MYSTIC RHYTHMS

Fe塔 その十

送電鉄塔の鉄美  profile

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睦月三十日  歴史的建造物
 延長される東京八王子線(都市計画道路)にかかりそうな、国分寺線37号。状況はどう変化したのかと、先月末に訪ねてみた。
 したらば、この様な状況となっていた。

国分寺線37号
国分寺線37号下
(2017年1月)

 周囲には杭がうち込まれ針金が張り巡らされ、立入禁止となっていた。

 昨年末に寄ったときには、周囲にはもう、ほぼ何も無い状態ではあり、

国分寺線37号 国分寺線37号
国分寺線37号周囲
(2016年12月)

37号の影が遮られることも無く、北へと伸びていた。

国分寺線37号
国分寺線37号下
(2016年12月)

 しかし、周囲に何もないと同時に、鉄塔敷周囲にも何もなく、結界はフリーであった。確認したが「立入禁止」的な表示は全く無かった。

国分寺線37号 国分寺線37号

国分寺線37号
国分寺線37号
(2016年12月)

 下は、東西南北(左上、右上、左下、右下の順)各面直下からの絵。

国分寺線37号 国分寺線37号

国分寺線37号 国分寺線37号
国分寺線37号
(2016年12月)

 ほんの束の間の開放であった。

国分寺線37号
国分寺線37号(昭和42年9月 36m)
(2016年12月)

 東京都建設局の測量説明会用の資料(pdf)にある地図を見れば、お隣、コカ・◯ーラ鉄塔38号は、ぎりぎり残りそうではあるが、

国分寺線38号 国分寺線38号

国分寺線38号
38号
(2017年1月)
向こうは国分寺線34号

やはり、37号は赤く塗られた道路予定地にピッタリと重なっている。都道17号線(新府中街道。甲州街道以北は18号から17号に変わる)を東北東から西南西へと越えた都道14号線(東八道路)が、南南西へと屈曲する丁度そこに、37号は在るのだ。
 撤去・・・なのか。

国分寺線37号 国分寺線37号

国分寺線37号 国分寺線37号
国分寺線37号
(2017年1月)
小プレートは浮き彫りタイプ

 三分岐巨大鉄塔36号とのツー・ショットも、もう、見納めであろうか。

国分寺線37号と36号

国分寺線37号と36号
国分寺線37号と36号
(2017年1月)

 37号は、左右回線を入れ替える、希少な変則鉄塔。建替えるなら、お隣にでもスペース確保して保存してもらえないものであろうか。
 送電鉄塔を歴史的建造物として保存するなど、未だ嘗て聞いたことは無いが、有っても良くはないか。竣功から丁度今年で50年経過するし(建設は1967年)。

 歴史的建造物、となると、そこには地域住民の精神的な部分における存在感の様なものの有無が問われる。謂わば、精神的共有財産と呼べるかどうかだ。しかし、こう考えると、多くの人々の意識にも上らないようなものや或いは「邪魔」と位置づけられているようなもの、詰まりは、送電鉄塔などは、歴史的建造物と捉えるのは、無理、となるか。

国分寺線37号
国分寺線37号
(2016年12月)

 古鉄塔等、ただの錆びた鉄骨の集合体で、価値無きものと、多くの方はお思いであろう。しかし、長年我々に電気を送る送電線を支えて来たもの、また農地と低層住宅の混淆する東京郊外の景観構成に重要な要素として存在し続けて来たものである。其処に何らかの価値を見出せないであろうか。
 古いもの=不効率≒無価値、という公式が成立しがちな世の中だけれども、効率ばかりが全てではなかろう。もし効率(或いは有用性や経済性)が全てであるとすれば、なんとつまらぬ世の中であろう。

2017 1/30

*東京八王子線:三鷹市−八王子市を結ぶ約32.2kmの幹線道路。この一部が都道14号(東八道路)。37号にかかるのは府中都市計画道路3・2・2の2号東京八王子線部分(幅39m)。なぜこうも道路ばかりが作られるのであろうか
*50年:東京都の景観条例の基づく歴史的建造物の選定基準の一つは、建設から50年経過していることである

・この鉄塔の最寄り駅は、JR武蔵野線北府中駅

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睦月二十八日  小金井公園 II
 東に全国的知名度を得ることのなかった中富線の56号を望み、そのままに西を向けば、此方は或る意味全国的知名度を得ているオカサカ(岡部境線)の142号である。

岡部境線142号 岡部境線142号
岡部境線142号(建設昭和14年11月 補修平成7年1月)

