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北の離れ 2018

古書店主が綴る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・5月21日 カスク
・5月9日 ハーネス練習
・4月22日 ハーネス
・4月7日 霊園桜景
・3月12日 溶血性貧血
・3月1日 地理と歴史
・2月25日 霊園雪景
・2月21日 B型
・1月14日 霊園秋色―拾遺
・1月9日 霊園秋色―鉄塔編
・1月7日 霊園秋色―アール・デコ編
・1月4日 霊園秋色―碑石形像編


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カスク
 鉄塔巡りで自転車(マウンテンバイク)走行する場合、基本、住宅街の、車とも滅多に擦れ違わないような生活道路のような道をのんびりと行く。所謂ポタリングだ。だが、ショートカットしたい場合や帰りを急ぐ場合などは、やはりそれなりの速度で幹線道路的な交通量の多い道を、時に走らざるを得ない。そんな時は、正直コワイのだ。生命の危険を感ずるのだ。
 ので、ヘルメットの使用を以前から考えていた。
 だが、私は首が弱く、すぐ痛くなってしまい頭痛の原因にもなるので、ヘルメットの長時間着用は非常に心配である。そして頭髪が非常に残念な状態である為、帽子は常に着用していたい。となると、軽くて帽子の上から着用しても違和感のないものは・・・、とあれこれ調べ、これだ、となったのが、「カスク」だ。
 カスク(casque)とはフランス語でヘルメットの事で、現在の様なヘルメットが一般となる以前に使用されていた自転車用の頭部保護具である。ヘッドギア、に近いかな。

カスク カスク
カスク
サイズは後頭部の面ファスナーで調節

 後に写り込んでいる緑地は、三鷹市の国立天文台の敷地である。ご覧の如くこの日は日差しも強く、かなり気温も高かったが、カスクは隙間が多いので、キャップの上に装着しても風通しは良く特に暑かったり蒸れたりということはなかった。ただ、盛夏の候となれば、どうなるかは、現時点では分からない。

 私が選んだのは、「ドッペル◯ャンガー」さん(キャリーも愛用させて頂いている)のカスクだが、重量は185gと超軽量(でも俯くと結構重さは感じる)。折りたたんでバッグに入れることも可。キャップやニット帽の上からでもかぶれる。キャップの天ボタン(てっぺんのぽっち)が頭に当たって痛いかと思ったが、そこそこ空間があり大丈夫であった。
 そうそう、お値段も手ごろである。

 隙間も多く、プラスティックのシェル(外殻)もないので、保護機能はヘルメットには劣るが、何もかぶらないよりはましであろう(と思う)。ただ、他メーカーさんのカスクに比し、このドッペルさんのものは隙間は少なくサイド部分の面積も広いので、安全性は高そうに思える。

 ヘルメットやカスクを被ったりバックミラーを付けたりと、自転車に乗る側の安全対策は個人の責任でする必要はあるのだが、車道走行が基本である自転車とすぐ脇を走る自動車との距離(間隔)を、多くの道路で確保しにくい現状、これも何とかして頂きたい。最近増えた、自転車走行位置・方向を示す「自転車ナビマーク」、この上を走っていても、後ろから自動車が追い越してゆく際には、更に路肩側に寄らなければならない。路肩は凸凹していたりするし、縁石にペダルが当たりそうになるし、街路樹の枝が伸びていたりするし、路上駐停車中の自動車も避けなければならないし。アブナイのである。
 完全なる自転車専用通行帯(自転車専用レーン)を整備して頂くことを、切に願う次第だ。

 しかし、随分と久しぶりに自分用のものを買った。最近買っているのは、おばあちゃんの介護用品と猫関連のグッズばかりだ。

2018年皐月21日

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*カスク:「にっぽん縦断 こころ旅」で火野正平さんが被っているので見たことのある方もいるのでは。現在はヘルメットを指す語だが元来は兜を指すものだったらしい。またヘッドフォンは「カスク・オーディオ(casque audio)」と言うらしい
*ポタリング:自転車散歩を表す和製英語。ぶらつく意の「potter」に由来

ハーネス練習
 少し前、「北の離れ」の「ハーネス」記事で触れたように、ハーネスが超苦手なミケさんだが、最近ほんの少ーしだけ慣れてきた。
 と言っても、装着するときはめちゃオコるし、装着してもほぼ動けず固まる。
 ハーネスは、はじめ式部と巴と共用のMサイズを使っていたのだが、最小まで絞ってもどうも緩い。ので、同じ56nyanさんオリジナルのSサイズを新たにミケさん用に購入。でもこれだと最大まで緩める状態となり若干きつそうだ。ミケさんの胴回りはSとMのぴったり中間なのだ。しかし、当初は硬かったハーネスの生地も徐々に馴染んできて、やや余裕は出てきたようである。

 下は、散歩に連れ出したが、伏せて動かぬミケさん。

ミケさん

 こちらは、その伏せた状態で、横倒しになるミケさんだ。

ミケさん

 大分不満そうな気持がもろに表情に出ている。しかし、この状態から、結構気持ちよさそうにころころ転がったりはする。ゴロゴロ喉を鳴らしているので、満更ではないのかもしれない。
 今ではすたすた歩く巴さんも、当初の頃は彫像の如く動かなかった。毎日少しづつ練習すれば、歩けるようにはなるであろう(今でも若干は歩く)。装着時のオコも大分減ったし。

 何度も書くように、15年以上野良さんとして自由に生きてきたミケさんだ。好きな時に外に出られないのも、ハーネスなど付けられるのも嫌であろう。下の写真の顔を見ればよく分かる。でも、なんとか完全室内方式に馴染んで頂きたい。
 完全室内方式が両者において(特に猫において)ベストな方法とは必ずしも思わないが、現状ではベターな方法であると考える。嘗ては出入り自由方式も採用していた経験上で言えば、出入り自由に比し完全室内は、病気もケガも(事故の危険も)少なく、ご近所へ迷惑をかけることもほぼ無く、また食事や治療の管理も容易で、私(人間)としては、より良い方式であると実感している。
 猫に対しては、人間の都合で申し訳ないとは思うのだが、宜しくお願い致します、と言いたいところである。

2018年皐月9日

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*ハーネス(harness):馬具に由来するもの。ロッククライミングなどで使う安全ベルトや犬・猫の胴輪のこと

