MYSTIC RHYTHMS

Heavysphere  その七

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ヘヴィ・メタル、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、クラシック等について語らせていただきます  Profile

QUATERMASS:クォーターマス
VIVALDI:ヴァイオリン協奏曲集「四季」
SCHUBERT:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
BACH:パッサカリアとフーガ
PROKOFIEV:交響曲第2番
KISS:ロック・アンド・ロール・オーヴァー<地獄のロック・ファイアー>
GARY MOORE:ダーティー・フィンガーズ


§索引
§凡例
§ハード・ロックとヘヴィ・メタルの違い


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★●QUATERMASS/QUATERMASS '70
クォーターマス/クォーターマス 
order
ビルの谷間のプテラノドン Quatermass(クォーターマス)としては、ただ一枚の作品。人気・知名度及び内容も、ポピュラーなものではありませんが、バンド結成の経緯(いきさつ)、後々活躍するアーティストとの関連性、そして何よりアバンギャルドで先進的なサウンドにより、雑誌等の歴史的名盤コーナーには常連と言って良い程顔を出す逸品。
 少なくも、ハード&ヘヴィ系ロック、プログレッシブ・ロック或いはブリティッシュ・ロックのファンを自認するなら、知ってて当たり前、知らなきゃモグリ、と言われても仕方ない(?)、マニア心を擽(くすぐ)る一品。
 ビルの谷間(天井裏ではない)を滑空するプテラノドンを描いたヒプノシスのジャケットが、これまたマニア心に響きます。

 クォーターマスをご存知の方の多くは、Deep Purple(ディープ・パープル)絡(がら)みでこのバンドを知ったのではないでしょうか。
 HR/HM或いはブリティッシュ・ロックを代表するバンドの一つであるディープ・パープル。メンバーの出入りが激しいこのバンドで、最も人気・評価の高いのが「第2期」と呼ばれる1969年〜1973年の時期。この「黄金」時代(と私は思う)を、ヴォーカリストとして支えたイアン・ギラン(vo)と、べーシスト・コンポーザー・プロデューサーとして支えたロジャー・グローバー(b)が、1969年、ディープ・パープルに加入する以前に在籍していたのが、Episode Six(エピソード・シックス)と言うバンド。
 このエピソード・シックスに、イアンとロジャー(バンド・リーダーであった)の脱退後、ジョン・グスタフソン(b,vo)が代わりに加入することになるのですが、結局バンドは解散。その後、メンバーであったピート・ロビンソン(key)、ミック・アンダーウッド(ds)とジョンの三名によって新たに結成されたのが、クォーターマス、と言うことなのです。
 よって、ディープ・パープルの歴史に触れられるとき、エピソード・シックスが語られ、その流れでクォーターマスも語られる場面が多く、それによってこのバンドを知った方は多いでしょう。
 でも、ハード・ロック、ヘヴィ・メタルのファンに限ると、少し異なる場面でクォーターマスの名を知ったという方が多いのではないでしょうか。ディープ・パープルと並んで、HR/HMを代表するバンドの一つ、Rainbow(レインボウ)結成に絡んだお話の場面です。
 レインボー結成の経緯も、広くは、ディープ・パープル絡みのお話と言う事になりますが、暫しお付き合い下さい。
 ディープ・パープルの楽曲製作の中心であり、当時のギター・ヒーローの一人であったリッチー・ブラックモア(g)は、1974年8月「STORMBRINGER」レコーディング当時、自身の求めるハード・ロック路線とは異なる色を濃くし始めたバンドの音楽性の変化に、徐々に不満を募らせていました。同年10月予定されていたツアーが中止になると、レコーディングを希望しながら、オリジナル作品ではないなどの理由で不採用となっていた"Black Sheep of the Family"(「厄介者」の意)という曲のレコーディングを、ディープ・パープルの前座を務めていたELF(エルフ)というバンドのメンバーと独自に開始。このシングル(カップリングはオリジナルの"Sixteenth Century Greensleeves(16世紀のグリーンスリーヴス)")の出来栄えが思いの外であった為、リッチーはELFのメンバー(ギタリスト以外)と共に新バンド結成を決意。1975年4月、正式にディープ・パープルを脱退し、新たなバンド、レインボーでの活動を進めてゆく事と相成ったのです。
 このレインボー結成の直接の切っ掛けとなった"Black Sheep of the Family"という曲が、ここに紹介したクォーターマスのアルバム第2曲として収録されている作品なのです。レインボーと言うバンド自体、その後、HR/HM界では巨大な存在(主にヨーロッパ、日本、中南米)となって行きますし、レインボーでの活動は、リッチーを、押しも押されぬHR/HM界随一のカリスマ的存在へと、ヴォーカリストとして抜擢された、当時無名に近いロニー・ジェイムス・ディオ(本年5月に亡くなりました(R.I.P))は、HR/HMを代表するシンガーへと、又のちの作品から参加するコージー・パウエル(ds)は稀代のドラム・ヒーローへと其々に押し上げて行く事となるため、間接的では有りますが、レインボー絡みでクォーターマスについて触れられ語られる場面が多いのです。私も、レインボーの1stアルバムの解説にて、クォーターマスの名を知りました。
 どうも、他バンドのお話絡みで語られるばかりのようですが、そうした存在としておくには、このバンド、この作品、余りに勿体無い。

 肝心の作品です。
 メンバーは上記に有りますが、ヴォーカル&ベース、キィボードそしてドラムスの三名。ロック・バンドには居て当然(?)のギタリストはいません。それだけでも個性的と言えない事もありませんが、サウンドは、はっきり個性的。
 同時代で同様のギターレス三人組と言う事で、EL&P(エマーソン、レイク&パーマー)と比較されることも多いのですが、よりアバンギャルドな印象。荒れ狂うオルガンを中心に据え、ハードなロックを核に、他の音楽的要素(ジャズ、クラシック)を取り込み、プログレッシブな"にほい"を充溢させているのは確かに共通しています。がEL&P程の叙情性は無く、より先鋭的。荒ぶりながらも洗練の色合いが濃厚なEL&Pよりも荒削り。各メンバーの力量も、失礼ながら、EL&Pのように「スーパー」ではありません。全体的にブルース・ベースを抜けきれず、幅広い多要素性が今一つ纏(まと)まりにかける印象を与える面も否(いな)めない。この辺りが、ポピュラリティーを得られなかった主因ではありましょうが、逆にその辺りが彼らの強烈な個性であり、マニア心に喰い込み琴線を震わす要素とも言い得る。
 EL&Pと比べてばかりでは失礼ですね。だって、この作品、EL&Pがデビューする前年の発表ですもの(EL&Pのデビューは1971年、この作品は1970年リリース)。
 "Black Sheep of the Family"のキャッチィさもあれば、10分を越す大作も有り、時にしっとりと歌い上げ、時にインプロヴィゼーションでの凶暴なバトルを繰り広げ、バラエティに富む50分は、ハード・ロック的要素と、プログレッシブ・ロック的要素との混淆(こんこう)が、やや「どっちつかず」感を醸し、取っ付き難いですが、聴くほどに味わいは深い。全編に鏤(ちりば)められたソロ・プレイを含む間奏部(間奏というよりこっちがメインと言えない事も無い)等、緊張感に溢れ、聴き応えズッシリ。

 今ほどには、スタイル・形式に囚われていなかった、何でもOKの、真の意味で「プログレッシブ」な時代が産んだ骨太な作品。笑ってしまうほどに余りに'70年代的(悪口ではない)。ディープ・パープルの「IN ROCK」('70)程の或いはEL&Pの「EMERSON, LAKE & PALMER」('71)程の突詰め感に乏しいのは否めませんが、存在感で言ったら、決して両者に引けは取りませんよ。
 '70年代後半以降、徐々に肥厚して行くロックとは異なる、ゴツゴツと骨張ったロックが、ここにはあります。

 '10 Nagatuki/26

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お気に入り度:♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭
〔通しで聴くと解りますが、兎角話題となる"Black Sheep of the Family"はこのバンドの本質とは少々離れた楽曲。この曲のストレートさは一寸浮いてます(曲自体は佳曲)〕

*作品:1994年再結成され作品を発表していますが"QUATERMASS II"名義でオリジナル・メンバーはアンダーウッド一人のみ。実質別バンドと言えるようです
*ヒプノシス:英国のデザイナー集団。1970年代からプログレ・バンド他数多のジャケット・デザインを手懸ける。ピンク・フロイドの一連の作品は特に有名
*プテラノドン(Pteranodon):白亜紀(≒1億4550万年〜6550万年前)後期の頃(≒8930万年〜7400万年前)に生息していた翼竜目に属する代表的翼竜。名は希臘語で「翼があり歯がないもの」の意。翼開長7〜9m。構造的に見て羽ばたきではなく主に滑空により飛行したと考えられる
*EL&P(エマーソン、レイク&パーマー):ベース&ヴォーカルのグレッグ・レイクは時にギターをプレイしますが、常時ではない
*ディープ・パープルの「IN ROCK」、EL&Pの「EMERSON, LAKE & PALMER」:前者はハード・ロック・バンドとしてのパープルの実質デビュー作(第1期の作品など含めれば第5作)、後者はEL&Pのデビュー作
*間奏:曲の途中に挟んで器楽のみで演奏される部分

Violin Concertos Op. 8 Nos. 1-4 "Le quattro stagioni"/Antonio Vivaldi
ヴァイオリン協奏曲集 作品8 第1-4番 《四季》/アントニオ・ヴィヴァルディ 
order
カナレット「ヴェネチア、サン・マルコ広場」 以前の再発盤 再発盤
 「《四季》が何でヘヴィなのぉ」と言われそうですが、この《四季》、IL GIARDINO ARMONICO(イル・ジャルディーノ・アルモニコ(「調和の庭園」の意)。以下IGA)が1993年に録音した《四季》は、ハード&ヘヴィ。一般の《四季》のイメージで聴いたら吃驚(びっくり)しちゃいますよ。私は吃驚しました。
 アルバム・ジャケットからして、一寸ロック・バンドみたいですものね(但し画像二枚何れも再発盤で、左オリジナル盤は至って普通のヴェネツィア風景(カナレット 1697-1768 の「ヴェネチア、サン・マルコ広場」))。

 ロック・バンドみたい、と言っても、IGAは1985年伊太利亜ミラノで結成された立派なクラシック演奏者の集団。現在一般に使用される楽器(モダン楽器)とは少々異なる古楽器(ピリオド楽器、オリジナル楽器とも)を使用しバロック音楽を主なレパートリーとする、少々「過激」と呼ばれる斬新な解釈が有名なグループ。
 そのIGAの代表的作品として有名なのが、このアントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi 1678-1741)が生んだ《四季》。

