MYSTIC RHYTHMS

Fe塔 その十七

送電鉄塔の鉄美  profile

§索引

§鉄塔用語集

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対 II
 この東西の団地(東は「富士見町住宅」西は「富士見町団地」)は、東と西での対(つい)を意識しているのか、10号で触れたように、こちらにも東と同型と思しき、例の正体不明な遊具がある。9号鉄塔からは東に50-60mほどの距離だ。

立川市、富士見町団地、たぬき公園

立川市、富士見町団地、たぬき公園
よく手入れされたシバとキッカイなる遊具

 「ジラフ」の彼方と異なり、柄は無い。左端、トンネル部分の形状も若干異なるか。
 1970年周辺、昭和で言えば大阪万博の開催された45年の周辺だが、その辺りに作られたと思しき遊具には、可也シュールなものがある。何時ぞや紹介した、小平市立上水公園の遊具も同様だ。この団地が建てられたのは昭和43・44年(1968・1969)、上水公園の開園は昭和42年(1967)。当時最盛を迎えていた、サイケデリック文化の影響もあるのであろうか。ピンク・フロイドの「Astronomy Domine(天の支配)」が流れ出しても、違和はなさそう。

 この不可思議なる遊具の横たわる公園の名は、「たぬき公園」。何処が「たぬき」?とも思うが、よく見ればその名の通り、たぬきがお二人並んでいる。

立川市、富士見町団地、たぬき公園
たぬき

 また、10号下同様カエルさんも居るが、タイプは異なる。公園南側、団地敷地内を流れる昭和用水にかかる古びた橋の袂で、あんぐりと口を開けている(誰か青スプレーでイタズラしたな)。

立川市、富士見町団地、たぬき公園
あんぐりガエル

立川市、富士見町団地、昭和用水
昭和用水と橋の欄干

 このタイプのカエルさんは、さんかく公園含め、西側エリアの彼方此方でお目にかかる。

 さあ、団地内、もう大分たっぷりと彷徨かせて頂いたので、遊具と9号のツー・ショットで締め、これにて退散と致そう。部外者が余り長居すると、ご迷惑である。

桜ヶ丘線9号とたぬき公園
9号とたぬき公園

 昭和40年代築年の団地、私の様なオジサンには、妙にノスタルジアを覚える団地で御座いました。お邪魔致しました。

 団地北へ行けば、前回書いたように、立川崖線上から、9号を遠望することが出来る。

桜ヶ丘線9号(青梅道・五日市道から)
9号
後は日野台地と景信山

桜ヶ丘線9号(青梅道・五日市道から)
9号と富士見町団地給水塔
脚元は日野台地、向こうは景信山・陣馬山方面

 団地北東、滝下橋で根川を越え、奥多摩街道方向へ坂を上がって行くと、右手に、少し戻るような向きで細道(青梅道、五日市道)が立川崖線上に続いている。ここから見た姿である。11号を望んだ場所よりは少し西寄りだ。
 WW2の最末期、昭和20年(1945)の8月2日、396名の犠牲者を出したアメリカ軍による八王子空襲の際、立川も空爆対象となり当時水田であった富士見町団地一帯、無数の焼夷弾が落下した。
 この空襲により、ここ富士見町では、7名の犠牲者が出ている。

 崖線上の細道を、猶も道なりに行けば、山中坂地蔵堂の上に出る。更に行けば、横町坂そして下れば植桜記念碑の前となる。

2017年文月26日
(取材は6月下旬)

――――――――――――――――

・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・空襲のデータは、総務省HP「国内各都市の戦災状況」より引用しました

・この鉄塔の建つ場所は立川市富士見町、最寄り駅はJR青梅線西立川駅or多摩モノレール柴崎体育館駅です

*Astronomy Domine(天の支配):ピンク・フロイドの1stアルバム「The Piper at the Gates of Dawn(夜明けの口笛吹き)」(1967)のオープニング・ナンバー。シド・バレット時代(サイケ時代)の代表的作品だ
*昭和用水:昭島市・立川市を流れる昭和8年(1933)に作られた農業用水。名は当時の昭和村に由来。多摩川から始まり残堀川に終わる
*青梅道、五日市道(おうめみち、いつかいちみち):青梅、五日市方面へ向かうため江戸期にはこのように呼ばれた
*景信山(かげのぶやま)、陣馬山(じんばさん):前者は標高727m、後者は857mで、高尾山の北西に連なる山々で東京ではハイキングの定番
*八王子空襲:8月2日未明、ボーイングB29爆撃機169機により行われ、周辺市町村にも被害が及んだ。負傷者は約2,000名。2時間にわたる爆撃で約1,600トン、67万個以上の焼夷弾が投下された。犠牲者数は資料に依り幅があり、「八王子の空襲と戦災の記録」(八王子市教育委員会発行 1985)では約450名とされている

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対 I
 以前紹介した桜ヶ丘線10号を、公社富士見町住宅の主(ぬし)、と呼んだが、団地は富士見通りを挟み東西に二分されており、10号はその東の主だ。今回は、西の主をご紹介したい。
 が、その前に、以前の訪問で結構気に入った10号下の「ぐるぐる公園東」で小休止。ここからは、前回ご紹介の郷地変電所内の二鉄塔が望めるのだ。

郷地変電所
10号下から郷地変電所

 どんよりとした、良い梅雨空だ。足元の芝生には、この時期お馴染みのネジバナが二株ばかり、ひっそりと花を付けている。

 さて、ゆっくり休んだので、富士見通りを渡って本題に入ろう。
 西の主は、こちら、

桜ヶ丘線9号
桜ヶ丘線9号

9号鉄塔だ。
 10号と全く同じV字懸垂で、一寸威張ったように肘を張っている、様にも見える。
 こちらの団地でも、奇天烈な遊具や、生き物たちに出合った。場所は9号脚元西側、花壇などが文字通り三角な「さんかく公園」。
 これは・・・、テントウムシとカブトムシであろうか。

立川市、富士見町団地、さんかく公園
テントウムシとカブトムシ

 テントウムシ、正面からはちょっとコワいな。

立川市、富士見町団地、さんかく公園
テントウムシ正面

 これ等の傍らには、巨大遊具もあるが、此方も可也パンチが効いている。

立川市、富士見町団地、さんかく公園
巻貝

 巻貝と言うモチーフは明確だが、矢張りシュールだ。
 傍らでは、アジアゾウにフタコブラクダ、そしてワニ(歯が見えないからアリゲーターか)が語らっている。

立川市、富士見町団地、さんかく公園
語らうものたち

 そして、それ等と9号と。

桜ヶ丘線9号とさんかく公園
9号とさんかく公園の仲間たち

 公園を奥まで進めば、9号鉄塔直下にも行くことが出来、プレートも難なく確保可能であった。

桜ヶ丘線9号

桜ヶ丘線9号 桜ヶ丘線9号
9号(昭和58年3月 47m)

 そしてそこから振り返ると、梅雨時のしっとりとした緑の中に、彼らが。

立川市、富士見町団地、さんかく公園
巻貝と仲間たち

 その彼らの、その向こうには、9号・10号とはタイプの異なる(耐張・首あり型)8号鉄塔が姿を見せている。

桜ヶ丘線8号
桜ヶ丘線8号

 では、次に、例のキッカイなる遊具を訪ねることとしよう。

 つづく

2017年文月25日
(取材は6月下旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は立川市富士見町、最寄り駅はJR青梅線西立川駅or多摩モノレール柴崎体育館駅です

*富士見町団地:GEで見ると、西側の棟だけ屋上が緑色だ。なお、地図で見ると、10号の建つ西側エリアは「富士見町住宅」、9号の建つ西側エリアは「富士見町団地」という名称となっているようだ。違いは、良く解らない
*アリゲーター:アリゲーター科とクロコダイル科はよく似るが、前者は口を閉じた時下あごの歯が隠れ、後者は口を閉じても下あご第四歯が見える
*アジアゾウ:横から見ると背中が丸いのでそう判断した

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鉄橋
 立川崖線上から、下を流れる根川と共に、それを渡るJR中央線根川鉄橋を見る。鉄橋東側、玄武山普済寺横からだ。

立川市、根川鉄橋
根川鉄橋

 この鉄橋、橋桁下の側板に、昭和20年(1945)4月4日の夜間空襲の際のものか、機関銃による被弾跡があったのだが、昭和46年(1971)に改修された際取り換えられてしまった。
 そういったものは、是非残しておいてもらいたいのだが、何処ぞに保存等されていないのであろうか。

 と、鉄塔とは関連の無い話で始まったが、実は上画像、今回訪問する鉄塔が写っているのだ。鉄橋向こうに見える段違い鉄塔、桜ヶ丘線11号が、それだ。
 根川沿いの遊歩道に降り、橋を越えて川向うへ行こう。

 11号は、鉄橋からは西へ400m程の距離、新奥多摩街道(都道29号線)際の、郷地変電所内に建っている。「郷地(ごうち)」は昭島市の町名であるが、変電所はそこにはない。ここは立川市富士見町である。まあ、すぐ近く、ではあるのだが。