ハーネス
 溶血性貧血で長患いをしていた我が家の猫、二代目式部(しきぶ)だが、元気がよくなり、また気候も良くなったせいか、やたらと外へ出たがる。娘の二代目巴(ともえ)も同様に出たがる。特に式部だが、ずっと具合の悪かった今までの反動もあるのか、食べたがりと出たがりが激しい。毎朝五時に鳴きわめいて私を起こしに来る(一応無視するが)。これは何方かというと、出たい、よりも、食べたい、が強いのだが、昼間は、出たい出たいと鳴きわめく(元気になってからは具合の悪かった時に比べあまりかまってやらなくなったこともあるのかな)。
 が然しだ、我が家は完全室内飼い方式である。もともと出入り自由のお宅で長年暮らしてきた母娘であるから、半年(我が家で暮らすようになってそれくらい)やそこらで室内のみの生活に慣れろと言っても、それはやはり気の毒な事である。ストレスも当然たまるであろう。
 で、折衷策として採用したのがハーネス&リード装着による散歩方式である。これは先代の式部と巴の時に採用したものの継承である(当時はハーネスではなく首輪にリードを繋げていた)。これならどうであろうと、実行したのだが・・・。
 したのだが、このハーネスが曲者である。首輪には特に問題なく馴染んでくれた母娘だが、ハーネスはやはり勝手が違う。装着すると、硬直するのだ(シャレではない)。固まったまま動かない、或いはそのまま倒れる。歩くどころの話ではない。まともに動けないのだ。それでも、母の方は比較的早く慣れ、結構すたすた歩いてくれるようなったが、娘の方は随分と時間がかかった。
 最近のお散歩姿は、こんな感じだ。

 
巴(二代目)

巴(二代目)
娘:巴(二代目)

式部(二代目)

式部(二代目)
母:式部(二代目)
しっぽ長いなあ

 ふたり共に、随分と歩けるようになった。ハーネスのままアスファルトやコンクリートの上でころころしたりもする。でも、母の顔を見ると、大分不満そうではある。
 でもね、他所のお宅(特にお庭)にご迷惑かけたりする可能性もあるし、車の事故もあるし(実際起きたし)、病気やケガまた虐待その他の危険も多い。人間の都合で申し訳ないが、街で暮らす以上、なんとか、受け入れてもらわねばならぬ。

 不満と言えば、ミケさんである。例の交通事故にあったミケさんだ。彼女も出たがる。でも彼女は、お散歩ができないのだ。ハーネスを装着できないのである。着けようとすると、固まるのではなくパニックになってあばれるのだ。
 それはそうだよな、15年以上もノラさんとして自由気ままに動いて来たのだ。ハーネスなんぞ堪らんであろう。でも、散歩には連れて行ってあげたい。一応朝夕、抱っこして庭には連れ出しているが、私の腕の中で大人しく景色を眺めつつも、やっぱり不満そうである。
 難しい問題だが、少しづつ練習しよう。

2018年卯月22日

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*ハーネス(harness):馬具に由来するもの。ロッククライミングなどで使う安全ベルトや犬・猫の胴輪のこと。うちのは56nyanさんオリジナルのダブル・ブロック型Mサイズだ
*無視:可愛そうな気もするが、常に猫のペースに合わせて行動することができない以上此方のペースに合わせてもらうことも必要だ。もちろん鳴く理由を考えなければならないが
*溶血性貧血:一旦良くなっても再発する場合も多いので血液検査が欠かせない

霊園桜景
 サクラばかりが花ではなかろう、と不満の声も出そうだが、何故か気になるサクラ花。今回は、多磨霊園の桜樹・桜花の景を幾つか。

 園内のサクラ(多くはソメイヨシノだが勿論他の品種もある)は、霊園の造成に伴って計画的に植栽されたもので(「多磨霊園」による)、非常に老木・古木が目立つ。樹勢の衰え如何ともし難く、伐採予定の表示を掛けられた樹々も昨今多い。しかし、であるが故に、黒ずんだ太い幹や枝の放つ存在感は味わいのあるものである。
 そんなサクラの樹々は園内多数見かけるし、その並木も多い。だが、私が拘る「園内古(いにしえ)建造物」とのコラボを狙うと、案外無いのである。うまい具合にツーショットを得られるものが。
 それでも、園内彷徨くうちに見つけたものを以下にご紹介したい。

 秋の「秋色」、冬の「雪景」同様、やはりこのシンボル塔から訪ねた。錦を纏おうと、雪を前景に置こうと、サクラと共に並ぼうと、如何にでも絵になる塔だ。

 
府中市、多磨霊園シンボル塔
名誉霊域 シンボル塔

 次は個人的に最も好むところの、11区噴水塔。だが実は、後ろに桜樹があることには気付かなんだ。今回訪ねて初めて知った次第である。

府中市、多磨霊園11区噴水塔
11区噴水塔

 なぜかここを訪れるのは、いつも夏場か秋であった。サクラの存在を知らずにいたのも無理は無いが。

府中市、多磨霊園11区噴水塔
11区噴水塔

 鮮やかな桜色と、古びたコンクリートの塔体それに淡青の空のコントラストが、面白いではないか。

 12区水盤も訪ねてみた。

府中市、多磨霊園12区水盤
12区水盤

 水盤傍らの、支柱で支えられ、赤いコーンで根元を囲われた、「注意」の表示を掛けられている古木がサクラであったのを今回初めて知った。11区噴水塔といい此方といい、ホントに注意力散漫である。花が咲いていなくとも、樹皮や樹形でそれと分かるだろうに。

 ちょっと趣向を変えて、今度は「碑石形像」を。

府中市、多磨霊園碑石形像、新渡戸稲造像
7区 新渡戸稲造先生

 新渡戸稲造先生、ちょっとチャイチイが、サクラを入れようとすると、どうしてもこうなってしまうのだ。ご勘弁を。

 次の二つは、霊園内に建つ鉄塔。鉄塔のページ「Fe塔」でもよかったのだが、鉄塔好きの方以外にも、鉄塔を知って頂きたいので、こちらに載せさせて頂くこととした。

国分寺線55号
22区 国分寺線55号鉄塔

 私の好きな鉄塔、国分寺線の55号だ。構図的には可也無理のあるものだが、いろいろ探っても、これしかポジションが見つからなかったのだ。

久我山線17号
23区 久我山線17号鉄塔

 こちらは、久我山線の単独最終鉄塔の17号。この先は、上の国分寺線(55号の上段が久我山線だ)やその先の車返線また中富線と、他の路線の鉄塔に併架(へいが)されて、有名な神代植物公園近くの変電所まで行くのである。

 ここまで、並木に触れなかった。サクラ並木に関しては、今回の訪問時にも多くの方々が撮影していらしたので、私なんぞが紹介しなくっても沢山の良い絵がネット上見られると思われるから、いいか、とも思ったのだが、でも、この並木はやはり良いイキフンなので取り上げることにした。

府中市、多磨霊園15区サクラ並木
15区内のサクラ並木

 昨年も紹介したが(その時とは逆方向で見ている)、ここは「園路」ではなく「通路」の並木で、霊園内でもめずらしい存在だ。見ての通り可也の老樹の並木だが、狭い道を挟むため、左右の枝が重なり、見事な桜花の天蓋を形成している。未舗装の道も素朴感があって好もしい。
 この15区の使用開始は昭和15年(1940)となっているから、おそらくはその造成の際に植えられた並木であろう。とすれば、植えられてから約80年。樹齢は推して知るべしだ(植え替えが無かったらの話だが)。

