MYSTIC RHYTHMS

Heavysphere  その八

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ヘヴィ・メタル、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、クラシック等について語らせて頂いております  Profile

SIBELIUS:交響曲第4番
STRAVINSKY:バレエ「春の祭典」
BLIND GUARDIAN:サムウェアー・ファー・ビヨンド
NIRVANA:イン・ユーテロ
DEEP PURPLE:マシン・ヘッド
BACH:マタイ受難曲
FORBIDDEN:フォビドゥン・イーヴル


§索引
§凡例
§ハード・ロックとヘヴィ・メタルの違い

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Symphony No. 4 in A minor, Op. 63/Jean Sibelius 交響曲 第4番 イ短調 作品63/ジャン・シベリウス (1911) order
シベリウス交響曲第4番(ベルグルンド'84年盤) シベリウス交響曲第4番(渡邊'81年盤) シベリウス交響曲第4番(コリンズ'52年盤) シベリウス交響曲第4番(サラステ’93年盤)
 今、シベリウス(1865-1957)の交響曲が面白い。同時代の人気交響曲作家マーラー(1860-1911)の陰に隠れて、今一つ(今二つ)の人気ですが、私は、人間の内奥から染み出る人間くささぷんぷんのこってりマーラーより、人間等とは全く無関係に厳然と存在する自然・宇宙の普遍なる秩序・摂理を音像化したような、ブルックナーを髣髴させる人間臭希薄なあっさりシベリウスが、より耳に合う(マーラーも好きですけれど)。
 4番から7番ですね、はまるのは。“自然の神秘と生の憂愁がテーマだ”、とは第5番についてのシベリウスの言葉ですが、これは4番から7番すべてに当て嵌まりそう。人間を全く描いていないとは思いませんが、描き方としては、自然或いは宇宙に内包された存在である人間を俯瞰視しているような感じ。響くのは、存在の無限性と有限性の呼応、でしょうか。

 今回の交響曲第4番、ベートーヴェンのようなハードさも無ければ、マーラーのようなヘヴィさもありません。じゃぁ、なんでここに載せたのかと言えば、ダークだからです。霧を纏った針葉樹の森のような暗鬱さに満ちているのです。
 ダークと言っても、そこはそれ、「北欧」。何度か書きました「北欧メタル」同様、べた付かず重苦しくない。有名なヴァイオリン協奏曲(1903年.初演は翌年)辺りまでは、ドイツ的濃厚さがまだ漂いますが(1989年からベルリン、ウィーンに留学している)、この第4番辺りになると希薄。凍てつく夜の粉雪のような、さらりとした耳触り。高山か真冬の大気のような、シンとして張り詰めた様な雰囲気が、私には好もしい。
 この作風の変化、転居が大きく影響しているとも言われています。
 シベリウスは、良く見かける如何にも厳格な頑固オヤジ的肖像から受ける印象とは異なり、若い頃は可也無茶で享楽的な生活で荒れ、健康も害し家計も逼迫。これではイカンと、都会ヘルシンキを離れ1904年、ヤルヴェンパー(ヘルシンキ北方30数km)郊外の森と湖(トゥースラ湖)に囲まれた家「アイノラ」(山小屋風.奥さんの名「アイノ」に因み命名.現存し夏は一般公開される)に転居。此処での生活が、失われかけた彼の創作意欲を呼び覚まし、同時に、華やかさや壮麗さの後退した、簡潔で内省的な作風への変化を齎したと、一般に考えられています。交響曲で言うと、第2番(1901)と第3番(1907)の間にある変化が、それだとされています。
 第3番完成・初演の翌1908年、シベリウスは喉の腫瘍の手術を受けます。ここにまつわる、病への不安や死の恐怖と言う経験の中で、彼の作風はまた一つ変化を見せ、音像的にはより簡潔になり、聴覚的印象としてはより深化し、この第4番となって、端的に顕現されます(同時期には他に、「弦楽四重奏曲 作品56〈親愛なる声〉」(1909)がある)。
 “最初から最後まで、余分な音符がひとつもない。官能的要素がないため通俗曲とはならないだろうが、少数の人々にとっては、シベリウスの最高傑作となろう。おそらく彼は、これ以上の作品を書かなかった”とはセシル・グレイ(1895-1951)(スコットランドの音楽評論家)のこの作品を評した言葉。“シベリウスの第4番交響曲は、ひとつの謎である。魚でも肉でも鳥でも鰊(にしん)でもない。音楽は、学のない愛好者の不器用な試みのように思われ、そして響く”、とはへミストンさんの言葉(ミュージカル・アメリカ誌(1913))。この第4番、親しみ難く解り辛いとされるシベリウス後期の交響曲中でも最も難解とされ、人気も高いとは言えない。でも、同時にシベリウスの最高傑作とされることも多い。シベリウス・ファンの間でも賛否が可也分かれる作品。
 最高傑作かどうかは解りませんが、私はこの第4番が好き。シンプルな構築の中に緊張感が漂い、冷ややかな肌触りが心地よい。暗く透き通るような音像が、大好きな北欧系メタルを髣髴させる(アモルフィスの「テイルズ・フロム・ザ・サウザンド・レイクス」とか)。ただ、確かにこれと言って耳に訴えかけるメロディもないし、強烈なインパクトを持つフレーズもない。初め聴いたときは印象主義音楽を聴き始めた頃のように捉えどころなく、何時の間にやら曲が終わってた、てな状態でした。
 “心理的交響曲”、と言うのはこの作品を指した本人の言葉。彼自身の肉体的・精神的危機の中で生まれた心理世界の表出であると言うことなのかもしれません。その辺り真意は不明ですが、余り深く考える必要はないと思います。この感情を排した数学的とも言える簡潔な美しさに、ただ身を委ねれば良い。月光に照らされた針葉樹の森、雪と氷を纏う大地・フィヨルド、凍てつく蒼ざめた湖、極光(きょっこう.オーロラ)の乱舞する空...等などイメージして。ベタですが。(シベリウスの音楽と言えば、アルバム・ジャケットに多用される、如何にも「北欧」と言った風景の印象が強く、どうしてもイメージが固定されがち。でも、いいと思います、それで。彼はフィンランドの民族・文化を育んだその自然・風土を音楽に形象化したかったのですから)

 冒頭にシベリウスとマーラーについて一寸触れましたが、両者実は1907年に対談しています。そのとき、シベリウスは交響曲について、“私の求めるものは書法の簡潔さと、すべての動機のあいだに内的な関連を生み出す深遠な論理であり、形式の厳格なスタイルです”と述べ、マーラーは“交響曲はひとつの世界のようなものであらねばならない。全てを包括するものであらねばならない”と述べたとか。
 1910年に着手され、翌年初演されたこの作品と同時期に、マーラーの第9番が生み出されています(1909年着手.初演は死後の1912年)。内へと沈潜し凝集・凝縮されて行ったシベリウスの交響曲世界と、赤色巨星のように肥大・膨張を繰返したマーラーの交響曲世界は両極端のような存在。「死」と「生」の前でのた打ち回るような人くささ満開のマーラーの交響曲と、あっさりと人くささを脱ぎ捨ててしまったようなシベリウスの交響曲ですが、結局は、同じ様に「ヒト」を描いているのかな、とは、今マーラーも平行して聴いている私の感想です。ただ描き方が正反対。マーラーは、人間を内から眺め捉える謂わば文系的視点。対し(冒頭にも似たようなことを書きましたが)、シベリウスは、人間を外から眺め捉える一寸さめた理系的視点。苦闘・苦悶しつつ全てを肯定するマーラーと、淡々と全てを受け入れるシベリウス...、そんな印象です、私が受けるのは。
 悠久たる自然・宇宙の中の、一点景的な人間の存在。ブルックナーの交響曲と共に、そんな音響的世界を味わわせてくれる、シベリウスの交響曲。ブルックナー程長くないから(後期で一番長い第4番で≒34〜35分)、聴き易いと思うけどな。

