は、従妹の「すぐに検査した方がいいよ。すぐに予約しましょ!」のメールに背中を押され、やっと受診した次第。いい歳して世話が焼けるオヤジだよ。

 検査の結果を記す前に、これから大腸内視鏡検査を受けようかとお考えの方に、多少なり参考になるかもしれませんので、ざっと全体の流れを記させて頂きますね。お付き合いください。
 検査を受ける場所は、上記説明会の講師の部長さんがお勤めの都立がん検診センターとしました。選んだ理由は、自宅から歩いて行ける距離であり、毎年胃がん検診を受けていますので、慣れ親しんでいる為。それと矢張り、講師の医師さんが非常に信頼できる方に思えたからです。この方が部長を務めてらっしゃる所なら大丈夫であろう、と考えた次第です。
 この検診センターで、まず検査前の問診と検査に関する詳細な説明を受け、検査日を予約しました。そして、検査前日の昼・夜に摂る「大腸内視鏡専用検査食」なるレトルト食品と検査当日に飲む「経口腸管洗浄剤」(粉末)を薬局で受取り帰宅。(その他に前日夜に飲む下剤がありました.トータルの支払いは三割負担で2000円とちょい)
 一旦検査が決まってしまえば、観念したか、意外なほどに緊張がない。検査日までは約一週間ありましたが、前日まではとくにすることとて無く、あっという間に過ぎる。
 さて、検査前日。朝は普通に食事。昼は検査食。野菜のクリーム煮とクラッカー。結構美味。夜は大根のそぼろ煮と鳥雑炊。私は草食系(意味が違うか)でお肉が苦手なので鶏肉に閉口。でもこちらも味は良い。その後21時に下剤(錠剤)を飲み、入浴。明日の為にも早く就寝。のつもりだったのですが、「日曜芸人」が面白く、ついつい何時もの時間になってしまいました。明日は4時起きしなけりゃならんのに。
 そう、検査開始が朝一番の9時からだったので、4時から2時間かけて腸管洗浄剤を飲み、4〜5時間かけて腸を空っぽにしなくちゃあならないのです。ある意味、これが一番の心配だったかも。果たして2リットル(2リットルだぜ!)飲み切れるのか?そして全て出しきれるのか?
 いよいよ当日。無事起床し、ポリ容器に水を入れ洗浄剤2リットルをスタンバイ。香りはさわやかなレモン風。一嗅美味しそうかも?と思ったのですが、これが大変失礼ながら、お不味い。「○カリスエット」から一切の甘みを取り除いた様(○カリスエットを美味しくないと言ってるのではありません)。これからの2時間が思いやられました。がそうも言ってはいられない、刻々時間は過ぎてゆく。
 約10分おきに200ミリリットルずつ飲む計算で始めてから約1時間後、第一波がやって来ました。便意は強いのですが不思議と痛くはない。その後も次々と波状攻撃。徐々に便は水様化してゆきました。排便の方は結構順調だったのですが、1リットルを飲んだ辺りから、何やら気分が悪い。寒気もする。「吐き気、嘔吐、腹痛等起きた場合は服用を中断しセンターへ連絡を」と渡されたプリントにありましたが、なにせ早朝。センターには警備員さんしかおらん時間帯。どうする?と思いながらも飲み続けましたが、1800ミリリットルまで頑張って限界。200ミリリットルくらいなら残してもOKと言われていましたので、ギヴアップしました。
 もう最後かな、と思われる、黄色半透明の便を確認後、シャワーを浴び、8時半から受付開始でしたので、それに合わせて家を出ました。その頃には気分も持ち直し快調。ただ、我が家は洗浄器付き便座ではないので、計10回の排便の結果オシリがヒリヒリ。これは想定していなかった。
 さて愈々検査です。受付後、検査室へ。どうやら私がその日一番の模様。上下の検査着(生地はまさにジャージ)を渡され更衣室で着替え、と思ったら、ここでまさかの便意。トイレ(勿論洗浄器付き便座)を借りると結構な量。出しきれて良かった、と安心して戻り着替え。上は半そでTシャツを着たままその上に被り、下は下着を脱ぎ直接穿く。オシリ部分に内視鏡を入れるスリットがありますが、上からスカート様の布がかぶさっているので外から見えるようなことはありません。
 検査室に入ると、待つ間もなくベッドの上へ(トイレに行ったため押し気味になってしまったか.スンマセン)。左を下に腰と膝を曲げ(左側臥位)横になる。左手に鎮痛・鎮静剤の点滴針を刺し、右腕に血圧計のベルトを巻き、指先に血中酸素濃度計を挟むなどしているうちに、ふと気付くと、もうモニター画面には私の腸内映像が映し出されている。えーっ、何時入れた?全く気付きませなんだ。
 それからは、あれよあれよという間に内視鏡は盲腸まで進んで行く。腸を膨らますためのCO2(炭酸ガス)で多少お腹が張る痛みはありますが、内視鏡挿入による直接的な痛み、少なくもそれと分かるようの痛みは私には感じられませんでした。
 さて盲腸まで内視鏡が達したらこんどは引き戻しながら観察です。鎮静剤は打っていますが、意識は普通にあるため、私はずっとモニター画面を見ていました。当初、自分の腸の中なんてキモくって見られるかっ、と思っていましたが。何故か何の疑問もなく自然と見入ってしまいました。盲腸から上行結腸→横行結腸→下行結腸→S字結腸→直腸→肛門と見て行くのですが、結構面白い。自分の腸内を見るのは何とも不思議なもの。キレイなところはほんとに綺麗なピンク色。ちっちゃな便が漂っているのもちらほら。時々素人目にもあんまり状態良くなさそうだなと言う感じに赤黒い部分に遭遇。しかもそこで、医師さんが内視鏡のシャッターボタンを押し静止画を残している。それが5枚6枚と増えてゆく。何かあるのかなぁ、などと思っているうちにもう終了。ベッドに横になってから、起き直ってベッドの縁に腰掛けるまで約15分くらいでした。
 すぐにその場で説明。私の心配した赤黒い部分については特に言及はありませんでしたが、直腸に7〜8mmほどのポリープがあるとのこと。「年内くらいに取ったらどうでしょうか」と。仮に若しとらなかったらどうなるでしょうか?と質問してみましたら、う〜ん、微妙ですね、とのご返事。やっぱり取った方が良さそうです。
 これで、ハイお疲れ様でしたとなり、看護師さんに支えられて休憩室のベッドへ。鎮静剤なんか効いてるのかなぁと思っていましたが、歩いたら足元ふらふら。有難くベッドに横になり、血圧測定。上が98でした。低っ(検査前の測定では108)。
 30分ほど休んでのち最後の説明。今日は生もの(サラダとか)はダメ、とか乗り物の運転はダメ、とかの極あっさりと簡単なもの。でも、この時頂いたキャンディと小っちゃな紙コップに入った烏龍茶の美味しかったこと。口の中カラッカラだったから、生き返ったようでしたよ。