 この鉄塔は木立に囲まれ、全身を拝むことは叶わぬのだが、その分、終わりかけとは言い、黄葉に包まれた直下から仰ぐ姿は他には味わえぬ風情だ。

岡部境線142号

岡部境線142号
142号

 オカサカ線の鉄塔は、角無し(105号他)や二本角(143号他)など幾つかのタイプに分かれるが、私が最も好きなのは、126号132号他の様な一本角の昭和14年オリジナルタイプだ。私の知る限り、腕金が上から下へと徐々に長くなり「末広がり」となっているのがオカサカすべての共通点だが、その腕金の中央、つまり第二腕金の付け根下部付近のベンド点(ベンドは曲げるの意)から上がほぼ直線で構成されているのが、このタイプの特徴だ。この絶妙な角度変化が私の琴線には響くのだ。
 ところが、同じ一本角でも、この142号の様に平成時代に「補修」された鉄塔の幾つかはこの鉄塔上部の角度変化が少ないのだ。元来一本角で変化の少ないデザインなので、何処かメリハリのなさが感じられるようになってしまい、実は、個人的にはあまり魅力を感じられないのである。
 前回「I」で触れたように、「鉄塔 武蔵野線」作者の銀林さんが、改修後のデザインが変わった中富線に魅力を感じることが出来なかったと言うお気持ちは、私も、分かる気がするのだ。

 「鉄塔 武蔵野線」が出たところで、今回も少しそれについて触れたい。これもソフ○バンク文庫版巻末掲載の解説によるものである。

 作者の銀林さんが或る時、気晴らしに出掛けたサイクリングの休憩で入った喫茶店の窓から見える鉄塔を眺めるうち、ふと、一基づつ鉄塔を辿ったら何処へ行くのだろう?と思いつかれた。そして、喫茶店を出、鉄塔下へ行ってみると、そこには「中富線106」と書かれた番号札があった。
 そこで初めて、送電線に名称があり、各鉄塔に番号が振られているという事を知った銀林さんは、思い立つままに「1」方向、詰まり若番側へと順に、「新しい宝探し」のような気持で鉄塔を追いかけた。そしてその中で、見慣れた郊外風景が未知の領域として再認識される「刺激的な体験」を味わい、送電線路を辿る内容とすれば、鉄塔小説が書けるのではないか、と考え着いた、のだそうだ。
 このとき、銀林さんがサイクリングに出掛けた先、銀林さんが見た「中富線106」が建つ場所、そここそ、小金井公園であったのだ。
 鉄塔者にとり特別な存在である「鉄塔 武蔵野線」の誕生に、この小金井公園は、少なからぬ関りを持っていたのである。

 こうした事柄を知ってみると、しょっちゅう自転車で公園内を走っていながら、古い建物ばかりに気をとられ(江戸東京たてもの園があるのだ)正直今まであまり意識していなかった園内鉄塔群、急に気になる存在に思えてくるから、面白いものだ。
 機会があれば、この後も、園内の鉄塔をご紹介させて頂こう。

 最後に、少し。
 話は鉄塔から離れるが、児童公園入り口などに良く見掛ける「ピコリーノ」。皆さんもご存知ですよね、あのスズメが四羽止まっている車止め。
 小金井公園とある場所、ここには、何方かがお作りになったカワイイ衣装を着せてもらった、ピコリーノ雀がいましたよ。

小金井公園のピコリーノ

小金井公園のピコリーノ
メーカーさんによると、「小鳥」であって、
スズメということではないらしい

 この子たち、何度か見ているはずだが、どうも今まで衣装の印象が無い。最近着せてもらったの?それとも冬場だけ、着せてもらっているの?

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/28
(取材は昨11月下旬)

*全国的知名度:中富線は一歩の違いで「鉄塔 中富線」となることがなかった。岡部境線は「となりのトトロ」に登場した送電線のモデルではないかとされ「ネコバス送電線」として一部で知られている
*ピコリーノ:株式会社サンポールさん製造販売。誕生は1980年。名称はイタリア語で「小さな」の意を表すpiccolinoに由来するとか
*中富線106号:現在の106号は千歳変電所に建つ中富線最終鉄塔である。文中の106号は、赤坂開閉所で旭ヶ丘線と分割される以前の旧番号である。これが現在園内に建つ54、55、56号中の何れに当たるのかは不明である

・この鉄塔の最寄り駅は、西武新宿線花小金井駅

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睦月二十七日  小金井公園 I
 神武天皇即位紀元2600年(昭和15年。1940年)記念事業の一環として計画された「小金井大緑地」を前身とする、東京郊外多摩北部の都立小金井公園。この、小金井市と小平市などに跨る凡そ80haの広大なる公園内には、中富線と岡部境線の、二つの路線が並走している。公園の東半部を北西から南東方向へと、ごく大まかに言って平行に並んでいる。
 岡部境線は139号から142号の四基、中富線は54号から56号の三基であるが、今回はその内、公園南部、五日市街道に近い鉄塔、一基ずつをご紹介。

 小金井公園は、全般に紅葉・黄葉が周辺他地域よりやや早く、取材時(11月末)は全般に終わりかけ。一部イチョウが最盛を迎え、エノキが最盛に近づいている以外は、色も褪せ、落葉も進んでいた。

 中富線の56号からいこう。
 ここ、この鉄塔の周囲は常緑の針葉樹が多い。

中富線56号

中富線56号 中富線56号
中富線56号(平成4年6月)
しかし、中富線の小プレートはどうして
こうも、皆褪色が激しいのであろう

 この中富線について最近知ったのだが、鉄塔者にとって座右の書とも言われている、ファンタジーノヴェル「鉄塔 武蔵野線」、この作品は若しかしたら「鉄塔 中富線」となっていたかもしれなかったのだ。
 ソフ○バンク文庫版巻末掲載の、作者ご自身による解説「鉄塔小説の誕生まで」には、元来、この作品の舞台はこの中富線とするつもりであったとある。中富線に親しみのある者としては聞き捨てならぬ言葉だ。

中富線56号
中富線56号

何故、「鉄塔 中富線」にならなかったのか?

