MYSTIC RHYTHMS

Fe塔 その七

送電鉄塔の鉄美  profile

§索引

§鉄塔用語集

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神無月二十八日  さらば古きもの達よ 四
 519号の先、五日市街道(都道7号)を挟み並ぶ520号と521号は、他と異なり本体は手付かずだ。これから解体と言うことなのか、或いはこの二基は建て替えないのか。地線・送電線共に、碍子からは外され滑車(金車(きんしゃ)と呼ぶらしい)に架けられてはいるが。(取材は10月初旬)
 この二基は、上記の様に五日市街道を超えるため可也高身長である。前回の518号や519号、および既に建て替えが済んでいるので今回は取り上げなかった522号(赤白)等は、新鉄塔の塔高が可也増しているので、送電線と地上との距離をとるための高上げが、少なくも工事目的の一つであると思われる。高上げという観点から見ると、520号と521号はその必要性はなさそうではある。

只見幹線520号 只見幹線521号
左、520号 右、521号

 高上げ、と書いたが、今回紹介の建て替え全てにそれが目的として含まれるのかどうかは不明だ。新旧の524号525号はそれほど大きく高さが異なるようには見えないし、前後の鉄塔に比し大分小柄な523号は、建て替えの様子が見られないのだ(為に今回取り上げなかった)。
 経験・知識ともに不足した新米鉄塔鉄ちゃんの私には、解らないことがまだまだ多い。

 何れにしろ、此度の建替えシリーズ、これにて終了である。

 古き鉄塔達よ、さらば。
 ・・・

 と、ここで話はがっらと変わる。

 鉄塔巡礼では、思わぬ出会いと呼べるようなものが時折あるが、今回の巡礼にも一つ、そのようなものがあった。

 517号と518号との間には、玉川上水が流れているのだが、巡礼中、この上水すぐ脇にある公園で少し休もうと、上水側から足を踏み入れようとして、園内に横たわる物体、思わず二度見してしまった。

 なんじゃこりゃ。

小平市立上水公園遊具 小平市立上水公園遊具

 腹這う如き奇っ怪なるオブジェ、いや遊具。エディアカラ動物群やバージェス動物群に紛れ込ませても違和感無さそうな、ナメクジとオオグチボヤと種不明な深海生物が合体した様なる、何ともグロカワイイ物体。市井のアーティストさんの作品か、ご近所武蔵美(むさび)の生徒さんの制作か、或いは幼稚園児のフレキシブルな発想の具現化か。
 何れにしろ、妙に琴線に響くぞ。

小平市立上水公園遊具 小平市立上水公園遊具

 神無月初め、肌寒い曇天に、小平市立上水公園は人気無く、午後の静寂に、佇む私と砂場を泳ぐ遊具と、二人(?)のみ。

2016 10/28

*高上げ:一般に建築物の高さを増す事を「嵩上げ(かさあげ)」と呼ぶが、意味は同じと思う。送電線周辺の市街地化で高い建造物が建設される場合などに行われる
*オオグチボヤ(Megalodicopia hians):オオグチボヤ科オオグチボヤ属。大きな入水孔が口のように見える深海性のホヤ
*エディアカラ動物群、バージェス動物群:前者はオーストラリア、エディアカラで発見された約6億-5億5000万年前の先カンブリア時代の化石動物群。後者はカナダ、ブリティッシュコロンビア州で発見された約5億3000万年前のカンブリア紀の化石動物群

(鉄塔、公園共に最寄駅は西武国分寺線鷹の台駅)

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ペット災害対策推進協会

神無月二十七日  さらば古きもの達よ 三
 517号から521号も建て替え中。(取材は10月初旬)

 朝鮮大学校グラウンド脇に建つ517号は、この間紹介した524号同様、本体はほぼ完成のようだが、碍子は無く、地線・送電線はまだ滑車で胴体下部に仮掛け。
 サッカーの練習中か、プレーヤー達の声が冷えた大気の中に渡る。玉川上水の木立の向こう、鈍色の空の下で鉄塔はもの寂し気にも見える。

只見幹線517号
517号

 次なる518号は、何と申そうか、一寸言葉が無い。

只見幹線518号(旧)
518号

 地線用を除き、腕金は既に撤去されている。
 こんな状態の鉄塔を見るのは初めてだ。少々ショッキングである。

只見幹線518号(旧) 只見幹線518号(旧)
518号

 518号の少し南に、新518号がもう既に完成間近の姿で建っている。碍子も装着されているが、架線(がせん)はまだされていない。碍子には保護用と思しきオレンジのカヴァーが掛けられている。
 全ては移り変わり、あらゆるものが入れ替わって行くのが常とは言え、去り行く者の哀しみは、何時も変わらぬ。

只見幹線518号(新・旧)
新518号と旧518号

 さらに南進すれば519号なのだが、最初、何が如何なっているのか良く分からなかった。鉄塔の中に何かがあるのは当然見えていたが、パイル・ドライヴァー(杭打機)か何かだと思った。

只見幹線519号(新・旧)
519号

 しかし、裏手に回って鉄塔の中身が判明した。
 お分かり頂けるであろうか、新しい519号の中に古い519号がすっぽり収まっているのだ。

只見幹線519号(新・旧)
新519号(外)と旧519号(内)

 たまたま作業員の方がお掃除中のため、ゲートが開いており、フェンスの中が見渡せた。そして何気に、鉄塔の脚元を見ると・・・、あれ?鉄塔の中にも脚がある。で、見上げれば、真新しい銀白の部材の中に、古びた鉄塔の茶がかった部材が伸びているではないか。改めて横にまた正面に回り見れば、中央が長い旧タイプの腕金が六つ、新鉄塔の部材の隙間から突き出している。この腕金に気付かぬとは、やはりポンコツ。

只見幹線519号(新・旧)
新519号と旧519号

 鉄塔の建て替えとは、上記518号の様に少し場所をずらせて行うものと勝手に思い込んでいたが、こうした方法で全く同じ位置に建替えることもあるのだと、はじめて知った。勉強不足である。この「包み込み工法」と呼ばれる方法、送電線位置を上げる、高上げ工事で仮設鉄塔用地が確保できない場合などに採用されるとか。

 次回は520号と521号。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 10/27

*同じ位置に建替える:「元位置鉄塔建替え」と呼ぶらしい。そのままですね

(鉄塔の最寄駅は西武国分寺線鷹の台駅)