 この並木の「天蓋」下を西へ進むと、このようなものに出会った。

府中市、多磨霊園15区オブジェ
15区 オブジェとサクラ
隣りのお墓でアセビも満開

 墓域内に彫像やオブジェ的なものがあるのは左程めずらしくはないのだが、このような、ステンレス鋼の輝くオブジェは、初めてお目にかかった。霊園は、はっきり言って「石と木」の世界である。無数の墓石とそれらを包む樹々の園(その)である。そこにこの金属、しかも眩い光沢。正直、大変失礼ながら、異様感は否めない。

府中市、多磨霊園15区オブジェ
15区 オブジェ

 字を覚えたての子供は、「くつく」と読んでしまいそうである。
 何を表しているのか、興味がある。ここに眠る方の、生前のご職業やご趣味とかに関係しているのであろうか。
 オブジェではないが、墓石そのものでそうしたものは多い様で、遭難した登山家の方のお墓にケルン、とあるペンの創設者の方のお墓にペン先、数学者の方のお墓に球と三角錐を組み合わせた墓石などあるそうである(「多磨霊園」より。私はまだ見たことがない)。このお墓の場合は、墓石はオブジェ右奥にあるようにごく一般的な四角柱型で、墓石とは別にオブジェがあるのだが・・・。
 気になる。

 以上、大分偏ったものではあるが、多磨霊園の桜の景、でありました。お花見候補地選定の参考になれば、幸いである(偏りのないもにつきましては此方のサイトさんなど是非ご参考に)。ただし、場所が場所でありまするゆえ、お花見実行の際は、是非「静かな」お花見を、お願い致します。
 それと、ついでに一言添えると、サクラの開花及び満開の時期だが、多摩地域は都内の開花宣言や満開予想の日付よりは多少遅れる傾向がある。正確なものではなく、あくまで私の経験的なものから来る感覚で言うのだが、例年おおよそ都内より2-3日は遅くなる傾向がある。ただしこのずれも、年により異なるので、ご訪問の際は、多磨霊園公式サイトの「お知らせ」ページや「さくらCh.」等で開花状況をチェックしてからのお出かけを、強くお薦めします。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年卯月7日
(取材は3月末)

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*オブジェ(objet):フランス語で物体の意。芸術作品中に用いられる芸術とは本来無関係の物体(石・金属・木片など)或いはその作品を指す語。一般には彫刻や飾りなど立体的造形物全般をひっくるめて指す言葉として使われることが多い。特に抽象的で何と言ってよいか分からないようなものをこの語で片付けてしまいがちな気がする

溶血性貧血
 何度かご登場願っている我が家の猫、「お母さん」こと二代目式部(おばあちゃんが「式部、式部」と呼ぶのでそうなった)。この子が、かれこれ二か月強ほど病気治療で動物病院のお世話になっている。病気は、肝機能障害と溶血性貧血である。二つの病気の因果関係は不明だが、何であれ並行しての治療が必要なので、ずっと定期的な通院と自宅での投薬が続いている(薬を飲んでくれるので助かる)。

 肝機能障害は読んで字の如く、肝臓機能の障害である。溶血性貧血は人間でも同じ病気があるが、これは赤血球の寿命(ヒトは約120日)が非常に短くなり早く破壊される状態―溶血(ようけつ)―により起こる貧血。原因は種々あるが、自己の抗体により赤血球が破壊されてしまう「自己免疫性溶血性貧血」が最も多い。これに罹ると、元気がなく食欲もなく痩せてくるなどの症状が出るが、見た目に顕著なのは、黄疸と黄色いおしっこである。破壊された赤血球のヘモグロビン(血色素)が体内で処理され、間接ビリルビンという黄色い色素になる為で、式部も、口の中や耳の内側などから赤みが消え、可也黄色っぽくなった。おしっこは、顔料を混ぜたかの如くまっ黄色である。
 元はノラさんだった所為か、なんでも食べたがり、我々の食事の際など式部から食べ物をガードするのが大変であったのが、食べたがりもせずぐったり寝てばかり。5kgあった体重も4sに減り、がりがりに痩せた姿は、気の毒であった。

 食べたがらないとは言っても、食べてもらわねばならぬので、あれやこれや様々な種類の「CIAO◯ゅーる」(一般に販売されていない動物病院専用の高カロリータイプもある)を試し、これまた様々な缶詰やおやつをあれこれ試し、何とか口にしてくれるものを探し出し、食べさせ或いは飲ませ舐めさせる日々であった。
 のだが、ここ最近やっと、血液検査で赤血球の値が正常に戻った。今まで多かった有棘赤血球もほとんど無くなったそうだ。食欲も元に近くなり、「お嬢さん」こと二代目巴(先代と色・柄がクリソツ)と母娘で家の中を追いかけっこするまでに元気も回復してきた。尿も他の猫と区別がつかないほど黄色が薄い。

式部と巴
まだ外で食事を与えているだけの頃(昨夏)の母娘
式部(左)は大分ふっくらしている

 勿論完治とは言えないので油断はできないが、これからは、肝機能障害の治療に比重が移せそうだ。貧血治療ではステロイド(副腎皮質ホルモン剤)を服薬させるのだが、この薬が肝臓に負担をかけてしまい、肝機能の回復には相反することとなるらしいのだ。でも、まあ、ちょっだけ安心である。
 ここまで来るのに大分苦労したが、動物保険に入ったあとだったのが、不幸中の(ちょっと)幸いである。

 追記:この動物病院でお世話になっていた看護師さんが、今月で退職され故郷へ戻りそこでまた動物病院で働かれるそうだ。とても気さくでやさしい方なのでそちらでもきっと動物たちに愛されるであろう。折角馴染みなったのにさみしいが、これも人生だ。
 短い間でしたが、有難うございました。ブログに猫ネタ載せるで、見てやって下さい。

2018年弥生12日

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*有棘(ゆうきょく)赤血球:金平糖状の赤血球で免疫的な赤血球異常や肝障害時に現れるらしい
*動物保険:うちは50%補償の商品だが、70%や80%補償というタイプもある。保険会社によって加入できる年齢や補償内容、更新時の条件また保険料はホントにさまざまで、選ぶのに苦労した。ヒトの保険相談の会社で動物保険も扱ってくれないであろうか