 作者の銀林さんは、鉄塔を小説にするにあたり、まずは、舞台鉄塔の全基撮影が必要とお考えになった。ところが、銀林さんが求める条件(2回線、架空地線一本、郊外風景に溶け込む小型、I吊懸垂、丸く膨らむジャンパー線、等辺山形鋼部材、単導体)に合致する中富線は、その当時全面的改修工事中で、一部は鉄塔そのものが無くなっておりなどし、写真を揃えることは不可能となってしまった。よって、気に入っていたが、この路線は断念せざるを得なくなった、のだそうである。しかも、改修後の中富線は、懸垂はV吊、架空地線は二本、複導体、多くは四回線という、ご本人曰く「味の落ちた形」となってしまった。
 そこで、ご自身の好みに合う鉄塔の連なる送電線を東京全域および埼玉県南部に探し求め、結果、武蔵野線に行き着いた、とのことだ。
 当時の武蔵野線始点である、中東京変電所に辿り着いたとき、武蔵野線の1号鉄塔と並び、当時の中富線1号が建っていることに、即ち、「鉄塔 中富線」を書いていたとしても、最後にはこの同じ変電所へ行きついたという事に運命的なものを感じた、とも記されている。

 西側、次に紹介予定のオカサカ(岡部境線を私そう略して呼んでいる)線の142号下からは、エノキであろうかやや黄葉した木の向こうに、56号を見ることができる。

中富線56号
中富線56号

 あなた、改修のタイミングが少し違っていたら、若しかしたらば、日本一有名な鉄塔の一つになっていたかもしれないのだよ。

 続く

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ファンタジー鉄塔 武蔵野線
ファンタジー「鉄塔 武蔵野線」

 左がソ◯トバンク文庫版、右がオリジナル単行本。◯潮文庫版はこちらを。三冊何れも微妙に内容が異なるのでご注意。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/27
(取材は昨11月下旬)

*当時の中富線:中富線は、現在では中東京変電所から赤坂開閉所までが旭ヶ丘線、赤坂開閉所から先が中富線と、二つに分割されている
*当時の武蔵野線:武蔵野線は、現在では中東京変電所から赤坂開閉所までが武蔵赤坂線、新座変電所から武蔵野変電所までが武蔵野線、そして両者間が武蔵野連絡線と、三つに分割されている

・この鉄塔の最寄り駅は、西武新宿線花小金井駅

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睦月二十六日  雪と鉄塔 その二
 以前「雪と鉄塔」で紹介の、只見幹線赤白529号。

只見幹線529号 只見幹線529号
只見幹線529号(平成24年11月)

 降雪期以外は、雪除けネットは向かって左側の主脚に巻き取られている様だ。
 掛けっぱなしでは傷むからであろうか。

只見幹線529号 只見幹線529号
只見幹線529号

 何事も「っぱなし」は良くない。照明点けっぱなしはエナジーの無駄、水道出しっぱなしは水の無駄、ドア開けっぱなしは不用心、雨戸閉めっぱなしは家が傷む、布団敷きっぱなしは湿気がこもる。
 横着せずに、こまめにやりましょうね。

 鉄塔脚元西側では、多摩南北道路整備の一環として新府中街道の延長工事真っ最中(鉄塔南側から五日市街道まで約2.5kmを国分寺都市計画道路3・3・8号府中所沢線)。自動車も減少しているこの時代、本当に必要な道路なのであろうか。すでにこの工事区間のすぐ南では、国分寺崖線が大きく抉られ、崖上の広い雑木林が東西に分断されてしまっている。
 疑問を感ずる道路計画は多々ある。柔軟な計画の見直しを、お役所・新知事にも是非考えて頂きたい。

 道路529号側に沿う、木立の続く緑道は、道路拡張に伴い消滅かと危惧していたが、現時点では辛うじて残存している。
 その遊歩道には、下の様なもの達が落葉(らくよう)の中に。

府中市、むさしだい緑道のゴリラ

府中市、むさしだい緑道のクマ 府中市、むさしだい緑道のジャイアントパンダ

 向かい合うゴリラの親子、まあるいお尻のクマ、語らうジャイアントパンダ。彼ら彼女らも、残るのであろうか。

只見幹線529号

 冬間近(取材は昨11月末)、色付いた緑道のクヌギと屋並の向こう、529号が午後の日を受けている。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/26
(取材は昨11月下旬)

