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北の離れ 2018

古書店主が綴る日常雑記 古本屋な日々...  profile

・1月14日 霊園秋色―拾遺
・1月9日 霊園秋色―鉄塔編
・1月7日 霊園秋色―アール・デコ編
・1月4日 霊園秋色―碑石形像編


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霊園秋色―拾遺
 先日、多磨霊園の秋色(しゅうしょく)を「碑石形像」、「アール・デコ」そして「鉄塔」と三編に分けご紹介したが、その三つ何れにも当てはまらなかったものを、拾い上げて纏めてみた。

 まずは、セミ時雨激しき真夏の候の姿をご紹介した、香川県は豊島(てしま)生まれの「大石灯籠」。今は、落葉間近のケヤキを背にしている。場所は、名誉霊域通り北端、15区、16区、19区そして20区の四区画の接するその交点、謂わば「フォー・コーナーズ」にある(ロータリー内)。

府中市、多磨霊園大石灯籠
多磨霊園大石灯籠(標高50.5m)

 「大石灯籠」は結構、面白い存在なので、若し興味がお有であったらば、是非昨夏の記事で詳細をご覧頂きたい。

府中市、多磨霊園大石灯籠
大石灯籠

 下は、正門西側にある、昭和37年(1962)開設の芝生墓地。

府中市、多磨霊園2区芝生墓地
2区芝生墓地(標高48.3m)

 妹分の小平霊園のそれに比せば、かなり狭いものである。壁墓地と共に、霊園全体としては西洋風であるとはいえ、墓域には「和」的雰囲気の強い園内において、幾分異質とも言える領域である。

 次には、園内にその東端部が少し含まれる、古多摩川の削り残しである「残丘」浅間山(せんげんやま。標高79.8m)。園内とはいっても、南東部の本当に端っこで、霊園好きの方にとっても、あまり印象は強くないと思う。しかし、平坦な霊園の風景にあっては、なかなかに重要なアクセントである。意図されたものかどうか不明だが、良き「借景」となっている。

府中市、多磨霊園西2号通りから浅間山
西2号通りから浅間山(霊園外の部分)

 上は、24区と25区境、西門へ続く西2号通りから、南望する浅間山の中心部。右側の木立が失われているのは、この山に自生する固有種の植物「ムサシノキスゲ(Hemerocallis middendorffii var. esculenta f. musashiensis)」の育成のため、日照確保の伐採(皆伐)が一部行われたためである。浅間山はいわゆる雑木林であるが、こうした林は「萌芽更新」と言って、一定期間ごとに育った木を伐採し、切り株から伸びた芽を育て樹林の若返りを図ることが行われてきた。薪炭として利用しやすい細い材を繰り返し得るためである。なので、今の浅間山のこうした姿、一部伐採が行われている姿は、本来の姿に近いと、言えるのかもしれない。

府中市、多磨霊園4区から浅間山
4区から浅間山

 こちらは4区、南縁西の小出入り口付近(この辺は、拡張前の領域と拡張後の領域との境目付近)から、26区越しに見る浅間山。ケヤキの葉が、風に舞っている。

府中市、多磨霊園26区から浅間山 府中市、多磨霊園26区通路
26区と浅間山

 上左は浅間山麓26区内から望む姿。この区画はつい最近通路が舗装され、新しく開設された郊外霊園のような雰囲気になってしまった。右は同じく26区内だが、浅間山と墓域の境をなすこの通路は昔のままだ。左手が浅間山の斜面である。

 次に、並木を少し。春のサクラ並木や早い秋のトチノキ並木などは以前に少し紹介したが、紅・黄葉の並木は初めてだ。

府中市、多磨霊園3区、4区境界のイチョウ並木
3区、4区境界のイチョウ並木(標高49.4m)

 これは、西1号通りと公園通りの交点(3区、4区、5区そして6区の交点でもある)、小さなロータリー内のベンチから見る、3区と4区の境をなす園路のイチョウ並木。4区水場のすぐ横だ。園内、なぜか、並木に限らずイチョは少ない。
 下は、25区のケヤキ並木。この、WW2末期から昭和30年代にかけて造成された24・25・26区辺りは、初期の頃からある区域に比し大きな木立は少ないのだが、ケヤキは成長が早い所為か、この並木はなかなか立派である。

