Used Books CARROT | MYSTIC RHYTHMS

北の離れ 2016

古書店主が綴る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・12月23日 入退院
・11月26日 ブレーキとアクセル
・10月21日 多磨霊園4区水場 二
・10月17日 多磨霊園2区・3区・4区水場
・10月13日 多磨霊園2区焼却炉
・10月8日 多磨霊園2区ピラミッド墓
・9月28日 多磨霊園4区水場
・9月19日 多磨霊園13区給水塔
・9月17日 多磨霊園12区水盤
・9月15日 多磨霊園小金井門塔
・9月4日 多磨霊園11区噴水塔
・8月6日 多磨霊園シンボル塔
・7月30日 胃カメラ
・7月10日 旅行嫌い
・6月28日 初鳴き
・5月18日 はけの分断
・5月13日 クロウリハムシ
・4月18日 九州、地震
・3月9日 磁気共鳴画像法
・2月23日 レスキュー
・2月19日 何処にお願いしようか
・1月17日 ノーウォークウイルス・・・であろうか
・1月2日 VIP


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師走二十三日  入退院
入院 先月末、おばあちゃんが大量下血をした。

 鮮血ではないややダークな色合いを見て、これは・・・大腸がんっぽいな、と思いつつ、かかりつけ医に電話相談。救急車を呼んで病院を探し救急受け入れ可能な大きな病院を探してもらうのがいいとアドバイスされた。
 しかし、昨今の救急出動要請の過剰を考えると、病院を探すだけで救急車を呼ぶことは躊躇われる(出血はすぐに無くなった)。そこで、消防庁の救急相談センターに電話。そこで症状・状態を話し、教えてもらった病院の中から、取り敢えずは一番近そうな病院に電話。幸い検査及びその後の検査入院が可能との返事をもらい、タクシーで直行と相成った。

 待ち時間も左程なく診察となり、大腸内視鏡検査を受けるための検査入院が即決まった。以前に何度か書いたが、大腸内視鏡検査は、最大で2リットルの洗腸液を飲み腸を空っぽにする必要がある。私などは自分で無理なくできるが、中程度のアルツハイマー病であるおばあちゃんには、自身ではまず不可能。私が手伝って行うのもやはり無理である。よって、通常は一時に行う洗腸過程を、数日に分け行うため、入院が必要なのだ。

 入院数日後、内視鏡検査が実施され、結果は予想通り大腸がんであった。直腸に直径5cmであった。私がほぼ同じ場所に出来た良性のポリープは直径1pであったから、可也デカイ。これが下血の原因であった。90歳代という年齢の問題はあるが、まず手術は問題は無いという事で、後日開腹手術し、問題の部分を切除と決まった。ここから、内科ドクターから外科ドクターへと引き継がれた。
 手術までは暫く日があるため、一旦退院し、手術前々日に再入院ということとなった。
 退院前日、外科ドクターに呼ばれ、手術に付説明をして頂く。
 一般的な手術のリスク等の説明(リンパ等への転移はなさそうだとのこと)の後、選択肢の一つとして、一般的な吻合(患部を切除後、前後の腸管を繋げる)とするか、ストーマ(人工肛門)にするか、と言う事柄について話を聞いた。
 切除部位が肛門に近いと、腸管を繋げることが難しくなるため肛門を切除してストーマとするのだが、おばあちゃんの場合がんの部位から言って吻合は可能であり、ストーマは必要ないと思われるが、術後の状態、つまり手術によって体力が落ち或いは長期入院の影響で、アルツハイマー病が進行し、寝たきり或いはそれに近い状態となることも可能性としてはある。すると、被介護者である本人及び介護者である家族にとり、ストーマの方が管理がし易いことも考えられる。これはあくまで社会的な問題となるが、ストーマも選択肢としては有り得る、という話である。
 これについては、私自身すでに考えていた事柄であったので、理解はできた。しかし、結局は、通常の吻合とすることに決めた。理由は特にない。おむつ生活となっても、何とかなるであろうと思っただけである。

 入院中は、せん妄(急性の意識障害。入院等の環境変化により起こる場合が多い)が大分激しく、またトイレもほぼおむつに頼る等、退院後どうなることかと心配したが、やはり帰宅と共にせん妄はうそのように霧散し、トイレも自分で行くことが出来た(一応おむつはしている)。

 さて、一時退院も入浴介助のヘルパーさんをお願いするなど、あれこれと忙しく過ぎ、あっと言う間に再入院となった。
 手術は可能と言われても、何と言っても90歳オーヴァーの超高齢者である。もしやしたらこれが最後の姿となるやもしれぬと思い、珍しく出発前に写真など撮る。

 オペ(オペレーション。手術)当日は、私は談話室で待つことになるのだが、これが長かった。やたら陽当たりの良い明るい部屋で、眺めも良く、過ごしやすいのだが、11時の開始から、術後入るHCU(High Care Unit。準高度治療室。ICUと普通病室の中間くらいの感じ)の看護師さんから呼ばれるまで4時間半。大分タップリと音楽が聴けた。
 待ち時間の途中、看護師さんから「切除した臓器は見ますか?」と問われた。何せ何より血に弱い私である。看護師さんにそう伝えたのだが、ドクターに呼ばれ手術室前室に入り、待っていると、手術室側のドアが開きドクターが入って来た瞬間、すでにドクターの手にしたステンレス皿の上の切除部分が目に入ってしまった。ドクターは慌てて手で隠し、見ますか?と改めて訊いてくれたが、もう遅いので、覚悟を決めてしっかりと観察。ドクターは腸の盛り上がった部分を指し「これががんです。カワイイものですが、一応がんなので切除しました」と解説。確かに直径5cmはある。切除部分の全長は17-18cmほであろうか。

 HCUに呼ばれた後だが、ここは患者安静や感染の問題等あるので面会は30分がリミット。まず荷物をカーテンで仕切られた入り口付近に総べて置き、入念に手を洗いベッドへ。人工呼吸器の管やら、心電図、呼吸、血圧またSpO2(Saturation Pulse Oxygen。経皮的動脈血酸素飽和度)など測定するための生体情報モニターのカラフルな種々のコードやらが繋がり、サイボーグの様なおばあちゃんが、まだ麻酔からすっかりは醒めずに横たわっている。こんな状態の人間を見るのは初めてなので、おばあちゃんを心配する気持ちとは別にある、子供染みた好奇心が働き、周囲を彼是観察してしまう。この機器はドイツ製、こちらは日本製か等。或いはモニター画面の種々の数値を、これは血圧でこれは心拍数でこれは血中酸素濃度だな、・・・等と。
 素人目にはおばあちゃんがどの様な状況にあるのか判断しかねるが、看護師さんは特に問題は無いとおっしゃるので、私は痛む腰(ずっと座って待っていたので)をさすりながら帰宅した。

 その後の回復は思いの外で、翌々日には普通病室に移り、更にその翌々日辺りには痛み止めの点滴や各種モニター用のコードも無くなり、はやリハビリまで始まっていた。そして術後一週間目には退院の話も。
 リハビリは行うとは言え、病院ではベッドや車いすの上で過ごす時間も多く、筋力の衰えやアルツハイマー病の進行も懸念される。なるべく早く自宅での生活に戻ることが望ましい訳である。ただここで問題となるのは傷口のケアだ。
 傷口は、感染制御のため態とすべて縫合せず開放創となっている(内部で化膿し難い様)ので、一日一回キズ周辺を石鹸とぬるま湯で洗浄しガーゼ交換せねばならない。これが家で詰まり私に出来れば退院は可能なのだ。
 其処で始まったのが、看護師さんによるキズ洗浄とガーゼ交換のレクチャーだ。
 まずはベッドの上パターン。新しいガーゼ(15×10cmくらいのを厚めに)と固定用テープを準備し、古いガーゼを外し、タオルで周囲をガードし100均などにもあるキャップに小さな穴が五つ開いたプラスティックのマヨネーズボトルに入れたぬるま湯で洗浄。そしてガーゼに泡洗浄剤を付けてキズ周辺を洗う。次にまたぬるま湯で周辺とキズ内部を石鹸分が残らぬ様しっかりと洗い流す。最後に新しいガーゼを貼って固定し終了。お風呂パーターンは、ベッド上パターン同様のことをお風呂場でやるだけである。普通にシャワーで洗い流して終わりである。ただし、これは暖房もしっかりとした病院のお風呂なら簡単であるが、我が家の寒く狭いお風呂場では逆に難しそうである。

 何れにしろ退院は近い。病院ではまたしてもせん妄が散見されるが、それは自宅に帰れば消えるであろう。トイレも一応自分で行っている(勿論看護師さんの介助付きだが)様だし、傷口ケアも出来そうではある。ただ体力的に見て、暫くは(ニから三週間)デイサーヴィスには行けぬと思われる。と言うことは、暫くは私も何処へも出かけられぬという事である。
 まあ、それは致し方ないので、ストレス溜めぬ様、自身のケアもしっかりせねば。

 ここ暫らくのおばあちゃんの入院は、私から見ると、或る意味長い休暇であった。洗濯ものなどあるので、ほぼ毎日病院には顔を出しはしたが、自転車ですぐの場所ゆえ大した労苦でもない。一人生活の楽さ気楽さを、たっぷりと味わわせて頂いた。紅葉・黄葉シーズンの鉄塔も随分と訪問できた。
 ここでしっかり、また介護モードに切り替えねばならない。

 その内、退院後のことをご報告するかもしれない(しないかもしれない)。

2016 12/23

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*下血:消化管内からの出血が肛門から出たもの。胃などの上部消化管からの場合は黒色に、下部消化管からの場合は暗赤色となる場合が多い

(画像は、イラストACより拝借しました)

熊本地震ペット救護本部

霜月二十六日  ブレーキとアクセル
自動車 高齢の方の運転する自動車による事故は、非常に胸が痛む。事故に遭われた方やそのご家族を御気の毒に思うと同時に、人生の仕上げの時期にきて、思いがけず犯罪加害者となってしまい、多額の賠償まで負わなければならなくなったご当人のことを思うと、こちらも同じ様にお気の毒である。
 認知症的状態でなくとも、加齢により運動能力や判断力が低下するのは誰も避け得ないものである。それ自体は致し方のないものであり、責められる筋合いのものではない。私は自転車しか乗らないし、オッサンではあるがまだ高齢ではないので、加齢に伴う様々な能力の低下が自動車運転にどのように影響するのかは、正直よく理解できない部分はあるが、若い頃に比し視野が狭くなり、後方確認などしずらくなるのは感じているので、その辺りからある程度類推することは出来る。

 高齢ドライヴァーによる事故を減らすには、一定以上の年齢になったら(例えば75歳以上)、運転免許返納を義務付けるという事が効果が大きい、とは思う。しかし、地域により、自家用車を運転しなければ病院にも通えない、と言う場合も多いと思う。私の住む地域でも、一応東京(郊外)ではあるが、最寄りのバス停まで結構歩かねばならないし、少し遠い病院だとバスの乗り継ぎも必要となる。場所により、特に冬場・夏場のお年寄りの通院などは、なかなかに大変であろうと想像する。
 また、自動車運転がお年寄りの自信につながっている部分もあろうかと思う。自身で運転することが出来ているという事から自信が生まれ、それがお年寄りの元気を生んでいる部分も多々あるのではなかろうか。
 高齢者に自主的免許返納を促す努力や、認知症が疑われるドライヴァーへの対策強化などは必要であるが、同じ年齢でも、個々人体力・判断力などレヴェルは様々であるなどの問題も有るので、一定年齢で免許返納義務、を課するのは難しそうである。

 高齢の方が自ら、謂わば気軽に安心に自家用車運転を卒業できるような世の中、社会環境を作らねばならない、と言うことになろうけれども、これも難しそうではある。無理なく便利に移動できるような公共交通機関の充実も、そうそうは簡単に整備は出来ぬであろうし。

 取り敢えず、もっとも現実的で、謂わば手っ取り早いのは、自動車側での対応となるか。私は上にも書いたように、自動車は運転しない(免許自体持たない)ので、自動車に関する知識も皆無に等しい。よって語れるようなものも持ち合わせていないのだが、自動ブレーキというものが存在することや、クラッチ付きのマニュアル車というものが存在することは知っている。一応二輪免許は持っているのでそのクラッチが如何なるものであるかも知っている。「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」事故は、クラッチ付きなら起こりにくいこととなるのではなかろうか。
 一定年齢以上のドライヴァーには、自動ブレーキシステム搭載車の使用、或いはマニュアル車の使用を義務付け、それに対する補助を行う。もちろんこれで完璧と言うことにはならないであろうが、随分と事故は減らせるのではないであろうか。
 最近は「ワンペダル」なるシステムもあるらしい。ブレーキとアクセルを間違える事故は、よく似たもの同士がすぐ隣りに並んでいて、しかも「踏む」と言う同じ動作で作動するから起こる、とも言えそうだ。「ワンペダル」は文字通りペダルは一つのみで、これは踏めばブレーキ。ペダル右横に付いたレバーを足で右に押せばアクセルとなる。ブレーキとアクセル、全く異なる動きで作動するので間違えは非常に起こり難そうだ。謂わばバイクと同じだ。私はむかーしバイカーだったが、バイクは、アクセル(スロットル)は右手グリップを回す、ブレーキは右手レバーを握る(前輪)および左足ペダルを踏む(後輪)、とアクセルとブレーキが全く異なる動きなので、ブレーキとアクセルを間違えることはあり得ない。
 これは良さそうな気がする。高齢の方に「ワンペダル」。どうであろうか。

 数字上では、必ずしも高齢ドライヴァーに因る事故が多いとは言えないようで、高齢の方への風当たりばかりが強くなるのは気の毒な気もするが、それでもやはり対策は急がれるべきであろう。人生卒業前の重大アクシデント、避け得るものは避けさせてあげたい。

2016 11/26

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*ワンペダル:熊本県のナルセ機材有限会社さんの開発。世界七か国で特許取得。代表取締役の鳴瀬さん自身の「踏み間違え」事故が開発の切っ掛けとか

(画像は、イラストACより拝借しました)

熊本地震ペット救護本部

神無月二十一日  多磨霊園4区水場 二
 前回ちらと書いたが、霊園には「大廻り西通り」と呼ばれる、南の正門を入ってから左(西)へ向かい、弧を描いて北上し小金井門広場へ続く園路がある。前回紹介の3区水場を後にして、もういい加減昼食(例により見切り品のパンだが)にしようと、手ごろなベンチを物色しながらこの道を走っていたら、お隣の4区でまた水場と出合ってしまった。余りの思いがけなさに、クリビツである。
 少し前に八角型水場を紹介したと同じその4区に、その紹介した水場と姉妹の様によく似た水場があったのだ。

多磨霊園4区水場(タイル有り)
南東面から

 これ、まさにこれである。このタイル装飾付、これこそ、こちらのサイトさんで拝見した水場である。
 同じような水場が、同じ4区に二つあるとは、考えてもみなんだ。見付けた瞬間、思わず「あれ?タイル貼った?」と、前回紹介の八角形水場と混同してしまった。

多磨霊園4区水場(タイル有り)
南東寄りから

 前回のものは、やはり元来「タイル無し」であったのだ。縁下の窪みは、タイルが剥がされた後ではなく、装飾だったのだ。良かった。盗難などではなかった。安心した。
 しかし、「タイル無し」と「タイル有り」の2つ、よく似ている。八角形の基壇に八角形の水場。4方向に足場。そして中心に水出口のある柱。4区は東側と西側とに大きく2つに分かれるが、おそらくはそれぞれに一つずつで対のデザインになっているのであろう。似てはいるが、微妙に細部は異なっているのも、それを感じさせる。
 縁下のタイルの有無もそうなのだが、足場のある壁面が、「タイル無し」は凹んでいるが、「タイル有り」は、逆で、足場の無い壁面が凹んでいる。

多磨霊園4区水場(タイル有り) 多磨霊園4区水場(タイル有り)
左、北東 右、北西

多磨霊園4区水場(タイル有り)
壁面の窪み

 素焼きと思しきタイルは、片仮名の「コ」の字を三つ重ねた模様のものを上下を逆にして交互にし、一面に五枚ずつ貼っている。この模様、小金井門水場の床に貼られたタイルと、雰囲気は似ていなくもない。彼方は十字を五つ重ねた模様だが・・・、それ程似てないか。