*新府中街道:鎌倉街道と呼ばれる都道18号線は京王線中河原駅北より先府中市・国分寺市方面はこの名称となる(小平市小川町まで)
*多摩南北道路:多摩地域における南北縦断幹線道の総称。全部で五つあり、上記道路は多摩南北道路3号線に当たる。環状8号線(環八)と国道16号(東京環状)の間になる

・この鉄塔の最寄り駅は、「にしこくん」で有名なJR中央線西国分寺駅

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睦月二十五日  終了
 広大な農地で吹き晒されるためか、この二基の周囲は、はや紅葉・黄葉は終了の気配。景色としては、ここだけ既に冬だ(取材は昨11月末)。

国分寺線16号
国分寺線16号(後は15号から若番方向)

 手前、横に並ぶのはドウダンツツジだが、もう大方の葉は落ちている。

 場所は、前回の平兵衛樹林地から北へ数百m、国分寺市の北西部。ここも短冊状地割の名残りか、北北西−南南東方向に細長い畑地の、南部を横切る細道に立ち、私は16号を望んでいる。そしてそのままに振り向けば、17号が眼前だ。

国分寺線17号 国分寺線17号
国分寺線17号

 下は共に別角度の17号。右、脚元のシダレザクラはほぼ葉が無い。左、中央ケヤキも紅葉・黄葉と言うよりはすでに枯葉に近い。左サザンカも終わりが近そうだ。

国分寺線17号 国分寺線17号
国分寺線17号

 しかし、下の画像を見て、霜月11月の東京であろうとは、知らねば全く分からないであろう。雪残る広大な畑、これも東京なのである。

国分寺線16号と17から19号
16号と17・18・19号

 しかし、6回線鉄塔の架空線(がくうせん)18本は、多いな。お日様がクモの糸に絡めとられているようだ。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/25
(取材は昨11月下旬)

*短冊状地割:江戸期の新田開発(新田と言ってもこの辺りは畑)の名残り。国分寺市、小平市、三鷹市など多摩地域北部では凡そ南北方向に細長い区画が今も多く並んでいるのがGEなどで良く解る

・これ等鉄塔の最寄り駅は、JR中央線国立駅

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睦月二十三日  平兵衛新田
 

国分寺線20号
国分寺線20号

 上は、JR国立駅北側、国分寺市光町の住宅地にある小さな公園、光町もみじ公園下から、紅葉・黄葉越しに仰ぐ20号。下は、道路から少し高まった公園上から、もみじと南方に建つ21号。

国分寺線21号 国分寺線21号
国分寺線21号

 もみじ公園は、平兵衛樹林地という、常緑広葉樹主体の、この地域の極相を示すような森に隣接している。下はそこから仰ぐ20号だ。

国分寺線20号
20号

 この町は、公園名に冠されているように「光町(ひかりちょう)」と呼ばれる。しかし元々の名は「平兵衛新田(へいべえしんでん)」である。樹林地名はこれに由来するものだ。
 凡そ、公園は国分寺崖線斜面、樹林地は崖線上といった立地である。

 町には、JRの鉄道総合技術研究所があるのだが、ここが旧国鉄(日本国有鉄道)の鉄道技術研究所であった時代、新幹線の研究・開発が行われていた。ために、昭和41年(1966)、町名・地番整理の実施の際、新幹線「ひかり号」に肖って、大字平兵衛新田から現町名へと変更されたのだ。
 旧称は、1716-1735年の享保年間の頃、当地の新田開発者、名主の平兵衛さんに因むものだ。
 その平兵衛さんの名は地名としては失われたが、上記樹林地や、毎年鉄道総研で行われる一般公開「平兵衛まつり」等に、今も残されている。

国分寺市、平兵衛樹林地 国分寺市、光町もみじ公園
左、平兵衛樹林地
右、光町もみじ公園

 1960年代頃から始まる多摩の大規模な宅地開発の中で、人々の暮らしの中から芽生え、長く人々の生活の中に根付いてきた多くの地名が消し去られていった。勿論、地名の変遷は今に始まることではなく、今までにも起こって来たし、変遷それ自体が「歴史」であるとも言える。しかし、現代における地名変更は、安易に流れ過ぎているのでは無かろうか、と言うものが多いようにも感じる。目触り耳触り或いは字面の良い、如何にも大衆受けしそうな、何処へ行っても似た様な名が多い。彼方此方鉄塔を巡っているとそういった地名に出合うことが多々ある。
 古い地名を変えるにはそれ相応の理由や人々の思いもあるであろうから、安易な批判は出来ないが、地名が長く受け継がれてきた事のその意味を、もう少ししっかりと捉える必要があるのではなかろうか。

 平兵衛樹林地で地名の事など考えつつ、プレートを探したが見当たらない。鬱蒼たる樹林地を出、北側の住宅地に回り込んで、やっと見つかった。

国分寺線20号 国分寺線20号

国分寺線20号
20号(平成22年6月 57m)

 57m。なかなか高身長である。

 鉄塔ご訪問の際は、公園や樹林地に寄ってベンチで食事、などもよいかも。秋最終盤(11月末)のこの時私は、午後の陽明るいもみじ公園でランチしたが、夏場だったら絶対、樹陰濃い樹林地だな。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/23
(取材は昨11月下旬)