 現在では大抵の人は名前くらいは知っているヴィヴァルディですが、実は結構長い間忘れられた存在だったのです。
 ヴィヴァルディは、ヴェネツィアの理髪師の家に生まれ、25歳で司祭となり、同時期に孤児院(Ospedale della Pieta ピエタ養育院(慈善院))付属女子音楽院の教師となり、教え子達(平均年齢≒40歳とか)が定期ライヴで奏するための楽曲を断続はありながらも創り続けました。が、後1740年、理由は不明ですが、ヴェネツィアを去り、翌年63歳でウィーンにて客死。遺体は、市民病院付属の墓地に埋葬されました(墓地は現在ウィーン工科大学となり墓はなく、建物壁面にヴィヴァルディが嘗て此の地にに葬られたことを示すプレートがあるのみとか)。
 その後彼及び彼の膨大な作品(知られているだけで協奏曲で500、オペラで50を超える)は永らく忘れ去られ、19世紀も後半になって、J.S.バッハ(1685-1750)に影響を与えた音楽家として知られるようになり、さらに1926年彼の自筆譜がトリノ大学図書館で大量に発見されるに及び、再評価され広く知られるようになりました。詰まり、今では知らぬ人とて無いこの《四季》も、実は20世紀になってやっと復活したのです。しかも、一般に演奏され聴かれるようになるには、第二次大戦後まで待たねばなりませんでした(1951年カール・ミュンヒンガー指揮(シュトゥットガルト室内管弦楽団)及び1955年イ・ムジチ合奏団による《四季》が大ヒット。バロック音楽自体が大ブームとなって行く)。

 《四季》はヴィヴァルディが命名した正式な名称ではありません。これは、1725年に出版された、「和声と創意の試み 作品8」と言う名称の全12曲から成る協奏曲集の、其々「春」「夏」「秋」「冬」と題された第1番から第4番までの謂わば総称・通称。誰でも何処かで耳にし知っているであろう楽曲ですが、これは余り知られていないのではないでしょうか。斯く言う私もその一人でした。
 「春」「夏」「秋」「冬」四曲には、其々ソネット(ルネッサンス期伊太利亜で創られた十四行の定型詩。作者は不詳。ヴィヴァルディ本人が用意したと考えられている)が添えられ、曲は各季節を描写したこの詩の内容を表したものになっています(その為、後盛んになる標題音楽の先駆とも呼ばれています)。《四季》は日本はじめ世界中で愛されていますが、少なくも日本で他のクラシック作品に比し圧倒的とも言えるポピュラリティを得ている理由の一つは、この四季折々の描写(それが日本とは異なる北伊太利亜の季節であっても)が日本人独特の繊細な季節感覚を擽(くすぐ)るからかもしれませんね。
 以下に、長くなりますが、ソネットを記載します。

◆第1番「春」 La primavere
第I楽章:
春がやって来た、そして小鳥たちは
嬉しそうに歌って春に挨拶する。
泉は微風(そよかぜ)にあわせて
やさしく囁きながら流れだす。

第II楽章:
花盛りの牧場では
木々の葉が優しくざわめき
羊飼いは忠実な犬を傍らに眠っている。

第III楽章:
牧歌的な牧笛の陽気な調べにあわせて
ニンフと羊飼いは愉快に踊る、
輝くばかりの装いの春のなかに。

◆第2番「夏」 L'estate
第I楽章:
太陽も焼けつくように照るこの厳しい季節に
人も家畜も元気を失い、松の木さえも暑がっている。
郭公が鳴きはじめ、そしてしきりに
山鳩と鶸(ひわ)が歌う

優しい微風を追い払って、突然に
北風が襲いかかる。
羊飼いは泣く。俄かに雨を怖れ
自分の不運に恐れ戦(おのの)いて。

第II楽章:
羊飼いは疲れた体を休めることも出来ない。
稲妻と激しい雷鳴、そして蚊や蝿の
怒り狂う群れに脅かされて。

第III楽章:
ああ、彼が恐れていた通りになった。
空は稲妻、雷鳴、果ては霰(あられ)まで降らせ
熟した果物や穀物の穂をみな叩き潰す。

◆第3番「秋」 L'autunno
第I楽章:
村人たちは踊りと歌で
恵まれた収穫を喜び祝う。
バッカスの酒のお蔭でこんなに沸き立ち
みんな眠りこけるまで楽しむ。

第II楽章:
一同が踊りと歌をやめたあとには
秋の穏やかな空気が快い。
そしてこの季節は甘い眠りで
すべての者を気持ちの良い憩いへと誘(いざな)う。

第III楽章:
夜明けになると 狩人たちは狩に出掛ける、
角笛と鉄砲を持ち、猟犬たちを連れて。
野の獣は逃げ、彼らはあとを追う。

獣は既に怯え、騒がしい
鉄砲の音と犬の声に疲れ果て傷つき、戦(おのの)いている。
最早逃げる力もなく、追い詰められて倒れる。

◆第4番「冬」 L'inverno
第I楽章:
冷たい雪の中の凍りつくような寒さ、
吹きすさぶ荒々しい風の中を行く。
絶え間なく足踏みしながら走り
余りの寒さに歯の根が合わない。

第II楽章:
炉辺(ろばた)で静に満ち足りた日々を送り
その間、外では雨が万物を潤(うるお)す。

第III楽章:
氷の上を歩き、ゆっくりとした足取りで
転ばないように注意深く進んでゆく。

乱暴に歩いて、滑って倒れ
また起き上がって、氷の上を激しい勢いで走る、
氷が砕け、裂け目が出来るほど。

閉ざされた扉の外に出て
南風、北風、あらゆる風が戦っているのを聴く。
これが冬なのだ、でも、なんと言う喜びを齎(もたら)すのだろう。

*イ・ムジチ合奏団1969年録音盤(PHILIPS(日本フォノグラム))解説より転載

 《四季》の構成は、第1番「春」と第3番「秋」が明るめの長調(メジャー・キィ)、第2番「夏」と第4番「冬」が暗めの短調(マイナー・キィ)(このバランスの取れた構成も好まれる理由の一つかもしれません)。私はなんと言っても、激しさとダークさを醸す、「夏」と「冬」が好き。最もオーソドックス或いはスタンダードと言われている、イ・ムジチ合奏団による演奏を聴いていた頃より、結構ハード・ロッッキングではないか...と思っておりましたが、IGAで聴くと更にハード・ロッキング。全編鋭角的で派手目のアーティキュレーション(音と音の切り方繋げ方。音に強弱・表情を付ける。記号で言えばスタッカート(音を切る)、スラー(滑らかに繋げる)、アクセント(強く鳴らす)等)ではあるのですが、くどいほどの激しいディナーミク(dynamik(独) dynamics(英) 強弱法。音に強弱の変化をつけ表情を変える)で揺さぶる短調作品は殊更に鋭角的に切れ込み、ダイナミックにヘヴィ・メタリック。ヴァイオリンの早弾きなどメタラーはつい指が動き、エア・ギターしたくなってしまいますよ(「冬」のフレーズがブラジルのメタル・バンド、ANGRAの"Evil Warnig"と言う曲のギター・ソロに違和感無く引用されています)。「夏」「冬」どちらも第2楽章は緩徐楽章(Adagio(緩やかに)やLargo(幅広く緩やかに)等の緩やかな楽章)ですが(「冬」の第2楽章はTVCMで、まったりとした冬の団欒シーン等のバックによく使用される)、それはそれで全体的なメリハリを生んで、メタル的ドラマティックな空気を醸している。
 IGAのこの作品、全体を通し大分と濃厚な「四季」と言えましょう。イ・ムジチ合奏団の描く「四季」に比し、どの季節もコントラストが強烈。「春」はより楽しげに喜びが踊り、「夏」は殊更に暑苦しいし、「秋」はより華やかで、「冬」は殊更に寒風が凄まじい。非常に動的でオーヴァー・アクション気味。けれどけっして重苦しくならなく何処か軽やかな「歌」が感じられるのは、矢張り伊太利亜の「血」、と言うことなのでしょうか?

 同じ様な方は結構多いと思いますが、私が生まれて初めて購入したクラシック系アルバムは、《四季》でした。上記イ・ムジチ合奏団による演奏で、ソリストはロベルト・ミケルッチの1969年録音盤(右。ソネットを借用させてもらったもの)。当時私が敬愛していた登山家・詩人の串田孫一氏(1915-2005)が解説を書かれていたものだったので、数あるレコード(CDではない)の中からこのアルバムを、おそらくチョイスしたのだと思います。薄っすらそのように記憶しているな...。
 私は現在(2010年6月)、《四季》のアルバムは計4種所有しています(と言ってもCDの所有はなくPC内に取込んでいるだけですが)。IGAの他に、同じ古楽器である、クリストファー・ホグウッド指揮(エンシェント室内管弦楽団。中)(1982)のもの、そして最初に聴いたイ・ムジチ合奏団のもの、そして元SCORPIONSの独逸人ギタリスト、ウリ・ジョン・ロートの"METAMORPHOSIS(メタモルフォシス(変身・変容の意))"(2003)アルバム(左)。最後のアルバムは、弦楽とチェンバロをバックにドラムとギターが思いっきりハード・ロック&ヘヴィ・メタルした作品で、《四季》をアレンジし更に自ら「第5番」を作曲・付加し再構築したもの。アタック音(弦を弾いたときに出る音。弓で弾く場合殆ど無いがピックで弾くと結構目立つ)の無いヴァイオリンのフレーズをアタック音の強いエレクトリック・ギターで弾いているのは若干の違和感を覚えますが、これはこれで面白い。イ・ムジチ盤(1969)ホグウッド盤ウリ・ジョン・ロート盤HR/HM或いはウリのファン以外の方には余りお勧めできませんけれど...。
 ウリのものは上記の如く可也聴く人を選びますが、他は無理なくお勧めできます。聴きやすいものをお求めなら、なんと言ってもイ・ムジチ。モダン楽器によるロマン的な演奏(情緒たっぷりで濃厚...と言った感じか。極一般に耳にするクラシック演奏のタイプ)ですので、馴染み易い。その透明感に満ちた音像は普遍的。古楽器が良ければ、ホグウッド。癖の無いキビキビとしたスタイルは、ロマン的演奏に慣れた耳には新鮮(四つの季節を四人のヴァイオリニストが弾き分けているのも面白い)。普通はイヤ、癒しより刺激を、と言う方には、このIGAですね。又、高度な演奏技巧に身を浸したい、と言う方にも、IGA。
 何れのアルバムを選んでも、《四季》の素晴らしさには、如何程の違いも御座いません。良い素材を其れなりの腕を持った人が捌(さば)けば美味しくなるのです。あとは好みの問題だけです。

 それにしても、《四季》はいろいろと弄(いじ)られ易い。1977年のアーノンクール盤以降、このIGA他の伊太利亜のアーティストを中心に、様々な「新解釈」を加味した「過激」盤が多い(ウリのHR/HM盤もその一つと言えるか?メタル女王のTHE GREAT KAT様もギター、ヴァイオリン、ヴィオラで可也クレイジーに「夏」を演奏しています)。有名で話題になり易い(売れ易い)と言うのも理由として大きいのでしょうが、矢張り根本は、この《四季》が、一寸やそっとのアレンジや「新解釈」ではビクともしない、作品としての懐の深さを持っているからではないか、と思うのですが、どうでしょう?
 今更誰でも知っている《四季》なんて、とお思いでしょうが、多くの方は「春」をご存知と言うことではないでしょうか。全編聴き通している方は、「運命」同様、案外と少ないかもしれません(そんな事無い?)。
 「春」ばかりが四季じゃあ御座いません。是非、誰のどの演奏でも良いですから、「四季」を通じて聴いて下され。

