MYSTIC RHYTHMS

北の離れ 多磨霊園用語集

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*付録:多磨霊園各区使用開始年月日および園内建造物一覧

*付録:霊園マップ

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アール・デコ:装飾美術。1910年代から1930年代にかけフランスを中心に流行した美術工芸の様式。1925年パリで開かれた「現代産業装飾芸術国際博覧会」(アール・デコ博)を機に世界的なものとなる。日本でも大正から昭和初期にかけ流行。曲線を主としたアール・ヌーボーに対し単純・直線的デザインが特徴。園内にはアール・デコ調建造物が多数残る(参考)。



石垣:霊園の周囲は低い石垣に囲われており、一部はその上が遊歩道となっている。

井下清(1884-1973):造園家、東京市公園課長、東京農業大学教授。多磨霊園計画・設計者。墓所は園内にある。なお、村越知世「多磨霊園」には、「井下清先生業績録」よりとして、井下に因るとおもわれる基本設計の下、現場設計図を画いたのは相川要一氏、一部修正は東半七郎氏そして工事監督は菊池武治氏であったとある。





園路:霊園内を各区画に分ける道路。幅約10m。



大石灯籠:昭和15年に寄進される。高さ約12m。現在は名誉霊域通り北部にある。

大廻り通り(大廻り線):正門から弧を描いて北上し園内をほぼ一周する。西通りと東通りに別れる。



開園:大正12年(1923)4月1日。

拡張:当初約1,00,000平方mの面積であったが、昭和14年(1939)利用者増に伴い西側に拡張され、約10万坪増え42万2,302坪となる。買収は昭和13-16年度と四年に渡った。主に23区から26区が拡張後の区画。(拡張は「多磨霊園」年表では昭和14年となっているが、本文中では昭和15年となっている)



北門:小金井門の西寄りにある。(久我山線17号鉄塔下)

休憩所:開園時二か所作られたが、現在は正門脇の一か所のみ。



区:全26に分けられたブロックを指す。ほぼ180m毎の区切りで、面積は約10,000平方m。





公園:5区にある。園内ではめずらしい「明るい」場。

小金井門:北門とも(北門は別にある)。開園数年後、おそらく昭和5年(1930)頃に設けられた。芝生の広場がある。

小平霊園:昭和23年(1948)に開園した東村山、東久留米、小平の三市に跨る都立霊園。多磨霊園の妹分(参考:12)。



サクラ:造成時に園路・通路に並木が設けられ、現在も名所の一つとなっている(参考)。

下げ花置き場:各区の角部分にあるごみ置き場。「下げ花」はお供え終えた花。

参道:南の正門からは京王線多磨霊園駅方面に向かい、長さ1,130m、幅15mの、北の小金井門からはJR武蔵小金井駅方面へ向い、長さ680m、幅8mの参道が其々設けられた。共にサクラ並木とされたが、北門側はその面影はない(参考)。



磁北:コンパスのNが指す北。東京で地図上の北(真北。しんぽく)からは約7度西にずれる。このずれを偏角と呼ぶ。

種:各区(ブロック)内の区別。1種(甲種)は園路・通路に面した比較的大きな墓域の部分、2種(乙種)はその内側。

使用開始状況:各区の使用開始時期はこちら

使用者、埋葬体数:使用者は、一般墓地64,091人、みたま堂(納骨堂)9,376人、合葬墓4,052人。埋葬体数は、一般墓地410,224体、みたま堂13,925体、合葬墓8,643体。いずれも無縁塚を除く(2015年4月1日現在)。

真北(しんぽく、しんぼく):地図上の北。

シンボル塔:昭和5年(1930)竣功。高さ15m。名誉霊域通りにある。内部は噴水となっているが長年それとしての利用は無い。現在(2017年)メンテナンス中。「八紘一宇」をイメージしたデザインともされている。WW2中の機銃掃射跡が残る。