多磨霊園4区水場(タイル有り) 多磨霊園4区水場(タイル有り)
タイル 左、南西面 右、南面

多磨霊園小金井門水場タイル
小金井門水場タイル
小金井門塔の窓の透かしに似ているか)

 水出口も「タイル無し」同様、南西に向いている。3区水場のことを考えれば、水は出放しではなく、今は失われているが蛇口が付いていたのかもしれない。

多磨霊園4区水場(タイル有り) 多磨霊園4区水場(タイル有り)
左、中心柱 右、排水溝(北面)

 向きもほぼ同じではなかろうか。「タイル無し」同様、足場の無い面がおよそで東西南北に向く。下の「付録」の各計測値を見て頂ければ分かると思うが、全体に非常に近い。角や縁の磨滅など考慮すれば、大きさ的にもほぼ一緒、と考えても良いのではなかろうか。
 ただ、大きな違いが一つある。こちら「タイル有り」には、排水用と思しき塩ビパイプが、東面の壁下部に付いているのだ。しかも、傷んではいるが、左程古そうには見えない。パイプ基部を見ても、後々に取り付けられたようにも思える。結構最近までこの水場、現役であったのだろうか。
 ただし、パイプ先端下にある丸い排水孔、これは可也がっつり小石や土で埋まっている。これを見ると、大分長いこと使用されていない様ではある。
 また北面に、これも「タイル無し」には見当たらなかった四角い枡があるが、これも排水関係であろうか。

多磨霊園4区水場(タイル有り) 多磨霊園4区水場(タイル有り)
左、パイプ 右、枡

 エッジの丸み加減や、全体の傷み加減等比較すると、風化度は全体に「タイル有り」は「タイル無し」より少し低い様に見える。でも、風化危惧IB類には入りそうだ。
 しかし、矢張り二つ姉妹のよう。一寸控えめなお姉さんと、一寸シャレオツな妹、的な。作られたのは共に4区造成時の大正13年(1924)頃(4区使用開始は大正14年(1925)4月)、と思うのだが、風化具合の差を見ると、若しかしたら本当に、姉妹の様に誕生時期に後先の違いがあるのかもしれない。

多磨霊園4区水場(タイル無し) 多磨霊園4区水場(タイル有り)
姉(左)と妹(右)
共に南西寄りから

 「タイル有り」は、発見がお彼岸の後であったため、ゴミ袋が山積みされているのが、少々残念である。

 園内を彷徨中、あちらこちら、墓群の狭間に光り靡くススキを見た。長い秋雨に降り籠められているうち、何時の間にか、もうそんな季節になっていたのである。

多磨霊園25区ススキ
25区のススキ

*付録
多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。なお、()内に比較のため「タイル無し」の計測値を記しました
中心柱幅:約21cm (タイル無し:約22cm)
中心柱高:約73.5cm(中に土等堆積しているので実際はもっとあると思う) (タイル無し:約72cm)
水出口径:約2.6cm
水場直径:約152cm (タイル無し:約150-151cm)
水場内径:約107cm (タイル無し:約105cm)
水場枠幅:約22.5cm (タイル無し:約23cm)
水場高:約57cm (タイル無し:約58cm)
基壇一辺:約126cm (タイル無し:約133-134cm)
基壇高:約3cm(殆ど土に埋まり計測・比較困難)
枡:外枠約74×62cm、内枠約46.5×44cm
排水孔:外径約50cm、内径約45cm
排水パイプ径:約11cm
磁北に対する角度:南面から測ると東に13-14度ずれ(スマホ、アナログ共) (タイル無し:南面から測ると東に14-15度ずれ(スマホ) 南面から測ると東に約12度ずれ(アナログ))

*多磨霊園用語集

2016 10/21

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*風化具合の差:この差は誕生時期の差なのか、またはコンクリート材の違いによる耐久性の差なのか、不明である

(多磨霊園の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

神無月十七日  多磨霊園2区・3区・4区水場
 焼却炉と思しき建造物を拝見して後、ロータリーを北側に少し行くと、シンボル塔のところで触れた名誉霊域入口だ。気付かなかったが、「域靈譽名」と右から旧漢字で書かれている表示が建っていた。
 下は地図になっているが、こちらにも「圖面平地墓磨多」と同様に右横書きであり(面の字も現在と異なるが変換できなかった)、昭和14年(1939)に西側に拡張される以前の、開設当初の範囲が描かれている。「多磨墓地」は昭和10年(1935)5月に「多磨霊園」と改称されたので、その以前に建てられたものということになる。
 小金井門及び広場も書かれているので、昭和5年(1930)頃から昭和9年(1934)頃に建てられたことになろうか。シンボル塔が昭和5年建設だから、その頃か。

多磨霊園7区名誉霊域 多磨霊園7区名誉霊域
左、全景 右、地図アップ

 ロータリーに沿ってそのまま進めば管理事務所。裏に著名人のお墓がリストアップされているマップを頂き、殆どエンプティであったが備え付けの虫よけスプレーを使わせて頂き、どこぞでパンでも食べようかと、大廻西通りをマウンテンバイクで走っていたらば、古そうではあるが、陽光に新しい塗装も眩い、今なお現役の水場に出合った。

 場所は3区。これは小金井門水場同様に、濃いクリーム色にお化粧されている。こちらも艶やかだ。同じ時期にメンテナンスされたのであろうか。
 中にたまっている水は新鮮そうで、現役感が漲っている。

多磨霊園3区水場 多磨霊園3区水場
3区水場
左、東寄りから 蛇口は最新プッシュ式

 基壇の一辺は、およそで2.5mある。中心の水場以外は、すべて四角形の組み合わせ。他の建造物に見られるX字型や八角形は欠片もない。ただ、四つの足場と中心の柱と言う要素は、4区水場と共通する。よくよく見れば、基壇と中央の水場の角をカットして八角形にしたら、4区水場にクリソツではないか。

多磨霊園3区水場 多磨霊園3区水場
3区水場
左、北東寄りから 右、南東寄りから(ヒガンバナが咲き残っていた)

 素人目だが、シンプルながら、矩形の足場や円、溝など組み合わせ、なかなか味のある結構モダンなデザインに見える。一応これも例にもれず、アール・デコ調、なのかな。
 3区使用開始は大正14年(1925)3月、4区使用開始はその一か月後の4月。造成はほぼ同時くらいとも考えられるので、この水場は4区水場と同時期に作られたことになるのであろうか。
 独自の分類では、準絶滅危惧。小金井門水場同様現役なので、当分風化の心配は無いであろう。

 しかし、後日、風化の心配が可也ある、と言うかもう既に大分風化した水場、形としては上の3区水場とほぼ双子と言ってよい水場を、前回紹介した「ピラミッド」の裏手に発見した。これは、木立に埋もれ紛れ、「発見」の語が相応しいと思われる。独自の分類では、もう「風化危惧IA類」も超えて「風化:すでに風化したと考えられる」である。
 3区のものと、そっくりクリソツではあるが、中央水場部分はコンクリートで塞がれ(叩いて音を聞くと中は空洞のようだ)、周囲の溝も埋められ、此方は残念ながら、疾うに役割を終えてしまっている。

多磨霊園2区水場
2区水場
南西寄り

多磨霊園2区水場 多磨霊園2区水場
2区水場
左、北寄り 右、東寄り

 足場の一角など、育ったクワの株によってコンクリートが完全に割られている。
 生き写しの様な2区と3区二つの水場、何が二者の運命を、こんなにも異なるものとしたのであろうか。

 と、これだけかと思いきや、又更に後日、4区の北のはずれに同型の四角型水場を見付けた。ロータリー内のベンチに腰掛け、お昼のパンを食べながら何気に向かいの一角に視線をやると、薄暗い樹林の下にひっそり這い蹲っているではないか。
 こちらも2区のもの同様、周囲の溝が埋められ、中央円形水場もコンクリートで塞がれている(これも中は空洞のようだ)。風化度は2区のもよりは低いが、役目は同じく終えてしまっている。

多磨霊園4区水場(四角型)
4区四角型水場
南東寄り

多磨霊園4区水場(四角型) 多磨霊園4区水場(四角型)
4区四角型水場
左、南西面 右、南寄り

 下画像は、現在現役、園路の交点を中心に各所に設置された縦型水場である(東のエリアはもう少し背面が低く足元が深いタイプが多い)。使い易くはあるのだが、個人的には、失礼ながらデザイン的に少々味気がない。

多磨霊園4区水場(現役縦型)
4区縦型水場

 それに対し四角型や八角型のレトロな水場、腰を屈めねばならないので、ご高齢の方など使いにくいとは思うのだが、デザイン的には面白味があって良いと思う。霊園に漂うオールドな雰囲気にも良く似合う。
 どうであろう、これ等水場、3区のもののように現役復帰、なんぞ。予算の問題等有るであろうが、考えて頂けたらな、等と勝手に思ってしまう次第だ。

 今回紹介した水場に限らないのだが、今までここで取り上げてきた園内の忘られた建造物達、噴水塔水盤給水塔また焼却炉など、皆それぞれ当時デザインや建設に関わった方々の意気込みの様なものが感じられるし、また、その時代のアトモスフィアの様なものも伝わってくる。風雪を越えて来たもののみが持つ、代わるもののない雰囲気・存在感をも持っている。これ等を整備したらば、歴史的建造物鑑賞スポットとして、霊園がより多くに人に親しまれるために役立つのではなかろうか。

*付録
多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。

2区水場
水場幅:約122cm
水場内径:約90cm
水場高:約35cm
基壇一辺:約252cm
磁北に対する角度:南の角から計ると西に1-2度ずれ(スマホ、アナログ共)

3区水場
水場幅:約122cm
水場内径:約88cm
水場高:約37cm
基壇一辺:約250cm
磁北に対する角度:南の角から計ると東に17-18度ずれ(スマホ、アナログ共)

4区水場(四角型)
水場幅:約122cm
水場内径:約91cm
水場高:約37cm
基壇一辺:約248-249cm
磁北に対する角度:南の角から計ると東に11-12度ずれ(スマホ) 南の角から計ると東に約12度ずれ(アナログ)

*多磨霊園用語集

2016 10/17

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*クワ:クワ科クワ属の落葉高木。一般にヤマグワを指す。異形(いけい)葉といって同じ株でも葉の形が大きく異なる場合がある。写真に写っている物はハート型だが一般にイメージされる葉は3-5裂した深い切れ込みのある葉ではなかろうか

(多磨霊園の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

熊本地震ペット救護本部

神無月十三日  多磨霊園2区焼却炉
 ピラミッド墓を拝見し、その行く末を思い少々凹みながらも、気をとり直し、パンフレットでも頂こうかと、南の正門横の管理事務所を目指した。みたま堂・壁墓地通りという、園内を斜めに走る園路を南東方向へ向かうと、突き当たった正門北のロータリーの、薄暗い木立の中に何やら異様なる物が。
 これは一体、何なのであろうか。

多磨霊園2区焼却炉

 場所は2区。正門から入ってすぐ左手(西寄)に、開園当初からの墓地付属休憩所「大森」さんがあるが、その向かい辺りである。

多磨霊園2区焼却炉 多磨霊園2区焼却炉
左、正面(顔っぽい) 右、背面

 和弓を横たえた様な屋根の形状が印象的だ。

多磨霊園2区焼却炉 多磨霊園2区焼却炉
左、北側 右、南側

 南側の屋根にのみ、波型の模様が刻まれている。

多磨霊園2区焼却炉

 裏に回ると、少し本体と周りの壁部分との間に隙間があり、本体下に長方形の開口部が見える。開口の中は何やら黒く焼け焦げたような色合いで、外側には、半ば焼けた様な木の枝が散乱している。
 もしかして、焼却炉だったのであろうか。
 屋根の背面寄りに丸い穴があり、煙突穴であるようにも見える。前面左右の四角い開口が空気取り入れ口だったのかもしれない。
 2015年3月のストヴュー画像で見ると、正面に立て掛けられた板が無く、そこにやや縦長の四角い開口が現れている。アップにすると、中には黒く炭化したものがある、ようにも見える。

多磨霊園2区焼却炉 多磨霊園2区焼却炉
左、背面開口 右、屋根穴

 仮に焼却炉と見て、他の水盤給水塔また水場等の霊園内「忘却放置建造物」同様、こちらも機能性だけではない、デザイン性への強いベクトルが感じられる。素人目だが、唐破風(からはふ)様の屋根の曲線や、正面左右の窓などに、そうしたものが見えるように思うのだが、どうであろう。
 然し、何れにしろ前面北側など、上部はすでに伐採されているが、可也太く育った木の幹がコンクリートを割裂いて伸びている(上正面画像の左寄りにある縦のひび)。相当の年数放置されていることは確実である。
 2区は大正12年(1923)4月の開園当初からあるので(使用開始は6月)、その頃作られたのであろうか。だとしたら一連の紹介建造物中の最古級決定だが。この状態、非常に残念である。

多磨霊園キノコ 多磨霊園キノコ

 焼却炉の周囲には、こんなキノコが2種生えていた。左は見ての通り白いのだが、傘中央は実際はもう少し茶がかっている。右は裏のややオレンジがかった黄色が非常に鮮やかで目に付く。白はハラタケ目ハラタケ科ハラタケ属のシロオオハラタケ、裏黄色はハラタケ目フウセンタケ科フウセンタケ属のキヒダフウセンタケ、がネットで調べる限りでは近そうに思えるのだが、キノコは同定が難しく、よく分からない。

 開園百年に至ろうかと言う広大なる霊園、いろいろなものと出合える。

*付録
多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。
正面高:約111cm
正面幅:約309cm
奥行:約307-308cm
煙突穴:外径約19cm、内径約16cm
磁北に対する角度:正面から南東に約120度ずれ、休憩所側から測ると北東に約30度ずれ(スマホ、アナログ共)

*多磨霊園用語集

2016 10/13

追記:2017年7月
焼却炉の原型(?)を見付けた

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*墓地付属休憩所:開園時東京市は二か所の墓地付属休憩所敷地使用者を募集した。一か所は後に返還され現在は植込みと地なっている(村越知世氏「多磨霊園」より)
*唐破風:神社やお寺また城郭などに見られる、中央が弓形にふくらみ左右が反るような曲線的破風。東大寺大仏殿、歌舞伎座、首里城、伊勢神宮内宮御饌殿(みけどの)などの画像を見れば一目瞭然。破風は屋根の側面である妻側の三角形部分

(多磨霊園の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

熊本地震ペット救護本部

神無月八日  多磨霊園2区ピラミッド墓
 秋霖長引いた東京。記録的に日照時間が少なかった。
 だが、そんな長月末、久方ぶりにデイサーヴィスの日に雲が切れた。希少なる晴れ間。これは気分転換に出掛けねば。

 と言うことで、何とはなく気になって、またしても多磨霊園へと向かった。同じ場所へは行きたがらない私にしては、ほんに珍しいことである。何所に如何私の琴線が共鳴したのかは知らねど、よほど何かがハマったのであろう。
 何とはなく気になった、と言うのは、うろついていれば、また何か、興味深い建造物と出合えるのではなかろうか、と言う、何の根拠もない、いわば勘である。
 でも、それが当たった。

 いろいろと出合えたのだが、取り敢えずは、出合った順にご紹介したいと思う。
 まずはお墓だ。

 多磨霊園で、ここ暫らく、やら水盤やら水場やらの古き建造物を紹介してきたが、霊園と言えば、やはりお墓である。
 園内、一体どれほどの数の墓石が存在するのか、私には分からない。しかし、霊園パンフレットには、2015年4月1日現在で、使用者数は64,091人、埋葬されている方は41,0224体となっているので、墓石数も相当な数になることは確実である。1981年刊行の、元霊園管理事務所所長、村越知世氏が著した「多磨霊園」(いろいろと参考にさせて頂いている)には「二十数万基に及ぶ我々の祖先の御魂」と言う表現が見られる。一つの墓石の下に複数の方が納骨されていることも多いので、埋葬者数から推すと、それくらいなのかな、とも思う。

 そんな、印象としては無数とも言える墓石は、様々な意匠のものがある。私は墓地・霊園は大好きだが、墓石自体には現時点ではあまり関心がないので(自分のお墓もいらないし)、語るべき何物も無い状態である。しかし、このお墓は気になっていた。ネットで写真を拝見したが、単純明快、ストレート。解り易く、受けるインパクトはなかなか大きい。多磨霊園内に於いて、著名人以外の方のお墓の中では有名なものの一つかもしれない。
 こちらである。