地理と歴史
 平昌冬季オリンピックは、メダル決定の瞬間をLive映像で見ることが出来たのは、女子カーリングの三位決定戦ほか幾つかしかなかったのだが、その中で一番印象に残っているのは、17日の女子スーパー大回転、チェコのエステル・レデツカ(Ester Ledecka)選手の「きょとん」金メダルだ。
 レデツカ選手は、史上初、スキーとスノーボードの両方で出場し、七日後の24日には「本業」のスノボのパラレル大回転(2017年世界選手権優勝、Wカップ6戦5勝)でも金メダルを取るという、これまた史上初の偉業を成し遂げることとなる素晴らしい選手なのだが、ご本人、まさかスキーで優勝するとは思ってもいらっしゃらなかったようで(Wカップで表彰台経験なし。映ることも無かろうと当日はノーメイク)、スコアボードの自身の表示を見ても信じられず、呆気にとられたように暫らく立ち尽くしていたのが、とても印象に残った。

スキー スノーボード

 しかし考えて見れば、これは歴史が変わる瞬間を目撃したのかもしれない。スキーとスノボという異なる競技を、どちらも捨てることなく突き詰めてトップに立つ。これから、他の種目でもこうした形を求める選手が増えてくるかもしれない。「二刀流」、面白いではないか。

 この国では、どうも、一つ事を突き詰める形が尊ばれ、いろいろと並行して行ってゆくことは良しとされず蔑(ないがし)ろにされる傾向がある。別に前者が良くないというのではない。どちらも、それぞれ良いではないか、と言いたいのだ。

 人の生き方を、「地理派」と「歴史派」に例えて表すことはよく行われる。前者は一つ一つの国に関しては深くは知らないが、その代わり多くの国の事を知っている。後者は多くの国の事は知らないが、その代わり一つ国の事は深く知る。いわば、前者は広く浅く、後者は狭く深く、と言ったところ。どちらがより世の中を知るかは、それぞれどちらも短所長所があり、一概には言えない。
 理想的生き方を言えば、「地理」と「歴史」が融合し、多くの事柄を深く知る「広く深く」が理想だが、残念ながら、その形を完成させられるほどの時間もエナジーも、普通人間は持ち合わせてはいない。
 ので、どちらか自分にあった方を選べばよいのだ。この国では求道的な「歴史派」にしか価値を見出さないような空気が支配的であるが、「地理派」でも良いではないか。それぞれ好きな方を選べば。

 ただ、今回、レデツカ選手が平昌で「地理」と「歴史」の両立が必ずしも不可能ではないことを示しくれた。誰にでも当てはまる例ではないかもしれないが、希望を感じる出来事だ。「人生100年時代」ということを考えれば、「地理」と「歴史」の両立を諦める必要は、若しかしたらないのかもしれない。いや、それどころか、端から「地理」も「歴史」も両方ねらってゆくというのも、アリなのかも。

 まあ何であれ、多様なフィールドで「二刀流」が増えると、世の中もっと面白くなる。そんな風に思えるのだ。

2018年弥生1日

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*スーパー大回転(スーパー・ジャイアント・スラローム):スピードの滑降(ダウンヒル)と技術の大回転(ジャイアント・スラローム。滑降と回転の中間)との中間的なかたちのスキー競技。1988年のカルガリー大会から採用
*パラレル大回転(パラレル・ジャイアント・スラローム):一人ずつ滑る大回転と異なり並行(パラレル)に設定されたコースを二人で同時に滑るスノボの競技。2002年ソルトレイク大会から採用

画像は、シルエットACより拝借しました

霊園雪景
 もう大分前の、1月末だが、雪残る多磨霊園を訪ねた。その頃は、東京としては可也強烈な寒波であった。我が家の庭には、植木への水やりのため置きっぱなしで水入れっぱなしのバケツがあるのだが、そのバケツの水が、表面から底まで完全に凍ったまま何時までも解けずにいた。バケツに水を入れる水道の蛇口もそこに繋げたホースも、中が凍りまったく水も出ない(水道管は幸い破裂しなかった)。結構長くこの家で生きているが、初めての事である。例年は、バケツの水も凍ってせいぜい厚さは5センチ程度であったのに。
 そんな寒さであるから、十日ほど前の大雪(これも東京としては、だが)の積雪が、庭に限らず、町の彼方此方にいつまでも消えずにいた(特にアパート周囲)。この雪を見ていて、そういえば霊園の雪景色は見たことがないなと気づき、急遽訪ねた。のだが、幾ら強力な低温とはいえ東京である。園内、流石に雪はもう大分溶けてしまい、「雪景」と言うほどではなくなってしまっていた。然し、それでも、雪残る霊園の景色はお初であるし、当然ながら紹介したこともないので、ここに留めておこうと思う。

 まず赴くはここであろう。「シンボル塔」と呼ばれる噴水塔。昭和5年(1930)から、90年近く園の中心的存在として建ち続けている塔だ。

府中市、多磨霊園シンボル塔
シンボル塔
老朽化のため接近は叶わない(整備後解放予定)

 南側はもう完全に雪は消え果てていたが、西側は大きな木立に日が遮られ、ご覧の如く、まだ「雪景色」が残っていた。
 その本来の、噴水塔としての機能は停止して久しいが、この塔の持つ、その美しさは変わる事が無い。
 周囲の樹々にも雪残る絵を、見たかったなあ(でもそんな状態の頃は、とても自転車では来られなかったであろう)。

 次に訪ねたのは、3区の机(またはソファー)型水場。


 うーん・・・、「雪景」とは言い難い。周囲はすでに雪解けでぬかるみ、私のバスケットシューズの靴底にはたっぷりと泥が付着してしまった。
 白雪の中に埋もれた黒い水場、的イメージを持って期待していたのだが、まあ、無理もない。遅きに失した。

 次は4区四角型水場。こちらは深い木立の中である為雪は多く、まあまあ、近いイメージである。


 園内、他の場所もあちらこちら探ってみたが、やはりもう、雪は残り少ない。園路も、喜ぶべきか悲しむべきか、全く無理なく自転車で走行できるレベルだ。
 やっと、それらしき絵は、例のトチノキ並木で見ることができた。
 と言っても、樹々の影に入る南側の歩道部分だけである。


 ああ、もう少し早く気づき訪ねるべきであった。
 また来年、だな(生きてれば)。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年如月25日

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*アパート周囲の雪:最近は管理人さんいないし住民の方も若い方が多くスコップなんて持ってないであろうし雪かきはむつかしいであろうけど

B型
 B型、とはお察しの通りB型インフルエンザのことである。遂にこれに罹患してしまった。
 と言っても私ではなく、私が介護している90歳超の我が家のおばあちゃんである。気を付けてはいたのだが―。週四でデイサーヴィスに行っていれば、そういうこともあるであろうとは、覚悟はしていた。2016年には、ノーウォークウィルスにも感染したし。これはやはり、致し方のないところである。