 '10 Minaduki/27

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お気に入り度:♭♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭(イ・ムジチ盤・ホグッド盤なら♭♭♭♭)
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭♭ 暗度:♭♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭♭ ポップ度:♭♭(イ・ムジチ盤・ホグッド盤なら♭♭♭♭♭)
〔作品3の「調和の霊感(調和の幻想)」もお勧め。《四季》が気に入ったら是非次に。CD2枚なので一寸長いですが、《四季》のような華はなくも作品としての深みや味わいは、此方の方があるかも。バッハもこの作品からこの作品では個人的には、ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテのアルバム(1998)が好き。IGA程ではないですが結構の「過激派」。この作品もイ・ムジチ合奏団の端正な演奏を聴き慣れていたのでIGAの《四季》のとき同様はじめて聴いたときはその大胆さに驚きました〕

*古楽器:主に中世・ルネッサンス・バロック期から古典派初期頃までの様式に基づいている楽器。実際使用されていたものと復元されたもの(レプリカ)とがある。19世紀以降現在に至り使用されているモダン楽器とは素材が異なったり(フルートは金属ではなく木製とか)弦が異なったり(ヴァイオリンやチェロの弦が金属弦ではなくガット弦(クラシック・ギターを思い浮かべて下さい)とか)等様々な違いがある。また奏法も微妙に異なったりする。例えばヴァイオリンは顎当てがなく固定されないためヴィブラートは多用されない等
*和声と創意の試み:「創意と和声の競演」など訳はいろいろ
*ヴェネツィア(Venezia):伊太利亜北東部の都市。ヴェネト州州都。人口≒27万人。7世紀末から18世紀末まで続いたヴェネツィア共和国首都でもあった(共和国は1797年ナポレオンに降伏し滅亡)
*J.S.バッハへの影響:バッハがヴァイマール宮廷に勤めていた頃(1708-1717)ヴィヴァルディの作品に出会い知られている限り10曲を研究目的を含め編曲している
*協奏曲:Concerto(コンチェルト)。一つ或いは複数の独奏楽器(群)とオーケストラ(管弦楽)によって演奏される楽曲のスタイル。古典派以降3楽章形式(急(速い楽章(Allegro(速く))など)−緩(緩やかな楽章(Adagioなど))−急)が一般ですが、これはヴァイヴァルディの確立したもの
*バロック音楽:1600年頃から1750年頃までの西洋芸術音楽。ルネッサンス音楽と古典派音楽に挟まれる時代。歌劇・器楽演奏の発達、通奏低音の使用などで特徴付けられる。主に「教会」と「貴族」に支えられた音楽。が、市民階級も徐々に参加し始めた時代でもある
*古典派:下の「死と乙女」の「古典派音楽」の項をご参照下さい
*イ・ムジチ合奏団:1952年サンタ・チェチーリア音楽院卒業生により結成された世界で最も有名な室内楽団の一つ。指揮者は置かず合議により音楽を作り上げる。"I MUSICI"は伊太利亜語でミュージシャン(複数形)の意。いまだスタンダードとなっている1959年(1956年のモノラル盤もある)のフェリックス・アーヨ独奏盤が何と言っても有名。ミケルッチ盤より、より甘く典雅な響き
*クリストファー・ホグウッド(1941-):英吉利の指揮者・鍵盤奏者。音楽学者としての側面も持つ。古楽演奏のビッグ・ネームの一人。1978〜1985年にかけて録音されたモーツァルト交響曲全集は新たなモーツァルト像として当時衝撃的だった
*ニコラウス・アーノンクール(1929-):独逸生まれの指揮者・チェロ奏者。古楽器演奏を主とするが1980年代からはモダン・オーケストラも指揮する。斬新・個性的な演奏が多い。現代のカリスマ指揮者の一人
*標題音楽(Program music):楽曲の内容・性格を示すタイトルや文章を付し文学的或いは絵画的内容を音で表現・描写したもの。或いは音楽外の詩的イメージや雰囲気を描写・表現した音楽。ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、スメタナの「わが祖国」、ホルストの「惑星」、リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語った」等など。対する概念として、文学・絵画等の音楽外のものと結びつくことなく音楽そのものを音楽で表した「絶対音楽」がある。一般的なクラシック音楽はこちら
*《四季》は弄られ易い:西班牙の、Los Canarios(ロス・カナリオス(カナリアの意))と言うプログレッシブ・ロック・バンドが、"CICLOS(シクロス(周期・サイクルの意))"(1974)と言う作品で、《四季》全編を可也アバンギャルドにロック化している(全編通しでは未聴の為詳細は不明です)
*THE GREAT KAT:ザ・グレート・カット(本名:Katherine Thomas)。英吉利米空軍基地内病院生まれ亜米利加育ち。ジュリアード音楽院出身。マッドにギター、ヴァイオリンを奏し、またシャウトするメタラー。ベートーヴェンやパガニーニも演奏してます。コスチュームも過激(嫌いではない)

Streichquartett Nr. 14 D-moll D 810 "Der Tod und das Madchen"/Frantz Peter Schubert
弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D810 《死と乙女》/フランツ・ペーター・シューベルト 
order
シューベルト弦楽四重奏曲第14番(メロス四重奏団) シューベルト弦楽四重奏曲第14番(ジュリアード弦楽四重奏団) シューベルト弦楽四重奏曲第14番(ブッシュ四重奏団)
 シューベルトの苦悩は疾駆し、運命の如く戸を叩く。
 形容すれば斯くの如し。モーツァルト的スピード感と、ベートーヴェン的重厚感と緊張感を湛(たた)えた本作は、私のシューベルト観を、一変させてくれるものでした。

 シューベルト(1797-1828)と言えば、薄い微笑を湛(たた)え音楽室の壁に懸かるカーリー・ヘアに眼鏡の気の良いお兄さん、的なイメージ及び、「アヴェ・マリア(D839)」「子守唄(D498)」「野ばら(D257)」を代表とするような歌曲のイメージが強く、その作品は、明るい仄々(ほのぼの)系か「未完成交響曲(交響曲第7番)(D759)」のようなセンチメンタル(と当時は感じていた)系、と勝手に思い込んでいた年月が、小・中学校以来私は永かった。
 それが、二年弱前に突如始まった、個人的クラシック・ムーヴメントの極初期、元々好きだったベートーヴェンに近い存在であるシューベルトに興味を持ち、この作品、メロス四重奏団による「後期弦楽四重奏曲集」第1曲であるこの作品を聴くに及び、こんなに悲壮感に満ちたヘヴィな楽曲も書いていたのか...と、彼を聴く耳がすっかり変わってしまいました。
 シューベルトは(番号付のものは)全部で15の弦楽四重奏曲を残していますが、一般的に、1920年に作られた第12番(D703)以降が作品として高く評価され、聴かれ演奏される機会が多い。12番から15番のこれら4曲を「後期」作品として分類するのが専(もっぱ)ら。
 第12番と、「大交響曲への道を開く」為に1824年から1826年にかけて作られた第13番(D804)「ロザムンデ」、第14番、第15番(D887)の3曲は多かれ少なかれ重厚でダークな面持ち。中でもこの第14番は、最もヘヴィ&ダーク。ほぼ同時期の第13番には、彼らしい「歌」があり、叙情的で優美なかほりも漂うのに比し、徹頭徹尾と言っても過言で無いほどに、劇的で暗度が高い。
 「死と乙女」というニック・ネームは、第2楽章に、歌曲「死と乙女(D531)」のピアノ伴奏の一部が引用されているため付けられたものです。この「死と乙女」は、病に伏す少女と死神との対話を描いた、マティアス・クラウディウスの詩による歌。少女は死を拒むが、死神の齎(もたら)す死は、苦ではなく永遠の安息であるというもの。シューベルトは、この歌の内容を踏まえた上でこの弦楽四重奏曲に取り入れたものなのかどうか、詳細は不明です。しかし、曲を聴く限り、「死」を意識して書かれたのかも知れない...と思いたくなるのが、正直なところ。

 シューベルトは、神の如く畏怖し尊敬したベートーヴェンの葬儀で棺を担いだその翌年、最も愛したモーツァルトよりも短い、31年の生涯を閉じることとなります(兄フェルディナンドの計らいでベートーヴェンの墓の隣に葬られた)。原因は罹患した腸チフスと言われていますが、もっと以前に罹患した梅毒に拠るものとの説もあるようです。何れにしろ、二十歳代後半当時彼の健康状態は良好と言えるようなものではなく、この弦楽四重奏曲第14番を書いている頃は、健康の衰えに悲観的になっていたとも言われています。
 第1楽章(ニ短調 アレグロ)で繰返される主題(大本となるメロディー)は、ベートーヴェンの第5交響曲を髣髴(ほうふつ)させ、緊迫し突っ走る第4楽章のニ短調プレストと相俟(あいま)って、彼シューベルトの4年の後を知る身には、勝手ながら、過酷な「運命」に追い立てられる様に筆を進める姿を重ねたくもなります。
 この弦楽四重奏曲第14番を含め、シューベルトの晩年の作品には、壮大とも言えるスケールの大きさを湛えた作品が多い。1824年の八重奏曲(D803)、1825〜6年の交響曲第8番「ザ・グレイト」(D944)、1826年の弦楽四重奏曲第15番(D887)、そして最後の年に産み出された、弦楽五重奏曲(D956)及び第19番から第21番の三曲のピアノ・ソナタ(D958,D959,D960)等。衰える肉体と反比例するように、彼の精神は、拡大を求めていたのかも知れません。

 弦楽四重奏曲、略して「弦四(げんし。私は「げんよん」とも言う)」。このジャンルの最高峰とされるのは、ベートーヴェンの第12番から第15番及び大フーガの所謂後期作品。その5曲は、シューベルトの後期弦四と時代的には略(ほぼ)同時期とも言える1825年から1826年に作られています。この文章を書くにあたり彼是(あれこれ)調べるうち、はじめて気付きました(ベートーヴェンの後半生とシューベルトの生涯は殆ど重なっているのですから、両者の晩年の作品は同時期になるのは考えてみれば、当たり前なのですが、制作時期を気にしながら聴くということはあまりしないので気付きませなんだ)。ベートーヴェンの到達した高み・深みとは又異なるものではありますが、まだ二十代の彼シューベルトが同時期に此処まで音楽的高み・精神的深みに到達していることに、驚いた次第です。
 ロマン的世界の大気を呼吸しながら、古典的世界(或いはベートーヴェン)への憧憬(しょうけい)に焦がれ続けたシューベルトの、両世界を超越した一つの答えが、死を前にした弦四群に明確に表れている、そんな様にも私には聴かれます。

 弦楽四重奏曲、と言えば、一にベートーヴェン(1770-1827)、二にモーツァルト(1756-1791)とハイドン(1732-1809)(元祖「弦四」)、そして三にバルトーク(1818-1945)とショスタコーヴィチ(1906-1975)、と来るでしょうが、シュヴァンメル君を、忘れてもらっては困ります。