 会計を終え(三割負担で6000円ちょっとでした)、帰宅したら10時半。行き帰りも含めてトータル2時間と少しでした。終わってみれば、何とでも言えますけれど、意外に簡単、もっと早く受ければ良かった、というのが正直な感想。もちろん人により大変な思いをされる場合も無いとは言えませんので、気安く皆さんもどうぞ大腸内視鏡検査お受け下さい、とは言えません。ただ、男性ではがん死亡原因の第4位、女性では2003年以降がん死亡原因の第1位が大腸がんとなっている現状を考えると、矢張り、受けてみたいけれど何となく怖くて或いは恥ずかしくて決心がつかない、と言う方には、どうぞ怖がらないでください、恥ずかしがらないで下さい、とお節介ながら言いたくなってしまうのも、私の今の正直な思いです。大腸がんの罹患数は現在胃がん・肺がんより少ないですが、2020年頃には男女合わせての罹患数はともに1位になると予測されています。
 しかし、大腸がんにかかる人は増えていても、死亡率は約30%とけっして高くはありません。詰まり治り易いがんだ、と言うことです。検査を受け、早期発見できれば尚更治り易い。
 女性で大腸がんによる死亡数が多いのは、便秘の方が多い等様々要因は有りましょうが、一つには恥ずかしいと言う思いが強く検査を受けない、ということが若しかしたらあるのかもしれません。女性には限らないのですが、一次検査(検便)の検診受診率が約30%、一次検査で陽性となった方(陽性率は5〜10%)の精密検査(内視鏡検査)検診受診率が約60%と、全体に低いのが気になります。私の経験からですが、恥ずかしい思いは全くと言ってよいほどありません。まぁ、オッサンだから恥ずかしくはないでしょう、と言われれば返す言葉は有りませんが、少なくもお尻を出すなどと言うことは一切ありません。内視鏡の出し入れの時に、チラッと看護師さんがスリットを開くくらいのものです。また腸管内に送気したCO2も、腸壁から速やかに吸収され呼吸によって排出されてゆきますので、オシリから出すことは少なくも私の場合、検診センター内では全くありませんでした(家に戻ってから少しあった)。
 自分で言うのも変ではありますが、私はオッサンとはいい、結構乙女なタイプ。男性より女性の方が気が合う性質(たち)(女性とは「お友達」になっちゃうんだよなぁ)。採血やちょっとした外科的処置にもドキドキしちゃうオヤジです。その私が結構平気だったのですから、恥ずかしさ又痛みについては、どうぞ、あまり懼れないでください。