 発症したのが、運悪く連休中であった。頻りにゴホンゴホンと乾いた咳をしているので、若しやと思い検温すると、38度ぴったり。これはやられたなと、がっくり来たが、凹んでもいられないので、早速タクシーをお願いして、市の休日診療施設へGO。
 いやいや、流石に社会問題化するほどのインフル大流行。左程広くもない待合室には、マスク姿の方々がびっしり。少し視線を移せば、受付窓口前にもマスク姿の方々が長蛇の列。気の毒にというか、心配になるほど見るからに具合の悪そうな方も並んでおられる。これは参ったなと思ったが、致し方ない。
 とりあえずおばあちゃんをソファーに座らせて列に並び、用紙をもらって記入し、別の窓口に提出。暫しの待ち時間の後診察と相成ったが、この待ち時間の間におばあちゃんの容態が悪化。車いすのお世話になり何とか受診し、B型インフルエンザと診断され、タミフル五日分を処方された。
 帰りも当然タクシーをお願いし、帰宅。寝室の介護ベッド(レンタル)に直行。
 普段ならかかりつけドクターに往診を頼めばそれで済むことなのだが、随分と手間がかかってしまった。おばあちゃんにも辛い思いをさせてしまった。間が悪かったとしか言いようがない。

カプセル剤

 と、これで順調に解熱し、回復してくれれば良いが、そう願う通りには行かないのが世の中である。
 ほとんど飲めず食べられずの状態であるから、可也こまめにOS-1など飲ませてはいたが、翌日脱水状態となり、通常140前後ある収縮期血圧が90ほどに低下。意識も朦朧とし、自力で立つことも出来なくなってしまった。これはもう病院のお世話にならざるを得ないが、とても通常のタクシーに乗せられる状態ではなく、ストレッチャーが必要に思えた。だが、ストレッチャーに乗せてもらえる介護タクシーは予約制で、彼方此方確認したがすべて断られた。これは致し方なしと、通常のタクシーで病院にと思い、一昨年から昨年にかけ大腸がん洞不全症候群で入院し、現在も通院している病院にあたってみたが、インフルエンザでの入院は不可能と断られてしまった。要するに、個室での隔離が必要だが、その個室が満杯なのだそうだ。然(さ)もありなん。
 万策尽き、「119」とスマフォのダイヤルボタンを押した。かかりつけドクターにも電話で救急車を呼んでくださいと指示もされてはいたが、インフルエンザで救急車を頼むなど、非常に気が引けた。だが、他に方法が見つからなかったのだ。

 ところが、救急隊の方が彼方此方と病院を探して下さったのだが、やはり入院前提での受け入れはすべて断られてしまった。私が直接頼んだ前記の病院にも改めて頼んでくれたのだが、これも答えは同じであった。最後に、入院は不可だが診察と点滴のみであればOKという病院が見つかり、大分遠くではあったが、そこにお願いすることとなった。

 診察の結果は、やはり脱水ということで、点滴をして頂き、そのままタクシーをお願いして帰宅。

 と、これで順調に解熱し、回復してくれれば良いが、そう願う通りには行かないのが世の中である(前と全く同じだ)。
 翌々日には、また状態が悪化。かかりつけ医院は休診日である。なんと間の悪い。ただ、こんどは多少自力歩行が可能。ストレッチャーは必要なさそうなので、通常のタクシーをお願いし近所の総合病院ER(救急外来)を受診。
 ここでもやはり結果は同じく、脱水、である。ここでは、血液検査を併せて行ってくれ、結果腎機能の低下が目立つとのことであった。また点滴をし、かかりつけドクターへの連絡事項を封書で頂き帰宅。

 翌日は、発症してから五日目にしてやっとかかりつけドクターに診察して頂けた。ここでまた点滴。翌日もまた点滴(ここ数日でいったい何度タクシーをお願いしたのだろうか。家計簿を見るのがコワイ)。とにかく、飲めない、食べられないの状態なので、点滴が不可欠なのだ。
 ドクターのお話によると、通常ならそろそろ回復するはずであるが、週が明けても(最後の点滴は土曜日)状態が変わらぬようなら、入院が必要であろうとのことであった。そうなれば、インフルエンザ自体はもう完治しているし、病院も紹介できるのでご安心をとのことである。
 入院は、おばあちゃんの気持ちを考えるとできれば避けたいので、訪問看護を考えケアマネージャーさんに相談したのだが、マネージャーさんと訪問看護ステーションとのスケジュールが合わず、すぐには対応できないとのことであった。それに訪問看護を受けるには、主治医を交えてのケアプランの作成や契約などそれ相応の手続きを経なければならぬので、やはり急には無理である(ケアマネさんは心配して、終業後当方に寄っておばあちゃんとも話して下さった)。

 で、週明けである。
 残念ながら、状態は相変わらずだ。幸い血圧は平常に戻ったのだが、飲めない・食べられないは同じである。これはもう、私一人の力の及ぶ範囲外のようである。入院のための紹介をドクターにお願いし、幸いベッドに空きがあったので、即入院と相成った次第だ。
 入院がどのくらいになるのか、現時点では不明。一週間程度で済むのか、或いは思いのほか長引くのか。前回の大腸がん・洞不全症候群の際も、まさか入院が三か月に及び、なお且つそのあと更に三か月介護老人保健施設でのリハビリが必要となる等、思ってもいなかったからな。

 因みに私であるが、おばあちゃんに接触する際はマスクをし、接触後は手指の消毒をしつこいほどしていた所為か、インフルエンザ的症状は出なかった。もともと私はインフルエンザには罹った記憶があまりなく(罹ったことがないのではない)、最後に罹患したのは、もう思い出せないほど遠い昔だ。罹り難くなるような習慣を知らずに実行しているのか(鼻洗浄とか)、或いは罹っても症状が出にくいのだろうか。まあ何れにしろ、症状が出なかったのは不幸中の幸いだ。もし私がダウンしたらば、えらいことである。おばあちゃんと、猫たちのお世話が出来なくなる。油断禁物。気をつけねば。

2018年如月21日

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*B型インフルエンザ:オルソミクソウイルス科B型インフルエンザ属のウィルスによる感染症。インフルエンザウィルスにはA・B・Cの三つの型があるが、B型はヒトとアシカやアザラシにしか感染しない
*鼻洗浄:鼻うがい。これがインフルエンザ予防に効果があるのかどうか不明だが、私は中学生の頃(だと思う)から入浴・シャワーの際に欠かさずやっている。温めのお湯を掌ですくい、それを鼻の穴から吸うのだ。そしてのち、手鼻をかむように片方の穴を押さえながら「ふんっ」とお湯を出す。これを左右一二回ずつ行うのである。お湯を吸い込むときに、ツーンと来ないようあまり奥までお湯を入れないために少々コツが必要だが、非常にスッキリする。私はこれが習慣化しており、シャワー時に何時も無意識のうちに行っている。ただこれは正式な鼻うがいの方法ではなくあくまで私の自己流である。真似等なさらぬようお願い致します

(画像は、イラストACより拝借しました)