 '10 Kisaragi/11

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お気に入り度:♭♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭♭ ポップ度:♭♭♭
〔独逸のメロス四重奏団(Melos Quartett(1965-2005))による1989年11月録音(左画像)。"Melos"はメンバーの名の組合せとラテン語で「音楽、旋律」等を表す語を重ねたもの。ジャーマン・メタルにも通ずるドイツ的重厚さと濃厚さを私は感じます。ジャケットの絵はムンク。中画像はジュリアード弦楽四重奏団の1975年1・5月録音のもの。メロスよりはややテンポ速く線の鋭い音像。右端はブッシュ四重奏団による悲劇美溢れる一枚。1936年10月録音とかなり古いですが気にはならない程のインパクト〕

*D(ドイチュ)番号:墺太利の音楽学者オットー・エーリッヒ・ドイチュ(1883-1967)によって作られたシューベルトの作品目録に記された番号。ドイチュ(Deutsch)の略ではなくあくまで記号である為、「D.810」ではなく「D810」と言うように表記してほしいと述べているそうです
*アレグロ(Allegro)、プレスト(Presto):アレグロは伊太利亜語の「陽気に」の意だが音楽用語としては「速く、軽快に」の意。プレストは同じく伊太利亜語で「急速に(アレグロより速く)」の意
*古典派音楽:バロック音楽に続く時代の音楽。一般にJ.S.バッハの死(1750)辺りからベートーヴェンの死(1827)辺りの時代。狭義の「クラシック音楽」はこの「古典派音楽」を指す。均斉感、論理的構成・展開、ホモフォニー(一つの旋律を主としそれを和音で伴奏する形態(主旋律と伴奏がセット)。同時に鳴る音が一つでないのに旋律は一つ)、ソナタ形式の発展等が特徴
*ロマン派音楽:古典派に続く時代の音楽。1800年代初頭から1900年代初頭辺りほぼ19世紀の音楽。ロマン主義(1700年代末から1800年代半ばにかけての芸術・思想の自由解放を求めた一大ムーヴメント。個性、感情の重視)的精神により発展。主観的・感情的、自由な様式、個性重視、芸術家意識の高まり等が特徴。のち民族主義も台頭
*未完成交響曲:嘗ては第8番とされたが1978年のドイチュ目録改訂により第7番とされた。しかし今でも第8番と表記される場合がある
*弦楽四重奏曲第13番(D804):劇付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ(D797)」の第3幕間奏曲を第2楽章に使用している(「逆」であるとの説もあるらしい)ため「ロザムンデ」と呼ばれる。生前に出版された唯一の弦楽四重奏曲。因みに劇「ロザムンデ」(ヘルミーナ・フォン・シェジー(1783-1856)作)自体は評判は芳しくなかったようで音楽だけを残し台本も散逸し残念ながら忘れられた存在となってしまいました
*「大交響曲への道を開く」為に...:同時期の八重奏曲(D803)と共に、友人への手紙(1824年)の中で、これ等の曲作りの中から大交響曲(交響曲第8番(D944)「ザ・グレイト」を指すと考えられている)への道を開きたい、と言う意図を述べている
*交響曲第8番(D944)「ザ・グレイト」:出版社の人に「あのデッカイ曲」と呼ばれたためのニック・ネームとか。シューベルトの死後、彼を慕うシューマン(1810-1856)により発掘され、1839年メンデルスゾーン(1809-1847)指揮(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)により初演された
*晩年の作品:弦四がヘヴィ&ダークなのでその系の曲が多いと思われるかもしれませんが、八重奏曲(D803)、交響曲第8番(D944)、弦楽五重奏曲(D956)、そして二曲のピアノ三重奏曲(D898,D929)、及びヴァイオリンとピアノのための幻想曲(D934)等、伸びやかな明朗さを持つ楽曲も多い。即興曲集(D899,D935)はやや暗め、歌曲「冬の旅(D911)」ははっきり暗い、ですが...
*シューベルトの墓:死の前夜、混濁する意識の中で「ここにはベートーヴェンがいない」と話すフランツの気持ちを酌み兄フェルディナンドは父を説得し、ヴェーリング墓地のベートーヴェンの墓の隣に彼を埋葬した。両者の墓は後ウィーン中央墓地に移され、ヴェーリング墓地はシューベルト公園となったが二人の墓碑はそのまま残されている
*シュヴァンメル:きのこ。シューベルトは友人達に「きのこちゃん」と渾名されていたらしい
*ジャーマン・メタル:古くはSCORPIONSACCEPT、そして後にはHELLOWEEN、そしてBLIND GUARDIANと、独逸バンドのメタルを「ジャーマン・メタル」と日本では呼び習わす。何処かあか抜けず、男くさく、親しみやすく、又哀愁が漂い、クサイ程のメロディアスさドラマティックさを特徴とする濃厚なメタル

Passacaglia und Fuge C-moll BWV. 582/Johann Sebastian Bach
パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV.582/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 
order
J.S.バッハ BWV582(ヘルムート・ヴァルヒャ) J.S.バッハ BWV582(トン・コープマン) J.S.バッハ BWV582(ストコフスキー管弦楽版)
 今回は、アルバムではなく「曲」のご紹介。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(バッハ家は音楽家一族で「バッハ」さん(日本風に言うと「小川」さん)が当然沢山いる。為、以降「ゼバスティアン」と呼ばせて頂きます)の数多あるオルガン曲の最高峰、通称「パッサカリア」。

 ゼバスティアンは、1685年独逸中部のアイゼナハ(テューリンゲン州)に生まれ、1750年同じ独逸ライプツィヒに生涯を終えるまで、各地の教会や宮廷を渡り歩く転職を幾度も繰り返しています。それは、人間関係の縺(もつ)れやら、俸給の低さやら個々に様々理由はあるようですが、詰まるところ自身に対するより高い評価、より良い条件を求めてのこと。低学歴で苦労した彼は、子供達を大学まで行かせてやりたい、との思いも強かったようです。
 そんな彼ゼバスティアンが、1708年から1717年までの9年間、独逸中部ヴァイマール(テューリンゲン州)の宮廷オルガニストであった頃、詰まり 23歳から32歳の頃のまさに青年時代に作曲されたと考えられている曲の一つが、この「パッサカリア」。この作品の楽譜は、甥のヨハン・アンドレアスが所有していた為「アンドレアス・バッハ本」と呼ばれる筆写譜により残されているのですが、それは、ゼバスティアンの14歳上の長兄ヨハン・クリストフ(アンドレアスの父)の筆写したものです。その筆跡などから、おそらく1710年頃に作曲されたものと推定されるとか。そうすると、ゼバスティアン25歳頃のものとなります。この作品の壮大で緻密な、巨大建築の如き内容を考えると、この年齢でこの内容とは畏れ入る、とも思いますが、でもロック音楽で考えたら、この年頃、二十代半ばから後半にかけて等はピーク中のピークで、多くのロック・アーティストの代表的作品は、多くこの頃に集中しています。でも、クラシック音楽(バロック音楽を含む)の世界では、可也の若書き(単に若い頃の作品の意)ですよね。ここら辺りに、ロック音楽とクラシック音楽の違いの一つが感じられるような気がします。
 ロック音楽はプログレッシブ・ロックやヘヴィ・メタルなど例外はありますが、一般に構成や演奏がシンプルで、クラシックの場合は構成も複雑で演奏も難しく、より演奏者(昔は作曲者=演奏者だった)に成熟が必要とされる、ということはあるかもしれません。が、それとは又別に、この二つの音楽に、聴く者が求めているものが、微妙に異なる、と言う事があるのでしょうね。私なんぞも、ロック音楽では、ほぼ例外なく、好きな作品はそのアーティストの(主要メンバーが)25歳前後の頃のものですが、此れがクラシックの場合は少し年齢が上にシフトします。大体、二十代頃の作品は、モーツァルト(1756-1791)やシューベルト(1797-1828)のような「天才」は別ですが、まだまだ青いな...等と生意気にも感じてしまう場合が多い。三十代頃の作品に、これは良いなぁ...と感銘する作品が多く集中する。完成などクソ食らえ、荒削りなエナジー&パワー、感性の暴走がロックじゃ、不調和こそロックの魂じゃ〜、と、ロック音楽にはこう求めるのですが、クラシックにはもう一寸、安定と調和、均衡と完成を求めるのです。何故か。
 そんな私ですが、ゼバスティアン・バッハが二十代の頃に産んだオルガン作品には結構、惹かれるものが多い。これら作品の持つ、ロック的魅力、未完成エナジーやら不調和パワーに惹かれるのです。この「パッサカリア」はその中でも、最も惹かれる。

 生前何よりも、オルガンの名手、オルガンの「達人」として名を馳せたゼバスティアン(鑑定家としても有名)の、250を越すと言われるオルガン作品(BWV番号525-771)は、その数の多さから言っても、彼の作品として重要な意味合いを持ちますが、その作品は、ルター派教会での礼拝で演奏される「コラール」編曲系と、コラールに基づかない「自由曲」に大別されます。「パッサカリア」は後者の代表格(♪チャララ〜 チャラララッ チャ〜でお馴染みの「トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565」も同様。但しこの曲は偽作説あり)。
 コラール系作品(「オルガン小曲集 BWV.599-644」「バビロンの流れのほとりに BWV.653」はお薦め)は、元来が「歌」ですので、基本的にメロディアス。また礼拝に伴うものですから、曲調も穏やかで親しみやすい雰囲気の強いものが多い。若い頃の作品は結構複雑で重厚であったりもしますが、全体的には矢張りソフトな面持ち。一方、自由曲はまさに「自由」で、オルガニストとしての腕の見せ所じゃぃ、と言わぬばかりに、此れでもかと持てるテクニックを注ぎ込み、鍵盤上に指は翔け、ペダル上には脚が駆ける。曲調もダークなものテンポの速いものが結構多い。ゼバスティアンは即興演奏(アドリブ、インプロビゼーション)が得意で、作品にも、即興的な「熱さ」が漂う。アーティストとしての彼の内面をストレートに表出した、作品群と言えるように思います。