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ペット災害対策推進協会

神無月二十六日  さらば古きもの達よ 二
 こちらは既に建て替えも架線(がせん)も済んでいる、前回紹介の524号南に建つ525号。でもまだ、ジャンパー線は掛けられていない。つまり電気的には繋がってはいないという事だ(現在はもう繋がっているであろう)。因みにジャンパー線とは、この525号などの様に、送電線を左右から引っ張るように架線する、耐張型鉄塔に見られるもので、碍子で分断された送電線を繋ぐループ状に下がった短い電線の事。

只見幹線525号 只見幹線525号(旧)
左、新525号 右、旧525号

 上画像、左が現在の525号、右が今年の初めに撮った以前の525号だ。
 新鉄塔は、第二腕金が第一・第三腕金より若干長く、且つ腕金上部(地線腕金は下部)に補強用と思われる直角の部材が付加された最新タイプ(と思う)。今まで紹介してきた中では、529号539号と同じだ。最近徐々に増えている。下は前回紹介の524号の腕金だ。

只見幹線524号
最新タイプ腕金(524号)

 それに対し旧タイプは、第二腕金が他の腕金より大分長いタイプであった。以前に紹介した中では、520号544号545号555号が同タイプだ。こちらは、徐々にその数を減らしているが、区間によっては結構続けて並び建っている場合もある。只見幹線では他に、最新タイプと同じく第二腕金が若干長いが補強部材が無い、最新タイプの原型ともいえるものがある。このサイトでは、537号542号、543号を紹介した。私の知る限りでは、これが最も多いかな(そうでもないか)。

 上の様に並べて見ると、旧525号は、黄味がかり且つハゲかかった塗装の所為もあるが、腕金の部材が少なく、確かに旧型感が漂う。でも、旧型も良いなあ。

 秋、十月。見事なCirrus(シーラス。巻雲)である。

只見幹線525号

2016 10/26

*シーラス:ラテン語で巻き毛の意。一般に5-13kmほどの高さに現れる。小さな氷の結晶である氷晶からなる

(鉄塔の最寄駅は西武国分寺線恋ヶ窪駅)

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ペット災害対策推進協会

神無月二十五日  さらば古きもの達よ 一
 建て替え工事中の只見幹線524号だ。確かにこの区間、同じ只見幹線でも他の区間に比べ古めのタイプが多く並んでおり、そんなこともあろうかとは、何とはなく感じてはいたが、終に現実となった。
 本体はもう、ほぼ完成しているように見える。

只見幹線524号
新524号

 腕金にはまだ碍子もなく、当然送電線も地線も掛けられていない。12本の送電線(只見幹線は二導体と言い送電線一本分を二本で賄っているので多いのだ)と2本の地線は、第三腕金の下部に、14個の滑車(地線2個、送電線12個)で仮掛け状態である。

只見幹線524号

只見幹線524号 只見幹線524号

 当然と言えば当然だが、各線にはまだスペーサーも難着雪リングもトーショナルダンパーもそして捩じれ防止カウンターウエイトも、架線を保護するものは一切付けられていない。まっさらな状態だ。これから、作業員の方々が塔上に登り、宙乗器と呼ばれる小さなチェアリフト(高尾山やスキー場で見掛けるやつ)様の器具を使って電線に乗り(ぶら下がり)、鉄塔から鉄塔へと渡りながら取り付けていかれるわけだ。
 この記事をアップする時点では、もう工事は終了(若しくは大分進捗)しているかもしれないが、どうぞ、事故の有りませぬ様に。

 真新しい鉄塔の真新しい部材が、秋空に眩い。

只見幹線524号

2016 10/25

*宙乗器:単導体(電線一本)様は一人乗りチェアリフトの様だが、只見幹線の様な複導体(電線二本以上)用はニ人乗り用と言った感じ。これに落下物を受ける保護ネットを付ける
*二導体:通常一本の電線(単導体)を2-8本の複数の電線としたものを複導体(多導体)と呼ぶ。コロナ放電が起きにくく送電容量も増える

(鉄塔の最寄駅は西武国分寺線恋ヶ窪駅)

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ペット災害対策推進協会

神無月二十三日  番外:上水本町火の見櫓・火の見櫓他日
 「火の見櫓」とは題したが、どうなのであろう、これは火の見櫓と呼べるのであろうか。
 「櫓」とは、辞書的には、「木材や鉄骨などを用いて組み立てた高い構築物」(goo辞書)ということだ。確かに、まあ高いのは高い。横に建っている低めの電柱くらい、多分5-6m程はある。だが、一般に火の見櫓としてイメージされる、上部に人が乗るような部分は無い。屋根もない。有るのは半鐘(と木槌)のみだ。
 「火の見梯子」と言うのが正確なようにも思えるが、一応「梯子型」火の見櫓とさせて頂く。

小平市上水本町火の見櫓
全景
道路脇で盗難が心配だ

 大きな農家のお庭先の畑の片隅、鬱蒼たる屋敷林をバックに建つ。南側はすぐに、交通量の多い都道だ。上の画像で、櫓右手の道を進むと、和食レストランとその向こうに玉川上水がある。
 現代においては一般的な二階建て家屋の高さは、おそらく5-6m程度と思うのだが、それと左程変わらないとも見えるこの櫓の高さを考えると、近辺に建造物の少なかった、辺り一面の農地の中に家屋が点在しているだけのような時代、そんな相当以前の時代に設置されたものであろうかとも思える。
 あるサイトさんの記事によると、この地が旧町名であった頃から櫓はあったそうだ。小平市立図書館の「小平事始め年表」を見ると、旧町名「上鈴木」が最後に出てくるのは昭和32年(1957)、現町名「上水本町」が最初に出てくるのは昭和35年(1960)である。よって櫓は、少なくも建てられてより59年以上は経過していることになる。
 櫓は古そうだが、塗装はシルバーも眩く、錆も剥離も左程には目立たず、比較的最近塗り替えられているように見える。

 吊り下げられた半鐘は、緑青(ろくしょう)を纏い、可也歳降りているように見える。これも上記サイトさんの記事によるのだが、「小平ふるさと村」にあるこれと似た半鐘は、明治から昭和初期の頃の鋳造だそうだ。以前紹介した、ご近所の三鷹市大沢の火の見櫓のものは昭和10年(1930)頃の鋳造であるらしい。そうするとこれも同様、WW2前のものではなかろうかとも思えるが、根拠となるデータが無いので、推測することしかできない。
 隣に下がる木槌は、風雨に曝され、絡みついた枯れ蔓もそのままに、半ば朽ちかけている(初代ではなかろうと思うが)。