桜ヶ丘線11号 桜ヶ丘線11号

桜ヶ丘線11号
桜ヶ丘線11号(昭和58年3月 60m)

 表札を探して街道側にまわると、

郷地変電所

郷地変電所
郷地変電所

すぐ傍に歩道橋がある。絶好のビュー・ポイントではないか。

郷地変電所
歩道橋から

 でも、電線が可也オジャマな感じ。

 しかし、11号お隣のチャイチイ鉄塔さんは何であろうか。番号はあるのか、路線名はなんなのか、全然、見ることが出来ない。桜ヶ丘線とはもう繋がっていないので、別の名前ではありそうだ。他のサイトさんによると、「郷地線」らしいのだが・・・。取り敢えず、名称不明さん、とさせて頂く(そのままだな)。

郷地変電所内名称不明鉄塔
歩道橋から名称不明さん

 歩道橋を下り、変電所東側から11号と名称不明さんとの、変電所内らしい変則型鉄塔のツー・ショット。これを以て、撤収とさせて頂く。

桜ヶ丘線11号と名称不明鉄塔
ツー・ショット

 歩道橋下の歩道隅に止めた自転車に戻りチェーンを外しているとき、その階段に、よく見ると海の仲間たちが沢山描かれていることに気付いた。タコとヒトデとサンゴと巻貝とワカメと・・・。

郷地変電所前歩道橋絵
歩道橋絵
上の方にはクジラとサカナ達もいた

 劣化が・・・激しい。間近に見ても分かりにくいのに、画像では尚更である。ご勘弁を。こうした場所に何気に絵が描かれていたりするのは、「発見感」があって私は意外と好きなのだが、もう一寸ケアをしてあげて頂きたいものである。折角の存在が、返って印象を悪いものにしてしまう。

 変電所を離れ、北に向かい、先程とは逆方向に根川を越え立川崖線上に上がると、青梅道或いは五日市道と呼ばれる細道から、桜ヶ丘線の9号や10号と共に、郷地変電所も望むことが出来る。山中坂の上、やや西寄りの場である。

郷地変電所
崖線上から郷地変電所

 梅雨らしい重いグレーの雲の下、11号と名称不明さんが間近く並ぶ姿が見える。鉄塔左は、横田基地に向け着陸態勢をとる空中給油機であろうか。

 この細道をそのまま東に進み、戦災供養地蔵尊の上を過ぎると、やや急な坂、横町坂(よこちょうざか)となる。山中坂からは僅かの距離だ。ここを下り、馬場坂下橋の袂(たもと)に出ると、崖下に、大正天皇即位を祝して行われたサクラの植樹を記念した、大正3年(1914)建立の「植桜記念碑」がある(ここを道なりに真っ直ぐ進むと馬場坂(番場坂、貝殻坂)を上がり根川鉄橋西側に出る)。

立川市、横町坂、植桜記念碑
植桜記念碑

 碑の前は一寸した広場のようになっているが、「」の回で触れた「立川空襲の記録 第一集 山中坂の防空壕」の中に、昭和20年(1945)4月4日の空襲の際、3歳の男の子を背負いながら、この碑の前に積まれた桶と碑の間に身を隠していたとき、真昼の様な照明弾の光の中、敵機による機銃掃射を受けた、という女性(当時39歳)の体験が記されている(「どこかに安全な場所が」)。

立川市、横町坂、植桜記念碑
馬場坂下橋袂、横町坂と記念碑

 まさに、この場での出来事である。
 体験を語った方の他の三人のお子さん(12歳、7歳、6歳)は、この空襲時、碑から僅か200mほど北北西の山中坂防空壕で亡くなっている。

 前掲書と同じ立川市文芸同好会の編・著による「この悲しみをくり返さない 立川市空襲の記録 I」に、4月4日の同じ空襲時、上記の女性が機銃掃射を受けたその場の南、馬場坂下橋を渡った南側の田圃―当時根川の南側は田圃が広がっていた―で、同様に機銃掃射を受けた女性(当時35歳)の体験が記されている(「有刺鉄線のまえで」)。
 それによると、1歳の女の子を背負い田の中を逃げる女性を敵機は三度反転して、機銃攻撃したとある(背中の女児はこのすぐ後爆弾破片直撃により死亡)。

 警視庁はじめ公式記録では、4月4日の空襲はB29爆撃機(150-170機)によるとなっているが、これ等の証言を見ると、小型機も参加していたように思える。「立川空襲の記録 第一集 山中坂の防空壕」内には、上記の二人の女性と同様横町坂の付近で、ピンク色の光を照射しながら急降下してきた「小型の飛行機」により機銃掃射を受けたという女性(当時23歳)の、具体的な証言もある(「機銃に追われて」)。

 冒頭で書いた、機銃弾痕があった根川鉄橋は、横町坂や植桜記念碑から、南南東に百数十mほどの距離だ。被弾が上の三つの証言の、その時のものによるかどうかは分からないが、関連はあるかもしれない。

立川市、根川鉄橋
記念碑から150mほどの南岸遊歩道から根川鉄橋橋桁
この側板に嘗て機銃弾痕があった

 しかし、幼児を背負った非戦闘員の女性を狙って執拗に機銃掃射するとは、俄かには信じ難い行為であるが、そういったことをさせてしまうのが、戦争なのである。
 戦争は始める以上は、勝つことが大前提である。よって、一旦戦争が始まってしまえば、「勝利」が至上のこととなり、手段や方法は二の次となってしまうのだ。であるから、後々見れば、何と言うバカげた(愚かな)ことを・・・、という行為も平気で人間にさせてしまうのである。
 だから、ダメなのである。戦争は。いかなる場所においても、いかなるものであっても。

2017年文月23日
(取材は6月下旬)

――――――――――――――――

・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・空襲に関する部分は、「立川空襲の記録 第一集 山中坂の防空壕」および「この悲しみをくり返さない 立川市空襲の記録 I」(共に立川市文芸同好会)を参照させて頂きました

・この鉄塔の建つ場所は立川市富士見町、最寄り駅はJR青梅線西立川駅or多摩モノレール柴崎体育館駅です

*玄武山普済寺:臨済宗建長寺派。文和2年(1353)開創と伝わる。延文6年(1361)造立の「六面石幢」(せきどう。石塔の一種)は国宝。4月4日の空襲犠牲者が多く埋葬され、戦災殉難者慰霊碑、平和観音がある
*4月4日の空襲:被害は、立川市及び砂川町など可也広い範囲に及ぶ。この立川市南部も、山中坂だけでなくその周辺も同様被害を受け多くの死傷者が出ている
*機銃掃射:大型爆撃機も低空から防御用機銃で地上に向け機銃掃射する場合があったとは聞くので、B29により機銃掃射が行われたことも可能性としては考えられる
*小型機:「この悲しみをくり返さない 立川市空襲の記録 I 」には、横町坂からは数百メートルほど北の場所であるが、4月4日の同空襲の際「敵の小型機が飛来して、機銃を発射していった。地上すれすれに飛んでは、旋回してまた発射した」との可也具体的な証言もある(「たった五日の命」)。
小型機として考えられるのは、硫黄島からのノースアメリカンP-51マスタング戦闘機、艦載機としてはグラマンF6Fヘルキャット戦闘機、ヴォートF4Uコルセア戦闘機そしてカーチスSB2Cヘルダイバー爆撃機などだ(でも夜間の発艦は行われたのであろうか。着艦時はもう明るくなっていたであろうが)。
また同書には、艦上機、双発機、垂直尾翼が二つ、などの証言があると記述されている(「富士見町・柴崎町の空襲の概況と問題点」)。双発、垂直尾翼が二つ、と言う証言と、夜間であったことを併せて考えると、ノースロップP-61ブラック・ウィドウ夜間戦闘機が思い浮かぶ。硫黄島に配備されていたならこの機が参加していた可能性は有るとも思えるが、勉強不足で分からない

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久我山目線、国分寺目線
 霊園鉄塔、国分寺線55号。以前紹介のように、別々に進んできた久我山線と国分寺線とが、この鉄塔に収斂し以降同一鉄塔に併架(へいが)となる。
 国分寺線は、多摩変電所から三路線併架の6回線として36号まで来たりて後、ほぼ東八道路に沿って東に向かう。久我山線は、府中変電所に発し、国分寺線の南をおよそ西南―東北方向に斜めに進む。その両路線が、国分寺線は54号、久我山線は17号で、多磨霊園西縁を挟み70mほどの距離まで接近。そして次の国分寺線55号で合体、となる。

 当然、両線併架となっての後は、送電線の方向は同一となるが、その前は、此方も当然ながら、送電線の向きは微妙に異なる。
 で、片山線9号の訪問時、武蔵野線方向と片山線方向を別々に見たことを思い出し、国分寺線55号も同様に、久我山線方向の目線と、国分寺線方向の目線と、別々に見たならば、どの様な感じとなるのか試してみた(ヒマだな、と言うなかれ)。