 '12 4/10

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭ 暗度:♭♭♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭ ポップ度:♭
〔左端画像は、パーヴォ・ベルグルンド指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団演奏による'82年2月録音盤。ベルグルンド(本年1月25日逝去)はフィンランド出身でシベリウスのスペシャリスト、ヘルシンキ・フィルは多くのシベリウス作品の初演を担ったオーケストラ。
中左画像は、フィンランドの血筋を母方に持つ渡邊暁雄(あけお)指揮、日本フィルハーモニー管弦楽団演奏による'81年9月録音盤。このコンビの全集は全般に評価が高い。渡邊さんはシベリウス交響曲全集をステレオで世界初録音。今回取上げたシリーズはデジタルでの世界初録音。
中右画像は、ハリウッドで映画音楽の作曲・演奏家としても活躍した、アンソニー・コリンズの指揮によるロンドン交響楽団演奏の'52年2月録音盤。こちらは大分と骨太で輪郭線のはっきりした音像。前記二枚の凍てつき感に比し雪解け感が有る。シベリウスの後期交響曲は掴みどころがなくてイヤと言う方には聴き易いかも。ただしモノラル(音は良い)。
右端画像は、ユッカ・ペッカ・サロネン指揮、フィンランド放送交響楽団演奏による'93年5月ライヴ録音盤。当楽団指揮者としては上記ベルグルンドの後輩にあたる。録音当時37歳でこの4枚の中では最も若く音も若い。ライヴと言うこともあってか寂寥感は希薄で生命感が濃い。
余談ですが、私の大好きなエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉(The Raven)」に基づくオーケストラ伴奏の歌曲をシベリウスは構想し、その作品は未完となるもモティーフはこの第4番の第四楽章に用いられているのだとか。どの辺りがそうなのか知りたい〕

*ジャン・シベリウス:フィンランドの国宝。大学で法律を学ぶも想い止み難くのち音楽の道へ(多いな.シューマンもストラヴィンスキーも同じだぞ)。ヘルシンキ音楽院(のちシベリウス・アカデミー.ナイトウイッシュのターヤさんが学んだところ)で学びやがて教授となりその頃より本格的作曲活動へ。彼は祖国愛に満ちた国民主義(民族主義とも.民族色・地域色豊かな独自性の高い音楽を目指す楽派.シベリウスには民族叙事詩「カレワラ」に関わる楽曲が多数有る)的音楽家の代表的存在の一人ですが、精神基盤はそこに持ちながらより普遍的な音楽へ到達
*ヴァイオリン協奏曲 作品47:ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキーそしてブラームスのものと併せ五大ヴァイオリン協奏曲とされる。初演版に満足せず1905年に改訂。現在一般に演奏されているのは改訂版
*北欧メタル:主に1980〜1990年代頃のスウェーデンを中心とした北欧諸国のヘヴィ・メタル・アーティストや作品を指す日本独自のカテゴリ。北欧の自然を髣髴させる透明感有るサウンドと抒情的な美しいメロディが特徴。スラッシュ・メタルやデス・メタルなどは通常含まずスタンダードなタイプのものを指す。代表的アーテイストは、ヨーロッパイングヴェィ・マルムスティーン、シルヴァー・マウンテン(以上スウェーデン)、ストラトヴァリウス、ナイトウイッシュ、ソナタ・アークティカ(以上フィンランド)、ロイヤル・ハント(デンマーク)等
*北欧系メタル:上記「北欧メタル」にカテゴライズされない、スラッシュ、デス、ブラック系メタルも矢張り北欧のものは一種独特な透明感と、重苦しくならない暗さ、べた付かない湿り気を持つ。例えば、アーク・エネミーイン・フレイムスダーク・トランキュリティ、ソイルワーク(以上スウェーデン)、チルドレン・オブ・ボドムアモルフィス(以上フィンランド)、エンペラー(ノルウェー)等
*印象主義音楽:直感的印象で気分や雰囲気を感覚的に表現するスタイル。クロード・ドビュッシー(1862-1918)、モーリス・ラヴェル(1875-1937)等
*クロード・ドビュッシー:シベリウスとドビュッシーは1909年2月ロンドンで会い、ドビュッシー指揮の「牧神の午後への変奏曲」「夜想曲」を聴いたそう
*グスタフ・マーラー:1907年11月演奏(ベートーヴェンとワーグナーを指揮)の為ヘルシンキを訪れたマーラーをシベリウスが訪ねた。芸術観の違いはありながら互いに好感を持ったようです
*フィヨルド:ノルウェー語で「入江」。氷河に侵食された谷(U字谷)に海が入り込み形成された湾、入江。一般に細長く両岸は高く切り立つ
*ブルックナーほど長くない:第5番が≒30分、第6番は26〜28分、一番短い第7番は20〜22分ほど。第5番は「北方の夏」と言った明るく伸びやかな雰囲気で比較的聴き易い

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Le Sacre du Printenmps/Igor Stravinsky バレエ「春の祭典」/イーゴリ・ストラヴィンスキー (1913) order
春の祭典(ブーレーズ'69年盤) 春の祭典(アバド盤) 春の祭典(カラヤン'64年盤)
 時は今正に春。春と言えば「春の祭典」(そうかい?)。通称”ハルサイ”。
 「春の祭典」と、タイトルだけ見れば、何やら華やかで明るい、ヴィヴァルディの「春(四季)」的なものを連想しそうですが、この作品に描かれる春は、プリミティヴで荒々しく、ダーク&ヘヴィな世界。カテゴリ的には近代音楽に分類される作品ですが、難解、イミフ(意味不明)と、一般には余り評判の宜しくない現代音楽の扉を開いた作品とも評されるこの”ハルサイ”。名作ゆえ、「クラシック・ベスト100」的シリーズには大抵含まれますが、モーツァルトやチャイコフスキーを聴く様な感覚で聴いたらば、面食らうかもしれません。少なくも私は結構、面食らいました。
 私と”ハルサイ”との出会いは、クラシック音楽の中では比較的早く、二十代の頃。偶々の出会いでした。エマーソン、レイク&パーマーのロック版「展覧会の絵」が大好きだったので、オーケストラ版「展覧会の絵」(「展覧会の絵」は元来はピアノ独奏曲)を中古で探していたのです。そしてやっと見つけた\500(か\300)のそのCD(カラヤン'64年盤)、カップリングが”ハルサイ”だったのです。
 「ナンじゃこれ?」。ヴィヴァルディの「四季」とベートーヴェンを少々程度しかクラシックを知らなかった私の、”ハルサイ”初印象がこれ。ロック音楽にどっぷり浸かって、それ以外は殆ど知らず、クラシック音楽等別世界のお上品な方々の聴く高尚なものと、勝手に私が持っていたイメージが覆った瞬間かもしれません。
 (クラシックにしては)強烈なリズム、変拍子、不協和音。「クラシック=お上品」的なイメージなど幻想に過ぎないことを思い知らされる。しかも全てにおいて「狂気」孕み。一般的にクラシック音楽に求められる「美」とは縁遠い野蛮な匂い。パリでの初演時、大変な騒動を起こさせたと言うのも、頷けなくも無い。

 「春の祭典」は、1913年に、バレエ作品として「火の鳥」(1910年)、「ペトルーシュカ」(1911年)に続き発表されました。「天才を見つける天才」セルゲイ・ディアギレフ主催「バレエ・リュス」の為に作られた、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)の代表作と言ってよい名作です。
 のち彼の出世作となる「火の鳥」作曲中のとある日、ストラヴィンスキーは、車座に並ぶ長老達の前で、生け贄の乙女達が死ぬまで踊り続ける異教の儀式の幻影を見ます(幻影って....大分お疲れか?)。これに触発され作曲されたのが「春の祭典」。当初ピアノ協奏曲として着手されていた「ペトルーシュカ」の方が、先にバレエとして完成・上演された為、彼の所謂「三大バレエ」の中では最後の作品となりました。
 内容は二部に分れ、キリスト教以前のロシア原始宗教世界に因んだ内容。大地と太陽神イアリロを祭り讃迎する儀式を描いたバレエ。以下に構成を示します。(今回取上げたCDの解説他を参照)。第1部は昼、第2部は夜を描いています。

 I 大地への讃迎
 序奏
 春のきざしと乙女たちの踊り
 誘拐の戯れ
 春のロンド
 敵対する部族の戯れ
 賢者の行列
 大地への讃迎
 大地の踊り

 II 生け贄の祭り
 序奏
 乙女たちの神秘な集い
 選ばれた乙女への讃美
 祖先の霊への呼びかけ
 祖先の儀式
 生け贄の踊り〜選ばれた乙女

 初演は1813年5月。パリのシャンゼリゼ劇場で、バーツラフ・ニジンスキー振り付けの「バレエ・リュス」により披露されたのですが、これが歴史に残る大騒乱を引き起こしました。
 「ナンじゃこれ?」と、この作品を始めて聴いたときの私と同じ様に感じた方が多かったのでしょうか、この音楽(及び衣装とニジンスキーの振り付け)を理解不能な人々の野次と嘲笑に劇場は満ち、やがて賛否両者の間で掴みあい、殴り合いの「恐るべき喧騒」(ストラヴィンスキー本人談)に発展しました。
 今となっては、古典的名曲となった本作。何時の世も、どのフィールドでも、伝統の破壊者や真に革新的な存在は、当初ウケ悪く、攻撃の対象となりもするけれど、見せ掛けではない「実」を伴うものであれば、やがては受け入れられる。時代変われば評価も変わる、と言う面もあるでしょうけれど、本質はそういうことだと思います。年月のフィルターは厳しいけれども公正・正直、と改めて思わせる作品。