小平市上水本町火の見櫓
半鐘と木槌

小平市上水本町火の見櫓 小平市上水本町火の見櫓
左、竜頭 右、木槌

 「竜頭(りゅうず)」は文字通り竜の頭(かしら)であるが、なかなか味のあるお顔立ち。カワイイ。
 鐘身上部、「乳の間」と呼ばれる四角い領域には16個の乳(ち)と呼ばれる小突起が並んでいる。また、「駒の爪」と呼ばれる鐘の口縁にある馬の蹄様の膨らみの上、「下帯」と呼ばれる部分は唐草文が取り巻いている。
 この半鐘とは「小さい釣鐘」の意で、元来は寺院で用いられていたものが、江戸時代、火消が組織されるに伴い、警報の役に使われるようになり普及したのだとか。因みに、火消には課役(かやく)としての大名火消しと、幕府直属の定火消(じょうひけし)が主なものとしてあったが、後者は明暦の大火(振袖火事)の翌年、万治元年(1658)、幕府の命を受けた四人の旗本によって組織されたもの。この定火消発足の際、今の消防署にあたる火消屋敷(飯田町、小石川伝通院前、お茶ノ水そして麹町半蔵門外の四つ)が与えられたのだが、この屋敷に建てられた高さ三丈(約9m)の見張り台こそ、初の火の見櫓なのだそうな。

 しかし、火の見櫓の形状やタイプに関しては全くの無知蒙昧だが、この様な三角頭の烏賊さんタイプは、珍しいのではないだろうか。

小平市上水本町火の見櫓
烏賊さん

 この逆光ヴァージョンを見て頂くと解るが、下部は安定を図るため台形錐的形状になっている。

 実は当日、この櫓へ行く予定はなかったのだ。
 元々は、この櫓の少し東、玉川上水に架かる喜平橋(きへいばし)近く、国分寺街道(都道133号線)沿いにあった上水南町の火の見櫓を拝見しようと出かけたのだ。ところがなんと、今まさに進行中の住宅建設により、櫓は消滅してしまっていたのだ。昨年3月撮影のストヴューで見ると、こちらは上部に見張り台も屋根もある、一般的なタイプで、複数のメガフォンも設置された現役感漂うものだったのだが・・・。世の変化の速き事よ。
 そこで急遽、こちら上水本町の櫓もヤバイのではないかと、訪ねた次第だ。
 ただ、突然の予定変更ゆえ、場所が良く分からない。同じ玉川上水沿いであり、和食レストランの近くであったことだけは頭に入っていたのだが、レストランと喜平橋との位置関係が分からなくなり混乱してしまった。途中、ほぼ見当識喪失状態である。スマホのGPSのお世話になり、なんとか辿り着くことができた。有難き事よ。

小平市上水本町火の見櫓
願文化財指定

 上水本町の櫓、私有地内にあるので(ご訪問の際はお気遣いをお願致します)、個人所有なのかもしれないが、長く地域防災のため働いてきた存在、大沢のもの同様、歴史的文化財として小平市で保存して頂けないであろうか。

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 火の見櫓他日

 上の記事をざっと書き上げ、何日かかけて推敲していた或る日、火の見櫓前を自転車で通りかかった。
 これは丁度いいと、前回上手く撮れなかった間近の(ほぼ)全身画及び引きの横絵と、撮り忘れた基部画像を撮影。以下に追加します。
 上の写真たちを撮った日は、やや雲の多い薄日和であったが、今回は雲量ゼロの晴天。少し違った雰囲気も感じて頂けるのではなかろうか。

小平市上水本町火の見櫓
自動車・自転車共に多いのでご注意を

 櫓横には、産卵を控え見事に巨大化したジョロウグモ(Nephila clavata)の張った大きな網が、陽光にキラキラと光っていた(右画像、櫓の右手にうすく写っている)。オリジナルサイズで見ると、大きなメスの横に、秋の繁殖期以降網の隅っこに同居(居候)するようになる、数分の一ほどの小さなオスが写っている。

小平市上水本町火の見櫓 小平市上水本町火の見櫓
後はケヤキの屋敷林

 基部は、フェンスと繁る植物たちに阻まれ良く見えず、腕を伸ばし半ばノールックで撮った。

小平市上水本町火の見櫓
基部

 考えてみれば、この道、この櫓の前、何年も前から幾度も自転車で通っていたのだ。玉川上水を訪ねた際など、上の横絵に写る櫓脇の道(画像右手)も何度も通っている。少なくも、一度や二度は櫓が視界に入っていたはずなのだ。しかし、その存在には、全然、全く、寸毫(すんごう)も気付かなんだ。漫然(ぼーっ)としているとホントに、視れども見えず、となる典型だ。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 10/23

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 後日、ふるさと村へ行く機会があったので、半鐘画像を載せます。

小平ふるさと村半鐘
小平ふるさと村の半鐘

 「乳の間」の乳の数も16で同じ、下帯の唐草文も龍の顔もよく似ている。写真で見る限りではあるが、全体的なフォルムも同じ鋳型ではなかろうかと思い得るほどである(同じかどうかは全く不明)。

*あるサイトさんの記事:「忘れ得ぬ人々&道草ノート」さん2009年8月の記事を参照させて頂きました
*明暦の大火:世界三大大火の一つ(他はローマとロンドン)ともされる明暦3年(1657)1月18-19日にかけての江戸の大火。火元は本郷丸山の本妙寺で、法会で焼いた振袖が出火原因ともされる。よって、丸山火事、振袖火事とも称される。焼死者10万人以上。江戸城天守閣も焼失。因みに江戸城天守はこれ以降再建されていない
*木槌:仏具としてはよく似た「撞木(しゅもく)」(シュモクザメの「シュモク」はこれ)があるが、これは木槌であろう
*ジョロウグモ:ジョロウグモ科ジョロウグモ属。オスは繁殖期の頃は網を張る能力を失う。網はやや金色を帯びるのでこの類は英語で、ゴールデン・シルク・スパイダーと呼ぶ
*視れども見えず:「心ここに在らざれば視れども見えず」。漫然と見ているだけでは見えていないのと同じである、本質の理解は出来ない。が本来の意。出典は儒教の経典「大学」

(最寄駅は西武多摩湖線一橋学園駅或いは西武国分寺線鷹の台駅・恋ヶ窪駅)