多磨霊園2区ピラミッド墓 多磨霊園2区ピラミッド墓
多磨霊園2区ピラミッド墓
(合掌)

 説明不要の金字塔、ピラミッド。13段に石積み上げて、その頂きに小さな三角。規模も可也立派だ。最近はエジプトのものもお墓説は否定傾向にあるようで、ピラミッド=お墓、では必ずしもないようだが、ここでは紛う事なくお墓である。
 このお墓のある2区の使用開始時期は、大正12年(1923)6月となっている。必ずしもその頃建てられたと言うことにはならないが、右横書きの「勝石 京東 工施計設」のプレートを見ても、旧漢字で刻まれたお名前を見ても、WW2前の建立ではなかろうかと思われる。

 私がこのお墓に接近したとき、ご散歩中の年配の男性が何やらしげしげとお墓の入り口付近を見ておられた(このお墓の前で足を止める方は多い)。その方が立ち去った後、見ておられた辺りに視線を向けると、入り口左横の小さな石柱に、小さな告知版が、柱を傷つけないよう丁寧に緩衝材を巻いた上から針金で括りつけられている。

多磨霊園2区ピラミッド墓
東京都からのお知らせ

 板には「東京都からのお知らせ」と題された告知が貼られている。小池都知事の名で、墓地整理のため無縁墳墓は改葬することになったので使用者等の方は掲載の日付の翌日から1年以内に連絡してほしい、との内容だ。日付は「平成28年9月30日」とある。詰まり来年の9月30日(10月1日か?)までに連絡がないと改葬されてしまうという事だ。
 調べてみると、都立霊園では年間管理費を5年以上滞納すると使用許可取り消しとなり、最終的には更地化され、遺骨は無縁塚に改葬となるのだそうだ。
 と言うことは、このお墓、もしかしたら来年、埋葬者は無縁仏となり、墓域は更地になってしまうかもしれないのだ。

 確かに、お見受けしたところ、長年メンテナンスが施されていないようではある。墓域も草草で賑やかだが、墓石の隙間からは、草草のみならず、ハゼノキやカエデの一種と思しき若木も幾つか育っている。

多磨霊園2区ピラミッド墓 多磨霊園2区ピラミッド墓
南東から 北西から

 若木の大きさから推して、発芽後五年くらいは経っていそうにも見える。いろいろご事情があってのこの状態なのであろうが、このままでは更地になってしまう様だ。
 個人のお墓であるから、私の様な他人はとやかく言える立場ではないが、でもしかし、この様な名墓が消えてしまうのは、とても残念な思いだ。
 いっそ、都で買取り、歴史的文化遺産として保存できないものであろうか(無理か・・・)。

多磨霊園2区ピラミッド墓
裏手から

 近年は、農村部では過疎化、都市部では少子化ということが主な理由で、お墓の継承者がおらず無縁墓となるものが多いとは、聞き知っていた。確かに注意してみると、ここ多磨霊園も同様で、「無縁墓改葬」告知板が建てられたお墓が、古い初期の頃の区域など結構目に付く。墓の無縁化を見越し、生前に墓じまい(墓所・墓石の処分・撤去)する方も最近は全国的に多いと聞く。
 独身・子供なしで、おそらくは(残念ながら)この先も同様であろうと予測される私が、お墓はいらない、と考える理由の一つがこの管理・継承者の問題である。私が仮にどこぞにお墓を建てた所で、管理してくれる存在など無いのである。どうせお参りしてくれる人とても無いであろうし。
 それに何より、この太陽系第三惑星の希少な土地を、例え微小なものであれ、死した後まで私なんぞが占有するなど、勿体ないのである。

(墓石のお名前は特定できぬ様修正させて頂きました)

*多磨霊園用語集

2016 10/8

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*ピラミッド:エジプト以外でもヌビア(スーダン)また中南米やローマにある。エジプトは王墓説には否定的傾向がある。中南米は基本的には神殿なのだとか。ヌビアでは王墓、ローマでは富裕層の墓として多く作られたとか。ローマで現存するのは、ガイウス・ケスティウス・エプロ(古代ローマの執政官)のもののみ
*右横書き:文部省諮問機関、国語審議会はWW2中の昭和17年(1942)7月、左横書きを本則とする答申を出したそうだ。戦前から現在使用される左横書きもあったがやはり当時は右横書きが主流だ
*墓じまい:撤去後は、近所のお墓に移す、永代供養の合葬墓に移す、自宅保管する、散骨するなど改葬方法は種々ある

(多磨霊園の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

長月二十八日  多磨霊園4区水場
 11区噴水塔12区水盤より、更に古そうな建造物を見つけた。場所は4区。
 南にある、東寄りの正門とは全く別に設けられた、西寄りの小さな出入り口から出ようと、道を探してマウンテンバイクで走りつつ、ふと何気なく右手(西)を見たら、地面にへばりつくようなグレーの塊が、木立の向こうから、突然視界に飛び込んできた。

多磨霊園4区水場
南東から全景

 多磨霊園は、大正12年(1923)4月の開園当初、1区、2区が造成済みで、それ以降は3区、4区、5区、・・・、11区、12区、13区、・・・、そして最終26区と順次増え、昭和35年(1960)にほぼ造成を終えたそうだ。詰まり、4区は噴水塔や水盤の建つ11区や12区より早い時期に造成されたことになる。
 霊園は、立地が僻遠ということもあり当初は不人気で、なかなか利用者は増えなかった。それが、昭和9年(1929)6月、日露戦争時連合艦隊司令長官であり、当時の時代背景の中で、軍国日本の象徴的存在とも祭り上げられていた東郷平八郎海軍元帥が、多磨墓地7区名誉霊域(翌年5月に「多磨霊園」に改称)に埋葬されると、一気に注目度・知名度が上がり、利用希望者が増えたのだという。よって、この4区が作られた頃は、比較的造成はのんびりムードだったと思われる。
 度々ご登場願っている、「多磨霊園 その五〇年の歩み」に掲載された使用開始状況(造成状況ではない)を記したリストによると、1区は開園と同時大正12年(1923)4月、2区は同年6月の使用開始となっており、翌13年は何もなく、翌年の14年(1925)になって3月に3区が4月に4区が使用開始となっている。4区は、昭和23年(1948)11月15日と26年(1951)8月21日及び34年(1959)3月12日も使用開始リストに掲載があるが、これは利用者増に伴って新たに用地を確保したのだと思う。13年に何もないのは、3・4区を造成していたという事なのかもしれない。その様に考えてみると、水場が作られたのは、大正13-14年(1924-1925)の4区造成・使用開始の頃ではなかろうかと思われる。
 噴水塔、水盤、給水塔がある区域の使用開始時期は、11区は昭和9年(1934)、12区は昭和4年(1929)そして13区は昭和7年(1932)であるから、これ等区域が造成されたのはその少し前、昭和3-8年(1928-1933)頃のことと思われる。噴水塔などがそれぞれの造成時期に建てられたと仮定すると、この水場、それら建造物よりは、数年程度古いことになるのではなかろうか。
 勿論これはあくまで、いちトーシロー(私)の立てた仮説で、正確なことは、この水場に関する資料が無いので何とも言えない。水場のみ後に作られたことも考え得るし。けれど、エッジの丸み加減など諸々の風化度を見ても、ここで紹介した一連の霊園内建造物中、この水場、最古級の様に思われる。忘られ加減でいえば、間違えなく最上級だ。

 水場は、シンボル塔と同じ八角形タイプ。八角形の基壇の上に、中心に柱の建つ八角形の水場が乗っている。
 小金井門塔や11区噴水塔、また12区水盤や13区給水塔とは、同じアール・デコ調でも少し系統が異なるモチーフ。これ等四つに共通な、X字形やV字カット(凹み)が見られない。その辺り考えても、「X字・V字」系とは作られた時期が異なっていそうだ。

多磨霊園4区水場
北東から

 八角形の八辺のうち四辺に長方形の足場がある(北西の足場は剥がされ傍らに置かれている)。足場の無い辺と有る辺が交互になっているが、無い辺がおよそ東西南北に向いている。因みに足場のある辺は、水場側面の壁が凹んでいる。
 利用者は四方向にある足場に立ち、八角形の水場に一定量溜まっている水を、柄杓で汲んだのであろうか。

多磨霊園4区水場
南西から

多磨霊園4区水場 多磨霊園4区水場
左、足場(南西) 右、側面凹み(南東)

 中心柱の最上部は何故か下と若干色が異なる。その色が異なった部分に南西向きに腐食した金属のパイプが僅かに覗く穴がある。水の出口であったのだろう。穴の周囲に円形の跡があるが、何か金属の装飾的なものがあったのかもしれない。また北の側面にも金属のパイプが覗いているが、これはなんであろうか(ここは周囲が少しくぼんでいる)。このパイプの斜め上の水場縁には排水用と思われる溝が切られているので、若しかしたら排水に何か関連があるのかもしれない。不明だ。

多磨霊園4区水場 多磨霊園4区水場
左、水出口 右、使途不明のパイプ

多磨霊園4区水場 多磨霊園4区水場
左、縁上の溝 右、基壇南面の排水点検口(?)

 私が参考にさせて頂いているサイトさん(2012年10月記事)に、よく似た水場の写真が掲載されているが、そちらには、縁下に水場を一周するように赤茶色のタイルが嵌め込まれている。しかしこちらにタイルは無く、装飾のようにも見える窪みがあるのみだ(上画像)。これが元来の姿なのか、あるいはタイルが剥がされてしまったのか(2015年3月のストリート・ヴュー画像ではタイルは無い)。仮に窪みがタイルの剥がされた跡と考えても、何かちょっと違う様にも見えるし、如何なのであろう。タイルの盗難等ではないことを願うが。
 何れにしろ、この水場、私独自のカテゴライズでは明らかに、風化の危険が迫る「風化危惧IA類」である。危険度は12区水盤以上かもしれない。漂う雰囲気はもう、「遺跡」の領域だ。すみやかなメンテナンスが望まれる。

多磨霊園4区水場
南東から全景

 私が水場周辺で測ったり撮ったりしていると、この辺り陽当たりも良く暮らしやすいのか、まだ尾の青色が鮮やかな若いヒガシニホントカゲが、水場の中や外、そこここから姿を現し、また姿を隠ししていた。結構個体数が多そうだ。
 緑豊かな歳降りた霊園、様々な生物が暮らし相応な生態系が構築されている。そうしたものもまた、古(いにしえ)の建造物同様、何時までも継承されていくことを願う。

 ここ暫らく、多磨霊園ネタにはまり、同じ場所へは余り行きたがらない私にしては珍しく、比較的短期間に何度か霊園を訪ねることとなった。そうした中で、目的物を或いは食事場所を探すなどしつつ、霊園を経巡っていると、人の行きつくところが「死」であるという、当前の事実、余りに当前のことであるが、兎角忘れがちな事実を、思い起こさせられることが多くなる。日常の中で、知らず知らず、永遠に続くであろうかの様な錯覚に陥っている自分の時間が、束の間のものであること、またその継続に対する保証は、ほぼ無い、ということを、改めて形―墓群―として示されているようにも見えてくる。
 繰り返される毎日という当たり前の存在が、当たり前でもなんでもないということを、無数の形で示されれば、チャランポランな私も、少しはわが身を省みようと言うものだ。

*付録
多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。
中心柱幅:約22cm
中心柱高:約72cm(中に土や枯枝・枯草が堆積しているので実際はもっとあると思う)
水出口径:約3cm(パイプは腐食している為周囲のコンクリートの穴の径)
水場直径:約150-151cm
水場内径:約105cm
水場枠幅:約23cm
水場高:約58cm
基壇高:約6-8cm(土に埋まり気味で一定にならず)
基壇一辺:約133-134cm
排水パイプ径:約2.6cm
排水点検口:外枠約20×18.5cm、内枠約16×14cm
磁北に対する角度:南面から測ると東に14-15度ずれ(スマホ) 南面から測ると東に約12度ずれ(アナログ)
(10月3日:サイズ計測値を訂正しました 10月13日:角度計測値を訂正しました(この水場は何故か数値が不安定)。また画像追加しました)

*多磨霊園用語集

2016 9/28

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*多磨:霊園の「多磨」の字は所在地の当時の北多摩郡多磨村(現府中市)に由来する。多磨村は明治22年(1889)4月1日の町村制施行時、八村合併により生まれたが、その際先に南多摩郡の多摩村(現多摩市)が「摩」の字を使用したため、「磨」の字となったとか
*無数の形:約128,000平方m(約39万坪)の園内に、使用者数は64,091、埋葬数は一般墓地で410,224と、パンフレットにはある(2015年4月1日現在)
*真北(しんぼく)、磁北:真北は地図上の北。磁北は方位磁石の示す北。両者のなす角度を偏角と言う。東京西部の偏角は国土地理院によると7度
*ヒガシニホントカゲ(Plestiodon finitimus):以前は西日本に分布するニホントカゲ(Plestiodon japonicus)と同一とされていたが、最近東日本とロシア沿海州のものはヒガシニホントカゲとして別種とされた

(多磨霊園の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました。また、歴史が眠る多磨霊園も参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

長月十九日  多磨霊園13区給水塔
 最後は、13区給水塔。
 全高は2m程。上部に乗る円形水盤は、基壇を含めると私の身長(163cm)くらい、基壇に乗ると身長少し下額上部くらいとなる。基壇は本体と角を45度ずらせた正方形。
 これも例にもれずX字平面形。デザイナーさん余程この形に拘りがあったのであろうか。X字突起は、真北(しんぼく。地図上の北)から約7度ずれた園路・通路に対し45度の角度となってるようで、11区噴水塔小金井門塔と同様、凡そで北東―南西、北西―南東を指している。
 しかし、この霊園、碁盤目状に直交する園路を、どうして平城京や平安京の様に東西南北に合わせず、7度ずらせたのであろう(平城京・平安京共にずれは1度未満)。地図で見れば一目瞭然、東に僅か傾いている。
 墓地(当時はそう呼ばれた)の用地取得当時(大正10年(1921)12月買収完了)、ここ北多摩郡多磨村及び小金井村の対象地域は、「やま(山)」や「原」が字名に付く、多くが林と藪で農地も少ない土地であったようだ。地権者との間で買上価格に関しての問題はあったようだが、左程の無理はなくデザインできたように思える。どの様な理由で7度傾くこととなったのかは、不明だ。

 塔であるが、コンディションは、11区噴水塔や12区水盤の様な大きな破損はなく、比較的良好のように見える。
 例の、パンフレット「多磨霊園 その五〇年の歩み」の使用開始状況リストでは、13区の使用開始は、昭和7年(1932)6月15日、昭和8年(1933)4月28日及び昭和17年(1942)11月20日となっている。おそらく塔は昭和7年頃の造成期或いはそこから余り離れない時期に建てられたのであろうと思われる(昭和17年は戦争中でもあり違うと思うが)。そう考えると、状態は結構良いと言えるのではなかろうか。

多磨霊園13区給水塔
南東寄りから全景

多磨霊園13区給水塔 多磨霊園13区給水塔
左、東面 右、南東面

 X字突起先端のV字凹みも見られる。これも、11区噴水塔、小金井門塔、12区給水塔そしてこの13区給水塔と、すべて共通のもの。「アール・デコ」好みのデザイナーさん、こちらも相当お気に入りであったのであろうか。

多磨霊園13区給水塔
南東から上部

 塔そのものは、六つの横の線で七つのブロックに分けられているように見えるが(下のタイル画像が解り易い)、水盤は下から五番目のブロックに当たる位置にある。
 背が届かないので腕を伸ばし、ノー・ルックで水盤の中を撮る。

多磨霊園13区給水塔
水盤(東から)

 水盤中央にある突起は何であろう。ここから水が出ていたのであろうか。12区水盤同様、X字突起に挟まれた面にある四つの溝(画像手前)から水が流れていたのであろう。
 しかしモスキートが多い。カメラを構え私の動きが止まると、指に腕にそして短パンの脚にも、幾匹もとまるのが分かり落ち着かない。水盤の溜まり水にはボウフラちゃんがいっぱいなのだろうな。
 水盤下部には、ごく緩いものだが曲線が見られる。丸い水盤と相俟って、11区噴水塔や小金井門塔には無い、全体を包む仄かな柔らかさが生まれている様に感じられる。
 水盤の下には、赤茶色のタイルが貼られているが、この色味も、柔らかさを産む一因となっているのかもしれない。