 まずは、国分寺線目線。

国分寺線55号
国分寺線目線で55号を見る

 これは、当然かもしれないが、正面からの絵となる。あくまでも55号鉄塔は「国分寺線」だから(かな?)。

 次に、少し右手(南)に移動して、久我山線目線。

国分寺線55号
久我山線目線で55号を見る

 こちらは、やや斜めとなる。

 後日、今度は55号下から、久我山線目線と国分寺線目線で見てみた。

 此方もまずは、国分寺線目線。

国分寺線54号と久我山線17号
国分寺線目線で54号を見る

 お次は、久我山線目線。

国分寺線54号と久我山線17号
久我山線目線で17号を見る

 この両路線が、55号で一つとなる。

国分寺線55号
55号
真っ直ぐ来るのが国分寺線、斜めが久我山線

 久我山線方向の目線と、国分寺線方向の目線と、別々に撮ったら面白そうに思ったのだが、そんな風に思うのは、私ぐらいか。

 今回は少し尺が足りないので、55号の寄りの絵も、序でに。

国分寺線55号 国分寺線55号
55号

 プレートも。

国分寺線55号
レリーフタイプ
大プレートは何故か無い

 周囲は墓石と木立のみで、嵩上げの必要もないためであろう、他の国分寺線鉄塔と異なり、建替えられることも無く、56号と共に50年以上の歳月を園内で経ている。
 この鉄塔、脚下部の回線札は、国分寺線のみで、何故か久我山線のものは無いのだが、よく見ると上部に小さな回線札が取り付けられている。

国分寺線55号(久我山線18号) 国分寺線55号(久我山線18号)
久我山線上部回線札(上段)

国分寺線55号(久我山線18号) 国分寺線55号(久我山線18号)
国分寺線上部回線札(下段)

 左が1号線で右が2号線。それぞれ色分けがなされ、なお且つ国分寺線と久我山線とで、色は逆とされている。念には念を入れて識別性を高めているのであろうか。
 可也高い場所だが、はっきりと文字も色も確認できる。

2017年文月17日
(取材は6月中旬終わり及び7月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は小金井市前原町、最寄り駅は西武多摩川線多磨駅です

*久我山線:単独鉄塔は1から17までの16基で(11は欠番)、あとは国分寺線、車返線そして中富線に併架される

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都内
 69号と、南望する68号の径間は可也短い。
 準備中の東八道路と、ブック○フ北烏山店前を通るバス通りを挟んで、すぐ南である。おそらく、100m少しほどしか離れていまい。

 68号は、この辺りでは少ない耐張型北多摩線だ。

北多摩線68号
北多摩線68号

 前回見たように種々の形態が混在する北多摩線の中で、私の好きな一本角の「フェアリー」型は、他のサイトさんを拝見すると七基しか存在していない。その中で耐張型はこの68号一基のみだ(71号もフェアリー型と言えない事も無いが変則型である)。

北多摩線68号

北多摩線68号 北多摩線68号
68号

 場所は、移転により閉鎖されたト○タテクノショップの駐車場内であるが、道路際に近いので、接近は比較的容易だ。

北多摩線68号
直下にバス停

 ただし、脚元に小○急のバス停があるので、並んでおられる方がいると、少々気まずい、かもしれない。

 68号を畑越しに見られるポイントがあった。

北多摩線68号
畑越しに68号

 矢張り、多摩地域の鉄塔と言えば、これである。東京郊外多摩と言えど、こうした絵に必ず出逢える訳ではない。日々農地や緑地はその面積を減じているのが現状だ。出逢ったならば、確保せねばなるまい。
 とここで、いきなり訂正だ。実は68号鉄塔は、23区内、世田谷区の鉄塔である。だが然し、手前に広がる畑は多摩地域、三鷹市だ。丁度この辺り、世田谷区北西の端っこ部分で、23区つまり「都内」と多摩すなわち「都下」の境部分なのだ。マップを見ると、東の「都内」世田谷に、西から「都下」三鷹が飛び地の様に細長く入り込んでいる(飛び地もある)。私の立っている道路が、両者の境界線である。
 一応、目の前の農地は多摩に属しているので、上の記述は間違えではないが、正確を期すため説明させて頂いた。序でに言えば、前回の69号が建つ三鷹市牟礼は当然「都下」である。

 さて「都内・都下」問題は置いといて、畑向こうの68号を望む境界線(道路)上から、そのまま、南に向きを転ずれば、フェアリー姉妹、67号と66号

北多摩線66-67号
67号(左)と66号

 私にとっては、北多摩線と言えば、このタイプである。
 暑い日であるが、何処か涼し気に見えなくもない、その繊細可憐で清雅なお姿。

北多摩線67号
67号

 この辺りの北多摩線は塗装の所為か、空に溶け込み全体に見え難い。まあ、そこもまた、私が「妖精(フェアリー)」と呼ぶ所以の一つなのだが。

北多摩線68号
68号

 さあ、熱中症にならぬうち、撤収としよう。

 今日のデイサーヴィスには、おばあちゃん行ってくれたが、次回は如何であろう。お迎えが来た途端、また拒否るかも。
 ちょっと、ドキドキだ。

2017年文月15日
(取材は6月中旬終わり)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は世田谷区北烏山、最寄り駅は京王井の頭線三鷹台駅or久我山駅です

*都内、都下:広い意味ではどちらも東京都全域を指すが、一般に都内は23区内を、都下は23区を除いた市町村地域を指す

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都下
 大正生まれのおばあちゃんが、大腸がん及び洞不全症候群の手術・治療、またその後の介護老人保健施設でのリハビリ生活から、半年ぶりに我が家に生還。また以前の生活パターンに、本人も私も戻った。
 なのだが、矢張り、おばあちゃんのデイサーヴィス拒否が生起。それも、前日から行かないと拒む以前のパターンと異なり、当日朝までは行く気満々であるのが、お迎えが来た途端に、嫌だ、行かない、と拒否るパターンに変化。送迎の介護士さんが優しく促してくれるが、手を振り払って語気を荒げる。もともと行きたがらない人なので、デイサーヴィス拒否自体はある程度覚悟はしていたが、このパターンは想定外であったので、ちょっと困った。
 あくまでデイサーヴィスは本人のためのものなので、行きたくないのなら致し方なく、無理強いをする気はさらさらないのだが、私の予定が立たないのだ。たまの休みの鉄塔巡りはまあ良いとして、病院の予約が出来ない。歯医者さんで歯石クリーニングもしたいし、胃カメラもやっておきたいのだが(オジサンは彼方此方メンテナンスが必要なのだ)。
 まあ、常に拒否る訳でもないので、その内以前のように習慣化してくるであろう。気長に付き合うしかないのである。

 と、こんな感じの或る日、あまり期待しないでいたら、意外とすんなりおばあちゃんがデイサーヴィスに行ってくれた。梅雨の希少な晴天の一日だ。何も予定を入れていなかったが、これは余りに勿体ない。出掛けよう。暫く鉄塔巡りに行っていないし、今日を逃すと先の予報は雨ばかりだ。
 取り敢えず洗濯機を回し、仕上がるまで行先を彼是と考える。で、結果、北多摩線と行先決定。別にどこでも良いのだが、暫く尋ねていないのと、夏場に行ったことが無いのが主な理由である。
 洗濯物を干し、いざ出発。

 生来の気紛れ癖が出て、マップも最短ルートもチェックせず、適当に自転車で走って行ったならば、紆余曲折の果て、目指す鉄塔の北、玉川上水に架かる長兵衛橋に出た。袂の畑向こうには、まだ未訪問の老番側の北多摩線鉄塔達が、キウイフルーツの蔓の向こう遠く小さく見えている。

北多摩線74号
北多摩線74号

北多摩線75号
北多摩線75号

 この路線は種々のタイプが混在するが、確かに随分と形態は異なっているな。

 さて、今回目指すは69号なのだ。南へ下る。

 三鷹市は牟礼(むれ)の住宅街に入り、以前訪ねた70号横を過ぎれば、お目当てが正面だ。

北多摩線69号
北多摩線69号
下段に併架は高井戸線

 私の好きな「フェアリー」タイプだ。逆光の中で部材が光り、美しい。
 西方向から正面に回り込むと、手前は何やら道路の延長工事中の雰囲気。細道が一つ鉄塔方向に伸びてはいるが、正面は民家で、進入可なのかどうか微妙だ。周囲を観察するも、良く解らず。

北多摩線69号
行けるのか?