霊園秋色―拾遺
 先日、多磨霊園の秋色(しゅうしょく)を「碑石形像」、「アール・デコ」そして「鉄塔」と三編に分けご紹介したが、その三つ何れにも当てはまらなかったものを、拾い上げて纏めてみた。

 まずは、セミ時雨激しき真夏の候の姿をご紹介した、香川県は豊島(てしま)生まれの「大石灯籠」。今は、落葉間近のケヤキを背にしている。場所は、名誉霊域通り北端、15区、16区、19区そして20区の四区画の接するその交点、謂わば「フォー・コーナーズ」にある(ロータリー内)。

府中市、多磨霊園大石灯籠
多磨霊園大石灯籠(標高50.5m)

 「大石灯籠」は結構、面白い存在なので、若し興味がお有であったらば、是非昨夏の記事で詳細をご覧頂きたい。

府中市、多磨霊園大石灯籠
大石灯籠

 下は、正門西側にある、昭和37年(1962)開設の芝生墓地。

府中市、多磨霊園2区芝生墓地
2区芝生墓地(標高48.3m)

 妹分の小平霊園のそれに比せば、かなり狭いものである。壁墓地と共に、霊園全体としては西洋風であるとはいえ、墓域には「和」的雰囲気の強い園内において、幾分異質とも言える領域である。

 次には、園内にその東端部が少し含まれる、古多摩川の削り残しである「残丘」浅間山(せんげんやま。標高79.8m)。園内とはいっても、南東部の本当に端っこで、霊園好きの方にとっても、あまり印象は強くないと思う。しかし、平坦な霊園の風景にあっては、なかなかに重要なアクセントである。意図されたものかどうか不明だが、良き「借景」となっている。

府中市、多磨霊園西2号通りから浅間山
西2号通りから浅間山(霊園外の部分)

 上は、24区と25区境、西門へ続く西2号通りから、南望する浅間山の中心部。右側の木立が失われているのは、この山に自生する固有種の植物「ムサシノキスゲ(Hemerocallis middendorffii var. esculenta f. musashiensis)」の育成のため、日照確保の伐採(皆伐)が一部行われたためである。浅間山はいわゆる雑木林であるが、こうした林は「萌芽更新」と言って、一定期間ごとに育った木を伐採し、切り株から伸びた芽を育て樹林の若返りを図ることが行われてきた。薪炭として利用しやすい細い材を繰り返し得るためである。なので、今の浅間山のこうした姿、一部伐採が行われている姿は、本来の姿に近いと、言えるのかもしれない。

府中市、多磨霊園4区から浅間山
4区から浅間山

 こちらは4区、南縁西の小出入り口付近(この辺は、拡張前の領域と拡張後の領域との境目付近)から、26区越しに見る浅間山。ケヤキの葉が、風に舞っている。

府中市、多磨霊園26区から浅間山 府中市、多磨霊園26区通路
26区と浅間山

 上左は浅間山麓26区内から望む姿。この区画はつい最近通路が舗装され、新しく開設された郊外霊園のような雰囲気になってしまった。右は同じく26区内だが、浅間山と墓域の境をなすこの通路は昔のままだ。左手が浅間山の斜面である。

 次に、並木を少し。春のサクラ並木や早い秋のトチノキ並木などは以前に少し紹介したが、紅・黄葉の並木は初めてだ。

府中市、多磨霊園3区、4区境界のイチョウ並木
3区、4区境界のイチョウ並木(標高49.4m)

 これは、西1号通りと公園通りの交点(3区、4区、5区そして6区の交点でもある)、小さなロータリー内のベンチから見る、3区と4区の境をなす園路のイチョウ並木。4区水場のすぐ横だ。園内、なぜか、並木に限らずイチョは少ない。
 下は、25区のケヤキ並木。この、WW2末期から昭和30年代にかけて造成された24・25・26区辺りは、初期の頃からある区域に比し大きな木立は少ないのだが、ケヤキは成長が早い所為か、この並木はなかなか立派である。

府中市、多磨霊園25区ケヤキ並木
25区ケヤキ並木(標高51.3m)

 こちらは、南縁西の小出入り口から続く、左側の26区と右側の4区の境界をなす園路の、並木とも言えなさそうな小さな並木。26区側はケヤキ、4区側はモミジバフウだ。

府中市、多磨霊園4区、26区並木
4区、26区境界の並木(標高50.1m)

 最後に、普通に「木立」。
 浅間山麓の、小高い26区(下の園路より4-5m高い)から、25区方向(上)及び公園のある5区方向(下)の木立を望む。

府中市、多磨霊園26区から25区

府中市、多磨霊園26区から5区
26区から見る園内の木立

 今回、これほどじっくりと、霊園の秋の風景を愛でたのは初めてである(鉄塔は除く)。数えきれないほど霊園は訪れているが、なぜ今まで、こういった紅・黄葉の時期に彷徨(うろつ)くことがなかったのか、自分でも不思議だ。確かに、紅・黄葉のシーズンなどほんの一瞬で、お天気が悪かったり他に用事などあり忙しければ、あっという間に過ぎ去ってしまうので、機会がなかった、ということもあったかもしれない。でも、少し気合いを入れて狙えば、何とかなるのはこの通りだ。
 然し、何で今まで狙わなかったのであろう。やっぱり不思議だ。

 以上、この真冬に、計四回にも渡り拙い紅・黄葉の絵を載せてきたが、晩秋の錦を纏った霊園のイキフンを、少しでも感じで頂ければ、幸いである。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年睦月14日
(取材は11月末)

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*ムサシノキスゲ:ツルボラン科ワスレグサ属の多年草。ニッコウキスゲと一般に呼ばれるゼンテイカ(禅庭花)の変種。浅間山にのみ自生する。東京都レッドデータブックで絶滅危惧II類。そのレッドデータブックには、「林床管理を継続し、明るい疎林状態に保つことや、園芸目的の採取に対する取り組みを行うことが望ましい」とある

霊園秋色―鉄塔編
 鉄塔のカテゴリに書こうかどうしようか迷ったのだが、小金井門塔が手前にあるので、こちらのカテゴリに書くことにした。

 まずはその、小金井門塔と国分寺線55号のツー・ショット。

国分寺線55号と小金井門塔
国分寺線55号鉄塔と小金井門塔

 55号鉄塔(標高51.4m)は、22区北端辺りにある。小金井門のすぐ西側だ。霊園北門脇にある久我山線17号鉄塔から上段に送電線を受け、さらに霊園外に建つ国分寺線54号鉄塔から下段に送電線を受けている(参照)。

国分寺線55号
55号鉄塔

 光が収束するように、塔頂部へ向け鋭く窄まってゆく姿は特徴的である。次に紹介する隣の56号より頂部が長く、シャープな印象が強い。私の好きな鉄塔の一つだ。

国分寺線56号
国分寺線56号鉄塔(標高50.9m)