 最後に、上にも書きました、がん検診センター消化器内科の部長さんが説明会で繰り返し仰っていた言葉を、ここでも繰り返させて頂きたいと思います。
 「大腸がんは早期なら90%以上完治します。必ず精密検査を受けてください。大腸がんで死ぬのは勿体ない。」

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*大腸がん:発生した部位により「結腸がん」「直腸がん」等と呼ばれる
*ポリープ:皮膚や粘膜等に生じる茎を持った腫瘤(しゅりゅう.こぶ)の総称。多くは組織を破壊したり転移したりしない「良性」。多くの大腸がんはこの良性のポリープが発がん物質などの影響により悪性化することにより発症すると考えられている。全てのポリープががんになる訳ではなく、全てのがんがポリープから生じる訳でもない。ある程度以上の年齢の場合、多くの確率でポリープが見つかる。因みにポリープ発見時、その場で切除する場合と後日切除する場合と有り施設により異なる
*大腸がん検診:便潜血検査(検便)を受けた人の大腸がんによる死亡率は受けない人より約70%低いとのデータがある(多目的コホート研究所)
*腸管洗浄剤:午後からの検査の場合自宅ではなく検診施設で飲むこともあります
*便秘:便が腸内に長く留まると便に含まれる発がん物質が粘膜に接触する時間が長くなりがんが生じやすいと考えられる。もちろん便秘だけが要因ではなく動物性脂肪の摂取増や酒・たばこ等様々ある
*CO2:現在腸管内への送気はCO2が主流ですが、空気を使うところもあるようです。この場合オシリから出す必要があります

今回書かせて頂いた検査に関わる諸々は、私が都立がん検診センターで経験した事柄です。よって、上に幾つか記した他にも、各検診センター・病院により当然詳細の異なる部分があると思います(料金とか、鎮静剤が点滴ではなく注射であるとか、検査着が使い捨てタイプであるとか、洗浄剤の種類が異なるとか、また医師の方の技術レベルが異なるとか、等々)。予めご了承ください。

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二千十三年 皐月六日 ジェフ
 寂しいよ、ジェフ。2010年にはロニー、2011年にはゲイリーと、立て続けに訃報に接し、凹んだけど、またかい。可也落ち込んでるよ、ジェフ。

 5月2日午前、スラッシュ・メタルバンドSLAYER(スレイヤー)のオリジナル・メンバーでギタリストのジェフ・ハンネマンが、彼の地元カリフォルニアの病院で、肝不全のため死去しました。享年49。
 ジェフは、2011年初頭、クモによる咬傷が原因と考えられている壊死性筋膜炎(細菌(化膿連鎖球菌ほか)による皮膚深部の感染症)に罹患し、バンド活動を離れ治療・療養をおこなっていたそうです。ただ、直接の死因となった肝不全と壊死性筋膜炎との関連は、現時点では不明です。皮膚移植手術を受け、最近はリハビリにも取り組み、ギター演奏もしていたとか。バンドは彼の復帰を待ってスタジオ入りを予定していたようです。「俺達はアイツ(ジェフ)が100%で戻ってくるのを待っている」とは、ヴォーカルのトム・アラヤの昨年のインタビューでの言葉。皆、無念であったろうと思います。