 行くか否か逡巡していると、自転車の男性が何のためらいも無く細道へと入り、そのまま奥を右手方向へ曲がり抜けて行く。
 なんだ、行けるではないか。

北多摩線69号
頂部がピカリ

 脚元近く寄り、仰ぎ見ても矢張り、美しい。同じ「フェアリー」でも、以前紹介の66号、67号また70号に比し、ちょい小柄、ちょいポチャ、であろうか。プレート確認はできなかったが、塔高は少々低そうだ。

北多摩線69号 北多摩線69号
ヘリ巡視用プレート

 鉄塔下は、開通準備中で、まだ歩行者・自転車しか通れない東八道路(都道14号線)であった。
 北側は農地が広がり、老番側鉄塔が幾つか見える。

北多摩線70-73号
老番側
左から、70号、71号、72号そして隙間に小さく73号

 個人的には、最初に出合ったのがそれであった所為か、北多摩線=フェアリー型の印象が強いが、案外この型は少ないようだ。手前左の70号を除き、みな異なるタイプである。

 しかし、お隣68号は、フェアリーだ。でもめずらしい耐張型だ。

北多摩線68号
逆光の北多摩線68号

 つづく

2017年文月14日
(取材は6月中旬終わり)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は三鷹市牟礼、最寄り駅は京王井の頭線三鷹台駅or久我山駅です

*北多摩線:千歳変電所から武蔵野変電所へ向かう。63-2号から始まるという変則型。千歳変電所では川世線が63-1号で終わっているので嘗て一続きの路線(群馬幹線)であったことが解る

福岡県・大分県等水害被災動物寄付金募集(ペット災対協)

はりがねハンガー―カラスと鉄塔
 久しぶりに訪ねた、と言うか通り掛かった大正生まれのシンツル20号

新鶴見線20号
新鶴見線20号
向こうは中富線91号

 でも、遠目に、何やら塔頂部に異物感がある。
 反対側から見ても、同様だ。三角帽子のすぐ下に、マリモの様なものが二つ。

新鶴見線20号
例のあれか?

 直下より望めば、案の定、カラスの巣であった。

新鶴見線20号のカラスの巣
やっぱり

 だが、アップで見ると、これはまた、ゴイスーな、針金ハンガーの集合体である。

新鶴見線20号のカラスの巣
アップ

 青を中心に、ところどころ白と黒が混ざり、惑星系誕生模式図の様なケイオス状態。とんでもないことになっていた。

 以前オカサカ118号の記事で紹介した、「クローアウト 営巣防止クローバー」を装着しているにもかかわらず、もしゃもしゃとハンガーの絡み合った巣は、上手く隙間にはまっている。
 繁殖期における鉄塔へのカラスの営巣(巣は子育てにのみ使う)が、送電トラブル詰まりは停電原因になるとは聞き知っているが、確かにこの塊が送電線に触れたなら、ショートもするであろう。
 しかし、この鉄塔の場合は、巣は送電線からは多少距離があり、危険性は高くはないという判断で、そのままとなっているのであろうか。とすれば、カラスも安心、JRも安心で、丸く収まるが。
 一般には、事故を起こす危険性が大きいと判断される場合を除き、雛の巣立ちを待って撤去するそうだが、一見したところ巣にも周囲にも親鳥の姿は無く、巣は空の様にも見えた。如何なのであろうか。

 針金ハンガーの巣に関しては、なぜハンガーなど巣材にするのか、都市部とはいえ街路樹も多く木の枝くらいは調達できるだろうにと、長年疑問に思っていた(古巣の巣材を再利用もするし)。この20号鉄塔の周囲だって、お庭の広い民家や農地は豊富であるし、縄張り外となる距離ではあるが神代植物公園や深大寺もある。枝の調達がそれほど難しいとも思えない。だのに何故、ハンガーなど態々使うのか。
 この私の疑問に関して、解決のヒントになる様な記述を、ネットで彼是調べるうち一つ見つけた。
 千葉県市川市の市立自然博物館が発行している「市川自然博物館だより」の1995年4月発行37号「都市と生物 1 カラス」にあるものだが、こちらを拝見させて頂いたところ、枝葉の繁る樹木と異なり風をまともに受ける鉄塔では、通常の巣より頑丈で重いものとする必要がある為、針金ハンガーを用いる例が多いのではないか、という考察がなされている。一般的な木の枝を巣材とした巣は約2sほどの重量であるが、針金ハンガー製の巣は重量は約5sほどあるのだそうだ。こう言われてみれば、成程、である。
 ここで、針金ハンガー5s分てどれ程の数か気になり、家にある青いごく普通の針金ハンガーを五つサンプリングして計量してみた。するとみな凡そ35gであった。仮にこの重さが一般的なものであるとすると、巣一個分で約142.85本と出た。20号鉄塔の巣がほぼ全て針金ハンガーで出来ていて5s程度の重さであると仮定すれば、まあ、よく集めたものと、感心せざるを得ない。民家の物干しから直接かっぱらって調達することも多いそうだが、これからは如何するのであろう。最近は、我が家の行きつけのクリーニング屋さんでも、もう大分以前に針金ハンガーは姿を消し、すべて黒いプラスティック・ハンガーに変わっている。これからはプラスティック・ハンガー(此方はやや重く約40gだが)を使う巣が増えてくるのであろうか。だとすると、プラスティックは絶縁体であるから、鉄塔での停電事故も起きにくくなる、のか。  

新鶴見線20号のカラスの巣
更にアップ

 カラスの営巣に関しては、もう一つネットで興味深いものを見付けた。それは、静岡市HP内「子育て中のカラスと仲良くするために」にあった、カラスの営巣場所人気ランキングである。以下に、その順位を引用させて頂く。

 一位:背の高い常緑樹(クス・カシ・ヒマラヤシーダーなど)
 二位:背の高い落葉樹(ケヤキ・ムク・エノキなど)
 三位:背の高い人工構造物(鉄塔・高層建物屋上・電柱など)
 四位:背がやや高い常緑樹(人気の少ない庭園のヒバ・カシなど)

 こう見ると、背が高いというのが第一の重要な条件である様だ。見晴らしがよく、また外敵が侵入し難いからであろう。第二の条件は、葉が密に繁って隠れやすい事のようだ。

 また、「カラスはなぜ東京が好きなのか」という本には、以下の様なハシブトガラスの営巣場所のデータがあったので、これも引用させて頂く。

 ・住宅地における好みの樹種
 クス・スダジイなど常緑広葉樹 43.78%
 イチョウ・サクラ・ケヤキなど落葉広葉樹 31.35%
 スギ・ヒマラシーダーなど針葉樹 12.97%
 人工物 11.89%
 (東京都豊島区駒込、文京区本駒込・千石。2000-2004年)

 ・六義園における好みの樹種
 クス・スダジイなど常緑広葉樹 86.32%
 イチョウ・イイギリなど落葉広葉樹 4.27%
 スギ・ヒマラシーダーなど針葉樹 9.40%
 人工物 0.00%
 (東京都文京区の庭園(柳沢吉保下屋敷跡)。2000-2005年)
 (以上、松田道生氏による)

 此方もほぼ同じような結果だ。背が高く、葉が密に繁っている(常緑樹は春先から葉が繁っているし)ことが大事な条件のようだ。

 これ等二つのデータを見て、もう一つ解ることがある。それは、「背の高い人工構造物」また「人工物」に分類される鉄塔は三番あるいは四番人気で、好き好んで鉄塔に営巣している訳ではなさそうだという事である。やっぱり、本来は高木に営巣したいのだ。カラスにとって鉄塔は、都市部では失われてしまった、背が高く葉が繁って巣を隠しやすい樹々の代替である、そういう事なのであろう。
 鳥好きのバードウォッチャーにさえ、とかく嫌われがちな彼ら彼女らも、都市の環境に一所懸命順応して暮らしているのである。鉄塔への営巣は、その事の一つの表れ、と捉えられるのではなかろうか。

 しかし、それにしてもこの20号鉄塔上の巣、一寸変だ。カラスは縄張り(テリトリー。半径20-100mとか)を持ち、その縄張り内には巣は普通一個のはずであるのに、狭い塔頂部に数十cmの間隔で二個並んでいるのは、不自然である。同じ番(つがい)の巣と考えるしかないが、なぜこんな近くに二個も作ったのか。
 カラスは普通、毎年新しい巣を作るそうだ。とすると、去年5月末の訪問時に巣は無かったので、この巣はそれ以降に作られ、何方かが昨シーズンのもので何方かが今シーズンのもの、という事か。ただ、繁殖シーズン内であれば何度も巣をつくるらしいので、二つとも今シーズンのものだが、何方かが気に入らず或いは何らかの不都合があって放棄された、とも考えられる。そう思ってみれば、向かって右側の巣は、やや崩れかけの様でもある。

新鶴見線20号のカラスの巣
向かって右を更にアップ

 何れにしろ、こんなに接近して二つ並んだカラスの巣は、珍しいな。

 どうも今回、カラスのお話ばかりになってしまった。最後は鉄塔で締めよう。
 上記の様に、まだ鉄塔に巣が無かった昨年5月末の訪問を、記事にして紹介した際、「真夏に若し再訪したら、景色は大分異なるものとなっているであろう」と書いたその景色は、この時期こうなっている。