府中市、多磨霊園25区ケヤキ並木
25区ケヤキ並木(標高51.3m)

 こちらは、南縁西の小出入り口から続く、左側の26区と右側の4区の境界をなす園路の、並木とも言えなさそうな小さな並木。26区側はケヤキ、4区側はモミジバフウだ。

府中市、多磨霊園4区、26区並木
4区、26区境界の並木(標高50.1m)

 最後に、普通に「木立」。
 浅間山麓の、小高い26区(下の園路より4-5m高い)から、25区方向(上)及び公園のある5区方向(下)の木立を望む。

府中市、多磨霊園26区から25区

府中市、多磨霊園26区から5区
26区から見る園内の木立

 今回、これほどじっくりと、霊園の秋の風景を愛でたのは初めてである(鉄塔は除く)。数えきれないほど霊園は訪れているが、なぜ今まで、こういった紅・黄葉の時期に彷徨(うろつ)くことがなかったのか、自分でも不思議だ。確かに、紅・黄葉のシーズンなどほんの一瞬で、お天気が悪かったり他に用事などあり忙しければ、あっという間に過ぎ去ってしまうので、機会がなかった、ということもあったかもしれない。でも、少し気合いを入れて狙えば、何とかなるのはこの通りだ。
 然し、何で今まで狙わなかったのであろう。やっぱり不思議だ。

 以上、この真冬に、計四回にも渡り拙い紅・黄葉の絵を載せてきたが、晩秋の錦を纏った霊園のイキフンを、少しでも感じで頂ければ、幸いである。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年睦月14日
(取材は11月末)

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*ムサシノキスゲ:ツルボラン科ワスレグサ属の多年草。ニッコウキスゲと一般に呼ばれるゼンテイカ(禅庭花)の変種。浅間山にのみ自生する。東京都レッドデータブックで絶滅危惧II類。そのレッドデータブックには、「林床管理を継続し、明るい疎林状態に保つことや、園芸目的の採取に対する取り組みを行うことが望ましい」とある

霊園秋色―鉄塔編
 鉄塔のカテゴリに書こうかどうしようか迷ったのだが、小金井門塔が手前にあるので、こちらのカテゴリに書くことにした。

 まずはその、小金井門塔と国分寺線55号のツー・ショット。

国分寺線55号と小金井門塔
国分寺線55号鉄塔と小金井門塔

 55号鉄塔(標高51.4m)は、22区北端辺りにある。小金井門のすぐ西側だ。霊園北門脇にある久我山線17号鉄塔から上段に送電線を受け、さらに霊園外に建つ国分寺線54号鉄塔から下段に送電線を受けている(参照)。

国分寺線55号
55号鉄塔

 光が収束するように、塔頂部へ向け鋭く窄まってゆく姿は特徴的である。次に紹介する隣の56号より頂部が長く、シャープな印象が強い。私の好きな鉄塔の一つだ。

国分寺線56号
国分寺線56号鉄塔(標高50.9m)

 こちらは、そのお隣の国分寺線56号鉄塔。21区、霊園北縁の東八道路沿いに建っている。バランス耐張型と言う少し珍しいタイプである。

 両鉄塔、昭和36年(1961)竣功のなかなかに歴史ある存在である。送電路線自体はさらに古く、昭和10年(1935)頃撮影された小金井門の写真にも、現在とほぼ同じように架空線(がくうせん。送電線のこと)が写っている。なので鉄塔は、二代目か三代目であろうと思われる。

 鉄塔のページ「Fe塔」では、幾度もご登場願っている国分寺線のこの55号と56号であるが、こちらの「北の離れ」では初めての登場である(と思う)。鉄塔自体もこちらではほとんど登場がないので、少し説明させて頂きたいと思う。
 国分寺線と言うのは、東京電力の送電線で、小平市の多摩変電所を発し、地上では府中市の車返変電所まで、地下ケーブルではさらに南の北多摩変電所まで続く路線である。多摩変電所から発してから36号までの間は、国分寺線・高木線・多摩橋線の三路線併架(へいが)というめずらしいパターンで続き、37号からは単路線、55号からは久我山線との二路線併架、そして63号からは車返線との二路線併架ガントリー(西武多摩川線上に連なる)と、かなり変化の多い路線である。