 「パッサカリア」。一般には聞き慣れない名。これは、イタリアの舞曲を原型とする3拍子系の変奏曲(主題(大元のメロディー)を基にして旋律等を様々に変化させたもの)。8小節の旋律を反復しながら他の声部を次々に付けてゆくもので、シャコンヌ(スペイン起源の3拍子系舞曲。ゼバスティアンは何故かパッサカリアもシャコンヌも共に一曲しか作っていない)に近いものだとか。此処で取上げた「パッサカリア」も、主題変奏を20回繰り返し、最後に同じ主題を持つフーガ(主題を複数の声部が反復・模倣しながら展開する形式。カノンに似る)を持ってきています。このフーガを、21番目の変奏と見て、単に「パッサカリア」と呼ぶ場合もあります。因みに、ペダルで奏される低音主題は、アンドレ・レゾン(フランスの音楽家)((1650)-1719)による旋律を借用したものだとか。現在なら著作権問題が生じそうですが、当時は今のような著作権の概念は無く、このような借用には、「改良」されると言う前提が付くようではありますが、大分と寛大だったようです。また、ゼバスティアンも結構やっている旧作の「使いまわし(転用。パロディ)」も特に問題視されていないので、その辺りも現在とは、大分事情が異なるようですね。
 ちょい話がずれたので修正します。
 この「パッサカリア」。ゼバスティアンに関する最初の評伝である、ヨハン・ニコラウス・フォルケル(1749-1818)が1802年に著した「J.S.バッハの生涯、芸術及び芸術作品について」には、オルガン用と言うより二段手鍵盤とペダルを持つチェンバロの為のもの、と記されています。どうなのでしょう?音楽が好きなだけで音楽的知識などろくすっぽ持ち合わせない私にはよく判りませんが、此れがオルガン用で無くていったいどれがオルガン用なんだ?と思うくらい、重厚長大な「パッサカリア」、オルガン演奏にピッタリと、感じるのですが...。
 長大、と今書きましたが、今回取上げた、その一生をバッハの研究と演奏に捧げたと言って過言ではない大家、ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)による演奏では、「パッサカリア」が≒8分、「フーガ」が≒6分で計≒14分。演奏タイムだけで言えば、他のオルガン曲に比し左程長くはなく必ずしも長大ではない。冒頭に主題提示が置かれ、20の変奏は五つの変奏ごとに四つに別れており(と楽曲解説にはありますが、正直私には余り良く聞き分けられません)、最後は同主題のフーガへ続く...と、展開は複雑で起伏に富み、ドラマティック。冗長だから長大と感じる訳ではないのです。ズシッと存在感があるから、長大と感じさせるのです。メタル馬鹿なメタル耳は、これを、コージー(パウエル)が在籍していた頃のレインボーがメタル版でアレンジしていたらどんなであったろ...等と妄想したくなる。それ程、なかなかにヘヴィ・アンド・ダーク。重厚系音楽のお好きな方は、是非。

 今まで、オルガン曲について彼是と書かせて頂いたので、序でと言っては何ですが、「オルガン」についても少々。
 今更余計かもしれませんが、これまで出てきた「オルガン」と言うのは「パイプ・オルガン」のことです。これは通常2〜5段の手鍵盤と足鍵盤(ペダル)、数十のストップ(特定のパイプ群に連動し音色の組合せを変えるスイッチ)、スウェル・ペダル(音に強弱つける一種のヴォリューム)をもつもの(小型で移動可能な一段手鍵盤で足鍵盤を持たない「ポジティヴ・オルガン」と言う種類もある)。規模の違いは様々あれど、長さ・材質(木材・合金)・形状の異なる複数のパイプが林立し、そこに空気が送り込まれ様々な音高・音色の音が生じる。パイプは教会設置のもので1000本程、音楽ホール設置のもので 2000〜5000本程もあります。現在パイプへの送風は電気モーターで行われますが、ゼバスティアンがこの「パッサカリア」等を弾き捲くっていた時代は、当然ながら人力送風(モーターは気流に乱れが生じる為人力の方が音が良いとか)。カルカント(Kalkant)と呼ばれる職人さんが演奏中裏で付っきりで鞴(ふいご)を踏み捲くって、風箱(空気を貯めパイプへ送る装置。気圧は一定なので音量が変えられない)へそしてパイプへと送風していた訳です。演奏者とカルカントのまさに阿吽の呼吸が名演・名曲を生んだのです。名を残す少数の向こうに、無名の存在が無数あり、全てが相俟(あいま)って、時代や歴史が作られて行くのですね。

………………
 詩人、中原中也は、「パッサカリア」(レオポルド・ストコフスキー(英吉利生まれの指揮者)編曲の管弦楽版)が大のお気に入りで、友人達によくレコードを聴かせていたそうです。又、「パッサカリア」を知らないと言う人には、「人生にまだ此れと出会う喜びの待っている、彼方が羨ましい」と言うような意味のことを語ったともれ聞く。語られた相手は常に初対面の人だったそうですから、「何だ?この人...」と若干迷惑だったかも知れませんが、中也の一寸芝居がかったような口振りや身振り(イメージ。特に根拠は無い)が、眼に浮かび、私は何やら、微笑ましくも羨ましくもある。

  '09 Kannaduki/3

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お気に入り度:♭♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭
重度:♭♭♭♭ 硬度:♭♭ 暗度:♭♭♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭
〔演奏は独逸出身のヘルムート・ヴァルヒャ。最近は「古い...」とも言われがちでもありますが、その深遠・重厚なプレイは比較対象が無い。非常にバランスの取れたプレイ、且つ「厳格」ですので、華やかなトン・コープマンのプレイに比し、面白みに欠けるといえばその通りとも言えますが、深い精神性を感じさせるその演奏を、私は結構好き。アルクマール聖ローレンス教会シュニットガー・オルガンによる、1962年9月17-26日の録音(左画像)。
重厚なのは一寸暑苦しいな...という方には、上に名前が出ましたが、トン・コープマン盤は軽快感(「軽い」訳ではない)があってお薦め。1983年6月オランダ、マース・スライス大教会ルドルフ・ガレオス・オルガンによる録音(中画像)。
因みに、中原中也お気に入りのストコフスキー編曲管弦楽版パッサカリア(私が知っているのは、本人指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団演奏の1972年9月7〜8日プラハ「芸術家の家」でのLive録音盤)は、ストコフスキーのアプローチに関し賛否ありますが、なかなか重厚で聴き応えもあり面白い。オリジナルとの聴き比べも楽しいかも(右画像)〕

*BWV(Bach-Werke-Verzeichnis)番号:ヴォルフガング・シュミーダー(1901-1990)によるバッハ作品の通し番号。作曲順ではなくジャンルごとに割り振られている
*バッハ一族:ゼバスティアン自らの製作による家系に関する書によると、ハンガリーのパン職人ファイト・バッハに発するとされている。16世紀後半から18世紀の7代に渡り五十数人の音楽家を輩出。19世紀以降最も有名なのがゼバスティアン(それ以前は子のカール・フィリップ・エマヌエルの方が遥かに有名であった)
*転職:主に独逸中部の都市を転々としている。以下に簡単に記します。

・アルンシュタット(独逸中部テューリンゲン州) 1703-1707
新教会(現バッハ教会)オルガニスト。オルガン・クラヴィーア(clavier 一般にオルガンを除く鍵盤楽器の総称。チェンバロ、ピアノ、クラヴィコード(弦が横に張られている(ピアノ・チェンバロと90度異なる向き)長方形箱型の小型鍵盤楽器。一寸大正琴っぽい音色))曲、カンタータ作曲。
(この前に数ヶ月の短期間ヴァイマール宮廷で楽師兼従僕を務める)

・ミュールハウゼン(独逸中部テューリンゲン州) 1707-1708(1707結婚)
ブラジウス教会オルガニスト。オルガン曲、カンタータ作曲

・ヴァイマール(独逸中部テューリンゲン州) 1708-1717
ザクセン=ヴァイマール公宮廷オルガニスト。のち楽師長。オルガン曲の大半作曲(オルガン曲黄金時代。後ライプチィヒ時代に改訂されるものもある)。ヴィヴァルディ(1678-1741)等イタリアの協奏曲と出会い大きな影響を受けオルガン・クラヴィーア曲に編曲
(「パッサカリア」はこの時代と考えられている)

・ケーテン(独逸中北東部ザクセン=アンハルト州) 1717-1723(1721再婚)
アンハルト=ケーテン公宮廷楽長。ヴァイオリン協奏曲、ブランデンブルク協奏曲等の協奏曲、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、無伴奏チェロ組曲、無伴奏フラウト・トラヴェルソ(フルート)のためのパルティータ、フラウト・トラヴェルソ(フルート)とチェンバロのためのソナタ、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ等の室内楽、半音階的幻想曲とフーガ、インヴェンションとシンフォニア、平均律クラヴィーア曲集第1巻、イギリス組曲、フランス組曲等のクラヴィーア曲、いくつかのオルガン自由曲等など世俗器楽曲の多くを作曲

・ライプチィヒ(独逸中東部ザクセン州) 1723-1750
聖トーマス教会カントル(音楽監督。付属学校教師、ライプチィヒ市の音楽監督も兼ねる)。多くのカンタータ、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ミサ曲ロ短調などの教会声楽曲を作曲。また平均律クラヴィーア曲集第2巻、イタリア協奏曲、ゴルトベルク変奏曲、(オルガンのための)トリオ・ソナタ、音楽の捧げもの、フーガの技法(未完)等もこの時代。其の他世俗カンタータ、クラヴィーア協奏曲なども作曲(編曲)し大学生楽団(コレギウム・ムジクム)を自ら率い演奏。「(G線上の)アリア」で有名な管弦楽組曲も最終的な成立はこの頃と考えられている