 低音楽器バスーン(ファゴット)の、高音ソロによる静かな導入は、≒34分間に渡る時代変革の嵐の序奏。クラシック音楽の中でも、ハード&ヘヴィと言う面では、最右翼作品の一つ(と言えると思う)。HR/HM好きで且つプログレ・ファンであると言う方などには、持って来いの一曲。
 けれど、いきなり聴くよりは、まだ旧来の音楽を聴く延長上の感覚で聴ける、「火の鳥」「ペトルーシュカ」を聴いてからの方が良いかも。

 '12 3/31

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭ 暗度:♭♭♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭ ポップ度:♭♭
〔派手さは無いが凄みの有るピエール・ブーレーズ指揮、クリーブランド管弦楽団演奏の'69年7月録音盤(左画像)、スピード感とキレのある若々しいクラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団演奏の'75年2月録音盤(中画像)、そして伝統的で整然とし大人しいがその分聴き易い(とも言える)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏の'63・'64年録音盤(右画像.私の初”ハルサイ”)の三つが、今回取上げた演奏です。カラヤン盤はストラヴィンスキー自身から「本物と言うより飼い慣らされた野蛮」と評されたことで有名〕

*近代音楽:概ね1890年頃或いは二十世紀初頭頃から第一次若しくは第二次大戦終了頃までの西洋芸術音楽を指す。主に第二次大戦後以降の西洋芸術音楽を指す現代音楽との境界は明確ではない
*イーゴリ・ストラヴィンスキー:サンクトペテルスブルク近郊の生まれ。父はオペラ歌手で母はピアニスト。法律を学んでいたが音楽の道へ。大学時代の友人の父リムスキー=コルサコフに師事。この師匠の娘さんの結婚祝いに書いた「花火」でディアギレフの目にとまる。改訂癖があり三大バレエ何れも幾つかの版がある(著作権料を得る必要が有った為だったとか)
*火の鳥:ストラヴィンスキーの才能に目をつけたディアギレフに依頼され作られたロシアの伝説に基づく最初のバレエ曲。1911・1919年に編曲された演奏会用組曲もある。バレエ版は40数分、組曲は20分強なのでまずは後者からが良いかも知れません。イエスのライヴでオープニングに使われている
*ペトルーシュカ:火の鳥の翌年初演のバレエ。こちらもディアギレフに依頼された作品。魂を吹き込まれた人形達が主人公のシュールで一寸グロテスクな作品
*ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950):ロシアのバレエダンサー・振付師。ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」に基づく「牧神の午後」で振り付け・主演。「ペトルーシュカ」にも出演。「春の祭典」の振り付けは復元されたとか
*セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929):バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者・プロデューサー。ニジンスキーやストラヴィンスキーなど多くの才能を見出す
*「火の鳥」「ペトルーシュカ」を聴いてから...:CDはどちらかとカップリングになっている場合が多い。ちなみに、今回取上げたブーレーズ盤は「ペトルーシュカ」とアバド盤は組曲版「火の鳥」とのカップリング

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SOMEWHERE FAR BEYOND/BLIND GUARDIAN サムウェアー・ファー・ビヨンド/ブラインド・ガーディアン (1992) order
サムウェアー・ファー・ビヨンド ファンタジー系メタルの代表的存在である、ブラインド・ガーディアン(通称ブラガ)の4thアルバム。
 前作「テイルズ・フロム・ザ・トゥワイライト・ワールド」(1990)(良いタイトルだ)の、猪突猛進的とも言える突進力を底流に保ちつつも、緩急自在の表現・構成が表出し、空間的広がりと共に音楽的奥行の格段に増した作品。

 彼等ブラガは、1985年に前身バンドLUSIFER'S HERITAGEとしてスタートを切り、のち現在名となって、1988年にデビュー。音楽性としては、同郷の先輩ハロウィン(初期)の影響を受けた、ゴリゴリとハード&ヘヴィに疾走するサウンドに親しみ易い旋律がのるというスタイル、と大まかに言えると思います。しかし、先輩の開拓・確立したそうしたスタイルを踏襲しつつも、先輩よりは大分とファンタジックで、且つルーツにあるスラッシュ・メタルの攻撃性を色濃く作品に反映している。ご存じ無い方には、ファンタジックさと攻撃性など、同居は無理そうに思えますでしょうが、メタルの世界では、1970年代の誕生当初の頃から、案外と良好に両者は相並んで存在しているのです。「ブラガ」は、その両者融合の最たる成功者と言って、過言ではないでしょう。
 「サムウェア・ファー・ビヨンド」も、勿論、ファンタジーとアグレッションの融合が見事。
 「バード」(バルド)と呼ばれる吟遊詩人たちが、時空を超えて宇宙を経巡り、より良き世界・未来を現出する為に各人の物語を披露し合う(リーダー、ハンズィ・キアシュの解説より.ジャケットは正に語り合うバードたち)、と言うコンセプチュアルな構成、ストーリーを持って展開する壮大な絵巻。疾走ナンバーで突進すれば、リート(歌曲)風ナンバーでスロウ・ダウン。ミドル・ナンバーでじっくり聴かすかと思えば、又突っ走る。バグパイプによるトライバルな点景的表現も効果的。硬軟・緩急の振幅が大きく、表現の幅も広い。バラエティ豊かな楽曲と展開は、一寸、初期のクィーン(2ndから5th辺り)を彷彿させる。
 こうした起伏とバラエティに富むアルバムの場合、得てしてそれが散漫な印象へと繋がる場合がありますが、必ずしもそうはなっていないのは、構成・アレンジ力の高さの成せるところ、と言う事なのでしょう。ドラマ構築の整合性が失われていないのは流石。
 ブラガ中、3rdと共に、最も多くの支持を受けているのも頷けます。

 ファンタジックな世界観を疾走サウンドに乗せ、煌(きら)びなキィボードを前面で歌わせれば、ラプソディ・オブ・ファイア(イタリアのシンフォニックなメタル・バンド)やストラトヴァリウス(フィンランドの大御所メタル・バンド)或いはソナタ・アークティカ(フィンランドのメロディック・メタル・バンド)のように、透明感漂うどちらかと言えばやや線の細目な音楽になりますが、そこはそれ、ドイッチェランドのブラガ。キィボードなし(時折ちょこっと顔出すけど)のツイン・ギターという典型的ジャーマン・スタイル。濃ぉい。ハンズィ・キアシュ(vo,b)のどすの利いたやや野太い声も、男声クワイア(コーラス)もこってり。ドラムもずっしり。前作ほどではないですが、当作も矢張りなかなかに濃厚な漢(おとこ)メタル。この辺り、一寸好みが分かれる所かも知れません。
 とは言い、パワー、スピード、メロディ&ドラマが渾然一体、バランス良く按排(あんばい)された名品。メタルに縁無き方々にも、比較的親しみやすい、と思うがな...。

 '12 2/19

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭♭ 技巧度:♭♭♭ 旋律度:♭♭♭♭ ポップ度:♭♭♭♭
〔ドイツ出身。ハンズィ・キアシュ(vo,b)、アンドレ・オルブリッチ(lead g)、マーカス・ズィーペン(rhythm g)、トーマス・スタッシュ(d)の四人組(当時メンバー)。2ndから続いて元ハロウィンのカイ・ハンセンが作曲とギターで一曲参加 official

*バルド(Bard.バード):ケルトの祭司ドルイドで神話・法律・暦などを歌にし伝承する吟遊詩人
*吟遊詩人:詩歌を吟唱し諸国を経巡った人々。主に中世ヨーロッパでの存在を指す
*リート(Lied):ドイツ語で「歌」の意。一般に18・19世紀に確立されたスタイルのものを指す。ピアノ伴奏での独唱が主。作品で有名なのはなんと言ってもシューベルト
*バグパイプ:一曲はスコティッシュ・バグパイプ、もう一曲はアイリッシュ・バグパイプと解説には有る