 おそらく、多磨霊園好きで、幾度も訪れているファンの方と言えども、鉄塔に等は注意を払っては居られないであろうと思う。多分ではあるが、鉄塔が視界に入ってはいても、意識にはのぼっていないであろう(勝手な推測です)。が、若し、若しほんの少しでも、国分寺線55・56号鉄塔(及び久我山線17号鉄塔)、霊園の風景の一部として気にかけて頂けたら、鉄ヲタ(鉄塔オタク)の一人として、喜ばしい限りである。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真 鉄塔用語集

2018年睦月9日
(取材は11月末)

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*車返線:「車返」は「くるまがえし」と読む。源頼朝の奥州征伐に関わる伝説に由来する名である(参考)。この鉄塔は「我らが少女A」をお読みの方にはお馴染みであろう

霊園秋色―アール・デコ編
 特にどうと言うことはない。何れのアール・デコ調建造物、そのコンディションは別として、お姿そのものは数十年一日の如き相変わらずのものである。しかし、秋色を纏ったその絵はまだ拝んだことも取り上げたこともなかったので、ここに紹介させて頂きたいと思う。今回も、前回に引き続き、「カエデ色」メインだ。

 まずは、ここから始めるべきであろう。
府中市、多磨霊園シンボル塔
多磨霊園シンボル塔(噴水塔)(標高48.7m)

 霊園のメインストリートとも呼べる「名誉霊域通り」のそのまたメイン、「シンボル塔」。
 周囲はマツ等常緑樹が多く、紅・黄葉とのツーショットはやや困難であったが、彼方此方ポジションを探り、山本五十六墓など並ぶ側からなんとか確保。空の青を背に、焔(ほむら)の如きカエデと共に、美しいお姿だ。
 しかし、老朽化の為整備予定とのことだが、その整備が行われている様子はまだ窺えない。柵が設けられ、立ち入り禁止となって久しいが、予算の問題であろうか。

府中市、多磨霊園シンボル塔
シンボル塔

 なんか一昨年より、塗装も痛んでいるようにも見える。
 整備が終わり柵が取り払われることを、願うばかりである。内部も拝見したいし、機銃掃射痕も確認したい。

 次は、昨夏、なぜかここのみ周囲が舗装された11区噴水塔

府中市、多磨霊園11区噴水塔
多磨霊園11区噴水塔(標高49.5m)

 園内広しと言えど、通路(区画内道路)が舗装されているのは、私が知る限りここのみだ(いや、26区は最近全面的に舗装されたな)。舗装されること自体は、墓参者にとっても散歩者にとっても悪い事ではないと思うのだが、何故ここのみ施されたのか、そこの理由は気になるところである。

 次に、12区水盤
 相変わらずの、風化危惧状態だ。

府中市、多磨霊園12区水盤
多磨霊園12区水盤(標高49.9m)

 見る度に、周囲に落下している小さな欠片が増えているように思えて、非常に心配である。

府中市、多磨霊園12区水盤
水盤

 本体の、ヒビに沿って見える白い部分は、エフロレッセンスと呼ばれるものであろうか。この「白華現象」という名もある現象は、コンクリート内部の水酸化カルシウムCa(OH)2が、内部に侵入した水に溶けて表面に染み出し、空気中のCO2と反応して炭酸カルシウムCaCO3が生成されて固まるものだそうで、構造物の強度などには問題なく、また生成物の有害性もないということだ。ただ、ヒビ割れから大きく目立って発生している場合などは、そのヒビ割れや水の侵入・移動自体は問題なので注意が必要だそうである。
 外観的な事もあるし、出来得れば、全面的なメンテナンスの施しを、早急にお願いしたいところである。

 順番通りに進み、次は13区給水塔

府中市、多磨霊園13区給水塔
多磨霊園13区給水塔(標高50.1m)