*極相:その地域の気候に適応し安定した状態に達した群落遷移の最終段階。東京の様な関東南部低地は常緑広葉樹の森である

・この鉄塔の最寄り駅は、JR中央線国立駅。

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睦月二十一日  南線
 国分寺線24号から、東へと国分寺南線は分岐する。

国分寺線24号と国分寺南線1号
国分寺線24号(左)と国分寺南線1号

 手前、この国分寺市周辺地域に多い植木畑には、名残りのカエデの紅葉が、もう大分褪せ始めている。

 24号と1号のコンビを拝し、そのまま180度方向転換して、細い道を渡れば畑の向こうに南線2号。

国分寺南線2号
2号

 コマツナとブロッコリーの育つ畑には、東京ではめずらしい11月の雪が残る。

 2号は取り敢えず置いといて、電流の向き通り24号と1号に、まずは接近を試みてみよう。

国分寺線24号 国分寺線24号
24号(上段国分寺線・中段多摩橋線・下段高木線)
大プレートの向こうは25号

国分寺南線1号
1号

 1号の大小プレートと24号の小プレートは、家々に囲まれ確認することはできなかった。
 24号の逆光画像で見ると、南線は1号線・2号線(左右の回線は1号線・2号線と区別される)共に下段第三腕金の高木線から1号へ分岐しているようだ。但し、東側(画像左側)の2号線は直接1号鉄塔に向かうが、西側(画像右側)の1号線は冒頭のツー・ショット写真を見ても解って頂けると思うが、下部にある北向きの張出し腕金(正式に何と呼ぶのかは知らない)を経由している。これは1号線が1号鉄塔とは反対側にあるためである(と思う)。張出し腕金が下部にあるのは、南北に走るメインの送電線をよける為である(と思う)。

 プレートは、畑の奥に建つ2号も、私には確認できなかった。周囲から色々攻めてみたのだが、徒労に終わった。致し方ないので、畑を縁取るドウダンツツジの生垣越しに、一枚。

国分寺南線2号
2号

 来し方を振り返れば、雪に白く塗られた畑の向こうに、巨大なる24号と小さな1号。

国分寺線24号と国分寺南線1号
24号と1号

 まるで冬の始めの雪国の様な景色だが、11月の東京郊外である。多摩地域で、この晩秋の時期にこの景色は見覚えが無い。長く生きていると、偶にはこういうことにも出逢う。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/21
(取材は昨11月下旬)

*植木畑:古くから植木農家が多く「植木の町」として知られている。国分寺市以外も小金井市や府中市も多い。関東大震災後や戦災後の庭園樹・街路樹等の需要拡大が影響しているらしい

・これ等鉄塔の最寄り駅は、JR中央線国立駅

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睦月十五日  落陽
 多摩川北岸堤防上から、多摩の横山へと沈みゆく入日に、桜ヶ丘線36号鉄塔のシルエットが浮かぶ。

桜ヶ丘線36号
桜ヶ丘線36号

 燃焼する蝋燭の如きお姿。
 蝋燭左の黒い点三つは、飛行するカワウである。

 やや西に目を転ずれば、以前訪ねた桜ヶ丘線32号と只見幹線545号

只見幹線545号と桜ヶ丘線32号
只見幹線545号と桜ヶ丘線32号

 三つ塔が並んでいるが、だりひーは日野市三沢配水所(都水道局)の給水塔、ぎーみーは大きく545号、そして二つに挟まれるは32号。

 ここで、545号に架空線を送る544号を紹介した際、草草(くさぐさ)あまりに深く接近を断念した西府用水水門の歯車に再度接近を試みようと考えた(勿論侵入防止のロープは越えないで)。季節過ぎ、草も減ったであろうと。
 繁り具合は相変わらずだが、秋の始めに比し草の勢いは確実に減じている。チャレンジした。

府中市四谷、下堰圦樋
下堰圦樋(しもせきいりひ)
(いりひは水の出入りを調節する水門の樋)

 失われ行く光の中、コンクリートに刻まれた右横書きの「樋圦堰下」の文字の下、辛うじて「◯◯月三年一十和昭」と読み取れる。

府中市四谷、下堰圦樋
アップ

 「○○」部分は、磨滅が目立ち且つ草書体的くずしで判読は難しい。こういった銘板的なものは普通「竣工」と書かれるが、この言葉、辞書で調べると「竣工/竣功」と表記されている。それを踏まえて考えると、どうも「竣功」(右横書きなので「功竣」)と書かれているようにも見えてくる。そういう事なのであろうか。
 何れにしろ、昔を知り考える縁(よすが)となる、希少なる歴史的存在である。

 そうこうする内、完全に陽は没し、空は茜に染まる。

只見幹線545号と桜ヶ丘線32号
只見幹線545号と桜ヶ丘線32号

 もう、夜が来る。

2017 1/15
(取材は昨11月下旬)