 ヴァイマールからケーテンへの転職は、雇用主に退職の許可を得ないまま次の就職を決めてしまうと言うやや強引なやり方だった為、ヴァイマール公の怒りに触れ1717年に四週間投獄されたこともあります。但し此れには雇用主の政治的問題も絡んでいたようです。当時ヴァイマールはゼバスティアンの雇用主である第一領主(ヴィルヘルム・エルンスト)とその甥(エルンスト・アウグスト)の第二領主との共同統治で、二人は対立関係にありました。ゼバスティアンは甥とも仲が良く、彼の夫人の伝で婦人の兄である、ケーテン候に職を求めました。ゼバスティアンの雇い主第一領主としては当然腹に据えかねる訳で、投獄と相成ったとか
*ヨハン・クリストフ・バッハ(1671-1721):僅か10歳で孤児となったゼバスティアンは、数年間三歳上の兄ヨハン・ヤーコプ(1682-1722 後1704年スウェーデン軍楽隊に入隊。このときゼバスティアンは「最愛の兄の旅立ちに寄せて BWV.992」を捧げている)とクリストフの元に身を寄せていました。親代わりとしての責任感からかクリストフは結構厳しく接したとか。でも、弟の作品を筆写して残していたのです。ゼバスティアンは後に「ヨハン・クリストフ・バッハを讃えて BWV.993」を捧げています。因みにクリストフの師匠は「カノン」で超有名なヨハン・パッヘルベル(1653-1706 当時は高名なオルガン奏者・作曲家)でした
*コラール:聖歌。狭義にルター派教会(プロテスタント)で歌われる賛美歌。グレゴリオ聖歌と異なりラテン語ではなく独逸語で歌われる。マルティン・ルターが作成したものが最初とも
*ルター派教会:ルーテル教会とも。プロテスタント最大教派。マルティン・ルター(1483-1546)の教義を信奉。ルターは音楽に対する理解が深く自らも作曲し又ゼバスティアン・バッハやヘンデル(1685-1759)も所属するなど音楽にかかわりの深い教派でもある。ルターの音楽に対する理解と寛容は独逸バロック発展に大きく関わった
*バロック音楽:1600年頃から1750年頃までの西洋芸術音楽を指す。ルネッサンス音楽と古典派音楽に挟まれる時代。歌劇・器楽演奏の発達、通奏低音(アンサンブルの支えとしての低音声部。この上に複数の上声部旋律が乗る、と言うのがバロック音楽の典型的姿(無伴奏曲は別ですが))の使用などで特徴付けられる。主に「教会」と「貴族」に支えられた音楽ということがゼバスチャンの転職先を見ても分かりますが、それに加え市民階級も徐々に参加し始めた時代とも言える(後の古典派時代はもう市民階級の時代)
*使いまわし(転用。パロディ):手抜きではなく、気に入った作品や旋律の大多数が楽譜として出版されること無く埋もれてゆくこと防ぎたいとの思いから、ではないかとバッハ研究家の磯山雅(ただし)氏は仰ております
*ヘルムート・ヴァルヒャ:十代で失明した彼は、お母さんや奥さんのアシストで曲を全て暗記した。フランクフルト音楽大学教授でもあった。ヴァルヒャはライプツィヒの生まれですが、彼の地はゼバスティアンが後半生28年を過ごした地で、お墓も彼がカントル(音楽監督)を勤めた聖トーマス教会にある
*トン・コープマン(1944-):阿蘭陀出身のオルガン・チェンバロ奏者で指揮者。オルガンは装飾音(ornament 文字通り旋律を飾る為付加される音)を多用した華やかなタイプでヴァルヒャとは或る意味対照的(と私は感じる)
*中原中也(1907-1937):山口県出身。生前「山羊の歌」を出版。「在りし日の歌」清書原稿を小林秀雄に託し鎌倉で死去。十代の頃の私のアイドルでした
*ヴィヴァルディの影響:ゼバスティアンは、協奏曲集「調和の霊感 Op.3」(1712年出版)を「賞賛すべき作品」と呼び、後の時代も含めると全12曲中、3番(クラヴィーア協奏曲第7番 BWV.978)・8番(オルガン協奏曲第2番 BWV.593)・9番(クラヴィーア協奏曲第1番 BWV.972)・10番(4台のチェンバロのための協奏曲 BWV.1065)・11番(オルガン協奏曲第5番 BWV.596)・12番(クラヴィーア協奏曲第5番 BWV.976)の6曲を研究目的も含め編曲している。ゼバスティアンが編曲したヴィヴァルディの曲は現在10曲知られています。作品3から6曲、作品4からと作品7からが其々2曲と言う内訳
*調和の霊感(L'estro armonico) Op.3:「調和の幻想」とも。1712年アムステルダムにて出版。ヴィヴァルデイが教職にあったヴェネツィアのオスペダーレ・デッラ・ピエタ(教会付属孤児養育院)の生徒(女子のみ)教育用に書き溜めたものの中から選りすぐりの12曲を纏めたもの。18世紀最も有名な協奏曲集であった当作は彼最初の協奏曲集。当作がアルプス以北で出版されたことにより彼の名は国外にも拡大。ゼバスティアン・バッハなどの音楽家に多大な影響を与えた。1713年阿蘭陀留学から戻ったヴァイマール第二領主エルンスト・アウグストの弟ヨハン・エルンスト公子の持ち帰った楽譜のなかに「調和の霊感」が含まれていたと考えられている
*バッハの評伝:フォルケルのものは、「バッハの生涯と芸術」「バッハ小伝」等のタイトルで出版されている。ゼバスティアンの長男ヴィルヘルム・フリーデマン(1710-1784)及び次男カール・フィリップ・エマヌエル(1714-1788)から直接得た情報に基づいており貴重とされる。因みにフォルケルの「パッサカリア」チェンバロ用説は、1936年に音楽学者ゲオルク・キンスキー(Georg Kinsky 1882-1951)により否定されているとも

Symphony No. 2 in D minor Op. 40/Sergei Sergeevich Prokofiev
交響曲第2番ニ短調作品40/セルゲイ・セルゲエヴィチ・プロコフィエフ 
order
プロコフィエフ交響曲第2番(ゲルギエフ) 「ハイドンやモーツァルトが若し20世紀に生きていたならば作ったであろう交響曲」、それを意図して書かれた有名な「古典交響曲」。それに続き作曲されたのが、この交響曲第2番。プロコフィエフ曰く、「鉄と鋼で作られた交響曲」。
 「鉄」も「鋼」も、メタラーの大好物。これは聴かずにはおかれない。

 セルゲイ・セルゲエヴィチ・プロコフィエフは、1891年生まれのロシア(現ウクライナ)の作曲家。同時代にはバルトーク(1881年生)、ストラヴィンスキー(1882年生)、ショスタコーヴィチ(1906年生)等がいます。大変失礼ながら、同郷のストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチに比し、余りメジャーとは言えないですね。クラシックにそこそこ嵌ってのめり込み始めてから、聴いてみようかな...となる作曲家かもしれません。
 最も有名な彼の作品は、「ピーターと狼」でしょうか。上記「古典交響曲」やバレエ音楽「ロメオとジュリエット」等も知る人は多いと思います。CM等にも一部が使用されたりしています。比較的聴き易い或いは親しみ安い判り易い、と言った印象かもしれませんね。
 でも、彼は若い頃可也尖がって居ったのです。
 彼の音楽家としての生涯は、主に3期に分けられらます。
 帝政ロシアの時代が第一期で、僅か13歳でペテルブルク音楽院に入院。早熟の天才、と呼ばれ、野心的で斬新な作風。後、1918年、革命の混乱を避け日本経由(二ヶ月日本に滞在し各地を旅行。リサイタルも開いている。この時耳にした「越後獅子」の旋律を後「ピアノ協奏曲第3番」(これも結構ハード)の終章にモチーフとして使用したとの説がある)でアメリカへ亡命。ピアニストとしての名声も確立。その後フランスを拠点として活動。これが第二期。前衛的で最も尖っていた時代。恐るべき子供(アンファン・テリブル)、若きモダニズムの騎士、ロシアの放蕩息子、音楽世界のプレイ・ボーイ等と称されていたのがこれらの時期。
 そして最後の第三期が、彼の広く親しまれる作品の多くが生み出された時代。すなわち革命後の祖国ソヴィエト復帰以降の時代。彼の作品はソヴィエトでも人気があり音楽界も押し並べて彼に対し好意的で、何度か祖国を演奏旅行するうち、革命後の祖国に対する警戒心は薄れ、望郷の想いは募り、1936年には家族も呼び寄せ祖国へ完全復帰。しかし、国家による、社会主義にふさわしい芸術を、民衆の教育の為に分かりやすい作品を、と言う統制・圧力が加わる時代が始まっていました。彼はその中で、社会と人民に奉仕する判り易い音楽を書く作曲家、と言う立場を明確にしていった(ライナー・ノートより)様です。社会主義リアリズム路線時代とも呼べるかもしれません(彼の作風の変化がこの社会主義リアリズムによるものだけだったかどうかは、勉強不足で分かりません)。
 今回取り上げた交響曲第2番は、上記第2期の亡命時代、彼が最もアバンギャルドで尖がっていた時代、フランス6人組(作品としてはオネゲルの「パシフィック231」等)への共感或いは対抗意識から作られたとも言われる作品。前作(古典交響曲)が、製作意図はアバンギャルドでも、作品としては可也分かり易く聴き易いものであっただけに、不協和音連発でノイジー&ハイテンションな本作、可也不評だったようです。前作のような華やかさ等微塵もなく、無機的な軋みは正に「鉄と鋼」。メタル&ハード・ロックな耳には左程ではありませんが、クラシック音楽の作品として聴けば、可也強烈な激音。初演時(1925年 6月6日)、プロコさんを大分と凹ませる程にパリの聴衆が冷たかったと言うのも、分からないではない。但し、変奏曲形式(主題と6つの変奏)の第2楽章(本作はベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品111(第32番)に範をとり2楽章形式)は多彩な姿。ゆったりとした旋律も聴かれ、ただただ突っ走るのみではない幅の広さと奥行きも持ち合わせています。因みにライナー・ノートによると、この第2楽章で聴かれる牧歌的旋律は、日本滞在中に着想されたのだとか。そう考えると、何やら近しい思いが湧きますね。
 ソヴィエト復帰後は、社会主義リアリズム路線に沿った作風に転じたと書きましたが、1942年のピアノ・ソナタ第7番や1945年の交響曲第5番も、この交響曲第2番に負けず劣らずの結構な激音。その機械(マシン)的肌触りはなかなかにメタルちっく。「平易なれども平凡でなく」と言う彼の信条も伝わり、アヴァンギャルドなにほいも仄かに漂う。ハードなセンスは、彼が本来持ち合わせているものなのでしょうかね...。

 始めの方にも書きましたが、プロコさんと同じロシア出身で同時代の有名音楽家にストラヴィンスキーとショスタコーヴィチがいます。この二人にプロコさんを含めた三人、其々に大きく異なる道を選び、対照的です。亡命し社会主義ソヴィエトを知らないストラヴィンスキー。亡命せず社会主義ソヴィエトしか知らないショスタコーヴィチ。そして、亡命の後社会主義ソヴィエトへと復帰したプロコフィエフ。と、この様に、去る者、残る者、そして戻る者と、同郷同時代の音楽家三者三様、其々の思いと選択。彼ら個々の選択が、その作品にどの様に影響し反映されているのか、勉強不足で判然としませんが、興味は湧きます。これから彼らの作品を聴き込んで行けたら、このメタル馬鹿なメタル耳にも、理解可能でしょうか...?
 帝政ロシア、革命、亡命、社会主義ソヴィエト、そして二度の大戦と、激動の中に音楽人生を送ったプロコフィエフは、その後半生に大きく影響を及ぼした存在、「鋼鉄の人」スターリンの逝ったその日(1953年3月5日)、生涯を終えました。享年62

  '09 satuki/1

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭♭♭♭ 暗度:♭♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭ ポップ度:♭♭
〔これはワレリー・ゲルギエフ指揮のロンドン交響楽団による2004年5月1日ロンドン、バービカン・センターでのライヴ録音盤。ゲルギエフは現代のカリスマとも称されるロシアの指揮者(1953年生)で現在ロンドン交響楽団主席指揮者。北オセチアで育ち、北オセチアでの小学校占拠テロまた南オセチア紛争の犠牲者追悼コンサートを行っている。余談ですが彼の「シェエラザード」(リムスキー・コルサコフ)もお薦め。ソロ・ヴァイオリンのフューチャーされたこの楽曲も、メタラーにはもってこい。プレイもサウンドもなかなかにハード〕