多磨霊園13区給水塔
タイル部分

 11区噴水塔、12区水盤そしてこの13区給水塔の三つは、おおよその直線上に100数十mほどの間隔で並んでいる。意図されたものなのだろうか。
 12区水盤と13区給水塔の位置は、当初皆目分からなかったので、深い樹叢も多い広大な園内、見つけ出すのは相当苦労しそうだなと、覚悟を決めていた。が、落ち着いて考えてみれば、どちらも11区噴水塔と共通なモチーフのデザイン。おそらくはほぼ同時期に建てられたはず。ならば「アール・デコ」流行の昭和初期であろう。とすれば、昭和14-15年(1939-1940)に拡張された西側周縁地域ではなく、それよりは少し古い比較的中心に近い区域にあるであろうことが考えられた。噴水塔が11区なら、きっとそこに近い10とか12とかその辺りの区画ではなかろうかと、取り敢えず見当を付けて探してみた。
 そうしたら、案外呆気なく見つかってしまった。多少あちこち、長月初めの残暑の中マウンテンバイクで走りはしたが、探すのに費やした時間は実質20分もない。嬉しいやら物足りないやら、微妙な気持ちである。

 下は、給水塔近くの小さなロータリー内のベンチに座り、お昼のパンを食べ乍ら(見切り品のフランスパン丸かじり)撮ったもの。木立と樹陰に紛れ建っているのがお解り頂けるだろうか。

多磨霊園13区給水塔
ロータリーから

 私は存在を知って探していたから分かったが、これでは通りがかった人の多くは存在に気付かないであろうと思われる。冬木立ともなれば、多少目立つかもしれないが。

 給水塔を隠す樹々の中に大きなヤマボウシ(Cornus kousa)が一本あり、下の歩道などには無数と言ってよいほどその実が落ちている。大方はもう朽ちかけているが、中にはまだ新しいものもあった。
 美味しいのだそうだが、食してみる勇気はなかった。

多磨霊園、ヤマボウシの実
ヤマボウシの実

 それにしても、数回にかけて紹介した多磨霊園内の、昭和初め頃(1930年頃周辺)に建てられたと思しき建造物群、過去の文化を未來へと継承する、今となっては希少な存在達である。シンボル塔・小金井門塔以外の三つ、11区噴水塔、12区水盤そしてこの13区給水塔も、手厚いメンテナンスが施されることを、切に願う(特に12区水盤)。

 最後に、余計なお世話を。
 幣ブログ記事を読み、霊園を訪ねてみようかなあ、と言う方が万が一いらっしゃたっら、私としてはそれは望外の喜びであるが、訪問に際しては一つご注意したいことがある。平日も含め、園内は案外自動車が多く走っているのです。墓参の方、石材・造園業者の方、或いはお仕事の休憩の方等々。また一部園路は路線バスも通っています。是非お気をつけ下さい。場所柄か低速で静かに走行している場合が多いので、周りに気をとられていると気付き難く、結構ドキリとすることがあります。
 あと、もう一つ余計なことを書かせて頂けば、周辺住民の方も自由に通り抜けし、散歩・ジョギングをする方、或いは掃苔家の方(また私の様な変わり者)も多いとはいい、あくまで霊園、墓参の方も当然いらっしゃる。場所柄、くれぐれもマナーはお守り下さい。

*付録
アナログ方位磁石に付属の10cm定規で計ったので、多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。また方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。
基壇一辺:約305cm
塔高(基壇含めず):約210cm
塔幅:約98-100cm(突起があり計りにくいため一定にならず)
水盤径:約84cm
水盤高:約157cm
基壇高:約10cm(土に埋まり気味でここも凹凸多く一定にならず)
磁北に対する角度:北面及び南面に立ち基壇北向きの角に合わせ計ると東に15-16度ずれ(スマホ) 北面及び南面に立ち基壇北向きの角に合わせ計ると東に14-15度ずれ(アナログ)

*多磨霊園用語集

2016 9/19

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*真北(しんぼく)、磁北:真北は地図上の北。磁北は方位磁石の示す北。両者のなす角度を偏角と言う。東京西部の偏角は国土地理院によると7度
*用地:東京市公園課の資料では、買収総面積中、山林64.1%、畑31.2%、道路他4.7%で、土地所有者110人、小作人2人、家屋3、となっているそうだ。また買上価格に関しては、当初示された坪4円3銭が余りに安いと地主の陳情があったが更に3円3銭に減額された。地主はこの倍額でなければ納得しかねると再陳情したが、要望が一部受け入れられたのみで予算決定となったそうだ。(村越知世氏「多磨霊園」、「新版 武蔵国府のまち 府中市の歴史」より)
*ヤマボウシ:ミズキ科ミズキ属の落葉高木。本州・四国・九州、朝鮮半島、中国、台湾の山野に分布。有名なハナミズキはアメリカヤマボウシとも呼び同属の近縁種
*掃苔家:掃苔(そうたい)は苔を掃うの意で転じて墓参特にお盆前のものを指す語。掃苔家は著名人や歴史上の人物の墓を訪ねることを趣味とする方の事

(この塔の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました。また、歴史が眠る多磨霊園も参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

長月十七日  多磨霊園12区水盤
 11区噴水塔の姉妹的な三つの建造物。一つは前回の小金井門塔だが、二つ目は11区の西隣の12区に建ち、そうして三つ目はその12区の北隣の13区に建つ。
 これら四つの建造物、モチーフの共通性や、小金井門塔を除く三つが、隣り合った区域に集中して建っている事など考えると、おそらくは皆近い時期、昭和の初め頃に作られたのではなかろうか。
 今回紹介の水盤だが、度々ご登場願っているパンフレット「多磨霊園 その五〇年の歩み」の使用開始状況リストに拠れば、これが建つ12区の使用開始は昭和4年(1929)6月12日及び昭和18年(1943)6月29日となっている。昭和18年は埋葬者増(大戦に伴うものか)による増設と思われる。造成時期は最初の使用開始より当然多少前となるが、左程開きは無いであろう。水盤だけのちのち作られた可能性も無いとは言えないが(昭和18年は戦争中なので建造は考えにくい)、普通に考えると、12区の造成或いは初めの使用開始と同時期に作られた、と判断しても左程無理はないと思うのだが。

 その、昭和の初めに建てられたと思しき水盤、このままでは風化し尽してしまいそうだ。少なくも、私がここで紹介しているまた紹介を予定している、霊園の五つの建造物のうち最も、危機的状態にある。危機的度合いを、レッドリストに倣ってカテゴライズすれば、以下のようになる(独断です)。

■風化危惧I類:風化の危機に瀕している
IA類:ごく近い将来において風化の危険性が極めて高い→ 12区水盤
IB類:IAほどではないが近い将来における風化の危険性が高い→ 11区噴水塔

■風化危惧II類:風化の危険が増大している→ シンボル塔(メンテナンス予定) 13区給水塔

■準風化危惧:現時点では風化危険度は小さいが状況の変化によっては「風化危惧」移行の可能性がある→ 小金井門塔

多磨霊園12区水盤
全景、南西面

 水盤は、円形基壇の上に一回り小さな円形の壇が乗り、その上に一本柱で支えられた水盤が乗っている、三段構造。すべてを含めた高さは、身長163cmの私の胸程、120-130cmくらいであろうか。

多磨霊園12区水盤
水盤支持一本柱(北西から)

 丸い水盤の周囲には11区噴水塔同様、X字様の突起があるが、こちらは噴水塔や小金井門塔と異なり、45度ずれて、向かい合う突起を結んだ線は、園路・通路に沿っている様に見える。但し前にも書いたが、碁盤目様の園路・通路の南北は真北(しんぼく。地図上の北)とは何故か7度ずれているので、凡そで四つの突起は東西南北を指していることとなる。
 水盤と書いたが、上面中央をよく見ると、土で埋まっているが水の出口らしき直径1.7cmほどの小さな穴がある。ここから水が出、水盤から溢れた水が、X字様突起に挟まれた四つの溝から、流れこぼれ落ちていたように想像できる。

多磨霊園12区水盤 多磨霊園12区水盤
左、南西面から水盤(正面に溝)
右、水出口?(南西から)

多磨霊園12区水盤 多磨霊園12区水盤
上部
左、東面 右、西面

 X字様突起の先端部分がV字に凹んでいるのは、11区噴水塔や小金井門塔に見られるものと同様だ。

 基壇上面やその上の二段目の縁や側面はあちらこちら欠け或いは剥がれ、一部は欠片も散乱している。また、上部にあるX字の突起も、下画像や上の二枚の様に、あちらこちらが大きく欠けている部分なども目立つ。

多磨霊園12区水盤
水盤X字突起破損部(北側)

多磨霊園12区水盤 多磨霊園12区水盤
下基壇破片(南側) 上基壇縁・側面(北から)

 始めに書いたように、設置区域やデザインから考えれば、11区噴水塔や小金井門塔と同じくらいの昭和初期(1930年頃周辺)に作られたと考えても良さそうだが、若しそうとすれば、齢八十は越えることとなる。これは、早めに手を打たないと、ヤバイのではなかろうか。

多磨霊園12区水盤
全景、東面

 忘られた小さな二つの建造物、今回の水盤と次回予定の給水塔を探索中、12区南側園路の並木下で、舗道に落ちているトチノキ(Aesculu turbinata)の刮ハ(さくか)に多く出合った。
 画像のものは、自動車に踏まれたのであろう、厚い果皮が割れ、クリに似た実がこぼれている。
 なんか、美味しそうな実だ。アク抜きが大変なのだそうだが、これを粉にして作った「栃の実せんべい」大好き。

多磨霊園栃の実
栃の実

 Septemberもまだ一桁、秋の入り口に入ったばかりだが、栃の街路樹は早や、色付く気配。

多磨霊園トチノキ並木
トチノキ並木

 並木下に止めた自転車に戻ろうと歩道を歩いていたら、かなり大きな音を立てて直径5cm程の刮ハが至近に落下した。コワ。

 次回は、13区の給水塔だ。

*付録
アナログ方位磁石に付属の10cm定規で計ったので、多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。また方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。
水盤直径(X字突起含む):約95cm
水盤高(柱含め基壇含まず):約65cm
水盤柱径:約10cm
上基壇高:約48-49cm(下基壇に凸凹があるので一定にならず)
下基壇高:約10cm(土に埋まり気味でここも凹凸多く一定にならず)
磁北に対する角度:水盤の北と南の突起を結んだ線上に立ち計ると14-15度東にずれ(スマホ) 水盤の北と南の突起を結んだ線上に立ち計ると14-15度東にずれ(アナログ)

*多磨霊園用語集

2016 9/17

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*園路:園内各区画を分ける幅約10mの道路を「園路」と呼ぶ。区画内の幅約6mの道は「通路」
*刮ハ:果皮が乾燥すると裂けて種子を放出するタイプの果実。アサガオ等もこれ
*真北(しんぼく)、磁北:真北は地図上の北。磁北は方位磁石の示す北。両者のなす角度を偏角と言う。東京西部の偏角は国土地理院によると7度。スマホで方位を計測していたら、パトロール中の巡査さんに二度見された。怪しかったのであろう
*トチノキ:トチノキ科トチノキ属の落葉高木。北海道・本州・四国・九州の山地に分布。30m程にもなり嘗ては臼の材とされた。実は救荒作物として利用された。近縁種に有名なマロニエ(セイヨウトチノキ)がある。栃の実せんべいは私の知る限り飛騨(岐阜県)のお土産として有名
*水盤:若しかしたら元ともはこんな感じだったのであろうか。

エステ荘の噴水(Fountain of Bicchierone)
(SiefkinDR 2016)
クリエイティブ・コモンズ

これは世界文化遺産にもなっている、イタリアはティボリにある「エステ家別荘」の数多の噴水(「エステ荘の噴水」だ)の一つ「Fountain of Bicchierone」。なんか12区水盤に似ていないか

(この塔の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました。また、歴史が眠る多磨霊園も参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

長月十五日  多磨霊園小金井門塔
 多磨霊園の南門(正門、表門とも)は南東隅近くにあるが、北東隅近くに、裏門的にもう一つの門、北門がある。霊園公式サイトでは「小金井門」と表記されている。

多磨霊園小金井門
北門と銘板(西側)

 裏門的とは言っても、なかなか立派な門で、規模的にも雰囲気的にも正門に左程劣るものではない。大正12年(1923)4月の霊園開園の数年のちに設置されたらしい。ここから北北西に、JR中央線武蔵小金井駅へ通じる小金井街道に接続する参道(建設当初は幅8m、長さ680m)が伸びているが、ここに武蔵小金井駅と門を結ぶバス路線が開通したのが、昭和5年(1930)4月だそうなので、その頃までには作られていたことになる。
 この門から入るとすぐに、芝の美しい広場があり、その中央辺り、周囲の芝生より一段高い基壇の上に白い塔が建っている。高さは6-7m程であろうか。南門側のシンボル塔に相応ずるような存在だ。
 パンフレット「多磨霊園 その五〇年の歩み」(東京都西部公園緑地事務所 昭和48年11月)に掲載されている「昭和十年頃の裏門」と題された写真には、門と共に白い塔がはっきりと写っているので、昭和10年頃には、広場とこの塔は確実に存在していたと考えられる(ちなみに写真には塔の手前上方に現在の国分寺線・久我山線に当たる送電線も写っている)。
 元霊園管理事務所所長村越知世氏の「多磨霊園」には、昭和8年(1933)1月発行の「庭園と風景」中に霊園設計者井下清氏が書いた「墓苑を語る」という文章の一部が引用されているが、そこに、

 ・・・二ケ所の正門付近は大規模の庭園とし、その内には大噴水塔を置き・・・(前後略)

との記述がある。門と庭園と塔の組み合わせは、正門から続く名誉霊域のシンボル塔とその周辺、および小金井門の小金井門塔とその周辺しかないので(小金井門塔は噴水ではないと思われるが・・・)、広場及び小金井門塔は、昭和5年頃の北門開設時から昭和8年頃までの間に作られたのであろうと思われる。

多磨霊園小金井門塔 多磨霊園小金井門塔
左、南西側 右、東寄りから(右は国分寺線55号

多磨霊園小金井門塔
北寄りから

 この白い塔、私は勝手に小金井門塔と呼んでいるが、一見して、前回紹介の11区噴水塔と似たにほいを感じられる。噴水塔頂部の白い装飾を、独立発展させたように見えないこともない。少なくもモチーフは同一のように思えるのだが。

多磨霊園小金井門塔 多磨霊園11区噴水塔
左、南東側から 右、11区噴水塔頂部(南面)

 突起先端前面のV字型の凹みなど、瓜瓜二つ。また、小金井門塔各面にある窓は九、噴水塔頂部装飾各面にある横縞も九である。これは、仏塔頂部の九つの輪が重なった装飾「九輪」を模しているのか、或いは陽の数(奇数)の極みである九を表しているのか。何れにしろ、何か意味合いが込められているのであろう。

 正方形の窓は、四角と十字を重ねた装飾越しに空や木立が透け見える。

多磨霊園小金井門塔
南東側から

 シンボル塔に相応ずる存在と書いたが、デザイン的には、同じアール・デコ調でも、曲線も多い彼方より、直線のみで構成された11区噴水塔系。平面も同じX字形。
 塔の建つ長楕円形の広場と、そこから南に延びる小金井門通りは、北に続く参道との関係か(何か事情があったのであろうか)、碁盤目状の園路・通路に対し、地図で見ると45度ではなく更に約10度東にずれ55度ほどの角度を持っている。よって、広場に向きを合わせている塔のX字突起は、厳密には、北北西―南南東、東北東―西南西に近い向き、そして突起に挟まれた面は、西北西―東南東、北北東―南南西に近い向き、となると思われる(突起は基壇の角と45度ずれる)。しかし、11区噴水塔とは、それ程極端な違いではないと思う。
 ただ、11区噴水塔と大きく異なるものがある。それはコンディションだ。場所柄目立つ所為か、こちらはメンテナンスがしっかり施されているようで、多少塗装の劣化が見られる程度。風化の顕著な11区噴水塔とは大きく異なる。これを見ると、11区噴水塔が尚更哀れに思えてくる。あちらもメンテナンスしてあげて下さい。