*多摩の横山:万葉集で多摩丘陵はそう呼ばれた。北方武蔵国衙府中辺りからは横に長く連なって見えるからである

・この鉄塔ヴューポイントの最寄り駅は、京王線中河原駅

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睦月十三日  残照
 多摩川を渡河する鉄塔、府中線43号。可也の高身長だ。多摩川北岸、堤防下に建つ。

府中線43号
府中線43号

 堤防上に立ち、残照に染まる塔頂部を見あぐれば、無数のムクドリ(Sturnus cineraceus)たちが、一日の終わりの光を浴びながら、賑やかに群れ集(つど)っている。

府中線43号とムクドリ 府中線43号とムクドリ
送り手側で左右送電線の間隔が広がるのは渡河鉄塔でよく見る

 なかなかもって、夥しいではないか。鉄塔直下には接近できないが、さぞかしそこには、ムクドリたちの落し物が、これまた夥しいのであろう。ご近所の方々は大変であろうと思われる。
 因みにこのムクドリ、スズメ目ムクドリ科の、スズメとハトの中間ほどの大きさの鳥で、東アジアに広く分布している。飛翔時に目立つ白い腰が特徴。日本の場合、北海道では夏鳥だが九州以北では一年中ほぼみられる留鳥である。夏の繁殖期が終わると群れを形成するようになり、画像の様に鉄塔に集合するのを多多見掛ける。特に秋から冬にかけては大集団となる場合がある(取材は昨年11月末)。
 ごく普通に多くみられ集合時の声の喧しさやフン害等もあるので、バードウォッチャーにはカラスなどと共に不人気であるが、その黄色い嘴と脚など、なかなかカワイイと、個人的には思っている。
 余談であるが、堤防上から鉄塔を眺めるときはご注意頂きたい。ロード自転車の方々が土日などは可也多く走っておられる。中には可也のスピードで走行する方もいらっしゃるので是非左右の確認を(因みに堤防上の道「府中多摩川かぜの道」は条例により「道路」と位置付けられ一般道同様のルールが適用されている。歩行者優先で、散歩者・ジョガーは右側を自転車は中央左側を通行するルールとなっている。堤防道路は多様な人々が多様なニーズで利用するもの、尊重し合って行きましょう)。

 対岸を望めば、43号からの架空線を受ける、府中線としては41・42号に当たる桜ヶ丘線33号の影絵が浮かぶ。

桜ヶ丘線33号
桜ヶ丘線33号(府中線41・42号)

 よく見れば架空線の描くカテナリー曲線の頂点近く、黒っぽい。

桜ヶ丘線33号とカワウ
桜ヶ丘線33号アップ

 カワウ(Phalacrocorax carbo)の群れが止まっているのである。
 カワウはカツオドリ目ウ科に属する、大型の水鳥。「河鵜」だが海辺にも住む。一時期激減したが、近年は個体数が激増。コロニー(集団営巣地)形成による樹木の枯死や、漁業被害が目立ち問題となっている。彼らは昔からただ懸命に生きているだけなのだけど、人間の側に余裕がなくなってしまったんだね。

 上記の様に鉄塔や架空線は、鳥たちも大いに利用し彼らにとっては失われて行く樹々の代替となっている部分は多々あるようだ。しかし、鉄塔・架空線は、時に、感電、衝突等で彼らを傷つけ或いは命を奪う存在でもある。鉄塔も架空線も人工物ゆえ、人間の側で気を付けてあげなくちゃね。

 鳥の話になってしまったので、鉄塔に話を戻そう。
 43号鉄塔には、接近することは叶わぬのだが、若しかしたら、遠目でもプレートは確認可能ではないかとも思い、東側にある四谷さくら公園から裏手に回ってみた。すると矢張り、可也遠くはあるが、大プレートを何とか見ることが出来た。

府中線43号

 光量不足のための手ブレと格闘しながら大プレートを確保するうち、気付けば、西空には夕陽の名残りの茜が僅か残るばかり。

府中線43号
府中線43号

 黄昏(こうこん)。である。

2017 1/13
(取材は昨11月下旬)

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

*カテナリー曲線:懸垂曲線。紐などの両端を持ち垂らした時に出来る曲線。ラテン語の「鎖、紐」等表す「Catena」に由来

・この鉄塔の最寄り駅は、京王線中河原駅

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睦月十日  古戦場
 今を遡路る684年前、元弘3年(1333)5月15日、北条泰家率いる鎌倉幕府軍と、新田義貞率いる討幕軍は、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(ぶばいがわら)で激突した。そして、一度は退けられた討幕軍(この退却時、武蔵国分寺焼失)は、翌未明、三浦義勝指揮により分倍の幕府軍を急襲。突き崩された幕府軍は、多摩川南岸関所、霞ノ関一帯の関戸に於いて防衛戦を行ったが、壊滅的敗戦を喫し鎌倉へと敗走した。
 一連の戦いで、幕府軍は守勢に転じ追い詰められ、新田軍は握った勝機を手に、勢いに乗り鎌倉へと迫った。
 倒幕運動「元弘の乱」最後の戦いである、東勝寺合戦が行われ、執権北条高時が自害したのは、その六日後、22日のことである。
 ・・・と、これが鎌倉時代最末期に起こった「関戸の戦い」の大まかな流れであるが、この戦いが行われたのが、現在の多摩市関戸。そして、そこに建つは、今回ご紹介の桜ヶ丘線43号。