 寄りだと、周囲は常緑樹のため紅葉はわずかしか見られないが、南面の小ロータリーからは、この通りだ。

府中市、多磨霊園13区給水塔
給水塔とカエデ

 でも、本体は暗いね。
 こちらは、塔自体のコンディションは左程問題にはならないように見えるが、周囲の状況はあまり望ましいものではない。もう少し、目立つ様にしてあげられないものであろうか。木の伐採は、倒木の危険でもない限り行わないで頂きたいが、11区噴水塔の様に、剪定は是非行って頂きたい。あちらは、西側のカエデの大枝を剪定した後は、非常にすっきりと拝みやすくなった。建造物に対する親しみも、より湧こうと言うものである。

 今度は水場だ。

府中市、多磨霊園4区水場(タイルなし)
多磨霊園4区水場(タイルなし)(標高49.9m)


 4区、「タイルなし」の水場。カエデをバックに、すっきりとして見えるが、実は水場の後方はごみの山である。普通に立ったままのアングルだと、どうしても白いレジ袋の塊が写りこんでしまうので、苦肉の策としてしゃがんだのだが、かえってこの方がカエデも多く入り良かった。

府中市、多磨霊園4区水場(タイルあり)
多磨霊園4区水場(タイルあり)(標高49.5m)

 同じく4区、「タイルあり」の方。素焼きのタイルが薄い枯葉色なので、秋景色には良く似合う。ちなみに、こちらはごみ対策ではなく、空を多めに入れたくてしゃがんだのだ。

 最後は小金井門周辺。

小金井市、多磨霊園小金井門塔
多磨霊園22区小金井門塔(標高50.9m)

 広場は、すっかりと枯芝。
 左に見えているのは、小金井門とそこから続く参道の街並みである。

小金井市、多磨霊園小金井門水場
多磨霊園22区小金井門水場(標高50.9m)

 門横の水場も、すっかり秋景色だ。
 水場の向こうには、常緑樹とカエデの赤が混ざり合う中に、墓群が白く光っている。

 今回取り上げられなかったものを含め、霊園内古(いにしえ)建造物群。補修・整備或いは復旧され、昔を今へそして将来へと繋げて行けるようになることを、本年も願うばかりである。

 次回は、鉄塔編。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年睦月7日
(取材は11月末)

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*秋色:文中では「あきいろ」だが、タイトルは「しゅうしょく」(秋の景色、秋の趣き)と読んで頂きたい
*アール・デコ:1910年代から1930年代にかけ流行した美術工芸の様式。単純・直線的デザインが特徴
*エフロレッセンス(efflorescence):生成物は、削ったり、酸性洗剤やクエン酸で落とすことができるそうだ

霊園秋色―碑石形像編
 年も明けたというに、今更紅葉でもなかろうと思うが、最晩秋の頃に取材した多磨霊園の記事を書き上げるのに手間取ってしまった。何せ、丁度紅葉ピークの頃、介護(人間のおばあちゃんと猫のおばあちゃん)の合間を縫って、鉄塔と紅・黄葉のツーショットを求めて取材したり資料を整理したりなどで、ついつい記事を書くのが後回しになってしまったのだ。
 しばらくは、昨秋の紅・黄葉ネタが続くこととなるのだが、そこは寛大なお心で、お許しを願いたい。

 冒頭と重なるが、東京多摩平野部は、全般的に見れば11月終わりころから12月初め頃が紅・黄葉のピークだ。もちろん樹種により或いは場所により多少の違いはある。あくまでも私個人の経験と感覚で言うのだが、どうも多磨霊園は、隣接する武蔵野公園や、やや北に位置する小金井公園と共に、紅・黄葉のピークがやや早い。その緑地全体の広さがゆえに、周囲より気温が低いのであろうか。周辺の小公園や街路樹或いは住宅街の木々などに比し、色づくのも散り落ちるのも、若干早いような気がする。今回の霊園訪問も、一昨年はわずかにピーク前か、という感じが若干あったので、そろそろいい頃合いかなと昨年はやや遅めに訪ねたのだが、あにはからんや、周辺ではほぼピークのケヤキなどは大方散りかけ、このあたりでは一番遅く本番を迎えるカエデさえ、すでに盛り或いは盛りを幾らか越えかけという状態であった。