 こちらは、そのお隣の国分寺線56号鉄塔。21区、霊園北縁の東八道路沿いに建っている。バランス耐張型と言う少し珍しいタイプである。  ちなみに、56号の脚元近くには、日本での原爆開発の中心の一人となった仁科芳雄と、ノーベル物理学受賞者朝永振一郎のお墓がある(同じ墓域)。

 両鉄塔、昭和36年(1961)竣功のなかなかに歴史ある存在である。送電路線自体はさらに古く、昭和10年(1935)頃撮影された小金井門の写真にも、現在とほぼ同じように架空線(がくうせん。送電線のこと)が写っている。なので鉄塔は、二代目か三代目であろうと思われる。

 鉄塔のページ「Fe塔」では、幾度もご登場願っている国分寺線のこの55号と56号であるが、こちらの「北の離れ」では初めての登場である(と思う)。鉄塔自体もこちらではほとんど登場がないので、少し説明させて頂きたいと思う。
 国分寺線と言うのは、東京電力の送電線で、小平市の多摩変電所を発し、地上では府中市の車返変電所まで、地下ケーブルではさらに南の北多摩変電所まで続く路線である。多摩変電所から発してから36号までの間は、国分寺線・高木線・多摩橋線の三路線併架(へいが)というめずらしいパターンで続き、37号からは単路線、55号からは久我山線との二路線併架、そして63号からは車返線との二路線併架ガントリー(西武多摩川線上に連なる)と、かなり変化の多い路線である。

 おそらく、多磨霊園好きで、幾度も訪れているファンの方と言えども、鉄塔に等は注意を払っては居られないであろうと思う。多分ではあるが、鉄塔が視界に入ってはいても、意識にはのぼっていないであろう(勝手な推測です)。が、若し、若しほんの少しでも、国分寺線55・56号鉄塔(及び久我山線17号鉄塔)、霊園の風景の一部として気にかけて頂けたら、鉄ヲタ(鉄塔オタク)の一人として、喜ばしい限りである。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真 鉄塔用語集

2018年睦月9日
(取材は11月末)

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*車返線:「車返」は「くるまがえし」と読む。源頼朝の奥州征伐に関わる伝説に由来する名である(参考)。この鉄塔は「我らが少女A」をお読みの方にはお馴染みであろう

霊園秋色―アール・デコ編
 特にどうと言うことはない。何れのアール・デコ調建造物、そのコンディションは別として、お姿そのものは数十年一日の如き相変わらずのものである。しかし、秋色を纏ったその絵はまだ拝んだことも取り上げたこともなかったので、ここに紹介させて頂きたいと思う。今回も、前回に引き続き、「カエデ色」メインだ。

 まずは、ここから始めるべきであろう。

府中市、多磨霊園シンボル塔
多磨霊園シンボル塔(噴水塔)(標高48.7m)

 霊園のメインストリートとも呼べる「名誉霊域通り」のそのまたメイン、「シンボル塔」。
 周囲はマツ等常緑樹が多く、紅・黄葉とのツーショットはやや困難であったが、彼方此方ポジションを探り、山本五十六墓など並ぶ側からなんとか確保。空の青を背に、焔(ほむら)の如きカエデと共に、美しいお姿だ。
 しかし、老朽化の為整備予定とのことだが、その整備が行われている様子はまだ窺えない。柵が設けられ、立ち入り禁止となって久しいが、予算の問題であろうか。

府中市、多磨霊園シンボル塔
シンボル塔

 なんか一昨年より、塗装も痛んでいるようにも見える。
 整備が終わり柵が取り払われることを、願うばかりである。内部も拝見したいし、機銃掃射痕も確認したい。

 次は、昨夏、なぜかここのみ周囲が舗装された11区噴水塔

府中市、多磨霊園11区噴水塔
多磨霊園11区噴水塔(標高49.5m)

 園内広しと言えど、通路(区画内道路)が舗装されているのは、私が知る限りここのみだ(いや、26区は最近全面的に舗装されたな)。舗装されること自体は、墓参者にとっても散歩者にとっても悪い事ではないと思うのだが、何故ここのみ施されたのか、そこの理由は気になるところである。

 次に、12区水盤
 相変わらずの、風化危惧状態だ。

府中市、多磨霊園12区水盤
多磨霊園12区水盤(標高49.9m)

 見る度に、周囲に落下している小さな欠片が増えているように思えて、非常に心配である。

府中市、多磨霊園12区水盤
水盤

 本体の、ヒビに沿って見える白い部分は、エフロレッセンスと呼ばれるものであろうか。この「白華現象」という名もある現象は、コンクリート内部の水酸化カルシウムCa(OH)2が、内部に侵入した水に溶けて表面に染み出し、空気中のCO2と反応して炭酸カルシウムCaCO3が生成されて固まるものだそうで、構造物の強度などには問題なく、また生成物の有害性もないということだ。ただ、ヒビ割れから大きく目立って発生している場合などは、そのヒビ割れや水の侵入・移動自体は問題なので注意が必要だそうである。
 外観的な事もあるし、出来得れば、全面的なメンテナンスの施しを、早急にお願いしたいところである。

 順番通りに進み、次は13区給水塔

府中市、多磨霊園13区給水塔
多磨霊園13区給水塔(標高50.1m)

 寄りだと、周囲は常緑樹のため紅葉はわずかしか見られないが、南面の小ロータリーからは、この通りだ。

府中市、多磨霊園13区給水塔
給水塔とカエデ

 でも、本体は暗いね。
 こちらは、塔自体のコンディションは左程問題にはならないように見えるが、周囲の状況はあまり望ましいものではない。もう少し、目立つ様にしてあげられないものであろうか。木の伐採は、倒木の危険でもない限り行わないで頂きたいが、11区噴水塔の様に、剪定は是非行って頂きたい。あちらは、西側のカエデの大枝を剪定した後は、非常にすっきりと拝みやすくなった。建造物に対する親しみも、より湧こうと言うものである。

 今度は水場だ。

府中市、多磨霊園4区水場(タイルなし)
多磨霊園4区水場(タイルなし)(標高49.9m)


 4区、「タイルなし」の水場。カエデをバックに、すっきりとして見えるが、実は水場の後方はごみの山である。普通に立ったままのアングルだと、どうしても白いレジ袋の塊が写りこんでしまうので、苦肉の策としてしゃがんだのだが、かえってこの方がカエデも多く入り良かった。

府中市、多磨霊園4区水場(タイルあり)
多磨霊園4区水場(タイルあり)(標高49.5m)

 同じく4区、「タイルあり」の方。素焼きのタイルが薄い枯葉色なので、秋景色には良く似合う。ちなみに、こちらはごみ対策ではなく、空を多めに入れたくてしゃがんだのだ。

 最後は小金井門周辺。

小金井市、多磨霊園小金井門塔
多磨霊園22区小金井門塔(標高50.9m)