*古典交響曲:交響曲第1番作品25。1918年本人指揮で初演。形式・技法・編成等18世紀的スタイルで書かれながら、現代的センスも持ち合わせるユニークな作品。知らずに聴いたら、ハイドンか?アバンギャルドなものを求めていた聴衆には不評だったようですが、作曲意図がすでに結構アバンギャルドだと思う。でも非常に聴き易いので、「ロメオとジュリエット」と共にビギナーお薦め度は♭♭♭♭
*ピーターと狼:作品67。1936年モスクワ児童劇場で初演。子供の音楽教育の為に書かれた作品。登場人物や動物が其々特定の楽器により表現されている
*ロメオとジュリエット:作品64の全曲版(1835年)、演奏会用組曲第1番作品64is(1836年)、同じく第2番作品64ter(1837年)、同じく第3番作品101(1846年)等がある。多数存在する「ロメオとジュリエット」中でも傑作と称される。作品64の「騎士たちの踊り」(組曲版では「モンタギュー家とキャピュレット家」)は携帯電話会社のCMで使われたので、多くの方が聴いておられると思います
*モダニズム:19世紀末から20世紀前半の芸術運動。伝統的枠組みにとらわれない表現追求。前衛的芸術運動は広義のモダニズムに全て含めることが出来るとか
*スターリン:本名ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシビリ。スターリン(鋼鉄の人)はペンネーム
*社会主義リアリズム:芸術は社会主義精神育成の為国家に奉仕・貢献すべきものであり、民衆に分かり易いものでなければならない、との指針及びそれに沿った芸術。旧ソヴィエト、東欧諸国、中国、DPRK等広く採用された
*フランス6人組:第一次大戦中から1920年代前半頃のフランスの音楽家集団。ロマン派・印象主義等の芸術至上主義・耽美主義的な音楽を否定し古典に立ち返り簡素さストレートさを志向
*アルテュール・オネゲル:フランス6人組の一人。「パシフィック231」("231"とは前輪軸2、動輪軸3、後輪軸1と言うことだとか)は同名の蒸気機関車を描写した管弦楽作品で1924年初演。6分程の曲だがそのリアルな迫力がセンセーションを巻き起こしたとか(「YAMAHA音楽日めくり」より)
*イーゴル・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882〜1971):バレエ音楽「火の鳥」「春の祭典」が代表作。1914年に瑞西へ移住し後仏蘭西また亜米利加へ。80歳のとき最初で最後の帰郷をした
*ドミトリイ・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906〜1975):20世紀を代表する作曲家の一人。15曲の交響曲と弦楽四重奏曲が代表的。彼の真意は不明ですが少なくも表面上は社会主義リアリズム路線に沿った作風で難解な現代音楽の中では比較的判り易い

ROCK AND ROLL OVER/KISS '76
ロック・アンド・ロール・オーヴァー/キッス 
order
ROCK AND ROLL OVER/KISS この当時のキッスの人気といったら、ハンパねぇもので御座いました。この当時のキッスの作品が、思えば、HR/HM地獄への入り口であった、と言う方は、可也多くいらっしゃると思います。斯く申す私も、その一人です。

 1974年にデビューしたキッスですが、当初は不人気。が、翌年から、3rdアルバム「DRESSED TO KISS」収録の"Rock and Roll All Nite"がミシガン州デトロイトで、何故にかブレイク。地道なライヴ活動もあり、徐々に認知度が上昇。そして、二枚組みライヴ・アルバム「ALIVE!」が大ヒット。一躍、トップ・バンドとなりました。(因みにこのライヴは、デトロイトのコボ・ホールにて収録されたものが含まれています。後には"Detroit Rock City"と言う名曲も生まれ、デトロイトは彼らキッスにとっては、特別な街となりました)

 世間的にキッスがブレイクした切っ掛けは、上の如く、ハードなロックン・ロール・ナンバー"Rock and Roll All Nite"のヒットと、これまたハードなロックン・ロール・ナンバーがオン・パレードなライヴ・アルバムのヒットですが、私的にキッスがブレイクした切っ掛けは、その彼らの身上である、ハードなロックン・ロールとは大分と趣を異にする、アコゥスティックなバラード、当アルバム収録で、シングル・ヒット(全米15位)ともなった"Hard Luck Woman"。この曲。
 私はキッスと出会う以前は、ロック音楽とは全く縁がなく、元来、アコゥスティックな音楽、ジョン・デンヴァー等の繊細系音楽を好む少年だったのです。その少年が或る日>、某TV番組(おそらく「ぎんざNOW!」)で、奇妙なメイクと奇妙なコスチュームのハスキー・ヴォイスのおっさん(にゃんこメイクのピーター・クリス)が、ドラムを叩きながら歌う、12弦ギターのアルペジオも美しいフォーク・ソング・テイストの"Hard Luck Woman"のPVを見、一発でやられてしまったのです。「なんて良い歌...」と、KISSと言うロック・バンドの曲である事を知った私は、早速翌日、学校の帰り道、東京多摩市の多摩センター駅ビル内のレコード店で、当アルバムをGet。シングル盤でも良かったのですが、アルバム志向の強い私は、一寸無理しました。その結果が、これ。今のメタルおやじを生むこととなったのです。シングルを選択していたならば、"Hard Luck Woman"一曲で終わり、HR/HM地獄へと嵌ることは、当時の私の音楽の嗜好を考慮すれば、(後々どうなっていたかはまた別ですが)おそらくはなかったでしょう。このアルバムを毎日聴く内に、徐々に徐々にとハードなロック・ナンバーが脳内に浸透。キッスの他のアルバムへ、また周りの連中が騒いでいても今まで見向きもしなかったクィーンやエアロスミスの曲へと、ベクトルが回転。HR/HMアーティストの比重が増し始め、そうこうする内、あの、NWOBHMのムーヴメントが到来。一気に私のHR/HM化が進行...。運命と申しましょうか。

 一寸話は変わりますが、皆さんの場合、「(音楽)ライヴの殿堂」と言ったら何処をイメージされるでしょうか?最近では、東京ドームや横浜アリーナ等が多くイメージされるかもしれませんが、私などは「日本武道館」。私の少年時代には、東京ドームも未だ存在しておりませんでした(「後楽園球場」でした)し、野球場でのライヴと言うのは、勿論行われてはいましたが、余り一般的ではなく、大規模なライヴと言えば”武道館”、と言うのが当時の定番。アーティストにとっても、ファンにとっても、そして私にとっても、”武道館”は特別な存在、憧れの場、でした(今でもそうなのかなぁ)。そんな私の初武道館は、このキッスのライヴ。
 彼らの二度目の来日時に、お邪魔したのですが、感動というよりは、驚きと言う言葉が妥当。武道館自体は、それ以前に、友人に誘われ、アウトレット・バーゲンで体験して居ったのですが(そのとき買ったラングラーのオーヴァーオールは今も愛用)、そのときはアリーナから上を見上げるというかたちで、左程の驚きも感動もなかったのですが、ライヴ時は、雰囲気が一変。まず武道館周辺に、キッス同様のメイクをした女の子たちがウヨウヨ。ダフ屋のおじさん達が渋い声を張り上げ、開場数時間前というのに、人の群れが充満。開場後内部へ入れば、またまた人が充満。2階席(チケット及び「ALIVE!」画像)でしたので、転げ落ちそうな急な階段で上り行けば、擂鉢の底に人人人...。バーゲン時に下から見たのとは大違い。なんてデカイの、なんて深いの...と、全てが驚き。これがお初のライヴ体験でもあった為、全てが驚嘆の世界。ステージの上には白い布で覆われた機材が山と積まれ、メンバーの出番を待っている。ワクワク、ドキドキ。後々、武道館は何度もライヴ拝聴の為お邪魔することになるのですが(クィーン、ジェフ・べック、ジューダス・プリーストAC/DC、ホワイトスネイク、レインボーMSGゲイリー・ムーアラッシュ等等)、当時のイメージが、最も鮮明です。キッスのメンバーたちが、矢鱈大きく見ましたなぁ...(元々背が高いうえに相当ハイなブーツを履いてはいましたが、それとは別に)。

 本題に戻り、当アルバムですが、彼らの代表作とされることも多い前作「DESTROYER」(全米11位)の造り込まれた音像とは大分に異なる、シンプルで「生々」しい音像。それだけにエッジの効いたハードさが前面に押し出され、荒々しい。とは言い、彼らならではの親しみやすいポップ感は不変です。
 余り縁のない方は、キッスと言えば陽気で乾いたアメリカンなハード・ロックの典型、とイメージされるかもしれませんが、以外にブリティッシュ的或いは欧州的な湿り気も持ち合わせています。又、そのルックスやステージングから、能天気な子供騙(だま)しの虚仮威(こけおど)しハッタリお馬鹿バンド、と思われる方も或いはあるやもしれませんが、いやいや何の、作曲能力の高さ、アレンジ力の高さ豊富さなど、ザ・ビートルズやレッド・ツェッペリンをルーツにする、音楽的懐(ふところ)の深さを持っていますよ。

  '09 yayoi/21

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭ 硬度:♭♭ 暗度:♭ 技巧度:♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭♭♭♭
〔全米11位の当作品、正確には「スタジオ」録音ではない。とある劇場にてレコーディングされました。そういえば、同年リリースのエアロスミスの「ROCKS」は倉庫でレコーディングされていますね。良い意味でいろいろと欲が出てきていた頃なのでしょうね official

キッスの武道館チケット*日本武道館:江戸時代には田安徳川家(徳川氏一族で尾張・紀伊・水戸御三家に次ぐ御三卿(一橋・清水・田安)の一つ)の屋敷があった辺りに、1964年、東京オリンピックの柔道会場として誕生。デザインは法隆寺夢殿がモチーフになっている。後、コンサート・ホールとしても利用されるようになり、1966年にビートルズ、1972年にはディープ・パープル、そして1978年には”武道館”を"Budokan"として世界的に有名にしたチープ・トリックのライヴ等多数行われている
*チープ・トリック:1977年デビューのハード・ロック・バンド(亜米利加出身)。ルックスの良さ等から日本で人気に火がつき、翌年日本武道館でライヴを行い、その様子を収録した(実際は大阪厚生年金会館での音源も含まれる)「チープ・トリックat武道館」が本国でも大ヒット(全米4位)。一躍人気バンドとなる。と同時に"Budokan"も有名となる
*ジョン・デンヴァー:「カントリー・ロード(Take me home, Country roads)」でお馴染みの、亜米利加のシンガー・ソングライター。自然を題材とした歌を多く歌う彼は、当時登山少年であった私の心の師匠でございました。1997年10月12日、自身の操縦する飛行機の墜落事故で死去。その日、私は滅多に聞くことのないAFN(米軍放送)にRADIOのダイアルを何気に合わせたのです。一瞬の沈黙の後、"John Denver Dead"と行き成りDJの声が聞こえました。余りに唐突且余りに偶然な出来事に事態が飲み込めなかったのですが、断片的に理解できる言葉を総合すると、どうやら彼の操縦する軽飛行機がカリフォルニアで墜落したらしい...と言う事が理解できました。メタル野郎と化していた当時の私は、彼の作品を聴くことも滅多になくなっていましたが、音楽的には彼一色であった少年時代が俄かに思い出され、とても悲しかったのを憶えています
*NWOBHM:New Wave Of British Heavy Metal(ニュー・ウエイヴ・オブ・ブリティッシュ・へヴィ・メタル)の略。英吉利で1970年代終わりから1980年代初頭にかけて興ったHR/HMのムーヴメント。この頃から「ヘヴィ・メタル」という言葉が一般化。IRON MAIDENPRAYING MANTIS・SAXON・DEF LEPPARD・DIAMOND HEAD・ANGEL WITCH等の若手バンドの興した波は、JUDAS PRIESTBLACK SABBATHなどのベテラン達をも捲き込み、やがて怒涛となって亜米利加を呑み込み、世界的一大ムーヴメントへと繋がっていったのです

★◆DIRTY FINGERS/GARY MOORE '83
ダーティー・フィンガーズ/ゲイリー・ムーア 
order
DIRTY FINGERS/GARY MOORE この作品、1983年に日本でのみリリースされたのですが、実際は二年前の1981年に完成しておったのです。一寸訳有りなのです。