新鶴見線20号
トウモロコシ畑と20号
向こうは中富線90号

 まだ真夏ではないが、あの時は苗の姿だったトウモロコシは、この6月も終わりが近づいた今、大分背が伸びた状態で、花穂(かすい)も出ている。

2017年文月12日
(取材は6月中旬終わり)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は調布市深大寺東町、最寄り駅は京王線柴崎駅orつつじヶ丘駅です

*カラス:日本で普通に見られるものはハシボソガラスとハシブトガラス(共にスズメ目カラス科カラス属)。ハシボソは名の通り嘴が細くハシブトも名の通り嘴が太い。前者は里山や農村部また郊外に多く、後者は都市部に多い傾向がある。今回の巣の作り主はどちらか不明
*営巣防止クローバー:三○鋼器さんとJR東日本(シンツルはJRの路線だ)との共同開発品
*巣材:卵を置く直径20pほどの「産座」には木の葉や樹皮など柔らかなものを使うので、堅い針金ハンガーで巣をつくっても大丈夫なのだ
*巣の撤去:カラスは鳥獣保護管理法(2014年5月成立)により許可なく捕獲・処分したりすることはできない。巣が空であれば可能
*柳沢吉保(1659-1714):徳川幕府五代将軍徳川綱吉の側用人でのち大老格

百草
 23号で高幡不動線が終了したその後は、分岐されて百草線(もぐさせん)が始まり、聖蹟桜ヶ丘変電所内の聖蹟桜ヶ丘線1号に併架され、独自鉄塔は持たぬまま、終点となる。
 「百草線」と表示される最初の鉄塔は、桜ヶ丘線24号である。

桜ヶ丘線24号
桜ヶ丘線24号
下部のアンテナは携帯電話基地局

 日野市万願寺、多摩モノレール万願寺駅に近い住宅街、そこの「下田つつじ公園」中に建つのだが、

桜ヶ丘線24号
24号

基部は鬱蒼たる樹々に包まれ、各種プレートは外からは一切見えず、容易に近づくこともできない。
 辛うじて、西面に点検の方が通る踏み分け道的なものがあり、そこからフェンスへ接近したのだが、矢張り樹々の葉がびっしりと周囲を覆っている。
 そんな状態の中、やっと、回線札のみ、葉とフェンスの隙間から覗き見ることが出来た。

桜ヶ丘線24号 桜ヶ丘線24号
百草線回線札

 大プレートも小プレートも、今回はゲット不可だったので、ヘリ巡視用プレートでお許し頂きたい。

桜ヶ丘線24号
ヘリ巡視用プレート

 この、百草線の名に冠された「百草(もぐさ)」とは、多摩ではお馴染みのものなのだが、一般にはそうではないと思われるので、一応説明が必要かとも思う。
 百草とは、東京都日野市の地名である。桜ヶ丘線24号から38号および聖蹟桜ヶ丘線1号まで併架(へいが)される百草線は、32号34号とがこの百草を通っている(前回の只見幹線546号も百草だったな)。
 現在日野市に属する百草は、もとは百草村で、明治22年(1889)の町村制施行時、他村との合併で「七生村(ななおむら)」となった。そしてその後、七生村が昭和33年(1958)に日野町と合併したため、日野市百草、となったのである。お隣多摩市にも同名の百草があるが、こちらは百草村の飛び地が多摩市の前々身である多摩村に取り込まれたもので、今回紹介の百草線とは、直接関連が無い。

 ここで、百草については分かったけど32号と34号が百草を通るのに間の33号はなぜ百草ではないの?とお思いの方もいらっしゃるであろう。実はこの周辺、「百草」と「落川(おちかわ)」とが、なかなか複雑に入り組んでいるのだ。ために、33号は、ギリギリ、生活道路一本隔てて落川となっているのである。序でに言うと、35号もまた落川だ。

 百草には、有名な「百草園」と言う丘陵上の日本庭園がある。
 元は、鎌倉幕府の祈祷所である真慈悲寺がこの地一帯にあったとされている。のち享保年間(1716-1735)に、小田原藩主夫人慈岳元長尼(じがくげんちょうに)と言う方が、徳川家康の長男信康追悼のため百草に松連寺を再建。その後、明治に入って廃寺となるも、地元百草村出身の青木角蔵氏が所有し修復。そうして、明治20年(1887)に一般に向け開園したのが、百草園である。
 この様に、百草園はなかなかもって古い存在で、高幡不動同様、多摩地域ではお馴染みの行楽地だ。

 ご参考までに百草園後背の高み、標高130-140mほどの見晴台近くからの眺望を。数年前のものだが、眺めは変わらない(建造物は変われど、風景自体は明治の頃とも大して変わらないはずだ)。季節は、皐月半ばの頃。

日野市、百草園
北東方向(東○エレベーター試験塔や桜ヶ丘線33号が見える)

日野市、百草園
東方向(只見幹線547号が見える)
茅葺き屋根は松連庵(お休み処)

 この周囲からお隣の百草八幡神社にかけて、スダジイの巨木群落があり、その圧倒的存在感は見事である。薄暗い森の中で、ちょっとコワさも感じるほどだ。

 と、ここまで書いてきて他のパイセンサイトさんの記述を拝見し成程と思った。百草線は23号から始まり聖蹟桜ヶ丘変電所で終わると言ったが、本当にそうなのかどうか分からないのである。若しかしたら逆、かもしれないのだ。
 しかし、確認の仕様が無い。不明である。

2017年文月10日
(取材は6月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は日野市万願寺、最寄り駅は多摩モノレール万願寺駅です

*百草園:昭和32年(1957)から京王電鉄所有となり、正式名は「京王百草園」

教習所
 可也古びた、そして可也小柄な只見幹線だ。

只見幹線546号

只見幹線546号 只見幹線546号
只見幹線546号

 マジ○ドライヴァーズスクール多摩校のど真ん中に建っている。塗装も剥がれがちな、第二腕金の長い旧タイプ。

 こうした旧タイプは、徐々にその数を減らしてはいるが、まだ多く見掛ける。しかしこの小さなタイプ、これは少ない。
 小柄とはいっても、塔高表示のない只見幹線ゆえ、実際何メートルなのかは分からない。ただ、多摩川北岸から見た時、長身の545号の向こうで、背景の「多摩の横山」(多摩丘陵)に完全に溶け込んでしまうくらいの高さである。
 只見幹線のイメージは、巨大鉄塔、である。背の高さだけで言えば、多摩北部で並走する6回線国分寺線とは左程変わらないし、多摩南部丘陵地帯で近くを走る東京西線などに比せば小さいくらいで、必ずしも巨大ではない。しかし、その塔高だけではない、全体的なヴォリューム感が、なんとなく、巨大な印象なのである。二本角の地線用を含めたその腕金の長さや、塔体の幅、また脚の踏ん張りなど、そうした様ざまな要素が相俟って、そのイメージを作り上げているのであろう。あくまでも、私の場合、ではあるが。

只見幹線546号
546号

 なので、この小柄只見幹線、なんとなく私には違和感の漂う存在なのだ。
 何時ぞやの記事で、只見幹線の嵩上げ建替えについて書いたが、この鉄塔の場合、立地からして嵩上げの必要もなさそうなので、暫くはこの姿が変化することは無いであろう。
 違和感を感じるとは言ったが、多様なタイプが存在するというのは、楽しい事ではないか。

只見幹線546号
546号
向こうは545号

 教習所南面、フェンス際から鉄塔を見上げていると、バイク教習中の生徒さんと教官氏の話す声が、道路に立つ私にも聞こえてくる。今さっきの走行に関する確認や反省の内容の様である。
 そんな場景を見るうち(聞くうち)、私自身の、過去のバイク教習を思い出していた。そしてその流れで、嘗てバイクを乗り回していた頃の思い出が甦って来た(暴走はしてないよ)。ああ、何時か、原付バイク(電動でもいい。でもスクーターはNG)で日本一周したい。
 免許は一応普通二輪を持っているのだが、オートバイ自体は、小さいのが好きなのだ。ハーレー・○ヴィッドソンといった大型のものには全く興味が無く(私の免許じゃ乗れぬが)、モ○キーやエ○プ等がめっちゃかわいくて好きなのだ(ダッ○スも好きだった)。ちゃいちいエンジンと車体での、あの頑張ってる感がたまらない。

 然し、小型バイクで日本一周するのなら、齢が行ってからでは体力的に厳しいな。余りのんびり構えてはおられぬぞ(モ○キーも生産終了となるし)。

2017年文月9日
(取材は6月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は日野市百草、最寄り駅は京王線百草園駅です

*モ○キー、エ○プ、ダッ○ス:みんなホ○ダの原付だ

 都道153号(前回出てきたものとは別)と新奥多摩街道(都道29号)を繋ぐ富士見通り(前々回出てきたものとは別)を、立川市街方面から南に向かうと、通りは立川崖線に架かる長く緩い坂に至る。この坂を下り着きそのまま少し進むと、そこは公社富士見町住宅である。
 この団地の、富士見通り際で、おなかのおおきなカエルがお出迎えしてくれるのが、桜ヶ丘線の10号。

立川市、富士見町住宅
ぽんぽこりんガエル

 10号は、このカエルがいる団地内「ぐるぐる公園東」に建つ。

桜ヶ丘線10号

桜ヶ丘線10号 桜ヶ丘線10号
桜ヶ丘線10号

 地線腕金と第一腕金が接近した、懸垂型。中富線の69号などと似ているが、もう少しこちらの方が腕金が長い様だ。
 それ程高い鉄塔ではないのだが、肘を張った様なその姿は、広い公園内に建ち周囲の棟もあまり高くはないものである所為か、まるで辺りを睥睨(へいげい)する団地の主の様にも見える。

桜ヶ丘線10号
10号

 団地には芝地も多く、入梅し、湿度も温度も好適か、植物全体が一段その色を深めたように思える。

桜ヶ丘線10号
10号

 そんな団地内、鉄塔東側に「おもしろ公園」なる公園があり、そこには、ほんにおもしろい遊具が。

立川市、富士見町住宅

立川市、富士見町住宅
軟体ジラフ?