桜ヶ丘線43号 桜ヶ丘線43号
桜ヶ丘線43号(昭和57年6月 55m)

 足元には、合戦時、幕府・反幕府両軍兵士たちが行き交った鎌倉街道上道(かみつみち)を受継ぐ旧鎌倉街道が走る。

桜ヶ丘線43号と旧鎌倉街道
43号と旧鎌倉街道

 鉄塔直下、二車線の狭い街道を挟んだ向かいには、「関戸古戦場跡」の碑が建つ地蔵堂がある。
 赤い頭巾に赤い前掛けのお地蔵さまが立っていらっしゃる。

多摩市、関戸古戦場跡

多摩市、関戸古戦場跡地蔵堂 多摩市、関戸古戦場跡地蔵堂
地蔵堂
電柱左に延びる細い坂も良い雰囲気だ

 そして、ここから北600m程に位置する熊野神社に、鎌倉幕府が鎌倉街道上道(旧鎌倉街道)に健暦3年(1213)、北関東に対する防衛上設けた関所、上記、霞ノ関南木戸柵の跡があり、参道左脇に、一部柵が復元されている。
(古戦場標柱及び木戸柵関連画像は後日取材時のものです)

多摩市、霞ノ関南木戸柵跡 多摩市、霞ノ関南木戸柵跡
霞ノ関南木戸柵跡

 鉄塔にと、戻ろう。

 鉄塔東側に公園がありそうなので、現在の鎌倉街道である都道18号(旧鎌倉街道も18号だが)側へ回ろう。別角度で拝めそうだ。

 鉄塔北側の交差点に差し掛かると、道路脇に屋根もないシンプルな火の見櫓が建っていた。足元は消防団器具置場だ。
 半鐘は雨ざらしで緑青より鎖の赤錆が目立つ。

多摩市消防団第二分団火の見櫓
多摩市消防団第二分団火の見櫓

 こうした屋根なしタイプは、良く見掛ける。実用一点張りでデザイン性のない四角い櫓とのコンビネーションが一般だ(半鐘のない場合も多い)。正直なところは風情が感じられぬので、あまり興味は惹かれないのだが、古戦場という立地の所為か妙に気になった。

 櫓下を抜け、新道に出ると、駐車場の向こうに紅葉したケヤキの大樹を足下に従えた43号が姿を見せた。

桜ヶ丘線43号
手前に可也個性的な自動車が止まっているが、
残念ながらプライバシー保護上お見せできない

 少し行くと、道路下のくぼ地が芝のきれいな公園となっていた(大栗橋公園)。43号も良く見える。此処でランチにしよう。もうペコハラである。

 昼下がり、私の他には下校途中に遊ぶ詰襟男子中学生が二人いるのみ。ゆっくりベンチに座り、ランチタイム。
 背なのリュックで日射を受け温(ぬる)くなったランチ◯ックを頬張りながら南を見ると、先程の火の見櫓がシルエットだ。

多摩市消防団第二分団火の見櫓

 こうして見ると、味気ない(失礼)実用本位屋根なし四角タイプも、趣きが漂うではないか。

 最後に、公園から見上げる43号鉄塔の晩秋(取材は昨年11月下旬)的絵を載せて終わりとしたい。

桜ヶ丘線43号 桜ヶ丘線43号

 この地を戦場(いくさば)とした兵(つわもの)達。700年の後、この様な鉄(くろがね)の高き塔が、この同じ地に建とうなどは、夢にも思わなかったであろう。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2017 1/10
(取材は昨11月下旬)

*分倍河原古戦場:場所は現在の府中市。石碑が存在するのは分梅町(ぶばいちょう)である
*霞ノ関、関戸:柵跡は地表下30-45cmに約45cm間隔で直径25cmの丸柱の痕跡が16あり、道路反対側ににも6-7か所柱跡がある(解説板より)。地名は、霞ノ関木戸柵、から関戸の名が起こったのではないかと言われている
*高き塔:14世紀当時存在していたと思われる43号に匹敵する高さの塔は、
・五重塔
京都の東寺(54.8m。創建9世紀末。日本1位だが現在の塔は江戸期のもの)
奈良の興福寺(50.1m。創建730年。日本2位だが現在の塔は室町期のもの)
奈良の元興寺(約57m。8世紀の創建。江戸末期焼失)
奈良の春日大社東塔・西塔(約50m。12世紀創建。焼失)
・七重塔
奈良の東大寺東塔・西塔(70m以上。753年創建。焼失)
等がある

(1月19日、分倍河原の戦いに関するリンクを追加しました)