(「火の見櫓図鑑」さん、を参照させて頂きました)

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ペット災害対策推進協会

長月二十四日  スカート

只見幹線544号
544号のスカート(一寸見難いが)

 以前、渡河鉄塔である只見幹線545号を紹介した際、スカートを穿いているのを、嵩上げの為か、と書いたが、今回、多摩川を挟んだ対岸の544号を訪ねたらば、全く同じ様にスカートを穿いていた。よって、スカート穿きは渡河のための嵩上げが理由と考えて間違えなさそうだ(普通に考えればそれ以外の理由は無さそうですね。失礼しました)。

 544号は、多摩川北岸のコンクリート工場内に建ち、接近は不可。しかし、堤防からは近距離なのでその上から存分に拝むことが可能だ。しかし、堤防上のロードは、多くのジョガーや自転車レーサーが引っ切り無しに行き交う。ご訪問の際は十分にご注意頂きたい(実際ロード上では衝突事故も起きている)。

只見幹線544号 只見幹線544号
只見幹線544号

 長身の544号を見上げての後、180度視線を転じ南を望めば、カテナリーな曲線を描き渡河する送電線を繋いだ545号が、多摩の横山をバックに見晴るかせる。
 ここで言う、多摩の横山とは、多摩丘陵の古い呼び名だ。北方の武蔵国府(現在の府中市)などから眺めると、東西(横)に長く横たわって見えるという、至ってシンプル且つストレートな命名である。万葉集(巻二十の四四一七)にもこの名は登場し、下のような歌が伝わっている。

 「赤駒を 山野(やまの)に放(はが)し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣らむ」
 武蔵国豊島郡上丁(かみつよほろ)椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)が妻、宇遅部黒女(うじべのくろめ)

 天平勝宝7年(755)2月、夫が防人として筑紫に派遣される際、放してしまった馬が捕えられず、発つ夫を徒歩で行かせねばならないことを妻が悔やみ詠んだ歌、とされるている。
 各郡の防人達は武蔵国府に集められ、そこから多摩川を渡り横山を越え、東山道を西へ向かった。旅立つ夫、それを見送る妻、というシチュエーションが実際であるならば、切ない歌だ。

只見幹線545号
545号と多摩川と多摩の横山と

 以前545号と共に紹介した桜ヶ丘線32号も中央左寄りに見えているのだが、小柄なため、丁度すっぽりと横長な丘の緑に埋もれ紛れてしまい、全く目立たない。

 再び、北岸に視線を戻せば、544号下の堤防上には、「四谷の五本松」と呼ばれる由緒あるクロマツが五本並んでいる。
 江戸中期、この地で病の身を助けられた甲州の商人が、のち報恩のため植えた三十八本(村の三十八戸に因んだとか)のマツの名残りとされているそうだ。
 マツは入れ替わり、代替わりしているが、今も大小含めその名通りの数である。下右画像にはそのうちの東側の二本が写っている。

府中市四谷五本松案内板 只見幹線544号と五本松、コンクリート工場
左、五本松案内板
右、544号とマツとコンクリート工場と

 鉄塔を訪ねたのは九月半ばの頃であったが、多摩地域にしてはやや早く、地獄花が堤防の上下あちらこちらに、鮮やかな朱を点在させていた。

府中市四谷多摩川地獄花
多摩川原の地獄花(ヒガンバナ)

 そんな初秋の風景を眺めつつ、鉄塔下を西に100m程進むと、堤防法面に西府用水に関わるものと思しき水門の古い巨大な笠歯車二つが、秋草に埋もれている(堤防と道路を挟み北側に「西府用水下堰水門跡」の碑が建つ用水路跡を利用した緑地がある)。大昔、サイクリングでここを訪れた際、施工年を記した銘板を見た記憶があるが、確かWW2前のものであったように思う。
 立入禁止を意味しているであろう、お馴染みのタイガー・カラーのロープで囲われているため、以前と異なり接近は出来ない。河原に下りれば正面から見ることが可能だが、クズその他の繁茂が凄まじく、断念。上から撮影のみ。

府中市四谷多摩川水門
水門歯車(西側)

 よく見ると、昔あった上部の小さい笠歯車が無くなっている。まさか盗難ではないであろうな。気になる。

 それにしても暑い。暑さ寒さも彼岸まで、とは、残暑も秋の彼岸が過ぎれば和らぐ、の意だが、逆に言えば、秋の彼岸までは暑い、と言うことでもある。だがそれにしても、暑い。日差しは弱いが蒸し暑い。多摩川縁で昼食と思ったが、日陰無き土手は熱気でとてもゆっくりものを食べられる様な状況ではない。でも、もう超腹減りだ。
 最後の手段で、自転車で走りながらあんパンを食べた(安全には十分注意して)。気持ちは良いが、おっさんのこの行為、一寸はずい。

2016 9/24

*多摩丘陵:東京南西部から三浦半島に至る丘陵地。第三期鮮新世辺りから第四紀更新世辺りに形成された地層よりなる。「田園の憂鬱」また「平成狸合戦ぽんぽこ」や「耳すま」の舞台
*防人:757年以降は九州からの徴用となり東国からの徴用は止んだのでこの755年が最後か。宝亀2年(771)に東海道へ移管するまで武蔵国は東山道に所属していたので防人は東山道を通って行ったともされる。多摩地域にはこの歌に因んだお菓子や馬の民芸品がある
*地獄花:中国原産のヒガンバナ科ヒガンバナ属のヒガンバナ(Lycoris racliata)の別名。他に幽霊花、死人花などの名もある。コワイ
*クズ:マメ科の蔓性多年草。秋の七草

(この鉄塔の最寄り駅は京王線の中河原駅)

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ペット災害対策推進協会

長月二十一日  霊園近傍
 「北の離れ」で紹介した、多磨霊園の小金井門塔12区水盤また13区給水塔等を訪ねた際、序でに(と言っては失礼だが)、近くにある車返線に寄った。まだ幾つか、紹介していない鉄塔があるので、その内の一つくらいは、この機会に紹介できればと思ったのだ。

多磨霊園南門
霊園南門銘板

 霊園南門を出、大正12年(1923)の開園と同時に作られた、甲州街道及び京王線多磨霊園駅(当初は京王電気軌道多磨駅)へと繋がる南参道(建設当初は幅15m、長さ1130m)へ入る。ここは両側に多くの石屋さんが軒を連ね、街路樹はサクラ並木となっている。