正門:霊園南東隅にあり、南門、表門とも呼ばれる(参考)。

浅間山(せんげんやま):古多摩川の削り残した「残丘」。標高79m。都立公園。東端部が園内にあり、吊り橋(きすげ橋)で西側部分と繋がる(参考)。



掃苔家(そうたいか):著名人や歴史上の人物の墓を訪ねることを趣味とする方。掃苔(そうたい)は苔を掃うの意。転じて墓参特にお盆前のものを指す。

側(そく):各「種」内の列を表す。



多磨:この字は所在地の北多摩郡多磨村(現府中市)に由来。多磨村は明治22年(1889)4月1日の町村制施行時に生まれたが、その際先に南多摩郡の多摩村(現多摩市)が存在したため、この字となった。

多磨苗園:嘗て園内の未造成区画に設けられていた苗園。霊園のみならず公園や街路植栽用の苗木を栽培していた。

多磨墓地:当初の名称。昭和10年(1935)5月に「多磨霊園」に改称。



地図:公式サイト「TOKYO霊園さんぽ」の「資料ダウンロード」ページより入手することができる。

著名人墓:多数ある。管理事務所で頂ける地図裏面にリストがあるので便利。



通路:園路によって分けられた各区を小ブロックに分ける道路。幅約6m。



鉄塔:園内に三基建っている(国分寺線55号56号、久我山線17号)。



東西道(東西線):名誉霊域通りを境に東通りと西通りに別れ、それぞれ正門側から1号、2号、3号、4号とある。



南北道(南北線、バス通り):園内中央東寄りを南北に貫く。昭和33年(1958)以降路線バスが通りバス停もある。



仁翁閣(にんおうかく):旧高橋是清邸の一部。昭和13年(1938)10月園内に移築され有料休憩所として使用。WW2中には調布飛行場部隊の出張所が置かれた。現在は江戸東京たてもの園に移されている。(読みは「じんおう」の可能性あり)

西門:園西縁にあり、浅間山通りを介し学園通り(横街道)に繋がる。









番:各「側」内の順番を表す。



東門:園東縁にあり斎場に向かい合う。

碑石形像(ひせきぎょうぞう):各界著名人の遺徳を偲ぶため、主に拡張前の旧エリアの園路沿い等に設置された碑(いしぶみ)や彫像。新渡戸稲造像、直木三十五追悼碑など(参考:12)。

標識:「区」「種」「側」「番」で表される園内の住所表示的なもの。



風化:園内の種々建造物は竣功から歳月を経、風化が進んでいる。適切な修理・修復が望まれる。こちらに危機の度合いを独自にカテゴライズした。

分散秘匿地域:WW2末期、霊園東にあった陸軍調布飛行場配属の飛行機を空襲から守るための分散秘匿地域に指定された霊園に戦闘機(三式戦闘機「飛燕」)等の一部が置かれた。





方位:南北方向の園路は、真北に対し約7度東にずれている。



マナー:霊園は平日含め墓参の方が多くいらっしゃいます。場所柄、くれぐれもマナーを守り、節度ある行動を心がけて頂けますよう、お願い致します。





無縁合祀墓所(むえんごうしぼしょ):5区、大廻り西通り沿いにある。身寄りなき方々を埋葬合祀するもので、園内で生じた無縁仏を収めるものの他全七基ある(参考)。

武蔵野合戦:正平7年(1352)に行われた北朝と南朝の一連の合戦。この中で閏2月20日の「人見原・金井原の合戦」は、現在の多磨霊園周辺地域で行われたとされる(人見原は現府中市、金井原は現小金井市)

村越知世:元多磨霊園所長。氏の著した「多磨霊園」(東京公園文庫15 郷学舎 1981)は霊園を知るうえで参考になる(のち東京都公園協会からの出版となる)。



名誉霊域:シンボル塔の近く、7区の一部。戦前・戦中の勲功者を埋葬した区域。昭和9年(1926)6月、東郷平八郎海軍元帥がここに埋葬されたことが、霊園知名度の上がる要因となった。正門から北に延びる幅25mの「名誉霊域通り」が横を通る(参考12)。