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IN UTERO/NIRVANA イン・ユーテロ/ニルヴァーナ (1993) order
イン・ユーテロ 現在はこうして紹介させてもらいたくなる程、お気に入りとなったこの"IN UTERO"(イン・ユーテロ)ですが、正直、はじめは馴染めませんでした。全く。長年聴き親しんできたロック音楽と余りに耳触りが異なり。
 やり場の無い怒りや不満といった、ロック音楽らしい鋭角な感情は伝わってくるし、苦悩をぶちまける負のエナジーの炸裂も、ノイジーなギター・サウンドにのり放射されてくるのですが、全てが、倦怠と退廃の霧に薄っすら包まれ、何やらドンヨリしている。しかも妙に生々しい。駄目でした。内省的な詞は、文学やプログレッシブ・ロックの世界では普通なので左程違和感はありませでしたが、体臭のように滲み出るデカダンスなにほいに、私の中の危うい部分が敏感に反応し、危険を察知。強い拒絶を生んでいました。≒4年前に我が町の図書館で借りPCに取り込んだのですが、最初に聴いて以来殆ど聴くことはありませんでした。
 ところが、昨年末、大分と聴き易い前作"NEVERMIND"(カート・コバーンは嫌っていたとも聞くけれど)を隣町の図書館に発見し拝聴したならば、'60・'70年代ロック直系、パンク経由、ハード・ロック好きだけどメタルは嫌い、と言ったそのサウンドは、「メタルは嫌い」と言う部分を除き、大部分が私の好みと一致し、すっかりお気に入りに。そうして後、改めてこの作品を聴けば、前作で免疫がついたのか、驚くほどにすんなりと入って来る。そうして聴くうち、アルバムに満ちる怒り、不満、苦悩は、バンドの中心カート・コバーン(vo,g)の生への渇望であり、倦怠と退廃と感じられたものは、裏腹に彼の生への深い諦念だったのかもしれない、と彼の後の運命と照らし合わせると思えても来、当初抱いていた嫌悪感は霧消しました。
 この作品を見るとき、モーツァルト(1756-1791)やシューベルト(1797-1828)の最晩年の作品を見るとき同様、産み出した者の後の運命、これはどうしても視野に入り、それ越しに作品を透かし見ることを避け得ないので、純粋に音楽的に受け止めるのが難しいのですが、でもしかし、その辺りを離れ、虚心を持って聴けば、カート・コバーンは本当に表現力豊かで懐の深い良いヴォーカリストであり優れたソング・ライターであったんだなぁ、バンドも骨太でキレも有る良いバンド(クリス・ノヴォセリック(b)、デイヴ・グロール(ds)(当時))だったんだなぁ、と当時メタル小僧で、グランジ・オルタナなんぞ全く知らなかったおっさんは、単純に、今そうも思うのです。

 「イン・ユーテロ」について書いたついでと言っては、言葉が悪いかもしれませんが、ニルヴァーナ及びその周辺のアーティストに関しても、一寸書かせて下さい。
 上に、この作品を聴いた当初の私の拒絶反応について書きましたが、その反応は、当作だけに対するものではありませんでした。これ以外にも、スリップノットやマリリン・マンソン、またナイン・インチ・ネイルズ等1990年代以降のアメリカンなヘヴィ・ミュージックを聴いた場合も似たような状態となりました(RATMは別)。それら作品に共通する暗さ、私の好きな欧州系ヘヴィ・ミュージックの持つ暗さとは一寸質の異なる、底の知れない粘着質の暗さと、そこはかとなく漂う倦怠と退廃のドンヨリ感は、私が以前から知り、親しんでいた何処か楽天的で自信と力強さに溢れた'70・'80年代のアメリカン・ヘヴィ・ミュージックとは全く異なるもので、戸惑いました。病めるアメリカの病巣或いは闇を眼前に押し付けられているようで、なかなか親しめませんでした。
 併し、ニルヴァーナを受け入れられる様になると同時に、これ等アーティストに対する親しめない感覚も拒絶感も消えました。
 昔から欧州系ロックに嗜好が偏る私は、元々HR/HM系以外アメリカのロック・アーティストには余り馴染みがないのですが、今のヘヴィ・ミュージックを知るには、矢張りモダンなアメリカン・ヘヴィ作品も聴かなければと、これを機会に上記アーティストを改めて聴き直すと同時に、未聴だったパール・ジャムやコーン(コーンのドンヨリ感は格別...)等、利用可能図書館に有る作品を、聴き込むようになりました。そうしている内、そういえばこのドンヨリ感、随分前にも聴いていた様な気がするな...何だ...?、と思いはじめました。なかなか思い出せず梃子摺(てこず)ったのですが、彼(あれ)や是(これ)やと記憶の綱を手繰り寄せているうち、行き当たりました。そう、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」。
 彼らが代表する、ウェストコースト・ロックだけでなく、ロックそのもの、ひいてはアメリカの、甘美で華やかなドリームの終わりを告げた作品として解されるこの1976年リリース(ホント随分前だ)の一品。この名曲の、気だるいレゲエのリズムにのる物憂げなヴォーカルが、‘受け入れるのが運命だ。何時でもチェックアウトできるけれど、決してここを離れることはできない’と歌った後に続く、ツイン・ギターのソロの交錯(こうさく)。この終わりの無い混沌から生まれ出た、凋落と退廃が染み渡り、夢の終焉が始まったのでしょうか。
 三十数年前の「ホテル・カリフォルニア」に、1990年代以降のアメリカン・ヘヴィ・ミュージックの遠い根(或いは予告)を見るなど見当違いかもしれませんが、私には、富の亡者となり魂(スピリット)を失ったロック音楽(産業)或いは社会に対する諦めにも似た深い幻滅と、深い疲労感が両者に低通しているように感じられました。幻影でしょうか...?

 "IN UTERO"。タイトルの意は、「子宮の内に」。カートの願いそのものだった様にも思えます。彼を煩(わずら)わす全てのものを離れ、羊水の海洋でまどろんでいたいという。
 最後に残されたこの作品タイトルと、七ヶ月後の彼の運命を、バンド名と重ね合わせ、暗示的と見るのは、余りきれいに纏めすぎでしょうか。

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お気に入り度:♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭
重度:♭♭ 硬度:♭♭♭ 暗度:♭♭♭♭ 技巧度:♭♭ 旋律度:♭♭ ポップ度:♭♭
〔ニルヴァーナは1987年アメリカ、ワシントン州で結成。1991年2ndアルバム「ネヴァーマインド」が大ヒット(総売上は2011年時点で2,600万枚以上とか)、グランジのヒーローとなる。1994年4月のカート・コバーン(「コベイン」が正確とか)の自死を受け活動停止。カートは双極性障害(以前は躁鬱病と呼ばれていた)と薬物中毒で苦しんでいた。因みに、構想段階での本作タイトルは"I Hate Myself and I Want to Die"(私は私を憎む。私は死にたい)だったそうです。 official

*Nirvana(ニルヴァーナ.サンスクリットで「吹き消す、吹き消された」の意):仏教語で涅槃(ねはん)。理想とする悟りの境地。煩悩の火が吹き消され、一切の迷い、苦悩、束縛を離れ開放された安らぎの境地。転じて死(特にブッダ(釈迦)の)を表す
*メタルは嫌い:彼らがメタル嫌いだったのかどうか知りませんが、ハード・ロック色が濃い割りに私にはメタル色が感じられず、そうなのかな?と思うのです
*グランジ(Grunge):1990年代音楽界を席巻したロックの一ジャンル。ニルヴァーナ、パール・ジャムなどが代表。商業性など全否定するような汚い格好と内省的で暗い詞、また荒々しいサウンドなどが特徴。”グランジ”は「汚いもの」と言った意味。一般にオルタナティヴ・ロックの範疇とされる
*オルタナティヴ・ロック(Alternative Rock):商業主義的な既存ロック音楽への反動として生まれた音楽。
”オルタナティヴ”は「代替物、他の一方」と言った意味。アンダーグラウンドな性格を持つ。オルタナとも
*イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」:1976年12月発表(当時はパンク・ムーヴメント真っ只中.同年にセックス・ピストルズ(11月)やザ・クラッシュが結成されている)。アメリカン・ロックの代表的バンド、イーグルスの最高傑作アルバムのタイトル・ナンバー。当時日本でも大ヒット。美しいメロディーと暗喩に富む物語的な詞が特徴。歌詞は様々な解釈を生み話題になる。この曲を含めアルバム全体に斜陽感が漂っている
*スリップノット:アメリカ合衆国アイオア州出身の9人組ヘヴィ・ロック・バンド。'95年結成。メタル色は強いがサンプラーやパーカッションも入り単純には括れない独自の音楽性を持つ。メンバー各自日本人アーティスト製作のマスクを被っている
*マリリン・マンソン:アメリカ合衆国のロック・アーティスト。本名ブライアン・ヒュー・ワーナー。「マリリン・マンソン」はバンド名でもある。独自の世界観(特に反キリスト教のイメージは強い)を持ちカリスマ的存在
*ナイン・インチ・ネイルズ:トレント・レズナーを中心とするインダストリアル(工業的)・ロック・バンド(電子的加工を多用したスタイル)。暗鬱でノイジーなサウンドはピンク・フロイド的な内省的性格も持ち存在感は圧倒的。マリリン・マンソンの初期作品をプロデュースしている
*パール・ジャム:ワシントン州シアトル出身。ニルヴァーナと共にグランジ・ロックの代表的存在。サウンドは大分骨太で土臭い伝統的アメリカン・ロックの匂いが強く私的にはドンヨリ感は比較的薄い
*コーン:カリフォルニア出身のヘヴィ・ロック・バンド。ヴォーカルのジョナサン・デイヴィスのダークな世界観が強く出、音のみならずオーラがヘヴィ。ヒップ・ホップ的要素を取り入れるなど1990年代以降のヘヴィ・ロックの先駆け的存在