多磨霊園南参道
南参道(霊園側を向く)

 この参道の適当な場所から東へ曲がり、300mばかり進めば、西武多摩川線の線路、すなわち車返線にぶつかる。
 お馴染みの方にとっては当然の事だが、知らない方にとっては「西武多摩川線の線路、すなわち車返線」ってどういう事?とお思いであろうと考える。ので、ここでちょっと簡単に説明しよう。車返線と言う路線は1-1号から31号まで(国分寺線を併架しつつ)、西武多摩川線の線路上に続いており、その鉄塔は、通常の四角錐型の鉄塔と異なり、門型(ガントリーと言う)をして、線路を跨ぐ形で延々と連なっているのだ。こちらこちら或いはこちらを見てもらえれば、ご理解頂けると思う。
 ちなみに、現在の車返線のガントリー鉄塔は昭和42年の建設だが、昭和10年頃撮影されたという西武多摩線(西武多摩川線の前名称)の写真には、線路脇に可也幅の狭そうな三回線(現在は四回線)と思しき四角柱型(に見える)鉄塔が写っている。現在の車返線・国分寺線に相当するものと思うが、当時はガントリーではなかったようだ。

 さて、その車返線鉄塔、線路沿いにマウンテンバイクで走りながら、今回ご紹介はどれにしようかと迷ったが、比較的撮り易かった16号にすることとした。

車返線16号 車返線16号
車返線16号

 この辺りの車返線は、住宅密集地を通るため、容易に接近できない塔が多い。西武多摩川線の線路には接近できても、その場所に都合よく車返線の鉄塔がなかなかないのだ。鉄塔自体はデカいので家並越しに撮影可能だが、プレートが難しい。16号も、大プレートは奥まった住宅地の、駐車スペース越しになんとか目いっぱいのズームで捉えられたが、小プレートは私には見ることができなかった。

 アクセス数から考えても殆どいらっしゃらないと思うが、このブログを見て、紹介している鉄塔を訪ねて下さる方が万が一いらしたとしたら、それは望外の喜びである。しかし、若しそういう方がいらしたら、お願いがあります。東京郊外の鉄塔の多くが建つのは、静かなごく普通の住宅地です。そうした場所でカメラを持ち、カメラを構えそして撮影したりする行為は、ご近隣の方々にご迷惑をかけるものとなる場合があり得ます。よって鉄塔ご訪問の際は、ご近所へのご配慮を、是非お願い致します。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 9/21

*昭和10年頃の写真:2006年発行の「新版 武蔵国府のまち 府中市の歴史」に掲載があるが、不鮮明ながら、上部に中段が上・下段より長い三段六つの腕金、その下に上段が下段より長い二段四つの腕金があるように見える

(この鉄塔の最寄駅は西武多摩川線の多磨駅)

(霊園に関心のお有の方には、「歴史が眠る多磨霊園」さんがとても参考になると思います)

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ペット災害対策推進協会

長月十六日  夏の終わり
 ゆく夏に、思いがけず、スマホ・デビューすることとなった。
 長いことお世話になっていた携帯電話が、この夏のとある日、突然壊れたのだ(リサイクルに出しました)。
 よって、当然ながら、以降、鉄塔巡りもスマホ携行とあいなった。

 私は、一度行ったことのある場所は余り行きたがらないと前に書いたが、同じ様に、一度通ったことのある道も、余り通りたくない。よって、繰り返し利用するような場所、お店や図書館等に行く場合など、なるべく道を変えて行く。それも可也気紛れに。なので、地理的勘にはそこそこ自信のある私だが、やはり道に迷いやすい。
 今回ご登場願う四つの鉄塔達の内三つは、以前に紹介済みである。一度訪ねた鉄塔は行かないと書いたではないか、とツッコまれそうだが、小金井市の図書館に用事があり、近くまで行ったのだ。それに三つとも比較的初期の頃訪ねた為、プレートを撮っていなかったので、出来得れば撮りたいとも思ったのだ。責めないで下さい。
 それで、出掛けたのは8月も終わりに近いとある日。まずは図書館を目指したのだが、上に書いたように道を変え、ほぼお初のルートを辿った。そして案の定迷った。
 これは、スマホ(何故「スマフォ」じゃないのだろう)の出番ではないか、と早速地図検索。そんなには見当外れしていない自信はあったが、猛暑の中、もし可也の遠回りとなった場合熱中症が心配なので、ご登場願った。そして、あっと言う間に現在地が判明。図書館との位置関係も一目瞭然ではないか。しかも、ほんの200mほどの至近距離であった。
 我が地理的勘の鋭さを自賛すると共に、スマホの便利さに感歎した次第である。

 図書館で用事を済ませ、しっかり水分補給の後、鉄塔目指し残暑の街を北へ。図書館からは、住宅地を少し縫い、小金井公園を西に抜ければすぐに小平市だ。
 小金井街道を渡り、また少し北西へ住宅街を走れば懐かしきお姿。この前は冬間近の頃であったが、今は晩夏の133号と132号。でも写真ではあまり季節感は出てないな。

岡部境線133号 岡部境線133号
133号

 133号は個人のお庭に建っており、小プレート撮影は位置的に無理であった。大プレートは生垣越し、庭木の間からぎりぎり望むことができた。
 こんな撮影は完全に不審行為であり、ご近所迷惑である。とっとと撤収。

岡部境線132号 岡部境線132号
132号

 132号は、畑の中なので、北側の道路から遮るものもなく小プレートは見えている。
 南面からは、緑いっぱいの畑を手前にして撮れるかと期待していたのだが、丁度夏野菜から秋野菜への切り替え時期なのか、鉄塔下手前付近の殆どは丁寧に均された土がむき出しとなっていた。ので、地面付近が入りきらなかった横絵とさせて頂く。
 のんびり構えていると、すぐに鉄塔が雲の影に入ってしまう。しかも、一旦入るとなかなかどいてくれない、イジワルな雲だ。
 農作業中のご夫婦が、胡散そうに鉄塔を撮る私を見ている。当然だ。お邪魔しました。

岡部境線132号
132号

 次に、まだ未見の130号を考えており、近くまで行ったのだが、ここは完全に四囲を住宅に囲まれていて、非常に気を使うパターン。一寸迷ったが、次の機会があるか不明なので、撮らせて頂くこととした。
 小プレートは、二件のお家の狭間、駐車スペースの向こうである。すぐ脇はリヴィングと思しき部屋の窓。訝しむわんこの吠え声も聞こえる。なるべく遠くから狙おう。色々な意味で撮り難い・・・。