多磨霊園小金井門塔
南東側
後の送電線は、国分寺線久我山線
(こちらに秋姿

 塔の建つ芝生広場の彼方此方には、幾つもツルボ(Scilla scilloides)が花を咲かせていた。9月初めなど、陽射しも暑さもまだ夏の名残りは濃厚だが、この花を見ると何時も、着実な秋の到来を感じる。
 訪ねた日は、園内、道路脇・墓域など、数株から可也の群落まで、日当たりの良い場所至る所で見掛けられた。

多磨霊園小金井門塔横のツルボ
ツルボ

 塔の北側には、こちらも古そうな、だが現役の水場がある。比較的最近濃い目のクリーム色にお化粧されたようで、表面はまだ艶やかだ。
 広々としか床がゆったりとして使いやすそう。真ん中に三つ並んだ立方体は真ん中だけ蛇口が無い。他の二つについた蛇口は、プッシュ式の最新型。

多磨霊園小金井門水場 多磨霊園小金井門水場
小金井門水場

 流し部分、ちょっと顔みたいだな。二つの蛇口が目で、真ん中の蛇口無しの立方体が鼻そして流し部分が口。

 小金井門付近はここまで。11区噴水塔と同じモチーフと思しき建築物は、園内、他にもまだ二つある。これ等は小金井門塔と異なり、噴水塔同様、忘られた存在だ。次回以降、その二つをご紹介。

*付録
スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。
磁北に対する角度:南東側突起に正対して計ると西に24度のずれ、北面側基壇角に立って計ると東に20度のずれ(スマホ) 南東側突起に正対して西に約20度のずれ、南面側基壇角からだと東に約20-22度のずれ(アナログ)

*多磨霊園用語集

2016 9/15

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*参道:村越知世氏の「多磨霊園」には、北門側参道も南門側参道同様サクラ並木があったとあるが、南参道と異なり現在面影はない
*真北(しんぼく)、磁北:真北は地図上の北。磁北は方位磁石の示す北。両者のなす角度を偏角と言う。東京西部の偏角は国土地理院によると7度
*九輪:五重の塔などの頂部にある縦長の金属装飾「相輪(そうりん)」の一部。宝輪とも
*陽の数:陰陽思想で奇数を陽の数、偶数を陰の数とした。日本でも奇数は割り切れないので縁起が良いとされた。九は陽数の最大数である。ただ、日本では九は「苦」に通ずるので嫌う場合がある
*ツルボ:鱗茎を持つ多年草。日本全土、朝鮮半島、台湾、中国等に分布。道ばた、畑の縁、芝地や堤防など人手の入る明るい場所に多い。高さ20-50cm、数mmの小さな花が穂状(すいじょう)に密集する。以前はユリ科に分類されていたが、現在はキジカクシ科とされることもある

(この塔の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました。また、歴史が眠る多磨霊園も参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

長月四日  多磨霊園11区噴水塔
 余り知られていない噴水塔を、前回紹介した多磨霊園シンボル塔(7区)から北西に少し離れた11区に発見した。何時のものかは定かでないが、デザインも風化の程も、相当の歳月を経た趣きを醸し出している、忘られた噴水塔だ。
 11区内の、十字型通路の交点にあり、園路(園内道路)を自転車で走っていると、四囲から迫る枝枝の狭間にひっそりと建つ姿が垣間見える。高さは、5mと少し程であろうか。

多磨霊園11区噴水塔
南面から

 区画内の通路は無舗装の砂利道なので、何処となくうらぶれ感が漂う。

 噴水塔、と書いたが、実際そうであったかは不明だ。直径6m程の丸いコンクリート基盤の中央に建っているが、周りに囲み的なものは無い。塔の四面すべての下部にある、前面がV字に凹んだ四角い突出部の上に、一か所を除き激しく腐食はしているが、鉄製の細いパイプが見えている。ここから水が出ていたのは確実だ。
 しかし、周りに説明的なものは一切なく、園内案内図にも、何も書かれていない。

多磨霊園11区噴水塔 多磨霊園11区噴水塔
南面上部と下部

多磨霊園11区噴水塔 多磨霊園11区噴水塔
東面上部と下部

多磨霊園11区噴水塔 多磨霊園11区噴水塔
北面上部と下部

多磨霊園11区噴水塔 多磨霊園11区噴水塔
西面上部と下部
(各突出部上の四角い穴は貫通している)

 塔はX字平面形で、交差する線は碁盤目様に直交する園路・通路に対し45度の角度となっているように見える。しかし園路や通路の縦横は、7度ほど地図上の北(真北)を基準にした東西南北からずれているので、交差線は凡そ北東―南西、西北―南東を指すこととなっている。これら線に挟まれた四面はこれも凡そで東西南北に向いている。そしてすべての面は同じ形、と見える(西側はカエデの大枝が被さり引きで撮れない)。だがよく見ると、突出部下に見えている白っぽい四角形が、東面のみに無い。
 この四角形、カッターを使い何かを取り外した痕を、埋めているように見えるが、何があったのであろう。

多磨霊園11区噴水塔 多磨霊園11区噴水塔
錆びたパイプ
左、南面 右、北面

 北東面はほぼそのまま残っている様だが、南東と北西のパイプは原形をとどめていない。
 パイプ周辺に蛇口のハンドル的なものは見当たらないので、ずっと水は出放しであったのだろうか。だとしたらやはり噴水なのか。
 パイプの位置は、基盤に乗った状態で、身長163cmの私の額と同程度である。噴水ではなく、例えば、突出部下の埋め跡部分にハンドル的なものが付いていた、お参りの方々のための水道的な用途であったとも考えられるが(南東面のみハンドルが無いのは変だが)、仮にそうだとして、パイプの位置、高すぎないか。桶を地面に置いたら相当水跳ねしそうだし、桶をパイプに近い位置まで持ち上げたら結構キツそうだし。
 謎。

 本体は、垂直線と鋭角の斜線のみ(と見える)で構成された非常に直線的でトガッタ造形。頂部の、本体と似た雰囲気を持つ白い装飾がシャレオツだ。本体とは45度ずらしたX字突起前面は、V字型に凹んでいる。

多磨霊園11区噴水塔
頂部装飾(東面)

 建築に関しては全く無知だが、20世紀前半に流行ったという、単純・直線的なデザインや幾何学模様が特徴的な「アール・デコ」と呼ばれる様式なのであるらしい(前回のシンボル塔も同じらしい)。日本でも昭和の初めに流行を見たそうだが、もしその頃建てられたのなら、新鶴見線(大正15年)や境八王子線(昭和5年)或いは岡部境線(昭和14年)の鉄塔達同様、なかなかに歴史的存在ではないか。
 東京都西部公園緑地事務所発行の「多磨霊園 その五〇年の歩み」というパンフレット(昭和48年11月)の巻末に、各区の使用開始状況を記したリストがあるが、11区は昭和9年(1934)7月5日の使用開始となっている。造成自体はこの時期より少し早いと思われるので、やはり、塔の誕生は、昭和の初め頃まで遡るのではなかろうか。

 古い建造物に対して、酷薄な世ではあるが、朽ち行くままに捨て置くには、惜しい存在だ。

多磨霊園11区噴水塔
東面から

*付録
アナログ方位磁石に付属の10cm定規で計ったので、多少誤差があるのを予めお断りさせて頂くが、一応の計測値を参考までに記載します。また方位も、スマホのコンパス・アプリや通常のアナログ方位磁石での計測値ですので、あくまで参考的なものとお捉え下さい。
塔幅(基部):約130cm
パイプ高:約160cm
磁北に対する角度:塔の北面及び南面に立ち通路を正面に見て16-17度東にずれ。少し離れると14-15度に変わる(スマホ) 塔の北面及び南面に立ち通路を正面に見て東に14-15度ずれ(アナログ)

*多磨霊園用語集

2016 9/4

追記:2017年7月
噴水塔に大きな変化が見られた

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*アール・デコ:装飾美術の意。1910年代から1930年代にかけフランスを中心に流行した美術工芸の様式。曲線を主としたそれ以前のアール・ヌーボーに対し単純・直線的なデザインが特徴。なのだそうな
*区画:全26区画。各区ほぼ180mごとの区切りで面積は1万平方m。各区を分ける道路「園路」は幅約10m、各区内をブロックに分ける道「通路」は幅約6m(村越知世氏「多磨霊園」より)
*真北(しんぼく)、磁北:真北は地図上の北。磁北は方位磁石の示す北。両者のなす角度を偏角と言う。東京西部の偏角は国土地理院によると7度

(この塔の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(こちらのサイトさん(2012年10月記事)を参照させて頂きました。また、歴史が眠る多磨霊園も参照させて頂きました)

熊本地震ペット救護本部

葉月六日  多磨霊園シンボル塔
 私の大好きな多磨霊園の、シンボル塔である。昭5年6月(1930)の建設。高さは15m。霊園南東の正門から真っ直ぐ北に400m程向かった辺りに建つ。

多磨霊園シンボル塔
南南東辺りから

 今回思い立って撮影したのは、このシンボル塔、WW2末期、すぐ隣の調布飛行場等を米軍艦載機や硫黄島から飛来したP-51「マスタング」戦闘機が空襲した際、機銃掃射を受け、その痕跡が残っていると言うことを思い出したからだ(調布市HPによると攻撃したのは艦載機との証言があるらしい)。
 昭和19年(1944)、本土決戦のため戦闘機を温存すべく、陸軍飛行第244戦隊が展開していた調布飛行場では掩体壕を作り、三式戦闘機「飛燕」(キ61)を隠したのだが、数が足りないため一部を、分散秘匿地域の一つであるこの多磨霊園内にも隠した。そのためか、あるいは単純に塔を軍事的な施設と誤認したか、機銃で攻撃されたのだ。
 その時の弾痕を確認しようと行ったのだが、なんと、出入り自由だったはずなのに、柵ですっかり囲われているではないか。
 知らぬ間に、老朽化のため立入禁止になっていたのだ(整備後は再解放予定と掲示がある)。霊園は時々寄るが、余りに広大なため、この様なことも起こる。
 よって、間近約りの確認は不可であった。ネンザン。

 しかし、北面のフェンスの隙間から、目いっぱいのズームでなんとか、それらしきものを撮影に成功。
 アップ画像、手前のメヒシバ(イネ科メヒシバ属の一年草)の薄緑の尖った葉先の上に見える窪みがそれである。調布市HPによると、この機銃弾痕のある場所よりもう一段上にも、二か所弾痕があるそうだが、そこは全く確認不可。致し方ない。

多磨霊園シンボル塔 多磨霊園シンボル塔
機銃弾痕
右アップ

 一見そうとは見えないのだが、この塔は噴水塔なのだ。下が内部中央にある噴水。鋭角な柱を集め、水盤を支えている。

多磨霊園シンボル塔

 長年噴水機能は休止状態で、実際水が出ているところは見たことは無い。どの様に出ていたのか、興味のあるところだ。

 フェンスに目いっぱい寄り、塔の内側を覗き見る。ドーム型の天蓋が分かるであろうか。

多磨霊園シンボル塔
西南西辺りから

 塔は八角形で、「八紘一宇(はっこういちう)」をイメージしたデザインとも言われているようだ。「八紘一宇」とは、「世界を一つの家に」的な意味の言葉だが、WW2期には、欧米支配に代わり日本を中心としてアジアに新秩序を樹立しようとする大東亜共栄圏構想と結びつけられ、日本の海外侵略を推し進める際のスローガンとして用いられたものである。
 塔に込められた意味合いが何であったかは、私には不明であるが、純粋に造形的に改めて見れば、なかなか美しい塔ではないか。今まであまり気に留まらずにいたのが不思議だ。

 この噴水塔西側にある7区の一部は「名誉霊域」と呼ばれる特種区域で、戦前・戦中に勲功者とされた方々が眠っておられる。
 塔の南西側すぐ傍らには、昭和18年(1943)、一式陸上攻撃機に搭乗しての前線視察中、米陸軍P-38「ライトニング」戦闘機隊に攻撃され戦死した、第26・27代連合艦隊司令長官、山本五十六海軍元帥(1884-1943)の立派なお墓が、大先輩の東郷平八郎海軍元帥(1848-1934)及び後輩の古賀峯一海軍元帥のお墓に挟まれて建っている(この霊域は三名のみの埋葬だ)。

多磨霊園山本五十六墓
元帥海軍大将
正三位大勲位功一級
山本五十六墓

 その裏手の一般区域には、二・二六事件で、天皇親政を目指す陸軍青年将校らに「奸臣」と見做され暗殺された、斎藤実(まこと)内大臣(1858-1936)も眠っておられる。

多磨霊園斎藤実墓
従一位大勲位子爵
齋藤實墓

 亡くなった私の叔父が若い頃、仕立て職人さんの長屋で暮らしていた時の話だ。
 昭和11年(1936)2月26日の雪の朝、高台の上の斎藤内大臣のお屋敷の方が騒がしいと、叔父が仲間と見上げ、「何だ何だ」とああでもないこうでもないと言っていると、引いていたリヤカーと共に転がるように坂を降りてきた馴染みの牛乳屋さんが、こう告げたそうだ。
「た、大変だ、斎藤内大臣が殺された。お屋敷は兵隊でいっぱいだ」
 えっ、と驚く一同。だが、好奇心旺盛であった叔父はすぐ行動に出た。不自由な足(戦後、障害者手帳の交付を受けていた)も大雪も物ともせずに、坂を登って内大臣のお屋敷まで行ったのだ。そして中を窺おうとした。が、「お前たちの来る所じゃない、さっさと帰れ」と、門前の兵隊さんに一喝され、不承不承また雪の中を引き返した。
 と、二・二六事件目撃談を、叔父は生前私に話してくれた。
 斎藤内大臣のお墓を見付け、そんなことを思い出した。

 「八紘一宇」にしろ(機銃弾痕にしろ)、名誉霊域に葬られているのが軍人のみであることにしろ、そして二・二六事件の犠牲者が眠ることにしろ(塔の東側には高橋是清の墓もある)、この霊園中核地域は「時代」を感じさせるものだが、その「時代」を、必ずしも過去のものと言い切れない様な匂いが漂うのが、今の世の中であるようにも感ずる。

 色々お墓等拝見するうち、もうお昼時。どこかでパンでも食べようと自転車で走りながら探したが、適当な場所が見つからぬまま、霊園の南西の端まで行きついてしまった。
 ここには、霊園に接し、古多摩川他の河川が周辺を削った際の削り残し(残丘)である、浅間山(せんげんやま。標高79m)がある。山の東端は霊園の敷地内となっている。一見巨大古墳のようにも見えるが、そうではない。天然物である。この辺りの何処かで食べるか、と登って行く。
 この雑木林の中を少し行くと、この地の固有種で、都の絶滅危惧I類に指定されているムサシノキスゲに由来する名の吊り橋に出合う。
 この橋で、「浅間山通り」によって分断されてしまった浅間山の、霊園内の部分と都立浅間山公園となっている西側部分とが繋がっている。  

浅間山きすげ橋
きすげ橋(公園側より)

 橋を渡ったはいいが、マウンテンバイクを押して更に上る気にはなれず、左手に下る。
 下り切った麓の右手傍らには、浅間神社鳥居。山頂に祠があるのだ。

浅間山鳥居
北向きに仰ぐ

 この浅間山には、WW2中、旧陸軍燃料廠の燃料貯蔵タンクが置かれていた。また霊園同様、分散秘匿地域の一つとして、生い茂る木立を利用し戦闘機も隠された。

 鳥居の南面に広がる明大の内海・島岡ボールパークでは、野球の試合真っ最中。賑やかな歓声と打球音が響いていた。

 もう、いい、猛暑の中自転車押して歩く気力無し。お昼は何処か別の公園で食べよう。

*多磨霊園用語集

2016 8/6

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*山本五十六:彼の墓を中心に、古賀峯一海軍大将(第28代連合艦隊司令長官)の墓が左隣り、東郷平八郎元帥(第3・4代連合艦隊司令長官)の墓が右隣りにある。なお遺骨は郷里新潟県長岡市にある
*斎藤実:海軍大将。第30代内閣総理大臣。総理時代は満州国の承認、国際連盟脱退などがあった
*八紘一宇:「八紘」が世界で「宇」は家。「日本書紀」中の神武天皇の詔勅に由来。本来は「日本を一つの家」に的な意
*大東亜共栄圏:スローガンとしても使用された。日本の海外侵略を正当化しようとしたものとされる
*飛燕:川崎航空機製。WW2中日本では唯一の水冷エンジン搭載戦闘機であった。上記244戦隊では、昭和二十年(1945)5月より、飛燕を空冷エンジンに換装した五式戦闘機(キ100)に全機改変された
*一式陸上攻撃機:三菱重工業製。WW2期旧海軍の主力双発攻撃機。「一式陸攻」。主翼内インテグラルタンク(翼内や胴内の一部をそのまま燃料タンクとしたもの)を採用し長大な航続距離を実現した
*P-51:ノースアメリカン社製。総合性能の高さからWW2最優秀戦闘機の誉れ高い名機。元来はイギリスからの発注で開発された
*P-38:ロッキード社製。双発単座三胴戦闘機。「星の王子さま」のサン=テグジュペリが地中海で行方不明となった際搭乗していたのはこの機の偵察機型F-5Bである
*浅間山:地質的には多摩川南岸の多摩丘陵と同じ。昭和四十五年(1970)年都立公園に。燃料廠は隣接する現航空自衛隊府中基地にあった
*ムサシノキスゲ(Hemerocallis middendorffi var. musashinensis):ユリ科ワスレグサ属でニッコウキスゲの低地型
*明大のボールパーク:東京六大学リーグ結成に功績のあった元教授内海弘蔵氏と長年野球部の指揮を執った島岡吉郎氏の名を冠している。以前は三井グラウンドであった