 スレイヤーは、私たちの様なメタル好きにはお馴染み中のお馴染み、或いは強いリスペクトの対象となるようなビッグ・ネームですが、このサイトにご訪問頂いている多くの方にとっては「?」な存在でしょうか。1980年代初頭から活動し、メタリカメガデスとともにスラッシュ・メタルのシーンを牽引して来たのですが、後二者の様なポピュラリティは持ち合わせていませんよね。メタリカやメガデスが、当初から結構「普通」っぽい要素を多分に持っていたのと異なり、可也アンダーグラウンドで邪悪なにほいをぷんぷんさせており、且つ、1990年頃より、メタリカ、メガデスがより幅広い層に受け入れられるような音楽性にシフトしていった時も、我関せずと独自の道を歩み続けたので、まぁそれは致し方のないところでしょうか。でも然し、それが故に、コアなメタル・ファンには熱狂的に支持されてきた、そんなバンドがスレイヤーなのです。
 そしてそのスレイヤーで、楽曲制作の中心となり、メロディーなんてクソ喰らえ、的なノイジーでアグレッシブな光速ギターを、相方ケリー・キングと共に弾きまくっていたのが、ジェフでした。初めて聴いたときは、デイヴ・ロンバードのドラム共々、可也ジャイアントなインパクトを受けましたよ。
 さよなら、ジェフ。R.I.P

 興味をお持ちの方は、是非メタル世界遺産「レイン・イン・ブラッド('86)」(左上画像)をお聴き頂きたい。ただし、可也禍々しい凶器メタル。相当尖がって熱いですから、それ相応の覚悟がないと、ケガしますぜ。

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*スレイヤー:ケリーとデイヴの出会いからトムとジェフが勧誘され1981年結成。1983年デビュー。紆余曲折あれど2006年よりオリジナル・メンバーで活動。2006・2007年にグラミー賞受賞。メタリカ、メガデス、アンスラックスと共に「スラッシュ四天王(BIG 4)」と称された
*スラッシュ・メタル:「スラッシュ」とは「鞭打つ」の意。従来のヘヴィ・メタルがより過激より攻撃的になったもの、と考えて頂いてよいと思います。1980年代半ばから後半にかけワールドワイドなムーヴメントを巻き起こしました。その過激・攻撃的側面はより尖鋭化しデス・メタルへと継承されてゆくことになります
*ロニー、ゲイリー:前者はカリスマ的なヘヴィ・メタルのヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオ、後者はこちらもカリスマ的人気を持つロック・ギタリスト、ゲイリー・ムーア