岡部境線130号 岡部境線130号
130号

 ここも昔は、132号の様に畑の中であったのだろうな。実際、この一角の西隣りから北西そして北側にかけては今も畑だ。

岡部境線130号
130号

 130号の下からは、名残る暑さに湧き立つ積雲をバックに、家並越しの131号が遠望できた。

岡部境線131号
131号

 岡部境線が敷設されて七十有余年。人々が暮らし継ぎ或いは入れ替わる中、これ等鉄塔達は建ち続けて居た訳だ。
 ここに限らず、古い鉄塔達を訪ねると、その建つ地の、風景や街並みなど、様々な変遷に想いが至る。

 と、鉄塔はここまで。
 以前、小平線で紹介したように、小平市は、江戸時代の新田開発の頃の短冊型地割と用水が多くみられる。130号を後にしてから、丁度、そんな場所に行き当たったので、最後にご紹介したい。

小平市鈴木町、田無用水 小平市鈴木町、田無用水
田無用水
左、西から 右、東から

 画像は「田無用水」といい、元禄九年(1696)に開削された用水。玉川上水(承応三年(1654)通水開始)から分水した新堀川用水が更に分水したもので、旧田無市、現在の西東京市へと続いている(石神井川に流入)。
 私が撮影していると、農作業をしていたご年配の方が近づいて来られた。何とはなく圧を感じたので、咎められるのを覚悟した。
「何で写真撮ってるの?」
と、最初に一言。結構強めだ。
「小平の町をいろいろと撮っているのです」
と、私。控えめに。
 すると、案に相違し、この畑の持主と仰るその方、それからいろいろと用水の昔の様子や、この方の家の歴史などお話してくださった。
 この方のご先祖はその昔、武士を棄て、ここの北方に当たる東村山(岡部境線の109号など訪ねた所)から入植したのだそうだ。画像、用水の左右に畑が南北に延びるが、長さは凡そ400m、幅は凡そ30間(約54m)。裕福な家はもっと幅が広く(70間とか)、貧しい家はもっと幅が狭かったと。
 用水については、私は勝手に、用水=農業用水と思い込んでいたのだが、この方の言によれば、「小平に農業用水なんてない、みんな飲用だ」そうだ。確かに、考えてみれば、この田無用水も、岡部境線128号のところで紹介した大沼田用水も、元を辿れば、江戸の飲用水を賄う為に作られた玉川上水である。当然飲用であろう。それにこの辺り、鈴木新田として開発されたのは水田ではなく殆ど畑だ。
 なお、嘗てこの用水は、田無村のみで利用され、自家の畑を通りはするが、水利権が無いため使えなかったそうだ。
 他の用水部分は草草に覆われているが、此方の畑では綺麗に整備され、大切に管理されていることが窺われる。

小平市鈴木町、短冊の畑 小平市鈴木町、短冊の畑
短冊の畑を分かつ道
左、北向き 右、南向き

 この画像は、上の田無用水を丁度跨ぐ辺りからポジションを変えずに北向き・南向きに撮った、基本的には江戸期の頃と変わらない、短冊形の畑を分かつ道。自動車がすれ違えるように大分拡幅されているのと、フェンスがある影響で両側の畑が見え難いが、大体同じ幅で広がっている。北向き写真の右手にはケヤキの屋敷林が見える。
 小平線で紹介した、ここの北西に当たる小川町辺りに比べると、この鈴木町周辺の短冊地割は余り顕著ではないが、この鈴木小学校北側の畑は、地図で見ると、はっきりと短冊が三つ並んで残っている。

 偶々この用水及び畑に行き着いたとき、自分が何処にいるのかが良く分からず、ここでもスマホのGPS機能のお世話になった。気紛れに自転車で街を行く私には、これからスマホは、良き相方となってくれそうだ(200kbpsの低速通信のみなのだが今のところ不自由はない)。
 道迷いも、時に思わぬ出会いがあり、それはそれで良いのだが、時間的・体力的、特に最近後者に余裕のない身としては、スマホは有難い存在である。

 ・・・・・・・・・・・・

 今回で、長かった夏の鉄塔巡り紀行も終わり。これ以降は秋の巡りだ。
 昨年は、デイサーヴィスの日数も少なく、また天候の影響もあり、余り行けなかった秋の鉄塔巡りだが、今年は、おばあちゃんが週三で(嫌々乍らではあるのだが)デイサーヴィスに行ってくれているので、そこそこは出掛けられそうである。
 今から、楽しみだ。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 9/16

*田無用水:西武多摩湖線に近い関東管区警察学校付近で分水が始まる
*鈴木新田:享保七年(1722)に新田開発奨励の高札が日本橋に立てられ、それに応募する形で小平地域で開発が進んだ。鈴木新田は享保九年(1724)に開発許可が出された
*短冊地割:一軒の持ち分となる短冊の中に、家屋・屋敷林・耕地・茅場・雑木林がワンセットになっていた。地割(じわり)とは土地を一定基準で区画すること

(これら鉄塔の最寄駅は西武新宿線の花小金井駅)

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長月十三日  飛石
 「飛石(とびいし)」とは、和風の庭に、伝い歩くため「飛び飛び」に置かれた石の事。主に自然石が使われ、成形されたものは「敷石」と呼び、飛石とは区別されるらしい。

 と、いきなり鉄塔と無縁な話からの導入となったが、私の鉄塔巡りは、どうも、何時もこの「飛石」である。飛石とは言っても、勿論比喩的な意味だ。飛石の様に「飛び飛び」であることの例えである(昔、ゴールデンウィークのことを「飛石連休」と呼んでいたのを知る人は、可也人生経験豊かな世代だ)。

 他の諸先輩鉄塔サイトさんを拝見すると、送電線の路線を端から端まで、1号鉄塔から最終鉄塔まで丹念に追跡されていらっしゃる方が多い。各駅停車型、とでも言えるだろうか。見ていてとても楽しいし、今度はどの鉄塔へ行こうかと考える際、或いはデータ的部分など非常に参考なる。
 だが、私は、どうもせっかちなのか、楽をしたがるのか、各停パターンが出来ない。一つ一つ丹念にコツコツと、が出来ない。気力が無い。古い鉄塔、少々形の変わった鉄塔、その他、何処か気になる或いは何所か気に入った鉄塔のみをチョイスして、訪ねるパターンしかできない。なので、どの路線も「飛石」になってしまうのだ。
 目的の鉄塔のみ目指し、途中他の鉄塔の傍らを通っても、ほぼ眼中に無い。勿論例外もあるが、基本的に、非常に視野が狭い。これは何も鉄塔に限ったことではなく、私の今までの人生自体、これである。興味のある対象のみが全てで、それ以外の事柄はすべてスルーしようとする。その成れの果てが今の私である。
 若い皆さん、どうか、一つ一つ、一歩一歩「丁寧」に生きて下さいね。