 広場は、すっかりと枯芝。
 左に見えているのは、小金井門とそこから続く参道の街並みである。

小金井市、多磨霊園小金井門水場
多磨霊園22区小金井門水場(標高50.9m)

 門横の水場も、すっかり秋景色だ。
 水場の向こうには、常緑樹とカエデの赤が混ざり合う中に、墓群が白く光っている。

 今回取り上げられなかったものを含め、霊園内古(いにしえ)建造物群。補修・整備或いは復旧され、昔を今へそして将来へと繋げて行けるようになることを、本年も願うばかりである。

 次回は、鉄塔編。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年睦月7日
(取材は11月末)

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*秋色:文中では「あきいろ」だが、タイトルは「しゅうしょく」(秋の景色、秋の趣き)と読んで頂きたい
*アール・デコ:1910年代から1930年代にかけ流行した美術工芸の様式。単純・直線的デザインが特徴
*エフロレッセンス(efflorescence):生成物は、削ったり、酸性洗剤やクエン酸で落とすことができるそうだ

霊園秋色―碑石形像編
 年も明けたというに、今更紅葉でもなかろうと思うが、最晩秋の頃に取材した多磨霊園の記事を書き上げるのに手間取ってしまった。何せ、丁度紅葉ピークの頃、介護(人間のおばあちゃんと猫のおばあちゃん)の合間を縫って、鉄塔と紅・黄葉のツーショットを求めて取材したり資料を整理したりなどで、ついつい記事を書くのが後回しになってしまったのだ。
 しばらくは、昨秋の紅・黄葉ネタが続くこととなるのだが、そこは寛大なお心で、お許しを願いたい。

 冒頭と重なるが、東京多摩平野部は、全般的に見れば11月終わりころから12月初め頃が紅・黄葉のピークだ。もちろん樹種により或いは場所により多少の違いはある。あくまでも私個人の経験と感覚で言うのだが、どうも多磨霊園は、隣接する武蔵野公園や、やや北に位置する小金井公園と共に、紅・黄葉のピークがやや早い。その緑地全体の広さがゆえに、周囲より気温が低いのであろうか。周辺の小公園や街路樹或いは住宅街の木々などに比し、色づくのも散り落ちるのも、若干早いような気がする。今回の霊園訪問も、一昨年はわずかにピーク前か、という感じが若干あったので、そろそろいい頃合いかなと昨年はやや遅めに訪ねたのだが、あにはからんや、周辺ではほぼピークのケヤキなどは大方散りかけ、このあたりでは一番遅く本番を迎えるカエデさえ、すでに盛り或いは盛りを幾らか越えかけという状態であった。

 と言うことで、霊園の秋色は、多く「カエデ色」となった。

 広大な園内、秋景色を求め種々訪ね歩き、一応私なりに多く収穫はあったので、幾編かに分け、ご紹介して行きたいと思う。
 まず今回は、碑石形像。

 数ある碑石形像の内で、私が特に好きな二つの、その景色を。

憶 鳥居龍雄君
府中市、多磨霊園碑石形像、鳥居龍雄

府中市、多磨霊園碑石形像、鳥居龍雄
2区 鳥居龍雄(1905-1927)(標高48.9m)

 秋色に、白い花崗岩が映えるが、その白さ故、露出が難しい。紅葉に合わせると、碑石が白飛びしてしまう。

海軍大佐水城圭次君碑
府中市、多磨霊園碑石形像、水城圭次
6区 水城圭次(1883-1927)(標高49.0m)

 こちらも露出が難しい。逆光なので、碑石に合わせると紅葉が白け、紅葉に合わせると碑石が暗い。難しい。私のウデの限界だ(画像ソフトで補正し誤魔化しました)。
 何れにしろ、どちらの碑石も、晩夏に訪れた時とは、かなり雰囲気が異なる。ほんの三か月ほどの違いなのに、季節変化の大きさ豊かさを、改めて感じる。

 次の二つは、お初の紹介だ。

関直彦胸像碑
府中市、多磨霊園碑石形像、関直彦

府中市、多磨霊園碑石形像、関直彦
2区 関直彦(1857-1934)(標高48.2m)

 和歌山出身。明治−昭和の政治家。東京日日新聞、大阪日日新聞、帝国石油社長を歴任。弁護士としても活動し、東京弁護士会会長も務めた。衆議院議員として当選10回、自由主義議員として活躍。貴族院議員。

 正門ロータリーから、園中央を斜めに走る「みたま堂・壁墓地通り」に入りすぐの右手にある。可也立派な造りであるが、碑文・レリーフなどはすべて失われており、詳細は不明である。「歴史が眠る多磨霊園」さんによると、昭和9年(1934)10月30日の建立であるそうだ。
 後のカエデが、木洩れ日を浴びて美しい。
 だが、私が知る碑石形像中では、少々さみしいコンディションだ。このすぐあと、同じ通りを少し北西に進んだ場所にある、新渡戸稲造像の前を通ったのだが、どういうご関係の方々か不明であるが、四五人のおばさま方が賑やかにおしゃべりしながら、楽し気に像を磨いたり周囲を掃き掃除したりなどしていらした。こちらの寂れた雰囲気とは、非常に対照的な光景であった。
 彩(いろどり)があでやかであるだけに、現在の状態がより残念に感じられる。

小橋一太君碑
府中市、多磨霊園碑石形像、小橋一太

府中市、多磨霊園碑石形像、小橋一太
16区 小橋一太(いちた)(1870-1939)(標高50.1m)

 熊本出身。明治−昭和の内務官僚、政治家。原敬内閣で内務次官、清浦奎吾内閣で内閣書記官長、浜口雄幸内閣で文部大臣など歴任。昭和2年(1927)立憲政友会結成に参加。昭和4年(1929)に発覚した、越後鉄道疑獄事件で容疑がかかり文部大臣を辞任。懲役10か月の有罪判決を受けるものちに無罪となり、昭和12年(1937)東京市長として復帰した。

 場所は、名誉霊域通り北端辺り、以前紹介の「大石灯籠」右手の、かなり繁った木立の中で、少々分かり難い。左隣がご当人のお墓である。碑文末には、「昭和十六年十月二日 貴族院議員正三位勲一等法学博士水野錬太郎撰」とある(「撰」は実際は言偏)。碑文は可也の長文で詳細だが、「昭和四年文部大臣ニ任ス十一月野ニ下リ」云々とあるのみで、さすがに疑獄事件に関しては触れていない。

府中市、多磨霊園碑石形像、小橋一太
小橋一太君碑アップ

 次回は、「アール・デコ」編。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年睦月4日
(取材は11月末)

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*越後鉄道疑獄事件:越後鉄道(現JR越後線・弥彦線)国有化にかかわる贈収賄事件

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