 訳わからん。形態も柄も。全長1mの「おもしろトンネル」(左端)まである。
 以前の画像を他のサイトさんで拝見すると、ジラフ柄ではなくソリッド(単色)の黄色である。また富士見通り向こう側の団地内「たぬき公園」にほぼ同型と思われる遊具があるようだが、こちらは特別な塗装は施されていないようだ。
 団地は昭和43・44年(1968・1969)の築年なので、この遊具も同程度の歴史があると思われるが、この塗装自体はまだ大分つややかで、可也最近のものと思える。しかし、どういった発想でこのようになったのか、以前紹介のジャイアントパンダと言い、立川の団地内公園は、サイケな遊具が多いのか?

 10号鉄塔はここまでとし、団地を後に、東北東方向を目指す。寄りたい場所があるのだ。

 富士見町住宅から住宅街に出、500m程行き、小さな橋で根川を北向きに渡ると、立川崖線の斜面を北西から南東の向きに上がる坂が、緩く斜めに続いている。
 ここが、「転轍機」の記事中、WW2中の空襲に関する部分で少し触れた、山中坂である。

立川市、山中坂
下から(山中坂下橋方向から)
山中坂

立川市、山中坂
上から(奥多摩街道側から)
山中坂

 「転轍機」で書いた陸軍航空工廠が攻撃された昭和20年(1945)4月4日のその空襲、第一次と30分ほどのちの第二次とに分かれたその空襲の第二次の際、南の日野方面から侵入してきたボーイングB29爆撃機が投下した爆弾の一つが、この山中坂の下部近くの崖に掘られた二つの横穴式防空壕の(どちらかの)入口付近を直撃し、崖法面が大きく崩落した。午前3時半頃のこととされている。

 現在、防空壕跡には、戦災供養のため遺族の方が二年後に建立した地蔵尊を祀った地蔵堂と、平成7年(1995)に建立された「山中坂悲歌(エレジー)」の歌碑がある。

立川市、山中坂
地蔵堂と歌碑

 歌詞を見ると、この爆撃により亡くなった方は41名とあるが、歌碑下にある碑文では子ども32名を含む42名となっている。私がたびたび参考とさせて頂いている二書、「知られざる軍都 多摩・武蔵野」では41名、「首都防空網と<空都多摩>」では確認できた方41名、内身元不明者1名となっている。また、「立川空襲の記録 第一集 山中坂の防空壕」によると、遺体は41名で他に身元不明者1名とされている。なお同書には41名の内訳も記載されている。それによると、12家族で、高齢者4名、成人女性3名そして子供34名となっている(亡くなった子供の数の碑文との違いは何歳までを子供と見るかの違いであろうか)。

 埋もれた壕の発掘は、朝10時頃より、小雨の中、警防団、在郷軍人、学徒等により行われ、遺体は壕から根川に架かる山中坂下橋に向かう道の両側に筵(むしろ)を掛け並べられた(「立川空襲の記録 第一集」)。

 この山中坂の壕は、元は市役所が書類を守るために設けたものだが、市役所が使用しなくなった後、特に3月10日の空襲で東京上空が赤く染め上げられたのを見て以降、住民の方々が避難用に利用することが多くなっていた。大きさは、高さ1.5m、幅1.8m、奥行4mほどでほぼ同規模のものが1m程離れて並んでいた。収容可能人数はそれぞれ20人ほどであったが、空襲時、何名の方が内部に退避していたのか、生存者も無く、正確な数は公的記録では掌握できない。41名と言う犠牲者の数は、地元の方々により確認された数である。
 亡くなった方の死因は、爆弾による直接的なものと土の崩落による圧死・窒息死に分けられるが、証言を見ると、後者によるものが多かったようである。
 壕の被爆は、直接狙われたという説と、壕から南700m程にある中央線多摩川鉄橋を狙った爆弾がそれたものという二説があるが、B29爆撃機からの水平爆撃でピンポイントで壕に爆弾を投下することは難しいと思われるので、おそらくは後者ではなかろうかと、個人的には思う。空爆自体も、中央線そのものや鉄橋を目標としたものだったのではなかろうか(素人考えです)。

 地蔵堂の上、青梅道或いは五日市道と呼ばれる崖線上の道(上掲、坂上からの画像で右端の道)からは、先程訪ねた10号を望むことができる。

桜ヶ丘線10号
10号

 山中坂での出来事があったおよそ四か月後の8月2日の空襲では、当時一面の田圃であった10号の建つ富士見町住宅一帯には、無数の焼夷弾が落とされた(「この悲しみをくり返さない 立川市空襲の記録 I」)。

 本当に、戦争の記録や、戦跡なるものは、この時代のものを最後にせねばならないのだ。こうしたものが今後も生まれるようなことがあっては、絶対にならないのである。

立川市、山中坂
山中坂

2017年文月7日
(取材は6月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・「首都防空網と<空都多摩>」(吉川弘文館)、「知られざる軍都 多摩・武蔵野」(洋泉社)および「立川空襲の記録 第一集 山中坂の防空壕」、「この悲しみをくり返さない 立川市空襲の記録 I」(共に立川市文芸同好会)を参照させて頂きました

・この鉄塔の建つ場所及び山中坂は立川市富士見町、最寄り駅はJR中央線西立川駅or多摩モノレール柴崎体育館駅です

*被爆時刻:防空壕被爆時刻は、遺族の方が簡易保険給付申請のため4月11日に立川警察署長宛に出した「爆死証明書願」に記載された時刻を基にしたもの(「立川空襲の記録 第一集」)。 この時の空襲は第一次空襲とは別の編隊が日野上空から侵入し照明弾を撒いた後午前3時頃から40分間に渡り焼夷弾・爆弾を投下した。この日の空襲被害者は第二次空襲時に集中している(「首都防空網と<空都多摩>」)
*犠牲者数:遺族の方が壕で亡くなった家族の失われた脚を探しているとき、ゲートルを巻き軍靴を履いた軍人・兵士と思われる方の片脚を発見しており(身元不明者はこの方を指す)、地元民以外の犠牲者がいる可能性が否定できない。
犠牲者数に関しては、警視庁写真部石川光陽カメラマンが、地元派出所の巡査が「44人が即死」と警察署長に山中坂防空壕の被害を報告していたと証言している(「この悲しみをくり返さない 立川市空襲の記録 I」)。これは壕の発掘が行われる前の時点の報告で、どのように確認されたものかは分からない。なお、巡査は山中坂の壕で奥さん(43歳)と二人の子(7歳、4歳)を亡くしている。
石川氏が撮影した被災直後の山中坂の写真は、総務省HP「国内各都市の戦災の状況 > 立川市における戦災の状況」で見ることができる
*山中坂悲歌:作詞者は「立川空襲の記録 第一集」筆者の一人小沢長治氏、作曲は都立高校教諭新田光信氏。昭和56年(1981)制作
*B29:ボーイングB29スーパーフォートレス。1944年に運用が開始され主に太平洋戦線に投入された戦略爆撃機。なお多くの資料で壕を直撃したのは250s爆弾とされているが、米軍が主に使用していたのは500ポンド爆弾で約226.5sである
*青梅道、五日市道(おうめみち、いつかいちみち):江戸期の記録にはこのように記されているそうだ

六月のステイション
 逆光ポジションからは、プレート含め良く見える桜ヶ丘線2号鉄塔。

桜ヶ丘線2号

桜ヶ丘線2号 桜ヶ丘線2号
桜ヶ丘線2号

 しかし、順光正面ポジションは、あちらこちら移動したがどうも上手く見つけられない。
 諦めて斜めポジションを。手前は福島(ふくじま)通りが南北に越える村山街道踏切、踏切向こうは新設工事中の東中神駅舎の自由通路部分。

桜ヶ丘線2号
2号と村山街道踏切り

 工事中の新駅舎の踏切側には、まだ旧駅舎の一部である木の外壁が見えていたが、それが古い踏切と共に醸す匂いは、失われるには惜しいものの様に、私には感じられた。

 これで一応、鉄塔には満足したので、次なる目的地へと、踏切南側から東へ、青梅線鉄路に沿って進む。
 かつて、この線路向こう側には、立川基地のフェンスが延々と続いていた。