面積:約128,000平方m(約39万坪)。



門:正門、小金井門、北門、東門、西門がある。他に名は無い門或るいは出入り口が、バス通り南北端に計二つ、東門南側に一つ、正門西側に二つある。









霊園:公園風に作られた寺院に属さない共同墓地。公園墓地。多磨霊園は日本初の公園墓地。











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多磨霊園各区使用開始年月日および園内建造物

1区:大正12年(1923)4月、昭和38年(1963)6月1日

2区:大正12年(1923)6月 <水場 焼却炉 ピラミッド墓

3区:大正14年(1925)3月 <水場1 水場2

4区:大正14年(1925)4月、昭和26年(1951)8月21日、昭和34年(1959)3月12日 <水場1 水場2 水場3 下げ花置き場

5区:昭和3年(1928)5月2日、昭和22年(1947)5月20日 <水場 無縁合祀墓所

6区:昭和3年(1928)5月25日、11月26日、昭和29年(1954)11月18日

7区:昭和5年(1930)7月2日

8区:昭和6年(1931)5月11日、昭和12年(1937)6月13日

9区:昭和14年(1939)4月27日、昭和20年(1945)2月10日

10区:昭和12年(1937)12月22日 <水場

11区:昭和9年(1934)7月5日 <噴水塔

12区:昭和4年(1929)6月12日、昭和18年(1943)6月29日 <水盤

13区:昭和7年(1932)6月15日、昭和8年(1933)4月28日、昭和17年(1942)11月20日 <給水塔

14区:昭和10年(1935)1月25日

15区:昭和13年(1938)6月27日

16区:昭和13年(1939)9月16日 <水場

17区:昭和14年(1939)7月6日

18区:昭和15年(1940)7月5日、昭和18年(1943)12月30日、昭和34年(1959)3月12日

19区:昭和15年(1940)3月7日、昭和29年(1954)11月18日

20区:昭和14年(1939)9月19日、11月14日

21区:昭和11年(1936)7月10日、昭和34年(1959)3月12日

22区:昭和8年(1933)9月9日、昭和9年(1934)3月15日、昭和10年(1935)12月4日、昭和17年(1942)8月14日、昭和27年(1952)6月27日、昭和29年(1954)11月18日、昭和34年(1959)3月12日、昭和38年(1963)6月1日 <小金井門塔 水場

23区:昭和17年(1942)11月20日、昭和27年(1952)6月28日、昭和34年(1959)3月12日

24区:昭和18年(1943)7月28日、昭和18年(1943)12月21日、昭和27年(1952)6月30日、昭和28年(1953)7月6日

25区:昭和20年(1945)12月24日、昭和23年(1948)2月2日、昭和28年(1953)7月6日、昭和29年(1954)11月18日、昭和32年(1957)12月10日

26区:昭和31年(1956)3月28日、昭和34年(1959)11月25日

外国人区:大正15年(1926)4月14日、昭和25年(1950)12月13日

芝生:昭和37年(1962)3月1日

*名誉霊域通り:<シンボル塔 大石灯籠 名誉霊域表示

*碑石形像(12

・使用開始年月日は「多磨霊園 その五〇年のあゆみ」(東京都西部公園緑地事務所 昭和48年11月)より

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霊園マップ

*霊園マップ(公式pdf) 霊園マップ(簡略版)

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多磨霊園園内建造物風化危機的度カテゴリ

・風化:すでに風化したと考えられる

・風化危惧I類:風化の危機に瀕している
IA類:ごく近い将来において風化の危険性が極めて高い
IB類:IAほどではないが近い将来における風化の危険性が高い

・風化危惧II類:風化の危険が増大している

・準風化危惧:現時点では風化危険度は小さいが状況の変化によっては「風化危惧」移行の可能性がある

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