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二千十三年 卯月十四日 再開
 哺乳動物の耳は、鼓膜より外の外耳、鼓膜の奥の中耳、そしてそのさらに奥で骨に埋まっている内耳に三分されますが、この最後の内耳、これが耳という器官の謂わば本宮で、聴覚と平衡覚とを司っています。
 内耳は、平衡覚に関わる三半規管・前庭と聴覚に関わる蝸牛(かぎゅう.カタツムリのこと.形がそっくり)に分かれます。この内耳は「内リンパ」と呼ばれるリンパ液に満たされているのですが、このリンパ液が、過剰に生産される、或いは吸収が阻害される等して、正常なバランスが崩れると、めまいや吐き気等の症状が現れることがあるそうなのです。
 ここ十日ばかり、まさにそうした症状、めまいと吐き気と格闘しておりました。格闘という表現がはまる程のめまいと激しい吐き気は実質四日間でしたが、取り敢えず病院へ出かけられる程度に症状が和らぎ、「一時的に内耳のリンパのバランスが崩れているのでしょう」との診断を受け、点滴を打っていただき(人生初点滴でした.血管が細いらしくなかなか入らなかった)、薬を処方して頂いて後も、長い時間体を起こしていることは難しく、すぐソファーかベッドに倒れこんでしまう。常に乗り物酔い(動揺病.めまいと類似性が強い)の状態が続いているような感じ、と言う表現が近いでしょうか。当然食欲もなく、立っていられないので料理も買い出しもできない。おばあちゃんには申し訳ないが、数日はストックしてある冷凍食品とインスタント・スープで我慢してもらいました。私は、買い置きの乾パンをかじり、イオン飲料を飲んで凌いでいました。
 横になると楽になるのです。吐き気は和らぎめまいもほぼ消える。だから気分が悪くなるとソファーに倒れこみ、一寸回復すると起って用事を済ませる。しかし、彼是(あれこれ)なんだかんだやろうとすると、数分も待たずしてまた吐き気が襲ってくる。よってソファーに倒れこむ。そして回復するとまた起って用事を・・・の繰り返し。そうしているうち気付いたのですが、(私の場合)横になっていた時間と立っていられる(頭を縦位置に出来る)時間がどうやら比例関係にあるよう。横になっていた時間が長ければ長いほど、その後立っていられる時間も長くなる。だから朝が一番立っていられるのです。数時間横になって寝ていましたから。と言っても、最も症状のきつかった頃は、立って彼是やれるのは二十分くらいでした。トイレに行き、パンを食べ(コーヒーを飲み)、顔を洗い歯を磨き、猫に食事させ、等とやっているうちに、あぁ、もうダメ・・・と倒れこむ。文字を読む等もしんどい(文字を追っていると気持ち悪くなる)ので、数日間の新聞は、全く目を通すことができませんでした。メールやHPも同様であり、また安静が必要でしたので、お店をお休みさせて頂くこととした次第です。

 今は大分と回復し、ふらつき感や吐き気は多少残りますが、机に向かいこうしてPCを操作することも可能となりました。おそらくもうぶり返すことはないと思います(そう切に願う)。皆さんには大変ご迷惑をお掛けしました。申し訳御座いませんでした。お店を再開させて頂きます。

 しかし、今回の件、原因は不明です。内耳の内リンパ過剰が原因となる有名なメニエール病も、ストレスが大きく発症に関わると考えられてはいますが、根本原因は不明だそうです。また、メニエール病同様内耳の障害で起き、激しいめまいや吐き気が起こるが聴覚に関わる症状のない、前庭神経炎と言う病気もウィルス感染が原因と考えられているが矢張り、原因は不明とか。
 実は数年前にも今回とほぼ同様な症状が起きたことがあるのです(今回よりは軽く、一週間ほどで回復)。そのときも今回も、特に変わったことがあった訳でもなく、ある日突然の発症でした。
 後から思えば、なのですが、立ち上がれないような状態になる二日ほど前から、何とはなしに体調の悪さは感じていました。頭痛がするのです。ただ私は普段から頭痛持ちなので、あまり気にはならない。眼精疲労かな・・・?くらいの感じ。ところが、体調不良を感じ始めてから三日目辺り、急に来たのです。吐き気、悪寒、動悸。寒気が可也するので、風邪かインフルエンザか?と思い、熱を測れども平熱。筋肉痛も関節痛もない。大流行中の風疹?と思っても、発疹がない。立ち上がろうとするとめまいがするので、これは内耳の異常?メニエール病?とも思うけれども、耳鳴りも難聴も無い。くらくらする頭であれこれ原因を考えるのですが解らない。これは病院へ行ったほうが良いかなと思うのですが、とても立ち上がって出かけられる状態ではない。そうこうするうち四日間寝込んでしまいました。

 本を検索しサイトにアクセスしようとしたらできなかった、という方もいらっしゃったと思います。折角来て頂いたのに済みません。
 繰り返しになりますが、大変ご迷惑をお掛けし、申し訳御座いませんでした。

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*めまい:ぐるぐる回るような回転性とふらつくような非回転性(動揺性・浮動性)に大別される。私は両方感じたかな。何れにせよめまいより吐き気がしんどかった
*メニエール病:フランスのプロスペル・メニエール医師が1861年に報告した。回転性のめまい、吐き気、冷や汗、動悸、寒気や暑さなどの温感異常の他、難聴、耳鳴りなどが症状として現れる。原因はストレスの他、血行不良、免疫低下など様々考えられているが不明。季節の変わり目や低気圧接近の場合に起こり易い
*前庭神経炎:発症前にかぜをひいていた人が多いため感冒との関連や血液の循環障害など原因は諸説ある。めまいは回転性に始まり非回転性と移行する。難聴、耳鳴り等はない