 また脱線してしまった。然も最後は説教ぽくなってしまった。
 鉄塔のページなのだから鉄塔に戻ろう。

 今回は、憧れの「久我山」を冠した久我山線である。当然「飛石」であることをはじめにお断りさせて頂く。
 4号、8号、9号そして12号と番号順にご紹介。

久我山線4号 久我山線4号
4号(平成14年7月 38m)

 府中公園の広い芝生広場越しに遠望。公園の西の縁と道路を挟んで向かい合うアパートの敷地内に建つ。結界フリーなのだが、当然勝手には入れない。住宅密集地で、且つすぐ脇の枝葉の繁るサクラ並木に遮られ、寄りでの撮影は結構難しい鉄塔である。
 ちなみのこの公園は、ドラマ「H◯RO」のロケ地として有名だ。

久我山線9号

久我山線8号 久我山線8号
8号(昭和44年7月 35m)

 この路線の多くは、平成になって建替えられているが、8号と次の9号は昭和生まれの旧タイプだ。
 8号はアパートの駐車場奥にあり、接近は不可である。

久我山線9号

久我山線9号 久我山線9号
9号(昭和44年7月 27m)

 9号は可愛らしい小さな鉄塔。立地的には、最も気持ち的に撮りにくいタイプの鉄塔である。民家のお庭に建っているのだ。鉄塔は個人所有ではないといい、個人のお宅の庭の実質一部である。それに鉄塔の向こうには住宅の窓などあったりする。此処の場合は、小プレートを狙っても幸い向こうには壁面しかなかったが、それでもやはり気を使う。さっさと撮ってとっとと撤収である。

久我山線12号
12号(平成13年7月 40.3m)

 12号、手前は昼下がりの人気なき浅間町公園(せんげんちょう、と読む)。非常に管理の行き届いた児童公園である。だが、12号の建つ、二列ばかり家並を越した向こうにある団地附属の公園は、可也荒れている。少し荒れた公園は好きだと、岡部境線128号で書いたが、ここは一寸荒れ過ぎである。私が訪ねた時はであるが、丈は低いといい(膝下程度)、メヒシバやエノコログサ等の草草に一面覆われ、滑り台も埋もれ気味。西に奥まった鉄塔の周囲は、ササや、下の大プレートにも写り込んでいるクズが大繁茂(モスキートもいっぱい)。

久我山線12号

久我山線12号 久我山線12号
その公園から見上げる

 折角の公園が、これじゃ利用も難しい。どの様な事情か不明だが、公園自体、なんか可哀そうである。

 今回の久我山線詣では以上だが、久我山線の単独区間は大好きな多磨霊園も近いので、また何時か取り上げるかもしれない。

 最後にお詫びがある。以前、久我山線単独の鉄塔は17基しかないと書いたが、11号は欠番なので、実際は全16基でした。御免なさい。訂正させて頂きます。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 9/13

*メヒシバ、エノコログサ:共にイネ科。後者は「狗尾草」で犬のしっぽに似ているところから。俗にネコジャラシとも
*クズ:マメ科の蔓性多年草。秋の七草の一つ。根塊から葛粉を採る。北米では外来種として問題化している。紫の花はファン◯グレープの匂い
*久我山:東京都杉並区の高級住宅地。サッカー・ラグビー名門国学院久我山高校がある。だが、久我山線は実は久我山を通っていない

(この鉄塔の最寄駅は京王線府中駅・東府中駅)

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ペット災害対策推進協会

長月十日  年代もの
 桜ヶ丘線32号などへの鉄塔巡りの帰途、結構長き歳月を経た(様に見える)鉄塔にお目にかかった。

府中線40号
府中線40号

府中線40号
大プレートは社名アピールが強い珍しいタイプ

 部材も少なく、古そうな鉄塔であることは何とはなく伝わって来るが(新鶴見線19号に似ている)、建設年は小プレートがこの状態では如何とも判別がつかない(下)。
 府中線の開設が何時なのか、詳らかではないが、40号は当初よりの原型タイプではなかろうかとも思える。

府中線40号
これ自体相当古そう

 コンクリート製の脚基部を見ると、「疑惑」で紹介した可也古そうな境八王子線23号のものとよく似ている。
 まあ、これだけでは、何時のものとも古いものとも、知識・経験不足の私には何とも判定できないが。

府中線40号

 現在は民家やアパート・マンションに囲まれているが、可也小柄(27m)であるところなどを見ても、水田(或いは畑)の真ん中に当初は建っていたのだろう。
 周囲には小規模ながら、今も農地が点在している。

府中線40号

 府中線開設は、何時の事であったのであろうか。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 9/10

*府中線:八王子市の南多摩変電所から府中市の府中変電所まで

(この鉄塔の最寄駅は京王線百草園駅)

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ペット災害対策推進協会

長月八日  交差
 多摩川南岸、堤防直下、只見幹線と桜ヶ丘線とが交差する。場所は、「もしドラ」や新選組で有名な日野市である。

桜ヶ丘線32号と只見幹線545号
桜ヶ丘線32号(左)、只見幹線545号

 只見幹線の下を、桜ヶ丘線が潜る形。只見幹線と境八王子線中富線と新鶴見線、など幾つか同様な形での交差の例を見たが、ここまで送電線を引き下げているのは初めてだ。今挙げた二例は、潜る方の鉄塔が皆小柄だから送電線は引き下げる必要はないが、ここの場合は、前後の鉄塔が、渡河や他の路線を併架させるために大分高身長なので、こうせざるを得なかったのであろうか。

桜ヶ丘線32号と只見幹線545号
鉄塔東の四谷橋より
左545号、右32号

桜ヶ丘線31-33号と只見幹線545号
鉄塔東の四谷橋より
左から、33号、545号、32号そして31号

 只見幹線の開設は1959年(昭和34年)、それに対し桜ヶ丘線は1930年(昭和5年)開設と、可也のパイセン。ここから考えれば、桜ヶ丘線の上を只見幹線が越える際に32号を低くした、と言うことになるのであろうか。
 或いは、両隣との径間は可也短いので、後から増設されたのであろうか。しかし「-1(のいち)」ではない。