・この鉄塔の最寄り駅は、京王線聖蹟桜ヶ丘駅

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睦月五日  中央フリーウェイ
 「中央フリーウェイ」をご存知であろうか。
 ユーミン(松任谷由実)が、まだ荒井さんであった頃の最後の作品、「14番目の月」(1976)収録(A面ラスト)の名曲である。
 黄昏の中央フリーウェイ(中央自動車道)を、西へと山に向かい走る「ふたり」を、実風景を織り交ぜながら描いた作品。調布基地(調布飛行場)、競馬場(東京競馬場)そしてビール工場(サントリー武蔵野ビール工場)など登場し、多摩地域出身者には、特別な親しみを感じさせる歌である。

 今回紹介するは、その「中央フリーウェイ」を越える鉄塔だ。

府中線47号 府中線47号
府中線47号

 以前紹介の、只見幹線542号の400m程東、中央高速(中央自動車道)北側に建っている。
 周囲は、「鉄塔と水田」記事で取り上げた只見幹線542・543号、そして同じ府中線の48号などと同様、田圃と宅地が混交しているような場所。細い側道を挟み南面を、中央高速が東西に走っている。上左画像の右下にチラ写りしているのがそれである。

 鉄塔は、谷保(やほ)線と中河原線を引き下げている。

府中線47号
何方の路線も鉄塔は無い地下ケーブル

 高速道を越えた南面からは、この様なお姿だ。

府中線47号

 私は当然、高速道下を潜った。

 少し離れ、周囲の景色を取り込むとこうなる。

府中線47号

 中央高速法面の木立と、側道街路樹(エノキと思う)の紅葉・黄葉とが混ざり合っている。
 手前に見える緑の原は、田圃一面を覆う、稲孫(ひつじ。刈取り後の株に生えたイネ)だ。

 鉄塔とは関係しないのだが、「中央フリーウェイ」或いは「14番目の月」、若しご興味があればお聴き頂きたい。この当時のユーミンの作品は、ご本人も生まれ育った地(八王子市出身)、その東京郊外の匂いがそこはかとなく漂う。自転車で多摩地域の鉄塔巡りなどしていると、つい口ずさんでしまい勝ちな作品達である。

2017 1/5
(取材は昨11月下旬)

*14番目の月:4thアルバム。リズム隊(ベースとドラム)がアメリカのセッション・ミュージシャンで、この音の違いその重さに当時驚いた記憶がある。この作品から松任谷正隆氏がプロデューサーとなる。14番目の月とは、まだ欠けることのない満月一歩手前の月、の意である

・この鉄塔の最寄り駅は、JR南武線西府駅or谷保駅

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睦月一日  嵩上げ
 近頃、境八王子線のオリジナル(と思う)昭和5年ものの建て替えが少し続いているように感じる。私が直接見たのではないが、他のサイトさんで紹介されていた、昭和5年生まれの76号鉄塔が、昨年撮影のストヴュー画像では、ピッカピカの新品になっていた。
 塔高が可也増しているので、嵩上げ(かさあげ)理由の建て替えなのであろう。

 古鉄塔好きの私としては、こうした建て替えは、あくまで個人的にではあるが、少々寂しい事柄であるのは、否定しえない所である。
 と、常々感じていたのだが、偶然、その境八王子線の建て替えを自身で確認することとなってしまった。

 以前紹介した3号鉄塔が、建て替えられていたのだ。

 たまたま、JR東小金井駅南の住宅街を自転車で通りかかった際、見慣れぬ鉄塔が視界に入って来た。確かこの辺りはサカハチ(境八王子線を私は勝手にそう呼んでいる)の3号があるはずだけど、それとは違うな。似てるけど、背が高い・・・と気になり鉄塔に接近したらば、なな、なんと、サカハチの3号ではないか。
 いやいや、3号は昭和5年生まれの小柄な烏賊さんだろう。なんなんだこの鉄塔は。

新・境八王子線3号
新・境八王子線3号

 民家のお庭に建つのは変わらずだが、そのお宅の塀に、JRからのお知らせが掲示され、嵩上げのため2号から5号(だと思ったが)を順次建替えます云々(うんぬん)、とあった。
 そうなのか・・・。I字懸垂型はそのままだが、確かに随分背は伸びた。

 当然、オリジナルが建てられた頃に比べ、周辺には高層の建造物も増えているであろうし、駅に近いことを考えれば、この後は更にそうしたものは増えるであろうことは予測できる。
 田園地帯等除けば、嵩上げ建て替えは、避け得ぬものであろう。

 何時建て替えが行われたのかは、確認できないので不明だが、前回訪問から今回訪問(2016年11月下旬)までのスパンは10ヶ月しかないので、ごく最近のことであるのは確実である。

新・境八王子線3号

 晩秋の陽を受け、眩いほどに白銀(しろがね)、ギンギラである。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

 * * * * * *

 暫くはまだ、昨年末の取材記事が続くのではありますが、本年もまた、宜しく御願致します。

2017 1/1
(取材は昨11月中旬)

*嵩上げ:高上げ(たかあげ)とも呼ぶ。送電線下・鉄塔周辺の市街地化に伴って行われるのが一般

・この鉄塔の最寄り駅は、JR中央線東小金井駅

パワーシフト #iSwitch

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