 ゲイリーは、1952年、北アイルランド生まれ。十代からSKID ROWや自身のバンド、またCOLOSSEUM II、THIN LIZZY、G-FORCE等で、キャリアを磨いて来たのですが、参加バンドが日本では地味な存在であったり、メジャーなTHIN LIZZYでの活動が、或いはメジャーなミュージシャンとの活動が一時的なものであったりした所為でしょうか、この作品がレコーディングされた頃は、コアなギター・ファン、ハード・ロック・ファンの間では、スーパーなギタリストとして既に可也著名な存在となっておりましたが、一般的には、まだまだ未知の部分が多い一寸謎めいた存在、「このギター凄いけど何ていう人?」と言った存在に留まっておりました。

 ”クレイジー“のミドルネームを授かるほどの凄腕ゲイリーが、当時今ひとつ日本でぱっとしなかった最大の理由は、所属するJetレコードとのトラブルが大きかったと言う事だったように思います。
 Jetレコードは、世界的なHR/HMムーヴメント巻き起こる当時、OZZY OSBOURNEMAGNUM及びこのゲイリーを三本柱として大プッシュしようと目論み、ゲイリーは自身のリーダー・バンドG-FORCE(元DEEP PURPLEのグレン・ヒューズが初期に参加)を結成。1980年には同名のアルバムをUKでリリース。亜米利加市場を狙ったポップ感豊かな作品(ゲイリー以外の3人は亜米利加人)は、曲も良く、ギターも弾き捲り。この後全開する、ゲイリー的ハード・ロックの基本形で、なかなかの佳作。しかし、人気バンドWHITESNAKEのツアーでサポート(前座)を務めるなどするも、肝心の米国での配給元(CBS)に配給を見送られ、単独ライヴでの他メンバーのパフォーマンスに落胆したとの説もありますが、翌月のレディング・フェスティバル出演を前にゲイリーは、G-FORCEを解散させてしまいます。Jetレコードとしては、此れから...という時期でしたので、違約問題が生じ裁判となります。
 そんなこんなで、折角の佳作「G-FORCE」は日本発売がならず、輸入盤が上記のようにコアなファンの間でのみ、話題沸騰と言う状態。当時私は、まだ其れほどコアなHR/HMファンではなかった為、今思えば残念なことに、興味を持てず聴きませんでしたが、コアな友人たちが騒いで居ったのを良く憶えております。

 さて、ここからが、本作「DIRTY FINGERS」のお話。
 所属レコード会社とゲイリーの間で契約問題が生じたのは、上記の如くですが、この契約を消化させる為、ゲイリーは、メンバーを募り、1980年に「LIVE AT MARQUEE」を、そして、翌1981年にこの「DIRTY FINGERS」を製作します。然し、レコード会社は、なぜか両作品をお蔵入りとし、リリースを見送ります。他社への移籍を阻む為とか、報復の為とか諸説あるようですが、この辺の「大人」の事情は私には判りません...。でも、これなのですよ、ゲイリーが実力がありながら当時日本でメジャーになれなかった理由は。HR/HMの一大ムーヴメントが世界を特に日本を席巻していた当時、これら不遇の三作品がリリースされていたならば、日本でのHR/HMの歴史はまた少し、変わったものになっていたかもしれません。まぁ、翌年、日本の音楽ファンは、ゲイリーの凄さを否応なしに思い知らされることにはなるのですが...。
 契約問題に話を戻しますと、翌1982年、あのVirginレコードの協力で、問題を解決(多額の違約金を支払ったとか)。晴れて自由の身となり、レコード会社もVirginへと移籍し、WHITESNAKEのニール・マーレイ(b)及びイアン・ペイス(ds)等の協力を得、「CORRIDORS OF POWER」アルバムを製作・リリース。これが、ポップ&ハード・テイスト及び後年前面に押し出されるブルース・テイストが絶妙なバランスを醸す一大傑作に。そして、何故か特に日本で大ブレイク。一躍、マイケル・シェンカーと並ぶスーパー・ギター・アイドルの座に。当時彼がよく手にしていた、ピンクの1960年製ストラトキャスターのコピー・モデルもバカ売れ。
 ここに、Jetレコード及び日本のレコード会社(SONY)は目をつけ、翌1983年、お蔵入りとなっていた、「LIVE AT MARQUEE」及び「DIRTY FINGERS」を日本のみで、リリース(前者は英で翌年、後者は英独で同じく翌年リリース)。そう、「CORRIDORS OF POWER」の大ヒット(HR/HM作品としては)の御蔭で、この名作(と私は思う)はやっと、陽の目を見ることが叶ったのです。

 1980年代初頭と言う時代、HR/HMが世界のトレンドとなりつつある、その時代を反映し、当時ハードであったゲイリーの諸作品の中でも最もハード且メタリック。ブルース色は未だ希薄で、ポップ色も前後の作に比し控えめ。メンバーも、TED NUGENT BAND、VICTORY等のチャーリー・ハーン(vo)、RAINBOW、DIOでお馴染みのジミー・ベイン(b)、OZZY OSBOURNE、WHITESNAKE等でプレイするトミー・アルドリッチ(ds)、そしてHR/HM界への貢献度ではキィボーダーNo.1と言っても過言ではないRAINBOW、OZZY OSBOURNE等などのドン・エイリー(key)と、名プレイヤーが名を連ねる(結構スーパーなグループですよ)。オープニングの"Hiroshima"のギター・リフで一気にメタル度上昇。前作G-FORCEから後まで暫く続く、激しい無伴奏ギター・ソロを導入部に置きそのままハードな次曲に雪崩込む(「G-FORCE」では"White Knuckles/Rokin' Rollin'"とメドレーで、本作の場合では二曲に分かれてクレジットされている)"Dirty Fingers"〜"Bad News"、また"Nuclear Attack"などヘヴィなものから、ポップな"Kidnapped"まで、名曲・佳曲も多い(この頃の彼の作品ではお馴染みの、懐かしの名曲カヴァー・シリーズは、ANIMALSの"Don't Let Me Be Misunderstood"(「悲しき願い」ですね)を採用)。弦も(血管も)切れよと言わんばかりの力強いピッキングと火の出るような早弾き満載。彼の大きな特徴である感涙を誘う哀愁のメロディック・フレーズは本作では控えめですが、私のメタル馬鹿なメタル耳にはしっくり。ジャケットが、本作リリースの経緯(いきさつ)上、練る間が不足した為でしょう、遣っ付けな感が否めないのが残念...。

 ゲイリーは、独立をめぐる問題を永年抱える、北アイルランド出身と言う背景がある為でしょうか、HR/HM系(現在はブルースおじさん)アーティストには珍しく、社会的テーマを持った楽曲が多い。戦争をテーマにした次作収録の"End Of The World"、大韓航空機撃墜事件を扱った次々作収録の"Murder In The Skies"など。本作にも、"Hiroshima"、"Nuclear Attack"と核兵器・核戦争をテーマとした2曲が収録されています。どれもテーマ云々を抜きにしても名曲なのですが、"Hiroshima"のギター・ソロ導入部で聴かれる欧米的「中国と日本の混同」は、今となっては御愛嬌、とも思えるのですが、はじめ聴いた時は、正直、がっかりしました。四半世紀も前の話ですが、現在も欧米においての極東亜細亜文化への理解は、大して変化ないのでしょうね。真の国際化の為には、日本文化もどんどんアッピールして知ってもらわにゃいかんですね。其の為には、外国文化だけでなく、日本文化も勉強せねば。

  '09 mutuki/5

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お気に入り度:♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭♭
〔私はコージー・パウエルのソロ作ではじめてゲイリーを聴きましたが、矢張り彼の素晴しさを知るには「CORRIDORS OF POWER」を待たねばなりませんでした  official

*SKID ROW:フィル・ライノットがTHIN LIZZY前に在籍していたバンド。勿論あの
SKID ROWとは別
*COLOSSEUM II(コロシアム2):ジョン・ハイズマン率いるジャズ・フュージョン系ロック・バンド(前身にCOLOSSEUMと言うバンドがある為"II")。当時ドン・エイリー(key)とニール・マーレイ(b)と言う後々HR/HM畑で活躍する人々が在籍
*THIN LIZZY(シン・リジィ):アイルランドの英雄的ハード・ロック・バンド。リーダーはフィル・ライノット。ゲイリーは「NIGHT LIFE('74)」(一曲のみ。他にシングル)と「BLACK ROSE('79)」及びツアーに参加
*WHITESNAKE:元DEEP PURPLEのメンバーが中心となったブルース系ハード・ロック・バンド
*DIO(ディオ):HR/HM界最高のヴォーカリストとも称えられるメタルのサブちゃんことロニー・ジェイムス・ディオのリーダー・バンド。模範的メタル・サウンド
*ゲスト参加:グレッグ・レイクのELP脱退後のソロ('81)に参加。本作収録の"Nuclear Attack"はそこで初披露。また
コージー・パウエルのソロ「OVER THE TOP('79)」「TILT('81)」「OCTOPUSS('83)」に参加し、「TILT」では超名曲”SUNSET”が生まれている
*レディング・フェスティバル:毎夏開催される1961年以来の長い歴史を持つ英吉利の野外ロック・フェスティバル。1971年より開催地がレディングに固定され現名称となる
*ストラトキャスター:
フェンダー社製のエレクトリック・ギターの代表的モデル
*TED NUGENT(テッド・ニュージェント):超ワイルド系アメリカン・ハード・ロッカー。尻尾がある
*大韓航空機撃墜事件:1983年9月1日、大韓航空のボーイング747旅客機が領空侵犯の為旧ソビエト防空軍戦闘機のミサイルにより撃墜された事件。乗員及び韓国・日本・アメリカ等の乗客全員が死亡(269人)。ソビエト崩壊後、隠匿されていたブラック・ボックスの内容が公表され、慣性航法装置(センサーにより自身の位置・速度を算出する装置)の入力或いは起動或いは切替のミスが、ソヴィエト領空進入の原因とされ、陰謀説・スパイ説等多々あった諸説は否定された。
 当初ソビエト政府は事実否認、証拠隠匿等行い、未だ冷戦下であったこともあり日本を含む西側諸国との関係は険悪となり、戦争が起きそうな雰囲気すら感じたのを記憶しています
*北アイルランド問題:北部アルスター地方に含まれる6州(これが「北アイルランド」)は英吉利に留まるべき、と言うユニオニストと、北部6州は南部26州と共に英吉利から独立すべき、と言うナショナリストとの対立。
 1960年代長らく社会的差別を受けていたカトリック教徒とプロテスタント主体の北アイルランド政府との対立が深刻化。IRA(アイルランド共和軍)とイギリス陸軍・北アイルランド警察またプロテスタント武装集団との間で武力衝突が発生。その後多くのテロ事件が続いていく。
 1996年以降和平合意に向けての動きが少しづつ進展している。
 北アイルランドはスコットランド系及びケルト系住民が主でおよそ6割がプロテスタント、他地域はケルト系住民が主でおよそ9割がカトリック、と言うように、北アイルランド問題は宗教・民族問題も絡んでいるが、あくまでも、イギリスへの帰属を主張するユニオニストと独立を求めるナショナリストの対立と言う政治的な問題、と言う事のようです

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