 矢張り32号は開設当初から存在したのであろうか。もしそうだとしたら、32号は昭和53年建設となっているので、少なくも初代ではない。

桜ヶ丘線32号 桜ヶ丘線32号
32号

 塔高を抑えるため、第二腕金で二本の送電線を支持する、所謂「ドナウ型」。それも四回線なので二段である(下段は百草(もぐさ)線)。以前紹介の西北線26号と同じだ。ただし、第四腕金が第二腕金とは上下逆の形で、上が水平になっている。
 しかし、この角度で見ると32号、後の545号を護るためフル武装し、「かかって来なさいっ」と仁王立ちする用心棒の様だ。

桜ヶ丘線32号
さあ来い

 32号に守護される545号(イエロー・ハット)は、渡河鉄塔のため可也の高身長。首に弱点が有りすぐに痛くなる私には、見上げるにも苦労するほどだ。

只見幹線545号 只見幹線545号
545号

 しかし、嵩上げの為か基部が角度を変えスカートのように広がっている。嵩上げだとして、もともと可也の高身長である様に思えるのに、如何いった必要から行ったのであろう。

只見幹線545号

 32号・545号辺りから、西を望めば桜ヶ丘線31号、東を望めば同じく32号、二つの長身鉄塔が見渡せる。
 31号は、多摩川と程久保川とに挟まれる鋭角な三角形の先端近くに建つ。基部は鬱蒼と茂るツバキなどの木立に包まれ、小プレートは確認不可であった。

桜ヶ丘線31号 桜ヶ丘線31号
31号
32号後ろの堤防から

 33号は74mの赤白。周囲は河川敷と農地及び低層の住宅街ゆへ、可也の存在感である。
 府中線が下段に架かるため6回線。

桜ヶ丘線33号 桜ヶ丘線33号
33号
32号下辺りから

 32号、545号両鉄塔の北側には、多摩川の支流程久保(ほどくぼ)川が流れ、すぐ東(画像奥)で多摩川に合流している。川の合流点には「落合」等の地名があるが、この画像の辺りは「落川」と言う地名だ。何か地形に関連在る名なのであろうか。しかし、上にも書いた、只見幹線と境八王子線との交差、その紹介時に書いた「耳すま」ゆかりの東寺方団地すぐ東隣りにも「落川」(多摩市)と言う地名があるのだが、こちらには目立つ川は無い(用水路的なものはあるが)。
 残念ながら、これ以上地名について語れる何物も持ち合わせていない。

日野市、程久保川
32号と程久保川

 三面コンクリート河川ではあるが、川沿い遊歩道のサクラの並木は涼しげで、ベンチで休むお年寄りなどちらほら。

 雲も多めの天候とは言い、盛夏の鉄塔巡り、やはりオッサンにはこたえる。31号下の木蔭で昼食。散歩中のワンコが多く土手の遊歩道上を通り過ぎるが、この炎天下、熱中症が心配になる。大丈夫か?

 食後、たっぷりと水分・塩分補給して、堤防を降り南へ向けて走る。
 途中、545号と32号のツーショット・ポイントに遭遇。電線の邪魔なく見晴るかせる場所はなかなか無かった。有難く写させて頂く。

桜ヶ丘線32号と只見幹線545号
545号と32号

 鉄塔の背景、真夏の積雲(cumulus)群を見ていると、巡礼時に辺りを包み込んでいた、湿度たっぷりの熱気が蘇ってくるようだ。

 この記事を作成している今、夜半はもう涼しく、虫たちの声も増え、夏の終焉が感じられる。暑さに弱い身としては、些かほっとしているのだが、画像編集のため写真を彼是見ていると、一寸、この頃の暑さが懐かしくも思えてくる。勝手なものだ。

(撮影に関しましては、十分配慮しておりますが、もしご近隣の皆様にご心配及びご迷惑をおかけしておりましたら、お詫び致します)

2016 9/8

*日野市:東京西部の人口約19万人の市。高幡不動(金剛寺)、多摩動物公園が有名。新選組副長土方歳三、六番隊組長井上源三郎の出身地。「ゆりてつ」、「もしドラ」の舞台
*程久保川:日野市を流れる一級河川。長さは5kmほど。多摩動物公園前を流れる *落川:程久保川のすぐ北を流れる浅川が多摩川に合流して(落ちて)いるからこの名前という説もあるようだ

(この鉄塔の最寄駅は京王線百草園駅)

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長月六日  跡地
 国分寺線63号横の坂を下った辺りから望む、車返線鉄塔列である。手前が30号、その向こうに29号そして28号。オリジナル写真だと23号までは確認できる。

車返線30号 車返線30号
車返線30号(右端)

 この光景は、数年前までは望むことは出来なかった。
 かつて、画像左側、車返線の建つ土手(西武多摩川線が走る)の下には、昭和42年(1967)6月に1.2号炉が、そして5年後に3・4号炉が稼働した、調布市・府中市・小金井市の三市の可燃ごみ処理のための巨大なごみ焼却場(二枚橋焼却場)が建っており、この撮影場所からは、29号及びその先は見えなかった。それが、焼却施設の老朽化に伴い、平成19年(2007)に焼却炉停止、そしてのち、平成25年(2013)に焼却場は解体され、この光景が現れたのだ(車返線の建設は昭和42年12月)。
 焼却場は、再建計画があったが、反対その他があり断念された。現在跡地は更地となっているのだが、小金井市は府中市所有部分を買収し、資源ごみリサイクル施設の移転・建設の計画を先月発表している。なお、同所には調布市もごみ処理・選別施設の移転を計画しているので、しばらく先には、又この光景は、消え去る運命かもしれない。

 跡地は、東の野川公園、西の武蔵野公園と二つの広大な緑地に挟まれている。前に書いたように、この跡地すぐ東側に都道建設計画もあり、その辺りとも関わり乍ら、景観問題など引き起こすことも考えられる。

2016 9/6

*二枚橋焼却場:調布市・府中市・小金井市の三市が3700平方mずつ出し合って建設された。名は野川に架かる二枚橋横にあるため(二枚橋は悲恋の伝説に由来する名。詳細は多くのサイトさんが書かれているので是非そちらを)

(この鉄塔の最寄り駅は西武多摩川線の新小金井駅・多磨駅)

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