(これらの最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(参考:村越知世著「多磨霊園」、歴史が眠る多磨霊園

熊本地震ペット救護本部

文月三十日  胃カメラ
胃 今年の春先、胃の上部や胸の違和感が続き、受診したところ、逆流性食道炎と診断された。
 しばらく服薬するうち、症状は落ち着いてきたが、なかなかスッキリはせず、三か月近く市販薬を含め薬の世話になった。

 ここでちょっと気になった。ドクターに、大体二ヶ月はかかる、とは言われていたけれど、やはり長い期間胃や食道に違和感が続くと、少々心配になる。毎年、自治体の胃がん検診は受けていたが、バリウムによるレントゲン検査だけである。より精度が高いとされる胃カメラ、つまり内視鏡による検査は未経験だ。一丁、この機会に受けてみるか、と思い立った。
 以前なら、いろいろ心配になり躊躇したであろうが、より大変と思われる、大腸内視鏡検査をもう三度受けている(うち一回はポリペクトミー)。彼方に比べりゃ大分楽だろう、当日朝食べなけりゃ良いんだもの、とためらいがない。実際は、前日21時以降食べない必要があるが、それでも、洗腸液を飲んで腸を空っぽにする必要がある大腸内視鏡検査よりは大分楽だ。
 ただ、私が胃カメラを飲み込めるタイプの人間であるのかどうかが未知数である。辛い方はとことん辛いとも聞く。自分がどうであるのか・・・。でも、まあ、やってみなけりゃ分からない、と結構気楽に、優柔不断な私には珍しく、思い立ってからは比較的早く予約を入れた。六月の下旬のことである。

 検査日は予約を入れてから略一か月後。当日は、おばあちゃんをデイサーヴィスに送り出してすぐ、そのままがん検診センターへ直行。
 問診その他説明を受け、10時50分頃検査室前室へ。
 まずは、胃内部を見易くするというガスコンドロップ(液体)を飲む。少々甘く、空腹ゆえホッとする。
 そして、検査室入室。名前を確認し、服はそのまま靴だけ脱いで検査台上に仰臥。麻酔のためのキシロカインゼリーを舌上に乗せ暫く待機。次にそれを飲み込み、喉奥に向かって同じく麻酔のため、キシロカインスプレーを二回づつシュッシュッと三回、計六回噴射。
 仰向いた状態で又暫く置いてのち、左を下に横臥。大腸の時の様な血圧計装着や鎮静剤注射はなく、そのままマウスピースを咥え、いよいよカメラ挿入。看護師さん(女性)が背中をさすってくれるのが心地良い・・・が、く、苦しいっ。
 喉に何か詰まったようで、涙が澎湃と溢れて来る。思わず技師さん(男性)の腕を叩いてギブしそうになるが、耐える。
 耐える、耐える、耐える。何とか目を開き、モニターを見ると、食道から胃へとどんどんとカメラが進んで行くのが分かる。そしてそれが、体の方でも感覚として分かる。
 苦しくて目を開けているのも辛いのだが、好奇心がそれを上回り、モニター画面を見てしまう(でも、苦しい)。
 食道には、白っぽい汚れの様なものが沢山付着している。カビのようにも見える。
「カンジダ菌と言う常在菌です。疲れていると増えますが、少し休めば減ります。心配はいりません」
と、技師さんが説明してくれる。なるほど。
 涙目のまま、モニターを見る。カメラは胃に達している。
 ややっ、ポリープがイッパイあるではないか。何だコリャ。
「このポリープはがん化しない良性のものです。この程度なら問題は全くありません。大丈夫です」
と、また説明してくれる。なるほど。でも相当な数だぞ。スケールが不明なので、どの程度の大きさかは分からないが、胃壁に付着した小さな泡の様にも見えるポリープが、四角いモニター映像の画面中に、10個程度は確実にありそうだぞ。こんなにあっても大丈夫なのか。そうなのか。
 と、するうち、一気に楽になる。もう何ともない。先ほどまでの苦しさがウソの様に霧散する、と言うか既に霧散している。
 やがてカメラは十二指腸に達する。確かにお腹のその辺りに動くものを感ずる。一寸こそばゆい。
 そして、今度はカメラを引き抜きながらの映像を見つつ、終了である。

 口内の唾液は飲み込むと咽る可能性があるので、検査台に座った状態で吐き出す。そしてそのまま説明を受ける。
 大体検査中に受けたものと同内容の事柄を、映像を見つつ説明して頂く。結果としては、表層性胃炎があるが、特に服薬の必要もない程度のもので、全体的にはキレイな状態とのこと。ただ、胃の病気はいろいろあるので、出来れば年一回内視鏡検査を受けるのがいいでしょう、と。

 退室時、時計を確認すると、入室からは15分ほど経過していた。事前の麻酔や、事後の説明など含めてのトータルである。実質、カメラ挿入から引き抜くまでの時間は、多分7-8分であろう。本当に苦しかった時間は、相当なものに感じたが、実際は2-3分あるかないかのことであったと思う。こりゃ、大腸内視鏡検査の方がよっぽど楽だ、想像以上の苦しさだ、とは正直思ったが、なにせ初めての経験である。短い時間も長く感ずるのは致し方あるまい。それと、あとになって思ったのだが、最初に麻酔用ゼリーを上手く喉奥でキープできていなかったのも、苦しさの原因となった様だ。
 まあ、大腸の時もそうであったが、二度三度と経験するうち、自然、いろいろと改善され、辛さも減ずるものだ。

 終了後、暫くロビーで休憩。喉の麻酔が残るので、30分後に水を一口飲み、咽ないようなら食事を摂ってもOKと説明を受け、お会計。
 料金は三割負担で四千円ちょっとであった。

 すんごい疲れた。しかも緊張がほぐれて案の定、強烈な片頭痛発作が始まった。とっとと家帰ってゴハン食べて頭痛薬呑んで寝ました。

2016 7/30

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*カンジダ菌:菌類。カビの一種であるが口腔内に普通に存在し、通常問題は起こさない

(画像は、イラストACより拝借しました)

熊本地震ペット救護本部

文月十日  旅行嫌い
琴平線岡本駅 私は乗りもの酔いが激しく、且つ極度のめんどくさがり且つまた生活パターンの変化を極端に嫌う性質のため、旅行と言うものを殆どしたことがない。
 日帰り旅行(日帰り旅行の定義が良く解らないが。単なる「遠出」と何処から変わるのだろう)ならここ二十年で三度ほどしているが、泊まり掛けとなると十代の頃の淡路島行以来していない。登山も旅行のうちにもし含められるならば少し違って来るが、それにしても相当行っていない。
 まだ日本海も見たことがないし、飛行機にも乗ったことがない。パスポートも持っていない。海を渡ったのも中学生の頃上記淡路島旅行のときだけだ。
 考えてみれば、もう十年近く、東京から一歩も出ていない。ドイヒーだ。
 お酒も飲まず、車も乗らず、彼女もおらず、ギャンブルも無縁、一体何が楽しいの?と言われそうだが、結構楽しんでますよ、デイサーヴィスの日の鉄塔巡りとか(ただ、彼女は、ほしい)。
 そんな私であるが、時に、旅行に行きたいなあ、と、ちらっと思うことはある。知らない町で知らない鉄塔を撮る。そんなことを妄想したりも、する。

 こんなアンケートがあった。大分前であるが、今も左程の違いはなかろうかと思う。

・いま行きたい旅行先はどこですか? (複数回答可)
北アメリカ16.2%
南アメリカ8.2%
南アジア・オーストラリア 15.3%
ヨーロッパ 41.8%
アフリカ 5.1%
東アジア 7.8%
西アジア 3.9%
日本国内 42.3%
この中にはない 3.9%
旅行したいと思わない 5.9%
(2012年11月19-20日)

・この夏、国内旅行に行くならどこに行きたいですか? (複数回答可)
北海道 40.5%
東北地方 14.5%
関東地方 12.0%
中部地方 11.2%
関西地方 10.4%
中国地方 6.6%
四国地方 7.1%
九州地方 12.9%
沖縄 21.9%
どこにも行きたくない 12.5%
(2015年7月6-7日)

 もし今、上記アンケートに私が答えるとしたらば、前者なら「この中にはない」。何故なら行きたい所がネパール(ヒマラヤを見たいのだ)で、それは「南アジア」だからだ。そして、後者なら原爆ドームのある中国地方と、中学時代学校からのクレームで行きそびれた四国地方だ(長く船に乗るのはアブナイとの理由で学校側に反対されて四国案は没になり淡路島行きとなったのだ)。
 しかし、何時かそのうちに、等とぐずぐずとしていたらば、思いがけず介護生活が始まり、旅行は叶わぬものとなってしまった。
 行けるうちに行っておかないと、後悔することとなる。

 東北また九州も、機会が訪れたら、是非行きたいと思っている。出来れば、原付きバイク(モンキー)で、或いは、フォールディングバイク(折り畳み自転車)+ローカル線、という形で。

2016 7/10

(画像は、photo ACより拝借しました)

熊本地震ペット救護本部

水無月二十八日  初鳴き
 一昨昨昨日(さきさきおととい)のことになるが、雨は大丈夫そうだったので、おばあちゃんのかかりつけ医へ受診に出かけた。高血圧治療の定期的なものである。
 その帰り路、もう昼近い頃であったが、近所の公園を通りかかると、ケヤキの大樹の上方辺りから、「チィー・・・ジィー・・・」と、ニイニイゼミの声が聞こえて来た。
 私的には、この声を聴くのは今年初である。

 昨年こちらの記事に書いたが、子供の頃よく耳にしていたものなので、この声を聴くとなにやら郷愁的な感覚を覚える。

 話は変わるが、「閑さや岩にしみ入る」セミの声は、このニイニイゼミかアブラゼミかで、大正末年から昭和の初めにかけ論争が起きたことがあった。アブラゼミ説を押す歌人の斎藤茂吉と、ニイニイゼミ説を押す評論家の小宮豊隆(「三四郎」のモデル)との間である。
 アブラゼミ説の斎藤茂吉は、自身で現地に赴き確認しようとしたが、大雨で断念。現地の人に標本採取を頼み後確認。そして、彼が間違えを認めることで一応の決着を見た。この句が詠まれた5月27日は新暦では7月13日に当たる。その日に近い頃、山形の立石寺に於いて採取された標本には、アブラゼミの姿もあるにはあったが、大部分はニイニイゼミであった。彼はこう記したそうだ。
「私の結論にはその道程に落度があって駄目であった。動物学的にはアブラゼミを絶対に否定し得ざる事標本の示すごとくであるが、文学的にはまずアブラゼミをば否定していい」
 私としては、小宮の様に、威勢のいいアブラゼミはふさわしくなく、か細いニイニイゼミの声が「岩にしみいる」というのも分かるし、茂吉の様に、喧しいアブラゼミの声降りしきる中に「閑さ」を感じると言うのも分かる気がする。科学的な部分は置いといて、文学的に見れば、アブラゼミ説を否定する気には、必ずしもなれない。なんか、茂吉とは逆の言い方になるが。

 何れにしろ、今頃のしっとりとした梅雨景色には、ニイニイゼミの控えめな声は、良く似合うと私は感ずる。

2016 6/28

(参考:北杜夫「どくとるマンボウ昆虫記」。北杜夫氏は茂吉の二男である)

ペット災害対策推進協会

皐月十八日  はけの分断
 何度か、このサイトで紹介した、小金井市南部の「はけの道」周辺。豊かな緑と清流に彩られた、訪れる人も多い、東京郊外の希少な環境であるが、そこを分断・貫通するように通り抜ける、二つの都道(都市計画道路)が計画されている。

 「東京都による都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)」に含まれ、優先整備路線に指定された「3・4・1号線」と「3・4・11号線」がそれである。
 前者は、連雀通り(都道134号)の西武多摩川線近くから新小金井街道(都道248号)まで東西に走る凡そ2,050m(幅16m)、後者は、連雀通りから東八道路(都道14号)まで繋がる南北凡そ830m(幅18m)の道路。
 小金井市作成の地図で見る限りではあるが、3・4・1号線は、「借りぐらしのアリエッティ」ロケ地として有名な、小川沿いの遊歩道「はけの小路」南部分、及び「ムジナ坂」付近の国分寺崖線(はけ)をそれぞれ分断し、3・4・11号線は、「どじょう池」と呼ばれるビオトープを中心として、嘗ての湿地帯の姿を復元する事業を自然再生推進法に則り推し進めて来た元来自然度の高い地域、武蔵野公園内の野川第1調節池を東端部分、鉄塔(国分寺線61号)と箭真舳(やまべ)橋の間で、同様に分断する。
 何方の道路も、10年以内の事業化が3月に決定されている。

--------------------以下、3・4・1号線予定地--------------------

はけの小路 はけの小路、アリエッティの小川
左、はけの小路 右、アリエッティの下った小川

ムジナ坂 はらっぱからムジナ坂辺の崖線(はけ)
左、ムジナ坂
右、武蔵野公園内くじら山のあるはらっぱから第2調節池越しに
はけ(崖線)を見る。左端青い屋根の右手辺りがムジナ坂

--------------------以下、3・4・11号線予定地--------------------

第1調節池、どじょう池付近 第1調節池辺の野川
武蔵野公園内第1調節池、「どじょう池」付近(左)と野川(右)

やまべ橋と第1調節池越しに、はけ及び鉄塔群
武蔵野公園内やまべ(箭真舳)橋越しに第1調節池付近
及び、はけ(崖線)の木立越しに鉄塔群。
左から右に、境八王子線9号、国分寺線62号、63号、61号。
3・4・11号線は橋と61号の間を通る

 この都道計画が内定したのは、1962年(昭和37年)のことである。
 半世紀以上も前の計画をなぜ今?と誰しも思うであろう。都市計画法改正前の計画(旧都市計画法時代)であるため、多くの立ち退きが生じるにも拘らず地域住民の方がたへの説明会すら開催されていないという。都が募集した都道計画に関するパブリックコメントで、この二つの道路に関して寄せられた2,111件(3・4・1号に1,081件、3・4・11号に1,030件)の内97%が反対意見であったそうだ。しかし、知事を含め都側は、防災(延焼遮断帯・広域避難所へのアクセス向上)・ネットワーク形成(通過交通排除・小金井街道の渋滞緩和)等を強調し、意見に応じる意思は無いと。

 私は、自転車でこの道路が計画されている辺りは良く訪れる。野川やはけの小路、また鉄塔を見に或いは撮りに。低層の住宅地と、農地、神社、川、湧水、また崖線の雑木林などが混然一体となった、所謂「里地里山」であり、多摩地域を代表するような素晴らしい土地である。幅16m及び18mの道路が完全にこの、はけの自然環境と、周辺のコミュニティを断ち分けることは、他の都道建設の例を見ても自明である(都道17号バイパス(多摩南北道路3号)など)。
 勿論、渋滞、古い道路の歩道の狭さ、生活道路の抜け道利用などへの対策また防災に関する対策は必要であると理解する。しかし、これら事柄より、この希少な環境の保全或いは後世世代への継承が、優先性の低い事項であるとは考えない。同等な重要性を持つと考える。
 東京都及び小金井市には、是非とも再考をお願いしたい。