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・どうぶつ救援本部 http://doubutsukyuen.org/
・福島県動物救護本部 http://www.pref.fukushima.jp/eisei/saigai/kyuugoindex.htm
・東日本大震災東京都動物救援本部 http://www.tokyo-doubutsukyuen.org/
・Google Animal Finder(動物消息情報) http://japan.animal-finder.appspot.com/
・msnペットサーチ(被災ペットを探す・引取る) http://eastjapaneq.jp.msn.com/petsearch

MACHINE HEAD/DEEP PURPLE マシン・ヘッド/ディープ・パープル (1972) order
1972年リリース HR/HMの世界では、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルそしてブラック・サバスの三アーティストが「御三家」とも呼ばれ、ご意見は多々有るやも知れませんが、一般に最重要なルーツ的存在とされることが多い。クラシックでいえば、J.S.バッハモーツァルトそしてベートーヴェン。HR/HM、クラシック何れも、これら三者の作品を其れなりに聴き込めば、その応用で他のアーティスト、他の時代の作品も聴ける(理解できる)ようになる(と思う)ような存在。
 その御三家から、今回はディープ・パープル。

 私個人にとってですが、「ディープ・パープル」と言えば、「ライヴ・イン・ジャパン」(1972)。この歴史的ライヴ・アルバムが超大好き。演奏内容と言い音質と言い文句の付けようもない程、私個人にとっては名盤中の名盤。この「ライヴ・イン・ジャパン」の存在が大きすぎて、「マシン・ヘッド」の存在が薄い。「ライヴ・イン・ジャパン」は、「マシン・ヘッド」リリース後のツアーにおけるライヴですので、アルバム収録7曲中、核をなす4曲が「マシン・ヘッド」収録曲。有名な"ハイウェイ・スター"、誰でも知ってる"スモーク・オン・ザ・ウォーター"、一般的知名度は低いながらファンの間では非常に人気の高い"レイジー"、そして長いインプロヴィゼーション・プレイで会場全体がトランス状態となり、演奏が終了しても皆呆気にとられ拍手も起きない"スペース・トラッキン"。この何れもが、オリジナル録音盤とは比較ならないほどエキサイティングで、何者にも怯(ひる)まない(と思わせる様な)圧倒的迫力を醸し、存在感が半端ではない。テンポも速く、インプロヴィゼーション(即興)主体のソロ・プレイも長く且つスリリング。一度聴いてしまうと、オリジナル録音盤がなんとも温(ぬる)いものに感じられてしまい、二度と聴く気になれない。よって、私、可也永らく、「マシン・ヘッド」はご無沙汰しておりました。
 ところが、久しぶりに、本当に数年ぶりに虚心でもって拝聴したならば、あら不思議、「ライヴ・イン・ジャパン」の強烈な後光の影にくすんでいたこの作品が、全く持って異なる光彩を放って眼前にすっとお出まし。
 「ライヴ・イン・ジャパン」を聴き慣れた耳には、一聴線が細く地味にも思えますが、聴くほどに味が出てくるスルメさん。テクニック・アンサンブル・フィーリングが三位一体。心技体、知情意(知性・感情・意志)のバランスが絶妙。これを彼らの最高傑作と推す方も多いのが、納得される。確かに、「ライヴ・イン・ジャパン」の持つ、張り詰めた緊張感と聴く者を圧倒するかのような迫力等と言う点は、比較しようもないですが、各パート間の緊密さ、繊細さ等、ライヴァ・ヴァージョンとは異なる味わいが随所に感じられる。
 素晴らしい作品ではありませんか。今更ではありますが。
 今更と言えば、今回今更ながら改めて感じたことが一つあります。それは、ジョン・ロードの存在。ライヴではリッチーのギター(及びアクション)が目立ちますが、オリジナル録音盤ではこのジョンのオルガンが結構目立つ。第二期以降、音楽的にはリッチーがヘゲモニーを握っていても、矢張りバンドの精神的核はジョンなのか、と納得させてくれる、ソロ、バッキング共に堅実でどっしりと地に足着いた、バンドの屋台骨的存在感。イアン・ギランのヴォーカルが如何に咆哮しようと、イアン・ペイスのドラムが如何に華やかであろうと、ロジャー・グローヴァーが如何に優れたコンポーザーとしての能力を発揮しようと、ジョンと言う土台あってこそ映え、生きるもの、と思えてくるのです。リッチーがライヴで好き勝手暴れ捲くれるのも、ジョンというお釈迦様的存在あってこそと。
(1941年生まれのジョンは他メンバーより一寸年長(リッチー、イアン(ギラン)、ロジャーが1945年、イアン(ペイス)が1948年生まれ)ですから、長兄的存在だったのかもしれません)

 最後に、この作品誕生に纏(まつ)わるお話を。
 上で、「ライヴ・イン・ジャパン」とこの「マシン・ヘッド」を比較したときに、「マシン・ヘッド」をスタジオ盤、と書かず、オリジナル録音盤、と書いたのには意味があります。このアルバムは、スタジオ録音ではないのです。
 前作「ファイアーボール」(1971)録音時、イアン・ペイスはドラム・セットをスタジオ外の廊下に持ち出しレコーディング。これがなかなか良い効果があったということで、本作はスタジオ外で全パート録音ということとなりました。そこで決ったレコーディング場所が、スイスはモントルーにあるカジノ(「カジノ・ドゥ・モントルー」.イエスクィーンも使用)。ここで、ザ・ローリング・ストーンズより借りた移動録音機材を使用し、録音ということに相成ったのですが、バンドが待機中、カジノで行われていたフランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンションのライヴ中火災が発生し、レコーディングは不可能と言うことに(アルバム解説などには彼らの楽器が焼失したとの記述も)。困ったバンドですが、地元市長などの尽力で、ホテルのワンフロワーを借り(ホテル全体を借り切ったとの記述も)、何とかその廊下で録音(1972年12月6-21日)という運びとなりました(アルバム・ジャケット内に廊下での彼らの姿が写っている)。
 そう、このアルバムは、スタジオ盤ではなく、謂わば、ホテル(の廊下)盤、なのです。
 思わぬアクシデントから生まれた名作、とも言えるかもしれません。収録された彼らの代表曲、"スモーク・オン・ザ・ウォーター"はこのアクシデントをドキュメント風にほぼそのまま歌詞として綴ったもの。燃えるカジノから流れた煙が、レマン湖(ジュネーブ湖)の湖水上を流れる...、そう、♪スモーク・オン・ザ・ウォーター ファイアー・イン・ザ・スカイ♪
 バンドとして不可抗力ともいえる困難な事態の中で、このアルバムのような完成度の高い精緻な作品を産み出すことが出来たというのは、当時の彼らが音楽的に非常に充実した状態にあったという証(あかし)かもしれません。大きなアクシデントも呑み込んでしまう程の力、彼ら自身でもコントロールできないような何ものかを、彼ら自身が持ち始めていたのでしょうか。バンドはこの後、過酷なツアー・スケジュール等から疲労・不満を蓄積させ、メンバー間の不仲は修復不能となり、本作品リリースから一年数ヶ月後の1973年6月、イアン・ギランとロジャー・グローヴァーは脱退。バンドは新メンバー(デヴィッド・カヴァーデイル、グレン・ヒューズ)を向かえ、第三期へと突入することとなります。

   *   *   *   *   *   *

 前回の「マタイ受難曲」で書きましたように、暫(しばら)く聴くことができなかった、ヘヴィ・メタルもハード・ロックも(モーツァルトも)、この様に最近、漸(ようや)くと普通に聴けるようになりました。バッハ&ベートーヴェン漬けとなっていた私の音楽生活は、旧に復した感があります。CDを借りる為の図書館廻りも、何時の間にやら復活しております。
 併し、被災地では原発事故周辺地域も含め、生活が旧に復すには、まだまだ多くの月日を必要とする状況です。多くの方が、展望の利かない日々の中にあり、将来に対し大きな不安を抱え、暮らしておられるのが、現状と思います。
 でも、今年も8月を向かえ、この様にも思うのです。
 今より六十数年の前、日本各地の多くの都市が、広島・長崎含め空爆により(沖縄は地上戦により)、現在の東北太平洋沿岸各地の様な状況となりました。それを思い、今の日本の姿を見れば、そこに、人間の大きな力を感じます。人間は、その気になれば、相当なことが出来ます。ベクトルの方向さえ間違えなければ、ですが。
 この8月、六日、九日、そして十五日、一寸何時もと違った思いで迎えます。