 と言うことで、霊園の秋色は、多く「カエデ色」となった。

 広大な園内、秋景色を求め種々訪ね歩き、一応私なりに多く収穫はあったので、幾編かに分け、ご紹介して行きたいと思う。
 まず今回は、碑石形像。

 数ある碑石形像の内で、私が特に好きな二つの、その景色を。

憶 鳥居龍雄君
府中市、多磨霊園碑石形像、鳥居龍雄

府中市、多磨霊園碑石形像、鳥居龍雄
2区 鳥居龍雄(1905-1927)(標高48.9m)

 秋色に、白い花崗岩が映えるが、その白さ故、露出が難しい。紅葉に合わせると、碑石が白飛びしてしまう。

海軍大佐水城圭次君碑
府中市、多磨霊園碑石形像、水城圭次
6区 水城圭次(1883-1927)(標高49.0m)

 こちらも露出が難しい。逆光なので、碑石に合わせると紅葉が白け、紅葉に合わせると碑石が暗い。難しい。私のウデの限界だ(画像ソフトで補正し誤魔化しました)。
 何れにしろ、どちらの碑石も、晩夏に訪れた時とは、かなり雰囲気が異なる。ほんの三か月ほどの違いなのに、季節変化の大きさ豊かさを、改めて感じる。

 次の二つは、お初の紹介だ。

関直彦胸像碑
府中市、多磨霊園碑石形像、関直彦

府中市、多磨霊園碑石形像、関直彦
2区 関直彦(1857-1934)(標高48.2m)

 和歌山出身。明治−昭和の政治家。東京日日新聞、大阪日日新聞、帝国石油社長を歴任。弁護士としても活動し、東京弁護士会会長も務めた。衆議院議員として当選10回、自由主義議員として活躍。貴族院議員。

 正門ロータリーから、園中央を斜めに走る「みたま堂・壁墓地通り」に入りすぐの右手にある。可也立派な造りであるが、碑文・レリーフなどはすべて失われており、詳細は不明である。「歴史が眠る多磨霊園」さんによると、昭和9年(1934)10月30日の建立であるそうだ。
 後のカエデが、木洩れ日を浴びて美しい。
 だが、私が知る碑石形像中では、少々さみしいコンディションだ。このすぐあと、同じ通りを少し北西に進んだ場所にある、新渡戸稲造像の前を通ったのだが、どういうご関係の方々か不明であるが、四五人のおばさま方が賑やかにおしゃべりしながら、楽し気に像を磨いたり周囲を掃き掃除したりなどしていらした。こちらの寂れた雰囲気とは、非常に対照的な光景であった。
 彩(いろどり)があでやかであるだけに、現在の状態がより残念に感じられる。

小橋一太君碑
府中市、多磨霊園碑石形像、小橋一太

府中市、多磨霊園碑石形像、小橋一太
16区 小橋一太(いちた)(1870-1939)(標高50.1m)

 熊本出身。明治−昭和の内務官僚、政治家。原敬内閣で内務次官、清浦奎吾内閣で内閣書記官長、浜口雄幸内閣で文部大臣など歴任。昭和2年(1927)立憲政友会結成に参加。昭和4年(1929)に発覚した、越後鉄道疑獄事件で容疑がかかり文部大臣を辞任。懲役10か月の有罪判決を受けるものちに無罪となり、昭和12年(1937)東京市長として復帰した。

 場所は、名誉霊域通り北端辺り、以前紹介の「大石灯籠」右手の、かなり繁った木立の中で、少々分かり難い。左隣がご当人のお墓である。碑文末には、「昭和十六年十月二日 貴族院議員正三位勲一等法学博士水野錬太郎撰」とある(「撰」は実際は言偏)。碑文は可也の長文で詳細だが、「昭和四年文部大臣ニ任ス十一月野ニ下リ」云々とあるのみで、さすがに疑獄事件に関しては触れていない。

府中市、多磨霊園碑石形像、小橋一太
小橋一太君碑アップ

 次回は、「アール・デコ」編。

*多磨霊園用語集霊園マップ(簡略版)霊園航空写真

2018年睦月4日
(取材は11月末)

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*越後鉄道疑獄事件:越後鉄道(現JR越後線・弥彦線)国有化にかかわる贈収賄事件

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