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二千十三年 弥生十八日 World Baseboll Classic
 う〜ん・・・残念。WBC我が地元日本代表、準決勝敗退してしまいました。低めの変化球を振らせて打ち取る日本の野球を、逆にやられてしまいましたね。プエルトリコ強かったです。決勝進出おめでとう。
 これで決勝はカリブ海のチーム同士という組み合わせになりましたね。いや、正確には、カリブ海のチーム同士か、カリブ海のチームとカリブ海出身の選手の多いチームとの組み合わせ、となりますね。明日の、ドミニカ共和国とオランダのゲームはどういう結果になるかは分かりませんが、ドミニカが勝てば前者、オランダが勝てば後者のそれぞれ組み合わせとなります。我々からすれば、ファイナルに日本或いはアジアのチームがいないのは寂しい限りですが、でも、世界的な意味においての野球界全体から見れば、好ましいことかもしれません。国内レベルの野球においても、同じチームばかり優勝していては、面白味にも欠けるし、全体的な盛り上がりにも欠けてくる。やはりある程度は、いろいろなチームが優勝するのが好ましい(個人的にはジャイアンツが3年に一回くらい優勝してほしい)。世界的にも同様、いろいろな地域の代表チームが優勝するほうが、全体的に野球を盛り上げるには好ましいでしょう。オランダが最終的にどういう順位になるかは分かりませんが、優勝となれば当然、ベスト4止まりとなったとしてもそれなりに、オランダ及びヨーロッパの野球界(ヨーロッパ野球連盟(CEB)には39か国加盟)は活気づくでしょう。そうなれば、世界的にはマイナーなスポーツである野球の人気も少しは上がり、オリンピックへの復帰にも弾みがつくことになるかもしれません。負け惜しみではなく、本当にそう思います。
(負け惜しみじゃないぜ(T_T))

 世界ランクトップ5の中で、セミファイナルまで行ったのは日本チームだけです。それだけ厳しいゲームを勝ち抜いたこと、それは十分誇れることです。
 選手、監督、コーチそしてスタッフの皆さん、お疲れ様。

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*WBC:メジャーリーグ・ベースボール機構(MLB)とMLB選手会主催の国際野球連盟公認の世界大会
*オランダ:カリブ海に点在するオランダ王国構成地域(旧オランダ領アンティル)、キュラソー、アルバ、シント・マールティンなどの自治領出身の選手が多い。欧州選手権優勝20回、2011年ワールドカップで優勝
*ヨーロッパ野球:連盟加盟各国にリーグがあるがプロ・リーグがあるのはオランダ・イタリア・ドイツだけ(らしい)
*世界ランク:国際野球連盟(IBAF)ランク(男子)→1位キューバ、2位アメリカ、3位日本、4位韓国、5位台湾

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二千十三年 如月一日 Istanbul
 この度の、アルジェリアにおけるイスラム武装勢力による人質事件は、非常に残念な出来事でした。この事件の結果に接し、胸を痛めると同時に、日本人とテロとの関係は新たな段階に入っているのだ、と思われた方が、多かったのではないでしょうか。そして、シリアにおける内戦にイスラム教宗派間対立が深く関わっている事実や、2001年のアメリカ同時多発テロ事件等の記憶とリンクさせ、「イスラム」は怖い、との思いを持たれた方またその思いを強めた方も多かったのではないでしょうか。確かに、日々の報道で接する「武装集団」や「過激派」の語の前に、多く「イスラム」と付きますので、そう感じるのは無理のないことかもしれません。
 私は、一切の信仰を持たず、イスラム教に関しても僅かな知識しか持ち合わせておりません。けれど、浅いとは言えその私の知識の中においては、イスラム教そのものは特別に好戦的であったり、過激な思想を持つ存在ではありません。おそらく、世の多くのムスリム(イスラム教徒)の方々は、「イスラム」が恐怖と不安の対象とされることに、胸を痛めて居られるのではないでしょうか。
 現在における世界の姿は、残念ながら、イスラム世界と他世界との間の軋轢・対立が強まっている、というものです。私見ですが、一般に、イスラム世界に対するイメージ(主に西部アジアや北部アフリカが想起されると思いますが)は、以下のようなものが多いのではないでしょうか。
 ・民主化が遅れている
 ・女性の権利が尊重されない、抑圧されている
 ・宗派間紛争が絶えない
 ・異教に対し不寛容
 ・テロ組織・事件が多い
 ・好戦的、暴力的
 など
 以上の他、ジハードの思想、また独特の装束や、一夫多妻制、ラマダンの断食、飲酒の禁止、豚肉の忌避、日五回の礼拝などの独特な習慣(或いは戒律)により、全体的に、自分達の理解の及ばない異質な世界、との印象があり、そこに恐怖心も生まれ不安も生じやすいという面が大きいように思われます。