(参考:時事通信社記事「残るのか武蔵野の原風景〜忍び寄る都道計画〜」、「都市計画道路を考える小金井市民の会」HP、「はけの自然と文化をまもる会」HP、小金井市HP他)

2016 5/18

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*国分寺崖線:古多摩川が武蔵野台地に作った河岸段丘である武蔵野段丘と立川段丘との境をなす崖の連なり。「はけ」と呼ばれる。緑地帯が多い。この崖線下に続く道は一般に「はけの道」と呼ばれている
*小金井市:東京都西部の住宅地。スタジオジブリ所在地として有名
*野川:国分寺市の日立製作所中央研究所内に源がある一級河川。長さ≒20km。小金井市以下は緑化されている
*はけの小路:はけの森美術館南から南に続くせせらぎ沿いの遊歩道。アリエッティ達がやかんの舟で流れて行くところ(のモデル)
*ムジナ坂:ムジナは一般にイタチ科アナグマ属のニホンアナグマ。坂は農地へ通う山林中の細道で暗くなればムジナに化かされると噂されていたとか
*野川調整池:大雨で野川の水位が上昇した場合一時的に水を流入させ洪水を防ぐ施設
*里地里山:集落と周辺の二次林(伐採や災害後に再生した森林)、農地、ため池、草地等からなる地域。人と自然との相互作用で形成されてきた環境
*ビオトープ:一般に自然環境の損なわれた土地に動植物の生息空間を復元・再現したものを指す。元来の意は「生息場所」
*都道17号バイパス:都道17号府中所沢線支線(バイパス)は町田市と東村山市とを結ぶ多摩南北道路3号が一部供用されており(新府中街道)、国分寺崖線(はけ)を切通しで分断している。この北への延長部分(小平3.2.8号線(2012年11月拡幅のため3.3.8号線から変更))が玉川上水を分断するため問題となっている。この道路も3.4.1号線、3.4.11号線と同じ1962年に都市計画決定されている

ペット災害対策推進協会

皐月十三日  クロウリハムシ
 昨年、トホシテントウ及びキカラスウリの記事に御登場頂いた、クロウリハムシ。本年も、伸び始めたキカラスウリに大挙押し寄せて来た。去年は、キカラスウリの株がまだ小さく、葉を食べ尽され枯れてしまいそうになったので、クロウリハムシさんにはご退去願っていたが、今年は大丈夫。キカラスウリは相当に大きく育っている。存分にお食べ下され(でも食べ過ぎないでね)。

 写真の個体は、おトイレ中なのであろうか。敏感で、カメラを近づけるとすぐに飛んで行ってしまうクロウリハムシであるが、こうした体勢の時はじっとしていてくれるのだ。

クロウリハムシ

 産卵かとも思ったが、卵は株元や土中に産みつけられるそうなので、違うであろう。

 クロウリハムシの写真を撮り、ネットであれこれと彼ら彼女らについて調べていたらば、「トレンチ行動」なる言葉及びその行動を撮影した写真に出くわした。
 この行動は、食草の葉、うちの場合キカラスウリだが、その葉を直接食べるのではなく、まずは円形に或いは葉の縁であれば半円形に切れ込みを入れ、その内側への植物の防御物質(摂食阻害因子)である、苦みや粘性のある物質の流入をシャットアウトして、その後に美味しく頂くためのものらしい。知らなかった。
 早速、キカラスウリの元へ再度行き脚立に上って観察したらば、有るは有るは、丸い食痕と、放棄されたのかすっかり内側が乾いたサークル等が、あちらこちらに。

クロウリハムシの食痕
食べかけと食痕(奥)

 翌日、トレンチ行動中の写真はゲットできないかと、少し粘ったらば、真っ最中の現場に遭遇。ただ、カメラ接近で驚かせてしまい、この直後、クロウリハムシは飛び立ってしまった。スマン。

クロウリハムシ

 ちなみにトレンチ行動の「トレンチ(trench)」とは、溝や海溝、塹壕などを意味する語。トレンチ・コートの「トレンチ」と同じである。

 クロウリハムシ(黒瓜葉虫)(Aulacophora nigripennis)は、ハムシ科ヒゲナガハムシ亜科に属す甲虫で、体長は凡そ6mm程。本州以南に生息し、成虫はその名の通りウリの葉を好んで食する(幼虫は根を食す)。ある程度緑があれば、都市部の人家周辺でも普通に見られる。周囲の景色まで映り込むような見事な光沢と、黒と黄色(オレンジに近いか)と言う、所謂「警戒色」的体色を持っているので、私の様な者には十分目立つ存在なのだが、如何せん小さいので、生き物ウォッチングを趣味とする方以外には、おそらく余り馴染みがない存在であろうと思う。
 ただ、ウリ科植物以外の植物も結構幅広く食するため、ガーデニングをされている方或いは農業家の方には、困ったちゃん的存在としてお馴染みであろうと思う。

 よく見れば、「タキシードにグラサン」的スタイルが結構可愛いのだが、確かに去年の今頃は、その旺盛な食欲に私も大分困らされたものな。

2016 5/13

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*トレンチ・コート:WW1の頃、イギリス軍兵士が塹壕(トレンチ)内で着用した防水コートが元だそう
*警戒色:警告色とも。相手に警戒を促す派手な色彩。黒と黄色のツートーンが有名。自然界ではハチの体色が代表例。人間界でも踏切、カラーコーンなど危険を知らせる場面で良く使用される

ペット災害対策推進協会

卯月十八日  九州、地震
熊本城 この度の地震により亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに、被害を受けた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 14日21時25分頃及び16日1時25分頃に熊本地方で起きた地震は、非常に被害の大きかった熊本県益城町近くで傾いたT字形に接している、東北東−西南西方向に延びる布田川(ふたがわ)断層帯(約64km)(16日)と、北東−南西方向に延びる日奈久(ひなぐ)断層帯(約81km)(14日)の二つの断層帯の一部が動いたことによるものと考えられている。
 そして、16日明け方以降、当初の地震の北東域、阿蘇地方や大分県で続いた地震は、布田川断層帯の北東延長上に位置しており、この断層帯付近で起きた16日深夜の「本震」に影響された、誘発地震の可能性があるらしい。これ等地震は、14日からの地震の余震ではない、別個のものと言うことだ。

 大分県別府湾から、長崎県島原半島まで、別府−島原地溝帯と呼ばれる、長さ約200km、幅20-30kmの大きな「溝」が横たわっている。ここには九州島を南北に引き裂くように引っ張り応力が働いており、九重山、阿蘇山、由布岳そして雲仙岳などの多くの火山や活断層が存在している。上記の布田川、日奈久の両断層帯も、この地溝帯の南縁に沿っている。
 14日来の一連の地震は何れも、この地溝帯の地域で起きているという事のようだ。

 関東から長野、和歌山そして徳島等を通り九州まで、日本最大級の断層である、中央構造線が伸びている。長さ1,000km以上。西南日本を、大きく地質の異なる北側の内帯(領家変成帯)と南側の外帯(三波川変成帯)とに分けている。この中央構造線に、紀伊半島中部から淡路島南方海域を経、四国北部を横断して伊予灘(瀬戸内海西部)にまで達する、中央構造線断層帯(約360km)が沿っている。今回の地震は、大分、熊本へと続くこの延長上で起きた、という見方もあるようだ。地図で見れば、この延長上とは、別府−島原地溝帯である。
 現在、地震の活動域は当初の南西側にも拡大している。更に広がる可能性も、否定できないのかもしれない。

 この先の動きは予断を許さないが、少しでも被害の拡大を抑制できるよう、充分に注意・警戒して頂きたいと思う。

2016 4/18

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*中央構造線:関東、九州では位置は不明確
*中央構造線断層帯:中央構造線活断層系とも。地質構造としての中央構造線とは必ずしも一致しない
*別府−島原地溝帯:断層活動により地下からマグマが陥入し火山が形成されると考えられているようだ

ペット災害対策推進協会

(画像は、photo ACより拝借しました)

弥生九日  磁気共鳴画像法
MRI たびたび偏頭痛について書いてきたが、実際診察を受け、偏頭痛と診断を受けたことは無い。自分で彼是調べ、考え、勝手にそう自己診断しているだけであった。
 しかし先日、ついに脳外科さんを受診した。余りに頭痛・吐き気・眩暈が激しかったためだ。こうした症状がしょっちゅう出るのは、流石に暢気な私も心配だ。

 アルツハイマー病のおばあちゃんが何時もお世話になっている脳外科病院への定期通院とタイミングが丁度重なったため、序でにお願いしようか、と症状の激しさの割には、付き添いで行き慣れた病院でもあり、軽い気持ちでの受診であった。もしかしたら、後日MRI(Magnetic Resonance Imaging 磁気共鳴画像法)検査、というこになるかもな、くらいのものである。
 ところが、である。問診票を提出(私は初診)したらば、「今日は空いているので、そのまま検査になるかもしれません」と顔馴染みの事務の方に言われた。「えっ」である。何の心構えも準備も無いのである。
 頭痛の激しさに、昨夜はお風呂にも入っていないし、Tシャツも昨日のまま着替えていない、(下着の)パンツも襤褸いのを穿いてきてしまった(流石に替えてはいたが)。それに、以前から多少は、脳腫瘍である可能性もあるか・・・くらいは考えていたが、実際そう診断されるかもしれないのだ。そんな心構えは出来ていない。
 が、今さらそんな事を言っても詮方ない。まあ、こうなった以上後は成り行き、と覚悟を決めた(大袈裟)。

 おばあちゃんがMRI検査を受けるのを、何度も見、また待合に掲示された説明書きも何度も読んできてはいるので、何となくの様子は分かっていた。「ピアニッシモ」という静音化技術採用の東◯メディカルシステムズ製の装置である。その名の通り他製品より静かであるらしい。
 しかし、突然のMRIである。やはり一寸はびびる。自分が閉所恐怖症であるのかどうかも分からない。が、診察終了時に矢張り、頭の検査しますので、となった。そしてあれこれ考える間もなく、技師さんに名を呼ばれた(ほんとに空いていたのだ)。
 促されるまま検査着に着替え(上はスエットのまま、金具が多いのでジーンズだけ脱ぐ)、あれよという間にテーブル上に仰臥。何かあったら押して下さいと、コードに繋がった小さな風船様のブザー(金属はNGなのでゴムなのだ)を右手に持たされる(何かないことを願う)。身体はベルトで緩めに固定だが、頭はがっちり固定である。検査時間は約15分と説明され、目を閉じる。耳栓は無い。
 ガントリー(トンネル部分)に入る前に目を瞑ってしまったので、自分自身の状態及び中の様子が分からなくなってしまった。失敗である。様子が解らない分、不安が募る可能性がある。が、もう遅い。ここでも、後は成り行きである。
 噂で聴いていた音が鳴り始める。「ガガガガ」「コンコンコンコン」「ビービービービー」「ゴンゴンゴンゴン」と言った感じだが、流石「ピアニッシモ」うるさくはない。音は問題になりそうもないと一安心。
 そしてそんな種々の機械音の間隙を縫うように、薄っすらとBGMが聞こえてくる。「パッヘルベルのカノン」である。おお、これについて考えよう。ここに集中して気を紛らわそうと考えた。
 ・・・ヨハン・パッヘルベル。若い頃は、あのバッハ一族の住む街アイゼナハで一時過ごしたんだ。そしてヨハン・ゼバスティアン・バッハのお父さんヨハン・アンブロジウスと親しくなり、子供たちの家庭教師もしてたんだよな。でもそれは、ヨハン・ゼバスティアンの生まれる前のことだな・・・。
 等と考えていたのだが、突然、恐怖感が滲みだして来た。徐々に動悸が激しくなり、呼吸も荒くなり、プチパニックである。全身が狭い空間内で身動きが取れない状態にあることを意識しだしてしまったのだ(鼻がかゆくなったらどうしよう等と思ったのがきっかけかもしれない)。これはイカン、ブザー押すか?イヤイヤまだまだ、と葛藤がしばらく続く。一所懸命他のことを考え気を逸らそうとするのだが、ダメである。おっさんがリタイアはハズイなぁ等と考えているうち、何が如何したかスーッと潮が引くように恐怖感が消える。感覚としては、検査開始から6-7分頃の事であろうかと思う。
 しかし、恐怖感が失せたとは言い、一度味わってしまうと怖くなる。また波が来るのではないか、と。そこで思いついた。そうだ、秒数を数えよう。15分と言えば900秒である。おそらく半分ほどは過ぎたであろうから、500も数えないうちに終わるであろう。そこに集中しよう。
 秒を数えながらも、矢張り時折恐怖の小波はやって来る。しかし、185、186、187・・・とそこに集中しやり過ごす。
 450辺りまで数えた頃、音が止む。技師さんの声が、遠くに聞こえる。あぁ、終わった・・・。
 ほっとして目を開き、身体方向に視線をやると、頭を覆うRFコイル(ヘッドコイル)の隙間から天井が見える。ガントリー内に入っていたのは頭部のみだったのだ。全身がガントリー内にあるとは、確認を怠ったための勘違いであった。でも、一寸考えれば分かるよな・・・。

 薬局でおばあちゃんの薬を待ちながら、私の検査結果を待つ。いろいろ問題が見つかったらどうしたものか。手術となれば、それ相応の入院加療も必要となろう。その間おばあちゃんはどうしようか、等あれこれ考える。
 検査から30分ほどの後、結果が出た。動脈も、腫瘍も、そして脳梗塞も、すべて無問題ということであった。
 PC画面のMRI画像を前に、それぞれ説明を受ける。
 まずは動脈画像。動脈の太さに驚く。脳が大量のエナジーと酸素を消費する器官であるのが解るような気がした。そして次に全体を見て行く。輪切り画像がマウスをクリックするごとに切り替わって行く。写真で見慣れた左右対称の脳室の形が、私は随分非対称な形であることを知った。また、私は常々、頭の「形」には自信を持っていたのだが、後頭部の左が右に比し思いのほか膨らみが少なく、結構歪んでいることも知った(大した事ではないが一寸ショックだ)。最後に横からの画像を見、終了。きれいな状態です、との事。
 今回の痛み(及び吐き気、眩暈)は、おそらく偏頭痛によるもの、との診断である。偏頭痛にしか効果の無い薬ゆえ、これで痛みが消えれば間違えないでしょう、とトリプタン系薬を処方される(服薬後、見事に効いた)。

 頭痛持ちで、しょっちゅう発作に襲われていたため、一度MRI検査は受けたいと考えてはいた。がしかし、なかなかコワさもありできずにいた。今回思いがけずに受けることとなったが、彼是考え迷う暇もなかったのは、かえって良かったのであろう。優柔不断な私にとっては。

2016 3/9

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*MRI:細胞の持つ微弱な磁気を核磁気共鳴を利用して検出し画像化するもの。CTスキャンと異なりX線は使用しない。
検査中どういったことが起きているかを以下に記す。
人体内に多量に存在する水素原子核(陽子。+の電気を帯びている)は向きはばらばらである

MRIガントリー内部に入り強力で均一な磁場(静磁場)を与えると水素原子核は磁場に沿って一方向に向きを揃える

そこに電波(RFパルス)を当てる(この時デカイ音)と水素原子核は90度向きを変える

電波を切ると水素原子核は信号を出しながら電波を当てる前の向きに戻る。この時の信号の違い(戻る速さの違い)により組織の状態が分かる(この違いを画像化する)

ガントリーから出ると水素原子はまたばらばらな向きに戻る
*トリプタン系薬:血管収縮作用、血管周囲の消炎作用がある *ヨハン・パッヘルベル(1653(洗礼)-1706(埋葬)):ドイツの音楽家、オルガン奏者。「カノン」だけの一発屋的扱いをされるが、他にもオルガン曲など作品は多い。孤児となったヨハン・ゼバスティアン・バッハを引き取った長兄ヨハン・クリストフの師匠がパッヘルベルである
*脳:重さは体重の約2%だが、エナジー消費は全体の約20%、酸素消費量は全体の約25%と言われる
*脳室:脳脊髄液で満たされた腔所。大脳半球のものは側脳室と呼ぶ

(画像は、医療関係のフリーイラスト素材より拝借しました)