 ほぼまっすぐな線路沿いの道をひと駅分行けば、西立川駅である。この北口からは、都道153号を跨ぎ昭和記念公園西立川口へと直接続く陸橋が伸びている。橋上からは西方向、2号鉄塔がよく見える。

桜ヶ丘線2号
2号と153号線

 2号を見る私の左側が西立川駅改札、右側が昭和記念公園方向だ。

 なぜ、ここへ来たのか。陸橋を公園側に渡ってすぐの右手に、こんなものがあるからだ。

立川市西立川駅、雨のステイション歌碑

 「雨のステイション」歌碑だ。
 自然石を斜めにカットしたその上に、歌詞を刻んだ碑が、駅側から行くと、植え込みの陰に蹲(つくば)う様に、ひっそりと在る。
 これを、今の梅雨時にご紹介したかったのだ。

 「雨のステイション」と言っても、知らぬ人は知らぬであろう。
 ユーミンこと松任谷由実の荒井由実時代の3rdアルバム、「コバルト・アワー」(1975)収録の名曲である。
 しとしと降る6月の雨の中、駅前で始発を待ちながら、元カレに会える予感を抱いて人影を見送る少女の、その想いを歌ったもの。駅は西立川であり、少女はユーミン自身である。
 上画像、碑の右斜め上、白いマンションと緑深いツツジの間に僅か見える白い線が、西立川駅舎の屋根だ。

立川市、青梅線西立川駅
屋根の上にはこれがある

 磨かれた石面に刻まれる歌詞は、ユーミン自筆。

立川市西立川駅、雨のステイション歌碑
雨のステイション

 ・・・
 六月は蒼く煙って
 何もかもにじませている
  雨のステイション
  会える気がして
  いくつ人影 見送っただろう
 ・・・

 右上、鳥のうんちが、ちょっと気になるが。

 前回と今回と、二回続けて、ユーミン絡みになってしまった。

 ところでだが、歌碑のある場所は、跡地的に言うと、「陸軍航空廠立川支廠」(昭和10年(1935)設置)である。前に紹介した陸軍機の設計・製造を行う「陸軍航空工廠」とは異なり、陸軍機の補給・整備・修理を主に行う施設だ。昭和記念公園南西部、レインボープールや水鳥の池周辺から、西立川駅北口辺りまでがそうである(公園西立川口ゲートは飛行機の主翼をイメージしたものだ)。
 ここも、「空の都」立川の、戦跡のひとつと言えるだろうか。

2017年文月6日
(取材は6月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔の建つ場所は昭島市福島(ふくじま)町、最寄り駅はJR青梅線東中神駅です

*村山街道:埼玉県道40号さいたま東村山線、東京都道40号さいたま東村山線の一部を指す志木街道のこと。福島通りは武蔵村山市の中藤まで通じていたそうだ。なおこの通りは古くは「大山道(おおやまみち)」と呼ばれ神奈川の大山詣でに向かう人びとが利用したもので各地にある
歌碑:東京立川ロータリークラブの発案で2002年設置された。ユーミンご当人も訪れている
*西立川駅:昭和5年(1930)に青梅電気鉄道の停留場として開業。昭和19年(1944)戦時買収により国有化され青梅線西立川駅となる。「雨のステイション」は現在発車メロディに使用されている
*陸軍航空廠立川支廠:昭和17年には「立川陸軍航空廠」と改称

ランドリー・ゲイト
 旧陸軍航空工廠跡地及び後の米軍立川基地跡地西縁にあたる通りの歩道から、豊昭線55号と、旧ランドリー・ゲイトバス停を見る。このバス停が、55号訪問時知らずに行きそびれたバス停だ。

旧ランドリー・ゲイトバス停
旧ランドリー・ゲイトバス停と豊昭線55号

 停留所の名は、今では、

只見幹線542号
富士見通りバス停

と言う、この通りの名称のままの、可也普通なものに変わってしまっている(1998年に変わったらしい)。GEで見ると、位置も以前より少し南に移動しているようだ。

 ユーミン(松任谷由実)の「LAUNDRY-GATEの想い出」で有名な「ランドリー・ゲイト」とは、かつてこの地に存在した米空軍立川基地(Tachikawa Air Base, FAC 3012)の、洗濯工場脇にあったゲイト(出入門)の名である。バス停はそのゲイト近くにあったためこの名となった。
 確かに、今ではランドリー・ゲイトどころか立川基地も跡形ないのに、「ランドリー・ゲイト」などと名前が書かれていても、何のことやら、であろう。
 それでも以前は、広大な荒地が広がり「基地跡」的雰囲気はこの辺り濃厚であった。しかし今では、取材する私の背中側は、真新しい大規模な高層団地群が連なっている。
 考えてみれば、私がまだ幼かった頃、土日、立川へ遊びに行くと、街も中央線の電車内も米軍の兵隊さん達であふれかえっていた。平日には周辺地域の道路を走る米軍車両を良く見掛けたものだ(信号のない交差点で車列が切れるの持っていると彼らは必ず停まって笑顔で渡らせてくれたな)。本当に立川は基地の街であった。そんな時代であった。
 「LAUNDRY-GATEの想い出」は、十代の頃のユーミンの米軍基地に関わる想い出を歌ったものだが、幾分かは私の記憶とも重なり、一寸思い入れのある歌なのだ。

 ふた駅ゆられても まだ続いてる
 錆びた金網 線路に沿って
 ・・・

 さて、オジサンの昔話は置いといて、旧ランドリー・ゲイトバス停から南望すれば、バス通り正面突き当り左に、二基の鉄塔が並び建っているのが見える。豊昭線終点58号と桜ヶ丘線始点1号だ。そう、昭島変電所である。
 バス通りを真っ直ぐに南下する。

昭島変電所
昭島変電所

 鉄塔は二基のみ。

昭島変電所(桜ヶ丘線1号、豊昭線58号)
終わりと始まり

 左が豊昭線58号、右が桜ヶ丘線1号だ。
 嘗ては、この桜ヶ丘線と豊昭線の二路線、黒部幹線(昭和2年(1927)開設)と言う、北は富山県の愛本変電所から南は神奈川の京南変電所までを結ぶ長大な一続きの路線の一部であったのだ。黒部幹線はWW2後、様々な理由により分割されて現在に至っている(らしい)。その分割されたうちの二路線が、ここで並んでいる訳である。

 58号は可也複雑で、初見では何が何やら、よう分からない。

豊昭線58号

豊昭線58号 豊昭線58号
豊昭(とよあき)線58号

 下段に併架の村山線がここで引き下げられて地下ケーブルへと導かれているのは、分かる。

昭島変電所(村山線)
村山線

 桜ヶ丘線の方だが、この路線、今まで散々採り上げさせて頂いて来た。これが、その始まりの鉄塔である。

桜ヶ丘線1号
桜ヶ丘線1号
プレートは見当たらない

 ある種の感慨を持って、見上げている。

 変電所から南を見れば、「転轍機」で書いた陸軍航空工廠の為に作られ、引込線が発していたところの東中神駅、その駅の北側に建つ桜ヶ丘線2号が正面だ。

桜ヶ丘線2号
桜ヶ丘線2号

 行ってみよう。

 じゃあね!

昭島変電所(桜ヶ丘線1号、豊昭線58号)
桜ヶ丘線1号(右)と豊昭線58号

 つづく

2017年文月5日
(取材は6月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔達の建つ場所は昭島市福島町、最寄り駅はJR青梅線東中神駅です

*立川基地:元は陸軍立川飛行場。国営昭和記念公園はこの跡地に含まれる
*LAUNDRY-GATEの想い出:松任谷さんとなって初の作品「紅雀」(1978)収録。イントロがビリー・ジョエルの「ストレンジャー」クリソツなのは気のせい?
*黒部幹線:長野県新町開閉所―埼玉県奥秩父変電所間を現在も繋いでいる

逆さ鉄塔
 田植えが済んだばかりの田面(たおもて)に、府中線の47号が逆さだ。

府中線47号
府中線47号

 風が少し強く水面を小さなさざ波が覆っているため、また藻類が浮いているため、映る姿はやや不鮮明。
 よく見るとこの藻類、結構多い。土壌表面に発生した藍藻や珪藻等の藻類が、光合成により生成された酸素やバクテリアの活動で生じたガスなどの浮力で土壌表面ごと板状に剥がれて浮いてくる「表層剥離」と言う現象らしい。広がると水温・地温が下がるなど悪影響が出ることもあるので、除去する場合もあるそうだ。
 どの様な職業にも、一般には知られぬご苦労が多々あるのだ。努々(ゆめゆめ)忘するべからず。

 過去二度、田圃とのコラヴォでご登場願った、只見幹線542号()も訪ねてみた。したらば、近所の小学生たちが、ママ達に見守られながら、田植えの真っ最中。これは無理か、と思ったが、そのすぐ横の田から問題なく望むことが出来た。
 しかし、こんな状態である。