 今年9月、2020年における夏季オリンピック・パラリンピックの開催地が決定します。ご承知のように我が街東京も立候補しておりますが、「イスラム圏初」を掲げ、トルコ共和国最大の都市イスタンブルも立候補しております(他にマドリード(スペイン))。よい機会ではないでしょうか。イスラム世界・社会と他世界・社会とが相互に知り合い認め合う為に、イスラム圏でのオリンピック・パラリンピック開催というのは。それ相応に、意義がある事のように思えます。
 トルコは、インフラ整備の遅れ、国際大会の経験不足、隣国シリアの内戦の先行きの不透明さなどが指摘されていますし、イスラム過激派や反政府武装組織等によるテロへの不安も持たれるでしょう。でもトルコは、憲法において「世俗主義の原則に準じ、神聖な宗教的感情による国事行為及び政治への介入があってはならない」と記し、イスラム圏初の世俗主義(政教分離原則)国家となった国です。宗教と世俗の相異なる要素の中で上手くバランスをとって発展を遂げているトルコは、イスラムと非イスラムとの対立の深まる今の世界において、両者の融和・融合に対し一つヒントを与えてくれるかもしれない存在のように思えます。
イスタンブル(pixabay)  地元民としては、東京を応援したい気持ちもあります(これ以上賑やかになるのはイヤ、と言う気も正直ありますが)。1964年の東京オリンピックは歴史的知識としてしか知りませんし、近所の国道にマラソン折り返し点の記念碑もありますので、観戦したいと言う思いもある。出場を目指す日本のアスリートの方々を応援したい思いもあります。でもここは、イスタンブルを推したい。イスタンブルでのオリンピック・パラリンピック開催が、イスラムと非イスラム間で互いに知り合い認め合う事にどれほど寄与するかは未知数ですが、如何でしょう。人間、相互に理解或いは認識し合う等容易なことではなく、特に信仰が関わる場合は殊更で、理解・認識し合うのは不可能とも思えます。ですが、お互いに知り合い、認め合うことは可能と思うし、またそれくらい出来なくて如何する、とも思う。
 如何でしょうか、2020年「イスタンブルオリンピック・パラリンピック」。

 震災からの真の復興のため、また復興・再生した姿を世界に示す、との「東京オリンピック・パラリンピック」の理念は解らないではないではありません。が、それならば、東京ではなく、2024年か2028年辺りに「仙台(東北)オリンピック」と言うのはいかがでしょう(その頃には復興が充分進んでいると思いたい)。その方がより意義があるように感じますが。
 「非都民」と言われそうですな(言われないか)。