如月二十三日  レスキュー
買い出し スーパーに買い出しに行った際、レジカウンターでおねいさんに差し出す私の篭の中は、ほぼ全て、「半額」「20%引き」「見切り品」等のシールが貼られている。
 これは、安いからでも当然あるが、それだけではなく、これ等シール貼付の商品が売れ残った場合、廃棄処分(食品本来の利用方法ではない再利用・リサイクルも含む)となってしまうからだ。私が一つでも二つでも購入し食べれば(飲めば)、廃棄は免れる。なので、こうした商品を買うことを、私は「レスキュー」と密かに呼んでいる。

 日本の2012年度一年間の食品廃棄物量を以下に挙げる。
 事業系:819万トン 内可食部分と考えられる量331万トン
 家庭系:885万トン 内可食部分と考えられる量312万トン
 計1,704万トン 内可食部分合計と考えられる量643万トン
 可食部分と考えられる量の合計は、2011年度の世界全体の食糧援助量凡そ400万トンを大きく越し、2009年度のナミビア、リベリア、コンゴ民主共和国三か国の国内仕向量(凡そ600万トン)に匹敵するものである。

 上で、可食部分とあるのは、廃棄食品中の、文字通り「食べられる」部分の事。事業系で言えば、規格外・返品・売れ残り・食べ残しで棄てられるもの、家庭系で言えば、食べ残し・直接廃棄・過剰除去により棄てられるものである。
 ここの部分は、正に「もったいない」の世界であるが、我々一般消費者も、日常的な若干の努力で減らせそうな部分でもある。
 例えば、買い物時、陳列棚の手前の商品、つまり賞味期限・消費期限の近いものから買う、見切り品や処分品を買う、適量を買う、外食は適量を注文し残ったら持ち帰る、などなど。家庭では、皮を厚く剥き過ぎない、作りすぎない、冷蔵庫や棚の中を整理して期限切れ廃棄(直接廃棄)をなくす、などなど。一寸気を付ければ出来そうである。
 あと、「賞味期限」の理解も必要かもしれない。この期限は「美味しく食べられる」期限であって、過ぎたら食べられなくなる、といったものではない(賞味期限を二年過ぎたお醤油を二本使ったことがあるが何ともなかった。色と香りは少々残念な感じであったが)。過ぎたら食べられなくなる(と言うか食べない方がいいよ)と言うのは、「消費期限」である。ごっちゃになっている方は意外といらっしゃるかもしれない。
 我が家などは家族も少なく、また皆小食なので、スーパーで販売されている食品は、多すぎる場合も多々。もうちょっと少量での販売と言うのも考えて頂けたら有難いな、とも思う。またメーカーさんには、賞味・消費期限の延長努力(包装の変更とか)なども是非お願いしたい。介護等でこまめに買い出しに行けない者も多いので。

 私個人の立場で言うと、食品ロス(フードロス)を減らしたいと考えるのは、環境的な視点から(廃棄食品の処分にもエナジーは消費されるしプラスチックごみも出る)であると同時に、心情的な部分も大きいのだ。もとは生命あるものであった食品が廃棄になるのを考えると、切ないのである。

2016 2/23

参考:農林水産省「食品ロスの現状」「食品ロス削減に向けて」、GREENPEACE「スーパーに聞いてみた、捨てたマグロのゆくへ」他

(画像は、photo ACより拝借しました)

如月十九日  何処にお願いしようか
風力発電 四月から、一般家庭でも任意の電力会社と契約が出来る、電力自由化(小売りの自由化)が始まる。NTT独占であった電話契約が、様々な電話会社と自由に契約できるようになった「マイライン」(ああ、懐かしい)と同じ様なものと考えて良いであろうか。それぞれの地域で、独占的存在であった電力会社(東京で言えば東京電力)以外の電力会社を選択し契約できる。
 この「選択できる」ということに、夫婦別姓問題同様、大きな意義を感じるのであるが、どのような電力会社を選ぶのか、結構重要である。
 我が家は、皆倹約家(貧乏性)で、もともと電力消費が少ないのため、価格の問題は左程重要ではない。どんな発電方法であるか、に重点を置いて選びたいと考えている。具体的には、「自然エネルギー」による発電を行っている会社と契約したいと考えている。

 自然エナジー(太陽光・地熱・小規模水力・風力・波力等)と再生可能エナジーとほぼ同義としてここでは使うが、これとて、無問題と言う訳ではない。メガソーラーなど、山や丘陵を切り崩し、緑地を犠牲として作られる場合もあるようだし、パネルの反射光による「光害」も問題視される。景観問題も重要な課題である。風力で言えば、低周波による健康被害も懸念されているし、鳥やコウモリなどのブレード(風車の羽)への衝突問題も深刻である。またこちらも、景観問題がある。日本では潜在的エナジーは相当と期待される地熱発電も、その適地の多くが国立・国定公園内であり、景観や自然環境への影響が懸念されている。日本ではその事例は無く(海外ではある)、十分な配慮があれば問題は無いとされてはいるが、温泉への影響を心配する声も多い。また、還元水(使用後の熱水)に含まれる有害物質による地下水汚染も問題視されている。

 再生可能エナジーが全ての問題を解決するものであるなどとは、まったく考えないが、それでも、トータルに見れば、火力や大規模水力(ダム)、そして原子力を利用した電力を使い続けるよりは、現在また将来世界に対する負の影響は少ないと私は考えるのだ(長年お世話になってきたTEPCOさんには申し訳ないのだが)。
 ただ、どの電力会社さんに頼もうかと調べても、現時点では、残念ながら電力会社さんそのものや電源構成についてなど全体に情報が少なすぎる。

 電気はどの様な作られ方をしようと、送電線内で混ざりあってしまうので、再生可能エナジーによって作られた電気だけを選択的に使うと言うことは、現時点では出来ない。しかし、再生可能エナジーによる発電を行っている電力会社と契約することは、そうした発電を支持し、応援することに繋がると考えられる。出来れば、そうした会社に私はお願いしたいと思っている。

2016 2/19

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*電力自由化:工場やデパート、オフィスビルなどの大規模需要家への小売り自由化は2000年から行われている
*再生可能エナジー:一般に自然環境中で繰り返し起こる事象から取り出すエナジーを指す。太陽光や風力など利用の自然エナジーに廃熱利用・バイオマス等のリサイクル・エナジーを加えたものとしてここでは使用しています
*地熱発電:普通、発電に使用する熱水は、温泉水よりはるかに深い1,000〜3,000mの地下から採取する。また使用後の蒸気(水になる)や熱水は井戸により地下に還元する
*コウモリと発電風車:鳥と異なり衝突だけでなく、回転するブレードが作る低圧部分に入り肺が破壊されてしまうパターンが多いそうだ

(画像は、photo ACより拝借しました)

あなたの”スイッチ”が、世界を変える #I Switch (GREENPEACE署名募集)

睦月十七日  ノーウォークウイルス・・・であろうか
ウイルス 新年の或る朝、おばあちゃんがなかなか起きてこないので、様子を見に部屋に入ると、何やら異様な臭気が。チェックして見れば、パジャマの下も下着もよごれている。枕もとにはなにやらおう吐の形跡がある。
 一昨日デイサーヴィスに行ったな・・・、昨夜何度もトイレに行ってたな・・・。貰って来たか・・・「ノロ」。等とあれこれ考えつつ、ちょいパニックに陥りながら、取り敢えずおばあちゃんにシャワーを浴びてもらい、その間私は、お風呂場が使えないので、トイレでよごれものを洗った。
 新年早々のダイサンジである。
 病院では、やはりノーウォークウイルス感染の疑いが大きいと言うことで、ビ◯フェルミンを処方して頂く。念のため数日おむつ生活をしてもらったが、二日ばかりで症状は霧散。食欲も徐々に回復。・・・ああ良かった。
 とホッとしたのも束の間、今度は私が体調不良に襲われる。気を付けてたのに、や、やられたかっ、と思ったが別にお腹の調子に変化もない。強烈な寒気と体のあちこちに痛みも感じる。イ、インフルエンザかっ、とも思ったら熱も出ない。何だ?・・・と様子を見ていたらば、なんのことはない、例によっての偏頭痛発作であった。私の偏頭痛は、時により前兆のタイプが異なるのだが、確かにインフルエンザを疑わせるようなパターンを過去二度ほど経験していた。非常に紛らわしいのだ。
 大きな緊張やストレスから解放されたような場合(あと低気圧の接近。特に低温・高湿度がバイヤーである)、必ずと言ってよいほど偏頭痛発作が起きる。大の苦手の採血(健康診断時)が終わった後、大腸がん検査が一段落した後など、ホッとしたときほぼ起こる。今回も、おばあちゃんのノーウォークウイルス感染で、知らず知らず緊張していたのですな。

 と以上、「ノーウォークウイルス」と表記したが、要するに「ノロウイルス」のことである。はじめは「ノロウイルス」と書いたのだが、書き改めた。いろいろこのウイルスについて調べていたら、どうも「ノーウォークウイルス」とするのが正確らしいと知ったためである。
 このウイルスは、1968年米オハイオ州ノーウォーク(Norwalk)で発見されたため、「ノーウォークウイルス(Norwalkvirus)」と命名された。当初より「ノーウォークウイルス」なのである。なのに何故「ノロウイルス」が一般化してしまったのか。
 生物種は、「・・・科・・・属・・・種」と分類・表記されるが、このウィルスは、はじめ「カリシウイルス科ノーウォーク様ウイルス属ノーウォークウイルス種」と分類されていた。それがその後2002年に、「カリシウイルス科ノロウイルス属ノーウォークウイルス種」と変更。このことにより、種名も「ノロウイルス」に変更されたと誤解されがちとなった・・・とウィキペディアさん(お世話になってます)では解説されているが、呼び方については諸説あるようだ。
 「ノロウイルス」の呼称が一般化した理由は定かではないが、何れにしろ、ときに激しい急性胃腸炎を引き起こす(場合により無発症・無症状)このウイルスの正式な種名は「ノロウイルス」ではなく「ノーウォークウイルス」、このウイルスによる感染症は「ノロウィルス感染症」ではなく「ノーウォークウイルス感染症」なのである、という事である。
 「NORO」姓(日本、イタリアに多いらしい)の子供たちへのからかいやいじめを防ぐ必要がある、との指摘を受け、2011年9月に国際ウイルス分類委員会は、メディアはじめ各医療機関等に、「ノロウィルス」という種名は存在しないゆえ「ノーウォークウイルス」という正しい種名を使用するよう、公式に求めている。
 こうした指摘や要望は理解できる。病気名に発見地や発見者の名が冠せられる例は多い。エボラ出血熱の「エボラ」はこの病の最初の患者の住む地域を流れる川(コンゴ民主共和国)の名だし、アルツハイマー病の「アルツハイマー」は報告者の医師さんの姓だし。こうした命名が行われた場合、その地域その名に対しどうしたって悪しき印象が纏い付いてしまう。病気の命名や病名の使用についてはいろいろ配慮しないとダメだよなあ、と思って、人名・地名に由来する病名を調べていたらば、特定の存在にマイナスイメージが固定されるの防ぐため、新興の病気に人名(アルツハイマー病、川崎病、クロイツフェルト・ヤコブ病等)、地名(エボラ出血熱、水俣病、スペイン風邪)、動物名(狂牛病、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザ等)、食品名、また文化や職業(レジオネラ(在郷軍人)症)に関わる名、及び過度に不安をあおる語(未知、致死、流行等)を使わないようにというベスト・プラクティス(最善慣行)を発行し、科学者、国家当局及びメディアに対し呼びかけた(2015年5月8日)、というWHOのページ(WHOホームページ→Media center→News→Notes for the mediaを参照)に辿り着いた。
 私なんぞが考える様なことは、皆さんとっくに考慮されていた。

2016 1/17

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*ノロウイルス(Norovirus):急性胃腸炎を起こすウイルスの属。ゲノム(その生物の遺伝情報の全体)としてRNAをもつRNAウイルス
*偏頭痛(migraine):一般に、脳内血管の急激な拡張に原因すると考えられているが、拡張の原因は、神経伝達物質セロトニンによるという説と、脳神経の一つである三叉神経によるという説とがある

睦月二日  VIP
vip 「命」に思いを至らせるような深刻な出来事は、毎年世界の各地で起こり続けるが、昨年は何時にも増し、そうした事柄は多かった様に思う。テロ、そしてそれに対する攻撃・・・など、痛ましい、遣り切れない思いになるような様々なニュースが、メディアを通し届けられた。
 そうした中で、私がチェックした範囲だが、個人的に昨年もっとも胸切なく感じたニュースは、10月徳島市で起きた、視覚障害の方(Visually Impaired Person)と盲導犬が、バックしてきた2tトラックにはねられ亡くなった事故に関するものである。
 事故は朝8時頃起きたのだが、その時間帯、加害者となっってしまったトラック運転手の方は、近隣からの苦情のため、バックブザーをoffにしていたのだそうだ。音声があれば防げた可能性があるだけに悔やまれるが、一般論として、トラックの出入りの多い場所の近隣住民の方々のお気持ちも解らなくはない。
 毎日、昼夜別なく、繰り返し繰り返しブザー(或いは音声)が聞こえて来れば、人により、苦痛と感ずるであろうことは容易にイメージできる。しかし同時に、全ての自動車に車両の接近を知らせる装置を搭載し(搭載の法的義務は現在のところない)、同時に意図的に装置をoffにはできないようにしてほしいとの、視覚障害の方々の要望(日本盲人会連合HPより)も、生命の安全に直結する事柄故、無理のないことであると理解できる。

 何か良い方策はないのであろうか、と考えたのだが、こんなことは不可能であろうか。
 視覚障害のある方に、特殊なイヤホンを使用して頂くのだ。そしてトラック等には、こちらも特殊な警報装置を付けて頂く。その警報装置からは、一般の人間には聞きとれない周波数の音が出る。例えれば、私の様なオッサンには聴こえないモスキート音の様なものだ。しかしその音は、視覚障害の方のイヤフォンに捉えられると、聞きとれる周波数に変換され耳に届く、というシステム。今の技術なら出来そうだが、どうであろう。視覚障害の方はサングラスを着用していらっしゃる場合が多いが、そのテンプル(つる)の部分などに受信機を組み込むことも考えられる。
 ただ、このシステムだと、視覚障害者の方にイヤフォン装着と言う負担を強いることになってしまうが問題である。白杖(はくじょう)は視覚障害の方の殆どが携行しておられると思うが(盲導犬を伴わない場合)、トラックの警報装置の発する電波を白杖内蔵のセンサーで感知し、振動で手に伝える等というシステムはどうであろう。こちらなら余り視覚障害の方の負担増にはならない様に思えるが。
 以上、視覚障害の方のご苦労も知らず、勝手な事を言い、失礼になってしまうかもしれないのだが、私なりに考えたものである。

 然し、どの様な方策を採るにしても根本的には、やはり、周知と理解ということが必要であろうと思う。
 私が時折利用する国立(くにたち)市の中央図書館では、その出入口で、時々「ピーンポーン」と結構な音量でチャイムが鳴る。これを私は、常々うるさいな、と思っていた。一体何なんだ故障か?ここは図書館だぜ、と。しかし後に、それは視覚障害の方に出入口を知らせるための「盲導鈴(れい)」であると知り、あ成程、と納得。それ以来、不思議と全く気にならなくなった。
 知るという事、理解するという事の重要性を感じた次第である。

 徳島県では、10月の事故を受け、車両に警報装置が搭載されている場合はその使用を義務付ける条例を成立させた(警報装置搭載の義務化は見送られた)。視覚障害の方々の存在を思えば良い方向への動きと言えるが、一方、ブザーや音声によるトラックの警報音に悩んでおられる方々の存在を思うと、如何とも言い難い。

 人さまざま、それぞれにそれぞれの事情や都合があり、互いに相容れない場合も多々あるのが世の中。多様な存在が、あるがまま、そのままに、互いに認め合い受け入れ合える様な世界、その様なものは、幻影にすぎないであろうか。

2016 1/2

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*視覚障害の方々の要望:社会福祉法人 日本盲人会連合HP「トラックによる視覚障害者と盲導犬の事故死に関する声明」
*白杖:周囲の状況・状態を知る、身体を支える、そして視覚障害者であることを周囲に知らせる、という主に三つの役割を持つ。道路交通法で視覚障害の方(弱視等も含み全盲の方だけではない)は白杖の携行または盲導犬の同伴が義務と定められている。白杖を頭上50cmに上げる動作はSOSのサインであるが全国的に一般なものではないそうだ

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