只見幹線542号
只見幹線542号

 さすがに只見幹線はデカく、その全身を写すには田圃は余りに狭かった。然も最奥、鉄塔脚元の部分はまだ湛水(たんすい)していない。
 めいっぱい広角にして、めいっぱい後ろに下がり距離をとっても、矢張りこれが限界である。

 まあ、東京で広い田圃と鉄塔の組み合わせなど、所詮無い物強請(ねだ)りである。諦めて裏手へ行き、可也読みづらい小プレートを見る。

只見幹線542号
542号の小プレート

 「昭和六十一年四月竣工」と読める。以外と新しいのだ。
 ついでに、広い鉄塔敷きに落ちる影。

只見幹線542号
542号の影

 私なんぞは鉄塔の落とす影も美しいと思うが、その影に入るお宅にお住まいの方は、どの様に思われているのであろうか。

 影に見入るうち、脚基部のボルト・ナット群が目に付いた。

只見幹線542号 只見幹線542号
542号のボルト・ナット群

 全部で14個のボルト・ナットが見えるが、アップで見ると、全てナットの上に六角形の緩み止めが付けられ、6個にはナットにキャップが被せてある。キャップはボルト・ナットの盗難・抜き取り防止用であると思われる(ナットを回すことができない)。
 昔、鉄塔脚部のボルトが抜き取られて倒壊する事件があったからな。

 少し西の多摩川堤防からは、こんな絵が見えた。

桜ヶ丘線25号と27号
多摩川堤防から

 桜ヶ丘線25号(右)と27号の上に伸びる、コントレイル(飛行機雲)。
 もう、消えかけであるが。

 数日後、多摩川南岸低地で、一か所田圃に映る鉄塔を見られるポイントを見付けた。しかし、風によるさざ波と、畦でくつろいでいたカルガモの番(つがい)が私の接近を警戒し田に入ったため出来た波紋により、クッキリとはいかなかった(ウキクサも多い)。

桜ヶ丘線34号
桜ヶ丘線34号
左は33号

 ごめんよカルガモさん。

2017年文月3日
(取材は6月初旬)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔達の建つ場所は府中線47号・只見幹線542号は府中市日新町、最寄り駅はJR南武線西府駅です(桜ヶ丘線34号の建つ場所は日野市百草、最寄り駅は京王線百草園駅)

*藻類:光合成を行う生物から維管束植物(シダ植物、種子植物)とコケ類を除いたものの総称。藍藻はシアノバクテリアと呼ばれる光合成細菌、珪藻は珪酸質の殻を持つ単細胞生物
*ウキクサ:サトイモ科ウキクサ属。流れのない水面に浮遊する。茎が変化した葉状体から新葉状体が出芽して増える
*ボルト抜き取り:1998年、香川県坂出市にある、讃岐坂出線14号鉄塔が台座付近のボルト80本中76本を抜き取られ倒壊した。犯人も理由も解らぬまま2003年時効となった。当事件以降ボルトの固定化が進んだ

番号確認
 以前採り上げた、北多摩変電所内に建つ二つの稲城線鉄塔。これを、奥に見えるガントリーを1号、手前のソンブレロを被ったようなドナウ型を2号、そう紹介した。しかし、サイトさんによっては、ガントリーを数に入れず、ソンブレロを1号としている場合がある。この二基はプレートが確認できないので、何方の見方が正しいのかが解らない。何となくスッキリしないのだ。
 稲城線は、北多摩変電所内の二基に始まり、多摩川対岸、稲城変電所内の二基で終わるごく短い路線。北多摩変電所内は上記の様に番号の確認ができない。途中の二つも西北線に併架されているのでこれまた番号が解らない。よって、稲城変電所内の二基の鉄塔の番号を確認しないと、正確な番号は解らないこととなる。しかしこれは、逆に言えば、稲城変電所内のどちらか一方でも番号確認ができれば、稲城線鉄塔の総数が解り、北多摩変電所内の二基の番号も、自ずと解ろうと言うものではないか。最終鉄塔が「6号」なら1号・2号と言う見方は正しいこととなるし、「5号」であったならば、2号と見ていたものが1号であったと言うことになる。

 という事で、図書館にCD(オアシスとナイトウィッシュの共に1st)を返却する序でに、稲城市大丸(おおまる)の多摩川南岸低地にある稲城変電所を訪ねてみた。

稲城変電所 稲城変電所
稲城変電所
名前が見え難く申し訳ご座いません

 変電所敷地すぐ西隣に鉄塔が建つが、これは西北線24号。

西北線34号

西北線34号 西北線34号
西北線24号(昭和45年10月 68m)
直下道路側に小さな祠がある

 このなかなかに巨大な鉄塔の脚元、変電所内に二基の小柄な鉄塔が見える。

稲城変電所
南側を走る川崎街道(都道9号)を
挟んで「和食よ◯い」さん側から

 24号側がやや大きく、これが赤白の西北線25号から稲城線を受けている。

稲城線5号
やや大きい方

 となると、その東隣りのチャイチイ方が、稲城線の最終鉄塔(仮)の様だ。

 彼方此方周囲を探ると、変電所北側、JR南武線高架下から駐車場越しに、やや大きい方の小プレートが辛うじて見える。

稲城線5号
やや大きい方の小プレート

 遠いが、はっきりと「五」の文字が肉眼でも確認できる。と言う事は、お隣の最終鉄塔(仮)は、確認は不可だが、6号、となるか。
 一応周囲から確認した範囲、変電所内鉄塔は二基のみ。大きい方は確実に5号であるから、小さい方は6号、そして同時に最終鉄塔。そういう事で間違えはなさそうである。
 つまり、稲城線鉄塔の総数は6基、なのだ。

 整理しよう。
 稲城変電所内、稲城線最終鉄塔が6号。その手前が5号。5号に送電を渡す赤白の西北線25号が稲城線4号相当。ダブルドナウの西北線26号が稲城線3号相当。多摩川北岸、北多摩変電所内のドナウ型が2号。その後ろで送電線を引き上げているのが1号。そういう事ととなる。
 北多摩変電所内のソンブレロ鉄塔はやはり稲城線2号、その後ろのガントリーはやはり1号、そうであったのだ。
 ああ、スッキリした。

 スッキリしたところで、改めて5号、6号を紹介しよう。

 変電所北、住宅地内から5号。

稲城線5号
稲城線5号 お隣は西北線24号

 その左手に6号。

稲城線6号
稲城線6号

 こちらからは、長峰線が地中送電ケーブルで分岐している。

稲城変電所、長峰線
長峰線

 「稲城(変)〜長峰線1号鉄塔」とある。この長峰線1号鉄塔と言うのは、ここから南南東に2q程の距離、京王相模原線線路脇にあるようだ。知らない場所ではない。機会があったら訪ねてみよう。

 最後に全景、スリー・ショットを。

稲城線5・6号、西北線34号
稲城線5・6号と西北線24号

 ここは住宅地の袋小路。何時までも居たら、ご迷惑である。とっとと消えよう。

 もう、これで鉄塔は終わりと思ったのだが、ふと思い付いて南進してみた。
 目指すは丘上の住宅地である。

 団地の間を抜け、住宅の間を縫い、坂を上がって北を望み、来て良かったと思った。

稲城線1-6号
丘上の斜面から稲城線たち

 多摩川低地から多摩丘陵へと上がる斜面の中途、標高47.3mの住宅地内道路から、標高39.3mの稲城変電所内5・6号はじめ稲城線のすべてが、辛うじてではあるが見渡せた。
 画像左マンション下が5号。その右画面中央付近が6号と、遠く1号・2号。そして右に二つ、3号・4号相当の西北線26号・25号(左端は西北線24号)。

稲城線1・2・6号
稲城線始まりと終わり

 上画像中央付近をアップにしてみた。6号と「和食よ◯い」稲城店さんの看板との間に、ドナウ型2号とガントリー1号が遥か。稲城線の始まりと終わりが、一つ絵に収まった。

 入梅前の貴重な晴天。有意義に使えたかな。
 梅雨は大好きだけれど、鉄塔巡りには、なかなか厳しい季節だからね。

2017年文月2日
(取材は6月初め)

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・撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します

・この鉄塔達の建つ場所は稲城市大丸、最寄り駅はJR南武線稲城長沼駅です

*稲城市大丸:稲城市は、東京都南部、多摩川南岸、多摩丘陵北東部の人口凡そ89,000人の市で、東京ヴェルディ1969のホームタウンの一つ。大丸は、「大きく丸い平地」の意とも、この地にある「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんしゃ)」の「おおまと」が変化したものとも言われている。ただ、「おおまとのつ」は「大きく丸い平地の船着き場(津)」の意との説もあり、正直、名の由来は私には良く解らない
*小さな祠:24号真下のフェンス外、川崎街道側にある。他の場所にあった弁天様の祠が移されたものだそうだ(サイト「いなぎ歴史探検」を参照させて頂きました)

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