§アルジェリア・イナメナスにおける人質事件で亡くなられたすべての方々に、謹んで哀悼の意を表します

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*イスタンブル:人口は東京と同じくらい(≒1,300万人)。古代ギリシャの都市ビザンテイウム、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルと重なる。ボスポラス海峡を挟みヨーロッパとアジアに跨る。国立(くにたち)にお店があった頃イスタンブル出身の留学生の女の子に、「トルコの人は意識としてはヨーロッパなのアジアなの」と質問したのですが、少なくもイスタンブルの多くの人は「我々はヨーロッパ」であるとの意識が強いのだそうです。因みに彼女(ソフィアさんと言ったなぁ.元気かなぁ)の発音は「イスタンブール」より「イスタンブル」に近かったです
*スンニ派:「スンナ(慣行)」に従う人「Sunni」から。スンナ派とも。イスラム教最大宗派で多数派(≒8〜9割)。シーア派が預言者ムハンマドの従弟で娘婿でもあるアリーとその子孫のみが正統な後継者であり指導者であると認めるのと異なり、アリーに先立つ三人の後継者も正統と認め、イスラム共同体の合議を重視し指導者も合議で定める
*ラマダン:イスラム暦での月の名。この月、日の出から日没まで飲食が禁じられる
*ジハード:目的の為の努力の意(アラビア語)。本来はイスラム世界拡大・防衛のための異教徒に対する武力闘争を意味するものではない
*テロ事件:2003年11月、シナゴーグ(ユダヤの会堂・礼拝所)(15日)やイギリス総領事館等(20日)でアル・カイダ系組織による大規模なテロがあった他、反政府武装組織クルド労働者党(PKK)(クルド人独立或いは自治を目指す)によるテロが起きている
*イスラム武力集団・過激派:イスラムの名のもと自らの理想世界を武力・暴力で実現しようとするような勢力。これ等勢力が伸張する背景としては、貧困・失業などの社会的不満、パレスチナ問題、国際的格差拡大等による先進諸国に対する反発などが複雑に絡んで存在すると考えられている
*クルド人:中東山岳地帯(クルディスタン)を中心に住む独自の国家を持たない世界最大の民族。人口2,500〜3,000万人。多くはムスリム
*イスラム圏の女性:イスラム圏の全体的な発展の遅れは女性の人材が生かされていないからと言う面があるのかも、などと思う。全くの私見ですが

(画像はフリー画像サイトpixabayより拝借しました)

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二千十三年 睦月一日 ご挨拶
 明けましておめでとう御座います。
 本年もお店共々、宜しく御願致します。

 これからの一年が、皆様にとり良きものとなりますように。

  …………

 昨年は"Used Books CARROT"がweb上で開店して十周年でした。こんな私が続けてこられたのも、家族・友人・知人及びお客さん、皆さま方のお蔭です。有難う御座いました。
 秋葉原で中古PCを購入し、一からHP作りを始めweb上に開店して早10年。長かったような、あっと言う間であったような...。何れにしろ、一人で成り立つものではなく、ホンに皆さま方のお蔭と、一つの節目を迎え、自己中な冷血人間である私も、珍しく感謝の念を抱いて居る次第です。
 底浅き拙い存在では御座いますが、本年もまた引続き、宜しく御願致します。

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 ご挨拶、と言う本筋から離れますが、上に「十周年」云々と書いていて、一寸気になったことがあります。この「X周年」ってそう言えばどう数えるのが正解?と。
 一年目、うちの店で言えば2002年をそう数えると2012年は十一年目で、「十周年」は一昨年2011年だったのでは?と気になりだした。トップ・ページに「十周年を迎えました」って書いてたけど、やっちまったか?と焦ったのですが、よく考えると、「一周年記念セール」とかは、開店から丸一年経ってのことですよね。と言うことは、うちの店で言えば、2003年が「一周年」、2007年が「五周年」で、20012年が「十周年」となって、正解じゃん。
 一般には、丸一年経って「一周年」とし、一年に満たない場合は「一年目」とするのが、正しいとされているらしい。よって、"Used Books CARROT"の場合、2012年「十周年」説が一応正解のようです。ホッ...。
 「X周年」を何時とするかは、「満」で数えるか「数え」で数えるかで、一年のずれが生じます。「満」は最初の年を「0年」とし「数え」は最初の年を「一年」とするからです。世間的には、別にどちらでも良し、正解も不正解もないよ、個々・時々の都合で良いんじゃない?的になっているようですが、とりあえず正解は「満」で数える、詰り丸一年経て「一周年」とするのだそうです(この場合、「数え」では「二年目」となります)。

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*周年:丸一年。その数だけの年を経たことをあらわす
*「満」と「数え」:うちのお店の場合で言うと昨年2012年は、「満」で「十周年」、「数え」で「十一年目」と言うことになります

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