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参考:
・マリンネット東日本大震災義援金募集情報 http://www.marine.ne.jp/staff/shinsai/
・緊急災害時動物救援本部 http://www.jpc.or.jp/saigai/
・岩手県獣医師会 http://ivma.jp/
・宮城県獣医師会 http://miyaju.jp/
・仙台市獣医師会 http://www.svma.or.jp/
・福島県獣医師会 http://www.fva.or.jp/
・福島県動物救護本部 http://www.pref.fukushima.jp/eisei/saigai/kyuugoindex.htm
・茨城県獣医師会 http://www.ibajyuu.com/
・Google Animal Finder(動物消息情報) http://japan.animal-finder.appspot.com/
・msnペットサーチ(被災ペットを探す・引取る) http://eastjapaneq.jp.msn.com/petsearch
・福島第一原発警戒区域内被災動物救護緊急提言 http://freepets.jp/

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お気に入り度:♭♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭ 暗度:♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭♭
〔先に「ライヴ・イン・ジャパン」を聴いてしまうと、そのハイ・テンション、ハイ・ヴォルテージに耳が眩み本作の良さが感じられ難くなってしまうので、出来得れば此方を先にお聴き下さい official

*マシン・ヘッド:弦楽器のヘッドに取り付けられる歯車で構成された「糸巻き」。ギター、ウクレレ、コントラバス等に搭載。ヴァイオリンや三味線にはない(歯車が使用されていない)。本作裏ジャケットにベースのマシン・ヘッドが写っています。因みにジャケット・デザインはロジャー・グローヴァーとマネージャーのジョン・コレッタ
*ライヴ・イン・ジャパン:元来日本国内のみのリリースで、日本製機材でレコーディングされた。バンド側は当初製作に余り乗り気ではなかったそうですが、その出来の良さと海外での評判の高さから「メイド・イン・ジャパン」とタイトル変更しリリース。その際ジャケットも日本側デザインによるものからロジャー・グローヴァーによるデザインのものに変更された
*第二期:ジョン・ロード(key)、イアン・ギラン(vo)、ロジャー・グローヴァー(b)、リッチー・ブラックモア(g)、イアン・ペイス(ds)の編成による1969年から1973年までの期間を指す。ハード路線へとサウンド転換し招来した最強メンバーによるバンドの最盛期(と私は考える)。ディープ・パープルの代表作の多くはこの時期のもの(「ディープ・パープル・イン・ロック」「マシン・ヘッド」「ライヴ・イン・ジャパン」)。本作は第二期の4作目(バンドとしては7作目)
*モントルー:スイス南西部標高三百数十mの地に有るリゾートとしても有名な自治体。上に登場したカジノのスタジオ(マウンテン・スタジオ)はのちアルバム「ジャズ」のレコーディングを機にクイーンが所有(1978年から1991年まで.レマン湖畔にはフレディ・マーキュリーの銅像が有る)
*フランク・ザッパ(1940-1993):アメリカのロック・ミュージシャン。60枚以上のアルバムをリリースしバンドからは多くの有能ミュージシャンを輩出(済みません、私には語れるものがありません)
*空爆:66都市が対象となり死者は40〜50万人。沿岸の一部都市は艦砲射撃も受けた

Passio secundum Matthaeum BWV 244/Johann Sebastian Bach マタイ受難曲 BWV244/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ order
リヒター1958年盤 レオンハルト盤
 自粛などする気は更々ない、被災地を想えば、お洒落もイヴェントも旅行もカラオケも合コン(?)も普段通りにやって、経済の停滞を招かぬようにするのが肝要、遊ぶのも楽しむのも、決して不謹慎なことではない。こうした時だからこそ、非被災者は元気に活動して、社会全体を押し上げなくっちゃ。と、頭では思ってみても、実際は、三月の十一日、東日本大震災発生以降、暫くの間、とてもイヴェントや行楽を楽しむ気にはなれなかった、生活パターンが一寸変わって以前より大人しくなったよ、いう方は多いかもしれません。
 何も疑うことなく受け入れていた日常が、一瞬と言っても良い短い時間のうちに、根こそぎ崩壊してしまうという現実を眼前に突きつけられ、被災地の惨状、被災した方々、或いは動物達のおかれた厳しい状況を伝える報道に日々接し、また原発事故の深刻さに不安が時々刻々心底に染み込んでくるような毎日。それらから受ける衝撃の強さ深さに、ショッピングを楽しんだり、外食や旅行に出掛けたりする気には、なかなかなれなかったというのは、多くの方々の正直な気持ちだったのではないでしょうか。或いは無事であることに罪悪感を抱き、或いは何かしたいけれど何も出来ないという無力感に囚われ、消費や娯楽を楽しむ気にはなれなかった、そういう方も多かったかも知れません。
 四月付けの「北の離れ」にも書きましたが、私も震災発生以降、暫く大人しくなっていました。と言っても、元来、外食もせず、合コンもせず、カラオケも行かず、お酒も飲まず、デートにもイヴェントにもドライヴにも旅行にも一切出掛けない身(詰らんヤツと思うなかれ)、その辺は普段通りで大して変化はなかったのですが、音楽生活が大分と大人しくなっていました。
 何事にも醒め、情の薄い、「冷血人間」の私(手足も冷たい(冷え性))ですが、多くの方々同様、震災に深い衝撃を受け、三月十一日以降、聴く音楽が限られたものになってしまいました。音楽は常にPCのメディアプレイヤーで聴いているのですが、明るい楽曲、元気の良い楽曲、軽快な楽曲をクリックすることがなくなり、重い暗色の楽曲ばかりが選択されるようになりました。
 聴くカテゴリーは通常と変わらずクラシックが大半なのですが、偶には聴くヘヴィ・メタル、ハード・ロックは全く聴く気にならない。クラシックもモーツァルト等は選択されず、気付けば毎日9割方がベートーヴェンとバッハ。それも、ベートーヴェンで言えば、ピアノ協奏曲第3番、ヴァイオリン・ソナタ第7番、序曲《コリオラン》等、バッハでは、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1・2番、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1・2番、無伴奏チェロ組曲第2・5番、ミサ曲ロ短調、マタイ受難曲等のダーク系。残り1割程は、バルトークとショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲という「超」の付くダーク系。通常なら、気が滅入って元気な人も鬱ってしまいそうな「ヘヴィ」なローテーションですが、自然とこうなり、電力不足の為暗く寒い部屋の中で、PCに向かい仕事しながら、こんな音楽ばかり聴いていました。余程精神が深い淵に落ち込み没入していたのでしょうね。
 そんな日々の中、最も心に響き、深く胸に喰い入ったのが、今回取上げた、カール・リヒター指揮(1958)による、バッハのマタイ受難曲でした。一時は、この曲と、津波或いは破壊された市街の映像がリンクしてしまい、映像を見ればこの曲が頭の中に流れ、この曲を聴けば震災の映像が脳裏に浮かぶ、と言う状態になっていました。

 バッハ(ヨハン・ゼバスティアン(1685-1750))作曲のマタイ受難曲(BWV244)(正式名「福音史家マタイによるわれらが主イエス・キリストの受難」)。新約聖書「マタイによる福音書」第26・27章に記された、イエス受難の物語を基に、ピカンダーによる台本で構成された、謂わば宗教的なオペラ。今回取上げたカール・リヒター指揮による1958年盤では全78曲(新バッハ全集によるものは68曲)、三時間超の大作。作曲されたのは、バッハがライプツィヒの聖トーマス教会で音楽監督を勤めていた時代(1723-1750)(最終稿は1736年)で、受難週に演奏されるため作曲されました。初演は1727年4月11日(聖トーマス教会)(その後何度か再演されるがバッハ死後は長く忘れられ、1829年3月11日、当時二十歳のメンデルスゾーンにより蘇奏(ベルリン)されるまでは、本格的に演奏されることはなかった)。
 演奏の編成は、二組の混声合唱、少年合唱、及びソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱(其々の人数は録音により異なる)と二組のオーケストラ及びオルガン(或いはチェンバロ)と言う可也大きなもの。
 作中、登場するのは、福音史家(エヴァンゲリスト)、イエス、イエスの弟子ユダとペトロ、イエスを告発する祭司長や法律学者、ローマ総督ピラト、その他。ナレーター役である福音史家のレチタティーヴォ(叙唱・朗唱)で、物語は進行されて行きます。構成は、プロローグの合唱に始まり、受難の予言からユダの裏切り、最後の晩餐、復活の予言、イエスの捕縛までを描く第一部と、イエスの裁判、ペテロの否認、ユダの自死、判決、十字架の磔刑(たっけい)、イエスの死と埋葬までを描き、合唱で終結する第二部による。歌詞は聖書の記述を引用したもの(聖句)、ピカンダーによる自由詞及び既存のコラール(ルター派教会の賛美歌)。演奏の編成も含め、結構に複雑な構造を持った作品です。
 この作品、主役は当然イエスなのですが、出番は少ないながら結構目立つのはイエスの弟子達(ユダ、ペテロ)。イエスを裏切り、偽り、保身を図り、赦しを請う、失礼ながら如何しょうもないお弟子さん。イエスの崇高さ偉大さを際立たせる為、その対比として斯うした描き方をしている部分も多分に有るのでしょうけれど、この脇の方々が私には主役にも見えてくる。人間の弱さの象徴として登場しているように思える。イエスは人間の持つ神性・神的部分の象徴でしょうか。
 まぁ、私の捉え方はおいといて、こうした人々、イエスや弟子達他イエスを取り巻く様々な人々を通して描かれる人間ドラマが、「マタイ」。全編苦悩や嘆きまた慟哭に満ち、また深刻で悲壮感漂い、これでもかと、メタル馬鹿な私の胸に喰い入る。アルトが切々と歌い上げる第10(6)曲のアリア「悔いの悲しみは」、ヴァイオリンが泣いている第47(39)曲のアリア「憐れみたまえ、わが神よ」、そしてチェロ(オリジナルはヴィオラ・ダ・ガンバ)が余りに哀しい第66(57)曲のアリア「来たれ、甘き十字架」の三曲は、私的にこの作品の白眉(括弧内数字は新バッハ全集での番号)。この他にも、美しい旋律が各場面に鏤(ちりば)められ、メタラー以外の方には解りにくい喩(たと)えかもしれませんが、一寸北欧系メロディック・デス・メタルなど髣髴とさせる。またその重厚さは、同じ独逸音楽という辺りからか、ジャーマン系メタルのにほいも醸す。
 「重い・暗い」が大好物なヘヴィ系音楽フリークには、是非共に聴いて頂きたい。現在主流である古楽器系の代表的なアルバムの一つ、淡々と進行しくすんだ色合い、渋い味わいのグスタフ・レオンハルト指揮盤(1990)(時間も短く2.5時間程.此方は此方で好き)に比し、リヒター盤はやや前時代的に大仰で絶叫調な感があり、その辺り批判もされていますが、メタル馬鹿なメタル耳にはそれが馴染み易く心地良かったりする。きっと心の深いところに、ガッツン来ますよ。
 ただ、この「マタイ」、300年に近い歳月を超え、無数の人々の心を捉え西洋音楽の最高峰とも謳われるもの。「重い・暗い」だけでは当然ない。聴き終えた後は何とはなく、心を癒し浮揚させてくれる様な何ものかを持っている。
 「何ものか」とは何なのでしょう。メタル馬鹿の私見では有りますが、思うに、一つはイエスに象徴された総てに対する「赦(ゆる)し」でしょうか。人間とは小さく弱い存在だ。でも、良いんだよ、それで。それが人間だよ、嘆きなさんな。と言った。もう一つは何でしょう。「希望」でしょうか。この作品で描かれているのは、イエスの埋葬までですが、物語としては、3日後の復活へと続きます。それを醸してか、それまでの重くダークなにほいとは異なり、エンディングは穏やかに光射す趣(おもむき)。その辺りから、人間は小さく弱いよ、でもね、努力次第で強くもなれるんだよ、と言った前向きにさせてくれる雰囲気を持っているように、私には聴ける。イエスを裏切り、保身のため偽る「主役」一番弟子ペテロは、のち信仰を守り殉教したとの話も伝わる(ペトロ行伝)。最もバッハが描きたかったのは、もしかしたらこの辺りだったのかなぁ、とも思える。
 私は、キリスト教に限らず、信仰とは無縁の身です。信仰を持つ方とはこの作品に対する理解の仕方は自ずと異なるでしょうし、理解の深さも異なるかもしれません。でも、この作品に私の心は鋭敏に反応し共鳴します。「深い感動」と言う正直余り用いたくはない安易に使いまわされている言葉も、素直に使えそうな気もします。信仰の有無を超越するもの、人間の心の底流に強く訴え掛けるものを、この作品は持っているということなのでしょう。

 宗教音楽ということで、取っ付き難い感はあると思います。信仰がないと解んないんじゃないの、キリスト教やプロテスタント或いは教会音楽の知識なんかないからなぁ、と。確かに、信仰やキリスト教に関わる知識があって邪魔になる訳は無く、より理解が深まる助けにはなると思います。ですが、上記のように、信仰の有無を問わない、懐の深さまた普遍性をもった作品です。「人間」の音楽として、或いは単純に一つの優れた芸術作品として、十分楽しみ堪能できると思います。
 人間如何に生くべきか、世界とは、或いは自分とは何か?と、常に頭の何処かで自問しているような方なら、きっと何かを感じられると思います。

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参考:
・マリンネット東日本大震災義援金募集情報 http://www.marine.ne.jp/staff/shinsai/
・緊急災害時動物救援本部 http://www.jpc.or.jp/saigai/
・岩手県獣医師会 http://ivma.jp/
・宮城県獣医師会 http://miyaju.jp/
・仙台市獣医師会 http://www.svma.or.jp/
・福島県獣医師会 http://www.fva.or.jp/
・福島県動物救護本部 http://www.pref.fukushima.jp/eisei/saigai/kyuugoindex.htm
・茨城県獣医師会 http://www.ibajyuu.com/
・Google Animal Finder(動物消息情報) http://japan.animal-finder.appspot.com/
・msnペットサーチ(被災ペットを探す・引取る) http://eastjapaneq.jp.msn.com/petsearch
・福島第一原発警戒区域内被災動物救護緊急提言 http://freepets.jp/

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〔今回取上げたものは、カール・リヒター(1926-1981)指揮、エルンスト・ヘフリガー、キート・エンゲン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ミュンヘン・バッハ管弦楽団、ミュンヘン・バッハ合唱団、ミュンヘン少年合唱団他による、歴史的名盤の誉れ高い1958年6-8月ミュンヘンでの録音盤(左画像)。リヒターは1969年(日本でのライヴ)、1971年(映像)及び1979年にも同曲を録音している。右画像は上記にも有る、グスタフ・レオンハルト指揮、ラ・プティット・バンド、テルツ少年合唱団他による1989年3月1-8日オランダでの録音盤〕

*ピカンダー:ピカンダー(カササギ(カラス科の鳥)男)はペンネームで本名はクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ(1700-1764)。バッハとは長年の相方で多くのカンタータ(オーケストラ伴奏の声楽曲.宗教的な教会カンタータとそれ以外の世俗カンタータに大別される.バッハには≒200の教会カンタータと≒20の世俗カンタータが知られている)の歌詞を手がけている
*メンデルスゾーンによる復活上演:カール・フィリップ・エマニエル・バッハによる断片的演奏はあったが、纏まった形での演奏はメンデルスゾーンまでなかった。この演奏は完全な再現ではなく聴衆に受け入れてもらい安くする為部分的カットや使用楽器及びオーケストラ編成の変更(19世紀当時の形に)されるなどあった。尚この演奏会は恵まれない少女達の裁縫学校設立のための慈善公演として行われた。
因みに、メンデルスゾーンは14歳の誕生日に祖母からマタイ受難曲の楽譜をプレゼントされたのだそう。祖母の妹はバッハの長男(ヴィルヘルム・フリーデマン)・次男(カール・フィリップ・エマニエル)の弟子とか
*マタイによる福音書(Evangel):新約聖書にある、使徒(イエスの12人の高弟)マタイ(Matthaios)(元収税人.カラヴァッジオ(1592-1602)による「聖マタイの召命」で有名)により記述されたイエスの言行録。他に、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書がある。マタイ伝とも
*イエス(紀元前4年頃-30年頃):ナザレ(イスラエル北部の街.新約聖書にイエスはナザレの人との記述がある)のイエス。紀元1世紀初頭パレスチナで活動。「イエス・キリスト」は、救世主たるイエスの意(この呼称を用いること自体が信仰を表すことになる)
*ユダ(Judah):イスカリオテ(カリオテの人)のユダ。使徒の一人。イエスを裏切りユダヤの祭司達に引き渡したため裏切り者の代名詞とされることが多い。代表的ヘヴィ・メタル・バンド、ジューダス・プリーストの名は彼に由来
*ペテロ(Peter):シモン・ペテロ。使徒のリーダー的存在。ペテロ行伝は新約聖書の外典(聖書の正典から除外された文書)の一つ
*古楽器系:主に中世・ルネッサンス・バロック期から古典派初期頃までの様式に基づいている楽器である「古楽器(ピリオド楽器、オリジナル楽器)」を使用し、作曲当時の奏法、編成等の歴史的考証に基づき演奏された作品や演奏するアーティストを指す。古楽系(派)とも。現在、バロック音楽またそれ以前の音楽では古楽器による演奏が主流。合唱等も、取上げたリヒター盤では混声でソプラノは女声だが、古楽器系では当時の編成に倣い少年合唱、ボーイ・ソプラノで行われる場合もある(グスタフ・レオンハルト指揮盤等)(参考
*ヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da gamba):ヴァイオリン族(ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕))とは異なる系統の弦楽器。種々のサイズがありバス(一般にヴィオラ・ダ・ガンバと言えばバスを指す)はチェロに似る。脚(ガンバ)に挟んで弓で弾く。6弦でギターのようにフレット(可動)が有る。バロック期には盛んに使用されたが後衰退。現在は「古楽器」の代表的存在として愛好されている
*BWV(Bach Werke Verzeichnis):ヴォルフガング・シュミーダーによるバッハ作品分類の為の目録番号
*ルター派:マルティン・ルターに始まるプロテスタント最大教派
*受難週:復活祭直前の一週間(カトリックでは聖週間)。イエスの受難を記念する行事を行う。この週の金曜日が受難日とも呼ばれる聖金曜日で、この日に受難曲を演奏する場合が多く、このマタイ受難曲の初演も聖金曜日とか
*ライプツィヒ:ザクセン州の都市。バッハは聖トーマス教会の音楽監督(トーマスカントル)と同時にライプツィヒ市音楽監督も務めた。この時代の代表曲としては他に、ゴルトベルク変奏曲(BWV988)、多くのカンタータ、クラヴィーア(オルガン以外の鍵盤楽器)協奏曲、平均律クラヴィーア曲集第2巻等がある
*北欧系メロディック・デス・メタル、ジャーマン系メタル:前者はIN FLAMSDARK TRANQUILLITYARCH ENEMYAMOROHIS等独特の透明感ある暗さと慟哭の美旋律が特徴、後者はSCORPIONSACCEPTHELLOWEENBLIND GUARDIAN等親しみやすいメロディと暑苦しいまでの濃厚さが特徴(どちらもあくまで全体的な傾向です)

FORBIDDEN EVIL/FORBIDDEN フォビドゥン・イーヴル/フォビドゥン (1988) order
赤青の髑髏、がっぷり四つ 「Forbidden」。インターネット利用者なら、確実に何度か目にしている御馴染みの言葉ですよね。「403」と頭に付いて、そのURL或いはサーバーにアクセスを拒否されたことを示していますが、一般的な言葉の意味としては、「禁じられた、禁制の、禁断の」といったもの。一寸アヤシイ感じがします。アダム君とイヴさんが食べちゃったのは、「Forbidden fruit=禁断の木の実」ですものね。
 今回ご紹介の「FORBIDDEN」は、余りアヤシクはない。どちらかと言えば明解・爽快。メタル・バンドですから、勿論それなりの翳(かげ)りも湿りも持ち合わせていますが、取上げたこのデビュー作はやや乾燥気味。大分と落ち着き纏まりが生まれ、正統なメタル・サウンドにやや近づいた感のある次作「Twisted into Form」(1990)などは、翳りが深まり湿っぽく夜の闇が似合いそうですが、此方はどちらかと言えば、総てを焼き尽くすが如き強烈な日射が似合いそう。

 フォビドゥンは、エクソダスはじめ、優れて個性的且つハイ・クオリティなスラッシュ・バンドを輩出した事で有名な、ベイ・エリアの出身。1985年に結成(当初のバンド名はFRBIDDEN EVIL)され、1997年に解散。ベイ・エリアに限らず、メタリカメガデススレイヤー、アンスラックス等など、個性豊かなバンド犇(ひし)めく当時のスラッシュ・メタル界の中でも、このフォビドゥン、ハイ・トーンのヴォーカル(ラス・アンダーソン)が結構に歌い上げるという、正統派メタルを髣髴させるスタイルで可也個性的。歌い上げるとは言っても、そこはスラッシュ、縦ノリサウンドに乗って早口に吐き捨てるのが基本で、それをベースに、時に高音でシャウトし朗々とヴィブラートを響かせるといった形。でも、「スラッシュ化したアイアン・メイデン」と言う評があったらしいですが、確かに言い得て妙。バトルするツイン・リード・ギターもブリブリと駆け回るベースも言われてみれば、一寸メイデンっぽい。

 今回紹介するこの彼らの1stアルバムですが、最大の特徴は何と言っても、ゴリゴリガリガリと凄まじい、削岩機の如き突進力。金属と鉱物がぶつかり合う硬質感を撒き散らし、結構に重く、結構に速い。
 と言って、無闇矢鱈の突っ走りに終始している訳ではない。その突進を生むプリミティブな衝動の横溢(おういつ)を、上手く破綻一歩手前で食い止めている、ハイ・テクニカルな演奏力と緩急自在の構成力を持ち合わせている。この二つの力で、多くデビュー作に見られる、アイデアを力任せに詰め込んで、統一感を失い聴き難くさせてしまうと言うパターンを(一寸失礼な言い方かもしれませんが)紙一重で免れています。しかもその紙一重感が、スリリングな緊張感となり、作品を引き締めている。一般に、次作2ndが名盤とされることが多いのですが、いやいや、この1stも可也の名盤と御見受け致す。
 この作品、テクニカルな演奏や複雑な曲構成(といっても、所謂「テクニカル・メタル」とは異なる)など聴き所は多いと思いますが、個人的な聴き所は、ポール・ボスタフのドラム。彼のプレイが、上に書いた突進力を生むパワフル・エンジンとなり且つ破綻を食い止めている中心になっているのではないでしょうか(私見ですが)。スピード、テクニックそしてパワー。メタル・ドラムに求められる三大要素を可也のハイ・レベルで満たしています。なかなか三つ総てを満たす人物は居りませんよ。少々荒っぽくはありますが、手数・足数多く、又単調にならない豊かなフレージングを持ち合わせている。こう書くと、派手なだけでは...とも思われるかもしれませんが、如何して、グラウンド全体を冷静に掌握しているキャッチャーの如き安定感も、そこはかとなくではありますが醸しています。のち(1992年)”超人”ドラマー、デイヴ・ロンバードの後任としてスレイヤーに迎え入れられたのも、納得。

 荒削りな岩片がこれでもかと、疾風の如く聴覚野に吹き付ける...。テクニカルな名曲"Through Eyes of Glass"及び高音シャウトとツイン・ギター・サウンドも暑苦しい(誉め言葉です)タイトル・ナンバー"Forbidden Evil"と続く辺り、白眉(はくび)。
 完成度の高さや深みをお求めなら、2ndをお勧めしますが、灼熱エナジーの暴走をお求めなら是非、この1stを。

 '11 1/13

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お気に入り度:♭♭♭♭ ビギナーお薦め度:♭♭♭♭
重度:♭♭♭ 硬度:♭♭♭♭ 暗度:♭♭ 技巧度:♭♭♭♭ 旋律度:♭♭♭ ポップ度:♭♭
〔昨年13年ぶりに復活しアルバム発表〕

*ベイ・エリア:一般に、サンフランシスコ湾周辺地帯を指す。米国有数の都市圏。1980年代多くの優秀なスラッシュ・メタル・バンドが生まれ、「ベイ・エリア・スラッシュ」の名を生んだ。フォビドゥンの他には、テスタメント、デス・エンジェル、ヴァイオレンス、エクソダス等が活躍
*エクソダス:メタリカ、スレイヤー等と同様スラッシュ・メタル黎明期(1980年代初頭)から活動し、後続に大きな影響を与えた、ベイ・エリア・スラッシュを代表するバンド。ただ残念ながら商業的には恵まれなかった。メタリカのカーク・ハメット(g)はこのバンドの創立メンバー。何処かカラッとしたAC/DC的明るさ(おバカ(悪口ではない))が魅力
*スラッシュ(thrash):鞭打つ、強く叩く、打ちのめす等の意。1980年代後半メタル界を席捲した、従来のものより激しさとスピードを追求したメタルを「スラッシュ・メタル」と呼んだ。メタル元来の構築美・展開美にパンク的アグレッションを併せ持つ。当時は何よりも過激な音楽で、後のデス・メタルに多大な影響を与えた
*テクニカル・メタル:高度な演奏技術や複雑な曲構成また幅広い音楽性などを前面に押し出したスタイル。ジャンルにより、テクニカル・スラッシュ、テクニカル・デス等とも呼ばれる。バンドとしては、ドリーム・シアターメコンデルタウォッチ・タワーシニックメシュガーデス等など
*聴覚野:聴覚情報(音)情報の処理を司る脳の領域。一次、二次、三次に分かれ、一次は音の高さや音量を識別、二次はメロディやハーモニーを処理し、三次で総てを音楽的に統合するのだそうな

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